打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

練金見習い

が取れる日はいつだろう・・・。


先週になって発表があった、
7月に出る追加チャプターでの錬金術の上位職と新システムの実装。

これまで生産一通りやってきて、
錬金だけはまだ伸びしろがあるスキルだったのでそのままにしていましたが、
まあこういう流れとなればやりたいですね。
と言う事で土曜日から準備開始。


6/27(土)
錬金R6・300/3600

まず転職してやった事は、各キャラの持ち物整理。
リスボンでバザーやってる関係で販売用の生産アイテムやら材料やら常にMAXに近い量を抱えており、このキャラも動かすには在庫を整理する必要が・・・。

(刻印変換)
その後、貯まりまくっている刻印を各種薬液に代える作業へ。
これR2スキルとかなので、R6では熟練入りません。
在庫当たってみたら水50・地280・火70とかありましたw
ここで白石500・黒石2800・赤石700を消費。
黒石はPFの在庫をほとんど全部消費してやっとですね。


(薬液還元)
その後、地刻印で出来る黒薬液を白薬液へ還元。
これはR6だと成功で熟練1、大成功で3貰えるらしい。
ここで金3500、塩3500とか消費。
在庫していた金もここで半分以上なくなりましたね。
土曜日はこの作業の途中で終了。



6/28(日)
錬金R6・510/3600

薬液還元の続き。
私の場合は仏・西・葡にキャラがいるため、貯めてある金や貴重書はヴェネ錬金の場合だとマルセイユから消費してゆくことに。逆にロンドン錬金の場合はリスボンとセビリアの備蓄から消費ですね。とはいえマルセ1箇所で3500も金もってませんから、足りない分はナポリとヴェネの商会ショップで購入。ショップ買いをやりすぎると支出がだんだん厳しい事になりますが、ここはまあ時間優先で足りない分を適宜購入してます。

ところで、錬金術の修行において何が一番生産・消費が激しいって、それは貴重書でしょう。
薬液回しや金の生産などでは、生産1回につき貴重書を5冊消費します。
そしてこの貴重書を生産するのには、紙2・洋書1・行動力40が必要。
てことは下準備の段階でたった5冊作るに行動力200も消費するわけで、
これ例えば船1隻分の貴重書を生産するとなると行動力30000とか消費することに・・・。
それだけ行動力を消費して貴重書を作っても本チャンの生産コマンド150~200回分くらいにしかならないのですから、料理代も考えたら原価いくら掛かってるか、ちょっと計算するのが怖い物がありますね。んでまあ、この辺の事情を知ってる人が作る手間・時間効率を考えると、めんどくさくて商会ショップ買いに走るというのも分からなくもないかなと。

ちなみに、この時点で能登鯖の全商会のショップ検索をすると、
貴重書の総在庫が30~31K近辺で9000冊弱。
しかもそのほとんどがマルセイユの某商会で貯めているので、
この在庫がなくなったら貴重書の相場は50K↑まで跳ね上がる予感がします。
既にR10に達している人はともかく、みんなこれから修行するでしょうから。

うーん。
この先の駆け込み需要を考えると、
下手に交易するより貴重書マメに作ったほうが儲かる気もするのは私だけだろか。
まだパラケルスス邸に姿を見せているのが2~3組位なのでこれからが本番でしょう。
商会ショップへ在庫する場合、70~80Kくらいにしないと正直やばいかも。
特に生産場所から遠い北海方面は80~100K張り付きになりそう・・・。



(貴重書作り)
さて手持ちの刻印を全て薬液化し、
黒は→白へと還元が終わった時点で、次の行動パターンは4通り。

①金生産   
R6金生産/貴重書5・硫黄5・銅10で、熟練が3/6

②愚者の篭手 
R4生産/赤薬液10・金15・鉄手1
R6強化/白薬液1・金10・愚者1で、熟練が16/24

③刻印生産→薬液生産  
R1魔刻印生産→塩10・マンドラゴラ8・銀6
R2魔変換(火)→塩10・硝石12・魔術の刻印2
      (地)→塩10・砂15・魔術の刻印2
      (水)→塩10・湧き水10・魔術の刻印2

④薬液還元回し
R4黒→白/黒1・金10・塩10で、  熟練が1/3
R4白→赤/白1・金10・貴重書5で、熟練が1/3
R4赤→黒/赤1・金10・貴重書5で、熟練が1/3


なんとなく、薬液の消耗を気にしないのなら愚者鍛えた方が速そうですね。
気になるのでちょっとシミュレート。
錬金の熟練を100稼ぐのに、生産コマンド数ベースだと何回必要かで見てみます。


Ⅰ・金の生産
熟練3/6ですから、大成功25%だと100/3.75=27回。
貴重書5×27=135/1.25=108回
銅10×27=270/1.30=208回(鋳造マイスター条件)
=生産コマンド数は27+108+208
=343回


