打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

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私はいったい・・・

器用貧乏な航海者

昨日はバザー用の海事品の用意をした後、
紹介受けてからもう2日も放置していた地図職人の転職クエストをやりに行きました。
冒険職で行けばいいのにと思いつつ武器商人のまま、ね
達成してセビリアに戻り、アパルタメントの書類欄が転職証で埋まっているのを見てたら
先日商会で 『転職紙マニア』 とか呼ばれていたのを思い出し、
『そんなことはないだろ~よ』と思わず全部引っ張り出し、バインダーのと併せてどんなもんか見てみると・・・

転職証16枚

16枚とかあるしww
なんだかなぁ・・・。

(手持ちの転職証)
海事ギルド登録証
製図許可証
発掘許可証
考古学論文
貴金属取引許可証
宝石類取引許可証
戦功章×3枚
戦略戦術認定書
砲術目録
香辛料取引許可証
一級菓子職人免状
一級鍛冶職人免状
錬金術入門許可証
一級酒類取扱免状

冒険系3枚、交易系7枚、海事系6枚とバラバラなあたり、
見てると自分が何者なのか段々分からなくなってきます・・・。
これに盗賊と武器商人の転職証はだいたい持っていることが多いのですが、そろそろ計画的な育成ってもの、もうちょっと考えた方がいいんでしょうね。


さて、次回のエントリーは先日ちょろっと書いたように、
この間まで取り扱っていた 『蒼き狼の末裔たち』 シリーズの続編に着手する予定です。
10月の新連作クエにも登場する 『アイン・ジャールートの戦い』 を中心に、周辺とかも書けたらいいなと漠然と考えている段階ですが、資料の読み込みと整理に時間が掛かっている段階ですので、ここでちょっと歴史系のものについての更新は間が開くかもしれません。まあ、打倒ブログにとっては重要なシリーズに育ってきていますし、これを書くなら手は抜かないつもりですのでしばしお待ちを。



おしまい。

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  1. 2007/11/27(火) 07:39:16|
  2. 活動日誌
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販売型の生産者って

コペンハーゲンにて。

コペン071124
いつもの事ですが、今日もコペンはこんな感じで非常に静かでした。

さて、区切りの第30回となる来週の能登大海戦はこのコペンが濃厚という事で、
またしてもいすぱにゃんはヒマぽとなりそうな気配ですねぇ。
それにしてもポルトガルは、今年6月までの半年に及ぶ海戦お預けという異常な状態から脱したと思ったら、その後は24~29回まで6連続して出場し、(しかもCDS導入直前の3連戦も乗り切ってw)しかもその間どんどんと大海戦の結果も向上するなど戦力を充実させつつあるという恐るべき状況に入りつつあるように思えます。

まあ、暇なら暇で私は海事品の生産に精を出す訳でして、先週作った大船尾・大スパンカ・ファフニール像など70個以上の海事向け生産物もおかげ様で既にほぼ売り切っています。
BC期間中はほとんど交易してないのに、生産物の販売で収入だけはそこそこ維持できているのは非常に有難かったです、また来週も兵器の販売で大もうけじゃぁぁwww
・・・などと死の商人みたいな腹黒い事を考えないでもありませんが、実際のとこ需要はかなりの水準で推移している気がします。そして次の週にはユーザーイベントによる模擬大会『ラフロータカップ』が控えており、出場予定の各艦隊は既に日々の模擬に精を出しているわけで、公式/ユーザー双方の海事イベント前から売れるものは売れる、そんな状況になっています。

さてこのラフロータカップ、今週の能登ラジでも取り扱っていたくらいに久々の大規模大会になりそうで、私の所属している商会からも出場予定者が。当然、商会メンには出来る限りの支援をするつもりなので、消耗品の類とか必要なものについては折を見てちょこちょこ溜めていこうかなっと。でも模擬軍人の人、普段からこういう細かい物の調達もやっているとなると、かなり大変ですねえ。

まあもともと今週は冒険週間で学問系+1という稀有な特典が付いてる事もあり、ギリギリ足りてなかった冒険クエをできたらいいかなとは思っていたので、当面取りたかった地図職人クエだけはこなしつつ、移動先で生産用の資材を調達するという動きもアリかなとちょっと狙っています。(がぶさん紹介ありがとん)
最後に、そんなこんなで最近は販売型の資金調達を手がけるようになってから、気づくとなんだかんだと馬鹿にならない額が貯まってきていまして、普段あんまり投資や模擬などの大量の資金を使う行動を取っていないものですから、資金的には何かできそうです。一応狙っている事もありますので、手持ちの資金がもう少し伸びるようでしたらちょっと考えてみようかなと思案中ですね。


おしまい。

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  1. 2007/11/25(日) 00:30:28|
  2. 活動日誌
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ルーツ探求 その1

原型がそこにある、かも?

大航海時代ONLINEには、その前身となるオフライン版があるのは良く知られているところですよね?
現在のところ初代~Ⅳまで作られているコーエーの 『大航海時代シリーズ』。
リコエイションゲームという呼び方も懐かしいのですが、ここを経験しているDOLプレイヤー層の存在が、この世界の年齢層の高さにある程度影響しているのは間違いないんじゃないかと思っています。(私もそうですし^^)
まあ、DOL自体がかなり知的好奇心を刺激されるタイトルという事では、他のMMOと比べても異色な存在なんじゃないかなと思います。

さて、これらのオフライン版のうちでも特に評価の高いのが1993年発売の大航海時代Ⅱ。
しかもⅡについては、冒険・交易・海事の名声、投資による影響度と港の発展、そして国籍・敵対度・亡命システム(国籍については、オスマンとフランスが入れ替わっているだけの違い)などなど、これって今のDOLの中核になっている部分の萌芽じゃないのかな?的な部分が多々見られる重要作品です。

個人的にはⅢの方も負けないくらい好きでして、こちらはスキル依存型のキャラ特性や膨大な発見物など、こちらもDOLに繋がる部分が見られます。一般的にⅢはかなり異色の存在と見られているものの、その独特の世界観は他に比較するものが無く、大航海時代ⅡとⅢはコーエーの作品だけでなく今まで遊んだゲームの中でも間違いなくTOP10に入るいい作品だったなあと思っています。そしてこの2作品はいまでも1~2年周期でやりたくなるという点でも共通していて、昨年はⅢの方に衝動が来ていました。そして今回はこれ!

