打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

蒼き狼の末裔たち その24

アイン・ジャールートの戦い・後編

バイバルス率いる少数のマムルーク勢の誘導に引っ掛かって、逆に自分たちより遥かに大軍によって包囲されてしまったモンゴル軍の行方はその後どうなったでしょう。

ほとんど包囲が完成し、しかも包囲するほうが数倍の兵力を有しているのですから、
普通ならあっさり勝負が付くでしょう。それも包囲側はほとんど損害を出さずに。
しかしここでモンゴルの将キド・ブカは、相手の側面の一部で包囲が完成していないわずかな地点がある事に気付き、そこに手持ちの騎兵を集中投入します。つまり逆に『一点突破→背面展開』を仕掛けて、『相手の側面への側面攻撃』を掛ける事に成功したのでした。こうやって文章で書くのは簡単ですが、これを実際にやってのけるだけの底力はただ事ではありません。
これで部分的には乱戦に持ち込んだモンゴル軍はじりじりとマムルーク勢の包囲陣を削ってゆき、一進一退を続けるうちになんと開戦から数時間後には逆にやや有利とも見える戦況にまで引き戻したのでした。あんまりこういう戦い振りって聞いた事ありません。

ですが相手にしていたスルタン・クトゥズも長年の抗争を生き抜いた勇将でした。
思わぬ乱戦に自軍の一部が潰走しかかる程にまで浮き足立つ味方に対し、
兜を投げ捨てて、軍をまとめ、戦闘を再開させてこう叫びます。

『諸君はその生命を守る為に戦っているのではない、
      イスラムの将来を賭けて戦っているのだ』

と自ら前線に立って叱咤激励し、
この呼び掛けに奮い立ったマムルークたちは包囲陣を建て直します。
この長時間の乱戦のなか、なんとかアイン・ジャールートの渓谷へと部下を逃がそうと奮戦していたキド・ブカが遂に戦死します。(これ、乱戦の中での戦死という記述と、捕まってクトゥズとやり取りを交わした末に処刑されたとの記述もあります)

アイン・ジャールートの戦い03
(中盤~最終局面の様子)

数で劣り、なおかつ包囲され、総司令官が戦死した状況ではどう考えても限界があったでしょう。残ったモンゴルの指揮官たちは戦闘の継続を断念して撤退を始めます。追撃を受けつつアイン・ジャールートから12km先のベイサンへと逃げ込んだ残るモンゴル軍ですが、ここにもマムルーク騎兵が待ち伏せしていました。もはや完全に戦意を喪失したモンゴル軍はこの戦闘で遂に壊滅します。最終的にシリア北部のモンゴル領内に戻れたのはほんの数十人にも満たない程の完敗を喫したのでした。

その後、モンゴル側の主だった将が壊滅した混乱状況と戦勝の余勢を駆ったマムルーク勢は、ダマスクス・アレッポといった拠点を奪回します。地中海沿岸に残る十字軍系の領主を除き、1260年中にはほぼシリア北部のユーフラテス川付近までを一気に制圧します。

それにしてもこれ以前にモンゴル軍を会戦で破ったのは、前も紹介したホラズムの息子ジャラールによるアフガン戦役の例や、わずか400騎で8000のモンゴル軍を蹴散らした金国末期の完顔陳和尚などの例があるにはありますが、その後に決定的な反撃を受けずに決着が付いた例としてはこのアイン・ジャールートの戦いが実に初めてだったのでした。

アイン・ジャールートは規模としては局地戦ではあるものの、
結果としては恐らく世界史上でも最も重要な戦いの一つとなります。
仮にこの時点でイスラム系の政治勢力がすべてモンゴルの支配下に降っていたらその後の世界史は全く違ったものとなったでしょう。更に13世紀前半のユーラシア全土を吹き荒れたモンゴル不敗神話の崩壊。モンゴルといえども他の国の軍隊と同じく有利不利・運不運によっては敗れる事もあることを証明し、時間は掛かりますがヨーロッパにまでその報告は届いています。
そして何より世界制覇に向けて西へ西へと遠征を続けていたその活動自体も、
これを分水嶺として終焉を迎える事になったのでした。
もちろんモンゴル側としてはまだまだ局地戦で1~2万の兵を失ったに過ぎませんから、量的な損失では恐らくほとんど影響は無かったでしょう。しかしもはやその後のモンゴルは単純に外部との戦いに専念する事は出来なくなっていました。


次回はアイン・ジャールートの戦い以後の情勢を追ってみます。
そろそろ終わりが見えてきたかも。(やー、やっとここまで来た感じだナ。)


おしまい。

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  1. 2008/01/31(木) 07:38:31|
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蒼き狼の末裔たち その23

アイン・ジャールートの戦い・前編

1260年9月3日、
状況としては局地戦ながら後の歴史に大きな影響を与える事となる会戦が繰り広げられます。
この戦い、与えた影響の大きさに対して極端に資料が少なくて、モンゴル・マムルーク双方の実際の兵力・構成などはっきりした事はまだ研究途中らしく、今回の記事はその少ない記述と手元にある複数の資料を基に、プラス私の想定による補足部分も含まれますので予めご了承下さい。ここの記述から二次使用するのはちょっと問題ありですよ。それと実際WIKIとか見るとよくあんだけ書けるなと思いますが、取りあえずこの記事ではWIKIの内容は資料と多少違う所もありますのでほぼ無視して進行します。

戦力比較
(モンゴル軍)
総大将:キド・ブカ
兵力:約1万~1万5千人(万人隊×2個と記述にありますが実際はたぶんこれくらい)
構成:モンゴル騎兵、中国人工兵&歩兵、
   アルメニア・シリアの徴発兵とキリスト教徒、現地領主の供出兵など

(マムルーク軍)
総大将:クトゥズ/先遣隊の将バイバルス
兵力:5~6万人(10万人規模とする資料もありますが実数としてはちょっと疑問)
構成:マムルーク騎兵、エジプト騎兵&歩兵、シリアのイスラム兵、


このうちモンゴル軍の構成ですが、実は現地シリアで徴発した新規兵がかなり多かったのではないかと考えられています。もともと20万人規模を誇っていたモンゴル軍はフレグ本隊の撤退で9割方はもういません。またキド・ブカと共同してシリア各城砦を攻略していた郭侃は、実はアイン・ジャールート戦の前に行われた小競り合いを制してエジプト付近にまで一気に侵攻していました。この奇襲に驚いたクトゥズは彼を評して『東天将軍、神人也』と言ったと元朝秘史に記されています。しかし郭侃はこの後トルコ方面に転進してタブリーズどころか中国に帰還してフビライに仕えています。となると彼が与えられていた遠征軍の多くもシリアには残っていないでしょう。
で、仮に残ったうちで主力のモンゴル&中国兵が1万人以上いたとしても、攻略した城砦の押さえに現地人を使うのは考えづらいですから、こうした諸城の守備にもある程度のモンゴル&中国兵が割かれたでしょう。それらを逆算して考えると、アイン・ジャールートの戦い当時に戦力として計算できるモンゴル兵は下手すると千人隊で数個しか居なかった可能性もあり、一方でこういう野戦に出るときには数も必要ですから徴発された新規兵で水増しされていたのではないか?という結論に達します。そしてなにより、後で見ますがこの戦いにおけるモンゴル軍の動きは一部で実にモンゴルらしくない、しいて言えばペルシア軍みたいな負け方をしています。
さて、接触時の様子からちょっと図にしつつ、順に見てみます