Ⅱ・愚者の生産→強化
A)愚者強化 
熟練16/24ですから、大成功25%だと100/18=5.6回。
白薬液5.6=黒薬液4.5回生産
黒薬液4.5個=地刻印から3.6回生産
地刻印3.6個=魔刻印から2.9回生産
魔刻印5.8個=5.8/1.25=4.7回生産
=5.6+4.5+3.6+2.9+4.7
=21.3回

ただし20%くらいの確率で愚者が壊れるとすると、
5.6回強化するには愚者1.2個くらい生産を入れる必要が。

B)愚者生産
愚者1=赤薬液10個
赤薬液10=火刻印から8回生産
火刻印8=魔刻印から6.4回生産
魔刻印12.8個=12.8/1.25=10.3回生産
鉄手1回
=1+8+6.4+10.3+1
=26.7回
→26.7×1.2個
=32回

A)強化21.3回+B)生産32回
=53.3回


あくまで生産コマンド数での比較ですが、
そこだけの比較なら343対54で圧倒的に愚者コースの方が速いですね。
とにかく貴重書と銅作らなくていいのが楽だわw

ただこれは刻印や薬液を作る際に必要な他の材料、
砂(15×3.6=54個)や
硝石(12×8×1.2=116個)の採集を加味していませんし、
金・銀・塩・マンドラゴラなどの買い付け、色鉱石の入手を考慮していませんから、
そこも考えてどちらが速いかは各自でトータル判断すべきではないでしょうか。

あとは、愚者1個作るのに赤薬液が10個必要ですが、熟練度の合計を考えると愚者100個単位を生産・強化するだけの赤薬液と白薬液がないと恐らく途中で足りなくなりそう。現時点での私の薬液在庫が赤400・白800くらいなので、ちょっとまだ赤が全然足りないかなと。と言う事で愚者の生産/強化コースをやる場合は、最初に③④の刻印生産→薬液生産・還元を十二分にやっておいてから始めたほうが、結果的に行動が単純化されて良いかと思います。


刻印1


そんな訳で今後の修行は愚者コースに行くと良さげかな。。
んでまあこれとの比較で①の貴重書5・銅10を使う金練成は結構手間かなと思いましたが、
一応どんなもんか実測してみようとも考えて、この日は金生産を選択。

4.5時間くらい貴重書生産→硫黄買い付け→銅生産→金生産をやった結果、
熟練+1000ほど。
時給換算で+200~250くらいでしょうか。
3隻・船倉の合計2500くらいの艦隊を使ってこれですから単艦だとかなりきついかも。

取りあえずデータは取れたので、
私は魔術刻印の生産からノーマル愚者貯める作業を粛々と進めますはい。
あとは魔術師引いた時にでも一気に愚者強化をやったら良いかなと。



おしまい。


FC2ランキング02
 
↑最後にぽちっと。

テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/06/29(月) 23:27:08|
  2. 鋳造・縫製 その他生産
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:3

オスマン家の肖像 その10

アンカラの戦い 後編

興隆期のオスマン家を見てゆくシリーズも今回で10回目。
中世末期に起きた、ティムールとオスマン第4代のバヤズィト1世という、歴史に残る英雄同士による直接対決の続きになります。


(布陣)
アンカラの手前で南に進路を転じたあと北に向かい、アンカラ北東近くにある丘陵と小川が流れ込む地点まで移動して来たティムール。
これに対して先にアンカラに着いたものの、迎え撃つのではなくティムールの針路変更に付き合う形で追いかける事になってしまったバヤズィト率いるオスマン軍。

1402年の7月に起きたアンカラの戦いは、こうして防衛側が逆に疲労度を濃くして始まります。

この戦いにおける両者の陣容は以下の通り。

ティムール軍(15~20万)
左翼/王子シャー・ルフ
中央/スルタン・フサイン、ティムール、王子シャー・ルフ
右翼/王子アブー・バクル(後継者)、王子ミラーン・シャー


オスマン軍(10~12万)
左翼/長男スレイマン、 
※バルカン諸兵、タタール傭兵(予備)

中央/バヤズィト1世、次男ムサ、四男イサ、五男ムスタファ
※主力のイェニチェリ兵1万、アナトリア兵

右翼/セルビア王ステファン、三男メフメト、アナトリア諸侯
※セルビア兵2万、アナトリア兵(スパヒ騎兵)


アンカラ01


(開戦)
7月の炎天下に開始されたこの歴史的な戦闘は、わずか1日で決着が付きます。
まず開始後、オスマンの右翼とティムールの右翼が共に優勢で、相手の左翼軍を圧迫してゆきます。
ただしオスマン左翼のバルカン兵はかなり粘っていたので開始直後はオスマン右翼にいたセルビア兵だけがやや前に進んだ状態。
中央部では意外とというか案の定なのか、同じテュルク系のティムール軍を相手にしていた為かオスマン前衛のアナトリア兵の動きは鈍かったものの、そこはさすがに後ろに控えていた最精鋭イェニチェリ兵の守りは堅く、しかも誰一人として後ろを見せる者もいなかったのでこの中央部はややこう着状態となります。
こんな感じでここまでは、数が少ない割りにオスマン軍の方が優勢な状況だったのです。問題はここから。

