打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

ちょこっとアップデートですね!

船と生産の日々

さて、1/31からアップデート『カルネヴァレ』が実装されますね。
小規模と中規模の中間くらいでしょうが、新しい家具や船のバリエーション追加は作るほうとしてはちょっと楽しい要素です。(ネコ車は微妙だけど・・・)
私自身の動きとしては今週末くらいで冒険スキルの調整が終わりそうな所に来ていますので、海事修行の前にいったん両替商や美術商・宝石商あたりの生産複合職になってここら辺の出現状況を見て回るのも面白いかなと思っています。

ところで、この中で既存船の強化やジョイントビルドのバリエーションの追加ってあります。
この辺ですね。
カルネヴァレ船01

で、このうち一番左の船、
ケッチかスループに見えますが、その場合はどんなバリエーションになってくるのでしょうか。
18~19世紀に大流行したイギリスの漁船ケッチとか出ても微妙すぎるんだけど、
『探検用スループ』 とかで旋回+2とか出たら面白いんだけどな!
んでこの手の縦帆な小型船、現代でもレジャー船に多用されていて、例えばこんな船。

16スクーナー

昨年の秋に、日本丸見に行った時のギャラリー船ですね。
(その時の記事はここです。)
http://hamilcar.blog64.fc2.com/blog-entry-188.html

ただ、これだと後ろのマストの方が高くなっているところがSSのケッチと違いますね。
スクーナーと呼ぶべきでしょうが、あとの帆装などは大体同じで、長さはだいたい10m前後くらいでしょうが(30フィート級で9mちょっと)、取り回しが良さそうで乗ったら楽しいでしょうねえ^^

それと右側の船が該当するかは分かりませんが、17世紀のオランダとかで登場した低船尾な北方型のガレオンとかが出てくるとちょっと面白いかな。(スウェーデンのヴァーサ号もこれに近い) 
とは言え、現状では生産系こそ専門職に就けば縫製R17・鋳造R18・工芸R17・調理R17+5まで対応できますが、造船はR10+3がやっと。大型JBに対応するには最低でもR16とまだまだ修行が必要で、道のりは遠いです。

え、保管は?って・・・。あー、忘れてたw


おしまい。

FC2ランキング02 ←押してってねー!
  1. 2007/01/31(水) 08:56:19|
  2. 雑学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

VistaなPC欲しいんだけど

新時代の幕開け!?

そもそも去年の夏の時点でアヤシかったメインで使っているPC。
年末には海戦中にフリーズしまくるわで、タイミングを待っている部分もあったのですが、
さすがにもう買い替え時のようです。
んでですね、今日はそう、Windows Vistaの発売日、ついでにOSも入れ替えてみっか!
という事で今週~来週末にでも買いに行きたいのですがさてどうしよう・・・と。
最近のパーツ詳しい人いたら教えてもらいたいところです。(ペコリ


今日のサブタイトルは、オフ版三国志の初期のタイトル中でシナリオ名になっていたちょっとお気に入りだったものです。本来のVistaが目指していた機能がフルで盛り込まれていたら、メインタイトルにこの名前付けても良さそうだったのがちょいと惜しいナ。


【方向性】

現在のメイン機は、大航海ベンチをノーマル設定で走らせると530~540位。
VGAがAGPベースのパソコンとしてはこれ以上強化する意味もないし、DOLも通常の使用にはまったく問題ないですが、三国志Onlineだとストレス感じるくらい動かないので今後数年間のメイン使用には流石に無理あるなと観念しました。できればこいつはあまり部品取りなどせずにそのままにして、予備機にしておきたいと思っています。
つか、3DのONゲーをガシガシやる以外では今でも十分使えているんですね。
動画編集・ドロー系のソフトもこいつに一通り入っているので、いきなりバラしちゃうのがめんどいというのが本音ですw
1号機02
(これがメインで使ってるPCのベンチ)



2ND機はCPUがアスロン64-3200・メモリ2GB・HDD300GB・VGAはGF-7600GSという構成で、大航海ベンチ(ノーマル)だと880~890くらいあり、当面はこのままで十分と思います。
ただまあ、これでも三国志Onlineは重めでしたから、2~3年先も!というとちょっと厳しいかもですね。
2号機01
(これ半年前の2号機。その後ハードディスクを換装したらちょっと速くなった^^)



その上で新メイン機を、できれば今後2年間は大きな追加なしで使う前提で導入したいです。
取りあえず手持ちで使えそうな完全に余ってるパーツを書き出すと、

メモリ:DDR2-533の1GB×2枚

ハードディスク:SATA250GB×1個、ATA320GB×1台
光学ドライブ:DVDスーパーマルチ(16倍速書込)×1台
VGA:GF-7600GS×1枚
ケース(ATXとMATX)と電源350Wが各2個

なんかCPUとマザーとOSあれば組めそうなのですが、電源は強化したいかもです。
予算を10万くらいとするとどんな感じだろなあ、ビデオカードは2年使えればいいかな・・・?
↑↑この時点で思考停止しちゃってるここ数日。。。
あー、ほんとワカンナクなってますw


おしまい。

FC2ランキング02 ←クリック応援していってね~!
  1. 2007/01/30(火) 07:20:50|
  2. 雑学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

商大スクーナー☆3どっちにする?

調査用とノーマルへの分岐

昨日、突発的に商用大型スクーナー☆3バージョンの造船をまとめてやって頂くことになり、
私も便乗してお願いすることに。という事で、商会内で合わせて4隻作った内の3隻がこれ。

商大スクーナー☆3艦隊

ところで、
商用大型スクーナー☆2のオプションスキルは強化倉庫。
ここから☆3は分岐してノーマルと調査用が選択できるのですが、
ノーマルのオプションスキルは工作室で、調査用は旋回+2になってスキルが投網
どっちも良さそうで悩むところ。
ちなみにこんな感じになります。

商大スクーナー☆3ノーマル

これがノーマルの☆3(帆装はトップスル横1枚仕様)で、工作室付き!
生産者な私には非常にうれしいですね。(早く管理技術上げないとなぁ・・・)

船名の『メルカルト』は、カルタゴの母市となったテュロスのカナン神話に出てくる都市神で、
ハミルカルの名前の由来でもあります。(メルカトル先生と紛らわしいけどね^^)

商大スクーナー☆3調査用

んでこれが調査用大型スクーナー☆3(帆装はトプスル4枚仕様)
旋回が+2になるってのは思ってる以上に違うようで、作った2人も満足のようでした。

それにしても、商用船なのに、名前が調査用で旋回+2なのね。
しかも投網・・・。
これで生態調査するのかなあ。
発見物カード付きの魚ゲットしろって事でしょうか。
研究調査用と言いつつ割と商業な日本の捕鯨活動を思わせるものがあり、
マグロ漁の母船な雰囲気がぷんぷんとする感じで、これはこれで結構欲しいですw
それにしても、+18%で作ってもらうと原価ベースでも1隻で軽く25M以上するわけで、
部品までバザーで買っていたら・・・、おいそれと手が出ないですね。
さてさて、商大スクーナー作った皆さんはどっちにしてますか?


おしまい。

FC2ランキング02 ←ここも一発、応援お願いしますー。
  1. 2007/01/29(月) 08:31:38|
  2. 活動日誌
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

三国志で大海戦できないものか・・・。

まだあんまりプレーしていませんが、

三国志Onlineで改善したらいいなあと思うのが移動速度。
その他の操作性やシステムうんぬんは他の人も書いていますので、
取りあえず今回はちょっと切り口変えてエントリー書いてみます。

【アレ、あるんじゃないか!?】
移動性については、大航海Onlineでも当初の遅い船
(バルシャとかコグです、あと補助帆も)
から段々LVや資金力が上がって速い船・メインフルリグドとかのいい帆に換えられるようになる事で移動のストレスはある程度は解消されて行きますよね。
(新キャラ作った時などでたまにバルシャや店売りの小型船乗るとあまりの遅さに愕然としますからねえ・・・って、それ考えたら現在のスループは神船ですね)
だから三国志でも初期の徒歩の段階ではこんなものでいいのでしょうか。
いずれ馬(はもうあるかな?)とか船とか出たら移動速度が・・・って、あ!

