打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

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今年の集計結果で思うこと

高年齢化だっていいじゃない!


今日、4GAMERで出ていたアンケートの調査結果、
見た人結構いるんじゃないでしょうか?
これで見ると、日本のオンラインゲーにおけるDOLのポジションは、
2008年との比較も含めてこんな感じらしい。

スペック:6→7(10段階で)
消費金額:-→7(3095円)
平均年齢:7→9(30.0歳)
男女比率:男90.2%、女9.8%

※消費金額はそのMMOをやっている人が他のも含めて月に使うトータル金額

(該当記事のURL)
http://www.4gamer.net/games/005/G000546/20090327067/

で、記事内でも言われている事として、MMOジャンル全体の高年齢化。
いくつかのタイトルは平均年齢が下がっている=新規層の獲得に成功しているのですが、ここ数年リネⅡやFFクラスの大作が出てない事もあって既存の作品に棲み続けている人が多く、それが新規獲得の減少と高年齢化の要因となっていると分析しています。

その比較でDOLをみると着実に年齢層が上がってますよね。
確か昨年って平均28~29歳だったと思うので着実に1つ歳取ってますw
もちろん私も・・・。
4年経ってますから開始当初から比べたら2~3歳くらいは上がってるのかも。

あと確か教祖も去年ちょろっと書いてましたが、DOLは女性比率高めですね。
相変わらず10%近い数字を残してます。
特に平均年齢が30歳超えてる7タイトルの中ではトップの女性比率。
これゲームの世界観がそうさせているのか不明ですが、比率10%とはいえこれは強みと言ってもいいかも。
新規を狙う時にむしろ若年女性が見る媒体に多少の広告を打っても面白いんじゃないか、とかね。

まあ元々長期間まったりと過ごしやすい生活型MMOって傾向はありますし、
ここ1~2年のアップデートが便利さの追求に振って来てますので、
いったん入ってきたら残る人は長期間残りやすい、だんだんそういう世界になって来てます。
それだけに新規の方が来る大きな機会となる来月のPS3の実装は、
これ私たち既存のPCプレイヤーが考えてる以上に重要なトピックとなるのかも知れませんね。


おしまい。

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  1. 2009/03/30(月) 19:48:52|
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エル・シド その10

レコンキスタ史上の勝利


(ムラービト軍来る)
1094年の春にバレンシアを攻略して有力諸侯に急成長したエル・シド。
この時点でイベリア半島の東岸では最有力な勢力に数えられていた事でしょう。
しかし一地方に覇を唱えるほどの軍事的成功は、同時に更なる強敵との対決をも意味していました。地図を見れば分かりますが、バレンシアは11世紀末のカトリック勢とイスラム勢の勢力ラインからはみ出して大きくイスラム圏内に食い込んだ、むしろ飛び地のように孤立した場所にあり、周辺全てが敵という危険な状態にありました。

しかもこの頃ムラービト朝はアンダルス南部のグラナダ・セビーリャなどのターイファ諸国を支配下に置いており、この年にはバレンシア南西のムルシア地方までムラービト軍に陥落していてバレンシアはもう目と鼻の先という情勢だったのです。

そして1094年秋、遂にムラービト朝の英傑ユースフ・イブン・ターシュフィーンは数万の大軍を編成し、甥のムハンマドに命じてロドリーゴを討つべくバレンシア地方に侵攻させます。
これに対してエル・シドはアラゴンとカスティーリャに援軍を要請しますが、アラゴン王は交代したばかりで動けず、カスティーリャ王もトレードの防衛と陥落したポルトガル方面の救援でエル・シドに救援を送る余裕はありませんでした。こうして単独でムラービトの大軍を迎えることになったバレンシア。市内では鉄器や青銅器が供出させられ、武器の生産が始まるなど急ごしらえながらも防衛の為の準備が必死の思いで始まっていました。


(クアルテの奇跡)
10月初頭、ムラービト軍はバレンシア南西に広がるクアルテの平原に集結します。
ここは現在のバレンシア空港に近い場所で、
当時のバレンシア市街の城壁までわずか1~2キロに過ぎませんでした。
このムラービトの大軍に対して、エル・シドは篭城を選択しなかったのです。
はるかに少ない軍勢でしかないのに打って出たのですね。
大軍に対する篭城は日本的に言うと後詰め、つまり味方の援軍が期待できるか、相手が長期戦で撤退する期待があるかが前提での戦術ですから、カスティーリャもアラゴンも、ましてや前年に戦っていたばかりのバルセロナ伯からも援軍が望めない状況では選択しようがなかったからとも言えます。

こうしてほとんど絶望的な状況で始まったバレンシア城外のクアルテにおける戦い、
10月14日からなんと10日間に渡ってエル・シド軍は持ちこたえたのでした。
戦場にはエル・シド自ら先頭に立ち、各所で行われていた小規模な戦闘のほとんどを回って部下達を励まし、その大声でムラービト軍の兵士を震え上がらせた、叙事詩と伝記はそうエル・シドの武勇を讃えた記述を残しています。

10月24日、この日のエル・シドは城外に出た当初から一計を案じます。
まず自分がいると見せかけた本隊を派手に出撃させて正面で戦わせる一方で、自分は小部隊を率いて裏側の門から市外に出てムラービト軍の側面の最も手薄な所から襲い掛かるという、典型的な陽動と迂回戦術を使ったのですね。
古典的ながら、この策の効果は絶大でした。
ムラービト軍は大混乱に陥り、総崩れとなります。
武器も食料も、妻子さえも捨てて逃げたムラービト軍を追撃したエル・シド軍は、
更に多くの捕虜と莫大な金銀・食料・武器・馬を奪って勝利したのでした。


エルシド図04
※1094年頃のイベリア半島
エル・シドの勢力がムラービト朝の北上を阻む位置にあるのが分かりますね。


(エル・シド伝説のはじまり)
このクアルテの戦いの効果は絶大なものがありました。
エル・シドがムラービト朝の大軍を破った知らせは瞬く間にイベリア半島全土に知れ渡り、ムラービト軍の攻勢に怯えていたカトリック教徒はもちろん、ひと息つけたサラゴサなど既存のイスラム勢力もその勝利に快哉を叫んだのでした。
そしてこの1094~95年にかけての公文書・証書類にはこう記されています。
『バレンシアに来たムラービトゥーンをロドリーゴ・ディーアスが破り、その軍の全てを捕虜とした年』 
公証人が正規の年代の代わりにそう記したほど、
エル・シドの名声は高まる事となったのですからその影響のほどが伺えます。

そして歴史上から見ても、ムラービト軍がイベリア半島でカトリック勢に敗れたのは実にこの戦いが初めてだったのです。何しろそれまでカスティーリャ王もポルトゥカーレ伯もムラービト軍の侵攻の前には成すすべなく破れ防戦一方だっただけに、一層劇的ですらありました。

もう少し広く見ると、西ヨーロッパでイスラム勢の侵攻を止めた決定的な会戦としては、732年のポワティエの戦いと、1212年のラス・ナバス・デ・トローサの戦い、この二つが恐らく最も影響が大きかったでしょう。しかしイベリア半島とレコンキスタ史に限って見たらこの1094年のクアルテの戦いもまたそれに近い印象を残したのでしょう。それも孤立無援の一騎士とその配下たちが成し遂げたという点で、この時点でエル・シドがレコンキスタの伝説的英雄になり、その生涯が叙事詩になるだけのものはあったのですね。

またこの時点でバレンシアが史実より8年早く落ちていたら、英傑ユースフが生きているうちにイベリア半島南部は完全にムラービト朝に制圧されていたかも知れませんでした。そうなるとイスラム圏はおろかカトリック勢のいた北部と東部まで危険だった可能性すらあり、1120年代にカスティーリャ・アラゴン・バルセロナが反撃に出るまでにイベリア半島のレコンキスタの歴史は変わっていたかも知れません。それだけに単独でムラービト軍を破ったエル・シドの勝利は、史実からも人々の記憶からも大きな影響を与えたのでした。



ただ、敗北したとはいえムラービト朝は依然として大きな勢力を誇っていました。
早くも2年後の1096年にはバレンシア地方に再度その姿が見えるようになるなど、
エル・シドとバレンシアを巡る情勢は予断を許さなかったのでした。



おしまい。

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  1. 2009/03/29(日) 16:39:08|
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エル・シド その9

バレンシア攻略!


レコンキスタ時代の英雄エル・シドを巡るお話もそろそろ終盤。
1090年まで来ていますから、若い頃に一騎打ちを重ねて剣士として名を上げたエル・シドも既に40代半ばになってますね。この時代の感覚ではもう老練って言葉が浮かぶ年齢。ですが小規模戦闘では無類の強さを誇るところは全く変わらず、それがカスティーリャを追放された翌1090年以降もいかんなく発揮されて来る事になります。そしてそれは、叙事詩にまでなったエル・シドの、余りにも密度の濃い最後の10年の始まりでもありました。


(エル・シド包囲網)
1089年に再びカスティーリャから追放されてしまったエル・シド。
翌年の春を待って冬営していたバレンシア南西の町エルチェから出発したエル・シドは(ここからこの呼称で統一します)、まずバレンシアの手前にあるハーイブ領デニア近郊を通過し、サラゴサ王の弟ハーイブから交渉の末かなりの大金を受け取って更に北を目指します。その先にあったのはカスティーリャ保護下にあったカーディルが支配するバレンシアの町。ここでもエル・シドは資金提供(というか恐喝)を受け、バレンシアの北東80kmほどのところにある現カスティリョン市の近郊で落ち着きます。一応ハーイブ領になると思いますがバレンシア領・バルセロナ伯領の中間地点でやや空白地帯となっていたこの一帯を当面の根拠地に選んだのですね。

こうしてバレンシア北方で勢力を蓄えつつあったこのエル・シドに対し、近隣の諸侯の一部は警戒を強めます。中でもこれまで敵対することの多かった、何より領国内で割拠されてしまったハーイブは、近隣の諸侯で反エル・シド陣営を築こうと画策を始めます。ただこれ、これまでのエル・シドの動きと当時の情勢から実現はしませんでした。ちょっとここで、この時点でのエル・シドに対する周辺諸侯のポジションを列記しておきます。

カスティーリャ王=静観 (旧家臣ですし、ムラービト軍が接近中で余裕なし)
ウルへール伯=静観  (バルセロナ領に隣接しているので自国防衛が優先)
アラゴン王=不参加  (独立後は直接の脅威を受けておらず、戦場も遠い)
サラゴサ王=内通   (エル・シドを最も評価していた勢力)
バルセロナ伯=敵対  (ハーイブに同調・実際の主力)
ハーイブ=敵対    (反ロドリーゴを画策)


恐らくポイントになったのはカスティーリャ王アルフォンソ6世と、エル・シドが仕えていたサラゴサ王ムスタイーン。カスティーリャはエル・シドだけでなく他のカスティーリャ系軍人の旧主なのでこの時点で直接敵対されたらちょっと絶望的な事になったでしょうが、この時カスティーリャはムラービト軍が再上陸してトレードに接近中だった為それどころではありませんでした。そしてサラゴサの動きがエル・シドを決意させます。もともとサラゴサは10年・3世代にわたってエル・シドの知己を得ており、反エル・シドの工作が持ちかけられて以降、サラゴサ王は表向き同調するフリをしつつ、裏から彼にその情報を流していたのでした。こうして、イベリア半島の東部ではエル・シド対バルセロナ伯・ハーイブ陣営が争う事になります。これは1082年のアルメナルの戦いと同じですが、今度はエル・シド単独で戦うことになったのでした。


(テバルの圧勝)
そしてこの両者によって1090年秋に行われたテバル山中の戦いはエル・シドが大きく飛躍するきっかけとなります。この時、北上してエブロ川の河口の町トルトサに近いテバルの山中に陣を張ったエル・シドに対し、バルセロナ伯は主力を山のふもとに置きつつ夜間に別働隊を出してエル・シドより高地に回り込ませます。夜が明けて気付いたときにはエル・シドは山の上と下から挟撃される事になったのですね。しかも相手の方がはるかに多数と言う状況で。普通ならここで壊滅もしくは逃亡するしかなかったでしょうが、エル・シドと彼の手勢は逆にふもとの主力部隊に突撃を掛けたのでした。