中央部の動きが止まっているのを見たティムール、
自軍中央の後衛部隊を、押されていた左翼にティムール自ら振り向けます。
もう長時間の戦闘で両軍共に疲労は激しかったでしょうが、
このティムールの精鋭による攻撃で先に音を上げたのはオスマン軍の一部からでした。
そしてこれが全体の戦局を決定付ける事に繋がってゆきます。
戦闘開始後、数時間ほどしてのこと、オスマン左翼の後方にいたタタール傭兵、それから中央右にいたアナトリア諸侯兵が共に戦闘離脱もしくはバヤズィトを裏切ってティムール側に付くものが出始めたのです。
たぶんこの時点で勝敗分岐点が来ていたでしょう。



アンカラ02 


(敗北)
まず左翼にいた長男スレイマン率いるバルカン兵は、前からはティムールの長男アブーバクルの、そして後背からは裏切ったタタール兵に攻められるという絶望的な状況下で瓦解し、離脱を始めます。バヤズィトの長男スレイマンとその直衛部隊だけは踏みとどまって後背にあった丘まで引いた所で体制を立て直しますが、こうしてオスマン左翼は崩壊。

次にオスマン中央~右翼では、寝返ったアナトリア諸侯とティムールの攻撃により、押し込んでいたセルビア兵も後退を始めます。それでも部隊が崩壊しなかったのはセルビア王ステファンの統率力が余程優れていたのでしょう。この後、セルビア王ステファンは後方まで逃れていた長子スレイマンを守って撤退を開始し、無事にバルカン半島まで逃げ延びます。(ちなみに、この時の関係により長男スレイマンは後継者争いでセルビア・バルカン諸国を味方に付けて地盤とします)

更にオスマン家の三男メフメト、彼もセルビア兵が長男スレイマンと共に撤退すると、冷静に残っていた周囲のアナトリア諸侯をまとめて撤退を開始します。多くのアナトリア諸侯が裏切る中、北部の諸侯たちはそれまでのメフメトの働きに信頼を篤くしていたのでしょう、この苦しい状況でもメフメトを守ってアナトリア半島北東の山岳地帯アマスヤまで逃れる事に成功したのでした。(メフメトはここから再起して後継者争いに参加する事に)

そんな中、全く引こうとしないで頑張っていた集団がありました。
そう、他でもない、総大将のバヤズィト1世本人と彼を守るイェニチェリ軍団。
数は1万と全体の中では少数だったのですが流石にその士気は高く、バヤズィト自身が頑張っている状況で彼らが逃げるはずもなく、その日の夕方までずっと自分達のスルタンを守って戦い続けていました。バヤズィトとイェニチェリ軍団が撤退を始めたのはもう他の兵たちがほとんど離脱してしまった後の薄暮に至る時間帯。
しかし、後背にある丘を目指していったん退却したあと夜にまぎれて離脱しようとしたのですが、そこをティムールによって捕捉されてしまいます。
そして運悪くバヤズィトも落馬した所を捕らえられ、戦いは終局を迎えたのでした。


(戦後)
こうして、両軍合わせて30万人近くが集結した中世期としては驚異的な大会戦となったアンカラの戦いは、オスマンの首領バヤズィト自身が捕らえられるという最悪の形でオスマン帝国が敗退します。自国の、それも拠点都市へ先にたどり着きながらわざわざ打って出たバヤズィトの判断ミスもありましたが、それにしても長躯しての会戦でほとんど活力を失わないで士気の高いオスマン家を破ったティムールの圧力はちょっと驚異的なものがありました。
この戦いの後、ティムールはアナトリア諸地方を8ヶ月ほど征服し続けるのですが、その間バヤズィトは格子付きの籠に揺られて各地を連れまわされ、結局そのまま死去します。当主を失ったオスマン家がその後どうなったかは次回書きますが、この時点でオスマン帝国は支配下に置いた諸侯の多くが離反し、また後継者争いに突入した事でいったん瓦解します。
このようにアンカラの戦いはオスマン帝国が崩壊した戦いであり、またバヤズィトの息子達がその後の地歩となるきっかけになった戦いでもあり、その後の歴史には直接・間接の両面で大きな影響を及ぼしたのでした。

次回はバヤズィトの息子達による、空白の10年を追ってみます。



おしまい。


FC2ランキング02
 
↑ぽちっとお願いしやす!

テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/06/28(日) 00:43:58|
  2. オスマン家の肖像
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:3

上級錬金術・・・



これは日本人のやり込み性質を衝いた要素としたらうまい手かもしれんw
子供用のホビーでは使い古された手なんだけどね。
まあ事前にイロイロ準備しとけってことだな・・・。

刻印4種 (火・地・水・風)
薬液3種 (赤・黒・白)交易品  (硫黄・塩・水銀・金・紙・石墨・銅)
色石   (赤鉱石・黒い鉱石・白鉱石)
薬草   (マンドラゴラ・ジキタリス・シャクヤク・ニガヨモギなど)


にしても錬金術R10以上って・・・。

んー、
んんんー、

やる、か・・・。


おしまい。


FC2ランキング02
 
↑ぽちっとおねがいします。

テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/06/25(木) 21:30:21|
  2. 雑学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:3

アルマダ沈む

南アフリカで行われているワールドカップのプレ大会、
コンフェデレーションズ・カップ。

昨日(というか今朝)行われたその準決勝の第一試合、
スペイン 対 アメリカ

結果、0-2 ・・・。

2006年3月頃から3年以上続いていたスペイン代表の無敗記録が遂に途絶えるという大波乱。
新記録だった連勝の方も15でストップしたわけですが、
もうちょっと見たかったなあ、スペイン。

今のスペイン代表を調べて見ると、その主力はバルセロナ、バレンシア、リヴァプールの3クラブで活躍している、それも23~27才くらいの勢いのある選手で大半占めている(22人中、この3クラブで15人)あたり、選手層的にはまだまだこれから勝ち続けて行けそうな感じだっただけに残念。
F・トーレスのあの妙にかわいい赤いほっぺはもう1試合見たかったわw
にしても、そのスペイン相手に力勝負で押しきったアメリカ、侮れないなあ。

決勝は恐らくアメリカ-ブラジルになりそうですが、
申し訳ないけどスペインが勝ちあがった方が興味があったり・・・。



おしまい。 
(大海戦前なのに、ああなんて縁起でもないタイトル付けたんだろうとやや後悔。)


FC2ランキング02
 
↑ぽちっとよろです

テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/06/25(木) 07:29:57|
  2. 雑学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:3

オスマン家の肖像 その9

アンカラの戦い 前編


興隆期のオスマン家を見てゆくシリーズの9回目。
前半のヤマ場となるバヤズィト1世とティムールの邂逅を追ってゆきます。

このシリーズ、事前に書いたプロットでは全24回を予定しており、序盤・中盤・終盤と分けるなら今回で序盤が一区切りとなるでしょう。何しろここまで驚くほど順調に拡大して来たオスマン家が、たった1度のつまづきから始まる壮大な崩壊劇を見せてくれるのですから・・・。


(接触)
1399~1400年、この14世紀最後の年にバヤズィトはアナトリア東部にいました。
その4年前に西方で起きた対オスマン十字軍を退けて以降、バルカン~黒海沿岸の諸国をほぼ平定し、この年にはアナトリア半島の東端部までその支配の手を伸ばすようになっていたのです。

この頃、そのアナトリア東部へ、ティムールに追われていたテュルク系遊牧民の族長、カラ・ユースフが逃げ込んできます。遡ればオスマン家もトルクメニスタンにいたテュルク系の一族、バヤズィト1世はこの族長を始め追われてきた者たちを保護すると共に、追ってきたティムールの先遣隊からの引き渡し要求を拒んだのでした。
その後、ティムールからは再三引き渡し要求が成されるのですがバヤズィトが断り続けていたため、そのうち両者の物言いは抜き差しならないところまで静かにエスカレートしてゆきます。

ティムール曰く、
『汝、余の命に背く事あらば、余の呪いが汝に降り掛かることを覚悟せよ』

バヤズィト1世これ対して曰く、
『汝、ティムールと名乗る狂犬よ、
 汝、ビザンツの皇帝どもよりなお不信の徒たるティムールよ、
 我、汝の書をしかと読みたり。ここなるは呪われたる者ぞ』

つまり、 『売られた喧嘩は是非もなし』 って意味でしょうね。
この年から両者は互いに警戒心を露わにして臨戦態勢に突入してゆくのでした。

その後、バヤズィトは数度目のコンスタンティノープル包囲に向け、この頃総勢10万以上になっていたオスマン軍をいったんバルカン方面に戻します。
何しろコンスタンティノープルの人口はこの時代でも優に10万以上、衰えたりとはいえ地中海屈指の大都市であることには変わりなく、しかも海と陸地の先端で囲まれた城塞都市ですから、外交的な脅迫手段としての包囲ならともかく、本気で落としに掛かるとなれば長期戦になること必至でしたから、やるとなったら主力を持って当たらなければ成功はおぼつきませんでした。


(ティムール西進す)
1402年、この年ついにティムールがアナトリア半島めがけて西進を開始します。
狙いはアナトリア半島中央の拠点都市アンカラ、そして旧都ブルサだったでしょうか。
しかし、現在でもトルコ共和国の首都であるこのアンカラ、比較的早い段階でオスマン領となっており、古代ローマ期から続く山間部の街とあってその防備は堅く軍需物資も豊富で、容易に騎兵で進入することは困難でした。
アナトリア半島は元々山がちな地形で、アンカラでも標高800m台はありますから、ティムールの侵入は恐らく沿岸の平地帯かアナトリア北部を横断する高原地帯だったでしょう。それまでバヤズィトが征服していったアナトリア東部の諸侯を次々と従えて行くうちに、ティムールの配下は20万以上にまで膨らんで行ったと言われています。

