打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

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アンケート結果

9/18~30で募集してたアンケートはこんな結果に。


アンケート01

46票!
いやもう、皆さん投票&コメント感謝です。
やる気出ますねこれ。

さて投票結果について。

【歴史ネタ】
いまDOL全体で歴史系の記事を書くブログの更新が減ってきてる事もあるでしょうか、
歴史ネタはうちの基本カテゴリーでもあり、ここが半数近くと断然多かったですね。
一方ここ一年の主力カテゴリとなっている歴史系シリーズ記事は少なめ。
なんとなく
『マニアックなもの書いてないで分かり易い小ネタ出せ』
って反応な気がしないでもないんだけど・・・。

とりあえず私まだ大航海時代ど真ん中の歴史ネタやインカ帝国などDOLの旬に沿った話とかあんまり取り上げていません。なのでこういうDOL世界に関連性の高い歴史雑学を取り扱うならこれからなんぼでも書けるのですけど、逆にあらかた書いちゃうとそこで満足してしまう気がしてて中々手を付けられません。
まあ、当面は今やってる中央アジア編が目途付くまで書く予定で、それと並行して大航海時代の前史部分の続きなどを書こうかなとは思うので、大航海時代関連はだんだん外堀埋める形で迫って行こうかなと。普通は基本線取り扱ってそこから細かく派生してくのでしょうけどね^^


【生産もの】
これが2番目に来るとは思っていませんでした。
DOLでは生産屋やってる関係でこのカテゴリもいくらでも書けるんだけど、ほとんど誰も売ってなかった頃のコーヴァス作りレポートとか、毎回マニアックな方向に行ってしまうので最近ややセーブしてました。まあこんな記事でも需要あるならもう少し見てみようかとも思います。

【船について】
投票して頂いた以上に個人的にこの先もっと掘り下げたいのがここ。
ただし恐らくDOL世界の船はかなり限界点に近付いてると思うから、既にジャンルとしては狭くなってきてるのが気になる所。

【人物伝・書籍紹介・地理】
人物ものはもう2年近く書いてないんですね。2世代前のテンプレートで書いてるのでちょっとびっくり。しかし最後に書いたマーチャーシュ・コルヴィヌスとか一般的には誰だよw ってひとですが、今考えるとかなりこの後のシリーズ展開で使いやすい人物だったりして・・。
書籍は最近紹介するより資料として読むほうが多いから間接的には紹介してるのかなあ。記事かいた最後に参考資料とか載せとくといいのかも。あと、どこかの時点でブログ書き出してから今まで読んだ関連書籍をまとめてリストアップするのも面白いかな。
地理史跡については、このところ新海域が追加されたら書くってスタイルになってたのにまだ更新してないですね。南米西岸はいろいろ面白い所が多いので雑学として近々取り上げると思います。



まあそんな所で、今後とも皆さん宜しくです(ペコリ



おしまい。


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  1. 2008/09/30(火) 23:35:14|
  2. 活動日誌
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草原の興亡 その27

大移動の余波


定住
フン族編は今回から5世紀のアッティラ時代へ入ってゆきます。
紀元400年頃までにだいたい現在のルーマニアからハンガリー付近にまで到達していたフン族に対し、5世紀に入るとこれまで完全に蛮族中の蛮族というような捉え方をしていたローマ帝国側の対応が変化してきます。一言で表現すると 『敵対者から警戒すべき同盟者へ』
結局ローマ側からすると自分たちを襲っているゴート族を更に西へ西へと追い払ってゆくフン族は、敵とするよりも少なくとも非敵対的な存在としていたほうが賢明だと考えたのでしょう。
422年頃にはフン族に対してパンノニア(現在のハンガリー西部)の地に居住することを追認し、かつ毎年同盟料として黄金・織物・食料その他の物資を提供することを約束したのでした。言ってみれば安全保障費、もしくは強者への貢納のようなものですね。フン族にとってもハンガリーの平原は放牧地として最適であり、遠く東から遠征してきてようやく安住の地を得たのかもしれません。このハンガリーについてはあとで書く予定。んでまあ、フン族が再び動き出すのはこの後440年代以降ですので、その前に侵入する先のヨーロッパ情勢をさらっと書いておきます。


玉突き
さて、フン族に押し出されるようにして西へ西へと移動していったゴート族、当然ながら移動した先でヨーロッパのほかの部族と干渉することになり、更にヴァンダル・フランク・ブルグンドなどゲルマン系の諸部族が西へと移動する要因となります。中には最初にフン族に征服されたカスピ海のアラン族などもこれに混じっており、こうしてフン族に押し出されたゲルマン系の諸部族は今度はガリアや北イタリア・南フランス方面などローマ領内へ侵入します。
406年、ヴァンダル・スヴェヴィ・アラン族などの集団がライン川を渡り、北フランスのトリエル・アミアン・パリなどを襲って南へ向かいます。この頃にはフランク族がライン川の下流域で勢力を拡大していましたから、恐らくその南から渡ったのでしょう。そしてガリア中部ではライン川中流付近にいたアラマン族もこれに同調してライン川を渡って侵入してきており、広範囲に侵入を受けたガリアのローマ帝国は面から点(都市)だけの存在になりつつありました。そしてこの西暦406年という年は、フン族にアッティラが生まれた年でもあったのです。
また、この406年にライン川を渡ってきたゲルマン系部族のうち、ヴァンダル族はガリアに留まりませんでした。409年にはスペインに到達、更に428年には北アフリカへ渡って西から順に制圧してゆき、最終的には当時北アフリカ最大の港を持っていたカルタゴをも陥落させてヴァンダル王国を建設します。


西ゴート王国
一方、フン族に追われた西ゴート族はこの間どうしていたかというと、黒海西岸>ハンガリー及びルーマニア一帯>アドリア沿岸と移動してきて、400年頃にはもう北イタリアと隣接するあたりまで勢力圏を伸ばし、当時ラヴェンナにいた西ローマ皇帝を脅迫してガリア・北イタリアでの領地を要求するまでになっていました。
そして410年、西ゴート族がローマに侵入し、3日間に渡って略奪を行います。その後、412年には西ゴートの王アタウルフがガリアに侵入してナルボンヌ・トゥールーズ・ボルドーの三都市を制圧してアクィータニア(現フランス南西部)に割拠します。アタウルフはその後、人質としていたプラキディア(皇帝ホノリウスの妹)と結婚してローマ風の行政府を設けるなど親ローマ路線に転換し、ローマ最大の同盟者として418年に西ゴート王国(トゥールーズ王国)を建てます。


ブルグンド王国
406年にライン川を渡った部族のうち、もうひとつ重要な部族を書くのを忘れていました。ブルグンド族です。413年にローマと盟約を結んだブルグンド族はライン川西岸の中~下流域でその後20年近くローマとは良好な関係を続けていたのですが、436年にフン族の傭兵を使ったアエティウスの攻撃によって南に逃げ、現スイスで再びローマと盟約を結んで定着します。彼らはその後西に勢力を伸ばして西ローマが滅亡する476年頃にローヌ川一帯を制圧しブルグンド王国を作ります。
さてこのブルグンド族を重要と書いたのは、この一連の経過が後に叙事詩『二ーベルンゲンの歌』の題材となったからです。ブルグンドの王女クリームヒルトとネーデルラントの王子ジークフリート、そしてフン族の王エッツェルにゴート王テオドリックなどが登場するこの叙事詩、DOLでも前半の主人公ジークフリートが持っている剣バルムンクを入手する連続クエとして登場しますよね。ブルグンド族の名は後にフランク王国の伸張によって埋没してゆきますが、王国としての名はその後も長く受け継がれてゆきます。

ヨーロッパ地図_5世紀前半01
ここでちょっと430年頃までの地図をだいたいで書いてみました。
(原寸はW800×H584ピクセルありますのでクリックして見てください。)