アイン・ジャールートの戦い01

(遭遇戦)
マムルークのうち、先にモンゴル軍と接触したのはバイバルスの率いる先遣隊でした。
数の上ではモンゴル1万~1万5千対バイバルス数千ですからバイバルス圧倒的に不利なのですが、アイン・ジャールートは全体的に丘陵地帯の狭間を流れる谷というか渓谷になっている地形で、あまり大軍同士で広く展開する訳にもいかず、開戦も局地的なものからだったでしょう。また数で少ないとはいえ、バイバルスの配下といえば各地を流転しつつ生き残った精鋭中の精鋭とも言える子飼いの騎兵がいたでしょう。
こうして意外と言うよりむしろ当然のように、この戦いはマムルーク勢の突撃から開戦の火蓋が切られます。それでも本来は谷間の地形ならば、騎兵の突撃力よりも守りを固めた歩兵の防御力と弓兵による地形の高低差を活かした防御陣を形成したほうが無理なく戦えそうで、飛び道具を保有している中国兵のいたモンゴルのほうが戦い易かったかも知れませんね。その後、バイバルスによる数度の突撃をしのいだモンゴル軍は逆に騎兵主体に押し出して攻勢に転じます。
この数で勝るモンゴル側の押し出しに対し、なぜかバイバルスはほとんど抵抗することなく撤退してゆきます。それにしても攻勢状態から相手の反撃で即座に撤退できると言うのは、これ騎兵主体の部隊にしても対応がずいぶん迅速です。バイバルスの統率力と配下の騎兵たちの錬度は相当に高かったのもあるでしょうが、ひょっとしたら最初の突撃自体が偽攻だったのかも知れません。
引いてゆくバイバルス達に釣られてか勢いが付いたからか、キド・ブカ率いるモンゴル勢はそのまま突進を続け、気づいたときにはアイン・ジャールートの中でもやや広い6kmほどの窪地状になっている地帯に出ようとするところに誘い出されていました。

そして彼らは気付きます。
そこにはスルタン・クトゥズ率いるマムルークの主力である、
およそ数万ものエジプト兵が待ち受けていた事を。
そしてその大軍が左右に展開して、
既に自分たちが数倍の兵力で囲まれつつあることを・・・。

これバイバルスとクトゥズが事前に打ち合わせて連携した包囲戦術では無いと思います。むしろ最初の接触はほんとに遭遇戦だったでしょうから、どちらかと言うと一貫して能動的に動いたバイバルスによる計略と見た方が可能性が高い気がします。最初に遭遇した時点で両軍の主力の位置をほぼ把握できたのはマムルークの先遣隊だけですから。

アイン・ジャールートの戦い02

ところで、
『突撃→撤退(のフリ)→誘導→反転迎撃→伏兵による包囲殲滅』

この戦いで結果としてマムルーク勢が実行した動き、
実はこれ、以前にも紹介した事あるのですが覚えていますでしょうか。
昨年夏の同シリーズで書いた、バトゥ遠征時に起きたワールシュタットの戦いでポーランドの連合軍に対してモンゴルが用いた戦術、そしてモンゴルが度々用いた定番とも言うべき戦法がまさにこれでした。自分たちが最も得意とした戦法にあっさり引っ掛かる、先程シリアで徴発した新規兵が多かったのでは?という疑問はこれを思うと納得できる部分があります。
こうして、撤退してゆくバイバルスを追いかけるうちに、モンゴル軍はクトゥズ率いる数倍ものマムルークの本隊にぶつかり包囲されてしまい、更にこの時点でシリアで挑発した現地兵はほとんどキド・ブカの指揮から外れて逃げ出してしまったようです。
残念ながらその命運は既にほとんど絶たれていたでしょう。

ところがこの絶望的な状況のなか、
キド・ブカもさすがにモンゴルの将として非凡なところを見せたのでした。

(いいところですが長いので後編は明日書きます)


つづく。

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  1. 2008/01/30(水) 09:33:19|
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蒼き狼の末裔たち その22

モンゴル 対 マムルーク 対 十字軍

(混乱)
大ハーン・モンケ死す。
この頃モンケは弟フビライが行っていた中国攻略の支援に当たっており、南宋攻略の陣中での急死でした。赤痢と言われていますが、毒殺もしくは暗殺だったという説を唱える研究者もいるくらい突然な出来事でした。この知らせは翌1260年には遠くシリアにいてアレッポを攻略したばかりのフレグの元にも届き、驚いたフレグは自らを含めて殆どの部隊をいったんタブリーズまで引き上げるよう命じます。最高権力者が亡くなった後は跡継ぎ問題が発生するのは明らかでしたから・・。
こうして、ほとんど制覇寸前だったシリアには当面のところ先鋒を務めていたキド・ブカが残り、単独でダマスクスを制圧するもののその保有兵力は精々2万前後と言うところまで縮小されていました。
それでもモンゴルはその攻勢を止めてはいません。キド・ブカはアレッポからイスラエル方面に出て沿岸諸都市を攻略しつつ港町アッコンを目指します。この町はその数年前にルイ9世がエジプトに敗れた後留まっていた地であり、フランスへ帰還する際に100騎の騎士団を残して守備に当たらせていました。
ところでこの頃のモンゴル軍は、指揮官はキリスト教徒、主力のモンゴル&中国兵は仏教徒が多く、参加している諸侯はイスラム教とキリスト教の混成軍であり、もはやこの時点ではキリスト教だのイスラム教だの仏教だのと言った宗教視点での争いではなくなってるのがよく分かります。

(新生マムルーク勢)
ところで先にダマスクスを出ていたバイバルスはと言うと・・・、
いったん別の都市に留まった後、本国エジプトの反応を待っていました。
その本国エジプトでは1259~1260年頃まで抗争を経るうちに、前後してエジプトでは政変が起こってスルタンのアイバクが亡くなり、更に紆余曲折を経てクトゥズがスルタンの地位に就きます。この政変と迫りくるモンゴルの脅威のなか、争っていたバイバルスとクトゥズの両者が和解する事で国外へ逃れていたマムルーク勢は帰参し、比較的若い世代へとマムルーク朝は指導者層が一新される事となったのでした。

さてこのマムルーク勢、その出身はもともと黒海~カスピ海北岸などに住んでいたテュルク系の遊牧民が多く、エジプトで組織された彼ら騎兵隊の主力は1240年前後に行われたバトゥのヨーロッパ遠征の際に捕虜となったのをイスラム世界に奴隷として売り渡された人たちが多く含まれていました。奴隷と言ってもイスラム社会では解放後は比較的自由な身分であり、才能のある人は軍事・行政面でそれなりに活躍する余地が与えられていたのはちょっと面白いところです。彼らの多くは遊牧民、つまり本質的には騎馬民族であり、子供の頃から馬には慣れ親しんだ人々が多く、長じて優秀な騎兵を輩出する存在でもありました。彼らが連れて来られたアラブ~トルコ地方は後にイギリスで生まれたサラブレッドへ大きな影響を及ぼすほどに優秀な軽種馬を産出する地域ではありますが、その中でもマムルークたちは自然に軍ではエリートとして有力な騎兵集団を形成するようになってゆきます。このエジプトのマムルークが実戦の場を与えられて頭角を現したのが東地中海沿岸に度々攻め込んできたキリスト教徒、特に1249年以降の十字軍との戦いなどであり、これ以後はシリアなど他のイスラム勢力へも盛んに使われることで精鋭騎馬集団として鍛えられてゆきます。

中東地図_フレグ03
1260年夏の中東情勢 (W500/500)

(転機)
1260年春~初夏、
クトゥズとバイバルスが和解し再構成されたマムルーク勢は、孤立していたシリアに残存するイスラム領主を救援するべく、エジプト国境付近から出動してモンゴルの部隊と小競り合いが起こります。この小規模な戦いは相変わらずモンゴル勢が勝利し、更にシドンのユリアヌスとベイルートのヨハンネスという2人の十字軍領主がモンゴル領に侵入しますが、これもキド・ブカに撃退され、逆にシドンの町とベイルートのテンプル騎士団は反撃を受けて壊滅します。
ところがこの数度の戦いにより、モンゴル軍は自分たちの勢力が既に弱体化し、シリアに残っているのは分遣隊に過ぎない事も知られてしまったのでした。

