打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

『王妃の離婚』に意外な大航海キャラが

「王妃の離婚」に登場していた、意外な大航海時代Onlineのキャラクター


自分のブログを作った時にやろうと思っていた事の一つが、『大航海時代関連の書評もしくは紹介』です。 で、一発目として今日はタイトルとは別の本の資料を作っていたのですが、2重にタイミングの良い事が起きたので急遽差し替えました。

以前、めけさんのブログ「歴史ファンの大航海時代」
に、「大航海時代の離婚ってという記事が出たときに多少のコメントをさせて頂きました。(この記事自体がとにかく面白かったので/できればお子さんはご遠慮を)

>>
この件、佐藤賢一の『王妃の離婚』(直木賞受賞作です)を読むと実に参考になります。実に面白かったので読んでみてはいかがでしょう。


そのとき紹介したのがこの本。
王妃の離婚03表紙

>>
追記です。 この本にでてくる離婚裁判は1498年、もろ大航海時代です。
作中より抜粋 弁護人「王妃(フランス王妃ジャンヌ)が処○検査をうける事を認めます」 弁護人「但し、それに先立ちフランス王(ルイ12世)の男○検査を要求します!」 (一部修正)
こんな感じです。気になるでしょ。(以下略)


と、当時こんな風にコメントしました。

これはこれで良いのですが、今日ある事に気付いてしまいました。
大航海オンラインをプレーしていて、たまたま受けたクエが『プルーンの納品』です。 (カテ2が4枚もらえるので、セビリアからハンブルク方面に鋳造修行しに行くのに丁度良い)

で、プルーンを納品する相手がこの人。
ベリー女公ジャンヌSS
カレーにいる『ベリー女公ジャンヌ』さんです。

ん?ん?

プルーンを納品する前からちょっと引っ掛かっていたのですが、たまたま今日(4/30)、めけさんの方がまたそっち系のネタを記事に上げていて、「大航海時代の離婚って」 の記事を再度紹介していました。

ん?ん?ん? → ん!  ベリー女公ジャンヌさんて!!

思わず本のページをめくりました。
王妃の離婚02ベリー女公
そのページがコレ。(転載です、佐藤賢一さんゴメンナサイ)

大航海オンラインでカレーにいるジャンヌさんは、『王妃の離婚』で離婚裁判中のフランス王妃「ジャンヌ・ドゥ・フランス」だったと言う訳。
(フランス王家の姓はフランス=そのまんまだ)

念の為、手元の系図で確認しました。
ベリー女公ジャンヌ系図
↑ルイ11世の娘(じゃんぬ)がその人です→確かにルイ12世と結婚しています


(歴史上の人物としては)
ジャンヌ・ドゥ・フランス1464-1505年 (ベリー女公ジャンヌ/夫:フランス王ルイ12世)
フランス王ルイ11世の娘ジャンヌ。オルレアン家のルイ(後のルイ12世)と結婚する。ブルターニュ公領の相続問題のため、夫・フランス王ルイ12世と離婚後、ベリー公領を相続し女公となる。ベリー女公となった後は出家して女子修道会の建設などに尽力し、後に聖人に列せられ、歴史に残った。

※オモシロネタにするには恐れ多い位に立派な人だったようですねえ。 
おしまい。

※なんだか連動記事の様になってしまいました。 めけさんお許し下さい。


※追記
肝心の紹介文を忘れていた。作者さんに失礼ですね。
『王妃の離婚』 佐藤賢一著 集英社刊

この本は、15世紀末フランスの王家を舞台にした離婚裁判を、成り行きから王妃の弁護人を引き受けることになった元学士の視点で描いています。(1999年 直木賞 受賞作品です。) 
法廷闘争というロジカルな題材でありながら、中盤はまるでアクションもののようなテンポのよさと痛快さはこの人ならではと言えるんじゃないでしょうか。
正直、序盤にダルさを感じるものの、弁護士が立ち上がる中盤~ 法廷戦術を駆使し、証拠集めに掛かる終盤までの迫力はさすがといった所でした。

佐藤賢一といえば、『傭兵ピエール』 (ジャンプコミックにもなってます)や、『双頭の鷲』がまず有名どころですが、このような作品も作者の引き出しの多さを物語っているのではないでしょうか。 

※今では文庫化されていますので、造船修行中で海にプカプカ浮いている職人さんが読むには丁度いいかもしrません。 (中盤は物語に集中させられるので注意!!)
  1. 2006/04/30(日) 22:26:26|
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地図の歴史4 地図を年代測定

地図を年代測定してみる

今回のテーマは、 『地図は歴史』 です。
私の部屋に飾ってあるもう一枚、ヨーロッパの古地図から、それを見て取ろうと思います。

地図というのは正確さもさることながら、数百年単位ではものすごい情報の変更が成されていますので、まさに歴史すら見て取れるのではないでしょうか?