こんな感じで、360年頃にカスピ海の北部で始まった玉突き現象の余波は、いつの間にかヨーロッパ全体に及ぶ大変動へと拡大していたのでした。ライン川沿いに建設されていたケルン・マインツなど後世まで都市として残るローマの軍団基地が既にゲルマン系の部族に制圧されているのが分かりますね。ただ、戦乱の中の均衡とでもいうのか、420~430年代に掛けてローマを軸とした西ヨーロッパの勢力バランスは意外に安定していたのも事実です。


しかし440年代に入ると、事態は一変します。
これまで毎年の支払いを要求しつつもローマ帝国と比較的良好な関係を持っていたフン族に、
その一生を反ローマに費やした男が指導者として立ちます。
そう、アッティラの登場でした。
兄のブレダと共に後を継いだ彼の代で、フン族は短期間にその最大版図を築く事となります。
次回はアッティラの西ヨーロッパ侵攻と歴史上のポイントとなる戦いを紹介します。


おしまい。


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  1. 2008/09/28(日) 09:11:27|
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現代の帆船たち

先日募集したアンケートをみると、

歴史ものはまあ主力ですから別として、結構船に関する要望が多いですね。
で、最近書いてないのでリハビリ気味に取り上げてみます。

さて、日本の帆船といえば代表的なのが日本丸・海王丸。
これを有する航海訓練所のHPが結構好きなのですが、
ここのHPには現存する世界の帆船のリストなんかが載ってます。
リストをみると、最も大きいクラスとなっているClass A※に分類されているのが66隻。
 ※全長120ft(36.6m)以上の横帆船及び全長160ft(48.8m)以上の縦帆船。
更にこの下のClass AⅡ×21、Class B×31、Class C×86で約140隻ですから、
世界にはまだ一定以上の大きさを持った帆船が200隻以上残っているわけですね。
(小型のはカウントしていないし、大きいものも実際はもう少しある)

ちなみにこの中で最も古い帆船が、1797年に就航したあのCONSTITUTION号。
確かボストンに繋留されており、
このブログでも始めて間もなくの頃に大型フリゲートの例として取り上げましたね。
それにしてもいまだに現役ってのが素晴しすぎる。
で、現存するこれらの船のうち、『Class A』 の66隻をちょっと分類してみます。
ここから何か傾向とか出るかな、と。



1)マスト数の比較
分類1・マスト


圧倒的に3本マストが多いですね。4本マスト船となると6隻しかなく、しかもそのうちの2隻が日本の練習船、日本丸と海王丸だったりします。この4本マスト船は全長100m以上の大型船での採用がほとんどで、今のDOLで言う所のクリッパーや大型スクーナーは全長50~60mがいいことかと思うので、本当は3本マストでもいい気がします。あ、なんとなくバランスが崩れている気がするのはそのせいか・・。あのマストの位置だと各ステイスルを張る部分が狭く感じるし、フォアマストが前に行き気味でミズンも船尾にやや近くなっちゃってます。



2)帆装形式
分類2・帆


ここは結構まんべんなく有りますね。
DOLでいうとクリッパー系はSHIP、ガレオン系はBARQUEが基本形となってます。
恐らくこのBARQUEが最も汎用性が高い帆装ですし、
もともとこの言葉はうちの家名にも通じるBarca-longaの短縮形と言うこともあり、
帆装の中では好みかなぁ。
日本丸・海王丸は4本マストのバーク船です。



3)就航年代
分類3・年代


19世紀の6隻を始め、意外に第二次世界大戦以前の船が残ってるのが判ります。
残存数は29。
今世紀中に何隻が残る事でしょう。
それからオイルショック時代の1970年前後の船が少ないのも目立ちますね。
そして現代、結構新型船が投入されているんですねぇ。
ただし今世紀に入っての登録がない・・。
この中でも日本丸・海王丸は設計が新しく、
規模・速度・装備類など現役の中ではほぼ最高の性能を持った船だったりします。



4)モデル船
こうしてみると、3本マスト・バーク型・1921~1940年就航ってのが、
集計した中では基準になりそうです。
では実際これに当てはまる船は・・・、
っと5隻ありますね。

EAGLE      U.S.A     1936年  3本  BARQUE   全長89.9m   全幅11.9m

MIRCEA      RUMANIA     1938年  3本  BARQUE   全長82.1m   全幅12.5m

PICTON CASTLE NEW ZEALAND    1928年  3本  BARQUE   全長53.6m   全幅7.3m


SAGRES      PORTUGAL     1937年  3本   BARQUE   全長89.6m   全幅11.9m


TOVARISCH      UKRAINE     1933年  3本   BARQUE   全長82.1m   全幅11.9m


この中で経歴として面白いのは③のPICTON CASTLE号。元々はウェールズの底引き網漁に使用されていたのが、第二次世界大戦時になると英国海軍に徴用され、機雷除去船として掃海作業に投入された経歴も持っています。一時は北朝鮮で使用されていたり船名が違っていたりと変遷ありましたが、いまはニュージーランドで学校の練習船として使われているようです。(翻訳いまいち読めてないので怪しいけど)
それから④のSAGRES号。 帆の紋章見て分かりますが、ポルトガルの帆船です。この船は横浜などにも来てるしかなり有名な帆船ですよね。船名の由来はエンリケ航海王子が設立した世界初の航海学校があった岬の地名から。紋章も大航海時代のポルトガル船が採用したマルタ十字の一種(大航海シリーズのフェレロ家もこれ付けてる)ですからかなり大航海時代意識してますねえ。


他にもまだまだ現代に残る歴史的帆船はありますが、
この中から将来DOLで登場してくるような船があるでしょうか。
ちょっと楽しみ。



おしまい。


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  1. 2008/09/25(木) 23:58:28|
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バルセロナ伯(自称

到達


2日前から東南アジアで海事やってます。
カロ積んでぺしぺしと。
この日はなぜかスキルとか色々上がってました。

水平15

あと弾道もほぼ同時にR15に。
速射R12貫通R8とこの辺は半端ですがこれで砲術家は卒業かな・・。

兵器8

あと剣術も7と低いけど上がってました。
兵器8ってことで、これで先制攻撃と徹甲弾が使用可能に。
このあと白兵系の職業になる予定だし、
バルティックガレオン(☆2に徹甲弾)使うの好きなのでこれは嬉しい。
そしてなぜかNPC狩ってる途中で・・・

伯爵02


これは正直予想外。
海事爵位もう5個ぐらい来てる気がするんだけど、一体どういう基準なんだろう・・・。
しかしまあ、伯ですよ。
10%港の関税優遇とかおいしい特典以上になんか到達点っぽいものがあります。
侯とかはもう名声いく気がしないから当面ここで落ち着くんでしょうね。

で、
とりあえずバルセロナ伯を自称することにした。
伯になっても所領がもらえるわけじゃないので、『○○守』みたいなものだろかw
まあ、あとで投資しておこうかと思う。


おしまい。


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  1. 2008/09/23(火) 21:34:22|
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草原の興亡 その26


前回の流れで行くとそろそろアッティラの時代を書くのですが、その前にやや変化球で。
いま書いてる3~6世紀あたりというのは古代から中世への転換期なのは一つありますが、実は馬具についても大きな転換期に当たっています。古代においてはこれまで騎馬遊牧民などの特殊技能だった騎乗が、農耕民族にとっても敷居の低いものとなるいくつかの発明・改良がこの頃あったのですね。今回ちょっとその辺を押さえて置こうかなと。


【鞍と鐙(あぶみ)】
まず鞍。
古代にはほぼ軟式の鞍だったものが、3世紀頃になると中国で硬式の鞍が登場してきます。これによって鞍には色々なものが取り付けられるようになり、馬上で移動・生活する事の多い草原の遊牧民にも一気に広まってゆきました。また、ローマやペルシアでもほぼ同時期に大型で安定性に優れた鞍が採用されていたらしいのですが、この時点でもまだ鐙は一部の例外を除いて発明されていませんでした。

