打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

カカドゥの外に出たい!

もう行きましたか?
今回オーストラリア北西部に実装された新港カカドゥは、ユネスコの世界遺産に登録されている国立公園を擁する所で、しかも文化面と自然面の両方で登録された、世界でも数えるほどしかない複合遺産となっている場所です。
そう言えば先日書店で見かけたニュートン誌のバックナンバーで取り上げられていた世界の秘境という特集でも、カカドゥは南米ギアナ高地などと並んで取り上げられていました。

カカドゥ00
で、DOLでカカドゥの港に入った人がまず目にするあの浮き草が広がる湖のような場所、
あれは『イエロー・ウォーター』と呼ばれる動植物の宝庫となっている大湿原地帯で、
DOL内でもあの感じは見事に再現されていると思います。
(思わずあそこで釣り&採集しようとしてできなかった私・・。)

カカドゥ03
そしてこれ他の人も思ったかも知れませんが、
カカドゥの街中にあるあの石造りの門のような場所から先ってまだ行けませんよね? 
思いっきり行く気まんまんで門(らしい所)に突っ込んでしまいましたよw
恐らくあの先で内陸があれば壮大な渓谷地帯が拝めると期待しているんですがねえ・・・。

カカドゥ02
何にしても、ここだけでオーストラリア全体の20~30%くらいの動植物が見られるという程に自然の豊かな場所ですし、同時に何万・何十万年もの前からここに住んでいたアボリジニ達の壁画などの生活の跡も同時に残されていることもありますので、カカドゥの今後の発見物・内陸その他の実装ありそうですね。。

カカドゥ06
ワニがいるかと思えば・・・

カカドゥ05
カエルもいますw

と言うことで、果てしなく遠いのが難点ですが、数あるDOLの港でも自然面では屈指の名所となりそうなこのカカドゥ、ちょっと今後に注目です。


おしまい。

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  1. 2007/08/30(木) 07:19:15|
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新型砲の生産 その2

今回の大砲関係の実装は、14門の新型砲が多数登場した事が特徴ですね。
先日速報した火炎砲のヴォルカンに引き続き、もう2種作ってみました。
あとはセラフィムですがレシピ取りに行くのが面倒なのでこれはまた次回に。。

①シュミネ砲14門(ノーマル品)
Nシミュネ14-784

1門あたり貫通力=56
これ見落としていたのですが、インドで買える煙幕砲レシピに追記されていました。
14門ですがやはり青銅砲で、レシピはヴォルカン砲とだいたい同じですね。
んでスペックはというと、これもだいたいヴォルカン砲と同じなのですが、
ノーマル品は弾速が6とちょっとどうなんでしょうね。
さて次に名匠はというと・・・


②名匠シュミネ砲14門
名匠シミュネ14-882

1門あたり貫通力=63(他に854=61を確認済み)
名匠になると弾速が6→7、装填速度も4→5と、それぞれ向上しています。

これ恐らく名匠品の貫通力はヴォルカンと同じく854~910あたりで、あとは924が有るか無いか?な感じとと思われます。前回のヴォルカン砲との比較で言うと、射程が+40で弾速7・装填速度5と同じ、かなり近いスペックの大砲ですね。特殊砲としての追加効果は火災よりも煙幕になった方が相手としたら嫌そうな気がしますがどうなんだろう?
そしてこれも装甲劣化弾と同じく、先日アクティブスキルから自動効果に上方修正された特殊煙幕弾として使えますから、戦術的にも色々遊べる余地が有るのかも知れません。
まあ、特殊煙幕弾が使える兵器技術R10に達しているような軍人さんだったら普通にキャノンかカロネで戦っていそうな気がしますが・・。

③ハイペリエ砲(ノーマル品)
Nハイペリエ14-798

1門あたり貫通力=57
ペリエ砲の上位品となるのか謎な、これも初登場のハイペリエ。名前が安易過ぎじゃないの?
と思うのは私だけじゃないでしょうが、射程520で貫通800近いってのはこれノーマルでも普通に海事修行とかでも使えますよねー。
私個人的にはとんでもない長距離からクリ当てるの好きなので、
青銅ベースなのが面倒ですが装填が3にアップしたのも含めて気に入りました^^
さてこれが名匠品になるとどうなるかと言うと・・・

④名匠ハイペリエ砲14門
名匠ハイペリエ14-910

1門あたり貫通力=65(他にも854・868・882・896と確認済みです)
これ名匠となると射程が520→540、弾速も8→9となり、更に長距離砲として磨かれてきます。
つうかこれ、貫通910以上で5基揃えたら結構使えないかな?
有効射程が名匠カロネと比較すると370:540=1:1.46と、
これでもし16門砲に進化して素材が青銅から大砲に変わったらバルセロナで作れますし、
65×16門=1040と、この射程から考えるとどこからでも狙える恐ろしい存在になるかも知れません。

しかしあれですね、主力となっている通常砲や2連弾の今後ですが、
『ハイ○○○砲』なんてネーミングはある意味お約束と言うかなんと言うか・・・。
この手の新型ネーミングは一回使ったらその先はハイパーだのウルトラだのとインフレ化して行く気がして心配なんだけど・・・。


おしまい。

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  1. 2007/08/27(月) 19:58:36|
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マニラ・ガレオン出よったw


今年の3月27日に書いた、『マニラ・ガレオンは出るの?』 な記事、
どうも微妙に当たったようです。
といってもこの時の想定で冒険か商船系と思ってたのはハズレですね。

大型ガレオン系の帆船としては、大型ガレオン・商大ガレオン・重ガレオンと長らく3種のみだったこの系統が、イベリアン・スパニッシュ・バルティックと増えてきてこの三層甲板ガレオン、ここで遂に砲5スロットの武装を備えるに至ったわけですねえ。

それにしても、
んじゃなんで紹介時には3層の砲甲板と書かれていたバルティックは4スロなのさ!と、
グラフィック的にもかなりお気に入りのバルティックの肩を持ちたくなるのは私だけでしょうか?
まあ、この時代の主力であるガレオンやキャラックあたりでいろんなバリエーションが出る事そのものはいいと思うので(1520年代の世界周航イベントやってるのと同時に、戦列艦の強化版を出すのは正直どうかと思うが)、もう少しいろんな方向に振ってくれても面白いかと期待してます。

まー、
マニラからメキシコまでは、まだ航路が開いてないのでこの船の本番はこれからかな^^
それにしても高速船の速度が強化された一方で風向きの変化がシビアになった気がしますから、今後は特に横帆船は一層航路の選定が重要そうですねえ。。。


おしまい。

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  1. 2007/08/24(金) 19:56:16|
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【速報!】 新型砲レポート

ヴォルカン砲14門の試作

取り急ぎINするなり新型の大砲作ろうと思いましたが、レシピ帳みると通常強化でも特殊強化レシピでも載ってなく、念のため買っておいた火炎砲に、、、あった!
では生産結果を速報で作りましたのでどうぞ。

①ノーマル品
Nヴォルカン14-784
※1門あたり貫通力=56

②名匠品
名匠ヴォルカン14-910
※1門あたり貫通力61~65は確認
  貫通854・868・882・910は確認していますので、恐らく896ってのもありますね。
  んでこれ、更に924とかはあるのかなあ?
  取りあえず11個作って名匠5個なのでまだ可能性はあるかも知れませんね。

③レシピ
名匠ヴォルカン14-910レシピ
レシピ=火炎大砲鋳造法
鋳造R15、材料=砲弾14・青銅74・鋼74

※短評
 名匠品は更に炸裂範囲が7→8、装填速度が4→5になってます。
 今までの火炎砲の弾速が4程度だった事を考えると、7ってのは大幅強化と言えそうですね。
 また確認した限りの貫通力の最高が910で、これは16門だと1040なんて数字になって
 しまいますので、当面14門に抑えたのも分かる気がします。
 それにしても青銅砲かぁ・・・めんどくさ;;


おしまい。

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  1. 2007/08/22(水) 21:50:54|
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こんな事狙ってる人いるかも!?

