打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

幽霊船イベント2日目

討伐のほうの2回目。

1回目はドロップアイテムを狙うべきか勝利数を稼ぐべきなのか判断が付かなかったけど、
この日は勝利狙いでみんなしてA落としに掛かる動きに。
結果として、初回が7勝で今回が21勝。

んで20勝時点で貰った報酬がこれ。

幽霊船03

商会内で開けたところでは、
宝箱から強化フルリグドとかダーとか出た人もいましたが、
わたしは漆黒の剣でしたね。
どれが当たりなんだかさっぱりわからんw
噂の死霊足とかホントに出た人いるのかしらん。

まあ、いろいろグダグダなイベントとなってた気がしないでもないけど、
やっぱり国籍気にせず商会みんなで参加できる海事ものは楽しいですね。
相手が死霊/幽霊船とあって初~中級者にとってはかなりつらい相手ではありますが、
現状のDOLプレイヤーの平均から見るとこれくらいの強度設定はしょうがない気もします。
そういえば2日目、POP状況はかなり改善されてましたね。
ただしほとんど死霊船団ばっかりだったのはなんでだろ・・・。

んでですね、
今回わたしイベント中Dxtoryで動画撮ってたんですが、
後から見返すとめっちゃ恥ずかしいですねコレ。
とりあえずうちの軍人さんはさすがに動きが違うことは良くわかったw
あと2日目は白兵捨てたので速度重視でロイヤルフリゲートにしたものの、
これで死霊相手にするときは回避優遇職で装甲硬めの入れないと痛すぎですね;
戦列艦との装甲4差は数字以上に全然違う気がしました。

さて、折角ですからこれ一応商会ブログとかから閲覧できるようにしたいんですが、
ファイルサイズが95GBとかえらい事になっててまともに編集できません。
VISTA環境だとこの先どうしたらいいんだろ><


おしまい。

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  1. 2008/08/31(日) 21:08:24|
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打倒ブログの今後

不定期に記している、ちょっと視点を引いてみる回です。
今回はとりあえずこの先どんなもの書いてみたいかなーって所を。
モノになるかは別として、いまの所書くネタが数本仕掛かってます。
ちょっとどうすっかな的にこんな事考えてますので何かあればご意見下さい。


①草原の興亡シリーズの今後
既に21回とやたら長くなりつつある歴史ものシリーズ。
この後は匈奴編の終盤、それから時代を吹っ飛んでフン族について見る予定です。
それから一旦騎馬遊牧民ではない中央アジアの通商民を取り上げて、
全体の中盤としてテュルク系遊牧民の変遷を書くんじゃないかと思います。
週1本ペースだとたぶんここまでで今年は終わる気がするw
ただまあ、こんな長尺プランで読み手がついて来るのか若干不安・・・。
もっとスピード上げるか気にせずマイペースで行くかそろそろ考えようかなあ。


②予測もの-1
新型船の予想
最近あんまり船について書いてませんよね。
でもやっぱりDOLにおいては船ってのは象徴的な存在ですから、
これをテーマに周辺の史実を絡めた話をいくつか書いて見たいなと思っています。
何しろロイヤルフリゲートや重ガレアス以降は新型出てないわけで、
そろそろ何かのアナウンスがあっても不思議ではないと思うんです。
で、発表が出てからじゃ遅い! 
予想じゃなくて検証になったら書く意欲半減ですから、
できたらその前に言及したいですよね。
しかしあれです、
先端行くともうそろそろ20世紀の帆船に手が届くのではなかろうか・・。


③予想もの-2
新職業の予想
これはもっと可能性あると思う。
DOLの職業は現在60以上、それなりに多い事は多いですが、各系統別だとまだ20種前後。
最近だとフィリバスタ・サルベージャ・ソムリエあたりが出たのが最後で、
さすがにこれは出てなさ過ぎな気がする。
ここ3四半期のDOLの実装関係は利便性に大きく手を付けている一方で、
船・職業・装備・レシピ・スキル関係とかはけっこう後回しにしている感があります。
となるとどこかで必ずバランスとって来る事を考えると、こういう記事も面白いかなと。


④育成計画とキャラ分析
これはまああんまり詳しく書く必要ないか。
活動記録関係だとログの見直しとかは魅入ってしまう危険があるので避けてますが、
生産記録とかは見直してみたいですね。


⑤共同企画
これはまだ腹案ですね。ってか可能なのかすら不明。
今まで600本くらい記事書いてた中でも特に面白かったのが、
2006年にめけさんと共同で書いた『歴代ローマ皇帝を評価する』企画。
これなどは書いてる本人も周辺もいろいろ反応あったりと、
私の中ではかなり上位に来る記事でした。
それから先月ルクレさんが企画した座談会ものも動きがあって面白かったですね。
で、それを踏まえて、

A)歴史・地理・DOLの世界全般などをテーマに座談会
B)同一テーマを複数のブロガーで個別に書いて一斉更新する共同企画

まあありきたりかもですが、
人材的にはNOTOS鯖なら出来ると思ってます。
自分の知ってるだけでも数人浮かびますし、繋がり追って行けば10人くらいの書き手はいますから。
ただまあ、実現したら面白いんでしょうが、現在では書かれてない方もいますし、
それぞれ自分のスタイル・ペースで書き綴っている事を考えると現実的には大変ですよね。
それでもまあ、実現したら、の魅力は大きいと思っています。
ここ読んでいて『自分そうかなー』って方、
できたら記憶の片隅にでもこんな事考えてる者いるってことでお留めおきをw




おしまい。

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ご意見お待ちしてますー

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  1. 2008/08/30(土) 06:50:35|
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おなかがぐるぐる

鳴ってます・・・。


そろそろ本気で腹減ってきた;

(ここ2日の食事)
8/28朝:キャベツのサンドイッチ 280kcal
8/28昼:牛肉入ってるサンドイッチとチキンバー1個 だいたい500~550kcalくらい? 
8/28夜:クリームとサーモンのパスタ 440kcal

8/29朝:レタスサンド 220kcal
8/29昼:おにぎり2個 420kcal
8/29夜:?

これ牛丼特盛り2杯とか食っても許されるんじゃなかろうかw

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  1. 2008/08/29(金) 18:57:13|
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まとめて強化!

強化武器@第二段階

そのうちやろうと思ってチマチマ作っていた武器強化。
上位品まで強化していく上でベースになるものがいつの間にか溜まって来ているので、
ちょっと片付ける事にしました。

(在庫リスト)
カッツ(回+2)    09本=50・42・41・31・31・31・30・30・30
スキア(剣+2、回+1)07本=52・51・51・50・50・50・50
タルワ(剣+2、収+1)04本=60・53・42・36
偉大槍(剣+1、突+2)11本=45・41・32・32・32・32・32・32・32・32・32


無駄に多いな・・。
実は他にもレイピアとかフラムベルクとかも酔狂で作ってるんですけどね・・。
で、攻撃50↑のとかは普段使いで強化してけばいいって話もあるけど、
普通に海事してたらこんなにあっても使い切れませんw

それと9本ある偉大槍32(ノーマル品)は日曜日にドミンゴへ行って掘ってきた物。
  ※日曜日とドミンゴがかぶってる事に書いた後で気付いた・・。
掘るのと作るのとではどう考えても作ったほうが早いのですが、
この時は槍・極意のレシピを持っていなかったので素掘り大会に。
しっかし偉大槍とかマジ取れねぇ・・・。
草ばっか何千個と取れるので今度は植物油のレシピ持って来ようかしらとすら思った。

その後、商会のみるきちゃんが極意レシピを一冊譲ってくれたお陰で生産する道が開けました。
これはもう、めちゃめちゃ感謝。
つかまあ、これらの強化レシピ群、
ほとんどがHurry先生とがぶ様とみるきちゃんからの入手なので、
とりあえず3人を拝みつつ毎回強化してます。(大嘘