(マムルーク立つ!)
マムルークのスルタン・クトゥズはこれを好機と見て直ちに動きます。
自ら主力を率いてカイロから北上し、現イスラエルの沿岸地域へと進みます。その兵力はおよそ5~6万で、この際バイバルスは先遣隊として数千ほどの部隊を率いていました。
そしてここからがクトゥズの非凡な所で、同時に彼はシリアの沿岸部にいた十字軍領主に使者を送り、『対モンゴルで同盟を組まないか?』と持ち掛けたのでした。キリスト教徒側としてはイスラムは間違いなく敵ですが、同時にモンゴルもまた先日の戦いもあって味方とは言い切れないと判断したのでしょう。結局この時、シリアの十字軍領主はマムルーク勢との同盟は見送ったものの、代わりにその進路を妨げない事を選択したのでした。残念ながら後にこれが重大な結果に繋がるとは予想できなかったのですが・・・。

9月になり、キド・ブカはおよそ15000人を率いてヨルダン川を渡ります。
その狙いは十字軍とマムルーク勢が集結しつつあったアッコンだったのかも知れません。
一方バイバルス率いる先遣隊とクトゥズの本隊は逆にアッコン付近から出撃します。
それにしてもアッコンは先年まで聖王ルイ9世が要塞として整備した要衝であり、この地方で防衛体制を築いていれば自然と十字軍との連携も図れたかも知れず、そこをわざわざ打って出るあたりにマムルーク勢の士気の高さが伺えます。
9月3日、パレスティナにあるガリラヤの丘陵地帯の狭間を流れる小さな川の源流部に近いある村落のあたりで、遂にバイバルスはキド・ブカ率いるモンゴル軍と遭遇します。

そこはかつてダヴィデがゴリアテを倒したとも云われる渓谷地帯で、
当時この小さな川の名は 『ゴリアテの泉』 を意味するアラビア語、
『アイン・ジャールート』 と呼ばれていました。


おしまい。

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次回は決戦です!

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  1. 2008/01/27(日) 10:23:39|
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蒼き狼の末裔たち その21

シリア攻略戦

この先の構成案を書き出してみたら、順調に行って多分あと6回ですね。
21・22の記事はもう書いてありますが、長いので分割して今日明日で掲載する事としました。

さて、まだアイユーブ朝の勢力が健在だったこのダマスクスとアレッポへ、フレグから降伏を勧める使者が送られます。当時この両都市はダマスクスにいたアイユーブ朝の末裔であるスルタン・ナシルが領有していました。これ以前、バグダッドが陥落して間もなく、ナシルは敵意のない証として息子を人質に送ると伝えているのですが、フレグ側の反応は『なぜ自ら来ないのか』という冷たいものでした。

これに対し誇り高いアイユーブのスルタン・ナシルは一転して態度を硬化させ、徹底抗戦を訴えます。この時残念ながら重臣たちの意見は従属であり、代理でアレッポを預かっていた宰相など中にはとても敵わないと見て内通する気配を見せる者も出始めていたのでした。
言い伝えでは、当時ダマスクスの客将扱いとなっていたバイバルスはこの時、
降伏を勧めるナシルの若い近習を張り飛ばし、
『お前のような者がイスラムを駄目にするのだ!』 と一喝したと言います。
その後、ナシルは自説を曲げずに抗戦を表明し、意を反する重臣たちの反感から身が危なくなってきたと悟ったバイバルスはいったんダマスクスを脱出します。また、アレッポ・ダマスクス両市でも攻撃は避けられないと見た市民たちは妻子を連れてエジプト方面へ逃げ始めます。
しかし季節はまだ冬であり、途中で多くの者が倒れたのでした・・・。

1260年初頭、モンゴル軍はユーフラテス川を渡り、恐るべき速さで進軍します。
そして1月中旬、早くもアレッポを包囲したモンゴル軍は抵抗の姿勢を崩さない守備隊に対し攻撃を開始します。およそ10日程の城門を巡る攻防の末、アレッポ四方の城門は破壊され、モンゴル軍の突入を許します。抵抗を示した破壊と略奪の対象となったスンニ派住民の運命は過酷なものがありました。
そしてこの時の活躍が著しかったアルメニア王ヘトゥムには、アルメニア周辺の領有と、このアレッポ城砦が与えれらることとなります。彼はこの攻城戦の際の活躍はもちろん、城内に留まっていたキリスト教徒やユダヤ教徒、更にシーア派の住民への破壊・略奪を禁じると共に彼らを併せて保護し、その徳の高い姿勢がフレグはじめ前線の指揮官に高く評価されたのでした。
その後、地中海沿岸及びユーフラテス川両岸に割拠する中小の領主は多くが従属し、反抗する都市も郭侃とキド・ブカらの率いる分隊に次々と落とされる情勢のなか、ダマスクスのスルタン・ナシルはダマスクスだけでは守りきれないと見て、エジプトに近い南のモアブ城砦に立て篭もり、一応はナシルを宗主と認めていたエジプトからの援軍を待ちます。ところがエジプトのマムルーク勢からの援軍は来ず、その後ダマスクスの陥落を知ったナシルは遂にモンゴルに投降します。
投降したナシルに対するフレグのメッセージはというと、さすがにこの両都市を保有していたアイユーブ一門はこの地方でも格上の存在であり、モンゴル側もそれなりの敬意を払っていたようです。『自ら進んで従属するのならこれまで通り領有する事を認める』と。但し代わりに行政官はモンゴル人が送られ、周辺の小都市も含めて管轄する事になったのでした。

中東地図_フレグ02
1259~1260年初頭のモンゴル軍の動き (W500/500)

こうして残すはエジプトだけとなり、モンゴルの覇権確立は時間の問題と思われた1260年、
既にモンゴル帝国の本国ではその前年に大事件が発生していました。
大ハーン・モンケ死す。


おしまい。

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続きはまた明日!

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  1. 2008/01/26(土) 10:23:54|
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199ドルPCの日本版

1/25に発売予定となっているASUSの 『Eee PC 4G-X』。

けっこうあちこちで紹介されているようで、私も受付開始してすぐ予約しました。
で、先程予約先から出荷済みとのメールが来たのでどうやら明日届く模様。

製品ページはここ。

(色は白か黒があります)
この超小型ノートPC、スペックが

OS:WINDOWS-XP HOME
CPU:インテル・モバイルCPU (セレロンM-900MHZ相当)
メモリ:512MB
記録媒体:4GB-SSD
光学ドライブ:なし
有線LAN:100BASE-TX/10BASE-T
無線:IEEE802.11b/g
I/O他:USB×3、SDHC/MMCスロット、D-SUB15、30万画素WEBカメラ等
表示機能:7インチ液晶800×480
重量:0.92kg
寸法:W225×D164×H22mm(最厚37mm)
付属品:※USBマウス、※SDHCカード4GB、バッテリ、ACアダプタ等 ※は初回限定

そして価格、49,800円
ポイント付けて販売してる所もありますから、実質45,000円くらいです。
これを512MB→2Gメモリ仕様にして、価格そのままで出したマウスコンピューターなどはほとんど受付当日で予約終了してたらしいですね。なにしろもっと性能の高い直販系メーカーのノートPCとかは5万円台からでも売っているものの、まあXP搭載でこのサイズにしては画期的に安い。XPの価格だけでもユーザーレベルでは13000円くらいはしますし、これに4GBのSDカードとマウスを付けてて、果たして本体はいくらなのさ? と考えないでもありません。
筐体のプラスチッキーな所とかも含めてかなり割り切った設計のようで、
たとえハズレな部分があってもこれなら使い倒してやろうという気にさせます。
これに周辺まで色々買っていたらすぐに+2~3万上乗せになって来ますけど、
こういう小さくまとめた高機能ツールってなんか嗜好的にそそられますね。
大きさ的にはだいたいA5用紙を縦横1cmずつ大きくした位です。