西回り世界周航 鯖一番乗り! 

海域が追加された時点で航行が可能ってことなら、
別に世界周航イベントとかで入港許可を貰わなくても通ることは出来るって事でいいですよね?
となると例えば、

①前日までにマゼラン海峡の入り口でログアウトしておく
②実装直後にログインして猛然とマゼラン海峡に突入
③海峡を突破したらそのまま西へ西へ
④調達と釣りで耐えつつ太平洋を横断
⑤オーストラリアの南を越えてそのままアガラス海盆へ
⑥またマゼラン海峡の入り口まで戻ってきて世界周航達成! (しかも無寄航で)

そして世界の果てで一番乗りを叫ぶ・・・。
ううっ、、やっぱコレ果てしなくさみしいかも。


おしまい。

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  1. 2007/08/21(火) 16:00:00|
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新型砲はよこーい!

大量生産に備えて

さて今日は久々に生産話など。
昨年のラフロアップデート以来、新型砲が出るたびに試験生産をしています。
この一年は結局のところカロネ・キャノンを超えるスタンダード砲に育った砲は無いのですが、さてさて今度の拡張パックではどうなのでしょうか?

ヴォルカン砲・・・
これ火炎弾ですよね。
今まで火炎弾は特殊砲の中では貫通が高い設定で、今のアンフェール砲16門などは名匠品の最高貫通が976と、実は名匠カロネード14門の966を上回っています。

ところが一方では 『弾速が低い=命中率が悪い』 ために実質的な与ダメージがかなり低く、
結局のところ重フリゲートで装甲劣化弾の青白い弾道見る為のネタ砲とかの域を出ず、
当然ながら売ってる人などまず見かけません。(材料以上にR17とか作るのメンドイしw)
こうなると今回のヴォルカン砲は、公式に『高い火力』と書いていることから、貫通力以上に弾速の向上が図られているといいなあと思っています。そうなってくれば射程が多少短くても使える大砲の一つとして育つでしょうし、特殊弾ですから追加効果もあって結構面白いと思いますから、作るほうとしてもちょっと期待しています。

大体ですね、
ラフロアップデートの時は大砲自体は既存の種類で砲門数だけ16にUPした様な状況で、
まるっきりの新型砲ってのは久しぶり、又は実はこれがほぼ初めてなんじゃないでしょうか。
そういう点では、ここで革新的なスペックのものが出てきてこれまでのカロネ・キャノン一辺倒の流れを崩す存在となり、実質的な選択肢が広がるといいなぁと思う次第です。
どうもアップデートのたびに同じような待望論で書いてる気がしますがどうなんだろなぁ。
まあ、作って見たらまだ物足りないって事も充分考えられますが、
そこはそれ、自分でいち早く作って確かめるところにまず意味がありますから^^
(レアレシピだとホント困るけどねw)

それとですね、砲身=材質が青銅か鋼かってのも、生産する上では全然違いますよね。
んでここは新型って事で鋼ベース→バルセロナ生産向きのレシピだといいなと・・・。

どちらにせよ、生産する上での大きな分岐は青銅ベースか大砲ベースかによるわけで、
大砲ならバルセロナ一箇所で完結、青銅ならプリマス積込みで各地へと言うルートに。
砲弾と鋼は特殊砲の16門でも使ってるのでもう共通素材と思いますからね。
まあ、新型が今さら青銅砲とも思えませんからバルセロナでいいような気もしますが、
ここで意表をついて火薬か鉄材も加えた4種構成レシピになったら頭抱えますw

(在庫処分と資材ストック)
取りあえず、新型砲の生産に備えて昨日はセビリアで在庫の処分を兼ねて売り子してました。
なんだかんだと色々出して一日で30~40個くらい売れましたし、
青銅・砲弾・大砲は自宅に大量ストックし、船にも鋼など資材を満載しておきましたので、
多分15~20個位はいきなり試作できそうです。
あとは、R18レシピだった場合を考えて鍛冶師の転職紙も取っておかないと、か・・・。
これ今日中に準備終わるのかしらん^^);
さてさて大砲屋の皆さん、準備の程はいかがですか?


おしまい。

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  1. 2007/08/20(月) 12:15:36|
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蒼き狼の末裔たち 外伝その2

苦境の聖王 その2

1248年8月、フランス王ルイ9世は前線基地となるキプロス島へ向けて出発します。
この中には先にモンゴルへ派遣していたロンジュモーのアンドレも現地の案内と情報提供の為に同行していました。キプロス島の南部にある港町リマソルに到着した聖王ルイが現地で戦略会議を開いている中、ここで驚くべきニュースが舞い込みます。
モンゴルの軍事総督エルジギタイがここにキリスト教徒の使節を送り込み、

『大ハーンはキリスト教の洗礼を受け、私自身もそれに習って洗礼を受けるつもりである、そして既にモンゴルは冬にもバクダッドを攻撃するべく準備に入っているから、もしフランス王がエジプトを攻撃するなら東西からイスラムのカリフとスルタンを同時に攻撃することができる』


『その後、両者を撃破したらイェルサレムで合流して聖地を解放しよう!』

という内容のメッセージを伝えたのでした。

このニュースにルイは飛びつきます。
確かにこれは先にモンゴルの情勢を報告していたプラノ・カルピニやアンドレ、アスケリヌスらの内容を裏付けるものと見られたから信用したのでしょうか、、知力に優れたフランス王も信心深さがその目を曇らせたのか分かりませんが、これを受けて十字軍はキプロスを南下してエジプトへ上陸します。ですがこの時エルジギタイにはイェルサレムを開放するつもりなど全く無かったのは言うまでもありません。精々自分たちがバグダッドのアッバース朝を攻撃する時にエジプトから援軍が来なければいいや、くらいのつもりだったでしょう。

ルイ9世の進路01

さて、エジプトに上陸したルイはナイル川河口の町ダミエッタを攻撃し、
ここを陥落させる事に成功してカイロへの橋頭堡とします。
ダミエッタの位置は地図で見ると分かりますが、DOLで言えばカイロを出港して右へ進路を取ってダマスカスに向かう時の三角州の出口に当たる所にあり、ここを押さえられるとエジプトとしてはカイロが封鎖されるに等しく、ナイルの河口付近ではアレクサンドリアと並ぶ要衝でした。
その為か、ここでエジプト側からルイへ内々に和睦の打診があったといいます。
内容はイェルサレムの返還を含む、かなりルイにとっては有利な条件だったようなのですが、
なぜかルイはスルタンがいるカイロ攻略にこだわってこの時の和睦の打診を断ってしまいます。実際のところ交渉は援軍を呼ぶための時間稼ぎだった可能性もあるのですが、例えば1228~29年の十字軍では皇帝フリードリッヒ2世が交渉によってイェルサレムを10年の停戦期間付きで返還させる事に成功しており、この時も絶好のチャンスだったかも知れないのですねえ。

さて交渉決裂後、ルイの率いる十字軍はカイロに向けて進軍するのですが、
ここで十字軍の前衛部隊はカイロのはるか手前で意外な強敵に出会います。
エジプト軍の前衛部隊の指揮をしていた一人の若者、
彼こそが後のマムルーク朝を受け継ぐことになる若き日の名将バイバルスだったのです!