ところが今から8年ほど前、日本の箸墓古墳(奈良県)の周囲の濠からいきなり木製の鐙が出土します。箸墓古墳の年代は諸説ありますがだいたい3世紀末~4世紀前半で、これは今まで国内最古の出土が5世紀だったのが一気に50年以上さかのぼる発見でした。しかもこれ世界的に見てもかなり早い年代・・・。人によっては箸墓古墳本体の年代と出土した鐙とは年代が違う可能性も指摘されている位ここはまだ考古学上でも疑問とされる部分らしいですが、仮に4世紀前半に日本で鐙が埋葬されていたと言う事はそれ以前に大陸(中国)から鐙は伝わっているわけで、伝播する距離と時間を考えると鐙はそれ以前の3世紀末から4世紀初頭には中国で発明されていたと見るべきでしょう。実際、中国では4世紀初頭の西晋時代の遺跡から出土した鐙が現在最古の物として確認されており、鐙の発明は西晋時代(西暦280~316年)が有力と考えられています。

鐙の発明が騎馬遊牧民ではなく中国と推定しているのは、基本的に遊牧民は子供の頃から馬に乗っているので騎乗するときは飛び乗る技術が非常に優れており、片足を掛けて馬に乗るなんて道具はあまり必要なかったからです。しかし農耕民族が馬に乗るというのは特権階級や軍人になって必要になってくるものですから、馬具の開発はこちらの方が切実だったと見て良いと思います。

しかしこの鐙という馬具の機能は、何も地面から騎乗する際の足場としてだけではありませんでした。実際に馬に乗った後、固定された硬式の鞍から下げた鐙に両足を掛けると、両手を離しても非常に乗りやすく、しかも踏ん張る姿勢を取ることができる事がわかったのですね。つまりこれは、馬上で弓を引く・槍を投げる・突く・剣を振るなど、戦闘時の動作がかなり楽になる事を意味していました。ところで現代の競馬のジョッキーはこの鞍から下がった鐙をかなり短くして使用しており、足首の側面で体を支えて騎乗する『モンキー乗り』というスタイルをとっています。しかし当然ながら誰でもこんな曲芸みたいな乗り方ができるわけではなく、普通の乗馬は鐙を長めに取って鞍に乗っていますよね。
ちょっと脱線してるな・・。

で、武器のように軍事的な発明は伝わるのが早いというのは今も昔も変わりません。
こうして5世紀になると中国から中央アジア・ペルシアにまで一気に両鐙は伝わり、ヨーロッパでは6世紀ごろに東ヨーロッパに侵入したアヴァール族を介してフランク族などがこれを採用し始めます。
ただ、4~5世紀前半ごろのフン族騎兵の装備は両刃の剣・三角の矢と反った弓・木製の鞍・革の鞭など、ペルシャ系の装備とアジア系の装備が混在している記述があるのですが、これまで残っている資料・記録には彼らが鐙を装着していたというのはありません。これは記録する側のヨーロッパ人(の歴史家)にその知識が無いのも影響してるでしょうか。恐らく鐙のない状態でフン族騎兵は騎射していたと思われますが、それだけに襲われたほうのインパクトは強烈でした。ほとんど失速しない状態で馬上から正確に弓を射られたら、それは脅威以外の何物でもありません。後世、モンゴル騎兵が世界を席巻した原動力のひとつが圧倒的な騎射技術ですから、古代期にこれに近い事をやられたら同じ騎馬の習慣を持つゲルマン系の部族も対抗できなかったのはなんとなく判る気がします。

さて、これら新しい馬具の発明と実用化は騎兵に大きな変化をもたらします。
古代においてスピードとパワーでは歩兵とは段違いのはずの騎兵が、戦力としていまいち活用しきれなかったのは、使いづらい・純粋に兵種として未成熟だったと言うことも無視できないと思います。むしろ用途としては斥候や情報伝達としての手段の方が重要だったかもしれません。それだけに、古代の名将は揃って騎兵を戦術の中に組み込んで結果を出した人たちだったからこそ、後世まで名を残したとも言えそうです。
これが、ハミと鞍・そして鐙という馬具三点セットが揃って以降、その戦闘力は歩兵を圧倒し始めます。槍と金属鎧で武装した重装騎兵や、投げ槍と連射に優れた短弓を装備した軽騎兵の登場はその典型と言えるんじゃないでしょうか。更にここから、騎兵は各地域で独自の発展を見せてゆく事となります。

そしておよそ800年後、それぞれ独自に進化したヨーロッパの重装騎兵・モンゴルの弓騎兵・それから槍術と弓術に優れたイスラムの騎兵が13~14世紀になると激突する事になるわけですね。その後、経済基盤の整備によって常設の歩兵や弓兵による集団戦法が生まれ、更に銃や大砲などの火器を使用した戦術が実用化される中世末期~近世まで、騎馬遊牧民の騎兵たちはユーラシア大陸最強の兵種として君臨し続けたのでした。んでまあ、最終的には弓の代わりに火器で武装した騎兵なども登場してきますが、この辺はこのシリーズの最後のほうでまた取り上げると思います。


次回はいよいよ5世紀のヨーロッパを席巻したフン族の最盛期を見てゆきます。


おしまい。


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  1. 2008/09/21(日) 12:58:41|
  2. 草原の興亡
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49クロス

PFの黄色鉱石があまりにも貯まり過ぎたのでここ2~3日は火薬買い付けて銃強化などやってます。しかしあれですね、銃ってカッツ並に強化しづらいんですねぇ・・。攻撃50台のブリーチローダーがとりあえず3丁残ったけど壊れたのは60丁以上。他の人のブログで攻撃100のを6本とか作ってる記事見ましたが大したものだわw

で、銃が壊れてアイテム枠が空いた所には陸戦つながりでクロスヘルムを作ったりもする訳ですが、この日はなぜかやたら成功率が良く20個作って10個大成功。この成功率が銃で出てくれれば・・。


49クロス

防御37・39・39・39・41・45・45・46・48・49
N10=50%

で、この中でも防御49のクロスヘルム。
たぶん頭装備品では最高の防御力になる、ある意味頂点の品。
以前たまたま出来たのを商会の陸戦屋さんに卸した覚えがありますが、
さて今度はどうすっかな。

とりあえず近日陸戦大会あるらしいし、
49以下のとかもありますからねー。
使う人はご一報下さい。


おしまい。


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  1. 2008/09/19(金) 22:39:27|
  2. 鋳造・縫製 その他生産
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あなたの一票を!

なんかFC2にはこんな機能もあるらしいので作ってみた。
ちょっと今後の参考にさせてください。

テーマは 『今後の打倒ブログで取り上げて欲しい記事』




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他にもあったら『その他』のところにコメント入れて下さい。
取り合えず期間は今月末まで。
全部書きたいカテゴリですから、この結果は今後の打倒ブログに反映させると思います。
投票なかったら悲しいんだぜ;



※9/19追記
ちょっと項目の補足を。
『シリーズもの』 は、いま書いてる『草原の興亡』や、過去に書いた『蒼き狼の末裔たち』・『打倒ローマへの道』などの歴史系テーマの長編あたりが主な対象です。判りづらくてすみません。


おしまい。


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  1. 2008/09/18(木) 15:55:05|
  2. 雑学
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草原の興亡 その25

東方からの脅威 その2


(ハドリアノポリスの衝撃)
西暦376年、フン族と征服された東ゴートの難民の流入によって、当時黒海西岸に居住していたヴィジゴート族(西ゴート)の一部は西のハンガリー方面に逃げたものの、もう一方は更に南に逃げる事となります。
しかしここにはローマ帝国の防衛ラインであるドナウ川が立ちはだかっていました。
この流域沿いには現代でも主要都市となっている軍団基地が点在しており、紀元4世紀の時点では相当に他のゲルマン系部族の攻撃を受けつつも、まだある程度機能していました。

