打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

エル・シド その1

ある英雄の叙事詩


『エル・シド』 という語で次に 『ピエール』 と連想したあなた、
もしくはそのまんまで検索してここに来ちゃったあなた、
全然関係ない人の話になるので残念、引き返した方が;


てな事で今回から数回に分けて、CP5で登場した連作クエストに出てくる、
レコンキスタ最大の英雄エル・シドに焦点を当ててみようと思います。
今回はプロローグ的に大航海世界での実際のクエストから紹介。

今度のオスマンアップデートを始めとして、歴史系の連作クエストが年にいくつか登場してくるのは私としては嬉しい所ですが、例えばバイバルスであったりアイン・ジャールートであったり、そして今回のレコンキスタ編も含めて、かなり有名な事象にもかかわらずゲーム開始から4年も経ってから登場してくるのはちょっと盲点ですね。
まだこんな話残ってたのかと。何しろ地域的にもそれこそイスパニアのお膝元ですし、国の成り立ちを知る上ではホントの初期に登場してきててもおかしくありません。
まあ例えばデュランダルに始まりエクスカリバーで最後を飾る伝説系武器クエストに比べれば地味で知名度は低いかもしれませんが、このエル・シドは歴史上に実在し、かつ叙事詩にまでなる人物の物語ですから、歴史に与えた影響としては決して小さくないものがありました。

とりあえず今回登場してきた連作クエストの流れから。



(カスティーリャのレコンキスタに関する記述とエル・シドについて)

レコンキスタ編02


レコンキスタ編03


レコンキスタ編04


レコンキスタ編05


ここまでが概略的にレコンキスタにおけるエル・シドの業績とその人となり述べてきている部分。
多少この時点で、『ん、エル・シドってそんな模範的な騎士だっけ』 と思うわけですがまあご愛嬌。
その後で注釈入れる部分で 『あくまで叙事詩ですから』 とフォローはいってます。
自分がどう感じるか大事ですよ、と。


レコンキスタ編06

トレドに保管されていたこの叙事詩の原本はどうも既に失われており、
更に一部は既に欠落しているようですね、残念。

連作クエストはこの後いよいよ彼の所有していた剣に関する部分に突入していきますが、
ネタバレ要素としては結構大きいので、 ヒントだけにしても続きで記載しておきますね。


レコンキスタ編07

以下は追記からどうぞ。





[エル・シド その1]の続きを読む

テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/02/27(金) 22:35:38|
  2. エル・シド
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

レコンキスタ再び・・・

今週になってリスボン市場に結構出回り始めた新しい剣、

ティソナとコラーダ。

攻撃力83と78で剣術+2・応用+1・(後者は更に統率+1)が付いているかなり強力なやつですが、
見ていて 『はて・・・?』 と思うことしばし。

あ、これエル・シドの剣じゃないか!と。

つい最近読んでいた資料に出ていたばかりなのに気付くの遅いw
冒険の新クエとか普段から気にしないのであれですが、
いつのまにかレコンキスタの連作クエストが登場していたんですね。

これはやらねば、とクエ引きして1個目のやつ進めてる途中ですが、

レコンキスタクエ01
え、また調べるんすか・・・・。

そんなわけで、
既にイスパニア物語はいったん一区切りとしましたがまた自国史勉強しに行ってきます。

まさか 『エルシドの連作クエでたら面白いんですけどねー』 
とかコメントに書いていた3週間後に、ホントに出てくるとは思いませんでした。
先に終わらせといてよかったわw

明日からこの連作クエ追っかけて見ます。




おしまい。

FC2ランキング02
 
↑ぽちっと。

テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/02/26(木) 06:12:09|
  2. 歴史ネタ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

トルコ服レシピの生産

チャプター5でいくつか登場した縫製系の新レシピ。
アンコナのレシピで作る頭飾りはけっこうかわいい装備だったので爆発的に売れたようで、
早くも見飽きた感が・・・。
これ付け毛というかかつらの部分いらないから、普通の髪型の系統で使えないのかねぇ。

一方、個人的にはパッケージに付いてたトルコ服レシピとオスマン亡命で可能になる投資レシピ、
この2つに絞って生産やってました。
男女胴体装備×2種で4点、SS上げときますね。


 レイスコート
①レイスコート
毛織生地50・金糸30・最高級染料10


オダリスクドレス  
②オダリスクドレス
毛織生地50・ししゅう糸30・最高級染料10


 アミールコート
③アミールコート
毛織生地50・金糸30・高級染料2


 ジャーリャドレス
④ジャーリャドレス
毛織生地50・ししゅう糸30・高級染料2



レシピ見ると分かるように、
トルコ服レシピのレイスコートとオダリスクドレスは最高級染料が10個必要。
んでこれがコスト高・低生産性の要因になってます。
だってたった一着作るのに巨大な葉500要るわけですから・・・。
しかもこの材料はまず商館ショップに出ないので買い取りか自作か身内からの供給に限られます。
私自身も試しに各1着作りましたが、
これでは売値を15M以上にしないと割に合わないので量産はちょっと手控えざるを得ません。
漕ぎ+2とかすごい装備とは思いますが。


いっぽう、イスタン投資レシピのアミールコートとジャーリャドレスは高級染料2個で可能。
装備条件が厳しくなって性能も一段劣化してますが、量産性は明らかにこちらが上。
しかも色替えられるし。
とはいえ原価計算してみたら採算ベースに乗せるには3.0Mとかになるんですよね。
全部自分で現地採集+生糸買付けするなら原価200Kとかなのですが、
そこからやる場合はまだ登場初期として原価8~10倍は必要と見るのでそれでも1.6~2.0M。
人によっては0.9Mくらいで出している人も見ましたので、
これは恐らく自作で大成功狙いとかなのでしょうか、
又は原価ベースで4~5倍ならいけると言う判断かも知れません。

さて、そろそろレシピがだいぶ出回ってきたと思うのですが、
面白いことに高級染料がほとんどの商会ショップから消えました。

この服、特にアミールコートの色違いバージョンは性能も充分だし結構かっこいい装備なので、
なんだかかなり売れる気がするんだけどなあ・・・。



おしまい。


FC2ランキング02
 
↑最後にぽちっと。

テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/02/25(水) 08:27:27|
  2. 鋳造・縫製 その他生産
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

大航海時代っていつからだろう



前回の更新で『イスパニア物語』を書き終わって改めて思うところが一点。
『大航海時代っていったい何年からカウントするんだろう?』 と。
これ昔から疑問だったんですよね。

WIKIの記述を見ると、
『大航海時代(だいこうかいじだい)とは15世紀中ごろから17世紀中ごろまで続いたヨーロッパ人によるインド・アジア大陸・アメリカ大陸などへの海外進出をいう。』

これだと終わりも含めてかなり大雑把な区分にしかなってないですよね。
まあ時代の区分なんて後付けでしかないといえばそれまでですが、現にこの時代をベースにした歴史系ブログを書いている以上はちょっとこだわってみてもいいんじゃないかなと思った次第。

で、昨年の秋からエンリケ物語を書いててある程度
『あー、この辺かな』
と思う部分がありますのでちょっといくつか書き出してみます。


1)1385年 ポルトガルにアヴィシュ朝が成立
2)1395年 エンリケ航海王子が誕生
3)1415年 セウタ攻略
4)1419年 マディラ諸島の再発見と植民地化
5)1434年 ジル・エアネスがボジャドール岬回航に成功
6)1441年 キャラベル船が登場
7)1444年 ヴェルデ岬到達とアルギン商館建設
9)1460年 シエラレオネ到達とエンリケ航海王子の死去


区分となりそうな出来事はこの辺。
1)は直接大航海時代的な出来事ではないのですが、
歴史における影響と言う視点では候補に入れたくなりました。
2)は最も大きな影響を与えた人物から。
3)以降は具体的な歴史事象になってますね。

この中では初めてアフリカ方面に手をつけた3)が有力な気もしますが、
個人的には5)を区分の初年に数えたいかなと思っています。
というのも、それ以前の事柄はヨーロッパ人にとっては既知の事の再発見で、初めて未知の世界に乗り出したのがこの1434年のボジャドール岬を踏破して以降の事だから、というのがその理由です。大航海時代の以前の呼称である『大発見時代』という呼び方からするとその辺が適当じゃないかなと。


アフリカ図1460年
※前に書いたエンリケ物語の最後の地図を再掲載しておきます

そういえば、『大航海時代』という呼称というか当て字そのものは元東大教授の増田義郎先生が名付けた呼称だったかな。増田先生は大航海時代やラテンアメリカ史の関連書籍を当たっていると必ず出てくる人ですから、著作を読んだ事のある人も多いでしょう。
先生に直接聞ければ明快な答えが出ているかもですが、

この時代をプレーしている皆さんはどう考えますか?