元々マムルークとは、1230年代にモンゴルのバトゥが草原地帯の制圧に掛かっていた頃に捕らえた遊牧民の一部を戦費調達の為に奴隷としてイスラム商人に売り渡したのが起こりとされています。それから10数年を経てマムルークたちは兵士として、また指揮官として・更には官僚として、次第にイスラム社会で影響力を増しつつある情勢でした。それにしても、後にシリアへ攻め込んだフラグの軍勢が敗れたのが、元は自分たちが奴隷として売った遊牧民たちの子孫だったのは中々面白いものがありますね。

話が多少脱線しましたね。
結局バイバルスの巧みな戦術に翻弄されて十字軍の前衛部隊はもろくも壊滅します。
形勢の不利を悟ったルイはダミエッタへの一時撤退を図るのですが、速度で勝る遊牧民出身のマムルーク兵たちにあっという間に追撃・捕捉され、身動き取れずに敵地での包囲戦となり、間もなく補給も絶たれ、赤痢が蔓延した十字軍は餓死寸前まで追い詰められて遂に降伏します。
皮肉なことに、エルジギタイに会うべくロンジュモーのアンドレがモンゴル領に着いた時には、
既にフランス王ルイ9世はエジプトの牢獄に繋がれていたのでした・・・。
その後、なんとか黄金100万ペザントもの身代金を払って開放されたルイはエジプトを撤退し、
勢力圏内の町まで戻ってきた時にはもう十字軍はボロボロでした。なにしろ出撃した時には6万を数えた十字軍が、帰還できた者は1万2千人にまで減っていたと言いますから・・・。

その後、ルイが撤退した後のエジプトではどうなったかと言うと、マムルークたちがスルタンを倒して最高司令官アイバクがマムルーク朝を興していたのは皮肉というしかありません^^);
一方、結局は軍を出さなかったモンゴルのエルジギタイはこの時、本国の大ハーン・グユクが亡くなり、代わってモンケが立った事もあって解任されることになります。
ただ、代替わりしたモンゴルが大ハーン・モンケの弟フラグを総司令官としてイスラム世界へ攻め込むのはこのわずか数年後ですから、実際モンゴルには充分その気はあったのですね。

イスラム社会がかなり分裂・混乱していた1230~1260年頃は、ヨーロッパ・モンゴル共にこの地を本気で攻めるなら絶好のチャンスだったのは歴史として見ているからそう思えるのですが、結果として自分たちも内部で抗争していて機を逸しているのは、惜しいというかどこでもおんなじ事やってたのねぇと、ちょっと興味深いところです。



おしまい。

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船窓商会生産部からのお知らせ

世界の船窓商会員さんへ 業務連絡です。


①昇格資格の取得
RANK4

どうやらこれでRANK4行けるようですね。
取りあえず私は昇格に賛成ってことで。(RANK4は商館マークが白銀でかっこいいよ~)


②今月の商会納品物

5点=ププランツリー10個
ということで、
昨日の夜からヨーロッパ圏内に行けるメンバーでププランツリーの生産計画を発動しました。
おかげ様で第一次生産目標は達成いたしましたのでご報告申し上げます^^

(第一次生産目標)
ププランツリー800個以上→20人分

(レシピ)
R16ププランツリー=木の実1個、蜂蜜2個、ププラン3個
R12ププラン=小麦粉2個、ジャム1個、植物油1個

(調達目標)
小麦粉=4800個
ジャム=2400個
植物油=2400個
木の実=800個
蜂蜜=1600個
※大成功による余剰生産は考慮しない場合の数字なので、
   実際は小麦粉・ジャム・油の用意はこの7割くらいでいいと思う。


(買い付け、調達・採集担当者)  
小麦=参加者各員 (食料品支援=たかはに)  ※以下敬称略  
ジャム=参加者各員 (調味料支援=たかはに)
植物油=がぶ、じむ、ブリュレ、ティナ、サリム、たかはに、ハミル
木の実=がぶ、サリム
蜂蜜=たかはに

(生産地)
ププラン=バレンシア (小麦とジャム売ってる)
ププランツリー=マルセイユ (蜂蜜売ってる&商会本拠地)

(生産担当者)
じむ、がぶ、たかはに

(生産物管理)
サリム、ハミル

(生産結果)
ププランツリー=1042個→26人分  達成率130.25%

ププランツリー生産局

昨夜、マルセイユの調味料を買い占めて大暴騰させた悪徳問屋ではありません><
蜂蜜280%って交易所のおっちゃん、そらぁあんまりだろ・・・

そんなこんなで商会の皆さんお疲れ様でした!
INしてない人の分はティチーノ(私の2ND)が持ってますので声掛けてね~。


おしまい。

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蒼き狼の末裔たち 外伝その1

苦境の聖王 その1

今回は、先日まで書いていた『蒼き狼の末裔たち』シリーズの外伝的な話を。
シリーズの第1回で1250年代にイラン・イラク・シリアへ攻め込み、後にイル・ハン国を建てることになるモンゴル王家のフラグについて書きましたよね?(もう忘れてると思うけど)

この時モンゴル軍の主力は1259年に大ハーンのモンケが死亡したこともあって途中で撤退し、
残った駐留軍はシリアのイスラム勢力に対抗するために現地のキリスト教徒と共闘する歩調を取ったのですが、この時は大きく国として同盟軍を組むところまではいかず、またキリスト教徒側・モンゴル側共に戦力が不十分だったこともあり、イスラムの名将バイバルスに敗れてこの地を失ってしまいます。
しかし、これがもしほんの10年前か後、つまり1240年代か60年代の後半に実現していたら中東の世界地図は少し違ったかも知れなかったのです。それも実際にチャンスはあったのですから。
もちろん歴史にIFはありませんが、可能性を書くだけなら自由ですからね^^


(使節たち)
さて、時代はちょっと戻って1245~46年、プラノ・カルピニが陸路モンゴルへと向かっている間に他の使節も派遣されていたことは以前ちょっと書きましたね。
主だった者を挙げると、フランスはロンジュモーのアンドレ、イタリアはロンバルディアのアスケリヌス、イベリアはアラゴンのドミンゴといった人たちはトルコやシリア方面を通ってアルメニア付近まで前進していたモンゴル領内へと向かっています。

このうちフランスの聖王ルイ9世によって派遣されていたロンジュモーのアンドレはシリア付近まで辿り着き、そこから北メソポタミアまで前進していたモンゴル人の居留地を目指していました。ところが現地のイスラム系の領主たちはこのみすぼらしいキリスト教徒たちに対してほとんど何の援助も行わず、逆に彼らをキリスト教圏とモンゴルが共同歩調を取ってこの地へ攻め込んでくる為の密使か諜報員の類と疑って見たのでした。
東ヨーロッパへのモンゴルの襲来が去ってまだ5年、なんとか情報を得て・できれば関係を築きたいとして使節を送り出したばかりのキリスト教徒側としては思いもよらない疑いなのかも知れませんが、この頃大きく動いていた世界情勢を考えるとイスラムの領主の懸念はごく真っ当なものだったのです。何しろこれが数年後には実現しかかる所まで行っているのですからね。

一方、更にアンドレの後を追っていたロンバルディアのアスケリヌスは遂にアゼルバイジャン付近にあったモンゴルの前線基地に辿り着き、当時この方面のモンゴルの軍事総督だったバイジュに面会します。残念ながらというかアスケリヌスはキリスト教徒として頑迷な者だった様で、その尊大な態度とキリスト教への改宗を迫る姿勢は面会したバイジュを激怒させてしまいます。
幸いバイジュの妻が必死にとりなしている間にモンゴルでは政権交代があり、軍事総督バイジュは解任されて次にエルジギタイという男が総督として赴任してくることでアスケリヌスはなんとか解放され、大ハーン・グユクから教皇へ当てての知らせを預かって帰国します。
このエルジギタイという男がまた曲者だったのは、まだ知る由も無かったのですが・・・。


(情報)
こうして1246~47年、帰国してグユクからのメッセージと報告書を書いたプラノ・カルピニ、
シリアへ行ったアンドレ、アルメニアの軍事総督と会って同じくグユクからのメッセージを預かったアスケリヌスと、複数の報告が教皇の下へと相次いで届きます。
彼らの情報を最大限に都合よく解釈すると、
『モンゴルには相当にネストリウス派のキリスト教が浸透していて、宮廷にも大ハーンにも大きな影響力を持っているからそのうちキリスト教に改宗する可能性がある』
そうなると、
『東方キリスト教会とカトリックで汎キリスト教の同盟関係が築ける可能性すらあるかも??』
よくまあ、自分に都合のいい解釈で報告し、更にそれに乗ってwktkするものだとは思いますが、気の利いたものならそれをちゃんと割り引いて受け止めてるでしょうからどっちもどっちです。
でも、受け止める側が期待を込めてこの報告を聞いたのも分からなくもありません。