大航海2-01

そう、大航海時代Ⅱですね。
家にあった関連物を引っ張り出したらこれだけありましたw
上から、
ガイドブック=2冊
ハイパーガイド=1冊
WINDOWS版・定番シリーズ(WIN95・98me用)=2枚
スーパーファミコン版=1個
PS版・定番シリーズ=1枚
PC98版(これがオリジナル)=1個

色々あるなあ・・。
他にはⅡの外伝もありますが、これはちょっと別物扱いしています。(DOLにミランダ登場するけどねw)
それにしても上の写真を見ると分かりますが、上段左側のガイドブックと中段左のウィンドウズ版は同じものが2個あったりします。恐らく遊びたくなった時に見つからなくて、衝動で後から買っちゃったと思われますが・・・。
ところで、惜しい事にウィンドウズ版(定番シリーズ)はどうやら現在新品が売っていないらしく、ちょっと調べたら定価1980円なのに店によっては3500~4000円くらいのプレミア価格になっているようですね。
大航海Ⅱについては私と同じく衝動でレトロゲーやりたくなる層って結構いると思うので、ⅠとⅢだけでなくてⅡの再販も宜しくお願いします、コーエーさん。

さて、ちょっとこの大航海時代Ⅱ、ウィンドウズ版を起動してみます。
残念ながらOSがXPですから互換モードでの起動になり、サウンドのドライバが合ってないのか音が出ません。正式対応はWIN-9X系最後となったmeまでですからね。こういうものに備えていちおうWIN-meの入ったノートPCがあるにはあるので、今後のプレーはそちらを外部ディスプレイに繋いで実施するつもりです。

(起動から初期シナリオまで)
dai2-02
んー、この色使いが懐かしい^^

dai2-03
選べる主人公は6人、ちなみにこの全員がDOLに登場していますよん。

dai2-04
6人の主人公のうち、軍人系は2人、冒険者が2人、商人が1人、
そして冒険者よりの万能型というべきジョアン・フェレロ。
で、今回は取りあえずカタリ-ナとか選んでみます。


(スタート)
dai2-05
・・・。

dai2-06
・・・・。。

dai2-07
・・・・・・、^^);;

結論早すぎだろw
なんというかあれです、
 『早合点と言うか勘違いで逆上し、暴走する軍人娘』 というキャラ、
後にどっかでみたような・・・。
とりあえずここまでですが、やって見たくなりましたでしょうか?
ならんよなぁ・・・。

ま、まあ、気が向いたらまたこのレポート続けます。




おしまい。

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  1. 2007/11/21(水) 13:59:48|
  2. 雑学
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BC特需!

今日の2本目です。

土曜日は北海方面で海事品の生産をやってまして、
半日くらいうろうろしてできたのが
メインステイスル=17枚 
大船尾楼=12個
大スパンカー=11枚
ファフニール像=32個
だいたいこんなくらい。
んー、さすがにこれだけまとめて作ったのは私も初めてです。
で、これをある程度売ったり商会の軍人さんからのオーダーでさばいたり、自分でBC出て使ったりしてるのですが、、、、

海事生産01
海事生産02

実はまだこんだけありますwww
どう考えても作りすぎ・・。

でもまあ昨日は大砲在庫の処分を優先して販売してて、
普段より高値で出しても買って頂いてる様にかなりのBC特需になっている模様ですから、
きょうはこの辺も期待して売りに出します。
で、商会員・フレはじめ、『ここ見てるよ~』 って人には格安でお分けしますから、
売ってなくて困ってるようでしたら遠慮なくTELくださいな。


おしまい。

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  1. 2007/11/18(日) 11:31:33|
  2. 鋳造・縫製 その他生産
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意外に周知されていない小ネタ

今日の朝、商会で話していて判明した意外な事実・・。

最大買い付けとか物資捨てる時とかで使う 『CTRL + クリック』 って、ありますよね。
例えば、下のSSのように90個購入可能になっているワインを買うなら、
通常は10個の所を9回クリックするのですが、

ワイン買い付け前

これでワイン10個の所にマウスポインタをおいて、
『CTRL+クリック』 をすると・・・

ワイン買い付け後
10個×9回をワンクリックでやってくれます^^
商人ならまず基本機能で私も自然と使ってますが、改めて指摘してくれたみるきさんGJ!

いつだったか忘れましたが、確か後から実装された機能であんまり説明がなかった為に、
これ知らなかった人が居合わせた商会員の中にも半数近く・・・。
それから新人さんもほとんど知りませんでした。
中には知らないでベルベット織ってた人もいて、かなり愕然としてた模様w
実際、効率が全然違いますからねぇ。

でも、こういう便利機能って多分他にもいろいろあるのでしょうが、私も含めて最初からやってる人でも分かってないことが多いというのは何かしら問題あるんじゃないかしらん??
と、ちょっと思います。
んー、ひょっとしてこういうのって学校でやってたかな??  私まだ全部のスクール過程やってないので不明でして、他にも知ってる便利機能あったら教えて下さい。



おしまい。

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  1. 2007/11/18(日) 10:41:12|
  2. 雑学
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マイレシピの候補は

生産者の応援週間が始まりましたね。

分かりやすいと言うか、さっそく生産修行の主要港では人がやたら多い状況になってるらしく、縫製のオスロ、鋳造のハンブルク&リューベック、工芸のボルドー、調理のオポルトあたりでは来週まで盛況となるのでしょうか。
また、ちょうどBCが始まった事からすると、鋳造が非優遇職でもR13にできる為に軍人のままキャノン砲が生産可能になるというのは、これ結構便利な気がします。特に上級士官の人。
(砲術家だと、マルセイユに行けば簡単に武器商人とスイッチできますから)
そして錬金術。
普段の大変さから考えて、一番恩恵大きいのは錬金術かもですね。
私も錬金術を鍛えるならいい機会かと思いますのでやってみる予定です。