小規模戦闘・特に乱戦でのエル・シドの強さはちょっと異常としか言いようがありません。なんと最初の突撃でふもと側にいたバルセロナ伯の本隊はエル・シドに撃破されてしまいます。このあとエル・シドが途中で負傷するという危機があったものの、彼と彼の部下は最後まで士気を失わず、遂にバルセロナ伯の大軍に勝利したのでした。しかも、またしてもバルセロナ伯と主な部将すべてを捕虜に取ると言う圧勝で。

このテバル山中の戦いとその後の交渉の結果、バルセロナ伯はエブロ川の南側への宗主権をエルシドに明け渡します。そしてこの地の領主だったハーイブが亡くなった事もあって、エル・シドは一躍エブロ川の河口付近からバレンシアのすぐ手前までの海岸線一帯、つまりレバンテ地方を領するかなり広い地域の諸侯となったのです。
地図に入れるとこんな感じ。


エルシド図03


(バレンシア攻略戦)
その後、エル・シドはムラービト軍の前に敗退を重ねていたカスティーリャ王を援護してムラービト軍の撤退まで漕ぎつける功績を上げたものの、振る舞いに問題があったのかややトラブルとなり、サラゴサやアラゴンなどと同盟を結ぶなど後背を固めた所でアルフォンソの攻撃を受けてしまいます。
この危機に対し、エル・シドは逆にサラゴサ国境方面からカスティーリャ領東部に攻め込み、この地を領していた政敵ガルシア伯オルドニュスの所領を荒らしまわり荒廃させてしまったのでした。この恐ろしいほどの攻勢にカスティーリャ王は軍を引き、両者講和に至ります。まあムラービト軍が迫っている状況下でエル・シドを敵に回すのはどう考えても得策ではありませんでしたから。

そして1093年からエル・シドは遂にバレンシアへの包囲戦を敢行します。この頃のバレンシアはカーディルの悪政により親ムラービト派が蜂起してカーディルが暗殺されてしまう等混乱しており、保護者であるカスティーリャ王も動けないとあっていつ外部勢力の侵攻を受けてもおかしくない状態にあったのですね。この情勢を見たエル・シドが遂にバレンシア攻略を決めたのは、まあ自然流れだったでしょう。
しかし、地中海側屈指の良港バレンシアを包囲するには、海からの支援は不可欠でした。特にジェノヴァやピサなどのイタリアの海洋都市国家はこのバレンシアやアルフォンソと太い関係を築いており、彼らを味方に付けないとバレンシアは取れない、そう見られていたのです。

これに対し、エル・シドは直接の力攻めでなく周辺の農村や小都市を襲うことでバレンシアに至る街道を押え、バレンシアへ流入する物資にプレッシャーを掛ける動きに出ます。こういう戦略的な動きが出来るあたりは単なる武勇の人じゃない智謀を感じますね。
結局およそ数ヶ月の攻略戦の末、ジェノヴァやピサからの支援が受けられなかったバレンシアはエル・シドに降伏します。1094年5月、遂にエル・シドはバレンシアに入城し、これによりカスティーリャの下級貴族からイベリア半島の有力諸侯に数えられるまでになったのでした。
このバレンシア攻略を果たした時の 『我がシッドの歌』 の記述を、やや長いですが引用してみます。
この瞬間が、恐らくこの人物伝の到達点の一つと言えるでしょうから。


わがシッドがバレンシアを占領し入城すると、
その地に大きな喜びが広がった。
歩兵であった者は騎士になった。
彼らの得た金貨・銀貨を誰が数えられようか。
そこにいた者はすべて富裕となった。
わがシッド、ドン・ロドリーゴは戦利品の1/5を別にするよう命じ、
3万マルコだけが彼の取り分となった。
他の財宝を誰が数えられようか。
カンペアドールとその場にいた者は皆が、
城の頂上にひるがえったシッドの旗を見て歓声を上げた。
(~ 『我がシッドの歌』 より~)

その後、エル・シドは幽閉されていた妻ドーニャ・ヒメーナと子供を救出してバレンシアに呼び寄せるなどつかの間の休息を得ますが、時代は彼を安寧のまま過ごさせはしませんでした。いったん撤退していたムラービト軍の指導者ユースフが甥のムハンマドにモロッコとアンダルスで編成した大軍を与え、ロドリーゴの討伐を命じたのですから。

次回はエル・シドが挙げたレコンキスタ史に残る奇跡の勝利を見ることに。


おしまい。

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  1. 2009/03/28(土) 16:58:53|
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低予算でPCを組む-3

Windows7で大航海


2回目で思いっきり脱線して何故か見積り書いてたりしたこの話、
ようやく本題の動作テストに入ります。

といって実は本体の方も前回以降ほったらかしだったので、
OSのインストール(WINDOWS-7β版)から。

G31-1


G31-2


インストールの際、ビデオカードは抜いてオンボードで出力しています。
電力面の不安も含めて、まず安定してインストールさせたかったので。
取りあえずDVD入れるとこんな感じ。
あとはまあ普通に入れるドライブ割り当てて進行しますので悩むところは全然ありません。一通り入れ終わった時点でデバイスマネージャ開くと、なんか1個認識してませんでしたが、更新プログラム当てると全て認識しましたのでなんだか拍子抜けw

G31-3  
※デバイスマネージャ開くと既に全部認識してますね


ちょっと驚きなのが、ここまで添付していたメーカーのドライバディスクすら入れる必要が無かったところ。どこにも引っ掛かる事無しに全部認識するとは思いませんでしたがそれだけ完成度高いのでしょうか。

次に大航海ベンチとOnlineのクライアントをインストール・・・
ベンチは普通に動きますね。
オンボードなのでベンチマークのスコアは期待してませんがこんな数値に。

G31-4

G31(オンボード)の大航海ベンチ
→104-92-81=277

CPU=Core2Duo E6400
VGA=インテルG31内蔵
HDD=シリアルATA 500GB 7200RPM
MEM=PC2-6400 2GB


あとでグラボ入れる予定ですが、取りあえずこの時点でDOLのクライアントを起動させてみると、これも普通に起動しました。もう2世代前のオンボードのビデオで270点台の挙動ですからさすがにリスボン前は黒い影が多いけどw
実はDOLのクライアントもベンチもこのPCからダウンロードしてて、エクスプローラーがちょっと感覚違ったけど、うーん、この完成度の高さはなんなのだろう・・。
もう普通に使えるような気がしてならない。
再起動時間を計測したら35~40秒くらい。
ファイルのコピーもスムースだしVISTAみたいなうざい確認画面も出ないし。

とりあえずこのレポートはここまでにします。
どうも書いててこの先サプライズがあるような気がしないw

タダなのに既に使えそうなレベルのOSですから、
このまま夏までいろいろ入れて遊び倒そうと思います。
予定ではこのあとワットチェッカーで消費電力の計算とグラボ入れたときの比較などもしようと思ってましたが、電力ネタは他の機会に1回書くと思います。また変更あったら書きますので、取りあえず今回はこんなとこで。


おしまい。

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  1. 2009/03/26(木) 07:24:52|
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エル・シド その8

2度目の追放


(再契約)
1087年、5年ぶりにカスティーリャ王国に復帰したロドリーゴ。(エル・シド)
当時サグラハスで大敗してトレードを守るのすらやっとのアルフォンソ6世はかなりの厚遇をもって彼を迎えます。カスティーリャの東側に広がるアラゴン・サラゴサ両国境付近の防衛を彼に任せると共に、『自力でサラセン人の土地を奪った場合は全て彼と彼の子孫の物とする』という特約まで与えたのですから。正に切り取り次第。

ただまあちょっと気になるのは、カスティーリャに付いたのは果たしてロドリーゴ一人だったのかという点。追放された時に彼と一緒に結構な数のカスティーリャ軍人・従者たちが傭兵としてサラゴサに雇われており、それがロドリーゴの部隊の中核となった節がありましたから。思うにロドリーゴ個人の帰参というよりそうした傭兵部隊もひっくるめた一種の再契約だったと考えたほうがしっくり来るんですよね。何度追放されても生涯カスティーリャ王に忠誠を尽くした騎士、という後世のエル・シド像だとそれでは都合が悪いから書き換えられてても不思議じゃありません。むしろその時々の情勢に柔軟に対応した現実的な軍人、と見たほうが評価高いんですがねえ。

そして実際のところ、この復帰は2年ほどしか続きませんでした。
1089年にロドリーゴは再び追放されてしまったのです。


(ムラービトの再侵攻、そして・・)
1088秋~1089年春、東部の国境を防衛していたロドリーゴは、隣接していたバレンシアにいたトレードの旧主カーディル支援のため、バレンシア・ムルシア方面へ軍を進めます。彼が対峙することになったのは、サラゴサ王の弟ハーイブとそれを援護するバルセロナ伯。バレンシア領がカーディルの悪政で情勢不穏になっているのを見ての、表向き救援と称しての侵攻でした。しかしわずかな手勢で救援に向かったロドリーゴによってこのバレンシア市を包囲していたハーイブとバルセロナ伯の軍は撃退され(エル・シド来るの報だけでハーイブ側は戦意を消失していたらしい)、バレンシア防衛に成功したロドリーゴはこの地での声望を獲得することになります。

ところがこの時、前線基地としていたバレンシア近郊のレケーナに帰還したロドリーゴのもとに驚くべき知らせが入ってきます。モロッコのムラービト軍がセビーリャの要請に応じてイベリア半島に再上陸したため、カスティーリャ王アルフォンソからロドリーゴも至急集められるだけの軍を集めて合流するようにとの命令が下っていたのでした。そしてこれが、彼が再追放される直接の原因となったのです。

1089年も中頃になって、カスティーリャ王アルフォンソ6世はトレードで集められるだけの兵を集めてバレンシアの南西にあるムルシア方面へ進発します。ここにはアレード城という先年アルフォンソが築いたカトリック側の根拠地があったのでした。ムラービト軍はここを落すべく向かっていたのですね。アルフォンソは途中ロドリーゴの合流を待つべく国境付近で一時停止していたのですが、なぜか彼は現れず、その間にムラービト軍がカディス方面から進路を変えたとの報告を受けてアルフォンソもまた予定路を変えてムラービト軍に対峙する動きをとります。結果的にこの両者の遭遇戦は発生せず、セビーリャ・コルドバ・グラナダがムラービト傘下に入り、アレード城も防備を固めたことを受けてムラービト軍は一時撤退したのでした。そして結局ロドリーゴは両軍の対峙中にかなり遅れて合流することはしたのですが・・・・。

その後、この件はロドリーゴの政敵によって誇張してアルフォンソに伝えられ(例えばロドリーゴはカスティーリャ王が窮地に陥るよう、意図的に遅参したのだ、などと)、それを信じたアルフォンソ6世は1回目の追放より更に厳しい裁定を下します。この辺の記述はロドリーゴ伝からの引用なのでややエル・シドに都合よく書かれてるかも知れませんが列記しておきます。

①ロドリーゴ・ディーアス(ビバール家)の全財産を没収。
②ロドリーゴの妻子は拘束の上で一時投獄。
③ロドリーゴ自身は全ての権限を剥奪のうえで国外追放。

こうしてロドリーゴ(エル・シド)は再び、
というか今度は決定的にカスティーリャから見捨てられてしまったのでした。


(流浪の英雄)
しかしこのロドリーゴ再追放の事件は、カスティーリャだけでなくアンダルス全体にもかなりの反響をもたらします。既にロドリーゴ・ディーアスとエル・シドの通り名はカスティーリャ・アラゴン・バルセロナ・アンダルス中部~東部のターイファ諸国に知れ渡っており、しかも彼はサラセン人にもカトリック系の軍人にも不思議と人気というか多くの支持者がいましたから。そして何より、ムラービト軍はカトリック教国だけでなくアンダルスのターイファ諸国も征服対象としていることが明白になりつつあった為、国や宗派を超えて彼のような優秀な軍人に期待するところが大きかったのでしょう。