折りしもこの時既に、
教皇とそれを庇護するフランスの聖王ルイ9世はある計画を実行に移す所に来ていました。
そう1248~49年の第7回十字軍まであと1年という所に・・・。
(なんだか長くなりそうなので続きは次回に。)


つづく。

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第二次カリブ海海戦 2・3日目

参加したもの勝ち!論のようなもの

今回が現行の枠組みでは最後になるのではないかとも噂されている大海戦。
N鯖ではカリブ海での実施で、相手も盟友ポルトガルを擁するネーデルの手番ですからどうにも全体的に緊張感と言うかピリピリしたものが薄い感じで、各自いろんな事試してみたり広すぎる海域とあわせてなんだか真夏のお祭りっぽい雰囲気が漂っていたと見えたのは私だけでしょうか?
取り合えず以下に個人的な結果と私見のようなものもまとめておきました。


【2日目】
小型から参加するはずだったのですが、19:30頃帰り際にウチの会社の会長に声掛けられて、
『明日から夏休みだし、ちょっと話したいことあるからメシでも食いにいくか?』   
え・・・。 
商会の危機なので今日は失礼します! 
とは言えるはずも無く、なんだかんだで帰ってきたのが22:10過ぎに。
いやもう、皆さん済みませんでした、ほんと出たかったよー!
そんなこんなで結局私のこの日は戦功11~12くらいでしたが、船窓商会の艦隊としては70近く行ってたみたいで相変わらずこの海域では安定した結果が出せてますね。


【3日目】
SS撮り忘れて使える画がない・・。
結果としては勝利数68の戦功74だったかな?
大型の最後で対人仕掛けて1勝できたのは嬉しかったですね。
提督落とせたこの一戦のおかげで戦功6入ってトータル70超えましたが、ああいうのも今後は条件と戦力が揃えばどんどん狙っていいんじゃないかと思いますね。

そんな中で中型戦の最後でこんな一幕が・・。(以下抜粋)

Oさんの強襲です!
(以下略)
○○さんにより、テ○ナローザが拿捕されました!

Oさんに敗北しました…
Oさん>ブログでソロだってのはしってたんだよ!
Oさん>えへへw
ハミルカル・バルカ>あらら


私も含めて商会のブロガーが大海戦のレポート書いてるせいか、
今回の船窓商会艦隊がソロだったってのは相手の一部の方には知られていた模様・・・。

実を言うと初日から結構ペア艦隊組みませんか?というお誘いは受けるのですが、
今回はこちらの提督の船仕様が速度特化型にしていた関係もあって即席でペア組むにはちょっと難しかったようです。まあまあ、そういうのも含めて知り合いが仕掛けて来られるのもまた一興と言うことであれは面白かったですハイ。(つうか、Oさんいつか倒すからね^^^^)


【まとめ】
最終的に3日間トータルでの船窓商会艦隊の勝利数は218前後、戦功は220~230くらいになったと思われ、N狩り艦隊としてはかなり好成績だったと思われます。
さてこれ、NPC主体で戦っているのですから勝利ポイントはほぼ1勝=勝利ポイント1で、
対人戦の勝利ポイントも加算するとトータル220前後でしょうか。

一方ここで、初日から3日目までの各陣営の勝利ポイントの推移を見てみます。

      ネーデル・ポル  ヴェネ・イスパ
(1日目)   1045       1162  
(2日目)   1284       1342
(3日目)   1468       1261
(合計)    3797       3765

これ、総勝利ポイントに対する船窓商会の割合は、220/3765=5.84% となっています。
誤解を招きそうな話でなんなのですが、思うに今回のウチのような弱小戦力でも参加しさえすれば確実に大海戦の結果に対して多少なりとも貢献できるって事じゃないでしょうか。

まあ、普通にヨーロッパで参加すると戦功35~50前後なものの、それでも全体の2~3%くらいの貢献にはなり、これくらいの参加者があと4~5個艦隊あるだけで戦力が均衡してきた今現在のN鯖の大海戦の結果には大きく影響してきそうな気がします。もちろん日頃からスキルや船に手間をかけ、そして何より模擬戦で鍛えている人たち、更にMVPを狙っていけるような精鋭艦隊だとその海戦全体に対する貢献度は遥かに高いのでしょうが・・・。

とにかくですね、普段は商人や冒険者でも結構海戦への参加を重ねて戦力として頑張っている人が増えていることも実感しますし、これがDOL始めて数ヶ月な初・中級者な方でも
『わたしらなんか出ても、負けて相手に勝利ポイント与えるだけで迷惑になる』
なんて考えは全く要らないと思いますよ。(1年前の私はそう思ってましたが・・。)
少なくとも小型中型ならどんな弱小艦隊でもNPC相手ならそこそこ結果出せますし、参加する1人1人の集合=数の力 は戦場全体としたら結構馬鹿にならないものがあると思います。

と言うことで、次回から大海戦的なものがどういう枠組みになるのか分かりませんが、
参加したもの勝ちって事で楽しんでいけばいいな、と。
駄文長文でしつれいしました!


おしまい。

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  1. 2007/08/13(月) 16:07:31|
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第二次カリブ海海戦 初日


さて、カリブ海で行われている今回のN鯖大海戦。
以前もそうでしたがなぜかこの海域の時はNPCの湧き方が異常というか相当に偏っていて、
ある地点では一回NPCを倒すと連続して同じ勢力のNPCが出現するという傾向にあります。
そういうポイントに当たるとほとんど移動しないで再POPを待つだけなので、
激しい時には10連戦なんて事も珍しくなかったりします。
(前回私たちも小型船だけで戦功40なんてのもありましたから)

そして今回もその傾向は変わらず、結果として

0810-01

戦功88と、初日はNPCとしか戦ってないのに対人戦の艦隊並みの結果が残せました。
提督のティナさんお疲れ様です。
2日目・3日目で爵位来るといいんだけどなあ。

そういえば、今日は大型船の途中でこんな方(NPC)に出会いました。

テ○ナローザ>イスパのガレアス
シ○コラーゼ>めずらすいw
ハ○ルカル・バルカ>シドニア公だ・・・
テ○ナローザ>はじめて見た
シ○コラーゼ>わたしも
ク○ーム・ブリュレ>あ、ほんとだ
シ○コラーゼ>はじめてみた
ク○ーム・ブリュレ>全部べねだとおもってたね

・・・・。
メディナ・シドニア公。  
名前を聞いた事ある人も多いかと思います。
そう、恐らくこの人、アルマダ艦隊の総司令官としてイングランドに攻め込み、
本人も適性が無いことを自覚していた通りにドレイク提督らの率いるイングランド海軍にボコボコにされた第7代シドニア公のヘタレさんです;;
アルマダ艦隊の司令官ですから象徴的にイスパとしては珍しくガレアスに乗ってはいますが、実際どのくらいの強さなのか、誰か戦った人いませんかねぇ。
ちょっと撃ち込んだらすぐピヨピヨする気がしてしょーがないんだけどw

ガチガチの対人ではない、NPC狩りの面白さはこんなとこにもあるんですね。
例えば対ポルトガル戦だとこないだのジョアン・フェレロみたいなおなじみの人物だけでなく、
アルブケルケやアルメイダなどの大航海時代でも最高の提督と戦えたりしますし、実際これらの有名どころの軍人NPCは倒すと結構戦功ボーナス付いたりしますので実利面でも嬉しいですよ^^
さてさて、今日も確変モードはくるか!?



おしまい。

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  1. 2007/08/11(土) 07:10:00|
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収蔵品?それとも不良在庫?