昔の戦いにおける兵力の記載は結構、 『号して20万』 みたいな過大な数字が上がる事が多いのですが、どうもこの数字はわりと信用できるものらしく、多くの史書がこれに近い値を提示しています。そもそも当時の記録では 『およそ百万』 という数字が使われているのですから、逆に実数15~20万というのが妥当と思えるのですね。何にしろ、これは中世末期としたら驚異的な大軍だったのは間違いありません。


オスマン1402
※1402年、アンカラの戦い関係図(W1000)


(遭遇)
一方、コンスタンティノープルを包囲中にこの報告を受けたバヤズィト、直ちに包囲を解いて10万以上のオスマン軍を率いてアナトリアに渡り、強行軍をものともせず先にアンカラに着いたのでした。
そしてこの時点ではティムールの位置をほぼ把握していたと思われるバヤズィト、至近の山地帯での決戦になると読んだのか、馬を下り、軽装・徒歩・輜重も置いてアンカラを進発します。
確かに山地での戦いとなると、騎兵はその機動力・展開力を活かす事は困難でした。
このままティムールをアンカラ城外へおびき寄せて戦う事になっていれば、恐らく城の防御力・歩兵弓兵の戦術能力・補給などの面でやや兵数の少ないバヤズィト1世にも勝機は充分あったと思われます。
しかしイランやアフガン・グルジアの高地でその辺りの事は充分経験していたであろうティムールは、山地での激突を避け、アンカラを目の前にして一転南下を始めます。

こうして、両者の戦いは侵入してきた方(ティムール)を防衛側(バヤズィト)が追い掛けると言う逆の展開になって行ったのですね。
追撃する事数日、アンカラの南から北に出たティムールは途中で手薄となっていたアンカラを急襲するも反撃されて撤退するというやや失策を犯すのですが、ここでバヤズィトは何故かこれを見逃します。
その後、更に北東に移動したところで丘と川に挟まれやや開けた平地に出たティムールが軍を止め、両者はここでようやく陣を敷きます。
現実の遭遇戦で相手を捕まえに行こうとしたら実際はこうしてかなりめんどくさいものですが、これ結局のところ歩兵主体で補給も少ない状態で出てしまったオスマン軍はティムールに引きずり回された結果、真夏の行軍となった事もあって大きく消耗してしまっていました。



つづく。


FC2ランキング02
 
↑ぽちっとおねがいします!

テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/06/23(火) 22:16:31|
  2. オスマン家の肖像
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

オスマン家の肖像 その8

十字軍撃破!


興隆期のオスマン家を見てゆくシリーズの8回目。
全体としては中盤、オスマン朝としては初期最後の君主となる、オスマン第4代の雷光王・バヤズィトの波乱の生涯を追ってゆきます。


(アナトリア制覇)
1389年に父ムラト暗殺の跡を受けて立ったバヤズィト1世。
即位後直ちに動いた辺りはさすがに稲妻と称されるだけの事はありました。
翌1390年に掛けて、セルビアから取って返したバヤズィト1世はアナトリア半島に渡ります。
このアナトリア上陸、まだ服属するか態度を明らかにしていなかった国内の諸侯を平定する目的もあったでしょうが、彼の動きはそれに留まりませんでした。
下に地図を入れて置きますね。
これを見ると明らかですが、遂にアナトリア南西部に残っていたアイドゥン侯国やメンテシェ侯国を支配下に収め、更に東へと遠征して黒海沿岸のジャンダル侯国などわずか1~2年程でアナトリア半島の東側までほとんど制圧してしまったのでした。
この背景としては、アナトリア半島と境を接するシリア・アルメニア方面でマムルーク朝が衰退期に向かいイル・ハン国が滅亡するなど大きく衰えていた事、それからカスピ海の北~西を収めていたキプチャック・ハン国や中央アジアのチャガタイ・ハン国もまた分裂していた事など、14世紀末の中央アジアやオリエント・アラブの諸国が衰退・混乱期に入っていた事が影響しているかもしれません。ただまあ、この中央アジア~オリエントの分裂とバヤズィト1世の東征とが、この頃既にイラン方面にまで進出していたティムールを呼び寄せる直接の原因になっていたのですが・・・。



(十字軍の結成へ)
こうしてアナトリア半島全域に支配の手を拡げ、バルカン方面ではセルビア・ブルガリア・マケドニアも従属下に置いていたバヤズィト1世率いるオスマン侯国。
1390年以降になるとその矛先は既に支配下となっていたビザンツ帝国にも及び、
首都コンスタンティノープルがたびたび包囲されるまでになっていました。