翌1090年にそれまで防衛していたアレードの北にあるエルチェを出たエル・シドのもとに、それこそカトリック系・イスラム系を問わず各地から彼を慕う人々が集まり始めます。いつしか結構な集団となっていたエル・シドとその一団、果たして彼らの行く先はいったいどこだったのでしょう。

次回、アンダルスにムラービト軍の脅威が迫る中、
いよいよエル・シドの国取り物語が展開されることになります。


おしまい。

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  1. 2009/03/24(火) 08:02:56|
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低予算でPCを組む-2

激安PCを見積もってみる


前回はCPUが余ったことを受けて1台組んだところまでを書きました。
自作PCのいい所は最新のパーツを安価に・自由な構成で導入できる所が最大の魅力でしょうが、何台か組んでくるとケースやドライブ類、更にOSやモニタなどパーツの流用が効くので更新する際の実際の投資額はけっこう抑えられるってのもまた同じ位メリットを感じるところな気がします。


【構成-1/パーツ流用で組む】
マザー/T3-P5G31A (17800円)
ケース/〃
電源/ 〃(定格250W/ピーク300W)
CPU/Core2Duo E6400 (在庫)
VGA/Geforce8600GTS(在庫)
メモリ/DDRⅡ6400 1GB×2枚(在庫)
HDD/ATA→SATA300GB (在庫)
DVD/スーパーマルチ(在庫)
キーボード/ロジクールG15(在庫)
マウス/ロジクールG7(在庫)
(小計=17,800円)


上の例は極端に流用しすぎて新規っぽさはまったくないですね。
でもまあ使い込んでるパーツなので逆に初期トラブルは起きにくいかも。
ところで、今回は手持ちのパーツがあるからあまり費用掛けないで作れますが、
全く新規でDOLが動くスペックのPCをできるだけ安く作るといくら位になるのでしょう。
構成-1の動作テストをする前に、同じようにサブ機を低予算で欲しい人の参考になるか、
某ド○パラ店のWEBで見積りしてみました。



【構成-2/サブ機用激安DOLマシンを組む】
マザー/Foxconn  A7GM-S(6800円) 
ケース/VT-324BS MATX(5480円)
電源 /350W電源(ケース付属)
CPU/Athlon X2 4850e BOX(5980円)
VGA/RADEON-HD3200(オンボード)    
メモリ/PC2-6400 1GB×2枚(1760円)
HDD/HDS721680PLA380 SATA80GB(3380円)
DVD/LITEON IHAS120-27 (2620円)
キーボード・マウス/Scythe製セット品(1580円)
(小計=27,600円)



OS入れない状態で28,000円切ってますね。
ビデオがオンボードなのでけっこう貧弱ですが、たぶんこれでもDOLベンチで500点台くらいは充分出ると思います。上記のように一番安い構成でDOLをやろうとするとポイントになるのがビデオ性能で、4年前の軽いゲームとはいえ一応は3DのMMOですからそこで他の仕様も決まってきます。

で、ビデオカード買わないで済むオンボードだと安く上がるのですが、インテルのG4X系に積んでるGMA4500とAMDの780Gに積んでいるRADEON-HD3200だと後者の方が数10%上の性能があり、オンボードのビデオでDOLやるなら最低でもこれくらいは欲しいと思われます。そうすると自然AMDのCPU積むことになり、あとは普通に一番安いやつ選んだのが上の構成-2。実際はCPUにしてもHDDにしてもあと2~3000円ずつ予算上げられるなら結構グレード上がってきますが、それは今回の趣旨に反するので組む人で考えるといいかと。

んでまあ、ショップ系PCや海外メーカー品で激安構成の見ると一方はだいたいこういう構成になるのもそんな訳かと思います。自作じゃなくなりますが、組む手間や自作する人のスキル次第ではこういうPCをベースモデル的に使うのもいいですよね。例えばデルだといま上記とほぼ同じ構成でOSにVISTA付けて34,980円ってモデルがありましたので、これに自分でビデオカード買ってきても良さそう。

一方、インテル系で組む際のメリットとしては、マザー単体だとAMDのより安いのがある点と、最安ゾーンにあるCPU、Pentium Dual-Coreの基本性能の高さでしょうか。CPU単体の最低価格って6~7000円台でいつの時代もそんなに変わりませんが、このPentium-DCに関して言えば実質Core2Duoのキャッシュ削っただけなのでオーバークロック耐性高いし世代的にも新しいやつですからね。で、オンボードのビデオ性能が低い点に付いても安いマザー+ビデオカードって構成にすれば+2~3000円でAMDの構成-2より上の性能が出るはずです。例えばこんな。



【構成-3/インテル系激安DOLマシンを組む】
マザー/Foxconn G31MX-K2.0(4980円) 
ケース/VT-324BS MATX(5480円)
電源 /350W電源(ケース付属)
CPU/Pentium Dual-Core E5200 BOX(7180円)
VGA/RH3450-LE256G RADEON-HD3450 (2980円)
メモリ/PC2-6400 1GB×2枚(1760円)
HDD/HDS721680PLA380 SATA80GB(3380円)
DVD/LITEON IHAS120-27 (2620円)
キーボード・マウス/Scythe製セット品(1580円)
(小計=29,960円)



構成-2より2300円上がりますが、性能的にはベンチ取ったら600~700点台くらい出るんじゃないかなあ。ビデオを内蔵HD3200から単体カードのHD3450にしたので3D性能で1.2~1.5倍くらい、ついでにメモリも余裕が出るでしょう。それからCPUの比較でも恐らくこっちの方が高く、少しオーバークロックしてくると如実に差が出始めて来るかと思われます。って事で個人的にはこっちの方がバランス取れてるのでお勧めできます、というかむしろサブマシンとしては既に性能充分過ぎるかも。

まだ組んだPCの動作状況のこと書いてませんが、
長くなってきたので続きはまた明日。


おしまい。

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  1. 2009/03/23(月) 05:53:03|
  2. 雑学
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商会イベントの実施案

生産会の参考に

うちの商会ブログにも上げましたが、
4月になったら久々に商会イベントをやって見ようかと思っています。
内容は昨年6月に児玉さんとこのたましろ商会と合同でやった改良フルリグドセイルの生産会。
今のところで考えている実施案をこちらにも上げておきますので、他商会でも参考になるようでしたらどうぞ。

追記)
今さっき気付いたけど商会できて先週が3周年だったらしい・・・。



日程:2009年04月XX日(土or日) 
時間:21:00~23:00(予定)
場所:サントドミンゴ集合


(目的)
中南米東岸の開拓地にて、
改良フルリグドセイルを商会員で協力して生産する。

改良フル05


(目標)
1人あたり4枚以上。
余剰分は参加できなかった商会員にも配布できるようがんばる。

(実施内容)
①参加者は事前に木材を積んでドミンゴ集合。 
  ※積み込み量は倉庫MAXの-250個程度
    商大クリッパーなら900-250=木材650個くらい
    商用クリッパーなら720-250=木材470個くらい。

②集合したらドミンゴで麻生地を各自1回分(100~130くらい)積み込み。
  ※要織物支援
  ※織物R10のイスパ人で130枚くらい買えます

③カラカス移動

④カラカスで鉄鉱石を1回分購入(要鉱石支援)

⑤鉄材生産役の木材・麻生地を各自で分担して持つ
  ※水・食料は最低限まで捨てること

⑥鋳造持ちの人は残って鉄材を生産開始する。

⑦他の人は帆生産地へ移動
  ※カラカス生産可能な場合はそのまま⑧へ

⑧材料ごとに持つ人を決めて集約させる

⑨材料別に生産役の前に並んでバザー出品

⑩縫製マイスターさんは順次材料を買って生産開始して下さい。
  ※1回あたりの必要材料は、
    麻生地54 鉄材36 木材36 
    改良フルリグドはこれの大成功品のみ!

⑪最初の材料がなくなったら、
 A)麻生地買い付け班(数名)はドミンゴ買い付け&ピストン輸送
 B)鉄材受け取り班は荷物を空にしてカラカス移動
 C)鉄材生産班はひたすら生産


⑫木材がなくなったら、ウィレムで丸太が売ってるので、
 D)ネデ人+木材生産班がウィレム移動して丸太買い付け→木材生産&輸送

⑬以上を手分けしてぐるぐるやりましょう!
  ※生産役の人のまわりには、物資集積&荷物持ちが必要です。
   これは手が空いている人全員でやりましょう。
  ※材料ごとに持つ人を決めてバザーで数量表示するといいかも。


この中では、鉄材がすべて現地生産なので結構大変。
10人来たら鉄材7200個・・・。
20人来たら鉄材14400個・・・。


(所要配置)
1)帆生産=1人      (縫製マイスター限定)
2)材料持ち=3~5人
3)鉄材生産=3~4人   (鉱石一番高い人+鋳造持ち)
4)鉄材輸送=2~3人   (ここも鋳造持ちが欲しい)
5)麻生地買い付け=5人 (織物支援+イスパ人主体)
6)丸太買い付け=1人  (ネデ人限定)
7)木材生産=1人     (工芸持ってて工業支援できる人)

6)・7)は持ってきた木材が減って来てからの要員なので、
1)~5)=計14キャラ以上いるとスムーズに行くかと。
参加者が上記より少ない場合でも可能なので基本的に5キャラ以上いれば実施します。


・各役割分担リスト
織物支援(1)=
麻生地買付け(3~)=
鉱石支援(1)=
鉄材生産(2~)=
鉄材運搬(2~)=
丸太買い付け(1)=
木材生産(1~)=       ※兼工業支援
帆生産(1)=
帆材料持ち=残り全員
運営・全体指揮=


(運営)
状況把握と進行役は材料持ちの人にお願いする。
サブキャラも参加するのでイベント茶室を開きます。


(必要なもの)
カテ2=参加人数×10枚くらい (生産班に事前配布)
カテ3=参加人数×10枚くらい (買い付け班に事前配布)
鉄材作る人=金属の書・料理×400個くらい (艦隊回復もの)
木材作る人=船大工・工芸の書・料理×200個くらい
アイテム枠=最低5枠以上
帆を作る人=縫製マイスター、主計の高い副官 (魔術師引くことは考えないでOKです)
参加者全員=折れない心・・・。


(備考/気になること)
・帆を生産する開拓地が中枢化してることが大前提
・帆の生産場所がネデ・ヴェネ開拓地以外の場合は、鉄材の生産+輸送が激務になる
・中枢化が危ない場合は、事前に船窓商会で中枢維持の納品イベントをする可能性も
・念のため、縫製マイスターになれる人を予定者以外に2~3人確保する。
  カラカス&ウィレム以外の場合は所要時間増えますし、できたら一人に負担集中は避けたい。
・当日の治安次第では軍人さんは戦闘準備も。
・集合時間が厳しい方は、カラカスまで直接来てください。
・サブキャラがいる方は連れてきてもおっけです。(むしろ倉庫量が増えるので歓迎)
 ただし完成品の配布は商会員のメインキャラ優先になるのでご了承下さい。
・目標数に達せず、時間オーバーした場合はそこでいったん終了。(希望者いれば翌日続行も)
・おやつは300ドゥカートまで



前回実施時も考えていちおうこんな感じで実施案考えましたが、
商会員で見た方は検討して修正点などありましたらご意見コメント下さい。
それから早めに一回打合せ必要ですね。

以上。 (文責 ハミルカル・バルカ)



書いてて思ったけど長いですねw
名匠フルリグドなんてアイテムも出ていますが、改良フルリグドは性能的にも持っていたいアイテム。
需要はけっこうあるし人数いると効率が格段に上がりますのでイベント向きなんですよね。



おしまい。

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  1. 2009/03/22(日) 09:57:23|
  2. 活動日誌
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低予算でPCを組む-1

構成と組みまで


先日メインPCのCPUを差し替えた事で余ったCore2Duo。
これ今売った所で数千円とかにしかならないでしょうから、折角だから遊びのつもりで一台組む事にしました。他のパーツもけっこう余っていたので当初は超低予算志向でマザーボードだけ買って済まそうと思ったのですが(それだと5000円以下で組めちゃう)、いつもと違うもの作りたかったのでベアボーンでやる事に。