用途としては移動中・移動先や時間待ちとかでちょっと物書き&WEB閲覧したり、
自宅や会社のサブPC(もしくは3~4台目)として使用するにはこれで十分ですね。
そう言えばこれに関する記事をいろいろ見ていると、普通のPCレビューではまあ普通にアプローチしているのに、さすがというか4GAMERではこれをゲーム機として使ってやろうとレポート書いてて、まだハードウェア面の話までですがちょっと面白かった。
スペック面では液晶サイズが7インチの800×480というのはちょっと貧弱かなという気はしていて、パネルのスペースからしたら将来的には8~9インチで1024×600くらいには発展する余地がありそうです。この辺は本質的に激安機ですから割り切ったんでしょうね。
あと気になるのはフラッシュメモリが4GBしかない所で、これにOS占有分を除いたら残りは2Gあるかないかと思いますから、むしろ記録/移動の媒体としてはSDカードの使い方が重要になりそう。

この点は幸い今ってSDカードにしても内蔵メモリにしても価格が異常に安く、ノート用メモリの1Gが2500円くらい、2Gでも5000円以下とかでもありますから、ここはメインメモリを2Gに差し替えてちょっとでも快適に動作させたい所でしょうか。既に2Gメモリを買ってありますが、それにしてもノート用メモリが2Gで4900円台とか安くなったものだなあ・・。(どうもメモリのスポット価格は先週あたりで反転上昇しつつあるようですので、ひょっとして今が最安値かもしれませんね)

明日届いたら早速メモリの増設や無線LANの設定、XPの軽量化など色々いじくると思うので、一段落したらまた書くかもです。個人的には大航海WIKIの閲覧とかより、これで天翔記や大航海Ⅱ外伝やⅢあたりが動いてくれると嬉しいなと。



おしまい。

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  1. 2008/01/24(木) 14:48:58|
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リアル釣り師

DOLの釣りスキルで釣れる魚って、

けっこう日本近海で釣れる魚も多数登録されていますよね。
私自身もともと海と川と湖沼がすぐ近くにある田舎な環境で育ったせいか、小学生の頃からわりといろんなところの魚釣りをやってまして、今でもちょっと出張先に海とかあるかな~と思うと一応ルアーロッド積んでたりしますね。(仕事しろよと思わないでもないけどw)

で、いままで釣った覚えのある魚がDOLでどれ位あるカナと思って書き出して見ると、
やっぱりけっこういる。

アジ
イワシ
ボラ
キス
ハゼ
カレイ
カサゴ
クロダイ
ソウダガツオ
タコ
シイラ
ベラ
カマス
イサキ
スズキ
ウナギ

この辺は中~高生の頃までに確実に釣ってますね。
別に船とか乗らなくても、港周辺や砂浜・波消しのテトラポットや岩場には普通にここら辺の魚がいます。
ベラとかボラとかウナギは食えない(味もだけどウナギとか調理法が分からない)けど、海の魚のいい所はだいたい食える所がいいですね^^
実際はこれ海だけですが、川や湖まで含むと鮎(の子供)・ウグイ・鮒・鯉・ヘラブナにニジマス・アマゴなども釣っていますから、今考えるといかに手広く遊んでいたか分かります。まあ、ゲームとかするよりこっちのほうがはるかに面白かったですからねー。

マグロ
カンパチ

この辺の魚はもちろん成魚では釣った事ありませんが、相模湾や駿河湾では夏場になるとこれらの回遊魚の当歳魚(メジ=マグロの子供、ワカシ・イナダ・ワカナゴ=ブリの子供、とかいろいろ言い方ありますね)がソウダガツオなどと混じって陸の近くまで回遊してきます。これらの湾では浜からすぐ沖はいきなり急深になっていて、プランクトンやイワシやアジの子供を追ってそれこそ海岸から100m以下の所まで回遊魚がやって来る為に子供でもちょっと頑張って投げれば充分釣れたりします。ソウダガツオはマルとヒラの2種あってマルのほうはちょっと食べられませんが、例えばワカナゴなんかは基本的にブリですから焼くだけでも非常に美味い。

ごめん、無方向に書いてて気付いたけどわたし食えるか食えないかで魚を判断してますね・・・。
しかもなんの記事かわかんなくなってきた。。
取りあえずDOLで釣れる魚にはかなり深い層やほとんど深海魚に近いものも含まれてるんだけど、16世紀にこれどうやって『釣り』で入手してるんでしょうね。ナイロンとか魚群探知機とかないんだよーw
そういえばこの時代のタラやニシン漁の本ありましたね、ちょっと読み直したくなりました。
(釣りしないひとには今回なんだかさっぱりな話ですね・・・)


おしまい。

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  1. 2008/01/22(火) 23:51:53|
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名匠キャノン生産の時代?

なんだかこの所の株安の影響か、
コーエーの株価もここ2年で最低近い水準まで下がってますね。
数年以上の長期で持つつもりの人はここ1~2ヶ月はチャンスかも。

さて表題のキャノン、この所カロネと比べてなんだか良く売れる・・・。
特に中~低位品でそれが顕著です。
もともと名匠キャノンは8段階、名匠カロネは5段階ですから、同じ名匠の上位品でもカロネ966や952よりもキャノン1386や1372の方が希少性が高く=当然高値で売れる、それはわかります。ですがここ1~2ヶ月くらいの販売動向を見ると、1316・1330・1344あたりの中位品でも名匠キャノンはそこそこの値段で出しても買っていく人がいる一方で、名匠カロネの中位品はもう938だけでなく952の耐久低いものまで含めないと価格的に厳しくなってきている気がします。感覚的にはキャノン1316とカロネ938で同等くらいの価格帯でしょうか。
今のところ私の中での相場の感覚は下のような感じで捉えています。

(キャノンとカロネの価格帯/ハミルカル視点)
1386



       966
1372  


1358    952
    
1344  

1330   
1316    938
1302
1288    924    
         910


んでこれ、キャノンのほうがバザーしたときの出足が明らかに早いってのは、今後キャノン使いが徐々に増えていく予兆なのでしょうか? 半年くらい前まではそんなでもなかったと思いますし、少なくともバザーの値付けが他の人が出している価格より明らかに安いって事はないと思いますから、単純に値付けの問題では無さそうですが・・。どちらにしろ月50~70個売るかどうかでの個人的な見通しではまだまだ確度ひくいですね、これはもう少し動向見てみたいです。
それでもまあ、生産者視点では原価がちょっと安いからノーマル品を店売りしやすいのはキャノンのいいところで、バザー向けの生産はそちら主体に切り替えつつあります。昨日はINして10個ほど名匠キャノンの生産やってバザーに品出ししたところ、在庫も含めてなんだかんだで1316~1344の中位品が20個くらい売れてましたね。あと1386を5個とか一気に買っていく人もいて、BC期間中でもあり、相当に購買意欲は高い感じです。でもってこれが月曜日には下がり始めて火曜日に暴落するから作る方としたら実に分かりやすいんだけどw
来週は大海戦もないですから落ち着いた流れに戻りそうですね。
買う方はそういう時が安く買う機会ですよー。


おしまい。

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最後に↑押してってくださいな。

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  1. 2008/01/20(日) 22:40:05|
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蒼き狼の末裔たち その20

バグダッドの陥落

ついに20回目を数えるに至ったこのシリーズ、もはや読者置き去りで本人の趣味本位で書いてる気がしないでもありませんが、あと4~5回くらいでなんとかまとめていきたいと思ってますのでお見捨てなくw
で、前回からいよいよフレグ率いる征西軍の動きを追い始めましたので、
ここでちょっとまた地図を交えて見て行きます。

中東地図_フレグ01
まだ書き込み少なめですね。
1255~1258年頃までの動きだとこんな感じです。(W500/650)
カラコルム発→サマルカンド→ホラーサーン→アルムート城砦攻略→バグダッド侵攻まで。

ところで自作の地図を入れるので意外に苦労するのがサイズの問題。
ブログ上にピクセル等倍で表示しようとするとW600~650くらいが限界で、それ以上だとテンプレートからはみ出し始めてしまいます。いっぽう細かく書き込みしようとするとW1000以上の大きさはどうしても必要で、この地図も原寸だとW1600くらいから縮小しています。テキスト読みながら地図を参考にするにはサムネイルや縮小表示だと字が潰れてしまうしで、現状での地図への書き込みは必要最小限の情報のみに留めています。単なる画像なら縮小でも結構わかるからまだいいのですが、ここら辺の表現方法は地図製作者でないのでまだまだ未熟です。うーん、なんかいい知恵ないかなあ・・。
とりあえず本文に戻ります。