このトラキアと呼ばれた地域から、当時アンティオキアに居た東ローマ担当の皇帝・ヴァレンスの元へ知らせが届き、西ゴート族が庇護を求めてドナウ以南への移住を願っているとの情報がもたらされます。そしてこの時、当時既に40代後半に達していた皇帝ヴァレンスは、彼らがローマの盾となる事を期待したのか、彼らがドナウ川を渡る事を許可したのでした。確かにこれまで警戒の対象だったゴート人が入植し、耕作と防衛のための兵力の供給源となるなら、これはうまいと思ったとしても無理ありません。ところがこの処置がすべての混乱の引き金となってしまうとは誰が予測できたでしょう。

移住と言うか避難して来た西ゴート族に対し、当初皇帝ヴァレンスは食料などの救援物資を送ったとされますが、この物資は現地で軍団を統括していた各将軍たち・もしくは輸送と供給を請け負った商人たちによって横領され、まともに西ゴート族には届かなかったと言われます。そしてドナウ川を越えたのは、なにも領内への移動を許可した西ゴート族だけではありませんでした。フン族に追われた東ゴートを始め、周辺のゲルマン系諸族もこれに便乗し、中にはフン族の一部もこれに紛れて大挙押し寄せたのです。その数およそ30万人以上。しかも武装解除して来るようにという約束など無視して、彼らは武器を携帯していました。こんな状況ですからドナウ川南岸のローマ領内は大混乱に陥ります。この状況を受けてローマ軍は一転して高圧的な態度で臨む様になり、当然ながら進入して来た諸部族との関係は最悪の状態となって行ったのでした。

378年、皇帝ヴァレンスはオリエントからギリシアに戻り、軍備を整えつつトラキアへ向かいます。これを察知した西ゴート族も軍を集結させて対決する姿勢を見せるなど、このギリシア北方では決戦の機運が高まっていました。なにしろ西ゴート族もドナウ川以北は既にフン族が侵入してきていますから必死です。ここを追われたら更に西へ逃げるしかないわけで、これはもう征服というより生存を賭けた戦いでした。ローマ軍と西ゴートを始めとしたゲルマン系諸部族の連合軍がぶつかったのはコンスタンティノープルの北西数百キロの地点にある都市ハドリアノポリスの近郊(現トルコのエディルネ)。

あんまり細かく書くのは本来の目的ではないのですっ飛ばします。結果としてハドリアノポリス(アドリアノープル)の戦いでローマ軍は約2/3が戦死する大敗を喫し、皇帝ヴァレンスもまたこの戦いでゴート族に焼き殺されてしまいます。
その後、西ゴート族はハドリアノポリスと首都コンスタンティノープルの攻略を狙いますがさすがに両都市ともここは堅く、西ゴート族と他の諸部族の集団はいったんドナウ川方面まで引いたあとこの地にとどまったのでした。これは結局、首都までわずか数日で行けるギリシア北部がゴート族などのゲルマン系部族とフン族の一部に制圧されたことを意味します。

こうして、わずか2~3年でギリシアから黒海沿岸の勢力図は大きく様変わりすることとなったのでした。その後、東ローマ担当の皇帝にテオドシウスが就き、西ゴート族ほかからギリシア北部を奪還し、彼らにドナウ川沿岸を同盟者として割譲することでこの地域を当面安定化させることに成功するのですがこれはまあローマ史の範囲なので細かくは割愛します。

さて、ローマ視点だとこの事件はここで終わりなのですが、
この時のフン族の動きは実は別の方面でも大きなものがありました。
『フン族、カフカスを越えてトルコ・アルメニアに侵入』
恐らくイラン・イラク・トルコの歴史ではこっちのほうが重要な気がします。
4世紀末当時、ペルシア帝国ではおよそ70年に渡って君臨していたシャープール2世が亡くなり、政情はかなり不安定なものがありました。これに乗じる形でオリエント地域にもフン族が侵入してきたのですね。
395年にはアルメニア・ペルシア・アナトリア半島と広範囲に侵入してきたフン族の一部がササン朝ペルシアの首都クテシフォンに迫り、ペルシア軍の必死の防戦によりフン族をなんとか北方へ押し戻したと言います。その後もフン族はアルメニア・トルコ・ドナウ川中下流域を連年侵略して回った結果、だいたい400年頃までにはフン族の支配地域は南はアルメニアの国境付近まで、西は現在のハンガリー及びセルビア付近にまで到達していました。フン族から見れば、もはやドナウ川沿岸にあったローマの軍団基地など全く防衛ラインとして機能しなくなってきていたのです。

そして5世紀、フン族に物語にも登場する英傑が出現します。


おしまい。


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  1. 2008/09/18(木) 05:42:17|
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草原の興亡 その24

東方からの脅威 その1

古代~中世期におけるユーラシアの大陸史をみていると、例外的なアレクサンドロス大王の存在を除くと面白いくらいにその征服行動の方向は『西←東』となっています。これは古代のスキタイ、匈奴、中世期の突厥、モンゴルなどはその典型であり、ティムールなどもその類型と見て良いでしょう。そしてその一つは、ユーラシアの西方が古代から中世へと転換する直接の引き金となって現れたのでした。

今回から数回に分けて書くフン族編の前にひとこと。
そこから西のゲルマン系の諸部族などはヨーロッパ史と共にさんざん書かれてくる存在ですから基本的にここでは扱いません。スタンスとしては彼らに大きな影響を与えた存在としての騎馬遊牧民を書きたいわけですね。
それから、匈奴の次にフン族を持ってきたのはそう繋げた方が話として書き易いからなのが第一ですが、時間軸からしてもインパクトからしても彼らの間には何かしらの連続性を感じるんですよね。実際の関連性についてはこれから順に見てゆく事とします。


(出現)
西暦360年ごろのカスピ海北部。
ここの草原地帯にあったある古い王国が、東方から来た騎馬遊牧民の集団によって突如制圧されます。そして15年後、中国系の史書では奄蔡または亜蘭、ギリシア系の史書ではアランまたはアラニと呼ばれていたその王国への侵攻を皮切りとして、その騎馬遊牧民の集団は更に西へ西へと突如移動を始めます。
それが、ゲルマン系諸民族の大移動を引き起こし、西ローマの滅亡から古代の終焉と中世の幕開けへと繋がる4~5世紀の大変動の第一歩と見て良いとすら思う、フン族の登場だったのでした。

それにしても、カスピ海の北方とは実に微妙な位置で登場して来たものだと思います。古代における文化の先進地域は地中海と中国、そしてペルシア・インドあたりですが、カスピ海の北方となるとこれら当時の各地域からもほぼ等距離の遠さを持った辺境、言ってみれば『情報の分水嶺』としてはギリギリのラインに当たる気がします。
まず、中国世界ではカスピ海から西はもう完全に圏外。
地中海世界から見ればカスピ海の東ははるか古代のアレクサンドロスの記憶が微かに残るかどうか。
オリエント世界はかなり近いのですが、実はカスピ海の西はカフカスから北は範囲外であり、東側はソグディアナの手前、イラン高原にいた騎馬遊牧民という障壁があってこれまた意外に情報の流入は少なかった場所でした。そしてインドからみるとカスピ海はヒマラヤを始めとした山岳・高原地帯の南側を通っていく裏側であり、その北方となるとかなり疎遠な場所でした。

そんな地勢的な理由からか、圏外から現れた未知の部族について、古代の歴史家は全く別の種とすら見ているような記述を残します。フン族については4~5世紀の歴史家・アンミアヌスによる紹介が有名で、大抵の書籍で同じ箇所の記述が使われています。彼はこの、『フンまたはヒュン』と呼ばれた者たちを当時こう表現しています。ちょっと長いですが抜粋して引用。

『彼らは小柄だが頑丈な体格で首は太い。それでいて動作はきびきびとすばしこい。彼らの顔は平べったく、髭はほとんどない。麻と毛皮でできた衣を着て丸い帽子をかぶり、馬上で飲食して眠りにつく。彼らには定まった住居はなく、あちこち放浪して伴っている車の中で生活している』