この状況はさすがにヨーロッパ諸国でも危機感を覚えたのでしょう。
なにしろ現在の国名で言うとセルビア・ブルガリア・マケドニア・ルーマニア南部が支配下となってるのですから、残るハンガリー・ボスニア・クロアチアがオスマンの手に落ちたらもうオーストリアや北イタリアが完全にオスマンと隣接する事になります。そもそも先代ムラトの時代に戦場となったコソヴォからウィーンまでは直線で6~700kmそこそこなわけで、既にオスマンは騎兵主体だったらいつでも遠征できる、そんな距離だったのです。実際、この頃のイスラム教の影響力はオスマンの伸張を背景として西はハンガリー・北はドナウ川を越えて黒海の北岸方向にも及び始めており、バルカン~東欧をめぐる情勢は国対国の世俗の争いだけでなく、キリスト教圏対イスラム教圏のせめぎ合いともなっていたのでした。

1393年になると、遂にヨーロッパ諸国が動き始めます。
オスマン支配下に転落していたブルガリア公子の救援要請がハンガリー王ジギスムントに飛んだのをきっかけとして、ジギスムントの正式の要請という形でこの危機的状況を救うべく、数年の準備期間を経て遂に西欧諸国が立ったのです。
この時、対オスマン十字軍に動いた諸国は以下の通り。


ハンガリー王国
神聖ローマ帝国
ポーランド王国
ワラキア大公国
フランス王国
ヴェネツィア共和国
ジェノヴァ共和国
その他
マルタ騎士団
スイス兵
イングランド兵
スコットランド兵


数万にも膨れ上がった連合軍の主将となったのは、後に神聖ローマ帝国の皇帝に選出されるハンガリー王ジギスムント。彼と西欧諸国やイタリアの都市国家との粘り強い交渉の結果、これほど多くの協力者を得る事に成功したのです。何しろ援軍を送った各国の中にはかなりの上級貴族・王侯クラスが含まれていたのですから。特にフランスはこの時の剛勇ぶりから『無怖侯』と呼ばれた後のブールゴーニュ公ジャンみずから1万強を率いて参戦、更に当時著名な武将だったブシコー元帥も参戦するなど、百年戦争の休戦期だった事もあってかなり本気で救援に出ていました。
またこの連合軍にはオスマンとたびたび戦い、火器と騎兵を相手にした戦術に長けていたワラキア公ミルチャという将もおり、ある意味宗派/十字軍をいう枠を超えてイスラム世界と対峙する姿が見て取れます。


(ニコポリスの決戦)
1396年夏、こうしてウィーンを経てハンガリーで合流した十字軍はドナウ川沿いに下って行き、ワラキアに入りつつオスマンの動向を探りつつコンスタンティノープルに接近してゆきます。
一方、それまでコンスタンティノープルを包囲していたオスマン側も、包囲を解いてバヤズィト自ら2万強の軍勢を率いてブルガリア~ワラキア方面へ向かいます。つまり、かなり早い段階で十字軍側の動きはバヤズィト1世に把握されていたのですね。
両軍が遭遇したのは、ドナウ川下流域でブルガリアとワラキア(ルーマニア)の境にある町ニコポリスの近郊。7世紀のヘラクリウス帝によって創建されたこの町は現在では小ぢんまりとした村といった風情ですが、当時では小さいながらも堅固な城壁に囲まれた城塞都市で、ドナウ川と支流のオスム川の合流地点という事もあって物資集積の拠点となっていました。

先にニコポリスに着いたのは十字軍側。
ニコポリスの前面に馬防柵を設置した十字軍は前段にブルゴーニュ公率いるフランス騎兵、後段にハンガリー王ジギスムント率いるドイツ・ハンガリー・ポーランド兵と並び、左右にワラキア公やスイス兵・イングランド兵・マルタ騎士団他を、更にニコポリス後方のドナウ川にジェノヴァとヴェネツィア海軍を配置した3段の横隊という布陣で臨みます。
これに対してオスマン側は正面の馬防柵を避けるように向かって左にセルビア騎兵・アナトリア騎兵らの騎馬隊を並べ、馬防柵のある中央に砲兵隊とイェニチェリ軍団、その後方にルーマニア騎兵、そして最後方にバヤズィトの本陣が控えるという、大きく2列の縦隊に布陣してこれに臨みます。

1396年9月25日に行われたこの戦い、結果はというとオスマン軍の圧勝。
詳しい経過は不明ですが、馬防柵を迂回したオスマン軍左翼のセルビア・トルコ・ルーマニア騎兵が左から回り込んで十字軍の側面を衝くいっぽう、正面のオスマン砲兵が前面のフランス騎兵に砲撃してこれを動揺させた後にイェニチェリ軍団とトルコ兵というオスマンの中核部隊が圧迫するという包囲攻撃を行うことで、十字軍の左右を壊走させたと見られています。