前回書いたように、イラン北部に割拠していた『山の長老』ことイスラム教ニザール派の指導者はフレグに降伏したものの、その他の残存していた勢力をほぼ壊滅させるのには更に1年近く掛かり、フレグの軍が再召集される頃には1258年を迎えていました。

もちろんその間、いわゆる政略に属する動きは活発化していました。
例えばこの頃、以前紹介したアルメニア王を通じて、かつてモンゴルの脅迫を跳ね返したアンティオキア公の息子ポエモン(代々この名前)は、アルメニア王の娘を妻としている関係から王の説得を受け、モンゴルに服従していました。まったく抵抗することなく異教徒の勢力に服従してしまったこの十字軍の末裔は、当然ながら他のキリスト教徒から責められる事になるのではありますが、この時の選択としてはむしろ柔軟な対応といえるものだったと思います。なにしろ既にフレグが率いる事の出来る兵力は20万にも達しようとしており、説得したアルメニア王などは進んで服従する事で、『現地のキリスト教徒は保護する』とモンケに約束を取り付けていたのですから。他にも現地のイスラム系小領主、キリスト教国グルジアやカスピ海沿岸一帯まで含む広大な地域の政治・宗教的な勢力は、その後多くがフレグの影響下に置かれる事となりました。
さていよいよイラクそしてシリア方面へ侵攻するフレグ率いるモンゴル軍、
ここでこの征西軍の主な将帥を紹介してみます。


フレグ
いうまでも無く大ハーン・モンケの弟で征西軍の総司令官です。同時にアルメニア・アゼルバイジャン・ホラーサーンの総督でもあり、占領予定のイラン・イラク・シリアへの権限も与えられていました。モンゴル帝国全体を見ても既に3~4番手くらいの権威を持っていたでしょうし、この時点で彼が動かせる兵力は世界最大規模ですらありました。彼の後継者は後にモンゴル最強の兵団を持っていたバトゥ家と戦うことになるのですが、これと五分に戦うだけの地力はそろそろ固めつつある段階でしょうか。

バイジュ
1240年代にアルメニア方面の軍事総督を務め、セルジューク朝トルコを破って従属させた名将です。一時罷免させられていた彼もモンケの即位によって復帰し、軍の重鎮としてここでも健在ですね。例え前線に立たなくても、彼の政治的・軍事的影響力はこの地方では絶大なものがあったでしょう。また、バグダッド攻略戦では片方の司令官となって前線指揮に当たっています。

郭侃(かくかん/クォウカンとも)
この人は中国系の将です。しかも武人としては名門出身で、唐代に起きた安史の乱を平定し郭子儀の子孫と言われています。この軍でも主力を任されるなどかなり重用されており、更に政略面でもフレグをサポートした知勇兼備の名将ですね。特に攻城戦では高い実績を残した人で、この郭侃がバグダッド攻略戦でもチグリス川に橋を架けてモンゴルの大軍を渡河させる事に成功するなど、技術面でも重要な役割を果たす事になります。この人ひょっとしたら中近世まででもっとも先まで遠征して戦った中国人武将かも知れませんね。

キド・ブカ
キブカもしくはケド・ブカとも呼ばれるこの将は恐らくキリスト教徒でした。
しかも今回、実はこの人が主役級だったりします。
シリア方面の攻略戦ではこのキド・ブカが先鋒を務め、ダマスカスやアレッポといった主要都市は郭侃と共に彼が攻略しています。更にモンケの死によってフレグの本隊が撤退した後は彼がこのシリアに残留し、バイバルスやクトゥズらの率いるマムルークとの遭遇戦となったアイン・ジャールートの戦いではモンゴル軍の総大将であり、完全な劣勢にもかかわらず最後まで健闘を見せた勇将でもありました。


(バグダッド攻略戦)
1258年が明けるとフレグはイラン北部からイラクへ向けて南下します。
このモンゴル主力の目指す先はもちろん、アッバース朝の都にしてカリフの住むバグダッドでした。事前に送られた降伏への呼びかけを拒否したこの時期のカリフ・ムスターシムはまだ若く・そして暗愚で、国政は宰相のなど官僚たちの言いなりだったとも言われています。更に不幸な事に、この時のバグダッドの宰相イブン・アルカミーという男がまた曲者で、カリフには『バクダッドの防備は精強な兵に常に守られて万全ですから、わざわざ防衛体制を取る必要はありません』とうそぶく一方でモンゴル軍に使者を送り、『実はバグダッドの防備は薄く東と西から攻めるように』と、要請と言うかほぼ内通していたとも言われます。

結局、カリフが首都防衛の命令と諸国のスルタンへ救援要請を発した時には、モンゴル勢はバグダッドまでわずか2~3日の地点にまで接近していました。
これでは大都市とは言え長期の篭城では守りきれ無いと判断したのか、逆に打って出た約2~3万の首都防衛隊はモンゴル軍の水攻めの計略に引っ掛かって壊滅します。
その後、モンゴル軍は最も手薄な倉庫地区だった西側の門から突破を図ります。同時にシーク教徒の最も多く住んでいた東側からは工兵部隊が破壊工作を行う両面作戦により、わずか7日でバグダッド東西の城門は陥落したといいます。それにしても、普通これだけの大都市なら準備不足でも数ヶ月~1年、もし防備を整えて本気で守っていたら落城させるには数年掛かっても不思議ではなく、こうした点からモンゴル軍が単純な騎兵だけの構成ではない、中国の最新技術なども導入したハイレベルな戦術集団だった事が伺えます。

こうしてあっさり市街へ雪崩れ込んだモンゴル兵に対して守るべき市民は多すぎ、カリフは身内の生命と財産の保証と引き換えにあっさり降伏します。その情けない態度は逆にフレグを激怒させる事になってしまうのですが・・・。そしてもちろん主君を裏切って内通していた宰相たちがフレグに許されるはずも無く、アッバース朝の主だった者はほぼ例外なく命を絶たれる事になります。そしてこの時、恐らく当時では世界最大の都市だったバグダッドは、事前に命令が発せられていたキリスト教徒など一部を除いて虐殺や略奪の対象となり、数日もの破壊の末ここでいったんほぼ壊滅する事となってしまいます。後世、イスラム系の歴史家はここで80万~200万もの犠牲者が出たというのですが、これは誇張気味としても少なくとも数年間はバグダッドはその栄華を失う事になったのでした。(2年後には以前に劣らない活気を取り戻した、なんて記述もありますね)

『モンゴル軍によりバグダッドが陥落!』
当然と言うかなんと言うか、曲がりなりにもイスラム世界の求心力であったカリフの勢力を滅ぼした事はこの世界に大きな衝撃を与えます。この事はヨーロッパ世界にも『東方のキリスト教徒がイスラム勢を打倒した快挙』としてちょっと期待を込めて間違って伝わりますし、当のイスラム系スルタンたち、なかでも確実に今後の侵攻の対象となるシリア方面の領主は多くが従属の意思を伝えるようになったのでした。
1258~59年、タブリーズでの休息を終えたフレグは配下の諸将・従属した諸侯以下に陣触れを発して大軍を召集します。これにはアンティオキア公やアルメニア・グルジアなどのキリスト教国も参陣しており、南下したモンゴル・キリスト教系の領主・イスラム系領主の連合軍は大挙してシリアを目指す事となります。

ところが、まだこのシリア方面には無視できない勢力が残っていました。
この頃シリアの主要都市ダマスクスとアレッポには、本国エジプトでマムルーク朝が立った後も、英雄サラディンの後裔であるアイユーブ朝の血を引くスルタンは健在だったのです。しかも、エジプトでマムルークの指導者であったアイバクらと仲違いしていた名将バイバルスはこの時期、本来ならば仇敵であるはずのダマスクスのスルタン、ナシルの元に身を寄せていたのでした。

そろそろ決戦の音が聞こえつつありますが、いい加減長すぎるので今日はここまでとします。
(今回だけでだいたい原稿用紙6~7枚分近いですねw)


おしまい。

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まだまだ続くよ!