とまあ、生産の時事話から入りまして今日の本題へ。
こんど実装されると言うマイレシピの検討です。
私のように複数の生産スキルを持ってる人ってかなりいると思いますが、
その場合レシピの管理が数十枚単位になっている事も珍しくないんじゃないでしょうか?
集め出したらレアレシピだけでも10枚以上になりますからねえ。
もちろん、身近で手に入る安いレシピなどは当然その場での使い捨てにしていても、です。
そこへ来て今回のレシピ帳作成機能、これかなり助かります。

例えば、
①使うのはほぼ1種類なのに、結構頻繁に使うレシピ
②普段あまり使わないけど入手性が悪いから手放せないレシピ
③安いけどヨーロッパ本国でしか買えず、それでいて辺境で使う事の多いレシピ
④一つの生産工程で複数必要なレシピ群
こういう特性のあるレシピはマイレシピに入れれば、アイテム&バインダー枠に余裕が出来て良さそうですよね。んで逆に、汎用性が高いレシピは手元に残せるわけです。
更に将来10種類まで増えるとなると、普段入れ替えばっかりしていた基本レシピも登録しておく事でその手間も省ける事になり、生産者としては非常に助かります。
それから、生産効率の面ではカスタムスロット1枠に集中させられれば相当に速くなります。
では、具体的にどんな感じになるのか、自分に当てはめて今のうちから構成考えて見ます。


【構成例1:海事系マルチ生産者の場合】
(マイレシピ)
01)マグロのオリーブステーキ
02)ファフニール像
03)追加大スパンカー
04)ハイペリエ砲14門
05)大船尾楼
06)青銅
07)メインステイスル
08)オリーブ油
09)小麦粉
10)魚介のピッツァ

(バインダーへ入れておくもの)
通常大砲強化法
金属系追加装甲作成法
金属精錬の書
火器製作
酒造秘伝・第1巻
酒造秘伝・第2巻

※上記の構成例は、基本的には鋳造メインな私のマイレシピ候補です。
鋳造レシピはかなり使えるものが多く、更に工芸の酒類レシピなどは汎用性が高いので普段からバインダーに入れている率が高いので、マイレシピ選定は主に1種類しか使わないレシピ群の削減が目的となります。


【使うのがほぼ1種類しかないレシピ】
01)マグロのオリーブステーキ
02)魚介のピッツァ
03)ファフニール像
04)追加大スパンカー
05)小麦粉
06)革ひも
07)メインステイスル
08)メインフルリグドセイル
09)ししゅう糸
10)クスクス
11)大船尾楼
※上記は全体を見渡して使用頻度の割りに使うのがほぼ1種類しかないレシピの有力候補で、最初に貰える3枠のうちの1枠はこの中から選ぶと無理なく組めそうに思います。
もちろん、生産パターンが固まっている人なら方向性付けた構成になるでしょうね。
2種類使うレシピでも登録すれば純粋にアイテム枠あけられますから。
次は各スキル別に、自分だったらこの辺をというリスト。


【縫製マイレシピ】
1)ししゅう糸
2)革ひも
3)メインステイスル
4)メインフルリグドセイル
5)追加大スパンカー
※この辺りがレシピ内にほぼ1種類しか使う物の無い、それでいて頻度の高めな生産物です。
生地の書・高級生地の書・素材の書・縫製の書などは汎用性が高いのでバインダーですね。
服については量産するものではないから基本的にはバインダーでしょうが、もはやセビリア名物となったモラ売りの人なんかは絶対に入れるでしょうねw

で、これを例えば星での生産効率特化型にすると・・・
1)ししゅう糸
2)ベルベット
3)羊毛
4)絹生地
5)トルコ絨毯
更に生地の書・高級生地の書・素材の書は持っておくのですが、1枚のレシピにまとめる事でカスタムスロットをカテ3・マイレシピ・料理の3枠で作り続けられるようになります。
これ思ってる以上に速くなると思いますよ。


【工芸マイレシピ】
1)ファフニール像
2)レザーブーツ強化
3)アイアングローブ
4)手桶
5)破壊の大錐
※工芸単独だとこれくらいしか思いつきませんが、採集する人ならジュエリーカットの各章や、水晶+ガラス細工でも面白いかも知れませんね。また、海事を船首像や装甲が手に入りにくい場所でやる場合は追加装甲軽量化法なども候補ですが、水の転用を考えてビール・ラム酒を登録というのもアリですね。


【調理マイレシピ】
1)マグロのオリーブステーキ
2)魚介のピッツァ
3)小麦粉
4)クスクス
5)そら豆のスープ(これいらないかも)
※料理長の肉料理・鳥・羊・牛・豚の章はそこそこ汎用性が高いのでバインダーへ。
(副官料理を作る人は東地中海レシピをバインダーへ)
調理も結構悩みますが、作るものがマグステ・鶏丸・ピザ・クスクス・マニソバあたりに集約されている市場の傾向からすると、このうちの2~3種類で組めればかなり楽になりますね。
工芸レシピの酒類・調味料などは汎用性が高いのでバインダーになると思います。


【鋳造マイレシピ】
①大船尾楼(特大ラム・コーヴァス作りたい人はバインダーへ)
②青銅(真鍮も作りたい人ならバインダー)
③撤収の鐘
④名工の大工道具
⑤ハイペリエ砲14門
※通常大砲強化法・金属系追加装甲・火器製作・金属の書・合金の書はバインダーへ。
火炎大砲・煙幕大砲はお好みですね。
正直なところ鋳造レシピは一般的に入手できる物は汎用性が高いので絞りづらいです。
更に鋳造には剣・槍など強化系レアレシピの存在があるので、枠が増えたら一般品で頻度の高いのは2種類あっても登録して良いかもしれません。