三国志でも海戦あったじゃん、
それも古代史では三大海戦に数えられそうなのが!
呉水軍だと河川や海で軍船扱えるようになるのだろうか!!

【闘艦】 【蒙衝】 【走舸】

でしたでしょうか、軍船のタイプ? あれ乗れたら楽しいんだけどなあ。
それに昔の三国志でも海戦システムありましたし、闘艦なんてガレアスみたいな櫓がいっぱい出ているフォルムしていた気がします。
んでここからは希望というか妄想ですが、船の戦闘システムは大航海時代Onlineのをベースにして、スキルと戦法は衝角・弓系・白兵・計略なんか入れて、お約束で一騎打ちとか盛り込んだら面白いんじゃないかしらw
うーむ、これ早いとこ実装希望かも。




おしまい。

FC2ランキング02
 ←支援クリックお願いでっす。。
  1. 2007/01/28(日) 07:56:43|
  2. 雑学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ナポリにあるニッポンの地名?

東洋のナポリ

大航海時代Onlineではおなじみの拠点都市ナポリ。
この、現在ではカンパーニアの州都・ナポリ県の県庁所在地にして南イタリア最大の都市ナポリが、日本のある都市と深い関係にあるのをご存知でしょうか? 先日チャットでナポリが話題に出ていたのにインスパイアされてちょっと記事書いてみました。

大航海時代中のナポリは、それ以前からアラゴン王がナポリ・シチリア両王国の王位を持っていた関係から、そののちアラゴンがカスティーリャ王国との同君連合が成立してスペイン王国となり、更にハプスブルク家にスペイン王位が移ってからもナポリはフランスの武力介入などの紆余曲折を経てスペイン属州のひとつとなっていました。(←これが大航海時代Online開始時点の影響度の設定と思います。本来は領地扱いでも良さそうな)
※短評できるほど単純でないので、ちょっとここら辺はいずれまとめた方がいいかもです・・・。
この都市は更にさかのぼると、紀元前6世紀頃に建設されたギリシアの植民都市『ネアポリス』として生まれ、同じくギリシア系の植民都市マルセイユ(マッサリア)などと並んで西地中海では屈指の歴史ある港町ですね。

ところで話は飛びますが、1990年にイタリアでサッカーのワールドカップが開かれたとき、
ナポリも主要な試合会場となっています。当然ながら優勝候補の地元イタリアは組み合わせに恵まれ、更に会場も予選からずっと北部に居座わり、ホームタウンを活かして勝ち進んでいました。
そして準決勝、ずっと北部だと南北問題上まずいと思ったのか、イタリア代表はここで初めてナポリへ南下して試合に臨みます。そして相手はアルゼンチン。この当時のアルゼンチンと言えばマラドーナが全盛期をちょっと過ぎたあたりの黄金期で、(1978年=優勝、1986年=優勝、1990年=準優勝・・・ってスゲーなw)、しかもその頃マラドーナは莫大な移籍金でナポリに移りプレーしていると言う、ナポリっ子にとっては複雑な試合となったのでした^^);
例えば試合前のインタビューでは、『2-1イタリアの勝利、但しマラドーナが1点取るけどねw』
というのが地元の心情を良く表していたと思います。一方、この時点でのイタリアのストライカーと言えば、後にJリーグのジュビロ磐田に在籍していたスキラッチで、大会当初のイタリアのエースだったビアリやカルネヴァーレを蹴落としてレギュラーに定着し、最終的に大会の得点王となっています。また、ロベルト・バッジョがまだ15番とか付けてたりしていました^^
結果としては、イタリア代表はこの準決勝でPK戦に敗れ、決勝に進む事無く3位に終わっています。北イタリアのサッカーファンはこれをどう思ったか微妙な所ですが、こうしてナポリはイタリア代表の鬼門となってしまった場所でもあります。

さて、このナポリ、広い湾を持った良港ですが、その横腹というか海に向かって左手にある陸地側にヴェズヴィオ火山を抱える火山帯のど真ん中にあるため、付近では温泉すら出る温暖な地形なのですが、この地形って日本のある場所に良く似ているような・・・。
そう、ナポリは同じく湾内に火山を抱えた鹿児島市と1960年から姉妹都市の提携を結んでいる、日本とも関わりの深い町なんですね。(鹿児島のWIKIを見ると『東洋のナポリ』なんて形容詞がw) そして市内にはカゴシマ通りなんて市街路があったりして、ちょっと馴染み湧くんじゃないでしょうか。



おしまい。

FC2ランキング02

ブログランキング参加中!応援クリックもよろしくねー
  1. 2007/01/26(金) 08:51:06|
  2. 雑学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ルー語変換やばいなw

ルー神降臨なブログ

課長サンのところで出ていた 『ルー語変換』 。
昨日の商会チャットで出てたのやってみたらムチャクチャ面白かったので今更ですがご紹介~♪


ブログ名:打倒ローマは一日にして成らず
 ルー語>『ノックアウトローマは一日にして成らず』

サブタイトル:大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。
 ルー語>『大セイルピリオドOnlineでカルタゴ復興にバーンする元ジェネラルの記録。』

>バーンってなんだバーンってw

更に中のテキスト・カテゴリ・リンクなんかもやばいことになってるしww
まあ、ちょっとほかの人のもやってみてくだいな。これだけでしばらく遊べますから!
しかもこれ毎日だんだんと強化されてる気がするゾ・・・。


んで最後のこれ、こう書くのはアリかな?

ライティング権について


『大セイルピリオド Online』に関わるライティング権、その他オールの知的財産権は、コーポレイションコーエーに帰属します。このホームページにアピアランスしている 『大セイルピリオド Online』のイメッジは、『大セイルピリオド Online』オフィシャルサイトにおいてユース許諾が明示されているもの、もしくは『大セイルピリオド Online』の有効なアカウントをお持ちのユーザーのみにコーポレイションコーエーがユース許諾を行ったものです。



すげー怒られそうで怖いんですけど。。。


おしまい。

FC2ランキング02 ←応援クリックお願いです~
  1. 2007/01/25(木) 11:40:21|
  2. 雑学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

打倒ローマな三国志

地中海と中国での共時性

今日から三国志Onlineのクローズドβに少し参加してきます。
大航海時代Onlineがメインフィールドなのは今年も変わらないと思いますが、折角ですからシステム的なところの比較などして視野を広げるのもいいのかなと思います。

さて、コーエーの三国志シリーズをⅠから全部やってる人も結構いるかと思いますが、
何回かのエンディングにローマ帝国が登場してくる事があるのをご存知でしょうか?
しかも相当強い状態で中国統一しないと勝利判定されないというバージョンもあり、
とんでもなく強大な帝国として扱われていたりします。
では、中国では三国志な時代(後漢末期)に地中海世界ではどんな出来事があったのか、
シナリオでおなじみの年代付近でちょっと比較してみますね。


       【中国】            【ローマ】
184年  黄布の乱が起こる     コモドゥス帝がブリタニアに遠征
                        ※最後の五賢帝マルクス・アウレリウスの子
189年  董卓が献帝を擁立
192年  孫堅・董卓が死去       コモドゥス帝が死去(軍人皇帝時代の始まり)
193年                    セプティミウス・セヴェルス帝が即位 
194年  劉備が豫州の刺史になり、曹操は呂布を攻撃。
195年                    セヴェルス帝が第一回パルティア遠征に出る
199年                    セヴェルス帝がユーフラテス川中流域を属州とする
200年  白馬の戦い・官渡の戦い、孫策が死去 
201年  曹操が袁紹を破り、劉備は荊州に逃げる
202年                     ローマでキリスト教への迫害が起こる
207年  諸葛亮が劉備に仕える
208年  赤壁の戦い          セヴェルス帝がカレドニア征服後に長城(リメス)を修復
211年  馬超が曹操に破れ、劉備が益州に入る   カラカラ帝の即位
214年  劉備が益州を平定       カラカラ帝がゴート族・アラマンニ族を討つ
215年  劉備と孫権が荊州を分割し、曹操は張魯を降伏させ漢中を取る
218年                   カラカラ帝が暗殺され、エラガバルス帝が即位
219年  劉備が漢中を制圧、関羽が孫権に斬られる
220年  曹操が死去
223年  劉備が白帝城(永安)で死去
225年                   この頃からゲルマン人の移動が始まる
229年                   ササン朝ペルシアと開戦
234年
  諸葛亮が五丈原で死去  アレクサンデル帝がライン川でアラマンニ族と和睦
262年  姜維が北伐に出る      ペルシアがアンティオキアを占領
263年  蜀漢の劉禅が魏に降伏し滅亡
270年                   アウレリアヌス帝が即位し、帝国の再統一へ乗り出す
272年                   パルミラ王国がアウレリアヌス帝の攻撃を受けて滅亡
                        ※アウレリアヌス帝は翌年に帝国全土を再統一する
280年  呉が滅亡し、晋が中国を再統一 プロブス帝のローマ軍がペルシアを破る