さて、
とりあえずこのままだとアイテム枠使いすぎなのでもう少し選別します。
カッツとタルワールの現状一番いいやつはキープしつつ、
残り2~3本になるまでポチポチ強化するつもり。
今回は平均的にではなく、1本を5回連続で実行する形でやってみます。
壊れる事も多いですが時々10連続成功とか発生するので、
平均的に強化するよりも突出したやつが出やすく、それを当面の主戦装備にできますからね。

武器強化01

(5回ずつ強化した結果)
①カッツ(回避+2)
50>50未強化
42>59
41>×
31>47
31>×
31>41
30>×
30>×
30>×

②スキアボーナ(剣術+2、回避+1)
52>×
51>×
51>×
50>58
50>×
50>64
50>66

③タルワール(剣術+2、収奪+1)
60>60未強化
53>65
42>×
36>×

④偉大槍(剣術+1、突撃+2)
45>57
41>×
32>43>51
32>×
32>×
32>×
32>43>50
32>45>50
32>48
32>×
32>×


(残存品)
カッツ=59・50・47・41
スキア=66・64・58
タルワ=65・60
偉大槍=57・51・50・50

残存率=13/31=41.9%
5連続成功を狙ってたらだいたい5本中3本は壊れるって事ですね;


それぞれもう3~4回ポチポチすれば70台のが出そうですが、
もったいない(というか怖い)ので一旦終了。
三段階目の強化はこのあと海事やるので普通に消耗したやつを強化して行こうと思います。
あとまあ、この位までの武器ならそこそこ作れるので希望者いたら受注しますよ。


追記)
昨夜、INしたらメール入ってたので対応した結果、ハイペリエを22個受注。

ハイペリエ
ハイペリエは青銅砲で、レシピは砲弾32・青銅62・鋼62。
経路としては、

①バルセロナで大砲・砲弾・鋼を満載
②途中セビかリスに寄って大砲を備蓄しておき、
③プリマス行って青銅を購入&生産
④ハイペリエ生産
⑤砲弾と鋼が無くなったら青銅を満載
⑥バルセロナへ戻って再度大砲・砲弾・鋼を購入してハイペリエ生産。
⑦余った大砲はカロネ/キャノン生産用に

だいたいこうなります。(②と③の間でヒホンに寄って鉄鉱石買うこともある)
通常、バルパルでカロネとかの大砲作ってると最後に砲弾と鋼が余るので、
それ持ってプリマスでハイペリエやヴォルカンを生産ってのが逆になるわけですね。
んでまあ、依頼主とは全部ノーマル品での供給って事で打ち合わせしたんだけど、
なぜか昨日は大成功率が40%を超えててノーマル品が16個出来る間に名匠が12個とか・・。
まああと6個、すぐできるから待っててね、Rさん。
これだけ名匠出来るとなるとついでに私も海事しようかしらんw



おしまい。

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  1. 2008/08/28(木) 12:43:25|
  2. 鋳造・縫製 その他生産
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草原の興亡 その21

大宛の天馬 その2


李広利が軍を率いて大宛を目指す紀元前104年以前、
張騫の献言を容れた武帝は張騫亡き後も度々西域へ使者を派遣していました。
史記・大宛伝に記されたその行き先は、
安息(パルティア)、身毒(インド)、奄蔡(現カザフスタン西部)など10カ国近く。

さらっと書いてますが、
既に紀元前2世紀の時点で漢とパルティア王国との間に使者の往来があったと言うのもちょっと驚きですね。
ちなみに紀元前104年頃のパルティア王と言えば傑物ミトリダテス2世の時代。
国内を固めた後に隣国アルメニアを属国化させて勢力を大きく拡大させた一方、
地中海の覇権を確立させつつあったローマとも国交を開き、
更にイラン北部にたびたび侵入していた騎馬遊牧民とも友好関係を築くなど、
後にパルティアが強勢となる礎を成す人物でした。

またこの頃の地中海では、
グラックス兄弟の改革が頓挫してマリウスやスッラなどが台頭しつつある時期で、
このマリウスの甥がユリウス・カエサルでした。
こうして見るとこの頃のユーラシア大陸は、
ローマ・パルティア・前漢といった地域の大きな軸が確立してゆく流れにあったのが分かります。
また匈奴や北アフリカ、ガリア、イラン北部など、
周辺の騎馬民族がこの時期揃ってこれら大国と紛争を起こしていたのも共通していますね。

そしてこの中で挟まれる格好となったのが、
ローマとパルティアの中間にあったアルメニアであり、
パルティアと漢の中間にあった大宛やソグディアナの諸国家だったのでした。

事実、大宛へ遠征軍が派遣される前の紀元前108年には、
手前にある楼蘭と車師国が漢の使節を襲ったと言う口実で攻撃を受けており、
漢と匈奴の争いはその周辺国にも大きな影響を及ぼしていたのでした。


中央アジア図BC02-3

そして
紀元前104年、たびたび良馬を送るよう大宛に要請していた漢は、
この年遂にしびれを切らしたように出兵を決断します。
およそ3万の遠征軍を指揮するのは李広利将軍。
その目的は大宛が最も良質な馬を隠しているとされた弐師城を攻略する為でした。

しかし河西回廊の一番西に位置する敦煌からでも大宛はおよそ2000km近くあり、
その間にはタクラマカン砂漠とパミール高原が立ちはだかるシルクロードの難所。
まともな道案内と補給路が整備されていなければこれ程の大遠征はどう考えても無理・・・。

案の定と言うか、
李広利の軍は結局この第一次遠征では途中で兵糧が尽きたり多くの兵が倒れたりで、
大宛にまで至る事ができずに消耗してしまい、たまらず敦煌まで撤収したのでした。

しかもこの李広利将軍、若いときは遊興の徒であったのが妹の李夫人が武帝の寵姫となった為に取り立てられたような経歴の人物で、この時に率いていたのも悪童・無頼の輩が多く含まれていたというのですから、これでは元々からして成功は疑わしいですねw
しかし武帝は容赦ありません。
敦煌まで逃げ帰ったという報告を聞いて激怒します。
『玉門関を越えて戻ったら斬る!』
玉門関は敦煌の近郊にある防衛要塞で、李広利は仕方なく付近に留まって増援を待ったのでした。


その後、武帝は本国から増援の歩兵・騎兵・補給隊を送ると共に、
西域諸都市の都尉(守備隊長)に遠征軍への一部参加を命じて李広利をサポートさせます。
更に大宛に至る近隣諸都市・小国家に通達して遠征軍への支援を半ば強要する形で取り付けます。
ここまでお膳立てしてもらった李広利将軍、
今度は本隊だけで6万を数える大遠征軍を率いて大宛を攻撃します。
この時の遠征、
同じく良馬の産地だった康居国だけは大宛を支援する動きを見せますが、
結局李広利の動きを止めるには至らず、大宛城は弓射と水攻めによって包囲されます。
そしておよそ40日もの攻城戦の末、
大宛は外城を破壊されて守備兵と将は中城まで退却します。
その後、大宛の内部で争いがあり、
守備隊長を勤めていた将軍は争いの原因となっていた大宛王を殺して開城したのでした。
この時李広利は北の康居国の動向も不穏だったので大宛の内部まで攻めることをせず、
交渉によって何とか大宛から数十頭の良馬と三千頭の中級の馬を得て帰還したのでした。
こうしたパミール以西への軍事活動によって、漢の影響力はある程度西域へ及ぶ事になります。
しかし、元々紀元前170年代の第二次月氏攻撃以降は西域諸国を半ば属国としていた匈奴、
これを黙って見過ごすはずもありませんでした。
紀元前99年、再度西域へ派遣された李広利に対して、匈奴は遂に反撃を始めます。
それは西域へ戦線が移って以降初めての大規模なものとなったのでした。




おしまい。

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  1. 2008/08/27(水) 07:38:35|
  2. 草原の興亡
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無駄な抵抗

2週間後に健康診断があるらしい。


んでとりあえず無駄と知りつつ抵抗するw
一日1500~1650kカロリーとかを目標にしなさいとか書いてる所があったので、
これ3食コンビニ+外食で出来るのか計算・・・。

朝食:野菜系のサンドイッチ=280~350kcal
夕食:ソバ・うどん・冷やし中華・和風のパスタ類=380~450kcal

これでだいたい660~800kcalだから、昼は750~850kcalくらいいけるのかな。
しかしなんだろ、
750っつーと感覚的には牛丼並盛り+卵+サラダ?
栄養学とか全くわからんけどこれで持つのか俺・・・。
かといって自分で作るといつも量多すぎるのよねぇ・・。

で、とりあえず昨日は食いだめだと思って表参道のバイキング行った(ぇ
だって机に座ってる日ならともかく体動かす日とかそれじゃ持たないんだもの・・。



おしまい。

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  1. 2008/08/23(土) 08:45:04|
  2. 活動日誌
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複合型イベントの登場?