なんだかありふれた構成になってしまったみたいですが、他の人ならどんな構成で考えるか、ちょっと興味深いですね。



おしまい。

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  1. 2007/11/16(金) 16:24:40|
  2. 鋳造・縫製 その他生産
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日々雑感


1)例のプレイヤーズバイブル、
あれって読み込んでいくと、さらっといろんな情報を潜り込ませているんですね~。
例えば先週商会で話してて気付いたのが、JB造船の所で専用艦スキルの解説コラムで
強化舵=旋回+2 の効果がある
耐砲撃装甲=装甲+10 の効果がある
などと、あっさり疑問だったところの答えが書いてあったりします。
『旋回+2にしては向上した感覚薄いなぁ』 とか、こういう数字がどれ位信用できるのかは不明なものの、この本、もうちょっと注意して読んで見ようかしらん? ぐらいには思っています。

2)新クエ
10月の新連作クエ 『ゴリアテ』 ですが、ふと気づいたら 『アイン・ジャールートの戦い』 なんて実装されているんですねー。普段あんまり冒険者やっていないのでおもいっきりスルーしていましたよw これ、こないだまで書いていたモンゴル編で、結果的に分岐点になったイスラムとの戦いなんですよね。わたしも 『蒼き狼の末裔たち』 シリーズの最初と最後のほうでちょろっと書いていますが、最終的にはあれをどこかで集中して書かないとなーとは思っていたので、ちょっとあせりました。なにしろヨーロッパ・イスラム・そしてアジア圏の軍が絡み合う世界大戦みたいな面白い出来事で、もう前段の歴史と周辺情勢までは書いていますから・・・。
とにかくいま、書きたい候補の最上位ですね。


3)錬金術
このところ冒険者で財宝上げやっていて、昨日ようやく錬金術師見習いの前提となるとなる賢者の石クエが終わりそうなところまで来ました。
ついでに冒険LVがいっこ上がったおかげでスキル枠が+1されましたが、これをどうするか目下思案中・・・。
①そのまま錬金術取る →生産者の最終コースへ
②どれか一個切って生物+生態取る  →冒険LV52目指して本格的にやる
③回避か貫通取る  →海事キャラ色を強める
なんとなくここがメインキャラの分岐点な気がするんですよね。
さてどうするか。

そんなこんな考えつつ今日は九州へ出張してきます!


おしまい。

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  1. 2007/11/13(火) 06:44:17|
  2. 活動日誌
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大航海時代前史 その5

シャルル・ダンジューの地中海帝国05
    ~シチリアの晩祷~

(発端)
1282年の3月30日、
復活祭の翌日に当るこの日の夕方、シチリア島の北岸にある中心都市パレルモでは、
教会前の広場には多くの市民が夕刻の祈りを捧げるべく集まっていました。
この時、フランス国内から派遣されたアンジュー伯家の家臣の一団が、酒に酔った風情でこの広場を徘徊し始めます。そしてあるフランス兵士の一人がシチリアの女性の一人にちょっかいを掛け出し、当然ながらその女性の婚約者はこらえ切れずにこの狼藉を止めようとします。気の短い事で知られるシチリア男の手にはナイフが握られていたらしく、ちょっかいを掛けていたフランス兵は刺されてその場に倒れるという事態になります。
そしてこのシチリア人に飛び掛かろうとしたフランス兵の一団はここでようやく気が付きます、自分たちが周囲を怒りに燃えたパレルモの市民たちに囲まれている事を・・・。

こうして教会で祈りの鐘が鳴る中、パレルモ市内は駐留しているフランス人に対する一方的な虐殺に発展してしまったのでした。襲われたのは兵士だけではありません。修道院・行政官・民間人・フランス人と結婚した女性も例外ではなく、一戸一戸尋ねて回ったパレルモ市民はその場でフランス人が苦手な発音とされる『チチリ』という様な単語を発音させ、言えなかったりどもった者を容赦なく殺害したと言います。
結局この暴動で、当時2000人以上いたと見られているパレルモ駐留のフランス人はほとんど一夜にして全滅してしまいます。そしてこれが、後に 『シチリアの晩祷』 と呼ばれ、その後の地中海のパワーバランスを一気に揺り動かす事になる事件の発端だったのでした。
その後パレルモでは各ギルドや地区の代表者たちからなる自治政府が組織され、アンジュー家の旗に代わって神聖ローマ皇帝の旗である双頭の鷲が掲げられると共に、代表者が教皇の庇護を求めてローマへ向かうなど、事態は完全に暴動から反乱・独立運動に発展して行きました。

(飛び火)
『遂にパレルモ立つ!』
の報はあっという間にシチリア全島にもたらされ、フランス人の支配に不満を持っていた多くの都市でも暴動となり、瞬く間にシチリア全島に飛び火する勢いを見せます。但し、コンスタンティノープル攻略に向けて大艦隊を集結させるなど、既に軍事基地となっていたシチリア東端のメッシーナ市はこの時まだシャルルの勢力が健在でした。
イタリア南部に居たらしいこの時のシャルル・ダンジューは最初、一地方の暴動としか捉えていませんでした。ところがその後、パレルモから端を発した暴動が各地へ飛び火し、応援として派遣されたシチリア人の反乱者がメッシーナ市内へ潜入し、4月28日になると内部のメッシーナ市民と共に夜襲をかけ、駐留していたシャルルの艦隊が焼き討ちを受けてほぼ壊滅したと言うニュースを聞いて事の重大さに気付いた時には、既に反乱は手の付けられない状況となっていたのでした。

(反シャルル勢力)
いっぽう、コンスタンティノープルへの攻撃を受ける寸前だった東ローマ帝国の皇帝・ミカエル8世は、以前からシチリアへの工作を行っていた事もありこの知らせに驚喜し、直ちにこれを支援する旨の知らせをパレルモの反乱勢力や反シャルル陣営の者たちへと送ったといいます。
そして、シチリア島のパレルモほか周辺都市の代表者は会合を行い、自分たちの王にとある人物に出兵を要請するのでした。
ある人物、それは、当時のアラゴン王・バレンシア王・そしてバルセロナ伯であり、
シャルルに滅ぼされて断絶したホーエンシュタウヘン家最後のシチリア王だったマンフレートの王女コンスタンスを妻としていたペドロ3世でした。
アラゴン王家はもともと、代々その傍流がプロヴァンス伯家の相続をしており、ペドロ3世の先代でシャルルにそのプロヴァンス伯家を奪われた事と、更にアラゴン王家の一族内でバイアレス諸島やモンペリエも領有するなど西地中海でも最大規模の勢力を誇っていた事もあり、反シャルルの陣営では最有力の人物と見られていたのでした。