おしまい。


FC2ランキング02
 
↑最後にぽちっと宜しくです。


テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/02/24(火) 08:32:46|
  2. 歴史ネタ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

イスパニア物語 その20

最終回


昨年の暮れから書き始めたこのシリーズも今回で一区切り。
時代区分としてはいよいよ大航海時代の初期に直接繋がってきます。
最終回なのにやたらドロドロ或いは殺伐とした話を書く事になりますが・・・


(対ポルトガル戦争)
カスティーリャ王国でエンリケ2世に始まるトラスタマラ王朝が、前王ペドロ1世に対してクーデターを起こして成立した話は前回見ました。トラスタマラ王朝は彼と共に蜂起した貴族たちの支持の元に成立した為に王権そのものは低下して不安定になっていたわけですが、この内戦で敗れたペドロ派の貴族たちの動きもまたカスティーリャの不安要素となってきます。そしてそれは周辺国を巻き込むイベリア半島のカトリック教国同士の戦争に発展して行ったのでした。

さて、内戦に敗れたペドロ派、
彼らがどこへ行ったかと言うと、実はポルトガル王国。
当時のポルトガル王国はカスティーリャと非常に関係が近く、1357年まで在位していたアフォンソ4世の王妃はカスティーリャ王サンチョ4世の娘ですし、その王女マリアはカスティーリャ王アルフォンソ11世の王妃となっています。更にアフォンソの息子で1367年まで在位していたペドロ1世は王女マリアの弟で、内戦に敗れた同名のカスティーリャ王ペドロ1世はマリアの息子ですから甥に当たります。
しかもこのポルトガル王ペドロ1世(混在してて紛らわしいですね)の王妃もまたカスティーリャ王家の親族から迎えており、内戦が終結した1369年時点でポルトガル王となっていたフェルナンド1世は両者の息子ですから、当時のポルトガル王家では3代続けてカスティーリャ王家から王妃を迎えていたことになります。

こんなわけで、500名にも及ぶカスティーリャ貴族がポルトガルに亡命していった先には、その体の半分近くにカスティーリャ王家の血が流れているフェルナンド1世がいました。んでまあ当然ながら亡命してきたカスティーリャ貴族たちはクーデターによって成立したトラスタマラ王朝に正統性がないことを訴え、逆にポルトガル王フェルナンドにはカスティーリャの王位継承権があることをそそのかしたのですね。

これ以後、カスティーリャとポルトガルの間で数度に渡って互いの王位を巡る戦争が始まります。
まず1369年、ポルトガル王フェルナンド1世がアラゴンとグラナダ王国と同盟を結んでからカスティーリャ北部のガリシア地方に攻め込んで来ます。しかしカスティーリャ軍がこれを撃退するとフェルナンドはあっさりコインブラまで軍を引いたため、カスティーリャ軍は逆にポルトガル領内に攻め込んでミーニョ・モンテス地方などを襲うなど完全に立場が入れ替わり、海上でもサンルカル沖海戦でカスティーリャ海軍がポルトガル海軍を破った事でこの最初の戦いはカスティーリャの勝利に終わります。
これにより1371年、両者はローマ教皇の仲裁でアルマウィン条約を結び、カスティーリャ軍が撤収する事とフェルナンドがカスティーリャ王女レオノールと婚約する事でいったん決着します。

ところがフェルナンドはこのカスティーリャ王女とは結婚せず、代わりにバルセロス伯だったメネーゼス家出身のレオノール(ダ・クーニャというポルトガル貴族の人妻だった)と強引に結婚してしまったため、これを非難したリスボンの手工業者など3000人が暴動を起こすという混乱を招いてしまいます。しかもこの暴動は強引に鎮圧されて首謀者は処刑されると言うかなり荒っぽい収め方をされた為、ポルトガルでは王妃レオノールとその一派への反感が根強く残り、これが後にフェルナンド1世が亡くなったあとで彼の異母弟ジョアンが人気を集める遠因となって行ったのでした。


(イングランドの介入)
こうしてポルトガル王がカスティーリャの王位継承権を放棄した翌1372年、今度はイングランドのランカスター公がペドロ1世の娘を妻としていたことからこの王位継承戦争に参加してきます。ランカスター公はフェルナンドと亡命したペドロ派貴族を誘ってポルトガルを同盟を結び、ガリシア地方に侵攻してきたのでした。
当然ながら、ローマ教皇の裁定で結んだ条約をわずか1年で破棄されたカスティーリャ王エンリケ2世は激怒します。先手を打ってポルトガルに侵攻したカスティーリャ軍はリスボンを包囲し、海上でもフランス王シャルル5世の要請もあってビスケー湾に海軍を出動させるとラ・ロシェル港でイングランド艦隊を撃破し、以後ドーヴァー海峡からビスケー湾に至るまでの制海権を掌握したのでした。リスボンを包囲され、海上も封鎖されたポルトガル王フェルナンド、翌1373年にまたしてもローマ教皇に仲裁を頼んで講和条約を結びます。
これでいったん数年間は両国の間で小康状態に入るのですが、1381年になるとまたしてもポルトガル王はランカスター公と手を結んでカスティーリャに侵攻してきます。なんかもう節操が無さ過ぎるのですが、またしてもこの裏切りはカスティーリャに撃退され、逆に国内に逆侵攻されると共に海軍もサルテスの海戦で敗退するという同じ結果にw
ただ、今回はカスティーリャ側も厳しい条件を突きつけます。

1)ポルトガル王女ベアトリスとカスティーリャ王フアン2世の結婚
2)フェルナンド1世に嫡出男子がない場合はベアトリスが女王となる
3)フェルナンド・ベアトリス両者に子孫がいない場合はカスティーリャが王となる。
など、事実上ポルトガルの独立性は大きく奪われる事になったのでした。


(アルジュバロータの決戦と新王朝)
さてここまで見たように、ポルトガル王フェルナンド1世は3度にわたるカスティーリャへの侵攻すべてに失敗した事により最終的にポルトガルの独立そのものも危うくした上、嫡出の男子もいないまま1383年には亡くなってしまいます。
その後、上の条約に基づいてポルトガルの王位に就いたのはカスティーリャ王妃のベアトリスでしたが、摂政に就いた母レオノールが女王ベアトリスを排除して専横を始めた為、戦乱により国内を荒廃させた元凶としてポルトガル国内の貴族・民衆の支持を全く得られませんでした。更にカスティーリャがこの条約違反を理由としてポルトガルに侵攻してリスボンを包囲したため、レオノールは摂政職をカスティーリャ王フアン1世に譲渡してしまいます。

この危機的状況の中、ポルトガルの国内の民衆の間ではアヴィス騎士団長で庶子のジョアン王子に人気が集まりつつあり、1383年12月には遂に民衆がジョアン王子を担ぎ出して内乱が始まり、ジョアン王子が包囲されていたリスボンを開放する事でこの内乱に勝利し、彼がアヴィス朝の初代ジョアン1世として即位したのでした。
即位したポルトガル王ジョアン1世ですが、カスティーリャ王国は当然認めていませんから、再びカスティーリャとポルトガルの間で戦争となります。

この戦争、ジョアン1世がイングランドのランカスター公に援軍を頼んでいた事、民衆がジョアンの指揮下に結束して防衛に動いた事、そしてジョアン自身の軍事的才能によりポルトガルの勝利に終わります。
特に1385年8月14日のアルジュバロータの戦いはその帰趨を決める重要な会戦となります。この日、コインブラとリスボンの中間地点にあるアルジュバロータでポルトガル・イングランド連合軍6千とカスティーリャ・フランス連合軍3万が遭遇し、わずか1/5のポルトガル側が騎兵主体のカスティーリャ・フランス軍の動きを封じる堀と長弓兵を使用した戦術により大勝をおさめ、カスティーリャ側は1万以上の損害を出して撤退したのでした。

この結果、ポルトガルは独立を守ります。
その後ジョアン1世は港湾都市として発展しつつあったリスボンの整備と北海・地中海方面の交易活動を加速させ、これが彼の息子であるエンリケ航海王子の代になって大洋へと乗り出してゆく礎となってゆきます。

もしこのアルジュバロータの戦いでポルトガルが敗れていれば、ポルトガルはカスティーリャに早い段階で併合されていたかも知れません。そうなると当然ながらジョアン1世の息子であるエンリケ航海王子の西アフリカ事業は行われませんから、ヨーロッパが西アフリカ開発に乗り出すのは更に100年近く遅れていたかも知れず、この戦いの結果は人類史全体に大きな影響を与えていたのかも知れませんね。



(カスティーリャとアラゴン)
さてここまで見たように10年以上に渡ってポルトガルと争っていたカスティーリャ王国、一方でこれと並行してアラゴン王国とは緊密な婚姻関係を結んでいました。エンリケ2世の跡を継いだフアン1世はアラゴンから王妃レオノールを迎えており、この両者から生まれた2人の兄弟がカスティーリャ王エンリケ3世とアラゴン王フェルナンド1世となってきますから、後にカスティーリャとアラゴンが同君連合を結んでその後スペイン王国が成立する以前に両国が血縁的に非常に近い関係になっていたことが分かります。両国が後に同君連合からスペイン王国を形成してゆく背景として同じ一族となっていたことは大きく影響していたでしょう。ちなみに、ここで出てくるアラゴン王フェルナンド1世の王女2人が、後にエンリケ航海王子の長兄ドゥアルテ1世と次兄ペドロの妃となっています。


(大航海時代の幕開け)
こうした動乱がようやく終結した15世紀初頭、そのうちの一国ポルトガルはいち早く混乱を乗り越えて大航海時代の扉を開いて大洋に乗り出してゆきます。カスティーリャの圧力をはねのけてアビシュ朝を興したジョアン1世の息子・エンリケ航海王子がその先鞭をつけて西アフリカ航路を開発してゆく経過は以前シリーズ組んで見ていった通りです。

一方でカスティーリャは国内の争いと英仏百年戦争への関わり、そして東方で急成長してきたオスマン朝の影響もあって海洋事業の開始が大幅に遅れる結果となります。ようやく1469年カスティーリャ女王イサベルとアラゴン王フェルナンド2世の結婚、1479年カナリア諸島の正式領有と連合王国の発足、更に1492年のグラナダ制圧とクリストバル・コロンによる西インド諸島発見で追いついてくるのを待たなければなりませんでしたから、今回見た14世紀末の動乱は中世末期の分岐点と言うべき重要な出来事だったのかも知れませんね。



さて、予定より50年ほど早くなりますが、
イスパニアを巡るイベリア半島史の記述はここでいったん区切りとします。
フェルナンド2世と女王イサベル以降の話は後日また書くかも知れませんのでとりあえず
 
『第一部・完』

って事で。



おしまい。

FC2ランキング02
 
お疲れ様でした(ペコリ

テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/02/22(日) 22:12:43|
  2. イスパニア物語
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4

最終型へ



昨日は出張で東京の方へ。
研修会の講師とか引受けるもんじゃないですね;
まだまだ人にもの教える立場じゃないっての。
終了後は秋葉原に寄り、某ド○パラでCPU買ってきました。

Core2Quad Q9650、30,940円ナリ。

CPUに3万も使うって事はほとんどやらないんですが、
長らく続いたLGA775ソケットの恐らく最終アップグレードになりそうですし、
先月の価格改定で5万円台から3万円そこそこまで落ちてた事で実施。