ひとつの答えかも


なんだか突如として投入された感じのある今回のLIVEイベント。
LIVEイベントが事前予告なしで出てくるってのは過去にもほとんど記憶がない。
まあどんどんやってくださいスタンス取ってますのでこういうのは歓迎ですよん。

【公式リンク】 幽霊船奇譚 ~アゾレスの亡霊~

さて今回の幽霊船リバイバル。
『討伐』の方は久々のST参加型・海事アリって事で当然時間の制約はありますが、
同時に生でなければ体験できない臨場感を味わえる事でもありますので、
久々って事もあって期待して良いんじゃないかと思っています。
うん、当然参加しますよ。
そして期間中に街中で情報を追いかける形の前・後編イベントも小規模ながら同時に開催。

こんな感じで今回のイベント、
某pepeさん分類だとST参加型とNPC設置型を組み合わせた複合的なものを感じるところで、
しかもNPC設置型も前後編の時間差付き。
これはちょっと興味深いですね。
なにしろ最近のイベントの是非については、
少し前に某るくれちあ的な人が座談会開いた時にも話し合った事でもありますから、
あの時好き勝手に言い合った身としてはいろんな角度から堪能してみないとねw


(るくれちあ氏の座談会記事)
前編
http://popoloerrante.blog26.fc2.com/blog-entry-420.html

後編
http://popoloerrante.blog26.fc2.com/blog-entry-421.html


(ぺぺん女史の記事)
http://pepeice.blog15.fc2.com/blog-entry-655.html

こちらはイベントそのものへの分析と参加者への提言もなされていて、
これ読んだあとに公式のLIVEイベントをあらためて見に行くと中々に興味深いものがありますよ。




さて討伐イベントの方、参加をどうするかがまだ商会でも話してないので未定。
つかみんなINしてこない・・。
とりあえず今日あたり、いる人に打診してみて反応薄かったらどこかに拾ってもらおうかしらん。



おしまい。

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.

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  1. 2008/08/21(木) 18:39:03|
  2. 活動日誌
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PCの電気料金を考える

暦の上では秋?

とはいえ、まだまだ暑い日が続きますね。
部屋でクーラーをガンガン回している一方で熱風排出してるPC見ると
なんだかものすごく無駄なことしてる気がしないでもない・・・。

で、今回のテーマはPCの消費電力について。
買うたびに高性能化してゆくPCですが、
これは同時にある程度消費電力が増加することも意味しています。
省電力技術の進歩によって電力の伸びが能力の向上よりある程度低く抑えられているものの、
それでも例えば電源に要求してくるスペックなどは数年前とは比較にならないわけで、
クーラーの中で小型のヒーター回しているのと変わらない状況がそこにはあります。

で、実際のところ私たちが普段使っているPCがどれくらいの電力を貪っているのかを、
ある程度計算して、これ改善する余地がないのか考えてみようと思います。



1.使用環境
普段使っているPCが3台。

(1台目=デスクトップ)
CPU CORE2DUO-6400
MEM DDRⅡ800×4GB
VGA RADEON-HD4850
HDD 1.3TB SATA×3台
モニタ 液晶24+19インチ

(2台目=デスクトップ)
CPU アスロン64-3000
MEM DDR400×1.5GB
VGA GF7600GS
HDD 300GB SATA×1台
モニタ 液晶20インチ

(3台目=ノート)
CPU CORE2DUO-T7200
MEM DDRⅡ533×2GB
VGA GF8400M
HDD 120? SATA×1台
モニタ 液晶14.1インチ


2.電力計算
で、これらのPCの消費電力がだいたいどれくらいなのか、
ありがたい事にこまかく計算してくれるサイトがあったりします。

ttp://pc.usy.jp/wiki/index.php?FrontPage

ここはPCに関するまとめWIKIを作っている方のページ。
ここの消費電力ってカテゴリの中に消費電力を計算するリンクページがあります。

ttp://www.geocities.jp/onakasuita24/eco/eco3.html

ここ、更新が早くて最新のCPUやグラボのデータも織り込んでいるので、
自作PCでもかなり精度の高い予想が立てられて非常に便利。
で、これによると私のPCの消費電力予測はこんな感じ。


1台目
ピーク時の電力=342.1W
アイドル時の電力=111.9W

2台目
ピーク時の電力=193.7W
アイドル時の電力=62.94W

3台目のノートPCはだいたいピーク時40~50Wのアイドル時15~18Wくらいでしょうか。
フルに使うともっと上がるでしょうが、
主にバザー用なので稼動させている時もCPUやグラボの負荷は低いですね。

ここからちょっと補正を掛けます。
①電源の変換効率が75~80%くらいとして、各数値を1.2~1.3倍で計算。
②実際の負荷を考えると、平均ではだいたいこれの60~80%程度で計算。
③液晶モニタの消費電力が大体25~35Wくらいで計算。

こんな感じでけっこう適当ですが基本の電力を修正してゆきます。
ここは今度ワットチェッカーとかで計測してみようかな。
で、これを元に、
3台使用している状況での年間の稼動時間×電気料金(22.8円/kWh)を掛けると・・・

年間1172.9kWh=約26743円。

月平均で2230円、結構払ってるなあ・・。



3.省電力化への思案
ではこれ、2台目をノートPCにするとどうなるでしょう。
もっかい計算・・・・。


年間894.4kWh=約20392円。

グラフにするとこう。

電力比較01

PC1台をデスクトップからノートにする事で、だいたい年間で6000~7000円の節約になるって事に。
もちろんノートをハイスペックな仕様にすれば電力食いますし、その逆も可能。
まあノートPCの方が電力の制御技術は優れたものを採用していますから、
能力の低下以上に省電力化できるとは思います。
とはいえ年間6000~7000円くらいだと導入するべきか悩むラインではあるw
恐らく消耗度もノートの方が早いでしょうしね。

あとは、2台目デスクトップ機のダウングレード化。
メインで使っているPCを落とすほうが効果が高いでしょうが、
それだと他の作業が時間かかるしたぶん使用者がストレスになってよろしくない・・・。
まあ簡単に出来そうな所だとこのへんかな?

①CPUのクロックダウン
②グラボのGPUとメモリのクロックも必要最低限まで落とす
③ゲームの環境設定を落として負荷を減らす
④アイドル運転や電源OFFなどへの実行時間を早めに設定

これくらいならほぼタダで出来ますね。
普段2キャラで動いてても追従する方はけっこう画質や速度どうでもいいですし、
海事などスペックを要求する使用時にはメイン単体で動きますからそんなに能力いりません。
ベンチマークを計測してだいたい300点くらいあればもう充分と思います。



4.UMPCの導入
あと思い切ってこんな手。

1台目=デスクトップ
2台目=ノートPC(元の3台目)
3台目=Eee-PCなどのUMPC

3台目はほぼバザー専用なので、正直動けば充分な事が多い。
小まめに生産しつつ出品するときは3台ある外部モニタのどれかを使えばいいので、
これ何気に可能性あるかも。
今度ちょっと試してみよう。
こうすると消費電力はピーク190W→10Wとかにまで落ちますから、
普通のノートPCを導入するより省電力化が図れます。
私が持ってる初代のEee-PCでもいいですが、
901やMSI・Acerなどが出してきた最近のやつなら本気で使えそうです。
導入する場合も安いPCですから短期間に元取れそうですね。