(組んだ構成)
マザー/T3-P5G31A
ケース/〃
電源/ 〃(定格250W/ピーク300W)
CPU/Core2Duo E6400 (在庫)
VGA/Geforce8600GTS(在庫)
メモリ/DDRⅡ6400 1GB×2枚(在庫)
HDD/ATA→SATA300GB (在庫)
DVD/スーパーマルチ(在庫)
キーボード/ロジクールG15(在庫)
マウス/ロジクールG7(在庫)

新規投資→17800円

こんな感じでほとんど全部使い回しですねw
ただ、使い回しにしてはなんだかマウスとキーボードが無駄にグレード高いような気も。
むしろなんで使ってないんだろう・・・。
この中では電源容量が怪しい感じですが(買ったところの店員さん曰く 『この構成で売った事あるけどギリギリかな』 と言ってました)、このケースは普通のATX電源で長さ140mmまでなら入るので万一足りなかったら手持ちので差し替えできます。シャトル製あたりのキューブ型選ばなかったのは予算以上にこの電源差し替えの事を考えてでした。
で、取りあえず構成はこれで決めて、今日は組みだけやっときました。
ケースが容量17Lくらいとちっこいのに普通サイズの電源が入っており、組み易いようにケース内が展開できるものの、これ下手すると組む順番間違えたら入りませんね。



製品ページはこのへん
http://www.asus.com/product.aspx?P_ID=4nxl7hiYEbzO4L5S
※なんかASUSのグローバルサイト見てたらこれの後継と思しきG43系が出る模様


さてOSはどれで行く予定かというと、

Windows 7(β版)

ダウンロードしてあったので試しにこれで行きます。
確か今年の8月くらいまで使用期限残っており、RC版出るまでこれで遊び倒そうかと思いまして。
入らなかったらXPあたりにするかなあ。
次回はインストールからベンチ計測・DOLのテストなどなどやる予定です。
あと他にも普段やってない事を。




おしまい。

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  1. 2009/03/20(金) 22:52:08|
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エル・シド その7

南からの脅威



(連戦連勝)
1082年のアルメナル攻防戦でバルセロナ伯に大勝して一気に頭角を現してきたロドリーゴ・ディーアス、いやここらでもうエル・シドと呼ぶべきでしょうか。
サラゴサ王国に仕えて3年目の1084年、この年のエル・シドはアラゴン王国の南部を数日間に渡って襲って回ったあと、仕えているサラゴサのターイファ・ムータミンの弟ハーイブの領内となっているトルトーサやレリダといった東部地域へと転戦します。(既にこの頃にはサラゴサ軍の現場指揮官になっていたらしい)これに対してハーイブはアラゴン王サンチョ・ラミレスが送った援軍と合流してエブロ川下流で迎撃に出たのですが、このエブロ川の会戦もエル・シド指揮下のサラゴサ軍が勝利を収めます。しかもこの会戦でもアラゴン側では王家の宮宰・代官・領内の司教職にある者など10数人もの身分の高い者が捕虜となっており、中でもアラゴン王の親戚筋となるパンプロ-ナ伯までもがエル・シドに捕まってしまう大敗を喫したのでした。この結果、わずか2~3数年の間にバルセロナ伯とアラゴン王に連勝したエル・シドの武名が更に知れ渡ることになったのはいうまでもないでしょう。



(トレード陥落とアルフォンソの大敗)
その翌年の1085~1086年は、レコンキスタの歴史の上で、
そしてエル・シドにとってもかなり重要な年となります。
この年起こった事象はというと、

1085年、カスティーリャ王国がトレードを陥落させる。
1086年、カスティーリャ王国、サグラハスでムラービト軍に大敗。

この2点。
恐らくスペインの教科書に必ず出ていると思われる、重要な年代でしょう。
それ以前からカスティーリャはトレード王国のターイファ・カーディルを保護下に置いていたのですが、この頃になるとイベリア半島中央部の大国トレードはカーディルの悪政に反目する人によって不穏な情勢となっていました。その後、カーディル保護の立場を取るカスティーリャはカーディルと密約して彼をバレンシアの領主に据える代わりにトレードを明け渡させるべく動き、1084年秋~1085年春に掛けてトレードを包囲して遂に降伏に至らしめたのでした。

悪政下でだいぶ衰退していたとはいえ、大国トレードがカトリック勢の手に落ちたことは他のアンダルスのターイファ諸国が受けた衝撃はかなり大きかったのでしょう。そしてこれはカトリック勢の勢力圏がポルトを河口とするドゥエロ川からリスボアを河口とするテージョ川の流域まで到達した事になり、アンダルス南部が危機にさらされてきた事を意味していました。
実際トレード陥落後にアルフォンソ6世はセビーリャへの降伏勧告、グラナダ包囲、そしてエル・シドがいたサラゴサと次々に軍を送っており、それは現実の脅威となっていました。
結果、残るタ-イファ諸国は一斉に海を渡ったモロッコで急速に勢力を伸ばしていたムラービトゥーン運動の指導者の一人ユースフ・イブン・ターシュフィーン(ムラービト朝)に救援を仰ぎ、同年の後半にムラービト軍がジブラルタルを渡るというリアクションを引き起こします。彼らにとっては例えそれがかなりのリスクを伴うものだったとしても、同じイスラム勢に降るほうがまだマシという気持ちだったかも知れません。『ブタ飼いよりラクダの世話を云々』というあるターイファ王の言葉がこれを物語っています。

さて、ムラービト軍がジブラルタルを渡り、
カディスからセビーリャ方面へ北上していた頃・・・・

この時カスティーリャ王アルフォンソ6世がどこに居たかというと、
これが実はエル・シド率いるサラゴサ軍と対峙していたのでした。
旧主と戦うことになったエル・シドの心境がどうだったかは不明ですが、幸いにというかこの時アルフォンソはムラービト軍侵入の知らせを受けて直ちに軍を返したために両者の本格的な対戦は避けられることになったのでした。

その後、アルフォンソは5万とも6万ともいわれる大軍を集めてムラービト軍を迎え撃ったのですが、結果は1086年秋のサグラハスの会戦で自身が負傷、ほとんどの将兵を失う程の損害を出して大敗してしまいます。イベリア半島の皇帝としてのアルフォンソの権威はこれで失墜してしまったのでした。




(帰参)
サグラハスの大敗後、アルフォンソは何とかトレードに逃げ込んでムラービト軍の追撃をしのいだものの、その権威は完全に失墜してしまっていました。貢納を納めていたターイファ諸国はこれを停止し、更に数年後に再び侵入して来たムラービト軍はそのままターイファ諸国を次々と併合して、第一次ターイファ時代は終焉を迎えるようになって行きます。そしてこの目まぐるしい変動は、同時にエル・シドにとっても思いがけない結果をもたらしたのでした。

1086年末、アルフォンソ6世がロドリーゴ・ディーアスの追放措置を解除。

この辺の事情はどうなってるのかよく分かりませんが、追放措置を解いたアルフォンソとロドリーゴは和解し、かなりの厚遇を受けてカスティーリャへ帰参することになったのでした。まあ実際この時期のアルフォンソは治世中で最も窮地にあった訳で、その一環で妻の実家であるフランスのブルゴーニュ家の子弟を招いてフランス騎士の参加を要請した事もその対応策の一つでした。そして当然ながら元配下で急速に実力と声望を高めていたロドリーゴをこのまま追放しておくのは得策ではないと判断したのでしょう。こうしてロドリーゴ(エル・シド)は、一転して再びカトリック側に立ち、今度は反抗する気配を見せるターイファ諸国、そして彼らの後ろに控えるムラービトゥーンと戦うことになったのでした。


エルシド関連地図1081



おしまい。

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  1. 2009/03/18(水) 22:50:29|
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打倒ブログができるまで

祝4周年らしい


今回は、お○ぺさまが4周年でなんか書けと書いてたのでやや便乗でちょっと普段と違うものを。
先日、うちの商会長でもあるめけさんとこの 歴史ファンの大航海時代』 が、1000回目の記事を更新されました。DOLが始まって4年、プレ期間とβ期間も入れると1600日くらいになるでしょうか。その頃から書き始めてる最古参のブロガーでも1000本書いてる人となると、知ってる限りでは他に教祖くらい、恐らく他鯖まで見渡しても1~2人いるかどうかって所じゃないでしょうか。1000本ってのはそれだけ他とは突出した数字の積み重ねな気がします。

一方私のところはというと、今現在でエントリ数が760・公開数で730件ほど。
こないだの公式サイト登録で10件ちょっと非公開にしましたのでやや減りましたね。
時期的には始めたのが2006年の春ですからゲーム開始後1年ちょっと経過してからで、やや後発組って事になります。始めて以降のうちの更新回数は平均よりやや多い方と思いますし、私より古参の人で周りを見渡すとエントリ数が750~900弱あたりの人をけっこう見ますので、更新回数で言うと上の二人からだいぶ離れてこの辺に第二集団が形成されているんじゃないでしょうか。(知人だと実は休止中のしょこらさんがエントリ数990なのは内緒です) 

まあ1000本というと、
700台からだと今のペースで1年半くらいは掛かりそうなので自分はまだまだ先ですね。
ただ、その700回ちょっとを構成してる記事の1本1本は、どうやって書いてるでしょうか。
うちのブログは明らかに大航海ブログ全体で見たら異端なもの書いてる気がしますが・・・。
まあ一口に記事と言ってもテキストだけのものから写真や図を入れたもの、
表にしたものとか色々あるので参考になるかは別として、
ブログができるまでの工程をちょっと綴ってみようかと。



1)資料読み
これは活動日誌や雑学ジャンル以外でだいたい入る工程。
歴史記事とかは自分で知ってるものでも一応は資料で確認取りますし、基本的には何かしらの資料・文献・データを参考にして自分なりに構成して書いてますので、これにはかなりの時間を割いています。むしろDOLと並立した趣味に近いでしょうか。
おかげでブログ書き始めて以降、今までに購入した書籍の数が200冊ちょっと(読んでないのも結構あるけどw)、4年間課金した総額より書籍・資料代のほうが掛かってますね。他にも元々うちの実家にかなり膨大な量の書籍があり、学生の頃読んでたものも引っ張り出して使ったりしてますので更にえらい事に・・・。まあそんな状況ですから、むしろ本読んで思うところをまとめたアウトプットが結果として歴史記事や人物伝になってる気がしないでもありません。



2)構成書き
これは、シリーズ記事を書く時にやる工程。
今まで書いたシリーズ記事のうち、一番最初の 『打倒ローマへの道』 以外、 『蒼き狼の末裔たち』 以降の記事については1~2回目の段階でだいたいの構成を決めて書き出すようにしています。簡単なメモでもいいからこれやっておかないと、1回毎の長さや内容でバラつき出ますし、全体のバランスもおかしなことになっちゃうんですね。
それとシリーズものに何のテーマを使うかとか中期的な更新内容のほうもこれとは別に思いついた時にメモするようにしています。きっかけは仕事の関係で週5~6本ペースが取れなくなって以降で、それまでわりと歴史テーマでも単発ネタが多かったのが、大きく計画的に行こうとしたのがきっかけだったかも知れません。この辺の切り替え時期は過去のログ読むとすぐ分かりますね。こういう大きい方向性を決めておくとネタに困るって事からはほぼ解消されるのはメリットでしょうが、一方で書く時間が無くて単発ネタに走ることが多かったりもします。



3)テキスト書き
この工程は他のブロガーさんでやってる方とそうでない方、それぞれいますよね。
FC2にしてもDN(ダイアリーノート)にしても、直接WEB上でテキスト入力して保存、でももちろん行けます。ただ恐ろしいことにこれが自身の通信環境も影響してあまり安定しておらず、全部書いてから【保存】ボタンを押しても実行してくれない事がごくたまに発生します。 『長文書いてたのに保存されなくて萎えた』 という一文はブログ書いてる身としては人事じゃありません。私の場合は1回のテキスト量がやたら多いのと、オフラインでのテキスト書きもあるので、まずテキスト文書(原稿)を書いてからFC2の方へコピペするようにしています。テキストを書くのはまあWINDOWS付属のテキストツールでもできますが、構成書きのしやすさで秀丸を使っており、あれはいっぺん変えたら戻せないくらい。さっき数えたらテキスト文書のファイル数が523個になってましたので、70%くらいはテキストで下書きしてますね。あと、テキスト文書にする前に、ノート書きとかメモもよく取ってます。図の下絵なんかはここで鉛筆書きしたりも。。