そして、もともとシチリアを狙っていたアラゴン王・ペドロ3世は、シチリア市民からの支援要請を機に一気に動きます。6月3日にアラゴン兵を乗せた船団がイベリア半島東端近くのファンゴスから出撃して20日足らずでシチリア島に上陸し、援軍を率いてナポリから到着したシャルル・ダンジューの軍と8月に掛けてメッシーナ攻防戦を繰り広げる事になります。
その後、9月になってアラゴン王ペドロ3世の大艦隊がシチリア島に到着し、パレルモ政府からシチリア王の冠を受けます。
旗色の悪さを悟ったシャルル・ダンジューは、この時ペドロとの決戦を避けてシチリア島から撤退します。翌年以降は残存兵力をもって反撃に転じるのですが、1284年にはプロヴァンスから出撃したシャルルの艦隊がナポリ沖での海戦の結果アラゴン艦隊に惨敗し、シャルルの息子も捕虜に取られるなどしてシチリア王位は完全にアラゴン王家に移ったのでした。

シャルル・ダンジュー_1282年_W1000
(1282年、シチリアの晩祷発生後のシャルル・アラゴン・東ローマの各勢力圏)

(終幕)
シチリアを失い、実現寸前だったコンスタンティノープル攻略軍の計画も完全に頓挫したシャルル・ダンジューは尚もプロヴァンスとナポリを保持し続けたものの、シチリア失陥と海戦での敗北、更に南イタリアでも暴動が起こってカラブリア地方を放棄するという痛手が癒えぬまま、失意のうちに翌1285年に病死します。
また、窮地を切り抜けた東ローマ皇帝ミカエル8世は1282年に、更にシャルルに利用される形で結局は十字軍の権威を失墜させてしまった教皇マルティネス4世、そしてシチリア王位を手に入れたアラゴン王ペドロ3世など、主だった関係者たちはシャルルと同じ1285年中に亡くなり地中海の表舞台から姿を消す事になります。

(その後のシチリアとアラゴン)
シチリア王位は大航海時代が始まる直前の15世紀初頭まで、代々ペドロ3世のアラゴン王家が保持します。そしてアラゴン王位が母系を通じてトラスタマラ王朝に移り、16世紀の初頭になってアラゴン王フェルナンド2世とカスティーリャ女王イサベルが結婚して事実上のスペイン王国が成立すると、シチリア王位もそのままスペイン王家が相続する事となったのでした。更にアラゴン王家は途中でナポリの王位も継いでおり、大航海時代当時のスペインはシチリアとナポリの両王位をも保持していたのでした。

もうだいぶ昔の事になりますが、DOLの開始直後からイスパニアがこの地方に影響度を持っていたのは恐らくこういった背景を考えてなのでしょう。またDOLでナポリにいる国王フェデリーコさんは、アラゴン王フェルナンド2世の叔父で1501年までナポリ王だったフェデリーコ1世あたりがモデルな気がします。(クルス・デル・スール視点だと、1522年当時のナポリ・シチリアの王位は、ハプスブルク家出身のイスパニア王・カルロス1世ですね。)
とまあ、本来は同盟港じゃなくて領土でもいいんじゃないかな?とも思っていましたが、史実どおりに港の設定してたらイスパニアの領地が多くなり過ぎてバランス崩れるから調整したんでしょうし、他にも領地の取り扱いに疑問符の付く港はありますよね。

そしてシャルル・ダンジューの地盤となったプロヴァンス地方は、シャルルの進出などを機にフランス王家の一族による支配がローヌ川の東岸へと伸びた事で次第にフランスの影響が強まり、その後も様々な経緯を経て1498年以降フランス王国内へと併合されてゆきます。また、最も東端に位置するニースなどは15世紀以降、後のイタリア王国の前身となるサヴォイア公国領となっていたものの、これも19世紀の初頭にはフランス王国へ帰属する事になります。

現在のヨーロッパの枠組みそのものは17世紀の30年戦争後に行われた1648年のウェストファリア条約でほぼ固まったと見られますが、先進地域である地中海においては中世に分類される13~14世紀当時には相当に現在への道筋が見えつつあったように思われ、今後このシリーズでも大航海時代までの北と南・そして東ヨーロッパの体制比較とかの視点を持っても面白いかなと思いますね。

予定よりちょっと長くなりましたが、シャルル・ダンジューを巡るお話はこれで終わります。


おしまい。

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  1. 2007/11/10(土) 14:52:58|
  2. 歴史ネタ
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大航海時代前史 その4

シャルル・ダンジューの地中海帝国04

カペー朝・フランス王家の直系とはいえ、一介の伯家の相続者に過ぎなかった聖王ルイ9世の末弟シャルル・ダンジューが、教皇と皇帝の争いに乗ずる形で南イタリア・シチリア王となった所までは前回書きましたね。今回は、いよいよ地中海世界に覇を唱えようかと言うところまで成長していくシャルルの活動について引き続き追ってみます。

(十字軍)
1270年、
兄の聖王ルイ9世と共に十字軍に参加してチュニスを攻撃し、一定の権益を獲得します。
シチリア島の対岸部分に自分の影響を及ぼすことは経済的・軍事的・政治的にも自領の安全に繋がる事ですから、ここは信心深い兄を促す形で十字軍の名の下に参加した側面もあるでしょう。この時の結果は病気が蔓延したり兄のルイ9世が亡くなったりで途中で和睦して主力は撤退する事になります。とは言え、シチリア王国としてはキリスト教徒の保護や貿易権の確保などは取り付けることが出来たため、シャルルは安心して自国の軍事力を他へ振り向ける事が出来るようになったのでした。