その気になればいろいろ出来そうなので、
今度機会があれば実際にやってみたレポートでも書きますね。




おしまい。

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  1. 2008/08/20(水) 19:15:45|
  2. 雑学
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草原の興亡 その20

大宛の天馬 その1

このシリーズも書き始めてもう20回目。
シリーズもの記事としては最初に書いた打倒ローマ編が11回、
前回のモンゴル編が続編を含めても29回だった事を考えると、
今シリーズどう考えても最長となりそう・・・。
だって最終的には19世紀くらいまで行くはずなのに、まだ紀元前とか書いてるんですからw
むしろテーマがでかすぎるって話もあるんだけど・・・。
つう事で、書き手としてはやや巻きを入れたい匈奴編、
いよいよ舞台は西域に移って行きます。



(西へ)
紀元前130~120年代頃の正面衝突によって大きく疲弊した匈奴と漢の抗争。
開戦から10数年を経て漢側が優勢となりつつあった事で匈奴がやや北西へ移動した為、
その焦点は当初のモンゴル高原~黄河流域での争いから次第に西側へと移ってゆきました。
特に黄河の西側からタリム盆地の入り口へと繋がる東西に延びた狭い回廊地帯、
いわゆる 『河西回廊』 での攻防が紀元前110~90年代には焦点となっていたのです。

というのもこの回廊地帯、
南はチベット高原の外縁にある祁連山脈、
北はゴビ砂漠と合黎山などに挟まれた長さ900km・幅わずか数km~数10km以下の平地帯で、
チベット山麓を水源とした貴重なオアシス都市郡が点在する地域でもあり、
当然ながら古代より東西の交易における要衝となっていたのですね。

背景としてはこれより前の紀元前3~2世紀頃には、既にこの回廊から更に西にあるタクラマカン砂漠の南北外縁にあるオアシス都市を伝ってパミール高原を越え、西域へと至る通商路が成立していました。更に紀元後にはタクラマカン砂漠の北にある天山山脈の北側の草原を通って同じく西域に至るルートも成立して行きます。これらのルートが、西域南道・天山南路、そして天山北路と呼ばれる、シルクロードの中間で分岐する3つのルートの原型だったのですね。

そして、中国からは河西回廊を通らないと西域に至るこれらのルートには行けず、
匈奴を孤立させるために西域諸国を味方に引き入れたかった当時の漢にとっては、
どうしてもここを抑える必要があったのでした。
同時に匈奴にとってもここを漢に渡すという事は
ある程度従属下においていた西域諸国への押さえが利かなくなる事を意味しており、
通商面と政治面の両方で生命線に近いものがあったのです。
(ただし匈奴は回廊の更に北からのルートで西に行く事はできた)

中央アジア図BC-2-02

この地域を地図で見るとこんな感じですね。
ほんと狭い回廊になっているのがわかります。
南が山脈で北が砂漠と山岳、
この回廊の中心に要塞を築いたらとか・・、なんか別のものを想像しそうですらあるw

西から敦煌・酒泉・張掖・武威(後の涼州)。
匈奴との勢力争いに勝利した結果武帝が設置したこの河西回廊4郡は、
その地政学的な重要性から後世においても様々な興亡が見られます。
例えば、11~13世紀になるとこの回廊地帯に羌族の部族であるタングート族が興した西夏が出現します。
ここを舞台に故・井上靖先生が書いた 『敦煌』 は今更紹介するまでも無いくらいのベストセラーでしたよね。
後にこの西夏が金や北宋、そしてモンゴルと渡り合う事になる訳ですが、これはまあ別の機会に。

まあそんなこんなで、
この回廊に中国の王朝が初めて勢力を伸ばしたのが実に漢の武帝の時代だったのでした。
紀元前110年代より、ここに大規模な入植と防衛施設が建設され始めます。
かつて張騫が10数年も抑留されてようやくたどり着けたほどはるか彼方だった西域へ、
漢はその橋頭堡を築きつつあったのでした。
そして紀元前115年には、かつて西域に派遣された張騫自身の献策により、
烏孫国との同盟を目的とした使節が送られます。
この時の使節の代表には再び張騫が指名されたのでした。
そしてこれの答礼として訪問してきた烏孫の使者との交流を通じて、
紀元前105年には漢の公主が烏孫の王のもとへ嫁いで行くことになります。
またこの頃には、
張騫が更に西の諸国へ派遣していた副使たちが続々と答礼の使節を伴って帰国しており、
これら中央アジアのほとんどの国々とも漢は国交を結ぶ事に成功していました。

そして紀元前104年、
ここで初めて武帝は西域へ向けた大規模な軍を編成します。
その目標はパミールを越えた先にあるフェルガナ盆地の大宛。
名馬の産地として知られたここの良質な馬をどうしても手に入れたかった武帝が、
まだ漢の勢威が完全に及んでいないこの地へ遂に出兵を決意したのでした。



おしまい。

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  1. 2008/08/19(火) 07:37:38|
  2. 草原の興亡
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香辛料大暴騰

@アントワープ

(今回は普通に行動記録です)

昨日の昼過ぎのこと。
商会員2名がそれぞれ金と香辛料積んで帰ってくるというので騰落状況を確認しに@WEB見てたら、
上記のような事態が勃発してました。
んでまあ、そのときヨーロッパにいたのが私だけ。

『王様の仕立て屋』 読みながらぼけーっと造船上げしてたんですが、
んじゃまあ見てくっかと現地へ。
アントワープでは既に大暴騰から売り時に落ちてたものの
ナツメグ・メース・クローブがそれぞれ160~180%台。

イスパ国籍でメースが素で@25000↑とかまだまだウマウマな状況w
吹っ掛けMAXで30Kまで届くんですからまだまだいけるわけで、
ロンドン・アムスあたりの商館に並んでる香辛料を数往復して売ってました。
結局、海事職なのに経験40Kほどと12Mくらいの利益出てましたが、
もうちょっと早く動いていたら50Mくらい稼げたかもですね。


キャノン払底

その後はついでにコーヴァスとか作ってバザーキャラに預けつつ、
再びマンガ読みながら造船上げでプカプカ。
いあ、まだR10だしヨーロッパを離れるのがいやだったので効率悪いの承知で、ですね。
『王様の仕立て屋』 は読むのに時間かかるので数冊も読み進めるとすぐ夕方になっちゃうわけですが、
ここでちらっとリスボンのバザー状況を見ててあることに気付きました。

名匠キャノン売ってる人が一人もいない・・・・。

大船尾やコヴァなどの兵装品とカロネ売りは10人以上いるのにね。
こりゃまずいだろと思ったので18~20時くらいは造船しながら大砲生産へ。
ちょっと急いで供給する必要あったのでいつもとは違う動きでやってました。

①アパルタメントに貯めてある交易品の大砲を901個取り出す。
②バルセロナ行ってカテ2・3を一往復あたり各2~3枚使いつつ生産開始。
③大量に名匠作るためノーマル品は全部店売り

だいたい1時間半で名匠キャノン30個生産できました。
キャノン90個以上作ってて1386が1基しかできないのには若干へこんだけど・・。
3基もできたらカテ叩いても余裕で利益でるんだけどねぇ・・。
で、リスボンのバザーを検索して見ると相変わらずほぼ誰も出品してない状況のまま。
セビリアではそれなりに出品者がいたものの、
結局だいたい18~23時くらいまでこの状況だったことになるのかな、
土曜日でバザー自体はかなり多かっただけに、売り上げ以前にこういうのは余計気になりました。
(※とりあえずその後は出品者も数人出たので日曜日は安定するかなと思います)

まあ、
大砲などは近場で短時間に作れるから段々商売としては希少性が薄くなってきてるものの、
消耗度合いで言ったら生産品としてはいまだに料理と並んで使う頻度の多い物。
売り手としてはこれが一時的に需給逼迫するのは確かにチャンスなのですが、
やっぱり少なくとも常に他に1~2人の売り手がいるくらいが実は逆に安心だったりします。 
5~6人いるようなら他のもの出しますけどねw



おしまい。

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  1. 2008/08/17(日) 10:56:01|
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需給逼迫の予感!?

戦術家?
戦術屋?