<全体図>
ヨーロッパ図01

実は私も、この地図が西暦何年に書かれたものかは正確には知りません。では一体何年頃の制作なんでしょう?
ヨーロッパの中~近世史をちゃんと学んだ人なら、この地図を見たことが無くても、書かれた情報ですぐに大体の時代が分かってしまうかも知れません。残念ながら私はそうした人間ではありませんから、地図の中に書かれた内容をヒントに多少なりとも考えてみようと思います。結構面白いです。

------------------------------------------------------------
<仮説1:イギリス>
ヨーロッパ図02ブリテン

イングランドとスコットランド・アイルランドが、それぞれ別の色分けがされています。
もちろん、現代でもイギリス=「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」ですから、それだけでは判断基準になりません。
この中のヒントは「ウェールズはイングランドと同じ色にされている」点でしょう。この書き方で、イングランドとスコットランドが本当に別々の国家だった時代の地図だと仮定できると思います。

仮説1→ウェールズ併合後~スコットランド合同前 =1163~1707年(ウェールズがイングランドの宗主権を受け入れた年~合同法によりグレートブリテン王国成立した年)

※これではまだ範囲が広すぎますね。

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<仮説2:ネーデルラント>
ヨーロッパ図03ネーデルイスパ

この地図では、ネーデルラント地域が北部(オランダ)と南部(ベルギー)で分離されておらず、同一色です。また、イスパニアと同じ緑で色分けされています。この事から、少なくともこの地図ではネーデルラントは、まだイスパニア領と考えられていた可能性が高いと言えます。(条約等で確定する前と考えられる)
ネーデルラントのうち、北部が1566年に独立運動を起こし、泥沼の80年戦争が終結するのが1648年です。(この戦争により、イスパニアはせっかくの新大陸の金銀のほとんどをつぎ込み、結局 国家破産を宣言します)

仮説2→=1516~1648年 (イスパニアのカルロス1世が神聖ローマ皇帝となり、ハプスブルク家のネーデルラント領を継ぐ~ウェストファリア条約により最終的に独立確定)

------------------------------------------------------------
<仮説3:地図中の船>
ヨーロッパ図04レパント

ヨーロッパ図05アルマダ

①地中海に書かれたガレー船同士の海戦、
②イギリス沖に書かれた帆船の海戦

この絵でイメージするのは何ですか? 
私は①がレパントの海戦(1571年)、 ②がアルマダの海戦(1588年)です。
単純かも知れませんが、当時の人はもっと情報が少ないのですから、代表的なものを考えておけば案外正解な気がします。(しかもイスパニアは両海戦の当事者です)
それから、帆船の形は船尾が高く、2~3本マストの横帆で、ガレオンもしくはキャラック船のように見えます。

仮説3→1588年以降の地図

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一応、ここまでの仮説が正しければ、総合すると 『1588年~1648年の地図』  と言う事になります。 (こんなんで本当に合ってるのかな?)

もう少し、北欧・東欧・地中海・オスマンの動向に詳しい人がいれば、もっと絞込みが出来るかも知れません。(特にスウェーデンやオーストリア=ハンガリーあたりはこの頃は戦乱続きでしたのでヒントが多そう)

※やってみると結構面白かったので、誰か引き続き検証してくれると嬉しいんですが。(要望があれば各部の画像をアップしますので)

一応、これで地図シリーズは終わりにします。 (結局歴史になっちゃった)
  1. 2006/04/29(土) 22:05:09|
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地図の歴史3 不正確な地図

まだまだ不正確な地図 と 勝手な線引き


地図の話を書こうとすると、どうしても画像が必要になります。
で、手持ちの資料なぞ漁っていましたが、あんまりコレという本がないなあー と思っていた所、有りました!!