という事でほぼ年表みたいになっていますが、中国では前後400年続いた漢の時代が終わり、地中海世界も五賢帝時代が終わって両世界共にちょっと混沌とした時代に入っていたのですね。そして、その終盤に再統一の動きが出てくるというのもほぼ時代的に共通しています。特に最後に出てきているアウレリアヌス帝はかなりの名将で、この人が騎兵を率いて中国にいたらどれ程の活躍を見せたかというのは、中々に想像掻き立てられるところかも知れません。

それから大航海時代Online的には、最初に出てきたコモドゥス帝や最後の方にあるパルミラ王国(女王ゼノビアね)で剣クエが、それから確かアウレリアヌス帝の兜クエストなんかもありますよね。同じユーラシア大陸の東西で三国志とローマ帝国の英傑たち、これが同時代の人なのかと思うとちょっと面白いです。



おしまい。

FC2ランキング02 ←ご支援クリック押してって下さいな~
  1. 2007/01/24(水) 09:21:42|
  2. 雑学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

船窓艦隊が行く! 後編

最終日

さて、フランス手番だった大海戦の最終日は結構NPCの湧きも適度によく、
対人でも勝利することができましたのでまずまずでした。
(結果とかはまあ3日も連続で似たようなネタ書くのもなんなので省きますね。)

昨日など特にそうですが、今回は半分以上が冒険者主体で艦隊組んでいる船窓商会ですので(それも冒険LV50台半ば~とか・・・)、どこかしら戦功だけじゃなくていろいろ楽しんでる気配が濃厚で、例えばこんな所で・・・

0121-01

(ピエトロ・コンティーは大航海時代Ⅱの主人公の一人で、財宝探索家。更に大航海時代Ⅱの外伝でもちゃっかり登場して、主人公の1人と微妙にからまるオイシイ役どころの人物・・・なのですが、本編ではやたら貧乏なので初期に苦労するキャラでもあります。)
まあ、こういうところに鋭く反応するのが冒険者主体の艦隊なんだろねw

【遭遇時のログ抜粋】
ディルス>ピエトロ!
ショコラーゼ>ぴえとろさまーw
ショコラーゼ>外伝ーw
ハミルカル・バルカ>こんてぃー
ピエトロ・コンティーと交戦に入ります!
ピエトロ・コンティーの船に大揺れを起こしました!
ピエトロ・コンティーが弾道学スキルを発動しました
ピエトロ・コンティーが修理スキルを発動しました
がぶりえるがピエトロ・コンティーを撃沈しました!
ピエトロ・コンティーの船が航行不能になりました!
がぶりえるが運用スキルを発動しました
ピエトロ・コンティーに勝利しました!
ショコラーゼ>ないす
ショコラーゼ>ミランダにおこられそうだw
ハミルカル・バルカ>おっさんごめん
がぶりえる>w
ディルス>w

0121-02
(しかしまあ、結局は容赦なく落とされます、ピエトロのおっちゃんw)

さて全体の結果ですが、
ほんとに僅差ながらフランス・イスパ連合がイング・ヴェネ連合を上回る健闘を見せるなど、
なんとなく、今のNOTOSではこの組み合わせが一番均衡が取れているのかもですね。
それにしても皆さん3日間どもどもありがと&お疲れ様でしたー!

おしまい。

FC2ランキング02
 
(↑↑応援クリックしてって下さいなー。)
  1. 2007/01/22(月) 23:34:41|
  2. 活動日誌
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

船窓艦隊が行く! 中編

二日目

船窓艦隊での大海戦も中盤へ。
昨日は参加者も増えてきたということで、ペア艦隊を組んで出陣してきました!

0120-01
(いすぱにゃんの方がやたら多いのはなんでだろw)

※今回はちょっと画像が多いので、『つづきを表示』 を押してどうぞ~ [船窓艦隊が行く! 中編]の続きを読む
  1. 2007/01/21(日) 10:07:55|
  2. 活動日誌
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

船窓艦隊が行く! 前編

初日

さて大海戦!
昨日まで支援販売とかやっていましたが、最終的に船窓商会のフランス&イスパ人で艦隊を組む事になり、私も混ぜてもらって出陣しました。出れるメンバーで3日間ともやるらしいので頑張って戦ってきます。
・・・って。
基本的なこと忘れてた、クエ受けるのマルセイユじゃん!
前日せっかくマルセで落ちてたのに、なぜかクエ受けずに集合場所にいるし・・・。
なんだかいきなりバタバタです^^);
うーむ、今回は海域狭いので、冒険者&商人のNPC狙いな艦隊ですが不安あるかも。

0119-01
このメンバーだと、さすがにさまよう鎧男さんは頼りになりますねえw
とはいえ、私もメンバーの中では船と装備(だけ)はそれなりに整えた方らしいので、
なんとか戦力になるようにしないとナ。。。

0119-02
放っておいたら疫病艦隊に・・・。

という事で初日の結果ですが、小型・中型で戦功30。
あと2日頑張ったら前回のと合わせて爵位来るといいなぁ。
そして提督で引っ張ってくれたディルスさん・アンドレセンさんありがとでした。
がぶさん ショコラさん、どもどもお疲れさんでした!
皆さん明日もよろしくね~♪


おしまい。

FC2ランキング02 ←どうぞ押してってね~。
  1. 2007/01/19(金) 23:30:43|
  2. 活動日誌
  3. | トラックバック:1
  4. | コメント:3

ホントに幻の島?な話

間違い探しですか、これ。

地理上の発見と言うのは単純に発見者の名声が高まるとか言う無形のものだけではなく、
その国の領地が増える事にも繋がるのは新大陸の例を持ち出すまでもないでしょう。
大航海時代以降、国の意向も受けたヨーロッパの探検家たちはこぞって新たな発見目指して繰り出していました。時には真偽の怪しい報告も多く、公的機関の裏付け調査で偽の報告だったものも数多くありました。そして、発見者はなにも探険家に限らず、意外に多かったのがこの職業から。

1841年、イギリスのジョン・ドガーティという捕鯨船の船長が、南太平洋のある場所で2つの小島を発見します。座標で言うとだいたい西経120度・南緯60度付近だったと言いますから、マゼラン海峡の更に南、ドレーク海峡から西に約2500kmくらい進んだ辺りになるのでしょうか。
南緯60度ともなるともう少しで流氷限界ですし、更に行けば南極圏に接近する辺境です。
彼は一応本国にこの事を報告し、その後、1859年にイギリスの王立海洋探検隊がドガーティの報告に基づいて現場を確認し、測量も行います。
更に王立探検隊は1869年にも2隻の帆船で訪れ、このときは海岸近くで再度3日に渡る調査を行ったと言います。実際にこの時スケッチした絵がニュージーランドの新聞にも載った位ですから誰も疑う事無く、この諸島はイギリスの地図には 『ドガーティ諸島』 と書き込まれてしまいます。