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  1. 2008/01/17(木) 14:05:44|
  2. 蒼き狼の末裔たち
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マルセイユからアレが・・

インフラ整備のお手伝い

ご存知と思いますがマルセイユは結構中~上級の転職クエが豊富でして、
1.砲術家
2.武器商人  ・・・火炎壺×5、大砲×5
3.交易商人  ・・・羊ワイン煮込み×100
4.仕立師    ・・・サテンラフカラードレス×3
5.ソムリエ(初期) 
6.交易系下級転職クエ  ・・・リキュール×200

ここら辺がある関係で、転職に必要なアイテム
(火炎壷・羊ワイン煮込み・リキュール・サテンラフカラードレスなど)は、
あると安心する・若しくは非常に嬉しい商品だったりします。
で、このうち最も需要が高いと思われるのが武器商人クエの火炎壺×5だと思うのですが、
昨日マルセイユの商会ショップをのぞいたらこの火炎壺が消えていました。
商会員に聞いたところ、これ恐らく15日スタートの納品の影響なのでしょうねえ。
こういう基本アイテムかとも思えるような重要品目が消えるとなかなかショックというか、
普段依存しているぶん、いざ無いと一気に困った困ったとなるのが情けないですね^^); 

わたしもかつてはリキュールや羊ワイン煮込み・サテンラフカラーなどは時々意識して置いた事があるのですが、この所そういうインフラ整備的な活動をやってないのはちょっと反省すべきなのかなあ。なんとなくですが普段地中海にいる事の多い生産者としてはこういうの看過出来ないのと、実際同じように困っている人も出ている気がしますから、時間の取れるときには作り貯めしておいて在庫状況見て出品するくらいの意識を持とうかな、などと考えています。
で、当面のところBCの勝利数が100勝まで@10まで来ていますから、
これ終わったらちょっと始めるつもりでいます。
地味だけどやる気の出る活動かもw


おしまい。

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  1. 2008/01/16(水) 11:30:57|
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冒険とアイテムとアップデート

今週末は珍しく冒険してました。

12月のCP2で実装された新クエって意外に地中海で多いんですねえ。
なかなか絵的にも楽しいです。
既存も含めて主に発見したのは、
ツタンカーメン

モナ・リザ
あたりの暗号使うやつや、

ユディト
とかの新クエに、

フラガラッハ
伝説の武器クエの一つとかですね。

地中海近辺で残ってたのを片付けるつもりでやってたら、
必然的に大物クエというか経験多いやつとか新クエが対象になってましたね。
暗号系は好きなので解くの楽しかったです。
んでヨーロッパで残ってる主なのは、あとは武器系か・・。 んーどうしよ。
いつの間にかあとちょっと頑張ればたいていの武器が取れそうなところまでスキルが上がって来ているのは嬉しいのですが、いかんせん調子に乗って進めてるとアイテム管理がえらい事になりそうなのでそろそろいったん止めようかと思ってます。まあ明日からBCですしね。

さてこのアイテム管理の話、バザー販売系の生産者も普段からそれはそれでアイテム枠のやりくり考えて動いてまして、こういう冒険で得たそれなりに資産価値の対象になるアイテムが増えてくると、その枠のやりくりにだんだん圧迫感が出てきます。複数のキャラ使って基本的に持ってる枠が多くても、それが固定化されると流動性そのものは落ちますからね。まだ現時点では寝かせてる大砲だけで数十個とか整理する余地ありまくりですが、今年は冒険やる時間を増やすつもりですから、アイテム管理をもうちょっと考えたほうがいいかも知れません。(じっさいカルネヴァレアービトとか、持っててもここ1年着たことないし・・・)


最後に、1/16で新年のイベントが終わった水曜日あたりには、そろそろここで次のアップデートに関するアナウンスが出てくると見てますがさてどうでしょう。あと大海戦の告知が来る気もしますが、もしアップデート関連で発表がありそれが2月導入ですと、3度目のヴァレンタインイベントは流石にやらない事になるのかな?とも見ています。(同じ事3回やってきたらそれはそれでエライと思うんだけどw) 
CP3に関しては、取り合えず本拠地か所属商会のある街に船の係留所を実装してもらえると嬉しいですハイ。普通に南米西岸とインカ実装だけでまとめて来るようだとちょっと危機感覚えますけれど、CP2の傾向見るといろいろ実験的に織り込もうとする意図も見えますので、ここでも何かしらの実験的なものが来る気がするのよねえ・・。


おしまい。

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  1. 2008/01/14(月) 16:00:59|
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蒼き狼の末裔たち その19

血脈

今回の第二次シリーズと去年の夏まで書いていた第一次シリーズの後半からは、チンギスから数えると第3世代にあたるバトゥ・グユク・モンケ・フビライ・そしてフレグらの世代を取り扱っていますよね。で、この第3世代でほぼ最大版図を成す事になるモンゴル帝国というのは、単にいち局面での勝った負けたの話だけでなく、これだけ広い地域を征服した王朝が長期間・数世代に渡って存続していたと言うのは、これは組織として見ても中々に面白い存在だと思っています。
あー、ちょっと思いつきですが、こんなタイトルでありがちなビジネス本とか書けそうですね、
『モンゴル帝国に学ぶ組織の継承術!』 とかどうだろうw 

まあそういう短絡的な話はともかく、
チンギス・ハーンと比較するのが妥当かどうかは別として、一代にして世界帝国とも呼べる広大な地域への影響力を成した代表的な存在では、他にアレクサンドロス3世やナポレオン1世そしてティムールが思い当たりますが、彼らは次代以降にその版図と血脈の両方を共に残すことは出来ませんでした。ただ、ティムール朝はティムールの死後ほぼ解体するものの、その分裂し生き残った更に末裔の中からムガール朝の創始者が出ていますからちょっと面白い存在ですね。

それらと比べても、この後のモンゴル帝国は分裂・内紛しつつも緩い連合体として各地に結構長いこと存続しています。(教科書的には元の滅亡を機にほぼその時代が終わった様なイメージありますが)例えば中国に成立した元はフビライから数えて7世代・1271~1368年までとされているものの、実際は明の太祖である朱元璋の攻撃を受けて北に逃れた後も北元として存続しており、16世紀のダヤン・ハーンの時代には再びモンゴル高原の諸部族を統合して明を攻撃するなど中興を見せ、最終的に17世紀の中頃になって後に清帝国を興す女真族に降伏するまで勢力を保っていました。
また、ジュチ→バトゥ/オルダ兄弟へと続いたキプチャク・ハン国(ジュチ・ウルス)の系統は更に長く、14世紀になって内部抗争が激しくなり後にティムールの攻撃を受けて首都サライが陥落するなど衰退を見せますが、その後15世紀頃に分裂して各地に成立したハン国がかなり後年まで存続し続け、最後まで残っていたクリミア・ハン国は18世紀にオスマンに降伏するまで存在していました。
いっぽう今回取り上げているフレグの興したイル・ハン朝はフレグの後、6世代・約80年と比較的短く途絶え、その後イランはティムールの勢力下となってゆきます。モンゴル色が最も薄かったイル・ハン朝が最も早くその血を絶やす、これなかなか考えさせられます。

まあ、もし大航海時代ONLINEに内陸が実装されたら、時代的にはシルクロード上でこれらの血を引く分立後の各ハン国がまだまだ健在かも知れませんね。
そう言えば年明けの24時間ラジオでアクエリアスさんが出題していた、
『チンギス・ハーンの子孫が元首を務めてないのは次のうちどれ?』 (だったかな?)
あれはモンゴル王家の血の広がりと継続性を表現するいい問題でしたね。


短めですが今日はここまでとします。これくらいのボリュームで分割してマメに書いたほうがいいという意見もちょっとあったり・・。



おしまい。

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  1. 2008/01/11(金) 19:53:34|
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倒れてました・・