「家」 を 「屋」 にしただけですが、
全然別物なニュアンスになるから不思議。
まあDOLの職業にあるそれはたぶん後者ですよね。

戦術家RP

商会での名匠仕立て掘りツアーも終わり、
ついでに地中海方面の新クエもあらかた片付いた所でBC前日に。

で、昨日から海事やろうかなと思いつつ、
造船とBC用の生産もしたいなあとか考えていたら、なぜかこれ選んでいました。
機雷上げするかどうかはともかく、
バルカ家RP的にはいいかもって事でしばらくこれで過ごしてみる予定です。

それにしてもこの戦術家、スキルの系統表みると分かるけどえらい偏ってますね。
見事に間接系のスキルしかないw
これでせめて操舵か回避スキルが付いていれば、
同じ機雷撒くにしても何がしかの特色見出せるんだけど・・・。
あ、だから斥候とか守備衛生隊とか選ぶわけか。

んでまあ、
これでBC行っていいものか悩むラインですが、
夏休みだし久々に出てみようと思います。

それと今回のBCが初の夏休み開催ってことに関係するのか、
前日から海事品の販売がすごい伸びてます。
ここ24時間の売り上げを見ると、
既に大砲(今回はキャノンのみ)だけで50個以上、船首像も30個を優に超えています。
ただまあ、お盆期間の8/14~17日くらい迄は売れるだろうなと思っていたので、
事前に対策らしきものは一応取っていました。

このうちファフニール像の生産と供給については、
バザーキャラがファフニールを自作できるように工芸上げしてあり、
北欧彫刻レシピの取得と約50個分の材料ストックもしてあったので、
なんとか今日の分は間に合うかなって所。
おそらく夜には尽きてそうだけど・・・。
最悪数個分は残しておくかなあ。。

いっぽうキャノン砲の供給については、
1358までの中位品在庫が20基弱あったので、それ+新規で生産したものをノーマル品も含めて出品。
この辺の物でもいつもより10~20%高くても買ってもらえますね。
そもそもリスボンバザーの大砲供給量が普段より少ないから、
買うほうはちょっと時間によっては探すことになる気がします。
このままだと土曜日とかどうなるかわからん・・・。
私にしても、現時点では出す予定のない1372と1386の在庫が約20個、
それ以下が10~12個って状況なので、機会を見て結構作らないと完全に払底する気配です。

まあそんな状況ですからこの先2~3日のリスボンバザーについては、
①お盆って事で普段は生産者してる人が数人いない
②週末
③BC期間 
このくらいの条件でも、需給バランスが完全に崩れる時間帯が発生しそうでちょっと心配。
とりあえず私の知り合いの方やここ見てる方でBC用の船部品がなくて困ってるようでしたら、
できる限りは対応するので連絡して見て下さい。


おしまい。

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  1. 2008/08/15(金) 14:28:16|
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草原の興亡 その19

疲弊

中国や中央アジアの地名については、現代まで残ってる地名・有名な都市もあれば、
いっぽうで古代でしか登場しない地名もありますよね。
匈奴編ではこういう古名が結構多いので書いてるほうも地図確認しながらやってます。
で、三国志とかに親しんでる人ならある程度分かる部分もありますが、
資料読んでる書き手の方はともかく読み手からすると本来これは説明なしじゃちょっと不親切・・・。

いままで時間的な都合で地図はあまり出して来なかったのですが、
さすがにちょっとこのままでは書いてる内容が把握しづらいですね。
という事で今回からちょこちょこ中国~カスピ海あたりまでの地域を、
随時書き込みしつつ出してゆきたいと思います。


ブラウザの大きさ的にはW500~550がいいのですが、
それだと粗すぎて書き込み切れないのでやや大きいのを縮小表示にします。
詳しく見る場合は地図をクリック→ウィンドウ化して原寸表示にしてください。

①ユーラシア大陸の白地図をダウンロード(フリー地図サイトは結構ある)
②海・湖などを青系に着色
③あとは適当に資料見つつ古代の地名を書き込みするだけ

こんな手順でまずこの時代の有力な国、
それから登場してくる地名を入れるとこんな感じに・・。

中央アジア図BC-2-01

これを参考にしつつ、前回の続きを。

 



紀元前120年、
匈奴が定襄と北平にそれぞれ数万騎で侵入し、千余人を殺害して去る。
前年に大きく勢力を損ねたとはいえ、まだまだ匈奴も余力を残しているのが分かりますね。

 

紀元前119年、
この年になって漢は今までと違う動きを見せます。
10万人規模の編成は前2年と同じなのですが、

①衛青と霍去病に各5万人を指揮させる。
②この2軍団をそれぞれ別の方面から出撃させて匈奴の本拠を目指す。
③長距離の遠征を想定して予備の武装・馬を調達し、補給部隊も増員する。

そう、今まで多くの場合は匈奴の侵入に対応する形か国境付近での争いだったのが、
この年の戦いの主導権は漢の側にありました。
前年に西部の有力者を寝返らせる事に成功していたのも大きかったのでしょう。
最初からこの年の目標は、
漢から寝返った趙信の助言によって北に移していた匈奴の本拠地にあったのでした。

といっても実際にこの時の匈奴の本拠地がどの辺にあったかは良く判りません。
なぜかと言うと、
普通に 『北へ』 だとモンゴル高原の北へという意味に取るのですが、
史記・匈奴伝だとこれが 『沙漠の北』 という表現を使っていて、
これだとモンゴル高原の東にあるゴビ沙漠の北側の森林地帯(つまりバイカル湖の南あたり?)
とも取れてしまいます。
まあ想像でアレですが、モンゴル高原の南東寄りにあった本拠地が、
やや北西へ動いていったと見るのが妥当な気がします。
ただまあ、その後の漢のアクションを考えると史記の記述も正しい気がするけど・・・。

さて、
定襄から出た衛青と、定襄の北東にある代から出た霍去病は、
ともに匈奴の本拠があると思われる場所を目指して二方向から進んでゆきます。
一方、漢軍が到着するより早くこの情報を掴んだ匈奴の単于は、
保有する物資などをさらに後方へ移した上で、
自ら精鋭を率いて沙漠の北で待ち構えていました。

先に匈奴の軍とぶつかったのは大将軍の衛青の方でした。
最初はともに正面から近接戦を演じてた両者ですが、
ある日の夕方になってたまたま大風が起こります。
この混乱に乗じて攻勢を仕掛けたのは衛青のほう。。
左右から兵を展開させ、匈奴の本隊を包囲する事に成功したのでした。
こうして戦況が一気に不利となったのを見て取った匈奴の単于は身の危険を悟り、
配下の数百騎を率いて囲みを突破して北西へと逃走します。
総崩れとなった匈奴の本隊を追撃する衛青の軍は単于を捕らえることは出来ませんでしたが、
首級・捕虜の数は19000にも及び、
匈奴側は単于も一時行方不明となるほどの惨敗を喫したのでした。

一方、衛青より東寄りから出撃していた霍去病は、その頃匈奴の左賢王と戦っていました。
以前書きましたが左賢王とは匈奴の太子が就くナンバー2の地位で、
南に向かって左、
つまりモンゴル高原の東側~満州一帯がその領域となるため、
東から出撃した霍去病の軍は自然とこの左賢王を相手にする事になったのでしょう。
結果、霍去病率いる5万の漢軍は、
この戦役で最大規模の戦果となる7万余もの首級・捕虜を得ます。
匈奴側はこの大敗で左賢王及び配下の将軍がほとんど逃走し、
遠く西へと逃げ去ってしまったのでした。
わずか22歳くらいでこれほどの大功を上げた霍去病ですが、
この勝利の後
封(山上で盛り土して天を祭る儀式)と
禅(山を掃き清めて地の神を祭る儀式)を行い、
最終的に匈奴の拠点であった翰海 (バイカル湖付近かゴビ沙漠付近のどちらか) まで
遠征してこれを掃討して帰還します。

衛青と霍去病によるこの年の勝利の結果、
匈奴は黄河の南側(オルドス地方のこと)だけでなく、
そこから西に延びる北の草原と南の沙漠の間にある回廊地帯(河西回廊のこと)においても、
その支配領域のほとんどを失ってしまいます。