かなり偏ってるな・・・。
しかしどうでしょう、この記述の身体的特徴から連想する人物像。
これ、小柄でがに股・短足な東アジア人、特にモンゴロイドそのもの。
面白い事に現代だと、前にシルクロードの映像で見たキルギスの遊牧民とかもう、
まるっきりこのイメージのままだったりします。


西暦375年当時、
黒海の北西岸にはゴート族の一部族であるオストロゴート族(東ゴート)が居住していました。更に西にはヴィジゴート族(西ゴート)があり、ドナウ川南の東ローマとはそれなりに関係を持ちつつ暮らしていました。
ここに、カスピ海の北方の草原からヴォルガ川とドン川を越えてきたフン族が襲い掛かります。当時の東ゴートの指導者・エルマナリク王はこれに抵抗するのですが、結局支えきれずに亡くなり、後を継いだウィティミル王も翌年にはフン族との戦いの中で戦死してしまいます。わずか1年で東ゴートを征服したフン族(当時の指導者の名はバランベルとも言われています)は、東ゴートの生き残りも加えて今度は黒海の西岸沿いにヴィジゴート族(西ゴート)の地へと侵入したのでした。その先にはドナウ川があり、そこから先はもう、トラキア・ダキア・パンノニアと呼ばれていたローマ帝国の支配地域だったのです。

西ローマ滅亡まで、あと100年。



おしまい。


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  1. 2008/09/16(火) 07:29:31|
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補給艦2日目

初日と同じ艦隊の支援艦として参加。

この日は東京と小田原で2件ほど仕事で、帰ってきたのが20:00。
んでINしたらリスボン・・・。
やべえぇぇ・・。
合流するのが30分遅れてしまいやや申し訳ないところ。
でも戦場まで18分とかで行けるのだから、ここやっぱり思ってる以上に近い。

さて大海戦。
この日もポルフラ側が圧倒的に数が多く、どこも戦闘回数の確保がすごく厳しい戦いだったようですね。それでも海域別だとサンロケと南西大西洋ではサンロケのほうがやや人が少なく、かつ人数的にも最初に検索したら130対100人くらいだったので一見こっちが美味いかと思ったのですが、こっちペルナンブコ前にイング系の精鋭が多いwww
特に船窓商会のみるき&じろさんもいる某イング艦隊がここに・・・・。
(MVPはここのSchwarzMeisterさんがLV65-65-65にもかかわらず戦功158叩き出して獲得)

結果から見ると中型の早い時点でバイーア方面に戻ってきたのが良かったかも。
実はこの日、戦功70台~120台くらいまでは随伴していた艦隊内の方2人でTOPを維持していました。途中から艦隊茶室でMVPは気にせずという事で黙っていましたが、大型の中盤過ぎに前出のSchwarzMeisterさんが戦功143で10分近く止まっていたので、内心 『これは・・・!』 と言う状況でした。(あとで聞いたらこの時間帯、MVPの艦隊は青帆と10分近く戦ってて結果負けちゃったらしいw)
最終的には艦隊内での最高が148くらい、戦闘機会の厳しいポル艦隊としては皆さんすごい頑張ってたと思います。大型戦の15分くらいは戦えずにグルグルしてたのにもかかわらず、皆さん最後までモチベーション高かったのも素晴らしかったんじゃないかと。

支援艦としては悔いが残るのが一回補給で戻る時間を作ってしまった所でしょうか。
海域移動したついでの補給ならともかく、バイーア前なら戦ってる相手を見て時間掛かりそうなら戦闘中にこっちの物資再補給を済ませる事もできるんですよね。理想は 『乗り換え時の補給2回+海域移動時のみ』 なのでもうちょっと物資の供給を工夫しようかと思う。
あと今日は例のチートな帆を3枚導入する予定。
3週間前にパケ買っておいたのをすっかり忘れてました。
これでちょっとは艦隊の船足に付いて行けるといいなと。

皆さん最終日もよろしくねー。


おしまい。

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  1. 2008/09/15(月) 10:20:26|
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補給艦初日

ポルトガル某艦隊の専属補給艦で参加。

って
どう見てもフランス・ポルトガル陣営多過ぎ・・・・・
イングランドがこれだけ負けてるのもちょっと記憶にありません。
戦場としては開始当初、

Aバイーア南
Bバイーア前
Cバイーア東
Dペルナンブコ前

と大きく4箇所くらいに分かれていました。
ただこれ、時間が経つにつれてバイーア周辺の戦場がどんどん近くなってゆき、中型以降になるとヴェネ・イング側は一部の上位艦隊を除くとバイーア前から出るのも苦労してた模様。これだとNPC狩るのにも影響でそうで大変だったかも・・・。
一方ペルナンブコ前は同じくポル・フラ陣営がかなり多いもののそれなりに均衡が取れてるようでした。
で、補給艦でぐるぐるしてる間には色々な艦隊の所在を把握していく訳ですが、その中でもMVPを出した艦隊はBCDそれぞれの海域でちょこちょこ見かけましたから、勝率はもちろんですが海域が近いことを利用して戦況に応じてうまく移動し、戦闘回数も稼いでいたんじゃないでしょうか。(と勝手に分析してみる)

付いていた艦隊のかた、お疲れさんでした。
ビールと木材の減りがやたら早かったので
今日は物資比率を見直そうと思います。


おしまい。

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  1. 2008/09/14(日) 09:47:22|
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大海戦の補給艦チェック

準備完了

木曜日まで南米で海事やってましたが土曜日から大海戦なので昨日いったん帰還。
帰る前になぜかリオで待機してる感じの人が数人いたけど気のせいよね。
今のリオの金相場は夕方くらいが底みたいなので相場待ちじゃないしなあ・・。
さて、帰還して支援物資の生産と積み込み。
 

(補給艦の物資チェック)
ビール=638
ワイン=90
ラム酒=120→現地生産
木材 =174→現地買付け
砲弾 =707

予備帆=917 
予備舵=200→現地生産
手桶 =200→現地生産
撤収鐘=1096
大錐 =625
轟音弾=415
白煙弾=454
仕込み=454
美酒 =433
名工 =2194

ファフ像=10
ゲルン帆=3
硬化圧延=7
カロネ =14

補給艦080913

用意したのはだいたいこんな所。
普段からいろいろ生産ストックしてるので消耗品についてはあんまり困りません。
物資については基本的に
ペルナンブコとバイーアで木材・ラム酒は用意できる
ので、

砲弾多めで持って来るといいと思う。
特に支援する艦隊内に機雷屋さんがいるといきなり薄くなるのがここ。
まあ、参加者で工芸持ちの方、工芸の書・鋳造の書・酒レシピ2は必須ですよ。
それから大砲とかはさすがに自分で持ってくるだろうけど、
念のため用意。
北海方面に行く時間がなかったので兵装品が作れなかったのが痛い。
2~3日目には用意するかなー。

ところで補給艦やるときに迷うのが帆の選定。
大型戦だとメイン帆×2・ゲルン×3くらいでなんとかなるのでまあOK。
ただこれが小・中型だと、完全に戦闘後の出足で負ける。
でゲルン帆×5とかで対応するのですが、増量船のためこれでも出負けするし、
戦場移動するときにちょっと遅いんですよね。
見学してるほうは暇なので多少は戦闘後の位置取り考えて動いた方がいいのかも。


さて、ドコの支援に付くかなあ。
いちおう昨日打ち合わせた時点では商会のかとーるさんとこ主体に見る話になっていますが、
まだ3日目とか決めてなかったりする。
それと物資が減ってきたら実験的に2隻バラバラで動く事も考えてるので、
取り合えず希望者いたらぜひどうぞ。
じっくり見させて貰いますからw



おしまい。

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  1. 2008/09/13(土) 07:27:01|
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動画エンコードが激変する!?