Q9650


で、家に帰ってCPU差し替えたんだけど、
動かない・・・。
BIOSは更新済み、倍率と電圧も問題なさそうなのに??
とうんうん悩みながら2時間程。
日が変わるまでにいすぱにゃん物語の後編上げる予定なのに時間ががが。

原因は、4枚刺さってるメモリのうち2枚がPC2-4300でした。
かなり昔に激安だったの買ってそのまま使ってたらしい。
Q9650はFSBが1333MHZなので、
恐らくPC2-5300以上ないとまあ動かなそうですよね。
残り2枚はPC2-6400なので買い増しする事になりそう。
オーバークロックの事考えるともっと上位動作のメモリ選んだ方がいいのかなあ。
とにかくVISTAでメモリ2GBはどうも落ち着きません。


と昨日の時点でここまで書いてて、今日2GB×2枚買ってきました。
そう言えばなんだかメモリ価格上がってきてますね。
確かメモリの製造会社は昨年末にヨーロッパで大きいところが1社潰れてますし、他社も不況下で大幅減産してるから、今年は去年みたいな異常な生産過剰がある程度解消されて上昇してくのかも。

そんな訳でメモリ買い足ししたら今のメインPCは恐らく最終形態までアップグレードしてほぼいじる所がなくなりました。血で痔チューナー(なにこの初変換)とかも入れる予定ないですね。で、結果として家にはまだ使えそうな中古パーツがごろごろと。


CPU×1個
メモリ DDR2×4枚、DDR×2枚
HDD×4個
VGA PCI-E×2枚、AGP×2枚
DVD×2台
電源×4個
ケース×3台

拾い出してみたらここ数年のだけでもあるある。
もっと古いのとかは数にいれてませんから、だいたい2~3世代前のパーツですね。
んー、しかしこれなんか作れそうな気が。
ああまたこんな事考えて安物買いする予感・・・。



DOLではCP5の初日にアルティザンに転職してもう4日。
これホント便利ですね。
生産スキル4種が優遇・専門ってのに注目が集まってますが、
採集・探索・調達・釣りという自己調達系のスキルが全部優遇ってのも実に使い勝手がいい。
特に交易職で探索優遇ってのは初めてじゃないでしょうか。
便利過ぎて他の職に移る踏ん切りがつきませんw



おしまい。

FC2ランキング02
 
↑最後にぽちぽちっと。


テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/02/21(土) 20:59:40|
  2. 雑学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

イスパニア物語 その19

カスティーリャの危機 後編

昨日今日と分割掲載となった、大航海時代直前期のカスティーリャ王国を巡る話の続きです。

ジブラルタル包囲中にペストで急死したアルフォンソ11世の後を継いだのはペドロ1世(1350~1369)。
即位したペドロは継承権を持つ親族・有力貴族の弾圧や直属の文官の大量登用などの王権強化策を取るのですが、これは都市の有力者や貴族たちの反発を招いてしまいます。1366年には遂に先王の長男ながら庶子であったためにトラスタマラ伯家に出されていた異母兄エンリケ・デ・トラスタマラが多くのカスティーリャ貴族を結集して蜂起し、貴族らの反発は内戦に発展してしまいます。第一次カスティーリャ継承戦争ってやつですね。


(デュ・ゲクラン登場)
そしてこの時エンリケ・デ・トラスタマラが手を結んだのが、一人はアラゴン王ペドロ4世、そしてもう一人はこの頃イングランドとの百年戦争期に突入していたフランス王シャルル5世だったのでした。エンリケの要請に応じた『賢王』シャルル5世は税制改正・中央軍の創設など後にフランスが中央集権化してゆく先鞭を付けた英主で、この時シャルルは自分が持つ最強の武将を送り込んできます。(2年ほど前に人物伝で書いてますのでそちらをご参考に)
それが、まだフランス元帥になる前のベルトラン・デュ・ゲクラン。
当時フランスとイングランドはブルターニュ継承戦争が終結した関係で小康状態に入っており、デュ・ゲクランは戦場がなくなったため国内で失職した傭兵たちを率いてイベリア半島に乗り込んできたのですね。このゲクランを実質の指揮官とするトラスタマラ軍はモンペリエに集結したあと一気にカスティーリャの南半分を制圧して、ペドロを一旦は国外に去らせる事に成功したのでした。


(黒太子とペドロ1世)
一方これに対してペドロも動きます。
いったん国外に逃げたペドロが味方に引き入れたのはグラナダ王、そしてフランスと戦っているイングランドでした。しかもこの時イングランドは百年戦争の前半における主役の一人とも言うべき黒太子エドワード、つまり 『ブラックプリンス』 自身が乗り出してきていました。こうして、カスティーリャの異母兄弟による内戦は、百年戦争の主役たちとも連動するより大きな戦いへと巻き込まれる形になって行った事になりますね。

さてこの両者の戦い、平地での遭遇戦では無類の強さを見せた長弓兵を擁するイングランド・ペドロ陣営に分があり、一方で元々傭兵隊長出身のデュ・ゲクランによるゲリラ戦術で小規模戦闘や拠点攻略戦ではフランス・トラスタマラ陣営有利に進むといった状況。1367年には平地での会戦に持ち込んだペドロがナヘラの戦いでエンリケを破ってデュ・ゲクラン自身を捕虜に取るという大勝を得ますが、その後エドワード黒太子が撤退してしまった為に(赤痢かペストが発病していたとも云われます)戦局はエンリケ優位へと大きく傾いてゆきます。そして開戦から3年後の1369年、追い詰められたペドロがモンティエールの戦いで戦死した事で終止符が打たれ、ここにトラスタマラ王朝が始まる事になったのでした。



(トラスタマラ王朝と新貴族)
こうして即位したエンリケ2世、内戦で自派に属していた貴族たちを優遇しますが、これは彼が有力貴族によって擁立された王である事の裏返しでもあり、カスティーリャの王権はトラスタマラ王朝期に大きく揺らいでいたと見る事も出来るでしょう。視点を変えればペドロの王権強化路線に対するクーデターと見ることもできますよね。

ただ、エンリケ2世は彼らに対抗させるため、同時に参加していた中下級の騎士階級からも見込みの有る者を引き上げて新貴族とし、旧貴族に対抗する勢力へと育成する政策を取ります。この、エンリケ2世により引き上げられた中下級騎士たちの中で特に急成長してくる者の中に、実はサルミエント家の名前があったりするのですが、いまリスボンの王宮前にでかい屋敷を構えているあのサルミエント商会と関係あるかはちょっと不明。(そもそもディエゴは架空の人物でしょうし)

また、内戦時にフランス王家の支援を受けたことからトラスタマラ王朝は以後フランス王家寄りの立場を取るようになり、その後再開した百年戦争においてもカスティーリャは重要な役割を担うようになります。例えば戦争の後半以降たびたびカスティーリャの海軍がドーヴァー海峡方面に遠征し、イングランド海軍を破ったり周辺を封鎖してイングランド本土からビスケー湾への輸送を妨害していますが、これもその協力体制の現れでしょう。


スペイン地図13~1400年代
※百年戦争期~大航海時代直前のイベリア周辺図。
ピレネー山脈の北西がイングランドに制圧されている形に。


さてここまで見てきたように、貴族層の支持によって成立したトラスタマラ朝は、その経緯からも不安定さを抱えていました。そして、エンリケ2世以後のカスティーリャは婚姻政策によって周辺諸国と深く関わりを持って来る様になり、これがまた混迷の度合いを深める要因となってきますが、続きは次回に。
いよいよ大航海時代の初期へと直接繋がる話を書く事になると思います。
というか最終回はエンリケ物語の第1~2話を逆の立場で書く話になるので、
事前に読んでおいて頂けると話が早いのですw



おしまい。


FC2ランキング02
 
↑押してってね~。

テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/02/19(木) 23:32:07|
  2. イスパニア物語
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

イスパニア物語 その18

動乱のカスティーリャ 前編


前回に引き続き13~15世紀のカスティーリャの動向を。
この時代のカスティーリャが停滞していた要因として、
①天災
②社会構造の変化
③外圧
④内部の騒乱

と4点を挙げ、前回は①と②について見ました。
この二点は生産性や治安の低下といった国力に関する問題でしたが、今回見ることにする残り2点は政治・外交的要因と言える部分になります。それではいったいこの時期のカスティーリャの政治・外交に何が起こっていたのでしょうか。


(干渉)
1260年代には大レコンキスタが収束に向かっていたカスティーリャ。
既に1230年代には隣国レオン王国と再度同君連合を形成しており、レオン王国を併合してカスティーリャ王国として一体化していました。ところが、再統一と大レコンキスタの立役者だったフェルナンド3世が死去した1250年代以降になると、一転して内外部共に不安要素が噴出してきます。

大レコンキスタを成し遂げたフェルナンド3世の次にカスティーリャ王位に就いたのはアルフォンソ10世(在1252~1284)。父と違って軍事的な才能にあまり恵まれなかったらしいアルフォンソは、外交面でも色々まずい事績を残してゆきます。
まず、大空位時代に入っていた神聖ローマ帝国に対して母系の曽祖父にフリードリヒ1世(赤ひげ王)がいた事から神聖ローマ皇帝位を主張し、結果としてローマ教皇を敵に回しただけで失敗に終わるのですが、このあたりからアルフォンソの外交は空回りを始めます。

更に1263年、アルフォンソ10世にジブラルタルの割譲を要求されたナスル朝グラナダ王国のムハンマド1世は、北アフリカのマリーン朝と提携してマリーン朝が派遣した軍の国内駐留を認めます。前年にはカディスを落していたカスティーリャにとっては、要衝ジブラルタルはどうしても欲しい戦略目標だったでしょうが、結果としてはより強大な勢力を呼びこむ事になり、これもこの後続く政変の伏線となってきます。