ちょっと販促活動なんぞ

えーとですね、2日程前のこと、大海戦の準備も兼ねて全キャラの荷物整理しようと思い立ち、
2ND・倉庫キャラもろもろ大砲の手持ち数をカウントしてたのですが・・・
どうやらなんだかんだで
全部で70~80個くらい大砲持ってるらしい
ことが判明しましたよ、あっはっは;;
商会でそれ言ったら 『つかそれどーすんのよ?』 と呆れられるし;;
どうもですねえ、
名匠品とか使わず売らずでキープする癖があるらしく、一体これどうすんのさと・・・。

しかも遂に販売が始まった2週間後の新パッケージでは新型大砲がでるらしい。
となるとレアレシピでない限りは当然こいつの生産レポートも速報するつもりです。
この先カロネやキャノンが陳腐化するとは思ってませんが、
これはちょっと在庫セールか海事修行するつもりで片付けないとかなぁ、と思う次第デス。

と言うことで、ここのブログ見てる読者の方、フレ・商会員、その他私のこと知ってる方々、
希望者がいましたら格安で大砲お分けします! 
取りあえずテルでもメールでもここへのコメントでも構いませんのでお知らせ下さいな。
いくつかは予約でキープしてるものもありますが、修行でも海戦でも大砲は使うものですから遠慮なく声掛けてみてくださいね。特に居なければ普通にバザーするだけなんで・・。


追記)
本文とは関係ありませんが、先ほどPC Watch 見ていたらマイクロソフトがWINDOWS VISTA の大規模修正のパッチをリリースしたらしいですね。(該当記事はここ)
項目を見ていると私も思い当たる箇所がいくつかあって帰ったら早速当ててみようかと思います。(まだWINDOWS UPDATEからは行かないらしい)
これでもうちょっと使いやすくなるといいんだけどな^^


  1. 2007/08/09(木) 17:39:35|
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蒼き狼の末裔たち その12

モンゴルへ行ったヴェネツィア商人

プラノ・カルピニがモンゴルからリヨンに戻ってからわずか6年後の1253年のこと。
ニコロとマッフェオというあるヴェネツィア商人の兄弟が一攫千金の夢を見て海路コンスタンティノープルへと旅立ちます。この時ニコロの妻は既に子供を宿していたのですが・・・。

コンスタンティノープルで6年ほど商売を行ってある程度成功した兄弟は、そろそろ東のモンゴル商人とも交易を行いたいと思ったのか、ここで黒海を東に向かいキプチャク・ハン国に入国します。この頃既にキプチャク・ハン国はバトゥから弟ベルケの時代になっており、ベルケに謁見した兄弟はここで奮発して自分たちが持っていた一番上質な宝石を贈り、これに機嫌を良くしたベルケはその2倍の価格の品物を与えたと言います。
交易の大成功を受けて兄弟はそろそろ故郷に帰ろうと思ったらしいのですが、
この時キプチャク・ハン国と南のイル・ハン国が戦争状態になるという大事件が起こり、
西に向かうことが困難になった兄弟は『それなら』と更に東へと足を伸ばします。
その後、中央アジアの中心都市ブハラに到着した兄弟はここでも戦争のため足止めを受け、
3年後にたまたまブハラを訪れたモンゴル本国の外交官がこの兄弟の事を知って誘いを受けたことをきっかけに遂にモンゴルの都へ行くことになったのでした。

帝国の各ハン国をまわる長旅の後にモンゴルに到達した兄弟は、その商才と珍しさもあってか当時の大ハーン・フビライに気に入られ、ヨーロッパの文化・宗教の事など様々な話を聞かれるほどだったと言います。その後、兄弟の帰りを惜しんだフビライは帰りがけに莫大な贈り物と教皇への親書を渡し、こう伝えます。
『この手紙を教皇に渡し、学者100人を連れ、エルサレムの香油を貰ってまた帰って来い』と。


(帰国と再訪)
1268年ころ、15年もの長旅の末にようやく兄弟は故郷ヴェネツィアに戻ってきます。
ヴェネツィアを出立した当時にニコロの妻のお腹にいた子は、十数年を経ていつの間にか少年に成長し、利発そうな目と父にも負けない冒険心を持って父と叔父の帰国を迎えたのでした。

さて、鋭い方はもうお気づきかも知れませんね? 
その少年こそが、後に東方見聞録を口述する事になる、あのマルコ・ポーロだったのです。

帰国したニコロとマッフェオのポーロ兄弟は各方面への報告の後にフビライとの約束を果たすべく再出立の準備に掛かります。残念ながら次の教皇が決まらないと言う事態もあって学者を派遣する許可は出なかったのですが、せめてイェルサレムの香油だけは手に入れようと思い直し、
その後ポーロ兄弟と17歳になっていた青年マルコも父と叔父に従ってモンゴルへと旅立ちます。
ヴェネツィア→イェルサレム→バスラ→ホルムズから内陸へと入り、サマルカンドからカシュガル地方を経由するという3年半もの長旅の末、1274~75年頃になって再びポーロ兄弟はモンゴルの都、上都に戻ります。
ポーロ兄弟が約束どおり再訪してきた事を知った大ハーン・フビライが大喜びしたのは言うまでもありません。そして彼らが連れて来た利発そうな青年マルコに目を留め、ニコロの息子と知ると大いに満足して直ちに近臣の1人に取り立てたといいます。
その後、成長した青年マルコは大ハーンの使者や地方官などを歴任し、高級官吏として各地に赴くという貴重な体験をすることになり、この時代に現地や宮廷で伝え聞いた情報が後の東方見聞録(正確には『世界の記述』)の口述に繋がったのは言うまでもありませんね。


(マルコ・ポーロの大航海)
月日は流れ、ポーロ一家がモンゴルに来て17年後、
さすがにそろそろ帰らないとと思いニコロはフビライに帰国の許可を願い出るのですが・・。
ところがあまりに気に入られた結果、
『お前たちが望むだけの富と栄誉を与えるし、モンゴル国内中、どこへ行ってもいい。  
 ただし国外へ出ることだけは許さんぞ』 とフビライは非常に驚いてそう答えます。 
皮肉にも兄弟は故郷に帰ることが出来なくなっていたのですね。

ところがその後、チャンスは意外に早く訪れます。
イル・ハン国で新しいハーンが即位し、モンゴルの宮廷のもとには本家の姫を妃に迎えたいとの要請が入ります。当時の情勢ではイランにあるイル・ハン国へ姫を安全・快適に無事送るには海路を行く必要があると見られ、フビライは随行員の選定に頭を悩ませることになったのでした。一方、これを機会と見たポーロ兄弟はフビライに、『自分たちは旅慣れており、しかも船にも精通したヴェネツィア商人であるから随行員に加えてくれ』とアピールします。
お気に入りのポーロ家の者を手放したくないフビライは渋るのですが、実際困っていた事もあってかポーロ一家はなんとかフビライを口説き落とすことに成功します。

こうしてイル・ハン国への随行員となったポーロ一家は海路ペルシャ湾へと向かいます。
しかもこの時の船は4本マスト・2~300人乗り・60室・しかも浸水に備えて10数区画もの船倉構造からなるヴェネツィアでも見たことのない超大型船が10数隻という大型船団だったと伝わっています。この記述により、当時のモンゴルというか中国ではヨーロッパの海洋国家にも負けない造船技術と航海技術があったらしい事が分かるのですが、それにしても大航海時代の200年以上前にしては凄すぎ・・。まあ、この話が本当なら、その後元から明の時代になって行われた鄭和の大航海も、そう突飛な話ではないと言うことにはなりそうですね
さて、このイル・ハン国への大船団、中国を出てマラッカ海峡回りでインド洋を横断し、ホルムズからタブリーズへとイル・ハン国に無事到着します。その後ポーロ一家は随行員一行から理由を付けて抜け出し、予定通り黒海からコンスタンティノープルを経て25年ぶりに帰国する事ができたのでした。