さて、問題はここから。
その後、1889年になって付近を航行した船舶が 『ここには何もなかったよ~』 と報告します。
更に付近を航行した船が7~8回同じような報告をしてきた所から、慌てたイギリス本国から調査隊が派遣され、探索範囲を広げてローラー式に探したのですが、なぜか目的の諸島は見つかりませんでした。
そして1904年になってかなり決定的な報告がなされます。
アムンゼンとの南極点到達競争で知られる、あのロバート・スコットの率いるイギリスの第一次南極探検隊が、探検後の帰国ルートでこの近くを通りかかり、探索していたのですね。
流石にスコットもイギリス屈指の極地探検家ですし、スタッフも地質・生物学に秀でた者が揃っていますからこの島のことを知っていたようで、かなり入念に付近の海域を調べるのですが結局見つからず・・・。
ここでスコット隊が 『それなら火山の噴火かなんかで沈没したのかな?』 と考えたのか、
試しにこの海域を測深したところ、なんとそこは水深4200m以上だったとか・・・。(オイオイ)
帰国後にスコットの報告を受けたイギリス本国が愕然となったのは想像に難くありません。

本来ならこの時点で存在しないと断定されるのでしょうが、この話は更にややこしくなります。『私は1893年にちゃんと発見したよ~』 という証言が、なぜか発見してから25年も後にもなって発見者の妻から発表されます。しかも発表を見合わせていたのはイギリス政府との狩猟権上の密約の為だったと言うのですから、なんだか裏付けあるっぽい話になってきます。ところが、その報告に基づいた座標へ勇んで調査に向かった探査船からは、またしても『発見できず』の報告が・・・。
このように段々訳が分からなくなってきてるドガーティ諸島の実在。
そもそも他の場所と間違えようにも、最初に報告された地点から最も近い陸地は1500km以上も離れているというホントに孤島なわけで、流氷なら上陸した調査隊が気付くだろうという事でかなり謎っぽい展開になってしまいます。
というか、実際には無いのなら、発見した島は流氷を疑うのが一番自然なのでしょうが、
それだと2度目・3度目のイギリスの探検隊の報告は何だったの?という話になりますよね。
後に1967~68年に旧ソ連の探索チームがここを訪れて調査しますが、レーダーなどを駆使してもやはり島など見つかりませんでした。

これさぁ、どう考えてもどっかに問題あるわな。。。


おしまい。

FC2ランキング02 ←ご支援クリックをよろしく~。
  1. 2007/01/18(木) 21:21:13|
  2. 地理史跡
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

海事品の供給を!

戦時体制っぽい臨時生産者のメモ

大海戦がどうやら、能登ではヴェネ&イングフランス&イスパとなりそうな気配ですので、
今回はそろそろこちらもそれなりの準備の上で供給してみようと思います。
取り敢えず、海事修行用にやたら作り貯めしてあったカロネの在庫をバザ&卸しで売り払い、身軽になったところで北海へ。そう、目的は大海戦で使用するメインステイスル・大船尾・大ラム・大スパンカ・その他消耗品等の海事品を製作&供給にですね。
一応狙いとしては、地中海だと木材の調達に難があるので木材使用の生産品を主体に持っていくといいんじゃないかと思っています。


【生産手順の例】
①アムスの麻生地+鉄材をヘルデル往復で満載してからオスロへ。
②オスロで木材を買付け       (あとで皮革→革ひも作りもやる)
③麻生地10+木材5=ステイスル (大成功が店売り非売品のメインステイスル
④木材90+鉄材60=大船尾楼    (失敗すると普通の船尾楼・・・はイラネっす。)

④´木材50+鉄材50=
大ラム    (中・大・特大のうち、特大ラムが出たら確保!)
⑤麻生地95+木材70+革ひも30=大スパンカー (失敗は普通のスパンカ;;)
⑥ハンブルグへ寄って船首or船尾砲を残りのアイテム枠一杯に製作。(これはオマケ)
⑦ついでに合金レシピで青銅>鐘とかも作ってみたり・・・。

【使用するレシピ】
単帆補助帆縫製法 (各本拠地)=ステイスル
大型特殊兵装製造法 (ジェノバ)=船尾楼&ラム
モードデザイン集・第1巻 (各本拠地の周辺)=革ひも
特殊兵装縫製法 (プリマス・オポルト・パルマ・ジェノヴァ・マラガ他)=大スパンカー

【あったら便利な補助レシピ】
金属精錬の書 (リューベック)=鉄材・鋼など
合金精錬の書 (ダブリン投資)=青銅
火器製作の技法書 (バルセロナ・セウタ)=砲弾・大砲など
船尾砲鋳造法 (チュニス投資)=船尾カルヴァリンなど
船首砲鋳造砲 (ハンブルグ投資)=船首カルヴァリンなど
船大工入門・鋳造の書 (各本拠地の周辺)=撤収の鐘など
船大工入門・工芸の書 (各本拠地の周辺)=大錘など


この場合、アイテム枠が少なくなってきた最後の周回は④´~⑥を生産しています。
ただし、大スパンカーは1回分でステイスル10数回分トライできる量で、失敗するとかなりメゲるので普段はあんまり作りません・・・。効率重視ならそのままメインステイスル狙いでいいかもね。これをだいたい3~4往復してアイテム枠一杯くらいに生産したら、帰りはオスロで木材を目一杯積んでから地中海へ戻って商館へ備蓄する、こんな流れの1サイクルで恐らく3~4時間位は掛かってるでしょうか。
それから、メインステイスルを売り切ったら、先程運んだ木材の一部をチュニス・アルジェに持っていってまたメインステイスル作りが出来ますので、これ複数人でやったらかなり供給できそうです。さて明日もがんばっていろいろ作るか!
(それにしてもこれ、支援じゃなくて稼ごうと思ってやれば結構いけるんじゃw)


※追記 1/17になって気付いたのですが、三国志Onlineのクローズドβに当選してました。
      せっかくですからちょっとだけ遊んでみる予定です。
     (F茶でも当選者が続出してましたが、なんだか当たってる人やたら多いんじゃ・・・?) 


おしまい。

FC2ランキング02 ←ご支援クリック募集中。
  1. 2007/01/16(火) 23:16:15|
  2. 鋳造・縫製 その他生産
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:3

オランダ対イギリスの時代へ その3

インドでの成功へ

東南アジアの香料貿易からポルトガルを駆逐した後に激しく衝突していた17世紀前半のオランダとイギリスですが、1623年のアンボイナ事件を契機としてイギリスは東南アジアからほぼ撤退し、その戦略をインドへと向けることになって行きます。これは、イギリスにとっては一時的には挫折だったかも知れませんが、結果としてこのインドでの成功が大英帝国を築く礎となるのですから、歴史の重要な転換点だったのかも知れませんね。

前提として貿易ですから輸入だけでなくて輸出も当然ありますよね。このうち輸入、つまりインドからは香料・宝石・貴金属や繊維・染料・鉱石・医薬品など、結構幅広いものが買付けできましたからイギリス本国に持ち込む産品には事欠かなかったと思います。今回はこの輸入品を見てみます。
輸入品の中でも、特に更紗・モスリン・キャラコなどの木綿製品は、ヨーロッパに持ち込まれ比較的安価に・かつ大量に供給されるようになり、市民生活に急速に普及する主力商品に育っていきます。また、青系の染色剤となったインディゴ(青藍)は、色落ちも少なく結構鮮やかな色を出せたので、木綿生地の染物などには茜などと合わせて急速に導入され、次第に庶民にも色物が手が届くようになってゆきました。
そして17世紀以降のヨーロッパの対外政策を支えた重要商品に、ベンガル湾一帯で取れる硝石がありました。ヨーロッパは戦争の時代で、しかも大規模な多国間戦争すら起きるようになっていましたから、火薬の原料となった硝石は東インド会社の重要な商品となり、とんでもない利益を上げるようになります。
更に1622年、イギリスはポルトガルが持っていたホルムズを陥落させ、ペルシャ系の絹織物も交易品に加えていきます。こうして東南アジアから撤退した変わりにインド一帯で大きな権益と、他にもアラビアのコーヒーなどそれまでにない交易品も加えたことでイギリスが海洋国家としての下地を作ることになって行った一方で、香料貿易に主眼が置かれたオランダの経営は香料価格の下落とともに次第に低下してゆくことになって行ったのは歴史の皮肉というべきなのでしょうか。

しかしあれです、DOLのインド方面での縫製修行で、綿生地・モスリン・更紗・ペルシャ絨毯と作ってゆくのはちゃんとRPになってますが、ベルベットまで織っちゃうのはなんか違うって事か・・・。

おしまい。

FC2ランキング02 ←どうぞ押してってね~。
  1. 2007/01/15(月) 05:45:44|
  2. 歴史ネタ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

大海戦はフランスなのに!