(東地中海での活動)
地中海全域で精力的に活動を始めている為に時代は前後しますが、
シチリア王国を手にした1267年以降、シャルルは婚姻による勢力拡大も狙っていきます。
まず後継ぎのいないギリシャのアカイア侯国の娘と自分の長子を結婚させ、次いで娘をラテン帝国の最後の皇帝だったボールドヴァン2世の息子に嫁がせて後にラテン帝国の相続権を手に入れます。更に先程のチュニスへの攻撃の後で和睦したシャルルを含む十字軍は、エルサレム目指してアッコン方面へと移動しています。そして、かつて倒したホーエンシュタウヘン家(の皇帝フリードリヒ2世に嫁いだエルサレム王女)がエルサレム王国の相続権を持っていた事を理由に、『勝者の権利』と称してエルサレム王位も主張し、後にこれも手に入れています。
更に実際の軍事行動としてはバルカン半島西部のアルバニア・エピルス一帯へ兵を送り、コルフ島を含むアドリア海沿岸部を制圧してアルバニア王位を手に入れます。
またハンガリーやイル・ハン国へも婚姻を持ち掛け、セルビアとブルガリアへは使節を派遣して対東ローマの共同戦線を張る協定を結ぶなど、10年以上に及ぶ東地中海方面での活動の結果、シャルルはバルカン半島一帯における一大勢力へとのし上がっていたのでした。

(アルル・ブルグント王国)
また、この頃から自領プロヴァンスも属するアルル・ブルグント王国内への干渉を強めます。
まず1257年の時点で、シャルルはアルル王国内の有力諸侯であるドーフィネ伯領の一部を支配し、その後アルル王国自体の摂政位も獲得しています。この前後の時代は本来の主君である神聖ローマ皇帝が長く空位となっていた時期でもあり、元々帝国への帰属意識が薄かったアルル・ブルグント王国はシャルルにとっては進出するのに都合の良い情勢でした。
そして1273年になってハプスブルク家のルドルフが皇帝となり、アルル王国への宗主権を主張して来た時は、交渉によってプロヴァンス伯領そのものは守りつつ、臣従を誓う事・相続権を持つ両家で婚姻を結ぶ事などを協定して、北イタリア方面を放棄する代わりにアルル王国内で一定の権益を保持する事に成功したのでした。法的に不利な情勢でも、相手の思惑まで読んで交渉によって実利を見い出すあたり、シャルルの政治・外交力・そしてバランス感覚はかなり鋭敏だったのかも知れませんね。

シャルル・ダンジュー_1281年_W1000
(1280年代初頭までのシャルルと東ローマの勢力図) ※W600/1000に縮尺

(シャルルの地中海帝国構想)
さてここまで来ると、シャルルの構想は次第に明確な形を持ってきます。
恐らく彼の頭には、アンジュー伯領・プロヴァンス伯領・アルル王国・両シチリア王国・アルバニア王国・アカイア侯国・ラテン帝国の旧領、更にエルサレムやチュニスなども合わせた地中海全域に割拠する、いわば地中海帝国とも呼べるようなビジョンが見えていたでしょう。
実際、シャルルは1267~1270年あたりには教皇や兄の聖王ルイ9世も動かして十字軍を起こさせ、東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルを再奪還する計画を実行に移そうとしていたのです。
しかし兄ルイの十字軍は2回ともコンスタンティノープルへは向かわず、北アフリカのイスラム勢力への十字軍も失敗してルイは死去し、更に1274年のリヨン公会議で東西キリスト教会はローマ教皇を全キリスト教徒の長とする決議が成されてシャルルの目論見はいったん頓挫したかに見えました。またバルカン半島における東ローマ皇帝ミカエル8世の切り崩し工作も激しく、1270年代の後半にはシャルルの東地中海への影響力は相当に低下させられていました。
ですがシャルルはまだ諦めていません。
現実として東西キリスト教会の合同は遅々として進まず、その間に親シャルル派の新教皇が選出されて東ローマ皇帝ミカエル8世は破門を申し渡されます。

(最終段階へ)
そして1281年には教皇の仲介でシャルルとヴェネツィアとの同盟関係が成立し、これを受けて1282年の春、シャルルはシチリア島のメッシナ港に大艦隊を集結させつつありました。
この艦隊にはヴェネツィア・ピサ・アカイア・エピルスなどの海軍が参加予定となっていて、同時にセルビアやブルガリアもシャルルに付く事を表明して北からコンスタンティノープルを目指しており、更に同時に小アジアからはトルコ人勢力も侵入しつつありました。
シャルルの狙いは東ローマ帝国にあるのはもはや誰の目にも明らかで、
いっぽう東ローマ帝国のミカエル8世は反シャルル勢力との共闘を模索すべく各地に使節を派遣していたといいますが、有効な手は何ら見出せないまま。
また同年初頭、シャルルはマルセイユに大艦隊を集結させます。
狙いはローヌ川を遡ってのアルル王国全域への軍事活動による支配確立にあり、
対東ローマ帝国同様にその準備もほとんど整いつつありました。
こういった2方面同時の軍事行動を企図している事からも、既にこの頃のシャルルはヨーロッパ最大の君主と言っても過言ではなかったのでしょう。

こうして正にコンスタンティノープルの運命は風前の灯か・・・という時、
歴史上でも稀なくらいにちょうどいいタイミングで『ある事件』が起こります。
そしてこの事件の結果は、後にDOL開始時の設定にまで恐らく影響していたのでした。
(だからこうして長々と書いてるわけですw)
まあ、有名な事件ですから知ってる人は知ってるでしょうが、長くなったので続きは次回に。


おしまい。

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  1. 2007/11/08(木) 07:00:28|
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3冊目のプレイヤーズバイブルは