DOLのプレイヤーで動画エンコードをやっている方、少なくないと思います。

私も最近やりだして待ち時間がひまぽ・・。
特にH.264(MPEG-4 AVC)エンコードは、
恐らく今のPCの作業の中では最もCPUパワーを食うものの筆頭候補じゃないでしょうか。
で、今回は既報ですが面白いニュースをご紹介。

1)ペガシス、「TMPGEnc 4.0 XPress」 のCUDA対応を発表。
ペガシス社のプレスリリース


2)Elemental Technologies社、開発中の「BadaBOOM Media Converter」を製品化へ
Elemental Technologies社のHP


CUDAというのはNVIDIAが提供する開発環境で、C言語などを利用してCPUと同じようにGPUを計算処理に利用できる環境。GPUは本来グラフィックス処理が主たる用途ですが、現在のGPUは200以上のコア(SP)を持ち、性能が格段に向上したことで例えば3Dやストリーミング系の並列処理などはCPUよりも遙かに高速に実行できる、らしい。(すみません、どっかに載ってたの鵜呑みで書いてるだけ)
既に研究機関や業務用にこのCUDA環境は取り入れられていますが、
これがコンシューマ向けに活かされてきたと言う事でしょうか。

で、この中でかなり注目なのが、GPUによる動画のエンコード支援機能。
今の一般レベルで使っているCPUのコア数ってせいぜい4とか8ですが、
GPUでは既にプロセッサ(SP)の数はGF8800~9800世代で128、GT200世代で240と、
桁違いな構成で演算させています。
3Dなど並列的な処理でははるかにCPUより優れた能力を持っているこの現在のGPU、
これを利用して動画エンコードなどの作業時にGPUにも分担させる事で所要時間を劇的に短縮しようというのがこのGPUエンコード支援。

既に2)のElemental Technologies社では、以前からRapiHDと呼ばれていたこのソフトの試用版が「BadaBOOM Media Converter」としてNVIDIAからダウンロードできるように提供されており、先日の展示会ではその最新版のデモが行われました。(既に試用期間は終了)
そこではクアッドコアのCPU単体とGPUによるエンコード支援との比較でエンコード速度が2倍以上になったという結果が出ており、近日中にもこのソフトが30~100ドル程度で機能別に発売されるといいますからこれは注目じゃないでしょうか。

そして1)のニュースにあるように、
日本でのエンコードソフトの雄であるペガシス社のTMPGEncがこれに参戦してきます。
当面はフィルタ処理での実装から対応するそうですが、
更に将来的にはBadaBOOMのようにエンジンそのものもCUDAで作り変える可能性すら言及しています。
デモでは一部のフィルタリング処理速度が400%以上になったという結果が掲載されており、
これは期待大。
で、最後に昨日もう一つ入ってきたニュースを。

Leadtek社、 「CEATEC JAPAN 2008」東芝ブースにて

高性能画像処理カード『WinFastR PxVC1100』を出展

実は既に東芝製ノートPCの一部の機種ではこの画像処理チップが搭載されています。
で、これに搭載されていたH.264のリアルタイム画像処理チップがすげーぞって話はありましたが、
今回リードテック社がこれを積んだPCI-Eの画像処理カードを発表してきました。
これは、PS3とかに使われてるソニー・東芝・IBMなどが共同開発したCellプロセッサ技術を利用して、
エンコーダーなどと共に画像処理用に1チップ化された『SpursEngine』を積んだもの。
例えばこれを使う事で従来のCPUエンコードとは比較にならない程の処理速度が実現するでしょう。
恐らく10倍とかの・・・。
特定の用途ではPC向けのCPUより優れた演算ユニットを使うことで動画の処理を高速化する、
基本的には上記の1)・2)のニュースと似たような思考ですが、
恐らく投入されている費用はこちらの方がはるかに膨大なものがあると思います。
あとは有力ソフトがどれだけ対応して、どれだけの機能が使用できるかといった点が気になる所ですね。

リードテック社のプレスリリース

また、ここでは触れていませんがこうなると注目なのが、
現在有力な動画編集ソフトの一つであるaviutlなどの無料で使用可能な個人開発ツール群の存在。
そんなこんなで今年~来年に掛けて、H.264を取り巻くPC環境は激変するんじゃないかと思います。


で、Geforce系から乗り換えてRADEON-HD4850買った私はどうすっかな・・・。
両方差してGF8600GTSに動画エンコード支援だけさせるとか出来ないのかなあ。
ややトホホなものを感じないでもない;


※追記
書いた後で色々見ていたら、AMDのRADEON-HD4000シリーズでも動画のGPUエンコードなどの支援機能が実現してくるようですね。既にサイバーリンクのPowerDirectorあたりのメジャーソフトが対応してくるというアナウンスが出てるとの事。各社各様のいろいろなアプローチがあって面白いですね。



おしまい。

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  1. 2008/09/11(木) 07:15:42|
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特定の海域で

DOL固まります。


もう6~7回経験してます。
わざわざ書いたのはそれがやや特異な状況だったので。
まず、私がいまメインで使っているPCはすごく安定していて、
DOLに限らず他の重いソフト使ってもOSレベルでもアプリ単体でもそうそう落ちるってことがありません。
それが、DOLというそれほど重くないゲームのある状況だけ発生すると応答しなくなる。


(発生条件)
海域:バイーア東方沖(南西大西洋海域の北半分あたり)
    座標で言うと14950-5350あたりを中心にした+-200くらいの地点
天候:嵐
画質:カスタムの最高~高で発生(低~中画質にした状態では嵐を経験してないので不明)

この海域で嵐に遭うと結構な確率で2~3秒後に固まります。
これ、グラボがGF系からRADEON系に変わっても同様に起きてるんですよね。
たぶん波とか一番高い画質設定にしてるのでそのせいかなとは思うんだけど、
別に他の海域での嵐、
例えばインド洋だろうが太平洋だろうがもっと波の高い海盆付近だろうが起きませんし、
バルト海の吹雪の時も起きません。
いまこの海域で海事してるので、今日から画質やや落としてやる予定ですが、
これでも落ちるようなら聞いて見ようかなと思います。
あとPCもう一台使ってずっと洋上で待機させようかしらw
とりあえず海事中に起きるとかなり困るんです・・。



大海戦、イスパは連盟投票で及びませんでしたね、やや残念。
まあそれならそれで時間があったらまた補給艦やる予定。
見学を兼ねて今回はどこか特定の艦隊に支援に付くことも考えてます。

それと、南米=遠い・めんどくさいってイメージあるかもですが、
実際はリスボンから20日くらいで行けるわけで、これバルト海に行くのと大して変わりません。
特に今回はこの間の南米海戦と違って対象海域にサンロケも含まれてますので、
一個北側に移っています。
そしてペルナンブコとバイーアは木材・酒の補充ができる非常に優秀な港。
入港許可の問題はありますが環境的にはそこそこ戦いやすいと思う。
2008年も9月になってまだ大海戦はこれが6回目、
少ない機会ですから皆さん楽しんで参加してきてねー。


おしまい。

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  1. 2008/09/10(水) 07:31:04|
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FC2でブログ書籍化が!