そして1275年、アルフォンソ10世は長男に先立たれたことをきっかけとして次男のサンチョと反目しあうようになり、1282年遂に親子での王位争いに敗れて退位させられてしまい、次男がサンチョ4世として即位する政変に発展して行きました。
その後、退位したアルフォンソ10世が取った息子サンチョへの反攻策はというと、これがまた外交・軍事的にセンスに欠けた治世そのままに最悪な選択をしたのです。彼が取った王位奪回の手段、それは北アフリカ~モロッコに掛けて勢力を伸ばしていたイスラム勢のマーリン朝の支援を仰ぐ事だったのですから。

内部の争いで不利に立った方が外国勢の力を借りるというのは、これまでもギリシア史やスペイン史でさんざん見る、ある意味死亡フラグ的な国家の滅亡パターンなのですが、この時は一応サンチョ4世側が勝利し、アルフォンソは追放されてしまったのでした。先王アルフォンソ10世の復位活動を阻止した事によってサンチョの王権は一応の安定を見ます。しかしカスティーリャ国内に付け入る隙があると見たマリーン朝はこの後もカスティーリャとグラナダの関係に度々干渉して来るようになり、マリーン朝の侵攻はアンダルシアにおけるこの後数10年に渡って及ぼす不安定要素の一つとなってきます。



(カスティーリャの法制改革と挫折)
ところで、軍事上の成果ではカディス攻略くらいしか見るべきものが無かったアルフォンソ10世の治世ですが、一方で政治・法制面では特筆すべき業績を残します。
中でもローマ法に基づく 『七部法典』 や 『フエロ・レアル』 といった法規を編纂させ、それまで複数の王国から成るゆるい連合国家でしかなかったカスティーリャの、政治的・法的統合を目指したのですね。アルフォンソ10世は更に国王直轄の行政機構の整備やコルテス(身分制議会)の定期開催、貴族のぜいたく禁止令や宮廷儀礼の整備など王権の強化を図る政策を次々と打ち出しており、これはその後のカスティーリャの指針となって生きてゆく事になります。
ただ、アルフォンソ10世のこの急進的な政策は貴族や各都市の反発を招き、更には前回書いたようにアンダルシア地方への植民とそれに伴うイスラム教徒の追放によって優れた灌漑農業技術なども失うことになり、アンダルシアの社会経済は打撃を受け、政策の推進者だったアルフォンソ自身もまた王位を追われてその生涯を閉じる事となります。

その後14世紀に入り、カスティーリャではアルフォンソ10世の遺産というべき政策群が実を結び始めます。1325年に親政を開始したアルフォンソ11世は、レヒドール制(各都市の有力者が国王の勅任により上級官吏として任命される制度)の導入や『七部法典』の開始を断行し、都市法の上位に立つ王国統一法が実際の効力を持つ体制をスタートさせます。
また対外的にはサラードの戦いでマリーン朝を破ったアルフォンソ11世は1344年にはジブラルタルの根元にあるアルへシラスを攻略してジブラルタル海峡内の航行権を奪取する事に成功するなど、カスティーリャが再び成長路線を歩み出したと思った矢先の1350年、思わぬ事態によりその成長は頓挫してしまいます。

1350年、ジブラルタルを包囲中だったアルフォンソ11世が、この時期には既にイベリア半島にも上陸していたペストに感染し、そのまま亡くなってしまったのです。そしてこれは同時にその後100年以上続くカスティーリャの危機と呼ばれた戦乱の幕開けを意味していました。


スペイン地図13~1400年代



さて、予定では次で一気に最終回を書くつもりでしたが、
今回の原稿上げたら4000字以上になってました・・・。
これじゃどう考えても読む気しなくなるのでニ分割して前編だけ上げておきますね。
続きはもう書けているので明日までお待ちを。
後編では個人的に大好きな某傭兵隊長が出てきますよん。



おしまい。

FC2ランキング02
 
↑最後にぽちっと。

テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/02/18(水) 19:00:51|
  2. イスパニア物語
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

アルティザン転職



オスマンアップデート初日。
家に帰ってPCの電源入れたところでオスマンパッケージが宅配便で到着。
タイミング良すぎてちょっと笑ってしまった。
で、早速シリアルナンバー入れて各種アイテム見てみたのですが、

これの性能はちょっと予想以上でしたね。

改良大スパンカ

実際2個付けて使用してみたら体感できるくらいに速くなる。
海戦や大会で砲術家やるひとはこれ使う人が増えてくるのかねえ。

あとオスマン衣装レシピ&装備群については、
生産にはPF生産の最高級ルビーとか染料とか必要なのでちょっとすぐ作れませんが、
レイスコートとアミールコートかっこいいですねー。
足装備の宝石+1とかもけっこう重宝しそう。

さてCP5初日の動きですが、
取りあえず目的はアルティザン転職に絞って行動してました。

ちょっとネタバレなので珍しく続き使って書きますね。

 
[アルティザン転職]の続きを読む

テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/02/18(水) 07:41:18|
  2. 鋳造・縫製 その他生産
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

密かに注目アイテム

いよいよ明日はCP5の実装日。
それに伴ってヴァレンタインイベントは終了と言う事で、
昨日はE鯖で作っているキャラ動かしてイベント消化してきました。
消耗品もだけど生産やるときに地味にあの調味料+2ブーストは優秀ですしね。

ところで最近思うんだけど、ここ数回のイベントはかなりアイテムが豪華。
バランス的にどうなんだろうってちょっと悩む位に。
もちろん上級者にとってはゴミアイテムで 『なにこのイベント』 って思う人もいるでしょうが、ハロウィンやクリスマスイベントの宗教+2や宝石+1装備(初出)や今回の地理視認ブースト・名匠仕立て・鍛冶道具・海軍紙10枚(!)など、初心者からしたら初期にあんだけのアイテムもらえたら資金的にはかなり楽になります。

これは共有倉庫の実装や金庫+10枠でアイテム持たせる枠に余裕が出ただろうと見越して振舞っているのかもですが、安易にアイテムに頼ってゆくのは終わりの始まりを意味するのでちょっと考えてしまうんですよね。まあ、アイテムが良ければバランス云々、しょぼかったら酷評と、制作側からすれば 『んじゃどうすればいいの!』 となるのでしょうが、アイテムに頼ってたら結局そういう話から逃れられないんですよね・・・。



さて、おおまかな話はこの辺にしておいて、
個人的に今回のヴァレンタインイベントで注目してたのは、実はこれ。


ヤタガン

そうヤタガン。

最初の頃はショートソードの画像使い回しだったのが、
ちゃんと投てき武器として修正されたあれです。
知ってる人は知ってると思いますが、このヤタガンは強化可能な中距離武器。
素で攻撃26・投てき術+1(冒険職限定)だったでしょうか。
生産レシピはカッツバルゲルと同じ究極・剣レシピですね。

で、このヤタガン、制作するのが実にめんどい。
どんだけめんどくさいか、ちょっと書き出して見ましょうか。


(ヤタガンの製造工程)
ヤタガン=①カッツバルゲル+②スコルピウス+鋼15  (剣・究極)

①カッツ=マインゴーシュ+砂30+鋼10 
②スコルピウス=Aマインゴーシュ+Bダーク+石炭5 (剣・極意)

Aマインゴーシュ=バゼラート+石炭3+鋼3
Bダーク     =aバゼラート+bスティレット+石炭5 (剣・応用)

aバゼラート =ショートソード+石炭3+鋼1

bスティレット =ショートソード+石炭2+鋼3  (剣・入門)



本気でだるいね・・。
レシピは入門から究極まで4種全部使う上、
ショートーソード4本に砂・石炭・鋼を各30個前後使ってやっとヤタガン1本できる。
しかも最終工程に入るまでに中間の剣作る工程が7回入っており、
普段800K~1Mくらいで販売されているカッツでさえ中間工程に過ぎない、
それがこのヤタガン。

これを強化して100ヤタガン作るとなったら、
一体どれだけのショートソードを消費するんでしょうね・・・。
まあ、作って売る気になるかと言えばそれは別として、
仮に価値を付けるとしたら
攻撃100カッツの市場価格が800M~1Gとするなら、
攻撃100ヤタガンとなったら1.5Gくらい付いても全然不思議じゃないでしょう。
(自分ならまず売らないけど・・・)

で、機会があったらこのヤタガン強化やってこようと思い、今回のイベントでヤタガン売りに出してる人がいたら1M未満なら即買うようにしてました。サブキャラの得意武器をこのヤタガンか銃にしたらいいかな、とね。生産者なら一から作れよって話ですが、上の工程知ってる以上、300Kとか500Kで売ってる人いたらそりゃ買っちゃうでしょう。
まあそんなわけでまだもってる人、
ヤタガン要らないからってイレーヌ姐さんに貢ぐのはちょっともったいないですよ。



おしまい。

FC2ランキング02
 
↑最後にぽちっと。

テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/02/16(月) 08:09:18|
  2. 鋳造・縫製 その他生産
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ルナティック、どーん!

アートディンクの名作ふたたび!?


いつ出るんだろう・・・。
ルナドンの新作。

アートディンクと言えば、
『A列車で行こう』 シリーズや
『THE ATLAS』 シリーズなど、
シミュレーションゲームやRPGを手掛けてきた事で知られる今では老舗のPCソフトメーカー。大航海プレイヤーとの関連深いですから一度はやった事ある人も多いんじゃないでしょうか。特に『THE ATLAS』は大航海時代そのものを扱った別メーカーのゲームですからコーエーとのアプローチの違いに色々思う所も多いタイトルですよね。変な地図信じるととんでもない大陸ができちゃったりするのはいま考えるとけっこうリアルでもそうだった気がしておもしろいw
その後PS用ソフトや移植もの、キャラクタものなど扱っていますが、個人的にはいまだに上記の作品のイメージが強いですね。


で、このアートディンク作品の中でもかなり好きだったのが
『ルナティック・ドーン』 のシリーズ。
1997年発売の 『ルナティックドーン 前途への道標』
などは発売時だけでなくその後も何度となく遊んだ作品で、
PCの処理速度が上がったために異常にプレーしにくくなって断念したけど
いまでも充分楽しめる作品と思います。

その特徴は、『1度限りの人生、何でもアリ』
基本的には死んだら終わり。
家族など親密なPTいると蘇生して貰えることもありますが、
極端な場合だと1回戦闘に負けるとGAMEOVERです。
更にその人生の終末(END)は実に様々で、平凡に生涯を終えたり英雄になったりするだけならともかく、世界を破滅させる選択肢すら用意されてしました。また歴史を刻むというか、子供を作ってその子に後を継がせることも出来、スケールのかなり大きい作りをしていましたね。

このシリーズはその後出たⅢ・Ⅳ・第三の書などももちろんやってますし、
PS2版の『テンペスト』あたりもやってますね。
(もう第三の書以外はⅡや前途あたりとは別物なのが惜しいんだけど)


で、先日ちらっとアートディンクのページを覗いたら
久々にPC版の新作が出るらしい!