漢にとっては長いこと抑えられていたこの地域の安全が確保されたことで、
この回廊地帯には拠点の設営と殖民が進み、
その後新たに敦煌や酒泉などの4郡を設置する事となったのでした。
そしてこれは、かつて張騫が派遣された西域への道が開かれた事を意味していました。
この後、漢と匈奴の戦いは東から西に移ります。

しかしこの紀元前119年の戦いは両者に大きな爪跡を残します。
匈奴は8~9万もの大損害を出して勢力を大きく削られたのはもちろんですが、
漢の側でも数万人の犠牲者と馬も10万頭以上の損失を出していたのでした。
そして、10年以上にも渡るこの戦役で、
さしもの漢もこの頃には既に国庫は底をついてしまっていました。
文帝・景帝の時代にはうなるほどの備蓄があったにもかかわらず・・・。
武帝が塩や鉄などの物資を専売にし、
更に均輸法や平準法といった増税策を行って戦費を調達しだすのはこの年以降からです。

結局、このあと数年間は漢も匈奴も目だって大きな軍事行動は起こしませんでした。
両者の疲弊による奇妙な休戦期間とでもいうのでしょうか。
多少なりとも余裕があったのはもちろん漢の方でしたが、
その漢の側でも痛すぎる損失が発生して軍を起こすどころではありませんでした。
この最初の戦役で最も大きな功績を挙げ、
戦後は大将軍の衛青と共に大司馬に任じられていた霍去病が、
わずか24歳で亡くなったのです。

このあと、
漢は南越への攻撃で数年を費やし、
匈奴もまたこの間に新たな後継者が立つなどしており、
両者が目だった動きを見せるのは更に10年ほど経ってからとなります。

小康状態が動き出すのは衛青と霍去病による遠征からおよそ15年後。
漢が西域への遠征軍を派遣した事から始まったのでした。
次回、舞台は西域諸国へと移ります。

で、次回のサブタイトルは、
このシリーズが構成書きの段階だった頃から決めてたものを使用します。
やや気合を入れて書く回になるんだろうなあ・・。

 

おしまい。

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  1. 2008/08/12(火) 20:06:49|
  2. 草原の興亡
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ファフ屋

特化型

昨年の暮れあたりからリスボンにバザーキャラを置いていますが、
これの存在はすごい大きい。
なにしろこの子、
メインの方で大砲やら帆やら作ってもらった物を売っているだけなのに、
知らない間にキャラ作って数ヶ月で資産が1G超えてましたw

しかもこの間に移動したのは、
新年のイベントでアイテム貰いに主要港に行った時と、
カリカットまで定期船を乗り継いで銀行枠+5を貰いに行った時のみ。
そう、メインが運んできた各地の名産品をこの子に売らせてたら、
それだけで名声が30000とか溜まってたりする。
なんという貢がせキャラだろう・・・。
んでまあ、お前もうちょっと働けと!

そんなわけで、このバザーキャラに工芸修行をさせる事に。
工芸選んだのは成長早いってのもありますが、
このキャラには普段からファフニール像の材料(木材・青銅・琥珀)をストックさせてますから、
自分で作れれば常に売るもの確保できていいかなと。

まあ、とりあえずファフ生産が目標だからR9あればいいわけですし、
工芸は過去に2回カンストさせてるから、(←が当時の記事)
上げる手順とかはまあ判ってます。
あとは時間を見て、ついでに鋳造もR7までやっておく予定です。
(青銅が作れればいろいろと思う)
これで引き篭りニートなキャラにも自活の道が・・・。


おしまい。

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  1. 2008/08/10(日) 10:02:33|
  2. 鋳造・縫製 その他生産
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草原の興亡 その18

開戦

これまで、匈奴と漢の間で行われた、
東アジアでは初となる大国同士の戦争については主に人物を中心に見てきました。
今回は全体の流れをつかむ目的で時間軸でこれを追ってみます。


紀元前134年、
馬邑の計略により誘い出された匈奴の10万騎と漢が用意していた30万もの軍勢は、
直前に匈奴の軍臣単于が伏兵に気付いた事で匈奴側が撤収し衝突には至りませんでした。

これ以降、匈奴側も漢側もお互いの戦意を隠すことなく戦争状態に突入してゆきます。

紀元前129年、
匈奴が上谷(現在の北京のすぐ西)へ侵入します。
これに対して武帝は4人の将軍にそれぞれ1万騎を与えて迎撃に向かわせます。
結果、車騎将軍の衛青は匈奴700を討ったものの、軽車将軍の公孫賀は成果を上げられず、
騎将軍の公孫傲は敗れて7000騎を失い、驍騎将軍の李広に至っては捕虜となってしまいます。
李広がこの後弓と馬を奪って脱出した話は以前書きましたね。
この年は匈奴が再度侵入するなど両者の抗争は激化してゆきます。

紀元前128年、
匈奴は2万騎で遼西に侵入しておよそ3000人を捕らえ、この地の太守をも殺害します。
これに対して衛青が3万騎を率いて出撃し、逆に匈奴の兵数千を捕らえます。

紀元前127年、
衛青が雲中(黄河が最も北に湾曲しているあたり)から出て黄河沿いに西へ進撃し、
遙か西にまで到達した結果、黄河の南側にいた匈奴の2王を破り捕虜数千と家畜100万頭を得ます。
これにより漢は黄河の南側すべてを勢力圏内とし、
更に北側にあったかつて秦の蒙恬将軍が築いた長城をも修復し備えたのでした。

紀元前126年、
匈奴の軍臣単于が亡くなります。その後やや内部で勢力争いがあり、
これに勝ち残った弟の伊稚斜単于が指導者として立ちます。
後継者争いに敗れた軍臣単于の太子だった於単は漢に亡命する事になったのでした。

紀元前125年、
匈奴は北東部の3方面から各3万騎で侵入し、
更に別方面では黄河の南へも攻撃を仕掛けます。

紀元前124年、
今度は逆に漢が攻勢に出ます。
これまで功績を上げていた衛青が大将軍に昇進し、
6将軍・10万もの軍を編成して黄河の南側の朔方から出撃します。
これに対して匈奴の右賢王は長城から250kmあたりの地点で陣を張っていたのですが、
ここに衛青は急進して夜襲を仕掛けます。
奇襲を受けた右賢王はわずか数100騎で脱出するのが精一杯という惨敗を喫し、
衛青は15000もの捕虜と中小の王10人以上、そして100万頭近い家畜を得たのでした。

紀元前123年、
再び衛青は6将軍・10万人体制で出撃し、
匈奴の首級および捕虜とした者19000あまりという戦果を挙げますが、
この時は漢の側でも2人の将軍と3000騎あまりの犠牲を出します。
更に漢の前将軍・趙信は戦況が不利となるや降伏してしまいます。
その後、この趙信の進言を受けた単于は本拠地を北に移して漢との抗争に備えます。

紀元前122年、
匈奴が1万騎ほどで上谷へ侵入。

紀元前121年、
ここで漢に新たな将が登場してきます。
この年の遠征軍の将に選ばれたのは、衛青の甥でわずか20歳の霍去病だったのでした。
霍去病(かくきょへい)は18歳頃から衛青の下で従軍し経験を積んだとは言いますが、
ここで武帝は一気に彼を驃騎将軍に抜擢し一軍の指揮官としたのでした。
まともに考えたら縁故人事では?とも思えるこの抜擢に対し、
果たして霍去病はわずか1万騎で出撃するや匈奴の領内奥深くにまで侵攻し、
首級・捕虜18000を得るという大戦果を挙げます。
更にその年の夏には3万人以上の首級・捕虜と70人以上の中小王を捕らえるなど、
抜擢した武帝を満足させる結果を出したのでした。
またこの年の秋には匈奴西部の有力な王2人が4万人以上を率いて漢に投降してきます。
匈奴にとっては西域方面での敗北は相当な痛手となったのは言うまでもないですね。