医者行って気付いたのですが、潜伏期間というのかちょっと前から感染症になってたらしく、今日になるまで起き上がれませんでした。まだ熱あるのと内臓に来てる&感染防止で出社できそうにありません・・・。
それにしても一日20時間近く寝るのって逆に疲れますねえ。
皆さん、うがいと手洗いはホント大事ですよー。

おしまい。


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  1. 2008/01/09(水) 20:12:56|
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蒼き狼の末裔たち その18

征西軍の出立

なんだかいつの間にか3週間くらい開いてしまいましたね。
昨年は前提クエみたいな感じで本題への基礎編としていろいろ取り上げていましたが、年も改まった事でもあり、アイン・ジャールートの戦いへと繋がる、チンギスとバトゥに続くモンゴル第3期ともいえる遠征計画についてそろそろ触れて行きたいと思います。

1252年、『西アジアと中国そしてヨーロッパへ侵攻するべし』という大ハーン・モンケの決定はユーラシア大陸全体に凄まじい衝撃をもたらします。そして征西軍の総司令官には弟のフレグが選ばれ、中国方面へはモンケ自身の後援の下、同じく弟のフビライが当たる事となりました。更にヨーロッパ方面へはいまだ健在だったバトゥがその牙を向ける事となったのです。
『集史』に残るこの時のモンケとフレグの場面をそのまま書き出すと、


モンケ・カアンは兄弟としての情愛から、フレグ・ハンに助言を与えて言った。
『お前は、膨大な軍隊と無限の兵と共にトゥーラーンの国境から、
イランの国に行かねばならない。
トゥーラーンを越え、イーラーンに歩みを進めよ
輝く太陽まで名をあげよ
そして、ヨスンの規則とチンギズ・ハンのヤサを諸事の細大に亙って実行せよ。
ジャイフーン・アム河からミスルの国の果てに至るまで、
お前の命令と禁令に従う者は慰撫し、種々の恩恵と恩賜を与えよ。
服従せず反抗する者は、妻子や親族や姻族共々怒りと侮蔑の蹂躙の手に委ねよ。
クヒスターンとホラーサーンから始めて、城と砦を破壊せよ。
ギルダ・クーフとランバ・サル砦を壊せ
その頭を下に、身体を上にひっくり返せ
世界で砦のある所は一つも残すな
土くれの一山すら残らないように
そこを終えたらイラクへ向かえ。
いつも道を踏み外しているロルとクルドを除け。
バグダードのカリフが伺候し服従するようであれば、彼には決して危害を加えるな。
もし高慢で、心と舌とを使い分けるようなら、彼も他の者たちと同様に征服せよ。
またすべての点において明敏な知性と重厚な意見を模範とし、
どんな状況でも明晰で聡明でなければならない。
臣民に理由のない負担や面倒をかけてはならない。
破壊された地域を再び繁栄させなければならない。
お前たちの夏営地や冬営地が増えるよう、
敵たちの国を偉大なる神の力によって征服しなければならない。
すべての件に関して、ドクズ・ハトゥンに相談せよ。』


大ハーン・モンケは地理・天文・物理・数学・宗教に通じ、数ヶ国語を操ると言われた英才で、しかも馬上にあっては進んで良く引いて堅しという名将でした。その彼がここまで明確な指示を与えたのですから、既に西アジア全域に至るビジョンが見えていたのでしょう。
 ※最後に出てくるドクズ・ハトゥンとはフレグの后で、キリスト教徒でした。

この時フレグには全モンゴル軍の1/5の兵力を指揮する権限が与えられたとされ、主にモンゴル帝国の中西部及びイラン・アゼルバイジャン方面の諸部族、そしてジュチ・ウルスからも諸将が参陣してフレグに従うこととなりました。史書によるとこの時フレグの指揮範囲は最大時でおよそ20~30万もの兵力になったとされていて、しかもこれ主力が騎兵なのですから、間違いなく機動力・攻撃力ともに世界最大の恐るべき軍団が西アジアに出現した事になります。また、これだけの軍勢を数年以上に渡って支えるべく、中央アジアの各地で放牧されていた馬・羊たちも南へと追い立てられていったでしょう。
まあ、これだけ大規模な編成ですからなんだかんだで出立から到達までには数年が経ち、1253年にカラコルムを出立したフレグの本隊がイラン~イラクの北部に姿を見せたのは1256年になってからでした。
そして、彼らが最初に当たった勢力はかなり特殊な存在だったのです。

山の長老

イランの首都テヘラン北西部の山岳地帯からイラク北部のクルディスタンあたりの土地に掛けて、ここにはイスラム教シーア派の分派であるイスマイリ派の中でも先鋭的な活動で知られたニザール派の拠点がありました。彼らは後世、暗殺教団『山の長老』としての伝説が残るなど非常に恐れられた集団で、彼らが配下の者を暗殺者に仕立てる時に用いた麻薬アッシシは、後世暗殺者を意味する『アサシン』の語源になったとも言われているのは結構知られた話ですね。
実はモンケが彼らを先に殲滅しようとしたのには訳があり、モンゴルがこの地方を勢力下に置こうとした際に暗殺者数百人をカラコルムに潜入させて大ハーンの暗殺を謀り、しかもそれが露見したからでした。またこの土地はモンゴルの司令部が置かれていたタブリーズの至近でもあり、これほど危険な集団をそのまま放置するのはモンゴルにとっても脅威と思えたのでしょう。

またこの頃フレグの元にはいち早く傘下に入っていたスンニ派の一派も合流しており、当然ながら敵対勢力であるニザール派はフレグには屈服せず、後顧の憂いを絶つ意味もあって討伐の対象として真っ先に攻撃を受ける事となりました。ところがこの高原地帯に彼らニザール派は山岳を利用した城砦を各所に築いており、中でもアラムートの城砦は拠点として長年難攻不落を誇るなど完全に要塞と化していました。
これに対してフレグは1256年頃には東から順に攻め上がる形で次々と周辺の城砦を落とし、約半年を掛けて遂にアラムート城砦の外縁部にまで迫ります。最後通牒を突き付けられても降伏しない宗教指導者(イマーム)のルクン・アッディーンに対し、フレグは11月頃には総攻撃を掛け、このうちイマームのいた城砦を落として遂にこれを降伏させます。最終的にニザール派はその後1270年代になっても一部で抵抗を続けてはいましたが、長年暗殺教団として恐れられたこの集団は、実質的な政治勢力としてはこの1256年の降伏をもって終わりを告げる事となったのでした。後に『ローマ帝国衰亡史』を書くイギリスのエドワード・ギボンはこのモンゴルによる暗殺教団の殲滅を『人類に対する奉仕と考えられる』とすらコメントしていますね。


ところで、近年イスマイル派ニザール派のこの流れを汲むある人物が、
実は一部で非常に身近な存在となって再登場してたりします。
アガ・カーン3世(1877~1957年)。
父の後を継いで宗教指導者(イマーム)となったこの人物は、20世紀前半に掛けてニザール派の再組織化に勤め、また親英派として外交面でも活躍して、後に国際連盟の議長にまでなります。またそれ以上に競馬の世界では史上屈指の馬産家であり、特に彼が生産したナスルーラという馬の出現は、サラブレッドと言う種そのものにスピード面で大きな影響力を残しています。

つい脱線w

こうしてフレグは1256年末にはほぼイラン~イラクの北部を平定します。
彼が次に狙うのは、イスラム教のカリフがいるイラクのアッバース朝、
そして当時世界最大級の都市である首都バグダッドでした。

今回すごい長くてすみません・・。
あとシリーズ番号間違えて発信したので修正しました。

おしまい。

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 ぽちっとどうぞ!