4)図の作成・SS加工など
これ画像を入れる時の工程ですね。ここで主に使うのはフォトショップ。
DOLのSSを使う場合は単純にカットとベタ塗り(名前などを消す)だけなのでたぶんペイントツールなどでもできるのでしょうが、

ヨーロッパ地図_5世紀前半02

例えばこういう地図を作る場合はレイヤーを多用して重ねて行くので、こうすると時代が進んでも使い回しができるため、上記のソフトのお世話になってます。
あと写真も元データもない全く新規で作る場合は(例えばこんな)

サヨ川の戦い02_400  
(サヨ川の戦い)

アイン・ジャールートの戦い03
(アイン・ジャールートの戦い)

イラストレーターを使うことになります。
まあ、私のスキルでできることは限られてるのでソフトの機能的にはもっと安いやつでもいいはずで、探せばフリーソフトで画像いじれるやつあるんじゃないでしょうか。
それから図の表示上サイズについては、ブログに上げる上限をW550以下にしています。
それ以上はテンプレートからはみ出るので縮小表示かサムネイルですね。
あとファイルサイズは最近では120KB以下を目安に作っていますが、PC以外での閲覧にはこれでは重いかなとも思ってます。(携帯で見てる人ごめんなさい。)


なんか4周年とあまり関係ない内容になって来ましたが、だいたい普段こんな事やってますね。1回に掛ける時間は図入りでちゃんと書く回で2~3時間、テキストのみだと30~60分くらいでしょうか。最近だいぶスピード上がってますがまだまだ時間食ってますねー。まあ放置バザーしたり生産したり長距離航海のバックグラウンドで、実はこんな事してるのでした。


なんだかやけに静かに5年目に入った大航海時代Online、
今年は他プラットホームへも展開開始という事でちょっと違った動きを見せるかも。
皆さん5年目もどうぞよろしく~。


おしまい。

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祝4周年!

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  1. 2009/03/17(火) 22:30:46|
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エル・シド その6

頭角


レコンキスタ時代における最大の英雄エル・シドを巡るこのシリーズもそろそろ中盤。
故郷を追われて将来有望なカスティーリャ軍人としての道が閉ざされたロドリーゴですが、後の歴史を振り返ってみるとむしろ追放された後こそが彼の人生の本番でした。何しろ追放された翌年にいきなり歴史の表舞台に登場してくるのですから。これからそんな、イベリア半島を股にかけ乱世に生きるロドリーゴ・ディーアス・デ・ビダル(エル・シド)の動きを追ってゆきます。


(傭兵ロドリーゴ/1081~1086年)
1081年にカスティーリャを追放された後、サラゴサのターイファ・ムクタディルに仕えた、というか雇われたロドリーゴ。しかしムクタディルは翌1082年に亡くなり、その跡を兄ムータミンと弟ハーイブの兄弟がその所領を分割相続すると、間もなく両者は互いに争うようになります。ロドリーゴが仕えたのは、首都サラゴサを中心に西側の所領を相続した兄のムータミン。そんな情勢ですから優秀な軍人は歓迎されたことでしょう。またこの頃30代後半を迎え、身体的には最も充実していた事もあってか、間もなくロドリーゴはムータミン配下で軍の顧問及び実働部隊の指揮官に任じられ重用されるようになります。
この頃の周辺情勢はというと、

 サラゴサ      カトリック諸国
兄ムータミン==協調→カスティーリャ王
×相続争い        ×険悪
弟ハーイブ===同盟→アラゴン王、バルセロナ伯

サラゴサ周辺図を上げて置きましたので参照して頂くと一目瞭然ですね、
ムータミンは周辺、特に北と東の国境を圧迫される状況にあったのです。
そしてロドリーゴが防衛を任されたのは、3者全てに狙われる位置にあるサラゴサ北東の国境付近。モンソンとタマリーテという2つの町なのですが、ここを任されていると言うだけで彼が如何に頼りにされていたかが伺えます。
そして、ロドリーゴは見事にその期待に応えたのでした。
この辺は記録資料も増えてくるのでちょっと列記してゆきますね


エル・シド関係図01
サラゴサ時代のエル・シド関係図(1081-1086年)
※原寸はW800です


(アルメナル攻防戦)
1)1082年夏、モンソンの町を守備していたロドリーゴが、
  そこに攻撃を掛けてきたハーイブとアラゴン王サンチョの軍を撃退。
2)そこから東にあるタマリーテの街に向かい、アラゴンの別働隊をも破ります。
3)ムータミンと合流し、更に東にあったアルメナルの古城を再建して前線基地にする。
4)ムータミンと分かれて南に向かい、エスカルプ城を攻略。
5)ロドリーゴが留守中のアルメナルにハーイブとバルセロナ伯が攻撃を掛ける。
6)包囲されたアルメナル城の救出に向かう。

途中経過は大体こんな感じ。
既にこの時点でロドリーゴは拠点3箇所の防衛と攻略に成功する功績を立てていますが、
歴史は彼をそのまま放っては置きませんでした。
上記のような流れでアルメナル城の救出に向かったロドリーゴでしたが、現場に着いて明らかに自分たちより大軍で包囲している連合軍をみると、タマリーテの町にいるムータミンに提案して賠償金で和睦する事を勧めます。しかし包囲しているハーイブは遙かに優勢なこともあってこれを拒否します。
そこでロドリーゴは不利を承知で包囲の外から挑戦する方針に切り替えたのでした。

その後アルメナル城の近郊において、
ロドリーゴ対ハーイブ・バルセロナ伯の連合軍による会戦が行われたのですが・・・

結果はと言うと、なんと遙かに少なかったはずのロドリーゴ軍が圧勝。

しかも総大将のバルセロナ伯自身がロドリーゴの捕虜となり、ハーイブもまた従者・配下の騎士の多く・そして輸送物資のほとんどをロドリーゴに奪われるという決定的な敗北を喫したのでした。


(幸運なシッド)
ところでこの直後に作られる 『カンペアドールの歌』 はこのアルメナル攻防戦を題材の一つにしていますが、ここで初めて 『幸運なシッド』という表現が使われて来ます。この事からシッドの呼び名は恐らく1081~1082年の間に彼を指揮官としたサラゴサのサラセン人・ムーア人のあいだで呼ばれ始めてきた事が伺えます。
とにかく、これまでカタルーニャの諸伯領を次々と併合して急成長してきたバルセロナ伯が、前年に追放されたばかりのカスティーリャ騎士に敗北し捕らえられたというニュースは、イベリア半島の少なくとも中部・東部に響き渡ります。アルメナルの会戦に勝利したロドリーゴはバルセロナ伯たちの身代金と奪った財宝の一部を褒賞として受け取りますが、それ以上に彼の名声は一挙に高まることになったのでした。



(混迷のバルセロナ)
サラゴサ配下のロドリーゴがバルセロナ伯を破った事がどれだけ影響しているかは不明ですが、その後バルセロナ伯領は一気に混乱期を迎えます。釈放されて間もない1082年12月5日、そのバルセロナ伯ラモン・ベレンゲール2世が暗殺されたのでした。しかも彼の弟によって・・・。
これにより、バルセロナ伯領では兄殺しの新バルセロナ伯ラモンに反対する内戦が勃発し、バルセロナ伯の傘下にあったピレネー山脈の東にあるカルカソンヌ伯とラゼ伯領も離脱するなど大混乱に陥ります。その後、カスティーリャ王を宗主とする一方でラモン・ベレンゲール3世が成人するまで摂政を置く和解案が合意されてようやく落ち着くのですが、これが1086年のことですからロドリーゴがサラゴサにいる間は内乱が続いていたことになります。ロドリーゴはもう少し後に再びカタルーニャと関わりを持ってきますが、それはまた後の機会に。

それにしても、カトリックの騎士がイスラム諸国に仕え、カトリックの伯を破って捕虜にし、それによって名声が高まると言うのは、後の大レコンキスタを思うとだいぶこの時代のイベリア半島が寛容というか混沌としていた事が伺える気がします。あと、この頃からロドリーゴに関する資料・記述が段々と増えてくるのですが、これは彼がイベリア半島の王侯にとっても無視できない存在になってきた証左といえるかもしれません。


次回は、いよいよレコンキスタを加速させてくるカスティーリャと、
それに関わるロドリーゴの動きを。



おしまい。

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  1. 2009/03/14(土) 13:14:51|
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強化武器あれこれ再考

エル・シドのシリーズは週末に上げる予定ですが、
ゲーム内の事と言っても先週末から造船上げに入っていて書くことが無い・・・。
次のRANKまであと14時間、今週末の大海戦に間に合うのかしらん;
なので困った時の生産ネタで。

CP5で登場してきたアルティザンの転職クエストで珍しく収奪レシピで作る剣が必要となって、
ちょっとあれっと思った人もいたかも知れません。
今回はその流れで武器の強化について。
武器の生産では最後の究極系レシピで攻撃力を上げられるわけですが、
そのうち半分くらいはあんまり出回ってないマイナー武器です。
でも中には捨てがたい武器もあるんですよ。


1.カッツ(回避+2)
素で攻撃10台しかないので他の武器より強化してくのがたいへん。
でもまあ回避+2は優秀としかいいようがなく、これのそこそこ強化したものなら需要は高いし実際重宝します。そしてこれ実は職業縛りの無い中距離武器なので酔狂な人は得意武器にするってのも?


2.スキアボーナ(剣+2、回避+1)
海事に使う武器としてのバランスはかなり高いと思う。
軍人卵もってればカッツなくても優遇職で回避20にできる(副官・頭・服・剣・卵)こともあり、
人によったらこっち使ってるかも。
あと剣術R低い人が白兵値底上げする補完武器としても優秀ですね。
生産面では強化のスタートが30台からなのでカッツより上げやすいのも○。
最近の大海戦では白兵が復権してる気がするのでどっち装備するか毎回けっこう悩む。


3.偉大槍(突+2、剣+1)
白兵特化型だったら伝説系武器以外だとこれが最高なのでしょうか?
先制付きガレー+剣術突撃カンスト近辺の人とかに強化した偉大槍を装備されたら暴力的な事になるのでできたら逃げたいw


4.タルワール(剣+2、奪+1)
粘って積荷強奪狙う場合に収奪剣を強化する意味がどれだけあるのかわかりませんが、何となく作っちゃう剣。んで意外に60~70台位までだとポコポコできてしまったりする。


5.ヤタガン(投てき+1)
先日書いた、強化できる投てき武器。
生産が激しくめんどいけどこれの攻撃80↑とかつくったら楽しいだろなあ。
実はカッツも中距離武器なので冒険者縛りがいやならこっちでもいいのかな?
しかしこのヤタガン、強化中にやたら壊れるのはなんでだろう・・・。


6.フラムベルグ(剣+2)
職業縛りがない武器として、実は陸戦用にかなり優秀なんじゃないかと思う剣。
なにより自分で生産できるから再入手可能なアレク剣・ラブリュスあたりより将来性高いです。会得度上げや修行中は50~60台のを使用しつつ、ここぞの時に備えて90↑のを1本持ってれば伝説系の武器にも匹敵する、これがフラムベルグの隠れた魅力かと。
つかあれだ、これ作れるなら冒険でとった剣の大半は売っちゃっていいかな。