2009年02月発売予定(ダウンロード限定らしい)
この新作のタイトルは、
『ルナティックドーン The Book of Eternity』

昨年の夏~秋に掛けて4GAMERでも記事が出ていますから見た人いたかも。
http://www.4gamer.net/games/051/G005124/20080801041/
↑当時の4亀記事

しかしその後、2月も中旬になろうってのにいまだに出る気配がない・・・。
出たら即買いたいんだけどなあ・・・。


おしまい。

FC2ランキング02
 
↑ぽちっと。

テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/02/14(土) 17:54:24|
  2. 雑学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

公式ファンサイト承認

ハミルカル・バルカ 

こちらは大航海時代 Online ファンワールドです。
『大航海時代 Online』ファンサイト登録にお申し込みいただき、誠にありがとうございます。

ファンサイト登録にお申し込みいただきました下記のWebサイトにつきまして審査させていただきました結果、ファンサイトとして認定させていただくとともに、『大航海時代 Online』公式サイト上の「ファンサイトリンク集」 のページに登録させていただきました。


おっしゃ、きたわー!

再申請してから9日後の今日になって認定とのメール頂きました。

http://www.gamecity.ne.jp/dol/fanworld/index.htm
※公式ファンサイトのリンク先

さてこれ、前回頂いた修正指摘例に従って、
10個ほどの記事を非公開にしたり画像だけ削除して再申請したわけですが、
一つ分かったことがあります。

『キャラクタ名の入ったSSは載せても即時の修正対象にならない』

本来なら各人の掲載許可を得ていないSSはベタ塗りして消すのがルールとなっています。
むしろこの、『名前のベタ塗り』は画像を加工する事が許されている数少ない例ですよね。
ただこれ、許可を取るのは運営側ではなく被写体となった各人の承認なわけで、運営側でそれを確認する事は実質不可能です。最近のSSは名前消して使っていますが、わたしの古い画像では全員がそうとも言い切れないものも含まれており、(フレや商会員などはけっこうそのまま使ってるし)
)恐らくこの点は各人の良心に依存してると言うことなんでしょうね。

まあそれだけに載ったからには気を付けないと。
過去の画像もまた見直して怪しいものは削除するつもりですので、
リンク切れ起こした人がいたらごめんなさい。

しかしあれですね、ファンサイトリンク見てったらけっこう身内・フレがいるいるw
歴史FANデータベースとかはもちろん知っていましたが、
がぶ。様のとこや
アルフィリンさん、
コーチのところ、
更にはマリィナさんなどもとっくに登録されてるのは感心しました。


まあそういう訳ですので、
今更感たっぷりではありますが登録完了した事
お知らせ申し上げまする。(ペコリ




おしまい。

FC2ランキング02
 
↑ぽちっと。

テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/02/13(金) 18:11:01|
  2. 活動日誌
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4

イスパニア物語 その17

停滞

およそ1週間ぶりの更新で、このシリーズも当初の予定ではあと3回を残すのみ。
とりあえず1492年でなんとかいったん切りたいけど間に合うかなあ・・。
さて、前2回で見たように、13世紀中盤におけるカスティーリャの侵攻でほぼ大勢が決していたイベリア半島のレコンキスタ。イスラム勢で残るのは人口30~40万人程でしかないグラナダ王国のみという状況でしたが、これ以後のおよそ200年というものレコンキスタの活動そのものは完全に停滞してしまいます。これには当のグラナダ王国がカスティーリャに臣従したという側面もあった訳ですが、一方でカトリック教国側、特にカスティーリャ王国でそれ所ではない事態に陥っていたと言うのが実情でした。そんなわけで、ちょっと駆け足になりますが残り3回で14~15世紀におけるカスティーリャ王国の動きを見てゆくことにします。

14~15世紀のカスティーリャが停滞を余儀なくされた、
その大きな要因は恐らく次の4点。

①災害
②社会構造の変化
③対外関係
④内部の騒乱

で、今回はこのうち①と②を見てゆくことにします。

【①災害】
これは大きく分けて天体規模によるものと人的な要因の2種類。
14世紀初頭のカスティーリャ王国ではしばしば天候不順による凶作が続いたという記録が残っており、これによって農村が荒廃して食料品の高騰や人口の減少を招いたと言うのですね。あと生産性の話はこれはこの後書く②にも関連してきます。
次に人的なものですが、14世紀半ば以降にヨーロッパを襲った災厄の代表的なものといったら鋭い人は気付くかも知れません。
そう、ペスト(黒死病)。
14世紀中にヨーロッパは3回に及ぶペストの大流行に襲われ、前世紀と比較して全人口の30%近くが失われたと言います。
特に1347年に黒海の港町カッファからイタリア方面に出港した商船によってヨーロッパに伝わったと思われる最初のペスト流行はおよそ2~3年の間にヨーロッパ全域に広がり、1348年頃にはイベリア半島にも到達して恐るべき災いをもたらします。
フィレンツェ人のボッカチオがペストから逃げた人々の100物語というスタイルで書いた名作『デカメロン』は正にこの時期の作品なのですが、実際こうした現象はヨーロッパ中で見られる普通の光景だったのでした。そしてこのヨーロッパ史上でも屈指の災厄となった大流行にイベリア半島も巻き込まれ、例えばカスティーリャでも15~20%もの死者を出したと言います。この頃既にセビリャ・トレド・バレンシア・バルセロナあたりの人口は4~10万人ほどになっていますから、15~20%というと各都市で1万人前後の死者を出していた事になります。こんな大流行が1世紀ほどの間に小康状態をはさんで3回も襲ってきているのですから、天候不順と合わせて農村部が荒廃するのは明らかで、国としての生産力は激減していた事でしょう。



【②社会構造の変化】
これは先ほどの凶作とペストによる農村の荒廃とも関連する事で、これによって農村を捨てた小規模農民は都市に流入するようになります。そして、生産性が落ちて労働者がいなくなった事で14世紀のカスティーリャ、特に南部では物価の高騰と賃金の上昇を招きます。これで苦しくなった農村経営に依存する小規模な土地領主はせっかく大レコンキスタで獲得したアンダルシア地方の土地を大領主に売り渡して中~北部に流入するようになり、都市部での貧困層の増加、南部アンダルシアでの有力貴族による大規模土地所有化、小領主など中流層の没落など、その後顕在化する対立構造が発生しつつあったのですね。

そしてもうひとつ、社会構造では宗教面での影響も無視できませんでした。
かつてターイファ諸王国、ムラービト朝、ムワッヒド朝と支配が続いたイスラム勢力下のアル・アンダルス時代、11~12世紀に掛けて次第にイスラム化の圧力が強まり、改宗しない者は半島北部のカトリック教国への避難・移動を余儀なくされ、人口のおよそ90%以上がイスラム教徒(表面上は)となっていました。
これが、1210~60年代の大レコンキスタで今度はカトリック教国に塗り替わった事で、13世紀後半以降そこに住む住民もカトリック教徒が増加してイスラム教徒は激減する、そういうドラスティックな構成員の変動が起こっていたのですね。
しかしこれは、技術面や法体系など文化面でも進んでいたイスラム社会から、イスラムの影響を色濃く残しつつも基本部分では生産性・精神性・文化面で後進国だった中世ヨーロッパ社会への転換を意味していました。

しかも、元々イベリア半島の国土の大部分は農耕に適さない丘陵・山岳地帯ですから基本産業は牧畜。そこで取れた羊毛をフランドル地方に輸出するイングランドとよく似た産業構造を持っていたのですが、イスラム社会との同化でカディス以東の地中海方面では長年にわたって皮革製品をモロッコ~北アフリカ方面へ輸出していたのが、イスラム勢を駆逐した事でイスラム商人との交易も激減すると言う変化に見舞われていました。
こうなると昔ながらの牧畜の国にある程度戻ってしまうのはやむをえない所で、バレンシアなどは逆にこの恩恵を受けて大レコンキスタ以降は羊毛の一大輸出港として武器輸出の拠点だったバルセロナを上回る発展を始めるなど、現在の大航海世界の交易品設定にも影響する産業構造の変化が出始めていました。


ちなみに、現在のイベリア半島の各港で牧畜に関連性の深い交易品を挙げて見るとこんな感じ。

ヒホン →ブタ、アヒル
オポルト →ソーセージ・豚肉・ラード・チーズ・皮革
リスボン →ハム・ニワトリ
ファロ →卵・ブタ
セビリア →皮革製品
マラガ →チーズ・ウシ
バレンシア →アヒル肉・羊毛
バルセロナ →皮革製品

フランス・イングランドも似ていますが、
ほとんどの港で皮革や家畜・肉類・乳製品を扱ってますよね。
もっと言うと16世紀になっても火器以外に高額商品が少ないあたり、
イベリア半島の貧しさを物語っているかも。


スペイン地図13~1400年代


ポルトガルやアラゴンはこれじゃいかんと早い段階で海に活路を見出していったから立ち直りも早かったのですが、このように人口面・社会構造・産業構造で停滞や減少・不満の蓄積といったマイナス要因を溜め込んでいたカスティーリャは、③対外関係・④内部の騒乱 などの要因も降りかかって収拾が付かない危機の時代を迎えることになります。
あと二つの要因は長くなるので次回に。



おしまい。

FC2ランキング02
 
↑最後にぽちっと。


テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/02/13(金) 07:35:00|
  2. イスパニア物語
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ちょっと質問

1/29にAMDからRADEONシリーズ用GPUドライバ
『Catalyst 9.1』
が出ています。

ところがこれ入れた先週末あたりから、
どうもメインPCでいきなりDOLだけ動作停止するように。
それも1日に何度も。
私が使ってるのはHD-4850ですが、このドライバ入れて同じような症状出てる人いませんか?