しかしこの段階ではまだ勝負は付いていませんでした。
正面にいたフランス騎兵というかブールゴーニュ公ジャンがまだ頑張っていて、左右の諸国兵が逃げてしまっているにも関わらずフランス兵だけはイェニチェリの猛攻を凌いでいたのですね。
まだ若かったブールゴーニュ公ジャン、剛勇なのか引き際を知らなかったのか、結局総大将のハンガリー王が離脱した事を見届けてからオスマン軍に降伏し、配下のフランス兵と一緒にいたイングランド兵合わせて1万近い捕虜となって大敗したのでした。

この戦い以降、ヨーロッパの諸国はオスマン軍と平地で正面切って戦う事を避け続けます。
ハンガリーが落ち、ウィーンがオスマンの攻撃を受けるようになるのはこの約135年後、スレイマン大帝の時代となってからですが、既にこの14世紀末の時点で東ヨーロッパの形勢は決していたのかもしれません。またブルガリアは完全にオスマンの支配下となり、以後の500年にわたって独立国として甦る事はありませんでした。またニコポリスで十字軍を破り多くの捕虜を得たバヤズィト1世は、この功によりスルタンの称号を得ます。オスマン初期の最大版図を築いたこの時期をもって侯国というよりオスマン帝国と呼ぶべきかも知れませんね。


オスマン1396
※1396年のオスマン関係図。(W1000) 
  勢力圏が拡がって来てるので地図の原寸もだんだん大きく切り取っていく事にw


(東方の狼現る)
こうしてヨーロッパ諸国の救援軍を退けたバヤズィト1世。
セルビア・ブルガリア・ワラキアの支配権を固めたあと、アナトリア半島の東端にあるカラマン候国などイスラム系・モンゴル系の諸侯をも支配下におさめつつ、いよいよコンスタンティノープルを落とすべく再び包囲に向かいます。
このままではビザンツ帝国の命運も尽きたと誰もが思ったかも知れません。

しかしこの時、遥か東方では異変が起きていました。
それまで中央アジアに割拠していたチャガタイ・ハン国を事実上制圧するや、そこからイランへ侵入したのちわずか数年という凄まじいスピードでイラクのバグダッドまで落とし、ニコポリスの戦いがあった1396年時点では既に黒海東岸のキプチャク・ハン国をも下してアナトリア半島と隣接するグルジア・アルメニアまで進出していたある勢力、いや一人の英傑が・・・。
そう、モンゴル族が生んだ最後の大物とも言うべきティムールが、
この頃にはオスマンと境を接する寸前にまで到達していたのです。


バヤズィトとティムール、
テュルク/モンゴル族という草原の民から生まれた2人の英傑による直接対決という、
中世ユーラシアにおける屈指の決戦がもうすぐそこまで迫っていました。



おしまい。


FC2ランキング02
 
↑次回は、決戦!

テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/06/21(日) 18:31:30|
  2. オスマン家の肖像
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ION対Yukon、決戦の夏

ATOM330+IONを入れるメリットはあるのかな?


昨年から何度か取り上げているネットブック/ネットトップ周りのお話。
先週行なわれた台湾の展示会以降、各社でいろいろ新製品・情報出てきていますね。
ここ2~3週間でも、

・ZOTAC製のATOM230/330+ION搭載のマザー+電源セット発売(約3万円)
・ドスパラがATOM330+ION搭載型の小型ノートを発売(価格)
・ユニティーがATOM330+ION搭載の小型ベアボーンを発表(価格3万円弱)
・玄人志向がATOM330+ION搭載のマザー発売予定(約2.2万円)
 ※IONプラットフォーム(ATOMとGeforce9400系GPUを積んだチップセットの組合せ)

など、小型な環境で軽いMMO程度ならソコソコやれる製品の情報が出つつあります。
そして今年後半は、恐らくこうした新世代の構成によるネットブック/ネットトップ(という表現が正しいか疑問だけど)が主力メーカーからも続々と出て来るとも見られている状況。

ところでこれ、実際どういうメリットというか需要を拾い上げるものなのでしょう?
個人的にこのATOMを使った製品群に関しては、
単に新しくて安そうだから良さげ?
という認識だと、買って後悔しかねないと見ているんですよねぇ・・・。


・スペース・電力・発熱・騒音
・演算能力・描画能力
・安定性・拡張性・将来性
・価格

PCの選定基準ではこの辺が挙げられるでしょうか。
ちょっと主要な項目でATOMとIONを見直してみます。


(実はコストパフォーマンス良くないATOM導入)
PCの基本性能を決める部分であるプロセッサの演算能力。
ATOM230/270/330といった製品群と、既存のモバイル向けやデスクトップ向けの普段目にするCPUでは、実は全然違う。
簡略に数値で表現するなら、こう。

ATOM270=13
ATOM330=18
Cerelon(M) =23~26
Cerelon-DUALCORE(D)=30~45
Athlon-X2=40~60
Core2Duo(D)=55~85