世界図04b

これ、私の部屋に飾ってある複製地図です。地図代より額縁の方がヒトケタ高かったりします。
大きすぎて資料とは認識出来なかったのですが、よくよく見ると、この地図だけで記事が数回書ける位のネタが転がっています。


<その1:大西洋のタテ線>
トルデシリャス

最初、大西洋に引いてあるタテ線は子午線だと漠然と思っていましたが、ロンドンの上を通っていません。上はグリーンランドから、ブラジルをかすめて南端まで到達しています。しかも、実は地図上の経度の目盛は0度に設定されています。(実際の経度で言うと西経40~45度近辺)
大航海時代のプレイヤーなら分かりますよね。わざわざ金色の破線で引かれている事からも、この地図明らかに思考的にはトルデシリャス条約の影響を受けている気がします。
(世界をイスパとポルで2分するアノ条約です。正確にはこの地図の線より少し左かな)
しかもよく考えると、この線はイスパニアが当初主張した、「カナリア諸島は除いたすぐ西からイスパ領」 に近い。

ただ、超有名ではありますが、実際には1494~1506年までの短い期間でしか有効ではなく、その後見つかったモルッカ諸島の扱いがどちらに属するかワカンナクて、新たに条約を定めています。
(さすがイスパニャン、勝手に決めているクセにいい加減だ)

まあ、後に新興国オランダやイギリスがのし上がってきて、フランスが北アメリカに進出するに及んで自然と影響力はなくなっただろうなーとは思います。

しかし、この地図は1639年発行です。既に太平洋も香料諸島も、オーストラリアの一部らしき海岸線も割と正確に書かれています。イギリス・オランダが覇権を確立する17世紀に、条約の実効性が無くなっても、地図の上ではこのへんから西は 『新世界だナ』 との意識が思想的に残っていたと考えられるのでしょうか?




<その2:南方大陸>
世界図d

ジャワ島の南東に、海岸線だけが書かれた島だか大陸だか微妙な記入があります。これは多分オーストラリアと思われますし、ここまでは一応まあ良いです。

そこから下!! 一番下に帯状の大陸が書かれています。
現代の私たちは違和感無く「ああ、南極ね、ちょっとヘタかなあ」と思うかも知れません。

だけど、南極大陸の発見は、一応1820年にアメリカ人、ナサニエル・パーマーが最初であるとされています。
※①キャプテン・クックは1772~3年に南極圏を探検しましたが大陸は発見できませんでした。
※②アメリカはナサニエル・パーマー、イギリスはエドワード・ブランスフィールドが最初と互いに主張、1964年にやっと合意します。

この地図は1639年発行です。 ・・・どゆこと? 

これ以上書くと、例の 『ビリ・レイスの地図』 見たいな話になってしまいますので止めますが、恐らく想像で書いたにしてもメルカトールやオルテリウスさんらこの時代の人達はいい勘と豊かな想像力しています。あんまり違和感ありませんから。 それとも本当に昔から知っていたのでしょうか? (単にオーストラリアを大きく書きすぎたという話も)
だけど、想像で地図を描くのは危険です。コレを信じた人が探検に出たらどうするのでしょう?




<その3:北方航路>
世界図03a

アフリカ・アジア・中南米と、かなり正確に書かれてきていますが、北極海周辺はまだ完成していないどころか諦めている感じさえします。特に東側の海岸線は、シベリア付近が非常に直線的で、分かっているとは思えません。また北西側は、グリーンランド西が湾のままで、ここから西に抜けるランカスター海峡が書かれていません。

インドへの東回り・西回りとは別の航路として期待された北方航路ですが、
①北東航路(スカンジナヴィア半島を北に回ってシベリアからアジア地域へと言うルート)、
②北西航路(グリーンランドの西から北アメリカ北部を回ってアジア地域へと言うルート)
どちらもやろうとして、結果失敗したのが地図の実物で良く分かります。

このうち、一応北東航路はイングランドの探検家チャンセラーが、
(この人、DOLでロンドンにいるジョン・ディーさんとも知り合いです)
モスクワまで行って、ロシアの初代皇帝・イワン4世(雷帝)に謁見して親書を受け、拠点建設の権利をもらう事と交易に成功しています。
ただ、その後はイングランドとスペインとの関係が悪化し、アルマダの海戦へと突き進んでいきますから、戦力・資金を割く余裕が無くなります。また、アルマダ海戦に勝利して以降は東回り航路で充分ですから、航路を開拓する必要性が薄れたと思われます。

※探検というのは、とてつもなく費用が掛かります。実質的な利益が見込めるのでなければ、中々出資者を募る事は難しかったのでしょう。 名作・大航海時代Ⅲでの 「プレゼン」 は、このあたりを表現しているのでしょうか。(発見報告でスポンサーをだますのもアリでしたから)

※今回の記事書いていると、大航海時代Ⅱのエルネスト・ロペスさんで世界地図を完成させる時のローラー作戦を思い出します。走り間違えて途中で黒い(未踏破の)部分を残してしまったときはガックリきましたからね。


まあしかし、昔の地図は超有名な人の作でも結構適当だからホント面白いです。
あー、キリがないからヤメヤメ!