フランスの手番につき支援するよん♪

来週はもう大海戦がありますね。
私が所属している商会がマルセイユで、しかも今回はいよいよフランスの手番です。
という事で、連盟投票でイスパニアが参加できるかはまだ分かりませんが、
生産者としては参加する人にはなるべく支援する動きをしたいと思っています。
で、取り敢えずは木材をチマチマと商館に運び込んでたりして^^

ただ、間の悪い事に現状では珍しく冒険者ですから、生産できる物もブースト込みで
鋳造R12・縫製R11・工芸R11・調理R16・造船R12 までしかできません。
かなり半端ですが、この中で何が出来るかなあ。。。
なにしろ、いつもは主力生産品にするカロネ14門の生産が出来ないのが一番痛く、

『カロネ966どこだぁぁぁ』

な軍人さんが昨日辺りから見受けられるので、本来なら大砲作りでもしたいのですがねぇ。
(制約の中で何かを作るというのも、それはそれで燃えますが!)
それでは、作れる物の中でちょっと需要がありそうなのを上げると、

①メインステイスル (縫製R3)
②大スパンカー (縫製R9)
③大船尾楼 (鋳造R12)
④軽量鉄板/剥削鉄板 (鋳造R10)、もしくは打ち直し
⑤マグロのオリーブステーキ (調理R10)
⑥鶏丸焼きニンニク詰め (調理R14)
⑦魚介のピザ (調理R10)
⑧クスクス (調理R10)

この辺は消耗品。それから意外に役に立てそうなのは

⑨ジョイントビルド造船の部品作り (特に小型・中型用の)
⑩加工木材・加工鉄材・強化ロープあたりの汎用品
⑪小型・中型のJB船作り

ところで、↑でいうと、火薬庫(鋳造R12)が供給できるとかなり良さげな気がしています。
何しろガンボートとコルヴェットという有力船の両方の強化に必要ですから!
こうして見ると、大砲作れなくてもそれなりにやる事ありそうで面白いかもね。


しかし、そういえば、NOTOSでのフランスの目標はジェノヴァ。
この時代のフランス軍が北イタリアに兵を入れるというのは、
中々にリアルでいいねぇw

結果はまあ、知らない方が幸せなんだけど・・・。



おしまい。

FC2ランキング02 ←ご支援クリックもよろしく~。
  1. 2007/01/14(日) 09:24:34|
  2. 活動日誌
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

オランダ対イギリスの時代へ その2

戦列艦を生んだ戦い

ちょっと話が飛びますが、オランダ対イギリスのエピソード編ということで、
今回はかなり軍人さんにとって関連の深い記事でいってみます!

さて、スペイン・ポルトガルに代わって勢力を伸ばしつつあった17世紀のオランダとイギリス。
当初のうちは同じプロテスタント教国という事もあって、両国は対ポルトガルなどでは協調して当たってきたのですが、この旧勢力を蹴落とした後は自然と両者の間でも激しい勢力争いが繰り広げられてゆく事に・・・。
象徴的な出来事としては前回書いた1623年のアンボイナ事件がありますが、
実際には世界中の海で競争し合っていました。

ただ、ここで認識する必要があるのですが、17世紀の中頃の時点までは、
完全にオランダの方が技術・造船・海運・流通・金融面でも先進国だったという点です。
これは、スペインとの戦火に晒されたネーデルラント南部(今のベルギー)、特にそれまで中心地だったアントウェルペンが封鎖・攻撃されてからは、アムステルダムなどの北部へ住民・資金・技術者が流入するようになったという点も、北部が成長を遂げた大きな要因として上げられるでしょうか。
こうして人的・物的な流入が増大した16世紀末以降、北部ネーデルラントは急激な発展を遂げます。例えばそれは、繊維産業ではレイデンの町で開発された薄くて上質な新毛織物であったり、造船では優れた運搬・航行能力を持った新型船 『フライト(フリュート系の事かな?)』の大規模運用であったりします。特にヨーロッパ北部から南部への中継貿易や東方貿易はオランダを世界一の海運国へ一気に押し上げる原動力ともなるのですが、この状況をただ見ているしかなかったイングランドが革命をきっかけとして遂に反撃に出ます。

1651年、クロムウェル体制下のイングランド共和政府は、中継貿易で独占的な地位を占めるオランダを締め上げる目的で『航海条例』を発布します。この条例はオランダを硬化させ、遂に1652年に些細なきっかけで英蘭戦争が勃発するところまで行ってしまいました。
最終的に第三次まで記録されるこの戦争ですが、両国共に海洋国家ですから自然と海戦・通商破壊が主体の戦いとなり、そしてこの戦役中に起こった最大規模の海戦こそが今回の本題となってきます。(前置きが長くてスマンです)

ポートランド沖海戦 がもたらしたもの

開戦した翌年の1653年2月、西から英仏海峡を通過しようとしたオランダの250隻もの大商船隊はイングランドの哨戒網に引っ掛かります。この船団を護衛していたのがトロンプ提督率いる75隻のオランダ艦隊で、一方のイングランドはブレーク提督率いる80隻もの艦隊をもって出撃し、プリマスの東にあるポートランド沖で海戦となります。
2月28~30日まで3日間に渡って行われたこの海戦は、結果としてある程度のオランダ商船は海峡を抜けて逃げ延びたものの、40隻もの艦隊と約70~80隻の商船隊を失うというオランダの敗北となりました。そしてこの年の戦いで両国は戦術上の大きな教訓を得たのでした。

そしてポートランド沖海戦と同じ1653年、
イングランド海軍の要務令に史上初めて 『戦列』 という言葉が登場します。

つまり、艦隊の各艦は海戦時には縦列を基本とした戦列を構築して戦う事が必須という考えに至ったのですね。その上で相手艦隊の先頭に対して横を向いた縦列、つまり丁字型の入り方をして火力を集中させる戦術と考えればよいでしょうか。
この時代の主力艦はガレオンですが、この思想によって単に大きく・頑丈で武装を強力にするだけでなく、戦列を作る全ての船が同じ速度・火力・装甲で航行できる必要があるとして、細かく船の仕様を規定するようになって行きます。

戦列艦とはつまり戦列を構築できる戦艦の規格品とも言うべきで、
イングランドの海軍は細かく等級を定めた結果、
戦列を構築できるのが1~3等級艦、
4等級は商船団などへの護衛艦、
5~6等級はフリゲートなどの哨戒・補助艦艇と規定します。
そしてその他の、DOL世界で言うとスクーナーやスループなどは等級外の船として扱われたのですね。 こうして、当時世界最高の造船技術を持っていたオランダとの戦争を機にイングランド海軍によって規定された戦列艦の構想は、後にヨーロッパ各国にも取り入れられ、フランス・オランダ・スペインを始め主要国が建造するに至り、18世紀になると更に各国の造船技術や冶金技術の発展により大型化・重武装化されていくようになりました。


おしまい。

FC2ランキング02 ←イッパツ押してってくださいなー!
  1. 2007/01/12(金) 17:51:39|
  2. 歴史ネタ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

オランダ対イギリスの時代へ その1

災い転じて福となす?