7.ブリーチローダー銃
個人的にいま結構注目な強化武器。
商人専用装備の為、今まではたとえ攻撃100まで強化しても装備した時に狙撃優遇な職業がなかったのですが、CP5で狙撃術が優遇となるキャラバンと政商が登場し、しかもキャラバンが剣術優遇なためにカラバイン銃よりも将来性出てきてるんじゃないかと。
この銃レシピで謎なのが最終的に強化するレシピが2種類あり(直線と螺旋)、どっちがいいんだろうと言う点。何となく技術的には螺旋溝の方が大変な気がするので直線のほうがいいのかな?? これホントに謎い。あとこの銃の強化も体感でやたら壊れやすいイメージありますねえ。


8.あとなんだっけ
槍と片手剣で一種ずつあった気がするが・・・。
実際レイピアとかは海事職縛りが無かったら優秀なんですけどねえ。(あ、扱いがひどい・・・


9.杖
ついでですが、杖についても。冒険杖とか聖者とか、杖ってなんでかあんまり壊れずに侮れない攻撃力持ってくることがあったりします。杖究極はけっこう希少なのでそういう使い方する人はいないでしょうが、世の中には箒を会得度1000にする変態もいるのでいずれは出てくるかもしれんw
あとこの杖レシピ、今のところ2種しかありませんが、いわゆるメイス系の打撃武器って出ないのでしょうか。似た系統としてはパイクが出てる気がしますが、メイスやモーニングスター、フレイルとか昔っから期待してるんだけど。


まあこうして一通り手を出すわけですが、覚悟決めて100目指すなんてことするはずもなく、各種の60~80台あたりまで中途半端に強化された武器が数本ずつアイテム枠をおっそろしく圧迫してる現在に至ります。んー、一度残り2本ずつになるまで叩いて見ようかな。そういやブーツも10足くらい中途半端に強化してるやつあるのよね・・・。




おしまい。

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  1. 2009/03/12(木) 23:07:01|
  2. 鋳造・縫製 その他生産
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エル・シド その5

流転


(セビーリャへ)
1079年、国王アルフォンソの代理で訴訟の審理にもあたる様になっていた後のエル・シドことロドリーゴ・ディーアスは、この年更にもう一つの重要な職務も経験することになります。それは、従属あるいは影響下に置いているターイファ諸国のひとつセビーリャ王国に赴き、保護料として貢納を収めさせる、あるいは自分で取り立てるという任務。
この頃のイベリア半島情勢は次回書くことにしますが、カスティーリャ=レオン王国は1060年代のフェルナンド1世の治世の時点で既に南のターイファ諸国に対して圧力をかけ、保護料の名目で豊かなアンダルスの諸国に上納させるまでになっていたのですね。
その後、フェルナンドの息子たちの継承戦争によっていったんは途切れていたものの、アルフォンソの治世が落ち着いてくると最も近かったトレード王国の内紛に介入するなど再びアンダルスのイスラム諸国に貢納を要求するようになっていました。

ただ、いくら優位に立っていたとはいえ他国に赴いてそういった実力行使をする以上、それは当然ながらある程度の武力と胆力を要求される仕事で、聖職者や文官ではなくロゴリーゴのような軍人・騎士たちがその任に当たっていました。
しかし中には、自国の優位な立場を利用して良からぬ事を企む者もいたのです。
そしてこれが、ロドリーゴの人生を大きく狂わせる端緒となったのでした・・・。



(事件)
1079年の秋、セビーリャへ貢納の徴収に向かったロドリーゴは、そこで更に南のグラナダ王国へ向かっていたはずの同じカスティーリャ=レオン貴族の一団と出合わせます。
実はこのグラナダへ行っていた使者たち、取立てに行っていたグラナダ王に誘われてグラナダが敵対していたセビーリャへ略奪を行う軍を送るという計画に乗り、その先鋒としてセビーリャ領内に侵入していた所だったのです。

事情を知ったロドリーゴは当然ながらこれをやめるよう求めましたが、この一団はそのままセビーリャ領内へ侵入し、ある集落を略奪の上で焼き払うという暴挙に出たのです。しかし、セビーリャへの交渉に赴いていたロゴリーゴがこれを無視するはずもありませんでした。保護を約束して貢納を徴収しながら、一方で他国と結んで保護下の国を荒廃させたら、どう考えても外交問題になりますから。

こんな訳で、その後ロゴリーゴが配下の者を率いてこの貴族たちの部隊と戦闘に及んだのはまあやむをえない気がしますが、その結果はと言うと、はるかに少ない人数しかいなかったロドリーゴの圧勝。略奪を行っていたガルシア・オルドニュス伯、ロペ・サンチェス、ディエゴ・ペレス、フォルトン・サンチェスといったカスティーリャ貴族たちは部下も含めてほとんどが捕らえられ、武器を取り上げられた上に身代金を支払い、3日後にようやくロドリーゴに釈放されるというかなり情けない負けっぷりを晒していました。

しかしこの捕らえられたカスティーリャ貴族、実はロドリーゴの同僚だったのです。
なにしろ筆頭者のガルシア・オルドニュスという名、前回も登場しています。
ロドリーゴがヒメーナ嬢と結婚した時、贈与した財産の証書に署名した中に国王アルフォンソと並んでその名があるのですから。
そう、この1079年に略奪を働いたカスティーリャ貴族とは、国王アルフォンソ6世の近習筆頭であるアルミゲル職に就き、ロドリーゴと並んでカスティーリャ軍人の有望株と目されていた、いわばロドリーゴのライバルというべき存在の人物だったのですね。

また捕らえられた一人のフォルトン・サンチェスはガルシアの義兄弟でもあり、後にアルフォンソの宮宰となった人物で、彼らは1079年の時点ではロドリーゴよりはるかに国王に近い人物だったのです。その後、この二人はロドリーゴが不正を働いたと国王アルフォンソに讒訴したらしく、以後ロドリーゴはなにか落ち度があれば彼らによって貶められるリスクを抱えてしまったのでした。(ただ、ここまでの記述はロドリーゴ側の伝記資料なので公正な見解かはちょっと割り引く必要があるかも) しかし、うかつというかその後、ロドリーゴはこの状況下で自らを危険に晒してしまう行動を起こすのでした。




(追放)
1081年、カスティーリャ領ブルゴスの南東にあるゴルマス城がサラセン人に襲撃されるという事件が起きます。その後の行動を考えると、恐らくこのサラセン人はトレードの人々だったのでしょう。これに対してロドリーゴは怒りに燃えるカスティーリャ人を率いて反撃し、同年、トレード領内に侵入したロドリーゴ以下の部隊がこの地を略奪し、荒廃させるという事件を起こします。
資料だとこの時ロドリーゴはサラセン人を7000名も捕虜にしたと言いますが、その1/10にしてもかなりの数です。ここから、ロドリーゴは既に軍と呼べる規模の人数を集められる(しかも私的に)存在になっていた事が分かり、これは後の行動で証明されてきます。

しかし、いくら報復措置だからってこれは暴挙でした。
なにしろトレードは当時アルフォンソ6世の保護下にあり、その数年後にはカスティーリャ領となるなど、既に属領に近いものがあった土地です。そこの住民か支配下の一部の者がカスティーリャ領内へ侵入したなら、ロドリーゴは本来いったんアルフォンソ王に訴えるべきだったでしょう
ともかくこの事件は彼を政敵と見る者たちによって増幅してアルフォンソ王に伝えられ、激怒したアルフォンソによってロドリーゴは最初の経験をする事になります。

1081年、ロドリーゴ追放さる。



エルシド関連地図1081
1080年代頃のイベリア半島情勢図


(流浪の剣士)
こうして故郷カスティーリャを追放されたロドリーゴ・ディーアス。
彼と妻の所領がどうなったかの記述は不明なのですが、いくつかの記録から彼とその家族の足跡を追うことが出来ます。まず1083年の記録で、妻ヒメーナと子供はアストゥリアスのカルデーニャ修道院に預けられており、たぶんこの時点でいったん離別させられています。

次にロドリーゴ本人の記録ですが、叙事詩や伝記では追放された彼を慕う数百もの騎士・軍人が彼と共にカスティーリャを出奔し、その後エル・シド軍団の中核となったとされます。まあ、騎士数百じゃカスティーリャ騎士の大半となってしまいますから誇張としても、その後の活躍を考えると従者も含めたらけっこうそれくらいの人数が行動を共にした可能性があり、1080年代初頭の時点でロドリーゴは既にエル・シド(指揮官/頭領)と呼ばれるにふさわしい器量と実力を身に付けつつあったと思われます。

さて、
追放されたロドリーゴが最初に向かった先はというと、当時周辺の諸伯領を併合しつつあったバルセロナ伯が領するカタルーニャ。しかし、追放の経過を聞き及んでいたバルセロナ伯は、彼と彼に付き従う者たちを拒絶します。強大化しつつあったカスティーリャ=レオン王国との関係を微妙にしたくなかったからなのか、ロドリーゴを危険視したからか、ともかくロドリーゴは再び落ち着き先を探す事になります。

その後ロドリーゴは旧知のサラゴサへ行き、かつてサンチョ2世の時代に共に戦ったこともあるサラゴサのターイファ・ムクタディルに仕える事になったのでした。カトリックの騎士がイスラムのターイファに傭兵として雇われると言うのはかなり奇異に感じるかも知れませんが、当時のイベリア半島ではそう突飛な行動ではなかったのでしょう。そもそも彼の最初の主君であるサンチョ2世もこのサラゴサに協力して叔父の国アラゴンへ攻撃を掛けているくらいですから、レコンキスタが終盤を迎える12~13世紀になる前のイベリア半島はこんな感じだったのかもしれません。



こうして、サラゴサへ身を寄せたロドリーゴとその一派はこの地でようやく落ち着き、
そして間もなくイベリア全土にその名を知らしめる活躍を始めます。このシリーズの中核に入ってゆく次回の副題は、たぶん 『エル・シド』の呼称を入れる言葉になりそう。



おしまい。

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  1. 2009/03/10(火) 21:52:09|
  2. エル・シド
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エル・シド その4

二人の主君

レコンキスタの連作クエで登場してきた実在の英雄エル・シドの半生を追うシリーズの4回目。
順調に成長してきた序盤も今回までとなります。

最初の主君サンチョ2世を暗殺によって失ったロドリーゴ・ディーアス。(後のエル・シド)
その先の事を書き始める前に、サンチョ時代の彼の最終的な肩書きについて見ておきます。前回記述していませんでしたが、サンチョと彼の結びつきの強さを確認すると言うのはその先の展開を見るうえでも伏線になってきますので。


(カンペアドール)
まず公的な物としては、国王直属の旗持ち騎士として。
当時 『アルミゲル』 または 『アルフェレス』 と呼ばれたこの地位は、単に王の近習筆頭としてだけでなく、現代的な表現だと幕僚・副官・親衛隊長、更に物資装備担当官を兼務した者、となりましょうか。めちゃくちゃ重要な職務です。しかも王の近習ですから普通の貴族の近習としての役割だけでなく、戦場では国王軍の中核部隊の指揮監督をすることになります。
更にこれに付随したものとして、
エル・シドのもう一つの通称にもなった 『カンペアドール』(Campeador)という肩書きも得ています。もともと古代ローマの軍団の頃からあったこの肩書きは軍の教官・師範というべき地位を表しており、この名で呼ばれていること自体が武芸だけでなくある程度の教養を持っている人物だった事の証明ともいえます。またこの肩書きは後に作られる 『カンペアドールの歌』 という詩により、エル・シド・カンペアドールとしてロドリーゴ・ディーアスその人を直接指す言葉として認識されてくることになります。

こんな感じで、1072年に主君でカスティーリャ国王のサンチョ2世が暗殺される時点での
エル・シドの地位は、貴族としての格はともかく、軍人としては既に相当に高かった事が伺えます。このままサンチョ2世の治世が続いていれば、恐らくロドリーゴは優秀な軍人としてレコンキスタを進めるカスティーリャ王軍の重鎮としての一生を全うし、別の意味で歴史に登場してきたかも知れません。しかしロドリーゴが獲得したこれらの地位や肩書きは、その主君の死によって幻と消えてしまうのです。