11月2日に発売された、通算3冊目となるプレイヤーズバイブル。

クルス・デル・スール対応の今回は7&Yで注文したために、店舗到着→受け取りが11月5日までずれ込む事になってしまいました。で、昨日の夜と今朝にかけてつらつら読んでいたわけです、ハイ。まだざっと目を通したというくらいの感想ですが、割とユーザー視点で作られているように見られて、本のタイトルを考えるとこれならまずまずの出来なんじゃないかと思いました。



特に、3年ほど経って相当に複雑になってきているこの世界のシステムや新要素について、データ本みたいに活字慣れしていない層だと読むのに段々苦痛になっ てくる詰め込み方でなく、テーマというか一つ一つを記事として掘り下げていってる(あくまで必要最小限+αくらいに留めて)のは読み易い・久々でも理解し やすい、そういった取っ付きの良さを感じます。

実際のところ、かなり先端まで理解しているユーザーにとっては、ゲームそのものについてはWIKIや前回出たデータ集以上の情報はあまり得られ無いのでしょうが、世界観や側面といったDOLを長く楽しむためのサブ要素をちょこちょこ補完しようとするのがこのプレイヤーズバイブルのもうひとつの役割でしょうから、まあそういうデータや攻略情報だけでない部分も楽しみたい人なら、手元においてていい本だなと思いますよ。

しかしですね、読んだ人結構気付いたんじゃないかと思います、、、
『これ誤字多いんじゃない?』
本好きの知的好奇心って、誤字の多い本だとその都度大きく削がれるんですよ!
『水兵射撃』 とか、言わんとすることは分かるんだけどねぇ、、、
一瞬、人間大砲とか連想しちゃいましたよw

※と言いつつこの記事自体も誤字をちょこちょこ直してるなorz


おしまい。

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  1. 2007/11/06(火) 15:46:59|
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大航海時代前史 その3

シャルル・ダンジューの地中海帝国03

(シャルル・ダンジュー登場)
1227年、フランスの聖王ルイ9世の末弟として生まれたシャルルは非常に冒険心と野心溢れる性格ゆえか、いち王子とは思えない程波乱の生涯を送ることになります。ほとんど地中海全域を制覇する寸前まで行っていた彼の構想が、なぜ最終的にはもろくも崩れてしまったのか、その後の地中海世界に強い影響を与えたシャルルの活動を、周辺も含めて順を追って見てみます。

まずシャルルは1246年、
19歳で婚姻によって現在の南フランスに当るプロヴァンス伯領を手に入れています。
そして翌年以降、親王領としてアンジュー伯領・メーヌ領、更に後年オーセール伯領・トンネール伯領などを受け、これによりアンジュー伯家の祖となります。彼については、アンジュー伯シャルルと呼ぶより『シャルル・ダンジュー』の方が知られているかと思いますので、以後は後者の呼び方で統一しますね。

さて、婚姻によって獲得したプロヴァンス伯領ですが、この地域は当時まだフランス王国ではなく、形式としては神聖ローマ帝国内にあるアルル・ブルグント王国内の伯領であり、この地にアンジュー伯領などフランス国内から行政官・法律家らと共に乗り込んでフランス風の中央集権的な政治を展開させたシャルルは当然ながら強い反発を受けます。特にマルセイユなどの自治都市や地元貴族は反乱を起こし、15年以上掛かってようやくこれを押さえ込む事に成功します。
ただし、いったんシャルルの権威を受け入れたそれ以降のプロヴァンスは不思議と大きな反乱を起こす事はなく、最後までシャルル・ダンジューにとっては最重要の後背地として機能し続けたのでした。そこにはシャルル自身がプロヴァンスの繁栄に努めて現地の住民以下を巧みに統治した有能な政治手腕もあったでしょうが、後に南フランスやシチリアを手にした事で領内で活発な貿易が発生し、政治的にも新たに獲得した土地にプロヴァンス人が多数登用されるようになったのも大きく影響しているかも知れません。

(イタリアへ)
その後、1250年代になるとシャルルは前回書いたホーエンシュタウヘン家とローマ教皇の争いに絡んで教皇からシチリア王となるよう要請されるようになります。
1265年、シャルルは少数の手勢と共にマルセイユを出航して海路ローマへ乗り込みます。
ローマの元老院議員となり、シチリア王に任命されたシャルルと、これに対抗するホーエンシュタウヘン家でシチリア王を称していたマンフレートとは当然ながら戦争状態となったのでした。
同年秋、シャルルは十字軍の名のもとリヨンに大部隊を集結させます。
アルプスを越えつつ増援を得たシャルル・ダンジューの元には、この時代の一伯家が率いる規模としては異例とも言える数万の軍勢が集まっていました。教皇権を最大限に使った政治的勝利と言うべきでしょうか、翌1266年の2月には大会戦となったベネヴェントの戦いで対抗するマンフレートを戦死させます。更にホーエンシュタウヘン家で最後に残ったコンラート4世の遺児コンラディンも破り、これを捕らえて直ちに処刑する事で遂にホーエンシュタウヘン家を滅亡させてしまったのでした。。。
ところでこれ、当時の感覚では戦場での戦死は仕方ないものの、いったん捕らえた王侯貴族を裁判も身代金交渉もなしで処刑してしまうのは明らかにルール違反だった恐れがあり、旧来の型にとらわれないと言うか、目的のためには手段を選ばない彼の性格が出ていると思います。(ここでまたちょっと地図にして見ましたがこんな感じに。)


シャルル・ダンジュー_1266年_W1000

(1266年当時のシャルル・ダンジューの勢力圏) 
  ※上は600/1000に縮尺しています。→原寸で確認の場合はクリックしてみて下さい
  ※海に色付け&地中海全域図に差し替えています

こうして南イタリアとシチリアを手に入れたシャルル・ダンジュー、もうシチリア王とナポリ王を兼ねるカルロ1世となった彼は、その後イタリアやブルグンド王国・北アフリカなどへも手を伸ばすのですが、最終的に狙ったのは何と言ってもバルカン半島~小アジア、つまり復活した東ローマ帝国の再征服でした。


おしまい。

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  1. 2007/11/04(日) 07:08:47|
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大航海時代前史 その2