(その後のこと)
対ジェノヴァとの戦争でマルコ・ポーロは捕らえられ、獄中でマルコ・ポーロが口述したのをルスティケロが東方見聞録(世界の記述)として本にまとめて発表します。
当時のヨーロッパの常識からすれば到底受け入れられないほど奇想天外だった東方見聞録の記述はマルコ・ポーロを嘘つきもしくは変人扱いさせる事になってしまうのではありますが、実際旅行者・航海者にはよく読まれることとなり、中国や黄金の国ジパングの噂が大航海時代への扉を開く一つの原動力となったのは言うまでもありません。
更に言えば、モンゴルというこれまで聞いたことも無いような外圧が突如としてヨーロッパに押し寄せ、その反動というかリアクションの一つが真っ先に世界へ飛び出していったこうした民間の商人達であり、そこから時間を掛けてヨーロッパはゆっくりと閉鎖された扉から外へ出て行く事になったのかも知れませんね。


(あとがき)
本来もう一回は書きたいところなのではありますが、既に12回と打倒ブログでも最長のシリーズとなって来てしまったので、モンゴルについては一旦ここで筆を置きます。
恐らく彼らについては今度は別の角度から書くことにはなりそうなのですけどね^^
長いこと見ていた方々、ありがとうございました、なにかお気づきの点がありましたらまだ調べたい部分でもありますので良ければお知らせ下さい。

※追記
 『蒼き狼の末裔たち』で一個カテゴリー作りました

おしまい。

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 ありがとうございました(ペコリ
  1. 2007/08/09(木) 08:55:05|
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蒼き狼の末裔たち その11

プラノ・カルピニの大旅行

(その後のヨーロッパ世界は・・)
モンゴルの襲来が去って2年後の1244年、
再びヨーロッパ世界は教皇と皇帝の争いが激化していました。
攻撃を再開した神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世により身に危険が迫った教皇はフランスの
聖王ルイ9世の庇護によりイタリアからリヨンに移り、翌年この地で公会議を開催します。
この、皇帝との対決姿勢を鮮明にした史上有名な1245年のリヨン公会議で決議された事の一つに、当然ながらモンゴル対策も含まれていました。

一方、これに先駆けて東ヨーロッパからモンゴルに関する情報を集めていた教皇イノケンティウス4世は、公会議の前後にモンゴルへ調査を兼ねたいくつかの使節を派遣しています。
いくつかのグループは海上ルートでレパント方面を通って東に向かいますが、その内の一つのグループだけは陸路で東ヨーロッパを横断してモンゴル領へ至るルートを取りました。

(プラノ・カルピニのジョヴァンニ)
実は、その中の一人が後に報告書『モンゴル人の歴史』を書いたプラノ・カルピニ出身の修道僧ジョヴァンニだったのです。後に単に出身地をとって 『プラノ・カルピニ』 と呼ばれるこの老修道僧は教皇の書簡を預かっていて、『なんとしてもこの書簡をモンゴルの王へ直接手渡すこと』 という最も困難な使命を受けていました。(以後ここでもカルピニと呼びますね)
このカルピニは元々外交官で、更に東ヨーロッパへのフランチェスコ会の布教もしており、
この方面の君主や聖職者たちとのかなりの人脈を持っていたともいわれます。
さて、リヨンを出たカルピニは、ポーランド→ワラキア→旧キエフ公国という、モンゴル軍の通った東ヨーロッパを逆に横断するルートを通り、この地の惨状を目撃したといいます。そして途中みやげ物とする毛皮など仕入れつつ(モンゴルでは遠来の使節はみやげ物を持って行くと行かないとでは対応が全然違ったらしい)、何度も誰何を受けながらバトゥの本拠地サライへ赴き、遂に彼と会見して親書を手渡す事に成功したのでした。、
教皇からの親書を見たバトゥは、『彼らはカラコルムへ赴いて大ハーンに謁見すべし』と判断したのか、わざわざ護衛部隊を付けてモンゴルの首都カラコルムへ送り出します。
この時既にモンゴル帝国は宿駅制度を設立しており、帝国中を移動する者の利便を図るため馬の乗り換えや食事・宿泊・移動に必要な物資の補充が出来るよう各所に施設を整えつつありました。こうして、1日平均50km以上と言うかなりのハイペースで5000km以上もあった中央アジアを横断し、カルピニらの一行はカラコルムに到達します。

(カラコルム)
1246年の夏、
折りしもカラコルムはグユクの大ハーン即位の式典の真っ最中でした。
この式典に列席したカルピニ達は、かなり待たされ・しかも相当にぞんざいな扱いを受けた挙句にようやく大ハーン・グユクと面会し、教皇からの親書を手渡すことができたのでした。
(どうやらみやげ物の毛皮は既にバトゥに渡してしまって手ぶらだったらしい)
ところが何を考えていたか、この時の教皇の文面は、
『きみたち野蛮なモンゴル人が攻撃をやめるならキリスト教の洗礼を受けさせてあげるよ!』
という態度のでかいものだったらしいのですが、
大ハーン・グユクは特に激怒することも無く、余裕しゃくしゃくでこう答えます。
『それはそうと、お前らおとなしくこっちに出向いて臣従したほうがえーよ?』
どう見てもかみ合ってません・・・。

さて第一の目的を達することの出来なかったカルピニですが、彼らの目的は他にもありました。
ほとんど謎だったモンゴル人の実情、特に政治と軍事の動きを掴む事、更にモンゴル人の風習・宗教などの観察も重要な情報収集でしたから、この滞在は実に貴重な時間だったでしょう。
ところで、キリスト教そのものは既にモンゴル人社会に既にある程度受け入れられていました。
但し、広まっていたのはローマが大昔に異端としたネストリウス派の流れを汲むものだったのです。例えば、かつてテムジンとモンゴル高原の覇を競ったケレイト部族の長トオリル・カンの妻は熱心なネストリウス派キリスト教の信者だったとも言われますし、その後その娘を側室に加えたのがチンギス・ハーンなのですから、宮廷にキリスト教を否定する雰囲気自体は少なかったでしょう。
そして、グユクとの面会を段取りしてくれたチンカイという人物、
元は耶律楚材の副官だった大臣クラスのこの高官もキリスト教徒だったといいます。

(報告書)
結局ここでのカトリックへの布教活動は上手くいかなかったカルピニたちですが、
なんだかんだでかなり詳細なレポートを書き上げて帰国し、史上最初のモンゴル帝国からの書簡を受け取って教皇へ届けられ、この書簡は現在でもバチカンに保管されていると言います。
特に、チンギス・ハーンはプレスター・ジョンでもダヴィデ王でもなく異教徒の帝王であること、
モンゴル軍が十・百・千・万という単位によって編成され・高度な戦術を身に付け訓練された集団であること、他にも宗教面や民族の特徴などなど、これまでヨーロッパ人がほとんど知らなかった詳細な情報を持ち帰って現実を突き付けたことは非常に大きな功績だったでしょう。
そしてカルピニはモンゴルの脅威についてこう結論付けます。
『もし再度モンゴルの侵攻を受けるなら、その時は全ヨーロッパが一丸となって立ち向かわなければ到底撃退は出来ないでしょう』と。

こうしてプラノ・カルピニが報告書として書き上げた『モンゴル人の歴史』は、第一級の資料として今も高い評価を受けるだけでなく、当時のヨーロッパ世界に伝わっていた間違ったモンゴルの見方を大幅に修正するものとなったのでした。

これ以後、他の使節や旅行者等の持ち帰った情報も次第に集まり始めます。
そしてこのヨーロッパの東に誕生した巨大な帝国への交流が本格的に始まり、
世界はモンゴルという枠組みを受け入れて動き出したのでした。


次回はDOLにも関係の深い人物が登場する予定です。
まだまとまらないけど、ようやく大航海時代に繋がってきたかなぁ・・。



おしまい。

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  1. 2007/08/07(火) 07:39:17|
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我が家の旗に。

そろそろ書きかけのモンゴル編のまとめに入っていくつもりだったのですが、
今日は急遽差し替えで日誌です。シリーズのほうはと言うと、前回分までで事前に書いていた原稿が尽きちゃってるので資料見ながら書き起こしている所でもうちょっと掛かりそうですね。

さて土曜日の夜に行われためけさん主催の模擬イベントの前の事・・。
時間調整も兼ねてジェノヴァ付近を回って海事しててある艦隊を拿捕したところ、、、

グリフォンを入手しました!