(暗殺)
ロドリーゴの主君サンチョ2世の死に関しては、当時とそのすぐ後の時代から、その真犯人も含めて相当に色々な説が立っています。ただ、その死が裏切りによる謀殺だったという見解では同じで、それだけに同時代から人々の憶測を呼んだのでしょう。
状況としては、1072年10月7日にサンチョ2世はレオン地方にあるサモーラの町に出陣しており、遠征中に郊外で暗殺されたとされています。そしてその死の後、弟であるアルフォンソが亡命先から帰国してカスティーリャ=レオン王アルフォンソ6世として即位したのですね。
で、サモーラの町は妹ウラカの領地で、最も利益を得たのがアルフォンソであることから、アルフォンソとウラカの共謀だったという説が支配的となっています。研究者の中にはその出陣は兄弟間の継承戦争というだけでなくイベリア半島南部のターイファ諸国が侵入してきたからと見ており、中でも当時継承戦争に敗れた弟アルフォンソ6世が亡命していたトレードの関与は充分ありうることと見ているようです。

いずれにしても、サンチョの死とそれに続くアルフォンソの即位は、再統一されたカスティーリャ=レオン王国の爆弾となります。事実はともかく、状況としてサンチョの家臣だったカスティーリャ人はアルフォンソの関与を相当に疑っていました。13世紀に書かれた資料には、 『ロドリーゴ(エル・シド)が、即位したアルフォンソ6世に対し兄の死に自分は関与していない事を宣誓するよう強要した』 という記述すら残っており、それによってアルフォンソはロドリーゴを密かに深く恨むようになり、後の追放劇の伏線となった、というのですね。その逸話が近代の歴史家にすら事実として支持されたというあたり、それが当時からの代表的な意見だった傍証でしょう。現在ではその逸話の信憑性自体は疑われていますが、英雄が追放されるからには主君側に理由があるはずだ、というのは、心情的には理解されやすい気がします。

そんなこともあって、即位し一応はカスティーリャ人に忠誠を誓わせる事ができたアルフォンソ6世は、カスティーリャとレオンの融和を図るべくサンチョ系家臣のある重要人物を取り込む政策を取ります。ある人物、それは他でもないロドリーゴ・ディーアス当人でした。



(結婚)
アルフォンソ6世が即位して2年ほど経つ1074年ごろになると、既に20代後半になっていたロゴリーゴの元にある娘との結婚話が持ち上がります。その相手の名は、オビエド伯ディエゴの令嬢でヒメーナといいました。これが、後に夫エル・シドの死後もバレンシア防衛を先頭に立って戦う事になるドーニャ・ヒメーナその人ですね。

オビエドはレオン王国がかつてアストゥリアス王国と呼ばれていた時代の元々の首都だったところであり、初期レコンキスタの根拠地だった重要な場所です。ともかくそのオビエドの伯であるディエゴはこの土地の有力貴族であり、アルフォンソ6世がレオン王国の名家とカスティーリャ王国の有力な軍人を輩出してきたビダール家の跡取りを結びつける事で両王国の対立を緩和する事を図ろうとした意図が働いていた事が伺えます。
このヒメーナ嬢とロドリーゴの結婚、家門からいえば妻のほうが遙かに高い出身だったかもしれませんが、一方のロドリーゴ・ディーアスもカスティーリャでその名を知られ始めていた将来有望な軍人でしたから、恐らく両家に不満はなかったでしょう。
しかもこの両者の結婚に際して発生した土地贈与の証書へ署名を行った人物の中に、国王アルフォンソ6世と妹2人、更にアルフォンソ6世のアルミゲルになっていたガルシア・オルドニュスなど、当時のカスティーリャ=レオン王国の主要人物が名を連ねており、ロドリーゴの結婚はカスティーリャ=レオン王国で相当に期待された人物、もしくは政治的に重要な人物の結婚だったことが伺えます。


さて、ここまで見てきた限りでは、最初の主君サンチョ2世を失ったもののロドリーゴの将来はまだまだ明るかった事が分かります。残念ながら非主流派に回った事でアルミゲルやカンペアドールといった肩書きは失いましたが、優秀な軍人と言う評価は変わらなかったでしょうし、新たに主君となった国王自らが斡旋した結婚を通じてレオン王国の人々にもその名は浸透していった事でしょう。しかし、同時に彼を敵とする者も生まれていました。
その人々の思惑によって、またロドリーゴ自身の行いによって、彼の人生は大きく狂い始めたのでした。




おしまい。

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  1. 2009/03/08(日) 15:43:26|
  2. エル・シド
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長期計画のあれは・・・

今日付けで発表になった長期計画。
3月に長期計画出してくるのは例年通りですが、
3/31→3/13→3/06と段々早くなって来てますね。

とりあえずプレステ3版の実装の画像、

プレステ・ジョアンの鎧が3体ってなんだこれw

こういうお馬鹿な表現は嫌いじゃない^^



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  1. 2009/03/06(金) 21:17:31|
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エル・シド その3

騎士ロドリーゴ


3話目にしてようやく本人が登場してくる人物伝。
今回は誕生から青年期までをみてゆきます。


(誕生)
さて今回の主人公エル・シド(El Cid)、
本名はロドリーゴ・ディーアス・デ・ビバール、
Rodrigo Diaz de Vivar
長いので本名で呼ぶ場合はロドリーゴ又はビバールとします。

ロドリーゴが生まれたのは1040年代、カスティーリャの城塞都市ブルゴス近郊の町ビバールでした。カスティーリャという地名はラテン語で城塞を意味するカステラ(Castella)から来ていますが、これはこの地が古代ローマの支配が及ぶ頃から常に防備を必要としていたほどに戦乱の歴史を持っていることに他なりません。
彼の家系は下級ながらもこのカスティーリャの貴族階級らしく、父親もかなり高名な軍人だった(エル・シドの父ディエゴ・ライーネスは1050年代の戦闘でナバラ王国を破り、国王フェルナンド1世の所領の多くを取り戻すと言う大功を立てている)ということで、ロドリーゴ少年は14歳頃からカスティーリャ=レオン王家の長男、後のサンチョ2世の近習として成長します。
また成人後のロドリーゴは国王の代理として2度ほど裁判の審理に当たっているという記録がありますから、恐らくこの少年時代にラテン語と西ゴート法について学んでいたとも考えられています。彼は後にアラブ人の軍事史にも興味を示していたとも言いますから、少なくともエル・シドは少年期に水準以上の教育を受けていた人物と見るのが妥当でしょう。

それから生地にして家門名ともなっているビバールですが、後に彼が結婚した奥さんに贈与した所領の中に、ブルゴス近郊の土地としてビバールの名が見られますので、そこが彼の家の元々の所領なのかもしれませんね。ちなみに後世この町は地元が生んだ最大の英雄の名を貰い、『ビバール・デ・シッド』と改名されています。



(初陣)
後に名剣ティソナと共にアンダルス最強の剣士としてその名を知られるロドリーゴ、彼が恐らく初陣を飾る機会を得たのは、1063年にカスティーリャの東方、ピレネー山中にあるグラウスへの出兵から。この時まだフェルナンド1世は健在でしたが、長男として既にサンチョ(2世)は軍の指揮を執っていたのですね。近習として彼に仕えていたロドリーゴも18歳くらいになっており、当然ながら出陣する機会を得ていたことでしょう。

ところで、サラゴサのターイファに近いこのグラウスのある地域は多分にイスラム化されており、ここへ兵を進めたサンチョ2世に従ったロドリーゴはこの時初めてアラビア語が支配する土地に接したと見られています。またこの戦いの相手はサンチョ2世の叔父であるアラゴン王ラミロであり、カスティーリャの王位継承者がサラゴサのターイファがグラウスを奪回する手助けをしていた事になります。サラゴサのターイファとロドリーゴは後に再び関係を持ってきますがまた後ほど。

また、この時期のロドリーゴに関する逸話として、ナバラ王国の騎士ヒメーノ・ガルセスとの一騎打ち、それからメディナセリの町でサラセン人の戦士との決闘を行い、この2戦ともに勝利してサンチョ配下の剣士ロドリーゴの名が知られるようになったという記録があります。11世紀に王でも大貴族でも高位聖職者でもない一般人(中小貴族も含めて)の事跡が記録に残っているというのはかなり珍しく、既にこの記録が残された頃にはロドリーゴはカスティーリャでも有望な人物と見られていたのかも知れませんね。


さて、カスティーリャ=レオン王として南のターイファ諸国にも貢納をさせていたフェルナンド1世が、出陣していたポルトゥカーレのヴィセヴの街で流れ矢に当たり1065年に亡くなると、彼の遺領は息子たちに分割されます。

フェルナンド1世→カスティーリャ・レオン・ガリシア

長男サンチョ2世→カスティーリャ
次男アルフォンソ6世→レオン
三男ガルシア2世→ガリシア

このうちロドリーゴが仕える事になったのは、ビバール家の所領の関係、そしてこれまでの経歴からもカスティーリャの領主であるサンチョ2世でした。1065年といえばロドリーゴはもう20歳くらいになってますから、当時の感覚ではもう充分一人前の騎士として見られるようになっていたでしょう。しかもカスティーリャの生え抜きの者として、また高名な軍人の家系の跡取りとして、若年ではあってもロドリーゴはサンチョ2世の配下でも有望な存在だった気がします。
こんな感じで、一般的にはエル・シドの伝説は彼が全くの下級兵士から成り上がって行った様な印象があるのですが、ここまでの経歴を見ると実際はそれなり以上の恵まれた下地の元に順当に成長してきた人物だと言うのが伺えますよね。むしろこんな有望な人がなんで追放されてよその土地で独立する人生歩まなければならなかったのか、こっちのほうが興味深いです。



(継承戦争)
ところがこの兄弟による分割相続は長続きせず、まもなく兄弟同士の争いに発展してゆきます。兄弟によるこの継承戦争、当初三男ガルシアを長男サンチョと次男アルフォンソが連携して攻めるという形で始まり、既に20代に成長していたエルシドもサンチョ配下の士官の1人としてこの戦いのなかで頭角を現してゆきます。
その後ガリシア地方がほぼサンチョ・アルフォンソ連合軍で制圧されてくると、サンチョはアルフォンソと雌雄を決するべくたもとを分かつことになります。

カスティーリャ=レオン王国の継承を掛けたこの争い、決戦となった1072年のルランダタとゴルベーラの戦いで共にサンチョが勝利し、既にサンチョ配下の勇将としてその名を知られ始めていたエルシドはここでも旗持ち騎士として決定的な働きをし、その勝利に貢献したとされます。
また、後に主君のサンチョ2世が生前にある修道院への埋葬依頼とその謝礼としての寄進を遺言していた文書が見つかるのですが、その執行の際の証人としてロドリーゴ・ディーアスの名があり、ロドリーゴ、すなわちエル・シドが既にサンチョ2世の重要な家臣になっていたとされる一例として挙げられています。(文書そのものの真偽は近年多少疑問視されていますが)

こんな感じで長男サンチョ2世の勝利がほぼ確定し、敗れた次男アルフォンソがタイファ諸国のトレドに逃れた時点で、父フェルナンドの旧領で残ったのは妹のウラカが相続していた小都市サモラのみ。サンチョの再統一は時間の問題かと思われましたが、ここでサンチョがウラカの配下に暗殺されると言う大事件が起こります。

こうして最初の主君を暗殺によって失ったロドリーゴ、
ここから、後にエル・シドと呼ばれる彼の流転の人生が始まることになったのでした。



おしまい。

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  1. 2009/03/05(木) 23:45:40|
  2. エル・シド
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リンク

先日、毎日回覧に行っている、いやむしろ回覧の起点になっているブログの運営の方が終了宣言を出されていました。(どなたかだいたい見当付きますよね?)
こないだ初めてコメント頂いていた事もあり、個人的にめちゃめちゃ残念。
恐らくここは現在の能登鯖ブロガーでは最大級のPVを叩きだしている1人と思われますので、その影響は結構大きいんじゃないでしょうか。少なくとも閉鎖後は毎日の巡回がかなり不便になるなぁ・・・。



で、
ここのブログは左上に書いている通り

『このブログはリンクフリーです』

と表記しています。

普通にうちのトップページをリンク対象とするのはもちろんOKです。
そういう意図で載せてます。
ただ、それ以下のページ、例えば1回ごとの記事単体・カテゴリ内のテキストなど、
それから中で使用されている画像などなど、
これらをコピペする・リンクする・URLを転載する事(h抜きでも)は、
私が知らない方であればちょっと遠慮して頂きたい、とも思っています。
厳密には著作権侵害に当たるらしいけど、むしろマナーに近いものがあるかなと。
これが身内知人(の友人でもまあOKかな)でやっていただくのはむしろ歓迎です。

私自身、例えばニュースや商品の画像とかをリンク使用してるときもありますのでそんな事言う資格あるのか甚だ怪しいのですが、更に二次使用されたときにまで責任負えません。これが知ってる範囲の方でしたら私の方で後から指摘入れることもできましょうが、画像に限らず書いたテキストでも情報が間違っていた場合、それをコピーして他の方が使って恥かいてもどうしようもないでしょう。多分私のところだとテキストを2次使用された時の方がダメージでかい気がする・・。


では自己防衛のため、

『このブログはトップページのみリンクフリーです』

と書けばいいのでしょうか?