取りあえずこのあと試しに8.12以前のドライバに戻して様子みますが、
8.12に戻すとATIstreamの最新版が同時に使えなくなるのでちょっと惜しいんですよねー。
あとはなんだかHDDの動作も怪しいので両方疑ってみるつもり。
この所のRADEONドライバはわりと安定してたので違うかもですが、
もし似たような人いたら教えてください。



シリーズ記事の次回はいま書いてる途中なので明日あたりに上げる予定です。


おしまい。

FC2ランキング02
 
↑いちおうぽちっと。

テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/02/12(木) 19:29:55|
  2. 雑学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

オスマン前夜

珍しく活動記録を。


自分の動きをちっとも書かない変なブログですんません。
さて先週は土曜日の第2回NFC大会を観戦。
商会ではカトルさんがベスト8、じろさんがベスト16でしたね。
二人とも負けた試合でもいったんリード取ってただけにおしかった。
特にカトルさんとこのELBEは優勝したPLXに予選で唯一土つけてる位だし・・・。
いっぽう、裏というかむしろ表でやってた土曜日の論戦大会では、
今回のNFC大会に参加できなかったみるきちゃんがまたしても(2NDで)ランク入り。
彼ほんと文武両道だわw
そのあと日曜日に一気に海事修行してて、

海事64、兵器R10

にようやく到達したところでいったん修了。
1日にソロで経験80000位稼いだのでさすがに疲れた;
あと砲撃系は速射12・貫通12が残ってますが、暇な時にでも進めるつもり。
(ってよく考えたら来週になったら砲術と貫通はR16解放されるんだった・・)
ほんとは爵位の関係で海事名声25万欲しいのと、操舵・剣術上げもしたいので賞金稼ぎあたりで残りの海事上げやったらいいんでしょうが、ちょっとこの後はオスマンアップデートが控えていますから別のことに掛かろうかと思っています。イベントもまだ未消化ですしね。


さて来週のオスマン実装については、アルティザン転職を目指す予定。
転職クエがどこに眠ってるのか不明ですけどね。
イメージ的にはナポリ・ジェノバが怪しいかなあ。
このアルティザン、メインで生産するのに便利ですが、
それ以上にサブキャラ以降での育成とかに良さそうじゃないかと。
生産特化の万能型作れるのは結構大きいと思うんですよね。
あとこれに関連しての注目はアルティザン副官。
複数の生産スキル補助付いてる副官と言えばユルバンあたりの名が挙がりますが、
もし3種以上の生産補助付いてるとなれば雇いたくなりますね。


(ここから妄想)
ところで今度のCP5、新職業に海事職が一つもない事に気付かれたでしょうか? 
何となくだけどこれ、この後の隠し玉にしてるって事、ないかなー。
いつもの如く小出し戦略で・・・。

例えばオスマン専用の職業。
ぱっと思いつくのはイェニチェリですよね。
銃とヤタガン系の小刀を装備した軽装歩兵の精鋭ってのが一般的なイェニチェリのイメージですが、今回オスマン籍となる人は別に改宗したわけではなく、『契約』 によって籍を置く傭兵みたいなものでしょうから、そのままイェニチェリ職が出る事はないでしょう。ただまあ、名称はちょっとひねるにしてもこれに近い陸戦の万能職とかで登場したら面白いんじゃないでしょうか。
陸上においてはヨーロッパが連合しても勝てない位の強国の片鱗が見せられたらいいなと。

個人的には砲術・操舵・回避・水平・剣術など、海事の基幹スキルがほとんど優遇という強力すぎる構成のフィリバスタに対するアンチを込めて、士官系の上級職がどこかの時点で出ないかなと思うんですけどねえ。上級士官とか合計LVの低さからして実際は中級職じゃないのとw




おしまい。

FC2ランキング02
 
↑最後にぽちっと。

テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/02/10(火) 18:51:29|
  2. 活動日誌
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

PS3版DOLの発表について

予定調和

かなあ。
先日の発表で4月28日発売予定となるPS3版の大航海時代Onlineは、

プレイヤーが生活をするワールド(サーバー)は、
現在サービス中のWindows版と同じものとなります。

というアナウンスありましたね。
色々あっても新しい人が来るのは基本的に歓迎と思ってるほうですし、
今より低年齢層が来る事も基本的には歓迎。
PS3の販売台数そのものはPS2と比べるまでもなく限られてても、PCでゲームする人口を考えたらかなりの数が来ることは予想できそうですから、それによって例えばリスボン港前やスク茶が一時的にカオス状態になっても、長い目で見たら若い人くるのはいいことだと思うんですよね。そういう新陳代謝は、タイトルそのものの熟成と合わせて、息の長いタイトルに育つための重要な要素の一つなんじゃないかなと。


いっぽうではちょっと複雑な感情持つ所も。
主に発表内容の流れと今後のスケジュール面についてですか。

以前のインタビュー(2008年12月26日CP5発表時)では、
『同一鯖か別鯖か、どちらにするかまだ未定です。』
と言っていた覚えがありますが、
なんとなくもうその時期には同一サーバーで運用する前提での
スケジュール組んでいた気がするんですよね。

これは、
『CP5のあとでもう一回、エキストラチャプターを入れます』
『サービスは同時に進めて行きたい』
という事にもその回で言及している点からの推測です。
その後に発表のあったスケジュールとその後の推測を並べて見るとこんな。


①CP5=2/17
②PS3版=4/28
③CP-EXT=?(予想6月上~6月下)
※大海戦などの定期イベント集中開催=夏休み中(予想)
④次期有料パッケージ=?(予想8月下~9月上)


PS3版を買う新規ユーザー側で考えてみると、もし『エキストラチャプター』が無かった場合、CP5で始めて次に受けられるアップデートは、今までの実績からするともう有料パッケージと言う事になります。
買って数ヶ月でなんのアップデート(CP区切る位の)も受けられずにまた3,000円くらいの有料というのはちょっと気の毒すぎるでしょう。それを勘案したら『一回アップデート入れとかないとまずいだろう』というスケジュール組むのが自然な流れではないでしょうか。で、インタビュー後の実際のスケジュールと同一鯖運用の発表はそういう流れになってます。

もしこれがWindows版と別サーバーでやるなら、そういうこと気にせずに半年~1年遅らせて大規模アップデートを適用すればいい。それならまた3~4000円の追加費用(PS3版の有料パッケージが3,000円とは限らない)払って新パッケージ買う意欲湧くでしょうから。全然別のソフトですが、『.hack』ってPS2のRPGは一つの物語終わらせるのに1~2年掛けて4分割でパッケージ販売して引っ張ったりと言う、もっとあざとい例もありますし。もしくは新規の有料パッケージからPS3版を出すとかでもいいんじゃないでしょうか。ただ一方では、インタビューの時点で既に『サービスは同時に進めて行きたい』とも応えてますよね。 『~したい』 とインタビューで言うってのはもう 『そうします』 というのとほぼ同義です。少なくとも受け手はそう捉えます。会社組織の人間で広報やってる方なら言える範囲は元々決めてインタビューに臨んでるでしょうから、万一を考えてニュアンス薄くした程度と思っていいでしょう。わたしも外に残る記録の時は裏取られないように逃げ道残しますからねw 

スケジュール進行については、逆に既存のWindows版ユーザーからしてみれば、4/28のPS3版ユーザー流入それ自体がイベントとなります。んで6月あたりにエキストラチャプター入れて、昨年のように5週間で3回大海戦やったような定期イベントラッシュも挟めば、8~9月あたりに新パッケージ持って来る繋ぎになるんじゃないかと。更にサービスの同時進行に言及している以上はその時点でスケジュール組んでからでないと、とてもじゃないけど外向きに言えないのでもう考えてたんじゃないか、と推測した次第です。


なんだか長くなりましたが、これ別に毒吐いてるんじゃないですよ。
前にも何回も書いてますが私自身はかなりのコーエーファンです。
基本的に運営面でなにか言うなら前向きに書きたいと思ってる方ですから。
んでまあ出来うるならばインタビュー時の発言はもうちょっと練ってからやって頂くといいかなーと。何しろ広告先である4GAMERのインタビューは御用記事化してることに既存の人は感づいてますから、ちょっと怪しいところがあると突っ込んでやろうと一言一句探してますからねw

例えば時々、 『元々○○するつもりでいたんです』
って返答ありますが、大規模に同時ユーザー抱えて運用するものを変更に変更重ねていいもの作ろうと志向するのは別に悪い事じゃないんだから、 『ちょっと手間取ったり反応思わしくない部分があったので、○○という変更を加えて○○しようと思いました』  と答えればいいのに、とか思ったりね。そのほうが客は信用すると思うんですよね・・・。



おしまい。

FC2ランキング02
 
↑最後にぽちっと。

テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/02/08(日) 09:51:00|
  2. 雑学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

イスパニア物語 その16

海洋国家アラゴン


13世紀の中盤にはほぼ形勢が決していたイベリア半島のレコンキスタ。
大西洋岸のポルトガルではこの後カスティーリャ王国の干渉を受ける一世紀ほどを経て海洋国家としての道を歩み始めるわけですが、実はこのポルトガルに先行して海に出てゆく国がありました。それが、今回見てゆくアラゴン連合王国。

元々内陸国として生まれたアラゴンは1130年代にバルセロナ伯領と連合した結果海への道が開けてくるわけですが、同時にこれはバルセロナ伯が影響力を持っていた南フランスへ干渉してくる事も意味し、新たな強敵を抱える事になりました。
それが、この時代に急速に勢力を伸ばしつつあったフランス王家。
元々連合する以前にバルセロナ伯はピレネー山脈の東側、つまりフランス南西部のトゥールーズ伯領やフォア伯領・プロヴァンス伯領などに婚姻政策を通じて影響を及ぼしており、アラゴンと連合して以後、フランス王家(カペー家)がトゥールーズ伯に接近して対立してくるようになると政策転換を余儀なくされ、やがて深く巻き込まれて行きます。