シャルル・ダンジューの地中海帝国02

今回は南イタリア・シチリア方面の変遷を追ってみます。
ここも中世後期以降のヨーロッパでは相当に支配者が変遷した地域で、それだけに大航海時代に繋がる部分の歴史はちょっと押さえておきたいと思います。副題となっている人物はまだ登場しませんが、それ以前を書いておかないと流れが分かりませんから、今回までが前々史的な扱いになっていますね。


(シチリア王国の成立)
中世後期の南イタリアとシチリア島はというと、11世紀中ごろにノルマン人でオートヴィル家のロベール・ギスカールという男が兄弟以下を率いてフランス北部から南イタリア沿岸に侵入してこれを征服してしまいます。ロベールは1059年にはローマ教皇からアプリアとカラブリアを受封され、アプリア侯を名乗るまでになっていたのでした。更にロベールの末弟ロジエはわずか100騎ほどのノルマン騎士を率いてシチリア島に入り、まだこの頃はイスラム勢力下にあったシチリアを内紛に乗じて次々と制圧して行き、1090年頃までにはほぼシチリア全島を手中にします。その後、ロベール・ギスカールの孫だったアプリア侯が亡くなると、末弟ロジエの子ロジエ2世はシチリア島から南イタリアに逆上陸してこれを領有してしまい、1130年にはシチリア島と南イタリアを治める、いわゆる『シチリア王国』が成立します。

(神聖ローマ帝国の支配下へ)
1189年、第3代の両シチリア王で名君だったギョーム2世が後継ぎを得ずに亡くなると、その相続権はロジエ2世の娘コンスタンスの手中に転がり込みます。ところが厄介な事に女王となったこのコンスタンスは、当時ドイツのホーエンシュタウヘン家の後継ぎだったハインリヒと結婚していました。ハインリヒの父は神聖ローマ皇帝で『赤ひげ王』と呼ばれたフリードリヒ1世であり、シチリア王国の貴族はドイツ人が王となることを嫌ってロジエ2世の孫でレッチェ伯のタンクレッドという者を王に戴こうとして当然内紛になります。
そして1191年、ハインリヒはローマへと南下して戴冠し、神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世となります。その後ハインリヒは南イタリアの制圧に向かい、1194年に対立君主のタンクレッドが亡くなったことに乗じて大軍をもって南イタリアを征服します。
この年の冬には晴れてシチリア王の冠を受けたハインリヒの妻、本来の両シチリア王国の女王であるコンスタンスはこの時アプリア領内の町で男の子を生みます。

(国際都市パレルモ)
この幼児こそ、後に西ヨーロッパの各国だけでなく東方教会やイスラム勢力、更にはモンゴルなど一気に国際化してゆく世界を相手に渡り合った神聖ローマ皇帝・フリードリヒ2世(イタリアではフェデリコ2世)となる子供だったのでした。
父方からは神聖ローマ皇帝の、母方からは両シチリア王の血を受け継ぐフリードリヒですが、1197年に父ハインリヒ6世が亡くなるとわずか3才でシチリア王となり、更に半年後に母コンスタンスも亡くなると孤児となってしまい、ローマ教皇イノケンティウス3世の庇護を受けてシチリアで成長します。
フリードリヒが育ったシチリア島のパレルモは長い間イスラム勢力が割拠していた為に異文化の溢れる町で、しかもノルマン人と南イタリアの文化も融合していると言う国際都市でした。
こうして彼は幼い頃から市井で遊んでいるうちにいつしか数ヶ国語を自在に操り、キリスト教徒だけでなくイスラム教徒とも深い理解を示すようになったと言います。
後に当代随一の広い見識と合理性を追求する思考振りから『王侯で最初の近代人』とも呼ばれる偉人振りを示すようになるのは、この幼年時代の体験が影響しているのかも知れませんね。
伸び伸びとパレルモで成長していったフリードリヒですが、その血筋と時代背景ゆえか、世間は彼をそのまま放って置きはしませんでした。

(皇帝フリードリヒ2世)
1210年、ヴェルフ家の神聖ローマ皇帝・オットー4世が大規模なイタリア遠征を計画した事によって教皇に破門されるという事件が起きます。そして翌年の選挙でドイツの諸侯は、ヴェルフ家と対立していたホーエンシュタウヘン家の出身で教皇の支持が篤いフリードリヒ少年をドイツ王に選出します。その後、紆余曲折があって神聖ローマ皇帝となったフリードリヒ2世は、イタリアでの活動に専念する為か、ドイツ国内に息子ハインリヒ7世を置くと共に諸侯の権限を大幅に認めるという重要な決定をします。この時の決定がドイツの連邦的性格を強め、更にドイツ騎士団の発展に繋がるなど後のドイツ・ポーランド方面の歴史に大きく影響してくる事になります。
また皇帝となったフリードリヒ2世は在位中にエルサレム王国の姫イザベル2世と結婚するやその権力を手中にし、更に教皇に破門されたまま十字軍を起こすと、戦力が不足する中でも交渉によってエルサレムを期限付きながら返還させるなど、中世のヨーロッパ人とは思えないほどのバランス感覚に溢れた外交能力を示します。
残念ながらその後は対立するローマ教皇との争いに忙殺されるままフリードリヒ2世は1250年に亡くなり、後を継いで神聖ローマ皇帝となったフリードリヒの次男コンラート4世も即位わずか4年で早世すると、イタリアは再び混沌の中に叩き込まれる事になります。

いちおうホーエンシュタウヘン家にはまだコンラート4世の息子コンラディンや、フリードリヒ2世の庶子マンフレートなどが残されてはいたのですが、この時対立していた教皇の元にある有力な味方が付くことになって、この地域の勢力図は一気に塗り変わる事になったのでした。


おしまい。

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あとがき)
なぜかこれ書きやすいですね、昨日の夜にはもう次の原稿書き始めてるくらいです。
んー、そろそろ地中海の地図を入れるべきかなぁ。
  1. 2007/11/01(木) 18:21:26|
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