今週から冒険者に転じたのですが、なかなか記事で紹介するほどのクエをやっておらず、
おまけに昨日は突発的に機動型ガンボート作りの手伝いなどしていました。
という事でこないだまで書いていた東南アジアの勢力争いについてもう少し書き進めてみます。

17世紀の前半にはポルトガルの勢力をほぼ駆逐する事に成功したオランダですが、この地にはまだ新興勢力と呼べる国の影響が迫りつつありました。
そう、イギリスですね。ちょっとこの国の東南アジアにおける動きを見てみます。
16世紀の時点では2流国でしかなかったイギリスですが、17世紀になるとスペインとの海戦の勝利を象徴として次第に世界各地で影響力を強めていくようになってきます。
ところで16~17世紀のイギリスの探検といえば北方航路(北西航路と北東航路)の開発というのがあったことは良く知られていますね。これはスペインやポルトガルの勢力範囲を通らず直接アジアに行こうという試みなのですが、17世紀になってこれが実質不可能な事が判明してくると、東回り航路の開発によるアジアでの勢力拡大がテーマとなってきます。
(ちなみに、1553~54年に北東航路に挑戦してロシアまで行ったチャンセラー氏は、大航海時代Onlineでロンドンにいるジョン・ディーさんの知り合いだったりします)

1591年、アルマダ海戦にも参加したレイモンドとランカスターの率いる船隊がケープ回りでアジアに向けて出港します。不幸なことに途中で嵐に遭ってレイモンドは遭難したものの、残るランカスター提督はなんとかセイロンにたどり着き、そこから更に東に向かってベナン島に到達します。この最初の探検航海では目ぼしい交易品を積んでいなかった為、ここでポルトガル商船を襲うなどで一定の成果を挙げたランカスターの船隊はなんとか帰国します。

更に色んな船隊が派遣されてやたら苦労をしつつも、その一方で1600年にはイギリス東インド会社が設立されるなど次第に体勢が整ってきます。その後初の東インド会社の船隊が出港するのですが、この時の司令官は経験を買われてランカスターが就任していました。
1601年に出港したランカスターはジャワ島のバンタム港に着き、ここに東南アジアにおける最初のイギリス商館を設置することに成功します。その後1610年代までに10数回の船隊が派遣されることになり、着実に成果を残しつつあったイギリスの活動ですが、ここでその後の進路に重大な影響を与える事件が勃発します。

1623年、アンボイナ島に駐在するイギリスの商館がオランダ側の襲撃を受け、
イギリス人10名をはじめ日本人9名・ポルトガル人1名とともに殺害される、
いわゆる 『アンボイナ事件』 の発生でした。
それまでにもオランダとイギリスは香料貿易の権益を巡って激しく争っていて、1619年に協定が結ばれてなんとか事態を収拾しようとしますが現地ではこれに従わず、一触即発の状態となっていた矢先の出来事でした。それにしてもこの事件には日本人の傭兵が深く関わっているあたり、世界の歴史に日本人が登場してくる一つの先例なのでしょうか。
ともあれこの事件を契機としてイギリスの東南アジアでの勢力はバンタムなどの一部の商館での香料の取扱いを残してほぼ撤退し、それまで交易品が比較的大陸向けだったこともあってインドに重心が移ってゆくことになります。
これは、この地域では香料に貿易の主眼が置かれていたオランダとはあまり利害衝突するものではなかったので、この点で両者は別々の方向で成長してゆくこととなりました。
まあ、事件として発生はしましたが、この時点でのオランダの造船・海運力は世界中でイギリスを圧倒していましたので結果としては順当なのかもしれません。
更にその後の結果は皮肉なものでしたが・・・。
 (まあ、単に交易品を買付けして売るだけじゃ成長ないですからねえ。)


ここまで書いてくると、次回以降のこの関連記事は、インドでのイギリスの成功と、
遂に対決する事になるイギリスとオランダについて書いてゆくことになるのでしょうか。。。
なんだか教科書みたいな切り口はいやなので、ここはちょいと工夫がいるかも。


おしまい。

FC2ランキング02 ←応援クリックお願いです~
  1. 2007/01/11(木) 10:16:43|
  2. 歴史ネタ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

なぜか1年ぶりの冒険者

今スペイン語しか話せません><

メインキャラの活動ですが、年末から海事LV上げをちまちまやっています。
希望としてはLVやスキル上げの類はやるときは集中してやりたいと思い水平・突撃・兵器技術スキルを取ったのですが、言語がスペイン語しか話せないという軍人みたいな状況に・・・。
戦う分にはスキル有っていいのですが、これではさすがにカリブ以外では不便すぎるので、
海事スキルの調整が終わった所で久々に冒険者なってみましたw
やー、冒険者なんて1年ぶりですね。
もともと冒険者スタートな身でR5~8くらいで中途半端にいろんな冒険スキルが残っていますが、ただまあそれ以前も東地中海でR5~7くらいを要求される中程度のクエすらやり切ってない段階でしたので、地中海近辺で出るクエこなすだけでもスキル枠もらえる位のLVは上がるんじゃないかと思います。
という事で、ついでに書庫で地図出しもやっているのですが、そんな時に便利なのがコレ。

輸送用スループ01
そう、スループですw

加速と旋回だけはやたら効くので、
地図出しの際の短距離移動はスループ系使うと非常に楽ですね^^

前に作った普通のスループは減量した☆3のを持ってますのでそれで充分ですが、
今回はアテネで出るチーク製スループを輸送用に改造したのを造船して乗っています。
それにしても、小型で素の縦帆が280超えるのって反則気味かも・・・。

という事で、ついでにここ数日のブログエントリは、
こなした冒険クエの背景ネタでお茶を濁そうかと思ってたりしてw
だいたい高難度なのとか東南アジアの新クエやるわけじゃないんで、
ただカード貼っても 『フーン』 ですからねえ。まあ、今夜から試しにやってみる予定です。


おしまい。

FC2ランキング02
 ←応援クリックお願いです
  1. 2007/01/09(火) 08:30:14|
  2. 活動日誌
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

オランダの東南アジア制覇

オランダ強し!

前回はオランダが東南アジアに到達した所までを見ましたが、この1581年に独立宣言をしたばかりの新興国が、それから30年足らずで南アジアに覇を唱えるところまで来たのは驚くべき成長としか言いようがありません。今回は、落日のポルトガルと入れ替わるようにその勢力を伸ばしていくオランダを引き続き見てみます。

さて、1602年にヨハン・オルデンバルネフェルトの主導による東インド会社の設立、1619年にバタヴィア(ジャカルタ)の城砦建設についてはご紹介しましたが、その間はオランダにどんな動きがあったでしょう。
まず、1605年にはポルトガルを香料諸島の拠点であるテルナーテ島から駆逐し更にアンボイナ島を占拠するという事態が起こります。かつてポルトガル随一の軍人でもあったアルブケルケ提督が到達したテルナーテとアンボイナは、そもそもそれ以前におけるポルトガルの香料貿易の重要拠点ですし、今後のDOL世界においても真っ先に追加されると予想される重要港です。
ここを失ったポルトガルの貿易上のダメージは決定的なものがあったとも思われますが、更にオランダは手を緩めず、付近を航行するポルトガル商船を攻撃してじわじわと東南アジアにおける勢力を拡大していきます。
そしてその攻略目標がついにマラッカに向く日が来ます。
この頃すでにマラッカは最重要港と言うわけではなかったでしょうが、戦略的にはその価値は落ちることはなく、流石にポルトガルもここは必死になって抵抗します。
1606年、デ・ヨング提督率いる13隻のオランダ艦隊がマラッカを攻撃しますが攻略までには至らず、逆にゴアからは40隻ものポルトガルの大艦隊が救援のため派遣されます。ポルトガルの軍船は大型でオランダよりも遥かに強力と思われたのですが、迎え撃ったオランダ艦隊はこのポルトガルの艦隊を海戦の末に大打撃を与えることに成功します。これ以降、ゴアのポルトガル艦隊はオランダに決戦を挑むことがほぼ不可能なほどのダメージを受け、その後1634~1640年に掛けてオランダに封鎖されたマラッカは1641年に遂に陥落します。
オランダ・イギリスによる東南アジアからのポルトガル勢力の駆逐はこの時点でほぼ形勢が決したとも思われますが、オランダの攻勢はまだ終わりません。