いつの間にか実装されていたこの機能、

要は自分が今まで書いてきた記事を選んでいくと自動的にPDF文書化してくれるというもの。
ここから更に実際に出版社に依頼して書籍化する事も出来るらしく、
試しにやってみたら結構面白く、いろいろ作ってみました。
その中でどんな感じになるかいくつか紹介すると、
『蒼き狼の~』 と 『草原の~』 の2シリーズでPDFの見本を作ってみた結果がこれ。


書籍見本01
表紙


書籍見本02
バトゥ編の時の記事

書籍見本03
アイン・ジャールートの時の記事


書籍見本04
最近の匈奴編の時の記事


これ、あくまでも見本ですがPDFでみると画像以上に結構良く出来てます。
それから書体・構成・サイズ等もある程度選べるようですね。

で、これを実際に1冊作ると印刷+送料で8156円掛かる模様。
単価で見ると対象にしたカテゴリ2個で記事52回分ですから、
1回の記事あたりだと約150円掛かってる計算になります。
まあ、これを高いと見るか安いと見るかは人ぞれぞれでしょうね。

私の場合、
今まで書いた記事620本のうちで生産もの・雑学・活動日誌などを除いた、
ある程度残したいと思う記事だけ抜き出すとたぶん約150~200本くらい。
@150円とすると全部書籍化するのに2.3~3.0万くらいですか・・・・。
手間・時間・読んだ資料の費用とか考えるとこれより遙かに掛かってるでしょうが、
あくまでもこのブログは趣味でやってるからねえ。
でもまあ、作ってもいいかな位には思います。

最後に、他の方の大航海ブログの中で書籍化と言うとはやはりこれ。
個人的には 『歴史ファン』 の歴史系記事の中から精選してPDF/書籍化されたら、
これはお金出して買うか本気で検討しますね。
記事の数が膨大だから見積もりしたらどうなるかやや怖いものがあるけど・・・。


おしまい。

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  1. 2008/09/08(月) 20:47:47|
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カリアリ投資祭り

土曜日の夜、

呼び掛けのあったカリアリの防衛投資に参加。
いろいろな事情とか置いといて、
やはり小額とはいえ自分も入れておこうと。

正直な所、
現場ではやや過ぎたアオリも見受けられたので当初はやや引いてしまったのですが、
こういう熱い部分も必要なのかなと気を取り直し、
大海戦の対象港が決定するターンまで現地にいました。
個人的には目的に対してコントロール利いた状態で粛々とやったほうが参加しやすいし、
金額も入れやすいんですけどね・・・。

カリアリ投資01
最終ターン数分前の投資額


カリアリ投資02
消化後

最終的にイスパ側の参加者が検索だと70人強、ネーデル側が20人程でしたね。
イスパの著名な投資家の方も見受けられて流石に大きい投資額となりましたし、
人数的な部分でも結構な規模になってたのが伺えた一戦でした。

しかしこの日は動きの激しい一日でしたね。
アテネとリューベックまで落ちてたのには若干吹いた。

まあ、こういうわけで今回の大海戦の対象はリオとなりました。
イスパからしたらヴェネーフラよりもヴェネーネデの組み合わせのほうが出る可能性高かったのでしょうが、
それはそれ、これはこれ。
国益RP的なものはそれほど無い私でもこうして参加してるわけですし、
西地中海で攻撃あったらさすがにまだまだ一般プレイヤー層でも相当に動くのねと、
確認できた意味でもちょっと嬉しいものがあります。

あとは出られるように投票するだけ、かな。


おしまい。

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  1. 2008/09/07(日) 22:30:29|
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ちっこいPCを作りたい

8/19にインテルから発表された、
デュアルコア仕様のAtom 330を搭載したマザーボード 『D945GCLF2』。



出荷が9月下旬からと言う事で、これ出たら一台作って見たいなと思っています。
何しろデュアルコア&HTで4スレッドCPUなのに消費電力はわずか8W。
消費電力は現在のAtomCPUだと2Wなので4倍に増えてしまいますが、
これだと恐らく性能的には同クロックのセレロンに近い位になってくるかも知れません。
で、これが価格的にはマザー一体型でも1.2~1.4万円くらいで出てくるでしょう。


ちょっと調べたらヨーロッパでは62ユーロ位で出ると言うから、
日本だとだいたい62×161円=9982円。
プレミア付けてもほぼ上記の価格で収まるんじゃないかと思います。
安い・速い・電力食わない・そしてちっこい。
実に日本人好みの一品w。

ただ個人的にはチップセットが現状ほぼ945一択ってのが気になるところ。
元々AtomCPUはインテルとしては発展途上国向けの低価格PC用で開発したもので、
本音では既存のノートPCの市場を食ってまで積極的に売りたい商品ではない。
そんな訳で現状では数世代前のチップセットを流用しているのでしょうが、
実際このCPUはもうそんなメーカーの思惑とは別の方向にどんどん進んで行ってしまってます。
最近の集計によると、

現時点で国内で販売されたPCのうち、

既に20%近くが10インチ以下の液晶を搭載したネットブック。

HPなど数社でVIA製品を使用している所もありますが、
恐らく今後はネットブックだけでなく、
普通のA4~B5サイズのノートPCにもAtomCPUを投入するメーカーが増えてくるでしょう。
まさに市場が商品のポジションを決める、そんな流れすら感じます。
希望としてはそこら辺の空気をインテルが早い段階で読んで軌道修正してくれて、
Atom専用に低消費電力かつ高機能なチップセットを開発してくれないかなーと思う。
既にD4とかの高機能な小型端末用のチップセットは作っているんで可能性はあるんじゃないかと。


前置きが長いな・・・。
で、とりあえずはこれでちっこいPCを1台組もうかなと。
これに組み合わせるなら、段々価格が下がってきてるSSDでしょうか。
後はDVDを外付けドライブにして、電源もACアダプターにすれば、
ほぼファンレス・モーターレスなPCも作れそうでちょっといいんじゃない?

あとはケースに付いてる排気ファンを取れるかどうかがポイントだろうけど、
さすがにそこまでやって安定動作するかというと無理ありそうですね。
これヒートパイプ仕様に加工するとかできないかな・・・。
会社の取引先で近所にヒートシンクの製造ではかなり先端行ってる所があるので、
場合によったらこの辺から部品貰って来ようかなとも思ってます。

まあそんな事してたら低価格なシステムにならないんだけど、
工作好きなのでこういう遊び甲斐のあるオモチャを与えられると無駄に燃えるのよね^^


おしまい。

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  1. 2008/09/05(金) 18:43:07|
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草原の興亡 その23

匈奴時代の終幕

およそ3ヶ月掛かった匈奴編も今回が最後です。
東アジアから中央アジアの草原に強大な支配権を確立していた匈奴、
漢との戦いの後はどうなったでしょう。


(東匈奴と西匈奴)
紀元前85年、それまで単于の地位に就いていた匈奴の狐鹿姑という者が亡くなり、
その後継を巡って単于の兄弟と妃だった者の一族との間で争いが起こります。
この時は結局単于とその妃の息子だった壺衍鞮単于が立ったものの、
これを不満に思う者は単于の下に出仕しなくなります。
更に実権を握った単于の母親が不公正な統治を行った為に人心が離反し、
この頃には匈奴は漢へ侵攻するどころではなくなっていました。

そして紀元前71年、漢と烏孫は合計20万もの軍をおこして匈奴へ総攻撃をかけます。
この年の戦いで匈奴は4万人・家畜70万頭という大損害を出して大きく衰弱します。
更に報復として烏孫へ行った出兵にも失敗して9割以上の損害を出してしまいます。
この状況、周辺諸国が見過ごすはずもありませんでした。
間もなく烏桓・烏孫・丁零といった諸国が匈奴へ攻め込み、
更に最後まで匈奴と同盟関係にあった車師国も西域諸国の攻撃を受けて降伏します。
このような状況のなか、
紀元前68年には壺衍鞮単于が亡くなり、弟の虚閭権渠単于が後を継ぎます。
更にその後の握衍朐鞮単于は非常に強権的な統治を行った為、
ここで匈奴の内部では一種のクーデターが起こります。

紀元前58年に立った呼韓邪単于ですが、実は他にも親族5人が単于を称していました。
結局この数年に及ぶ内部での争いにより、
匈奴は呼韓邪単于率いる東匈奴と兄の郅支単于が興した西匈奴に分裂します。
紀元前54年に行われた両者の決戦は兄の郅支単于が勝ったとされますから、
実質的には西匈奴が後継と見るべきでしょう。

さてこの両者、敗れた東匈奴の呼韓邪単于は漢へ接近して和親を願うようになり、
『藩臣』を名乗るようになったとされます。
その後、東匈奴の系譜は前漢が滅んで後漢の時代には更に北匈奴と南匈奴に分裂し、
三国志の時代に登場する呼廚泉単于までおよそ250年に渡って存続します。
呼廚泉単于の名は某月刊マガジンの三国志漫画にも登場してきますよね。