無粋に過ぎます。
そんなこと書けません。
なので載せる人のモラルを信じて当面はこのままの表記で行きます。
その代わり、私の方で問題が起こりそうな記事については、
自分で見直し・削除対象にしていこうと。

もちろん厳しく著作権管理されているブログもあります。
恐らく普通のブログはこの方向で行くんだろうなあ、とも。
私だって無断使用が増えたら保護の方向に行く可能性あります。

んでまあそんな事考えてたら、
その延長に公式ファンサイト登録というのが見えてきた、
というのが先月のアクションの動機の一つだったりします。
取りあえず自分に関してはここまで。



冒頭の件については、
知人でない方の無断リンクは確かにグレーゾーンな気もするし、
嫌と思う方・被害的に感じる方もいるかな、とは思います。
でかいPV叩きだすブログに載るってのはけっこう困るかもしれないし。
が、それをもって一般論で攻撃するのは、
傍目からはその行動にクレーマーに近い感覚を受けてしまいます。
狭い世界でやってるのになんで敵増やすかなw
第三者がそのテキストを見た時にどう思うかを考えたら、
自分ならたとえそう思う部分があっても書けません。
こういうの見るとホント理屈と膏薬はどこにでもつけられる、て言葉を思い出す。


ああなんかネガティブな事書いちゃったかな・・・。
自分で嫌になって後日この記事消すかも。


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  1. 2009/03/04(水) 11:46:50|
  2. 活動日誌
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エル・シド その2

三人のエル・シド


今回から小シリーズを組んで見てゆくレコンキスタ時代最大の英雄エル・シド。
CP5で登場して来たレコンキスタの連作クエストにダイレクトに関連するものを書くという、ウチにしては珍しく正統派の大航海ブログっぽい事してる感じですが、果たして叙事詩にまでなった彼の実像はどんな人物だったのでしょう。


(はじめに)
彼の半生を振り返る前に、
取りあえず今回の副題とした表現について。
彼に関する資料を当たってゆくと、
どうしても1人の人物としては捉え切れないことに気付かされます。
大きく分けてそれは3つの面から。

1)史実のエル・シド
2)叙事詩に活きる英雄エル・シド
3)作られたエル・シド像

1)と2)はまあそのままの意味です。
問題は3)。
エル・シドは、現代史のスペインにとっても歴史上の象徴的な人物でした。

20世紀のスペインは、王制からスペイン革命による共和制への移行、第二次世界大戦の前哨戦となったスペイン内戦からフランコ軍事独裁政権、そして国王ファン・カルロスにより1970年代になってようやく民主化への道を歩み始めた、まだ『戦後』が終わって30数年しか経っていない微妙すぎる歴史を抱えています。しかも未だに北部のバスク地方や東部のカタルーニャ地方では独立運動の火種をくすぶらせているなど、不安要素を抱えたまま21世紀を迎えている国でもあります。

そんな中では、かつての国土回復運動の英雄として叙事詩にまでなった人物は、体制側の政治指導者たちからしたら絶好の偶像として利用できる存在になっていただろうというのは想像に難くありません。しかもエル・シドはスペイン内戦時にフランコ将軍の反乱軍が初期の拠点としていたガリシア・レオンなどスペイン北部が生んだ最大の英雄でした。反乱軍として解放を掲げるときに地元の英雄エル・シドの名を利用するのはまあ常套手段でしょう。

そしてその反乱軍は最終的にスペイン内戦を勝利し、軍事独裁政権を打ち立てる段になると、 『祖国を解放した』 英雄としてのエル・シドは、解放者としてのその一部分だけがクローズアップされてしまう・・・、これが、20世紀のエル・シド像に大きな影響を与えたんじゃないかと思います。


これから見て行く実際のエル・シドは、単純にカトリック教徒を守護する英雄的騎士ではなく、時にはイスラム勢にも味方しその逆の立場として戦っていた、どちらかというと傭兵的な行動をして来ている人物です。例えば1081年にカスティーリャを追放された後、知人でもあるサラゴサのターイファに仕えて5年に渡って加勢した話なども間違いなく彼の人生の一幕であり、そこにはカトリック/イスラムの別なく乱世を生き抜き、イスラム教徒からも尊敬を込めてアル・アンダルスの『司令官/頭領=エル・シド』 と呼ばれた姿が浮かび上がってきます。
ですが現在のエル・シドの人物像では、恐らくイスラム勢にも加勢してカトリック教徒とも戦っている経歴は、隠蔽まで行かなくとも意図的に伏せられている位の操作は行われていて不思議じゃありません。特に対テロでいち早くブッシュ政権に協力した最近のスペインでは再びその種の偏った人物像が作られ、象徴となっている気がしないでもありません。

しかし、今回書いている私はカトリックでもイスラムでもない、まったく干渉を受けないニュートラルな立場ですから、あくまで歴史上の人物としてのエル・シドに迫ってゆくのが自然かなと思います。そう考えると、今回の連作クエスト中で『あなたなりのエル・シドを見つけて下さい』というようなクエスト進行のテキストはかなり秀逸なんじゃないかと思えてきたりしますね。



(呼び方)
さて重めの話はこの辺にして、本編へ。
この英雄エル・シド、他にもエル・シッド、エル・シードといくつか読み方がありますが、ここでは最初に使ったエル・シドで通します。呼称の元となったアル・アンダルスで英雄や貴人を意味する語『サイイド』、更に『アッサイイド』という語感からはエル・シィドが結構近いかもですが。
彼が本格的に活躍する前に、彼が生きた時代を振り返ってみます。
いっぺん書いた話なので要約で。


(カスティーリャの台頭)
エル・シドが誕生する直前、11世紀初頭のイベリア半島北部は西からレオン王国、カスティーリャ伯領、ナバラ王国に大きく三分されており、これがナバラ王サンチョ3世時代に3地域が婚姻政策により政治的に統合されて大きく力を持ち始めていました。
そして、サンチョ3世の遺言によってこの地域が再び分割相続されたあと、本家であるナバラ王国以外のレオンとカスティーリャは子のフェルナンド1世によって統合され、カスティーリャ=レオン王国が新たにイベリア半島北部では最大の勢力として生まれていました。

一方イベリア半島の南部はと言うと、長年この地域アル・アンダルスを支配していた後ウマイヤ朝が1000年代に倒れ、主要都市毎にターイファと呼ばれる諸王が分立する動乱の時代を迎えていました。イスラム諸王朝と考えればまだまだイベリア半島の主役はイスラム勢なのですが、これにより単体の政権としてはカスティーリャ=レオン王国がイベリア半島では最大の勢力となっていたのですね。

とにかくエル・シドが生まれてくる1040年代は、こんな感じでほとんど戦国時代初期や後漢末のような混沌とした情勢にあった事は背景として認識しておいていいかと思います。
後の事になりますがエル・シドが幾度も故郷を追放された後、放浪した末に旧バレンシア王国に流れ着き、支持者と共に旗揚げして切り取り次第に自分の領国を作っちゃうなんてのは、乱世じゃないとまずありえませんから。三国志シリーズやった事ある人なら、シナリオ2で放浪君主が呉か会稽あたりで独立したイメージ持ってくれたら分かりやすいかと。(こんな例えでもたぶん1/3くらいはついてくるのがここの読者くおりてぃ)



いつの間にかもう2000字くらいになってるようなので続きは次回へ。
まだ本人が登場してないけどw
一応前シリーズで作った地図を2枚ほど上げておきます。
(この後の進行で書き足したものを上げる予定です。)


スペイン地図AD11世紀
10世紀末のイベリア半島

スペイン地図1090
11世紀末のイベリア半島



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  1. 2009/03/03(火) 18:18:32|
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日々雑感

疑問と近況


1.エウメネス
月刊アフタヌーンで不定期連載している岩明均の『ヒストリエ』。
アレクサンドロス大王の書記官だったエウメネスの半生とその周辺を描いているこの作品、ようやく少年期を終えて17~18歳でアレクサンドロスの父フィリッポス2世に仕える所まで来ていますが、今月号は個人的にちょっと注目でした。今月はスキタイ出身のエウメネスが騎乗の訓練を受けるところで、身に付けていた首飾りから過去を思い出してちょっと馬具の工夫をしながら『スキタイ流さ!』という前フリあたりで終わるのですが、これ恐らく鐙。

以前も書きましたが、『草原の興亡』シリーズの第26回 では鐙は3世紀末~4世紀初頭に中国で生まれたという説を取らせて頂いていますので、次回号の『ヒストリエ』ではどういう展開見せるのかちょっと待ち遠しい所。念のため資料を当たって見ても鐙形状のハミならスキタイの遺跡で見つかっているものの、鐙そのものという事例は見当たらなかったのですね。例外的にペルシャ騎兵の中にそのような形状の馬具を用いていたらしき記録もあるので、マンガ作品ではありますがどういう見解・表現してくるのか興味しんしん。



2.おかえり
ここ1ヶ月で商会員・フレ・知人で復帰してくる人が多数目に付く状況となってませんか? うちの身内ではpsychoさん、あっし、陛下(ペースさん)など懐かしい面々が帰ってきてますし、リスボンで常駐キャラ持ってるといろんな人が目に付きます。有名人では和菓子の人がいきなり 『木下胡椒WIN』 とかシャウトしてて若干吹きましたが、昨日あたりはセクハラ陸戦王的な人が復帰早々ポル勅命に行っていたと思いきやいきなりヴェネ国籍になっていたりと(ひょっとしてこの人はオスマンいくのかなあ) 期間限定の人もいるかもですが、なんだかちょっと活況を呈していてこういうのはいいですね。3月となりましたから新しい人も来るでしょうし、この先PS3版の実装も控えてまだまだ動きの激しそうなシーズンになりそう。


個人的にはそろそろ便利すぎるアルティザンからの転職準備中で、
時間の掛かるアレに着手する予定。
ブログの方は人物伝としてのエル・シド編の構成書きに入ってます。



おしまい。

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  1. 2009/03/02(月) 08:07:07|
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かすてぃーりゃ

かすてーりゃ

かすてーら

かすてら

カステラ

いや実際どうかしらんけど・・・。


週末に仕事で名古屋へ出張したら駅前の高島屋で売ってたので思わず購入。


福砂屋  

福砂屋である。

昔は私の住んでる町にもあったのだけど、今買えないのよね。
んでどうしても、 『カステラ1番、電話は2番♪』 
な某社のカステラが普段の標準品となってしまうのだけど、
久々に食べて見るとやはりこちらのほうが旨いような気がする。
なんというか底のしゃりっとした感じが・・・。
などと堪能してたら1人で半分食ってしまい、さすがに苦しいw
んー、@2本あるが人にやるのがなんか非常に惜しい・・・。

なんか脱線した。

カステラの語源を誰か知ってたら教えて欲しいとこだけど、
かの地の菓子がネーデルラントやポルトガル経由で近世になって日本へ伝わったのだとしたら、
これもまた大航海してきた末の一品といえなくはないかなあ。


おしまい。

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  1. 2009/03/01(日) 14:11:31|
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