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  1. 2008/01/06(日) 10:22:02|
  2. 蒼き狼の末裔たち
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予想の話

寝正月にふと思う・・。

それはともかく大航海時代Ⅱはじめたら止まんなくなっちゃったハミルカルです。
昨日のローマ1000年とかの番組は、あとから録画を見返すとなんだか色々伸ばす所とはしょるべき所が変な気がして、さすがにこれはローマ好き好き人ベースの製作なだけではない偏りを感じずにはいられませんでした。いやまあ、わたしが書くとなんか逆に偏った意見に取られそうでアレですがw


①今年の拡張パックは・・
もう次の話しかい!って言われそうではありますが、5月あたりになればどちらにせよ出てくるでしょうからね。なにせ昔から見ていてメーカーとしてのコーエーのいい所をちょっと上げるなら、作品(商品)の開発~販売までをある程度スケジュールどおりに進行するってのは言えるんじゃないかと見ています。オフライン版だと三国志と信長の野望を毎年交互に冬シーズン発売するってのは10年以上も続きましたし、この大航海時代ONLINEでも開発の遅延による実装延期なんてまず聞いたことありません。企業としてはスケジュールどおりに商品を出すってのはこれ当たり前の話なのですが、実際にかなりの精度で守ってるのは業界としては異例もしくは相当に特異な事なんじゃないでしょうか。
なんだか脱線しましたので軌道修正。
で、恐らく今年も8月第4週あたりまでには次回の拡張パックが出ると見るわけで、その時の内容は果たしてどうなるんだろ?ってのは、少なくともここまでのCDSがいま一つ物足りない感じを受けるだけに考えないわけにいかないんですね。そして恐らくCDSのCP3は南米西岸つまりインカ文明からみのイベントと海域実装と考えるのが普通でしょうから、私個人の意見ではあとこの先どうなるのさ?ってのは今後のDOLの方向性をみるのに重要な分岐点になるんじゃないかと見ています。
んで実はわたし、フレや商会員に出した新年のメールには、(予想:今年は日本実装じゃなくてオスマン実装?)とか書いたりしています。別に地理的な拡大路線を取らなくても、これだけでも充分インパクト出る内容にできると見ているからですね。 例えばPK・上納品・影響度などの扱いをオスマン国籍に限って変えるだけでも全然違う世界になってきますし、表立った敵PC国家としてオスマンがでてくれば、自然とヨーロッパ諸国はある程度まとまらざるを得ません。交易国家としてもとんでもなく恩恵あるでしょうし、経済力としては大投資戦とかにも見られるような国家としての投資補助がオスマンにのみあるとかにすると、恐ろしいくらいの資金力で影響度を奪っていく国になる可能性もでてきます。仕様の例としては許可状を取った上で私掠活動を行うと周辺海域の影響度を削る事ができるとか、かつてのレパント&ロードス島イベントみたいな突発侵攻にPCが参加できるだけでもすごいアツイ戦いになるでしょう。少なくともBCや大海戦より緊張感の出る海事イベントになる気がします。
言うまでもなくもう一つは内陸の実装でしょうね。
これまでもオスマンと内陸の実装についてはアンケートやインタビューなどでも目にする、DOLにおける今後の重要検討項目なのはたぶん間違いないところで、それもあって単純に地理的な拡大・実装でなく楽しみ方の拡充という方向にそろそろ本格的に取り組んでくるんじゃないかと見るわけです。まあ、ここら辺の議論については今までもいろんな所で目にしているので今更的ではありますね^^


②ブーストアクセの宝石は・・・
これ何の話かというと、ニューイヤーイベントで初出となったキャッツアイのアクセサリ群ってありますよね?これのようにDOLで交易品として登場している宝石の多くは取引系のブーストとしても登場しています。んで調味料ブーストはプレステ・ジョアンのイベントでもらえた頭装備に続いて2種類目になります。
さて、次のリストを見てください。

カテゴリー1
食料品 =ガーネット※
調味料 =キャッツアイ※
家畜  =スタールビー※
医薬品 =めのう
雑貨  =とんぼ玉※

カテゴリー2
酒類  =琥珀
染料  =孔雀石
鉱石  =銀
工業品 =アメジスト※
嗜好品 =ラピスラズリ※

カテゴリー3
繊維  =水晶
織物  =サファイヤ
武具  =エメラルド
火器  =ターコイズ
工芸品 =サンゴ
美術品 =黒真珠

カテゴリー4
香辛料 =真珠
貴金属 =黄金
香料  =ルビー
宝石  =ダイヤモンド

※はイベント等で入手するアイテム
先日の論戦などで登場した家畜ブーストのスタールビーに続いて、
今回キャッツアイが調味料ブーストアクセとして出た事で、
実は上記のようにようやく全ての取引ブーストアクセサリが一通り出揃った事になります。
中には雑貨ブーストのトンボ玉や貴金属など宝石以外の素材や、スタールビーや黒真珠など交易品に無い宝石のアクセサリも混じっていますし、まだ+1止まりのアイテムも混じっていますから今後もブーストアクセサリって出るのでしょう。ですがこの中にまだ、 『交易品ではあるのに、アクセでは存在しない宝石』 があるのに気付いたでしょうか? 
(これなんの資料も見ないで全部答えられたら大したものだと思うw)
ちょっと気付いたものだと、
アベンチュリン・象牙・トパーズ・べっこう・ペリドット・ネフライト ここら辺です。
このうちトパーズ・べっこう・ペリドット・ネフライトは主に南米・東南アジア・オセアニアの登場で実装された宝石ですからまだこれからになるでしょうが、残る象牙とアベンチュリンはアフリカとアラブで買えるものですから比較的早い段階で登場しているにも関わらず、まだアクセサリとしては放置されているって事になりますね。それにしてもリストを見る中ではとんぼ玉アクセがすごく浮いてる気がするんだけどw
さてさて次の宝石アクセは何が出てくるかな~?


一週間で・・・

准男爵
はい、冒険クエ1っこ報告したら爵位来ましたw
この1週間で 大海戦1個・投資2個・冒険1個で4階級も昇進してますね・・。
そのまえ半年くらい爵位来なかったのはなんだったんだろなあ。
しかし困った事に、この先すぐに来そうな爵位がないのに変な所でまた立ち止まりそうな雰囲気が濃厚で、あと2つどうやって稼ごうかしらんとしばし悩む・・。


おしまい。

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  1. 2008/01/04(金) 20:55:57|
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新年のご挨拶

あけましておめでとうございます

本年もどうぞ宜しくお願いします。

そして皆様にとって良き一年でありますように。

そういえば今年は子年。
えーとですね、皆さん、、
最初のネズミ発生はむしろおめでたい事なので、
とりあえず駆除しないでほっときましょう!

退治したら運気が逃げちゃうかも知れませんよ?
いやしらんけどw

さて取り合えず今年の抱負としては、
①仕掛かっている長編シリーズ2件のうち、まずモンゴル編の仕上げを展開していく。
②次の拡張パック発表前までに『大航海時代前史』のシリーズを体系化させてゆく。
まずこの2点を柱に進める事になりますね。
まー、今年でDOLは4年目、ブログは3年目に入るわけですから、
いまさら慌てず騒がず自分のペースでぼちぼち続けていきますよん。


ところで昨日の話。
よりによって大晦日に大投資戦の発生がw
もう、『良いお年をー』といって続々と落ちてる人がいる時間帯だろうに・・・。
そう言えば去年の大晦日の20~23:00は大海戦でしたが、
ギリギリまで定期イベントやる運営というかシステムもなかなか大したもんですね^^

2007-12サッサリ大投資

突っ込みすぎてなんか載ってましたよ、あっはっは。
これでたぶんサッサリの羊がちょっと安く買える、のかな??
はなはだメリットの薄いランカーな気がします・・・。
んで王宮に伺うと

最高騎士爵

えっと、上級騎士は??
こういうのって途中の階位すっ飛ばして2階級特進みたいのあるんですねぇ。
教えてもらって始めて知りましたよ^^
むしろ大晦日の23時過ぎになんの死亡フラグかと。

で、えーと、国家貢献勲記が4000枚近く積みあがってますので誰か買ってくださいw


おしまい。

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↑新年一発! 今年もどうぞよろしくですー。

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  1. 2008/01/01(火) 08:58:49|
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