それにしても、
①最初に敵の本拠地近くまで侵攻して戦果を挙げ、
②動揺したところを更に攻勢を掛けてより大きな戦果を挙げ、
③同時に相手の有力な者を寝返らせる、
④指揮官が若年であること
も含めて、これってこの時代から100年程前にどっかで見たような例ですが・・・。


さて、こんな感じで本格的な開戦から10年ほど経つあたりから、
徐々に匈奴の劣勢が明らかになってきていました。
まあ十年も戦い続けていれば、
それは内部留保の少ない匈奴が徐々に劣勢にたつのは分からなくもないですが、
それにしても紀元前121年以降の霍去病の登場は劇的な変化をもたらします。
次回はこの続きを。


おしまい。

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  1. 2008/08/09(土) 08:02:08|
  2. 草原の興亡
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草原の興亡 その17


(李広と李陵 その3)

李広利の援軍として派遣された李陵がその途中で匈奴の大軍に遭遇し、
敢闘するも最後は降伏した話は前回書きましたね。
その後の李陵はどうなったでしょう。

これには匈奴と他の中国周辺の騎馬民族との違いが現れています。
李陵を捕虜とした匈奴の単于は、
李陵自身が勇猛果敢で弓馬の術に長け、しかも人品優れた武将である事、
そしてかつて飛将軍と呼ばれた前漢の名将・李広の孫である事を知り、
彼をかなりの厚遇で迎えようとします。
漢に対する忠誠から李陵は当初これを断っていたのですが、
その後、漢の武帝から李陵を返還するよう使者が訪れると事態は一変します。

この使者が武帝に報告したのは 、
『李陵は匈奴の単于に兵法を教え漢に備えている』
といった内容だったのです。
これを聞いた武帝は激怒し、李陵の一族を妻子や母まで含めて皆殺しにさせます。
李家の本籍である隴西の将兵はこれを恥としたというのですが、
事実は違ったのでした。

匈奴に兵法を教えていたのは同じく匈奴の捕虜となっていた李諸と言う者で、
この人物は客分として厚遇され李陵より上座に座るほどでした。
李諸のために一族を殺された李陵はその後この李諸を刺し殺した上で北に逃げ、
行き場がなくなった事もあって最終的に匈奴に仕えることとなります。
李陵の不運を気の毒に思った単于は娘を娶らせ、李陵を右校王として迎えたのでした。



(匈奴の人材登用)
このように、匈奴は優秀な人材と見れば自分達を苦しめた人物でも迎え入れるなど、
人材の確保にはかなり貪欲なものがありました。
例えば西域へ派遣された張騫が捕らえられたまま十数年も勧誘され続けて脱出した話は以前書きましたし、この後には対匈奴の前線司令官とも言うべき李広利将軍も降伏した後に匈奴に仕えるといったことも発生しています。中には李陵と対比される蘇武のように、頑として首を縦に振らずに通した人物もいましたが・・。
とはいえ実際のところ匈奴の陣営には多くの漢人が招かれており、それは自ら進んでであったり、降った後に厚遇を受けたりと様々な形での参加だったのでした。
人材登用に熱心だったというのは匈奴の人口が実数で200万程度と漢の1/30程度だったこと、それから優れた行政組織や法制度・軍の運用などで漢から導入するものは多かったことを物語っているでしょう。

ところで、匈奴は紀元前200年代に勃興して冒頓単于の時代に隆盛を迎えてから、後に南北に分裂して北匈奴は西に去り南は漢(後漢)に従属するようになる紀元50年代以降まで、およそ260年以上も北方の草原地帯で最大の勢力であり続けました。
私たちは後にモンゴル帝国という世界史上でも最大規模の版図を築いた例を知っていますからそれほど特別な事とは思わないのでしょうが、これだけの長期間を隣接する地に超大国が存在する状態で維持し続けたのは結構特殊な方に位置する事と思います。
通常は遊牧民に英傑が現れると一気に興隆し大勢力を築くというのは歴史上まま見られますが、一方でその人物が亡くなるとその次の代でもう瓦解に向かうというのは良くある話ですから。

これが匈奴の場合は冒頓単于が登場したあと100数十年も漢と互角に戦い続けており、
漢に敗れた後も一定以上の勢力を保っていたのは偶然ではない気がします。
そういう点では匈奴の中に相当数の漢人が入り、元からの匈奴の風習の上に行政組織や法規の整備、軍の体制などで影響を及ぼしたというのは原因として充分考えられることなのかも知れません。
とは言えこれあくまでも私の推論ですし、実際のところ匈奴が独自の言語や文字・法体系があったかは未だに分かっていません。言語一つ取っても、匈奴語が古代テュルク語系に属するのか古いモンゴル語なのかすら分かってませんから。最近の研究結果や学生のレポートなどを見ると、言語についてはテュルク系が有力なもののモンゴル系の単語に近い発音も史記や漢書に見られると言いますし、風習・文化的には後期スキタイ文化がその根底で影響してそうだというのは言えてもそれがまだ定説とまではなっていません。
ただまあ、東部では漢人が、西では西域諸国の諸部族が多く匈奴の陣営に参加していたのは間違いなさそうですから、それぞれの地域の文字・言語が自然と使われていたのでは?とは考えられる所です。これが単于の幕舎周辺だと、もう様々な言語が飛び交うカオスというか国際色豊かな場所となっていたかも知れませんね。

さて次回以降は、
だんだん匈奴編の次に入って行きたいと思っているので、
(匈奴編だけで既に10回超えてるし・・・) 
時間軸での経過を追ってみます。


おしまい。

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  1. 2008/08/07(木) 23:41:47|
  2. 草原の興亡
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近況


勅命やったあとは反動かややだれてます。
本人的には海事か南米西岸の冒険やりたいんですけどねー。
あとエピソードか。

そう思ってる一方でやってたことはほぼ生産。
大海戦は3日目こそ支援艦やってましたが
それ以外は海事品の生産と武器強化とかに自然と行動するあたりが生産屋なんでしょうね。


(勅命後の一週間で作ってたもの)
カッツバルゲル強化 攻撃30~50台=8本 

スキアボーナ強化 攻撃50~60台=7本

名匠キャノン1386×7基、

その他キャノン60~80個くらい

ファフニール・大コヴァ・大船尾・メインステイスル =40~50個くらい

ファフの材料ストック集め =40個分くらい

カラバイン銃 =38丁 (一番いいのが攻撃47・・・あと2かよorz)
 →普通のは作りすぎたので店売りと250Kくらいでバザー出し。 
   大成功で36~38くらいのは欲しい人いたら差し上げます。

ビールその他酒類 =多分2500~3000個くらい

補助帆・大錐・鐘・名工 =計3000~4000個くらい
 →名工がそろそろ主要キャラに持ちきれなくなってきた、これどうしよう・・。


こうして書き出してみると普段以上に生産ばっかやってますね。
武器商人だと汎用性高くて逆に生産ばかりになることに気付いたw
週末はエピソード進めるかなあ。
うん、そろそろ転職しよう。


おしまい。

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  1. 2008/08/06(水) 06:01:53|
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3日目は補給艦

大海戦の3日目

は支援バザーやりつつ観戦。
主にポルトガル・フランス陣営で補給艦が付いていない艦隊への支援ですが、
時折商会員を見かけるのでそちらにも物資供給したりしてました。
事前に用意した物資は、

ビール700
ヤシ酒+ラム酒500
木材220
砲弾270
撤収の鐘1200
予備帆1100
マグオリ1350
大錐800

『これだけあれば足りるだろ』
と思ってたら、
あの海域だとビール作れるのがシエラまで戻らないといけないので
酒の需要が思ってる以上に高いですね。
あと主戦場がアビジャン港前~やや西に移ってた事で現地補給はもう少し必要だったかも。
足りない分はサントメ拠点でヤシ酒・ラム酒作って埋めましたが、
これは転用数が基本2なので数作る必要がありますね。
あと大型になって砲弾。
これもドゥアラに石炭売ってますが作りづらい。