主な動きだけを見ても、
1607~1608年にモザンビークを攻撃、
1608年に平戸に商館を開いて日本との交易拠点とし、
1622年にバタヴィアから派遣された大艦隊が東アジアの拠点であるマカオを攻撃、
1638年にはゴアを封鎖、
1652年にケープに中継基地を作り、
1663年には遂にコチンを陥落させます。

こうして対ポルトガルにおいては数箇所の拠点を残して完全に制覇することになったオランダ
は、東南アジアの香料貿易をほぼ独占するに至り、17世紀の中頃には完全にその地位を固めるところまで来ていました。
もうひとつの新興勢力を除いては・・・。


おしまい。

FC2ランキング02
 ←応援クリックもどうぞよろしく~
  1. 2007/01/07(日) 23:50:16|
  2. 歴史ネタ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

オランダの東南アジア航路

これ私も実際にやりました。

東南アジア海域が実装されてますます広がっていくDOL世界。
それとともに移動距離はどんどん伸びてゆくのですが、やたら時間が掛かるのは何とかしてぇ~と思っている人も多いのではないでしょうか。
実際の歴史では、後に東南アジアに一大拠点を築いたオランダは、この地に進出した際に今までの国とは違う航路を拓いてこれに成功しています。さすがに新進の海洋国家オランダという所ですが、これはDOL的にもある程度有効でして、更に日本への影響もあったこの時期の事についてもちょっと見てみます。


【ポルトガル船の東回り航路】
ヨーロッパ>ケープ>ザンジバル付近>インド>マラッカ海峡>香料諸島

比較的陸沿いを航行してインド洋のモンスーン帯まで達してから東に進路をとってインドに到達するルートですね。そもそもヨーロッパで最初に航路を切り開いたポルトガルですから、沿岸部には既得権益を有した港が点在していますので無理なく航行できる訳で、まあこれはこれで有効なルートでしょう。この世界でもザンジバル>インドってのはDOL世界でも香料商人の定番ルートですし、風向きなどもそれなりに恵まれています。ただし焦点となっている東南アジアへの到達と言う点では、少なくとも距離・日数の比較では最高とはいえません。(オランダが到達した頃には既に競争相手ではなくなっていますが)


【あるオランダ船団の東回り航路】
ヨーロッパ>ケープ>南下して一気に東へ>ジャワ島の南へ到達>スンダ海峡>香料諸島

この航路を取ったのが、1595年にジャワ島のバンタムに到達したハウトマン指揮下の4隻のオランダ船団。バンタム港は胡椒の集散地で有名で、ここでハウトマン船団はポルトガル商人や現地人の敵意にもめげずに交渉を続け、遂に通商関係を結んで大量の香料を仕入れて帰国します。その後、オランダ本国からは1598年にケープ回りで2個船団、マゼラン海峡経由からも2船団が送られ、中でもヤコブ・ファン・ネック提督に率いられたケープ回りの8隻の船団はバンタムに到達後に交易所を開設し、更にアンボイナ・セレベス・バンダ諸島にも船隊を派遣して1600年に帰国します。

ところで、この時送られた内の残りの3船団の中から、なぜか日本に来てしまった一隊がありました。それがマフュー提督が指揮した5隻の船団で、マゼラン海峡回りでアジアに向かった彼らは途中で2隻を残して拿捕されるなど散り散りになってしまい、更に暴風雨にも遭い残った一隻がなんとか太平洋を渡ってアジアに到達するという悲惨な展開に。 
ところが着いた場所が・・・・。
そうそれが、1600年4月に豊後(現在の大分県)に漂着したリーフデ号の事だったりします。
この船に乗っていた英国人ウィリアム・アダムスは後に徳川家康の知己を得るなど、戦国時代絡みでも有名人ですので細かい説明は省きますが、そんなところにも日本と係わり合いを持つのがこの時代のオランダ船団でした。
まあ、いろいろありますが、その後オランダは1602年に東インド会社を設立し、途中かなりの事件と激戦を繰り広げて1619年には東インド総督のヤン・ピーテルスソン・クーンがバタヴィア(ジャカルタ)に城砦を建設して根拠地とします。ちなみにバタヴィアとは、古代ネーデルラントに住んでいたバタヴィー族にちなんで付けられた名だとも言うらしいですね。


さて、現在ではよく知られているのですが、オランダが取った直行ルートは大圏航路の一種と思われます。つまり、地球は球体ですから、同じ経度を移動するにしても緯度が南北に高いほど実際の距離は短くなります。しかもケープの南、南緯40度以南ではほぼ常に強い西風が吹いていて、ケープからオーストラリアのタスマニア島辺りまで一気に航行することも出来てしまいます。
但し、残念ながらDOLの世界では緯度による距離差の概念は導入されておらず、地球は平面的にしか描かれていないのですが、それでも常に西からの強風が吹いている海盆を横断して航行すればかなりの短時間で東南アジアに到達できるのは間違いありません。
(だから、例えばカテ3をいっぱいもらえるケープ>ジャカルタなんて、東南アジア行きに受けるクエとしてはかなり美味しいと思いますよ。)
実際に使ってる人も多いんじゃないかと思いますが、まだの人はぜひ一度ご利用を^^


おしまい。

FC2ランキング02
 ←支援クリックお願いでっす。。
  1. 2007/01/06(土) 13:09:20|
  2. 雑学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ようやく大型スクーナー登場で。

おつかれさ~ん!

昨日、ハバナの発展が61000を超え、ようやく大型スクーナー☆2が登場しました。
商会でも千砂さんがランカー入りするほどに頑張って投資するなど、みんな結構な額を入れていたので素直に感謝ですね^^
ところで船窓商会では、生産スキルを持つ何人かの商会員が大型スクーナーの登場に備えて部品作りなど話題にしていまして、『そろそろ出るよ!』 という段階となった昨日は 『んじゃそろそろやっか!』 的にJB造船祭りが自然発生することに。

大型スクーナー01
(なんか怪しいバザコメ出してる人が・・・)

この他にも数人が採集・加工・部品作り・資材運搬などなど、あまりに多すぎる部品を、しかも6隻作るということでかなりお祭り状態となっていました。
ところが最初の3~4隻分は用意があったのですが、誰も必要部品の調達状況を全体把握してなかったので、造船数が多くなってくると途中でワカンナクなってくるということに・・・。
そもそも、☆2のJB船を1隻作るのに部品が7個、更にその部品を作る為の資材・部品があるのですから、これを1度に6隻ともなると、まあむちゃくちゃな量になるわけです^^);

そんなこんなでようやく作って頂いた大型スクーナー、取りあえず乗ってみましたが結構いいですねえ。いざとなったら帆装を変えられるのもあって、こういう取り回しのいい船は好きです。
世の中には7本マストスクーナーなんてとんでもない船もありましたが、実際でも帆の数が少ないので、使いやすいんじゃないでしょうか。

大型スクーナー02
(取りあえず試乗してみた)


とにかくみなさんお疲れ様でした!