※次回はもう一枚の所有品、ヨーロッパ地図をサックリと。(早いとこ次のテーマやりますので)
  1. 2006/04/28(金) 21:52:17|
  2. 地理史跡
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地図の歴史2 職人の地図作り

ヨーロッパ地図職人の地図作り(仮説) 

地理学者や地図職人さん(書庫の学者に群がっている人達とは違います)の傾向として、万国共通ですが、

①分かるところは、  『詳しく・大きく・丁寧に』
②分からないところは、『おおざっぱに・小さく・適当に(もしくは想像で)』

作られます。(大体、子供に近所の地図を書かせるとこんな感じになります)
オルテリウスの日本図

例えばこんな地図。(九州・中国がやたら大きい/しかもこれオルテリウス)

で、想像力豊かな職人さんは、よく分からない海にサービス精神全開で色んな物を書き込んでしまうらしく、

例えばこんなの
my海獣01
(いないって)

それを見た一般人や、それはそれは信心深いまじめな中世の人は、「あの海にはこんな怪物がいるオッソロシイ所なんだ」と信じてしまいます。
my海獣02
こんなのも

シーサーペント01
(だからいないって)

そういう話が、更に酒場とかでは、酔っ払いの →又聞きの →うろ覚え で伝言ゲームみたいに更に誇張された話が伝説になってしまうんじゃ無いかと思われます。

かなり強引な仮説でしたが、多分こうして定着していった伝説を本気で信じた航海長やら水夫さんたちを率いて行くんだから、ディアス・ガマ・コロンやマゼランだのといった先駆者たちは、それはまあ大変だったと思います。

「船長おー、これ以上行ったらシーサーペントにくわれちまいやす!!(モロマジ)」 大変だコレ!!



※次回以降は、大航海時代以降の探検により正確になってゆく地図、更に超有名な大航海時代のアノ話いきたいと思います。
  1. 2006/04/27(木) 20:34:36|
  2. 地理史跡
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地図の歴史1 初期の地図

地理誌の最初のテーマとして、

「地図の歴史」 とかどうでしょう。(なら歴史カテゴリだろうなあ)

今回は、昔の人はいかに苦労して世界を探求していったのかと言う事を見てみようと思います。

世の中には今も昔も地図の読むのが苦手な人が意外に多くて、見ただけで「イヤー」というのはよく聞きます。あれって、子供の頃の出歩いた経験が空間把握能力に影響しているような気がします。(例えば、車の助手席でナビさせた時に、地図を進行方向を上にして回さないと方向が分かんなくなる人と、パッと開いた地図でいきなり「ここがこうだからー云々」と整然と説明できる人の違い)

で、航海者・冒険者ってのは、いい加減な地図を見ながら自分でも作りながら探索していく訳で、現代人とは比較にならない能力を持っていたといえます。
そんな中で、大航海時代の大いなるカンチガイ男と言えば、筆頭はクリストバル=コロンさんですか。この人は地図の読み方間違えたか勘違いだかで、地球の円周をやたら短く見積もってしまい、「インド着いたぜオッシャ-!」となるわけです。 
しかし、コロンブスの事はあんまり責められませんね。本当に信じられる情報がなんにもない状況だったら、恐ろしくてまともに判断などできません。

みなさんゲーム始めた本当の初期、すべての海が全く分かってない状況でどう行動したでしょうか。恐らくおっかなびっくり海岸沿いに航行していって、港があったらホッとしたのではないでしょうか。 
(いわゆる沿岸航法→ガマ提督などはいきなり西アフリカから南下して行ってケープ付近に行っちゃったというから真の漢です) 
実際の航海技術には、これに測量技術や分儀・羅針盤・更にはジャイロ等の器具類の発明が影響しあって遠洋航海が発達したのでしょうが、実際には地図と航路の情報が不可欠です。
(帆船小説などでは「座礁」は最悪の事故として扱われますね)