1179年、アラゴン連合王国のアルフォンソ2世はカスティーリャ王国とムルシア条約を結び、今後のレコンキスタでバレンシアを取得する代わりにムルシア地方(カルタヘーナ一帯)の再征服権(!)をカスティーリャに譲渡します。実はこれ、単純に両国の支配領域を確定させる取り決めに留まらず、大きく西ヨーロッパの情勢と関わる条約となってくるんですね。
というのも元々アラゴンは以前からイングランドと同盟関係にあり、これにカスティーリャを抱き込む事でフランスに対抗しようと言う意図も持っていたのですね。そしてこの同盟と条約を背景として、アルフォンソ2世はバレアレス諸島やサルデーニャ島への進出を開始します。


(南フランス喪失)
次のペドロ2世の代になると、カスティーリャのレコンキスタを支援して1212年のラス・ナバス・デ・トローサの会戦に王自ら参加する一方、当時カトリックにより異端とされたカタリ派の根拠地だった南フランスへ、『異端根絶の為の十字軍の名の下に』攻撃を開始したフランス王家をはじめとする北フランス勢に対抗するため、トゥールーズ伯などからの援軍要請に応える形で南フランスへ出兵を行います。
しかしこの宗教戦争に巻き込まれた事は、1213年に出兵したペドロ2世が南フランスのミュレで戦死すると言う最悪の形で終結します。
しかも戦死したペドロの後を継いだハイメ1世は即位時わずか5歳、即位当初のアラゴンは幼児の君主の所在さえ固められない状況で(当時ハイメ王子はあっちこっちへ預け回されていた)、外部どころか内部統制さえままならない混乱状態を迎え、アラゴン連合王国の南フランスにおける影響力は継承権を持つモンペリエなど一部を除き崩壊してしまったのでした。
その後、アラゴンは親族衆など有力者による顧問会議と言う形で幼少のハイメ1世を支える体制を作り、ハイメが成人した1220年代後半になってようやく再成長への道を取り始めます。


(征服王)
成長したハイメ1世、幼い頃から苦労してたせいか対外面で優秀な実績を挙げます。まず外征面では1229年から始まるバレアレス諸島の征服、1232年からはバレンシア方面へのレコンキスタに着手し、1238年にはバレンシア王国を倒してイベリア半島におけるアラゴンとしてのレコンキスタを完了させます。(バレンシア以西はカスティーリャが征服権を持っていた)

ハイメはその後も外征面でカスティーリャ王国のレコンキスタを支援する一方で隣国フランスとはルイ9世と条約を結ぶことで安定化させるなど成果を挙げ、イベリア半島でも声望の高い王として一生を終えます。
死に際してハイメ1世は長男のペドロ3世にアラゴン王国を、次男のハイメ2世にはバレアレス諸島・モンペリエ伯領などからなるマヨルカ王国を分割して継がせたのですが、これは結局アラゴン王家とマヨルカ王家の兄弟争いの元凶となり、最終的にマヨルカ王国がアラゴンの支配下となって滅亡する事になります。


(強敵)
ところで、ハイメは母がモンペリエの継承権者だったことから、モンペリエの領主でもありました。大航海世界ではフランス領のモンペリエですが、この頃はまだアラゴン連合王国の支配下にあったのですね。そしてアラゴン王家はこの後、モンペリエの先に広がる南フランス・プロヴァンス地方に進出してくる勢力と対決してゆく事になります。
それは、聖王ルイ9世の弟、シャルル・ダンジューでした。
シャルル・ダンジューに関しては以前5回ほどの小シリーズ記事を書いていますのでそちらのリンクを出しておきますね。


第一回
http://hamilcar.blog64.fc2.com/blog-entry-454.html

第二回
http://hamilcar.blog64.fc2.com/blog-entry-455.html

第三回
http://hamilcar.blog64.fc2.com/blog-entry-456.html

第四回
http://hamilcar.blog64.fc2.com/blog-entry-458.html

第五回
http://hamilcar.blog64.fc2.com/blog-entry-460.html


ハイメ1世の治世当時の1270年代、シャルルはプロヴァンス・シチリア・南イタリアを得てギリシア方面へも勢力を伸ばしており、地中海帝国とも呼べる程の一大勢力を築いていました。更にシャルルは1280年代初頭にはビザンツ帝国への侵攻を計画してシチリア島のメッシーナに大艦隊を集結させるなど地中海を制覇する一歩手前であり、その直前で起きたのが、上記のシリーズの最後で記述している『シチリアの晩祷』事件でした。


(シチリアの晩祷以後)
1282年3月30日にシチリア島のパレルモで起きた『シチリアの晩祷』事件を契機として、シチリア島はアンジュー家の支配から逃れるべく立ち上がります。
そして彼らが救援要請を飛ばしたのは、元の領主であるホーエンシュタウヘン家最後の当主の遺児となった、娘コンスタンスの嫁ぎ先でした。そう、それが、ハイメ1世の長男でアラゴン王位を継いでいた、ペドロ3世だったのですね。

前にも書いているので詳細は省きますが、要請を受けたペドロ3世は6月に遠征軍を送り、シャルル・ダンジューとの戦いに勝利してシチリア王となります。
その後またしても兄弟でアラゴン王位とシチリア王位を分割してという流れになりますが、とにもかくにもこのシチリア王位はその後トラスタマラ朝への変遷を経つつもアラゴン王家で相続して行き、更にカスティーリャと連合してゆく15世紀前半までにはサルデーニャ島とナポリの王位も保持することになります。
地図でその最大版図を描くとこんな。

アラゴン勢力は一時的にアテネ一帯にも及んでいますね。
こうして、アラゴンはイベリア半島内では中堅クラスの国家でしかないものの、地中海全体で見るとバレアレス諸島・サルデーニャ島・シチリア島・南イタリアに支配を及ぼす最大規模の海洋国家にまで成長していたのでした。事実アラゴン艦隊といえば西地中海ではカスティーリャやジェノヴァと互角以上に渡り合える存在であり、東地中海から北海までその交易圏を拡げてイベリア半島でいち早く海洋国家として君臨していたのでした。

このアラゴン連合王国関係の最大勢力圏を大航海世界の港で拾ってゆくと、バレンシア、バルセロナ、パルマ、モンペリエ、カルヴィ、サッサリ、カリアリ、ナポリ、シラクサ、アテネと時間的なズレはありますが実に10箇所。もしこれが全部領地だったらそれだけで一大国家ですよね。(つか既にフランス領の5箇所より遙かに大きい・・・) 実際これが大航海時代ONLINE開始時におけるイスパニアの影響度としてけっこう反映されて来てますから、DOL世界におけるアラゴンの影響は少なくないと言えるでしょう。


アラゴン連合王国13-15C
13~15世紀におけるアラゴンの最大領域。
一時的にアテネやコルシカも影響下においているため広大な領域を形成してますね。


(スペイン王国の雄として)
さて、アラゴン王家は15世紀末以降、つまり大航海時代になるとカスティーリャ女王と結婚して同君連合を作ってゆきます。この時代にはイタリアに侵攻したフランスと直接戦うことになりますが、この戦いの前段は最近の歴史ファンでも取り上げているように名将コルドバの指揮のもとスペインが勝利し、2代あとのカルロス(カール5世)の代では実に17もの王位を保持したうちのかなりの部分の基盤ともなったのでした。

なんだかすごくはしょった気もするけど、
こうして見てゆくとアラゴンとカスティーリャの連合はちょっと反則じゃないかとさえ思う。
しかもその後ハプスブルク家とも連合して行くわけですから、
囲まれたフランスがオスマンとの同盟に動くのも無理ないかもしれません。
こうした政略もまともに運営されてさえいれば・・・。



おしまい。

FC2ランキング02
 
↑ぽちっと。

テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/02/05(木) 23:09:11|
  2. イスパニア物語
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

登録申請

今日、ちょっと思う所あって公式のファンサイト登録を申請してみました。
ものすごく今更感たっぷりな気がしないでもないけど・・。
取りあえずエントリー数が2/1の時点で732件、うち公開してるのが699件。
これ全部審査する方も大変ですね。

今まで登録申請しなかったのは、
私けっこう規約面でグレーというか真っ黒な記事も書いてるからで、
『まず許可でないだろうなあ・・・』 というのが第一。
もう一つは、そりゃ自分の好きなように書きたかったから。
特に新情報とかイベントとか画像なしで出してもアレですからね。
んで具体的にどの辺があやしいかと言うと、

1)公式ページにでた画像の二次使用
2)ゲーム内SSで許可範囲外の加工をしたもの(後から吹出し入れてるやつとか)
3)ゲーム内SSで掲載許可を取っていない人のキャラクタ名を載せたもの

たぶんこの辺は完全にアウトなので修正指摘受けるでしょうね。
で、良く考えたらこの辺は開始1~2年くらいの記事に多い。
それも時間が経つと鮮度の落ちる活動日誌あたり。
最近はメインが歴史シリーズ記事ですし、
画像はともかくテキスト類に付いては恐らくそんなに指摘を受けないかと思う。

んでまあ、それならそれで登録申請をしてみて、
運営側の目でどの辺がダメよってなるか、確認しておきたかったと言うわけです。
指摘受けたらそこは削除するか非公開に変えたらいいだけですから。
(数が多いので歴史系記事で重要なもの以外はあんまり修正する気がない)
こんな感じで、今回の登録が受付されなかったとしても、
今後はもっと規約意識して作って行こうと思っています。
不良ブログが更生の道を取ろうって訳じゃないけど
さてさて、どう判定してくれるものでしょう。