おしまい。

FC2ランキング02
 ←応援クリックよろしくですー
  1. 2007/01/05(金) 07:12:21|
  2. 活動日誌
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4

リオとポルトガルとフランスな歴史

リオに立つ旗は・・・

さて、前回ブエノスアイレスから書いた南米東岸の話。
今回はリオデジャネイロについてちょろっと見てみたいと思います。

リオの歴史は1502年にポルトガル人の探検家レモスに発見されるところから始まり、
その後1565年にリオデジャネイロ市が建設され、更に18世紀にはラプラタ副王領の首府として植民地ブラジル支配における政治・経済の中心として発展を遂げます。特に金などの鉱物資源とブラジルボクなどの染料やゴム・綿花・サトウキビなどの農産物は経済・工業的にも本国ポルトガルを支えることとなります。

そして19世紀のヨーロッパ。
ここでリオが歴史の舞台で転機に立つ日が来ます。
1806年にナポレオンが発した大陸封鎖令(対英輸出の禁止令)に従わなかったポルトガルはフランスの攻撃を受けます。そして首都リスボンが陥落する寸前の1807年11月29日、ポルトガルの王宮は王妃と摂政を含む6000名もの人々が大艦隊をもって本国を離れて亡命しますが、その逃れた先が、なんと大西洋を渡ったリオデジャネイロでした。
こうしてリオデジャネイロは1808~1821年までポルトガルの王宮が亡命先として遷都することになります。更にブラジルは植民地から王国へ昇格したこともあって、本国で革命が起こってポルトガルが立憲君主制に移行した後はブラガンサ朝のポルトガル王室の皇太子が残り、1822年にブラジル帝国を築きます。

ここで、『ん、ブラガンサって聞いた覚えあるな!』 という方いますよね、、、
というより大航海時代Onlineやってれば絶対耳にしてるあの方。
そう、この時リオデジャネイロに亡命したポルトガルの王室とは、
恐らくリスボンの王宮に行くと真ん中にいるあのお方、ブラガンサ公の系譜なんですねw

ブラガンサ家はもともとポルトガル王ジョアン1世の血を引く(つまりエンリケ航海王子の兄弟の子孫)大貴族ですが、ハプスブルク家の支配から脱して当時のブラガンサ公ジョアンが王に立った1640年~1910年までポルトガルを統治した最後の王朝です。革命によって共和制に移行するまでの270年に渡ってその地位に登っていたのですが、アジアの権益を失った後の資金の多くを支えていたのが南米、中でもリオデジャネイロを介した金などによる植民地収入ですから、ポルトガルにとってその恩恵は計り知れないものがありました。

こうしてみるとリオデジャネイロはポルトガル王家、更に派生したブラジル帝国にとっては縁の深い植民地または本拠地で、ここら辺を鑑みてRPする人なら、ケープや西アフリカももちろん縁が深い地ですが、ひょっとしてここらを防衛するより身が入るかも知れません。。。
更に、NOTOSサーバーで現在ちょっと注目点となってるリオデジャネイロを巡っているのが、
ポルトガルとフランスなのは・・・うーん、微妙すぎるかも。
(2007年、能登鯖の南米東岸はヴァネツィアも参戦して更に混沌に・・・なるのかなぁ)

おしまい。

FC2ランキング02

↑↑↑ ブログランキング参加中! 応援クリックお願いですー♪
  1. 2007/01/04(木) 10:14:49|
  2. 歴史ネタ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ラプラタ川で育つもの

こんなところでもやってます

NOTOSサーバーのリオデジャネイロは昨年末からちょっと注目の場所となっていて、
しかも私の所属している商会 『世界の船窓から』 は、その当事者の一方であるフランスのマルセイユにある関係で実際に南米で頑張っている方々がいる所でもあり、ちょっとこの地域についての雑学を、という事でまずは南のブエノスアイレスから見てみます。

アルゼンチンの首都ブエノスアイレスがある地域は南米の中でも割と特殊な成立をしていて、
人種構成や産業などでも他とは違う特徴を持っています。その淵源が大航海時代にまでさかのぼる所があり、ちょっとここら辺と、ある産業についてご紹介してみたいと思います。
そもそも1516年にイスパニアの探検家ソリスがここを発見しますが、その当時からここは戦闘的な先住民の住む地域であったためにソリスも攻撃を受けて戦死、更に1536年にイスパニアのメンドーサによってブエノスアイレスが建設されますがこれもまた先住民によって壊滅させられてしまいます。
この点は、アステカやインカなど高度な文明を持っていた民族のいた地域が、一旦支配下に置いた後は大規模な反乱や破壊といった混乱も少なく比較的統治が進んだのとは対照的であるかも知れません。
その後1580年にブエノスアイレスは再建され、1776年にはラプラタ副王領の首府に。
簡単に書くとこうなのですが、実際ラプラタ副王領はその名(プラタ=銀→ここら辺はウルトラクイズでも問題にしましたね^^)とは違い、特に目立つ鉱物資源などがなかったこともあって南米ではもっとも開発が遅れた地域となってしまいました。
後に19世紀初頭にナポレオンの侵攻から逃れたポルトガル王室がリオデジャネイロを一時的にポルトガルの首都としますが、その前後からようやく開発と植民が進み出すといった状態で、ようやくアルヘンティナとして形が整ってきます。このようにブエノスというかアルゼンチンは後になって移民してきたヨーロッパ人の構成が高く、現代でも南米では特異な白人社会を形成しているのはそんな所にあるかも知れません。
ところで、ブエノスのあるラプラタ川の下流域はパンパと呼ばれる世界でも屈指の肥沃な牧草地で、牧畜が盛んになったのは言うまでもありません。(大航海Onlineでもブエノスはやたら家畜いるでしょw) こうして次第に牧畜業はアルゼンチンの主要産業にまで成長し、後に20世紀前半には畜産物の輸出でアルゼンチンは世界有数の富裕国にまで成長する原動力となります。

さて、そんな肥沃な牧草地とヨーロッパ人社会が結合すると何が生まれたでしょうか?
それが実は競馬。
南米アルゼンチンは世界でも屈指のサラブレッド生産国で、規模で言うと一昔前の日本より生産頭数が多いくらいの大国でした。ちなみに2000年のサラブレッドの世界生産で言うと、
アメリカ=33000頭、
オーストラリア=18000頭、
アイルランド=8700頭、
日本=8300頭、
イギリス=5200頭、
ニュージーランド=4900頭、
イタリア=4300頭、
フランス=4200頭くらいで、
アルゼンチンはというと、これが6600~7000頭近かったりします。
(繁殖牝馬の数は日本とほぼ同じ12000頭もいます)

そもそも1853年には早くも競馬場が開設され、
(横浜の根岸に競馬場が開設されたのは1866年、目黒競馬場は1907年)、
まもなく南米各国だけでなく北アメリカにまで輸出するようになります。
輸入された種牡馬も以前はオーモンドやバーラムといったイギリスの三冠馬が導入されるなどレベルが高く、後にフォルリという世界でも屈指の名馬を生むことになります。最終的にアメリカの名門牧場クレイボーンに輸出されたフォルリの血脈はその仔フォアゴーやポッセといった馬を通じて現代にも残り、子孫は遠く日本にまで輸入されるほどの繁栄を見せました。

アルゼンチンはその後フォークランド紛争や経済危機を迎えて現代では斜陽期かもしれませんが、それでもサッカーなどではいまだに世界有数の強豪であるのはさすがといったところかもしれませんね。


おしまい。

FC2ランキング02
 ←よろしく応援クリックお願いします。
  1. 2007/01/02(火) 10:13:25|
  2. 雑学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

新年おめでとうございます。

今年も宜しくお願いします~♪


明日からは、まにあっくに行きますからね!
しかしあれです、今これ書いてるのは日本時間の朝7:00・・・。
まだヨーロッパは年明けてないかも・・・。
んんん、ニューイヤーイベントはフライングじゃないのかぁ?

と、ツッコミから入る2007年の第一回目でした^^);



おしまい。

FC2ランキング02
 ←おみくじではありません。
  1. 2007/01/01(月) 07:00:46|
  2. 活動日誌
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:3

プロフィール

このブログはリンクフリーです。

ハミルカル・バルカ/メルカルト

Author:ハミルカル・バルカ/メルカルト
サーバー:Eos
所属  :イスパ
商会  :たまごのしろ/世界の船窓から
Twitter :hamilcar_notos

FC2カウンター

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
オンラインゲーム
372位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
大航海時代オンライン
12位
アクセスランキングを見る>>

最近の記事

カテゴリー

最近のコメント

月別アーカイブ

リンク

このブログをリンクに追加する

最近のトラックバック

ブログ内検索

RSSフィード

RSSリンクの表示

著作権について

大航海時代 Online』に関わる著作権、その他一切の知的財産権は、 株式会社コーエーテクモゲームスに帰属します。 このホームページに掲載している『大航海時代 Online』の画像は、 『大航海時代 Online』公式サイトにおいて使用許諾が明示されているもの、もしくは『大航海時代 Online』の有効なアカウントを所有しているユーザーが株式会社コーエーテクモゲームスから使用許諾を受けたものです。