で、黄金よりも貴重なのが正確な地図!ということになるわけです。 前フリ長いな。

ここから色んな地図、アレな地図等々を見ていこうと思いますが、今回は
コレ。
TO図

TO図。 これで何が分かるヨ。 それに構図も実に宗教クサイ。
昔学校の教科書に出ていた、「でかいゾウと亀が地面を支えて海は外にこぼれてる」あの地図のほうがまだましだ。まあ、地図というより概念図に近いのではないかと。

明日はもう少し進化したのを紹介していきます。

  1. 2006/04/26(水) 23:55:14|
  2. 地理史跡
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古代ファッションのツッコミ

街中でよく見かける装備と言えば、
トーガ
カエサルの鎧
①トーガ系 ②カエサルの鎧

どちらも会計+1の重要装備ですので、みなさんもどれかは持っているのではないでしょうか。(海賊さんは微妙ダナ)

で、私の最近の装備ですが、こんな感じ。
ハミルカル・バルカス002
①スキピオの兜
②カエサルの鎧
③カエサルの剣
④クロスストラップサンダル

えー、歴史ファンが見れば、『オマエ、「打倒ローマ」を掲げているのに、なんでローマンフルセットなんだよ!!!』 とツッコミまくりでしょうが、色々着てみたところこれが一番しっくり来るんです。

大体私に言わせれば、ローマ軍団兵が使用している剣「グラディウス」は、スペインの原住民が使っていた「幅広・両刃・短めの剣」を、カルタヘーナを攻略しやがったスキピオ・アフリカヌスが、 
「こりゃえーわ」 
と白兵戦用に導入したものなんで、バルカ家の者としては「勝手に使うな」と言う気分です。

「ハンニバルの武具シリーズ」 実装希望!!

熱くなって脱線しましたが、今回のポイントは主装備ではありません。

ココ!! 
ハミルカル・バルカス003
そう足元です。

街中で見かける、スカート系鎧を装備した多くの人の足元がこれ ↓
レザーブーツ
ブーツ系     =ダメダメです。スカートに合ってません。

強化レザーブーツとかは、防御力はスバラシイですが、

古代地中海は「サンダル履き」が正解じゃないか?


(ブーツは北方の騎馬民族がズボンを着用した上で履いたものだったような)
ゲルマン系の騎兵が採用された後期のローマ軍団なら分かりますが、それでも「スカート→ズボン」になっていると思われますので、実際にはありえない装備だった気がします。
ファッションのリアリティなぞどうでもいい、と言う人が大半でしょうが、こういう風に見ている歴史マニアな人もいるわけで、運営者さんが 

『サンダル強化レシピ』 

作ってくれると嬉しいなあ。(工芸低いし、縫製スキル持ってませんが、こんなマニアックなもの誰か作ってくれるのだろうか?)
  1. 2006/04/25(火) 22:00:00|
  2. 歴史ネタ
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バルカ家の町⇔本国 で鋳造修行!

近々、武器商人に転職します。

現在は鋳造11+1、火器4、工業5+1、鉱石5+2。
(しばらく冒険やってたので低いデス。)

で、当然 基本ルートは 14門大砲鋳造&火器+工業品+鉱石上げ。+移動しながら造船です。

ブログのテーマとして、まず 「カロネ・キャノン・ペリエ・デミ」  といった売れ筋の商品が、実際に
どこで
いくらで
どのくらいの速さ で
売れたのかのレポートを、原価計算書付で書きたいと思っています。 (このへん社会人ぽいなあ、需要あんのか?)

例えば、

 『今ではあんまり高レベル軍人のいないジェノバなんかは、高価なカロネよりもデミキャノン位が数もつくれるしレベル上げ用としては結構良い値でサクサク売れたりします』 

 とか、

 『大海戦の現場では、中小型船用に名匠8~12門砲が超高値で売れました!!』

みたいな仮説に基づく販売結果が出ると面白いかなあ。
 また、「いったい誰が買うんだコレ」ってゆー マイナー砲も生産して使用レポート付きで書くって言うのも、コアなプレイヤーの多いNOTOSサーバーではやる人少なそうでニッチ市場をくすぐるかなって思っています。

・・・。

て、それで終わっちゃイカンだろ!

だって、イスパ鋳造って事は、バルセロナいきます。

バルセロナ=バルサ=Barca! →俺んち?


家実装希望!! 私はバルサに城を築く!!