と書いたのが月曜日の朝。
それから2日経つがまだ返事なし。
気長に待つとするか・・・。


追記
午前中にメールで返事が。
2点ほど指摘いただいて初回は拒絶となりました。

その後、指摘を受けた該当部分に注意しながら全記事を見直してみて、
10個ほどの記事を削除した上でさきほど再申請しました。
さて今度はどうなるかな。




おしまい。

FC2ランキング02
 
↑押してって下さいな~。

テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/02/04(水) 08:10:44|
  2. 活動日誌
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

イスパニア物語 その15

イベリア半島の関ヶ原


このシリーズも残すところあと数回。
今回でだいぶ見通しが立つ感じで、イベリア半島のレコンキスタは終盤を迎えます。


(カスティーリャの停滞と分裂)
1085年にカスティーリャ=レオン王のアルフォンソ6世がトレドを落とし、
翌年サラカの戦いで大敗を喫した、その後の事が今回のお話。
それまで各地の王侯たちを臣従させるなど、イベリア半島の『皇帝』と言うべき立場にあったアルフォンソ6世でしたが、この敗戦によりその立場は大きく揺らぐことになります。ここでアルフォンソ6世が取った対策が、後にポルトゥカーレ伯となるアンリを含むフランス勢のレコンキスタ参加、そしてかつて追放した英雄エル・シドを呼び戻す事でした。両者の活躍によりムラービト軍のバレンシア方面及びガリシア地方への北上はある程度阻止することが出来ましたが、1108年にはトレド北東にあるウクレスの戦いでも敗れた為、トレドを除く半島南部への影響力は事実上失墜したのでした。

続くアルフォンソ7世の時代(1126~1157年)、カスティーリャ=レオン王国の優位性は更に揺らいできます。当初は宗主下に置いていたポルトゥカーレ伯やアラゴン王・バルセロナ伯が1130年代以降になると急成長してきたのですね。ポルトガルはオーリケの戦いでイスラム勢に大勝するなどして南に領地を広げて独立し、アラゴンとバルセロナは連合王国を築いて強大化しつつあり、南部では1150年代に成立するムワッヒド朝の脅威にも晒されたカスティーリャの支配権は事実上崩壊します。
そしてこのアルフォンソ7世が1157年にイスラム勢との戦いで戦死したあと、
カスティーリャとレオン両王国は再び分裂します。
カスティーリャ王国には長男サンチョ3世の系統が、レオン王国では次男フェルナンド2世の系統がそれぞれ即位し、両者の再統一はサンチョ3世のひ孫に当たるフェルナンド3世の時代まで待たねばなりませんでした。


(変容するアンダルス)
ところでこの頃のイスラム勢力圏アンダルスはというと、だんだん様相が変わって来ていました。ムラービト朝にしてもムワッヒド朝にしても、元々は『運動』をつけて呼ばれるように、学者や法曹家が始めた理念に基づく宗教活動でした。新興の宗教運動が他宗派に対して非寛容な姿勢を取るのは自然な流れでしょうが、そのため8世紀以来続いていた被支配層であるキリスト教徒『モサラベ』の存在はだんだん許されなくなって来ていたのですね。
12~13世紀になると、それまで人頭税を払う事で自治を許されていたアンダルスにおけるキリスト教徒・ユダヤ教徒は改宗を迫られ、13世紀近くなるとおよそ90%がイスラム教徒で構成される様になって行ったのでした。一部では隠れ教徒的に潜伏してアンダルスに棲み続けるものもいましたが、改宗を拒む者は移住を余儀なくされたため、彼らの受け皿となったのがカスティーリャ王国やポルトガル王国など隣接するキリスト教国でした。特にサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路を整備するなどヨーロッパ全域からレコンキスタに燃える騎士・巡礼者たちが参集するようになっていたカスティーリャには、迫害を受けた多くのモサラベたちが流入するようになって行ったのでした。



(反攻)
1195年、カスティーリャ王国は最悪の状況にありました。
この年サンチョの息子アルフォンソ8世はアラルコスの戦いでムワッヒド朝のスルタン・マンスールに大敗を喫し、しかもこれに乗じて隣国レオン王国の攻撃を受けるなど、これまでに無い窮地に立たされていたのです。
1197年には孤立した首都トレドが西・南・東の3方を優勢なイスラム勢の脅威に晒され、苦し紛れに停戦協定を結ぶという最悪の状況を迎えたカスティーリャ王国でしたが、そこからアルフォンソ8世の反撃が始まります。

カスティーリャにとって救いだったのは東の隣国アラゴンと1179年に協定を結んでおり、バレンシア地方はアラゴンが、その西のムルシア地方はカスティーリャがそれぞれ侵攻予定地とすることで合意し、たとえ軍の主力が遠征していても東の国境線はほぼ安全圏としていた事でしょうか。
1198年、ムワッヒド朝の名君マンスールが亡くなり、その後を父マンスールより遙かに暗愚なナースィルが即位すると、ムワッヒド朝は徐々に衰退を始めます。そしてこれを好機と見たアルフォンソ8世、1200年代に入るとローマ教皇イノケンティウス3世の支持を得るや隣国ポルトガル・アラゴン・ナバラ王国らの支援を取り付け、反攻に出たのでした。


(決戦!)
1212年、イベリア半島の歴史の中でも非常に重要な会戦が行われます。
この年、ムワッヒド朝のナースィルは自ら10万以上の大軍を率いてジブラルタルを渡り、
トレドを目指して進軍を始めます。
一方これを察知したアルフォンソ8世、教皇イノケンティウス3世やトレド大司教らの協力を得て、イベリア半島の各騎士団及びポルトガル・アラゴン・ナバラ王国など、レオン王国を除くほとんどすべてのカトリック教国勢力同士の戦いをやめて結集するよう呼び掛けます。しかもこの時は敵対していたレオン王国からも何人かの騎士が国の意向とは関わりなく個別に参集するという行動を見せており、イベリア半島内のカトリック教国側では完全に決戦の機運がみなぎっていた事が伺えます。

こうしてアルフォンソの元に同盟を結んだナバラ王・アラゴン王が自ら参陣するなど6万近い軍勢がトレドに集結し、カトリック教国の連合軍は逆にトレドから南下してアンダルシア地方中南部の町ハエンの北にあるラス・ナバス・デ・トローサ近郊に布陣して、ムワッヒド軍を迎え撃つ体制を取ったのでした。

1212年7月16日、かなり蒸し暑かったと記録されたこの日、両軍の決戦が行われます。
南下する途中で脱落者は出たものの、アルフォンソ8世を総大将とする連合軍5万、
アミール・ナースィル率いるムワッヒド軍は途中で増援を受けて12万以上。
数の上から優勢なムワッヒド軍は横に長い横陣、日本で言う鶴翼の陣を取っており、これに対してカトリック教国連合軍はカスティーリャ軍と各騎士団が中央、ナバラ王が右翼、アラゴン王が左翼を受け持つ、やや狭い横陣を形成して戦いに臨みます。

ラス・ナバス・デ・トローサの戦い

詳しい戦闘経過は不明ですが、ほとんど伝説のように語られる中では、中央にいたアルフォンソ8世が周囲の騎士団と共にムワッヒド軍中央部の左側に犠牲を出しつつも突撃を掛け、これで崩れたムワッヒド軍の中央に右翼の『剛勇王』ナバラ王サンチョ7世が更に逆から自ら突っ込んだ事でムワッヒド軍の本陣が壊滅し、総大将のナースィルが敗走した事でムワッヒド全軍が瓦解して壊滅的な打撃を受けて敗退したとされます。

この戦いの結果は重大なものがありました。
ムワッヒド軍は撤退してゆく中で更に犠牲者を出し、
最終的に10万とも30万とも言われる損失を出してイベリア半島から撤退したのでした。
いっぽうカトリック連合軍も被害こそ2~3000程でしたが、本陣を守る各騎士団が総大将自ら突っ込んだ事で巻き込まれ、犠牲者の多くは各騎士団の団長クラス・貴族の子弟など高位の騎士が含まれていました。


スペイン地図1260年
1260年頃の地図はこんな。
だいぶ大航海時代に近くなってきてますね。


(大レコンキスタの開始)
そして、結果としてこのラス・ナバス・デ・トローサの戦いはイベリア半島のレコンキスタの歴史そのものの帰趨を決めます。この後、カスティーリャ王国はレオン王国と再統一され、支配層の崩れたアンダルス南部、つまりアンダルシア地方への攻撃を開始します。後世、『大レコンキスタ』と呼ばれる事になる、カスティーリャとアラゴンの猛攻が始まったのでした。

1212年ラス・ナバス・デ・トローサの戦い
1228年バレアレス諸島攻略戦が始まる
1230年バダホス陥落
1236年コルドバ陥落
1238年バレンシア陥落
1243年ムルシア陥落
1246年ハエン陥落
1246年グラナダ王国が臣従
1248年セビーリャ陥落
1262年カディス陥落

こんな感じで、わずか40年ほどで最南部にあったグラナダ王国を除くすべてのターイファ諸王国が陥落し、レコンキスタは最終段階に入ってゆく事になります。




おしまい。

FC2ランキング02
 
ランキング参加中です
最後にぽちっと!

テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/02/01(日) 18:44:13|
  2. イスパニア物語
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

プロフィール

このブログはリンクフリーです。

ハミルカル・バルカ/メルカルト

Author:ハミルカル・バルカ/メルカルト
サーバー:Eos
所属  :イスパ
商会  :たまごのしろ/世界の船窓から
Twitter :hamilcar_notos

FC2カウンター

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
オンラインゲーム
288位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
大航海時代オンライン
12位
アクセスランキングを見る>>

最近の記事

カテゴリー

最近のコメント

月別アーカイブ

リンク

このブログをリンクに追加する

最近のトラックバック

ブログ内検索

RSSフィード

RSSリンクの表示

著作権について

大航海時代 Online』に関わる著作権、その他一切の知的財産権は、 株式会社コーエーテクモゲームスに帰属します。 このホームページに掲載している『大航海時代 Online』の画像は、 『大航海時代 Online』公式サイトにおいて使用許諾が明示されているもの、もしくは『大航海時代 Online』の有効なアカウントを所有しているユーザーが株式会社コーエーテクモゲームスから使用許諾を受けたものです。