まあ支援するだけで3時間あっという間でしたね。
N狩りに出てた商会員に情報流したりがあまりできなかったのが残念。

それにしても、今回ポルトガルの方がかなり数多かったわけですが、
それでも冒険者・商人のポル人の方はそれほど見かけなかったので、
これはCP4が実装された直後の海戦だったことも影響してるのかなあ。
この結果が次回以降にリンクするかは微妙な気がしました。

あといくつかじっくり観戦してた限りで見ると、
個々の艦隊名出してなんですが今まで観戦しなかった所では総理のとこ見てて面白いですねえ。
中・大型でイングの精鋭艦隊相手にガンガンやりあってるの見てて、『おー』 と思ったw
いままで大会や過去の海戦などでポルやイングの他の艦隊は結構観戦してるのですが、
今回あそこが普通に見てて面白かったので
次回支援やる機会があったらちょっと注目してみようかとも思いました。

まあまあ、とにかく皆さんお疲れ様。

おしまい。

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  1. 2008/08/04(月) 06:34:28|
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パイナップル

わざとらしく出てきた時点で

伏線と気付くべきでしたね。
今週のF。
とりあえずオズマはロイ・フォッカー少佐にはなれなかったらしい。
となると今度はルカあたりが危ない気がするんだが・・・。

(何の事かって人は、1STの第18話・『パイン・サラダ』 をみると判ると思うヨ)

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  1. 2008/08/02(土) 08:29:46|
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草原の興亡 その16

李広と李陵 その2


(李家の俊英)
李陵(字は少卿)は前漢の名将・李広の孫として生まれたものの、
成長するころには既に父・叔父たちは早世しており、
頼るもののない状態からのスタートでした。
これを見たある者が武帝に奏上します。
『李家は弓馬に優れ、漢に貢献してきた武人の名家ですから、
 後に残された李陵をぜひ引き立てて下さい』 と。

こうして早い時期に取り立てられ、間もなく騎兵800の指揮官となった李陵は、
果たして李家の血がなせる業か、若くして騎射に優れるなど非凡な才を見せます。
武帝に命じられて匈奴の領内への強行偵察を行った際などは、
約2千里もの深くまで侵入しながらほとんど無傷で帰ってくるという豪胆さも示していました。
若年ながら李陵が知勇豊かな将である事を知った武帝は彼を騎都尉に任命し、
今度は一気に騎兵5000の将、それも精鋭部隊の指揮官に抜擢したのでした。
このように、武帝の人事は相当に縁故採用も目立つ一方で、
実力主義で年齢に関係ない抜擢採用もあるなど、なかなか面白いものがあります。


(西域戦線)
その後、李陵は西域に派遣されます。
李陵が出仕した紀元前100年代以降の前漢は、張騫が西域より帰還して情報をもたらした事もあって匈奴との戦いも北よりも西部に主眼が置かれつつあり、その領域も敦煌や酒泉といった重要拠点が築かれるなど河西回廊にまで伸びつつありました。
紀元前104年にはこうした動きが遂に匈奴だけでなく西域諸国にも及ぶ事になります。
名馬の産地として知られた大宛(フェルガナ)を攻略するべく、李広利が遠征する事になったのでした。

そして紀元前99年、
甘粛省の酒泉で5000の兵を率いて守備に当たっていた李陵は、天山山脈方面の匈奴を討つため3万の兵を率いる西域遠征軍の総大将となっていた弐師将軍・李広利の援軍として出陣します。
実はこの時、武帝は李陵に騎兵5000の代わりに輜重隊(補給部隊)5000の指揮官にして援軍に向かわせようとしたのですが、李陵がこれに反対して、『私は匈奴と出会えば必ず打ち破る覚悟があるから、補給隊ではなく騎兵5000の将として援軍に向かわせて欲しい』 と奏上したといいます。
これに対して武帝は、 
『もうお前にやれる騎兵はないが、そこまで言うなら歩兵と弓兵の精鋭5000で行くが良い』 
と言って送り出したのでした。
これが李陵にとってどういう結果に繋がるかは誰にも予測できなかったのですが・・・。

ところで、なぜ最前線の守備に当たっていた李陵が、
わざわざ別の編成を受けて西域遠征に行かねばならなかったのでしょうか。
実は李広利は武帝の寵姫の兄で、出陣した彼には手柄を立ててもらうためにも少しでも優秀な中級指揮官を付けてやろうという武帝の思惑もあったかも知れません。実際問題として、紀元前104年に最初に遠征に出たときの李広利軍は、遠く西域まで進行したまではいいものの現地でまともな成果を挙げる前に消耗してしまい、敦煌まで撤退して武帝に援軍と補給を要請するという失態を演じ、
『戻ってきたら斬る』と、
こっぴどく叱られたという経緯がありました。
李陵が最初に参加したのはこの後に編成された第二次遠征軍だったのです。
この遠征軍は後方支援も含めて25万人規模で行われた為にさすがに成功し、
李広利は大宛を陥落させて名馬1000頭を持ち帰るという成果を挙げます。

ところが、紀元前99年の第三回遠征では、
李広利の援軍として出発した李陵指揮下の5000人はその途中、
単于みずから率いるおよそ3万騎以上の匈奴の本隊に遭遇してしまったのでした。

当然ながら戦闘に入った李陵と匈奴の単于ですが、
驚くべき事に李陵率いる5000の漢軍は6倍もの匈奴の騎兵を相手に激闘を繰り広げます。
李陵は突撃してきた匈奴の騎兵を1千丁もの弩の一斉射撃で足止めしたところで逆襲に出て、
後退したところを更に追撃して数千人を倒したと言います
これに驚いた匈奴の単于は更に近隣からも援軍を呼び寄せて李陵を攻めます。
さすがに追い込まれた李陵は東南にある拠点を目指しつつ後退し、
匈奴はこれを追尾するという撤退戦となったのでした。
そしておよそ8日間もの激闘の結果、李陵の部隊は匈奴の兵を併せて10000人以上も討ち取るのですが、最後は矢も武器も尽き、李陵はやむなく匈奴に降伏します。それにしてもこれ漢書の李陵・蘇武伝にある記述そのまま書いてますが、6倍以上の騎兵を相手に撤退戦を繰り広げて相手の1/3以上を戦闘不能にすると言うのは只事ではありません。

結局、李陵が降伏したあと戦場から逃れて帰還できた漢の兵は後を託した陳歩楽以下400余りで、
報告を受けて李陵の降伏を知った武帝は激怒したのでした。
目を掛けてきた俊英に裏切られたと思ったのでしょうね。
またこの頃の武帝は既に即位から40年が経って中高年期に入っており、
若い頃の柔軟な思考は後退してやや頑固で聞く耳を持たなくなって来たとも思われます。

そしてこの時、ほとんどの群臣が武帝に迎合して李陵の罪を言い立てる中、
ひとり李陵を弁護した者がいたのでした。
それが、後に史記を完成させることになる、
太史令の職にあった司馬遷その人だったのです。
長いですがここは漢書・司馬遷伝にある李陵弁護の記述を要約します。

『李陵は親に仕えては孝、友人には誠実。
 常々奮い立って身命を顧みず国難に殉じようというのが平生からの願いでした。
 今ひとたび不運にあったものの、命の危険もなくのうのうと暮らしてる者が、
 この時とばかりに有る事ないこと悪口を申すのは李陵が可哀想でなりません。
 それに李陵の率いる兵は5000にも満たないのに胡馬の地に深く攻め入り、
 数万の敵に立ち向かったのです。
 家来にかくも命惜しまぬ働きをさせたのは古の名将も及ばぬ所。
 その身は負けたとは言え、匈奴を打ち破った手柄は天下に披露するに足る物です。 
 彼が死ななかったのは折を見て漢に恩返ししようとしての事でしょう』
 
これを聞いた武帝は司馬遷を宮刑に処したのですが、
その後、武帝は李陵に援軍を送ってやらなかったことを後悔し、
生き残った兵たちには褒美を下した上で李陵を迎えようと使者を派遣します。
しかしこれが、李陵の運命を大きく変える出来事に発展したのでした。

長くなったので続きは次回に。



おしまい。

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  1. 2008/08/02(土) 07:31:26|
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