あ、あれ??
(ほとんど予期してなかったのでSSとってないw)
それにしても、恐らくトータルで20隻以下と今までそんなに狙って狩ってるわけではないし、
収奪スキルもごく低いRANKですからとにかく運が良かったのでしょうね。
でも、嬉しいものは嬉しい!
一般的にはもうグリフォン紋章はそんなにレアな部類の物ではないでしょうが、
私にとってはかなり特別なものが自力で取れたのがとても満足度が高いのですね^^

グリフォン02
早速付けてみました。

グリフォン01
戦列だとジブで紋章がみづらいので、あえてバルティック・ガレオンに付けてます。

特別ってのはまあ、グリフォンは私のキャラクタの由来ともなっている
古代カルタゴ・バルカ家の、紋章と言うか旗のモチーフだったからですね。

それにしても、SS撮る為に画質最高にして拡大して見たのですが、
海綺麗ですねー
しかもこの軽さでこの画質は! と、改めて感心しました。
思わず星空や夕陽など見たくなって無意味にぐるぐる海上回ってしまいましたよ^^);

おしまい。

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  1. 2007/08/05(日) 22:20:31|
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うちの金庫の中身 ハミル編

pepeさんのところで出ていた貸金庫地雷。

自分どうだったかなぁと思いつつ見てみると、ホントどうでもいいものばっかりだわw
人様に見せる価値があるか甚だ疑問ですがこんな・・。

金庫070803

・エパメイノンダスの鎧
 戦術+2装備ですね。これはいまやってる海事修行用のスペアです。
 古代系の鎧だとこいつが一番補充しやすいのがいいところ^^
 
・スキピオの兜
 これも戦術+2装備。
 同じく修行用のスペアですが耐久250はなかなか減らないですね。
 選択肢がないから本来は敵の兜かぶってますが、なんか出ないかなあ。
 
・船大工ののこぎり
 造船・工芸の必須アイテムです。が、装備したまま出航して壊したこと2回・・・。
 こないだ5本掘ってきて2本はキープしたのでちょっと安心かもw

・船大工の金づち
 これも鋳造もち必須アイテム。非優遇職でも副官+アクセで鋳造R12でき、
 大船尾楼・ペリエ砲・JB部品などなどあると生産に幅が出ます。
 で、こいつも1本壊してます。更に今のも耐久2なのでこないだ予備1本掘ってきました。

・サラディンの剣
 これも戦術+2装備。一時皿剣は5本持ってましたが残り2本、また取りに行かないとだナ。
 上記一式とアクセ装備して戦術+7ブーストするのが私の海事修行で理想的なスタイルです。
 『え、なんで突撃じゃないの?』とお思いでしょうが、船大工なることも考えると、
 白兵スキル1枠だと戦術なんですね、それにここは一応バルカ家RPのこだわりなのですハイ。
 そもそも突撃持ってたけど砲撃スタイルに移行するときに6か7で切っちゃったし。。。

・メインフルリグドセイル×5個
 いま海事修行中なので、メイン帆はしまって戦闘帆使ってます。
 自分で作れるけどメイン帆は取られるとめんどいので海事中は大体こうしてますね。
 
・大スパンカー×2個
 これも同じく作れるけど取られるとめんどい船部品。
 海事中は大船尾と入れ替えにしています。

・名工の大工道具×799個
 模擬やらないからあんまり使わないので、海戦何回分かはまだ結構持ちそうです。
 ただ、大海戦が頻繁にあるようだと、耐久底船を回復させるのが意外に負担になるのかも。

・撤収の鐘×387個
 大海戦の支援用にプリマスで作ってたらいつの間にか999個貯まってしまい、
 先週の大海戦で600個ほど売ってもまだこれだけあります。
 いま海事修行やってますのでこれはとっとと枠空けたいたいところです。
 つかですね、欲しい人いたら差し上げますヨ。

・カテ1×999枚
 持ちきれなくてあと100枚ちょっとバッグに入れてます。
 カテ1については料理・縫製共に使う重要な消耗品ですし、
 新パケ『CDS』(略がわからんw)で牧畜の新職業出るらしいからこれはちょっと期待です。

・カテ2×412枚
 マルチ生産者ですからカテ2も当然使います。
 工芸上げ2回・鋳造上げ1回してもまだこれだけ残ってるのでもう1キャラ育ててもいいかもw

・カテ3×912枚
 たぶんこれが一番の資産かなぁ。縫製持ちですので溜まる分には大歓迎です。
 でも繊維R12から先にはもう上がる気がしませんので最近やってない・・。

・依頼書×975枚
 冒険やってたらいつの間にかMAXまで溜まっちゃいますよね。
 さすがに枠もったいないので余った分はちょくちょく売ってます。

・魚介のピッツァ×999皿
 もう常備食と化してますし、なくなるとつい補充しちゃうのでちっとも減りません。
 鳥○とどっちかに決めればいいのに・・。

・牛肉のケバブ×697皿
 えーとこれ、プレステ・ジョアンのイベントに使ったやつですねww
 なぜこんなにあるかというと、作り出したら止まらなくなっちゃって1000食超えちゃった
 からなのですが、最終的に配りきれなくて不良在庫化・・・。
 最近やっと海事修行で減ってきたよw

・クスクス×979皿
 いすぱにゃんはハーブソルト作るのが楽ですし、家畜持ちな為にマグステやマニソバよりも
 こっちを愛用しています。海戦よりも支援もらってベルベ織る時とかで豪快に使ってますね。

・鮭のムニエル×408皿
 こ、これは副官料理に使うやつです、、、
 実は最近まで金庫は副官料理の素材で埋まってましたが、海事の為に素材の多くは
 サブキャラに預けています。その数まだ1万食近くあるけどどうしよう。。。 

・鶏丸焼きニンニク詰め×999皿
 また料理だよww 鳥○は他にも自宅と2NDに各999皿あってさすがに鮮度が心配に。。。
 実際船や部屋に積んでたらすげーニンニク臭そうでどうかと思いますなぁ。


(感想)
なにこの消耗品の山・・。 
どう考えてもアイテム管理が出来てません。
無計画に生産ばっかりやってるとこうなりますって見本ですね。
それにしても、自宅が強化されたおかげでだいぶ楽になりましたねえ。
特に耐久の削れる装備の保管には重宝してます。そう考えると、どこの町からも出し入れできる貸し金庫は流動資産の運用に使ってもいいのかなと思っても見たり、、うーんまあ、これを機にちょっと見直ししてみよっかな!
pepeさんお題ありがとでした~。


おしまい。

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  1. 2007/08/03(金) 14:09:33|
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来週も大海戦はあるのか!?

どう思います?