まあ、この名前を付けている者として、
バルサで儲けた分は全部バルサに投資しろ! 余った生産分はチュニスに投資しろ! 使命ですね。

バルセロナ⇔チュニス 貿易&投資。

 そもそもこのブログのサブタイトルに『カルタゴ復興日誌』と既に謳ったのも、このルートを念頭にしていた為でした。(作ったばっかりでもう初心を忘れてかけています。) まあ、あんまり色々なことやろうとしても中途半端に終わりますので、取りあえず多少のスキル&取引上げをしてから始めてみようと思います。

ご期待のほどを! (しかし本当に需要あるのか?)
  1. 2006/04/25(火) 17:48:48|
  2. 鋳造・縫製 その他生産
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ハミルカル・バルカって誰?

キャラ名に使わせて頂いている、 「ハミルカル・バルカ」(Hamilcar Barcas)について

(概要)
古代世界で最高クラスの戦術家、ハンニバル・バルカの親父です。
第一次ポエニ戦争(BC265-241)では、ローマに対しほとんど唯一まともに勝負できた将軍でした。
しかし最終的にカルタゴ本国の艦隊が敗れて制海権が奪われてしまい、ハミルカルは西シチリアを守り抜いたものの彼に補給が届く事無く、終戦後の和平交渉も彼が担当しました。
また、戦後にカルタゴ本国で起こった傭兵の反乱も、彼が投入されてやっと鎮圧しています。

(スペイン関連)
戦後はイベリア半島に拠点を移し、スペイン原住民を征服(BC237)して植民地化、イベリア半島の文明化が始まります。 (この時9歳の息子ハンニバルを神殿に連れていき、生涯ローマを敵にすることを誓わせたと云うのは有名な逸話です。)
 20060424191941.jpg
ハンニバル・バルカ

バルカ家はスペイン東岸にカルタゴ=ノヴァ(新カルタゴ→現在のカルタヘーナ)を建設、本拠地を築きました。
またバルセロナはバルカ家の町という意味です。  
ハミルカルはスペイン征服途上のBC228~229年前後に戦死し、女婿のハシュドゥルバルが跡を継ぎました。 (息子ハンニバルがアルプスを越えて北イタリアに侵攻する10年前の事です。)

※イスパニアの歴史を考えると、「事実上のイスパの父」と呼べる存在と思っています。

これじゃちょっと手抜きなので

(出自)
 フェニキア語で「雷光」を意味する「バルカ」家は、カルタゴではハンノ家・マゴ家と並ぶ名家でした。 いわゆる市民派と門閥派の区別で言えば、バルカ家は市民寄りで将軍を輩出、ハンノ家は大規模農主・門閥寄りで政治家を輩出してきました。(マゴ家はポエニ戦争時代には衰退しています。)


 (名前)
 ハミルカルという名は「メルカルト神のしもべ」を意味します。
 (ハンニバルという名は「バール神のお気に入り」という意味らしい)
  ハミルカルの名前自体はカルタゴでは一般的で、古くはBC480年のシュラクサイ(シラクサ)争奪戦の際に、200隻・3万人もの大艦隊を率いたマゴ家の 将軍の名に見られます。(ちなみにハンニバルという名も、このハミルカルの孫としてBC410年頃に登場します)
更にややこしいのがBC320年頃、シチリア駐在カルタゴ軍の総司令官にハミルカルの名が見られます。この人は後に失脚してカルタゴ本国に送り返されるのですが、その後を引き継いだ司令官の名が 同名のハミルカル。

 ローマ人とかもそうなんだけど、名付けのバリエーション少なすぎ!
  1. 2006/04/24(月) 19:14:55|
  2. 歴史ネタ
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  4. | コメント:0

よろしくです

はじめまして。
 大航海Notos鯖で活動している、ハミルカル・バルカです。

ブログ作ってしまいした。プレイヤーの方々よろしくです。

 こんなん見る人いるかどうか疑問ですが、
 初回なので、今後の方向性を考えてみました。

(カテゴリー)
①歴史:大航海時代ONLINEに関連する、歴史ネタ
②鋳造:Notos鋳造屋の生産状況(値付・販売傾向・使用レポートなど)
③地理誌:DOL関連でリアルの地理・史跡紹介って、全然無いんで
④活動日誌

 とりあえず、こんな感じでやっていきます。 まあ、ゲーム自体かなり成熟してきているんで、他の人が紹介していないものを自分の趣味の範囲で取り上げてみようかなと思います。
  1. 2006/04/24(月) 17:33:05|
  2. 未分類
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ハミルカル・バルカ/メルカルト

Author:ハミルカル・バルカ/メルカルト
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所属  :イスパ
商会  :たまごのしろ/世界の船窓から
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