この呼廚泉の兄の於扶羅(おふら)は、董卓亡き後の大混乱に陥った長安から逃げた献帝を救出し、
しばらく護衛していたと言うのはあまり知られていませんがほぼ事実です。
中国人にとっては異民族に皇帝が保護されたなどと言うのは不名誉な事でしょうから
なるべく残したくない気持ちは判らなくもないですが・・。
ただまあ、この事はその後の中国史で再び関わってきます。

於扶羅の一族はその後は劉姓を名乗り、
子の劉豹は後漢の大学者蔡邕の娘の蔡琰を妻としていますし、
三国時代には蜀に仕えて蜀漢成立時には推挙人の一人として名を残しています。
そして劉豹の子、於扶羅の孫である劉淵は西晋時代に自立して『漢』を興し、
これにより後の東晋十六国時代が幕を開ける事となったのでした。
そう、これは中国本土に異民族の小国家が成立して来た事になります。

中央アジア図04

(西匈奴と北匈奴のその後)
さて、東匈奴→南匈奴の系譜はここまでとしますが、
もう一方の西匈奴を率いていた郅支単于はどうなったでしょう。
更に東匈奴のうち、南北に分裂したもう一方である北匈奴のその後は?
実はこれが、このシリーズの次のテーマとなってきます。

アルタイ山脈付近を拠点に西匈奴を興した郅支単于はその後、烏孫との戦いに臨む事となります。
そして同じく烏孫と敵対していた西の康居国と同盟して婚姻関係を結んで烏孫を討つなど、
一時は西域一帯に強大な勢力圏を確立するまでになっていました。
しかしその後、郅支単于は同盟関係にあった康居国の姫を殺して川に流したり、
南の大宛や奄蔡を威圧して貢納を要求するなど尊大な振る舞いが目立つようになり、
次第に漢にとっても捨て置けない存在となっていました。
そして紀元前36年、
漢の西域都護府の副司令官だった陳湯という者が4万の兵を集めてこれを攻撃します。
不意を突かれた西匈奴は既に同盟相手の康居が寝返っているのではないかと疑っていたのか、
脱出する道を選ばず篭城の末に滅亡する事となります。

一方、呼韓邪単于の孫の世代で東匈奴から分裂した北匈奴、
その後は西匈奴の滅亡でやや空白地帯となっていた西域へ進出してゆきます。
ただしこの北匈奴、西域では北の草原を支配するまでに成長していた一方で、
東方では鮮卑族と漢に接近した南匈奴との両面から押される形にありました。
またこの頃のモンゴルは天候不順が重なっていたとも言われ、
こうなると自然、北匈奴は力を持っていた西域に流れて行くことになります。
2世紀にはかつて奄蔡国のあったカザフスタン付近まで到達しており、
その活動地域は完全に西域となっていました。
そして後漢が滅ぶ2世紀末~3世紀頃になると、
彼らの足取りはカスピ海北部の草原地帯で途絶えてしまいます。
恐らくその勢力の一部はカスピ海を越え、
黒海の北に広がるキプチャック草原の西端にまで到達していたとも考えられますが、
まあ想像の域を出ません。
これは中国が再び内乱時代となったこともあり、
遠い西域の情報まで記述する事ができなかったという側面もあったでしょう。
最終的にこの北匈奴がどこへいったのか、もう史書では追うことはできません。
この地域で2~3世紀頃の遺跡でも見つかると面白いんですけどね。



(謎の騎馬遊牧民の登場)
そして3~4世紀、
ある謎の騎馬遊牧民の集団が黒海の北岸に姿を見せます。
375年、
それまでローマ帝国の北辺を悩ませていたゴート族がこの謎の遊牧民によって突如征服され、
東ゴートに続いて西ゴート族も彼らによってドナウ川流域から追い出されるという事件が起こります。
この情勢に驚いた当時のローマ皇帝ヴァレンスは西ゴート族が領内へ入ることを許可するのですが、
こんな感じで相当にドラマティックに登場してくるこの騎馬遊牧民は 『フン』 と呼ばれていました。
次回以降、彼らがこのシリーズの主役となってきます。


おしまい。

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押してってねー。

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  1. 2008/09/04(木) 07:28:47|
  2. 草原の興亡
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草原の興亡 その22


紀元前99年、大宛から戻っていた李広利は早くも海西侯に封ぜられていました。
これは彼の妹が皇帝の寵姫となり、一族からは他にも宮廷で高官に登る者が出るなど、
李広利の一族が勢力を持ち始めていた事と深く関わっていたかも知れません。

そして同年、李広利は再び西域へ派遣されます。
この年の狙いは、西域諸国を叩き影響力を強めた事を受けての匈奴領への侵攻でした。
目標は西域と隣接地域を支配していた匈奴の右賢王。
漢としてはここを叩くことで完全に匈奴の西域への影響力を削ぎ、
資金源の一つを絶とうと考えたのかも知れませんね。
この年の陣容は李広利の率いる本隊が約3万強、
そして周辺からの援軍として、李陵ら数隊の増援を当てていました。
しかし匈奴としてもこれを漫然とただ見ているわけでは有りませんでした。
結果として本隊の李広利は右賢王を討って1万余りの戦果を挙げたものの、
帰還する途中で匈奴の大軍に包囲され、6~7割もの損害を出します。
更に援軍として合流を目指していた李陵は途中で8万もの匈奴の本隊と遭遇し、
撤退戦の末に降伏した話は以前書きましたね。
こんな感じで、まだまだ匈奴は漢と互角以上の力を持っていることを証明したのでした。

更に紀元前97年、両陣営は再び大軍を動かします。
漢の陣営では、朔方から出撃した李広利は騎兵6万・歩兵7万を、
その他3人の将軍が合わせて8万もの兵でそれぞれ朔方・雁門・五原から出撃します。
これに対して匈奴の単于は10万の兵を率いて朔方の北にある川岸で布陣し、
両者は10日に渡って戦い双方共に大きな損害を被って撤退します。

そして紀元前90年、
再び7万の兵を率いて遠征に出た李広利は匈奴領内で包囲され、
進退窮まった末に数万の軍勢と共に降伏してしまったのでした。
このとき李広利の一族は政敵に呪詛を行った罪で一族の高官がほぼ誅殺されるなど、
政治的にも追い詰められた状況にありました。
こんな中での降伏ですからほぼ亡命と見ても良いかも知れません。
事実、降伏した李広利は単于の娘を与えられて厚遇されたといいます。

そんなこんなで、
紀元前90年代まではやや漢優勢といいつつもほぼ拮抗していた両者の戦い、
これ以降は匈奴の内部からその均衡が崩れてきます。

※この先書くと長いので続きは明日更新します。


おしまい。

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次回は匈奴編の最終回!

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  1. 2008/09/03(水) 07:25:09|
  2. 草原の興亡
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対応

同じ商会に

ひとり、かなり若いプレイヤーさんがいます。
恐らくまだブログとかには興味がないと思うし、ここも船窓商会ブログも見てないだろうって年齢ですね。
友人には既にこの子とほぼ同じ位の息子がいる、まあそれくらいの新人さんです。

んでまあ若いから色々判ってない部分もありますし、
本人もそれに気付いてない。
これ大人としたらどう対応していいものか、ちょっと考えてしまう所。
MMOでそこまで世話焼く必要あるのかって言って突き放してしまえばそれまでだけど、
私そこまで冷たくなれないのよね・・・。

だって人と関わる前提のゲームなのだから、どうしたって現状ではこの先トラブるだろうから・・。
とはいえ子供は無茶言って駄々こねるくらいがかわいいのも確か^^

なので商会内での出来事に留まっているうちはそれとなく判ってくれるよう話していくし、
外側に暴走しそうになったらちゃんと諭せたらと思っています。
うん、お節介なのは承知です。

それにしても、
私が子供の頃は無茶言ってたら家でも学校でも親・教師にぶん殴られて当然だった事を考えると、
いまの先生ってたいへんですね・・・。
(痛い目見ないと本当に駄目な事は身に沁みないと思う派)

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  1. 2008/09/01(月) 08:05:47|
  2. 雑学
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