今日の夕方になれば判明しますが、
ネーデルだけまだやってないで新パッケージに移行するのかどうか・・・。
やるタイミングとしてはもう、8/10(金)~12(日)か、8/17(金)~19(日)しかないですね。

つかもう、、、ちょっと疲れた。。

先週は3日×3時間まるまる戦場ぐるぐる回って補給物資の供給やってたせいか、
まだ目と肩が痛いです。
これで対象港は東南アジアです! とかそーゆーのはやめようね^^);
ほんとやめよーね・・・。

  1. 2007/08/01(水) 08:43:44|
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蒼き狼の末裔たち その10

ヨーロッパ編-4  そして・・・。

10万のハンガリー軍に対してわずか4~5万のバトゥ軍が死闘を繰り広げる中、
ようやく援軍を率いて到着したスブタイですが、さすがに戦場の見極めには長けていました。
彼はここで指揮下の騎兵3万をバトゥとは反対の東に回し、同じく半円形に軍を展開させます。
こうして、優勢なはずのハンガリー軍10万が気付いたときには既にモンゴル軍による包囲網は完成し、戦場は一方的な包囲殲滅戦に移行していたのでした。

サヨ川の戦い02_400

退路を絶たれたハンガリー軍が次々と倒れる中、ハンガリー王ベーラ4世はここで残る直衛の騎兵を突撃させてなんとか一部を突破させて脱出に成功するのですが、残されたハンガリー兵たちの運命は既に絶たれていました。こうして翌朝、モヒー平原はハンガリー兵の死体で埋まり、更に包囲網を突破したハンガリー兵も速度で勝るモンゴルの軽装騎兵に追われて次々と弓矢の餌食となります。資料の記述では『まるで石切り場の石のごとく』とあるように、ペストの町まで続く街道沿いには戦死したハンガリー兵が連なるように倒れていたと言います。
結局この戦いでハンガリー軍は6万人以上もの戦死者を出して壊滅・四散し、国王ベーラ4世は逃げに逃げて、アドリア海の小島に隠れたともオーストリアの修道院に逃れてそこで同じく敗北したポーランドの大公と顔を合わせたとも伝えられています。その後、ブダ・ペスト両市も落城し、ハンガリーはモンゴルの手に落ちたのでした。

バトゥ07
(1242年のモンゴルの勢力範囲)

こうしてわずか2日かそこらで東ヨーロッパの2大国はモンゴルの前に敗れ去ります。
ここから先の西ヨーロッパ各国は全く準備などしていない状態で、しかも季節はまだ春先、
ポーランドに向かった別働隊も10日程でバトゥの本隊に合流したという状況ですから、バトゥがその気なら一気に大西洋まで突き進んで欧州全土を制覇することも充分可能と思われました。

このような情勢ですから、さすがに『彼らはプレスター・ジョンの王国の軍かも・・』なんて一部に楽観的な希望を持っていた西ヨーロッパの政・教の各指導者たちの思いは、敗北を伝えた各騎士団の帰還者やハンガリー・ポーランド両国の残党の報告によって木っ端微塵に打ち砕かれることになります。
結局バトゥは1241年の冬まではそれ以上に大きく軍を動かすことはぜず、もっぱら兵の休息と訓練、そしてこの先の各地方へ斥候を兼ねた小部隊を送って情報収集を行い、更にポーランド・ハンガリー・更にトランシルヴァニアやワラキア地方など制圧した国々の押さえに努めます。
送り出した先遣隊はというと、イタリア方面はヴェネツィアの東100kmほどの地点からアドリア海の沿岸まで、オーストリア方面はウィーンの手前まで到達したのが目撃されており、これらの隣接地域は完全に次の標的になると見られていたのでした。ところでこの期間中、王家の中でも有力な後継者と見られていたグユクやモンケをはじめ数人の王子が帰国してしまいます。バトゥとグユクの不和はこの頃既に深刻な状況となっていたとも思われ、これが後に意外な展開を見せることになるのでした。

さてこんな状況の中、当然ながら西ヨーロッパは大混乱に陥ります。
当時のローマ教皇グレゴリウス9世は十字軍を宣言し、皇帝フリードリヒ2世はヨーロッパの各王室へ手紙を出してこの危機への団結を訴え、各国の防衛の準備と迎撃のための兵の集結を促したのでした。しかも『対モンゴル戦には自らが全軍を率いて立つ』と宣言してまで、です。
ヨーロッパの主要都市では防衛施設の整備や兵器の生産・食糧の備蓄が始まり、
各諸侯国は兵の参集を図ったのですが・・・
その後、各地からフリードリヒ2世の元に届いた報告は彼だけでなく関わった者全てを落胆どころか絶望へと追いやります。なにしろ各国の防備・戦力を見積もった結果、西ヨーロッパ全土が防備を整えても恐らくモンゴルには歯が立たないことがほぼ明らかになったのですから・・・。
そして冬になりドナウ川の川岸の一部が凍結した事を好機と見たモンゴルの一部の部隊はウィーンへと進軍を開始します。この時のオーストリア大公はハンガリー王が救援を求めたにも関わらず逆に領地や財産の一部を奪っていったような人物だったらしく、当然と言うかなんと言うか、自身が救援を仰いだ時にはヨーロッパ中どこからも援軍など現れなかったのでした。ノイシュタットなどウィーン南東から南西部に掛けての田園地帯がまず荒らされ、翌1242年の春にはモンゴルの先鋒がウィーンの郊外に到達し、ほとんどまとまった戦力による抵抗も受ける気配も無いままに東に続いて中央ヨーロッパの征服が始まろうとしていました。

(事件)
ヨーロッパが恐怖に震えている頃、モンゴル本国では大騒ぎになっていました。
もともと大酒飲みで美食家な大ハーン・オゴデイが不摂生な生活の末、遂に亡くなったのです。明けて1242年の5月頃には、知らせは遠征中のバトゥらの将帥にも届き、オゴデイが後継者を公言していなかったこともあって、大クリルタイを開くべくモンゴル軍は撤退を始めます。
もはや世界最大の勢力となっていたモンゴル帝国からすれば、一地方に過ぎないヨーロッパの事など後継者争いを前にしてはどうでもいいに近い瑣末な案件だったのかも知れません。

(その後)
こうしてヨーロッパの危機は一時去ります。
撤収といってもめちゃくちゃ荒らしまわるわけで、住民にとってはたまったものではありませんでした。帰りはアドリア海沿いに並ぶ国々から黒海の北岸を通り、カフカス地方を横切ってカスピ海まで達した所でバトゥは一旦そこに留まります。
と言うのも、バトゥより先に本国に帰ってしまっていたグユク達らによってこの時既にモンゴル王家の後継者争いは激しさを増していて、後継候補であるオゴデイの子グユクとトゥルイの子モンケの2人のどちらを支持するかで親族・部将たちの間も真っ二つに割れていた為、バトゥとしても事態を見極めて対応する必要が有ったのでしょうね。
何しろ、チンギス・ハーンの兄弟の世代も子供の世代も既に亡くなっていて、時代はチンギスの孫の世代に移っており、この時点でチンギスの長男ジュチ家の中でも年長者であるバトゥはチンギス・ハーンの一族全体の最長老格になっていたのです。
しかも今回の遠征軍の総司令官として大成功を収めたバトゥの勢威はもう並ぶ者の無い第一人者としての地位を確固としていました。このバトゥ自身はモンケを支持していたのですが、数年後に開催されたクリルタイではバトゥと対立するグユクがバトゥ不在のまま大ハーンに選ばれ、更にそのグユクも父と同じく不摂生な生活の末に亡くなり最終的にモンケが大ハーンに就きます。
この間バトゥは放棄したハンガリー以東の征服地域を固めに入っていて、これが後のキプチャク・ハン国(ジュチ・ウルス)の広大な領地として定着することになります。バトゥが首都に選んだカスピ海北西部の町サライは東西世界の中継点として様々な人物がここを通過してゆくこととなったのでした。

次回はその後の世界とようやく交流が始まった東西を結んだ人物たちの紹介などしつつ、
このシリーズのまとめに入って行きたいと思います。この辺をちゃんと書けばこの間のプレステ・ジョアンのイベント最後の部分の補足にもなり、更には大航海時代そのものに関連のある話にも繋がってくると見ていますが、さてまとまるかどうか・・・。
なんだか知らないうちに打倒ブログ中でも一番長いシリーズになりつつありますが、、
もうちょっと続きます。(無意識に 『続くのぢゃ』 と書こうとして止めたのは秘密ですw)


つづく。

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