つまり2コア・4スレッドで認識されるATOM330ですら、能力的にはデスクトップ用で一番安いCerelon-DUALCOREやアスロン-X2の60%位しかないのですね。更にノートPCで最廉価クラスで使用されるセレロンMに対しても能力的には80%程度。

問題の第一はこの価格対性能面。
確かにATOM系CPUは単体だとそのやたら小さいコア面積からして精々10~20数ドル程度とすごく安いのでしょうが、実際にはCPU単体ではなく基本的にマザーボードとセットで一般売りされます。例えばインテルが出してるATOM330マザーで約8000円。GPUを強化しようと思ってION構成にしたら2万円~ですね。一方デスクトップ用のCPUは単体で5~6000円位から売っており、ここだけの比較だと20~30ドルほど高いのですが、こちらはマザーも単体で買う事ができ、実は安い物だと数千円台から探せます。
となるとCPU+マザーの価格が8K対12~14Kの違いでしかないのに、プロセッサ能力だけで見たら2倍の違いが出てることに。更に、実際にPCを組むにはメモリや記憶デバイスの費用も要る訳で、これも積み上げた結果が数千円の差で能力2倍となったらどっちが価格性能比が高いのでしょう?



(描画性能)
更にこれまでのATOM系CPUの弱点として、これまでもさんざん書きましたが描画性能がマザーボード依存の為恐ろしく貧弱だった事が上げられます。ネットブックではもう3世代前の945系チップしか選択肢がなく、デスクトップ型でみてもPCI-Eスロットを積んでいないためGPUを追加できなかったのですね。で、最初に取り上げたIONプラットフォームの登場やPCI-Eスロットを積んだマザーの発売はこれを大きく改善する事に。しかしその価格が高いこと高いこと!
ZOTAC製マザーの3万円なんてのは、いくら電源付きと言っても消費者を舐めてるとしかいいようがないですし、今日になって情報の出てきた電源なしのものでも2万円くらい。
これだったら省スペース狙ってそこそこのGPU積んだITXマザー(13~15Kくらい)+Pentium-DかアスロンX2-4850e選んで、数千円差で2倍以上の性能狙えたりします。IONプラットフォームのGPU・Geforce9400Mはまあ強力ですが、それくらいならPentium-DCやAthlon-X2などだったらCPUの性能差で上回ると思うんですよね。



(電力と発熱の問題は?)
次に電力面などの諸項目を検討。
モバイルだと連続使用時間に関わってくるので低消費電力のATOMは価値出ますね。
7~8時間駆動を小さいバッテリで実現するには、確かに数Wで動くATOM系CPUは強く、ワットあたりの演算能力ではデスクトップ用CPUを上回る可能性があります。
ただこれ、ノート用CPUとの比較だとその差はかなり縮まるでしょうし、能力的に不足してるので動画再生などいくつかの動作では影響が出てくる事とのトレードオフになってるのは承知の上で使う必要があると思います。まあ、ネットブックってそもそも途上国向けに安く作れる構成を目指して開発されてる部分あるから、そういう割り切り必要なんだけどね。

では、デスクトップ用のPCをATOM系で構成する場合、電力面ではどんな関係があるんでしょう。まず100Vのコンセントから電気を取る以上、バッテリー性能は関係ないですよね。電気料金も、20W程度の差だと24時間回しっぱなしでも1日12円くらいの差しか付きません。稼働率を考えたら実際はその1/5程度がいいとこでしょう。となると、普通のノートPCはもちろんですが、デスクトップ用CPUでもアスロンX2の『e』が付くやつなど低消費電力型のだと料金的にはあんまり差が付かない事に。

となると残るポイントは発熱・騒音・スペース面など。
後述しますが、実は自作的にはどちらもミニITXで作れるのであんまり変わりません。消費電力が少ない事で発熱はATOM+IONのほうが少ないと思いますが、これ意外とこのシステムはCPUよりIONのチップセットのほうが発熱するかも。ヒートシンクもほぼ同じ大きさありますよねw
まあ、消費電力が少ないという事は発熱も少ないので、ATOM+IONだとSSD入れたらファンレスに近い物が作れるかも知れません。ただしメーカーで出して来る、例えばエイサーやレノボの超小型PCだとこれはアドバンテージありますね。これはもう発熱量の少なさ活かして基盤から小さく作れるので、スペース面優先で買いたくなるのも良く分かる。


(構成例)
だいぶ長くなっちゃったけど、これから具体的に比較する仕様を考えて見ます



①ATOM+IONマザー+ケース+電源(のベアボーン)
『ユニティ Valore ION 330』 (予価29,800円)
マザー=(搭載済み)
CPU=ATOM330       (搭載済み)
GPU=Geforce 9400M   (搭載済み)
ケース=195×186×70mm (2.54リットル)
電源 =65W ACアダプタ
合計価格=29,800円






②ITXマザー+デスクトップCPU+ケース+電源(単品買い)
マザー=J&W MINIX-780G-SP128MB (13,980円)
CPU=Athlon-X2 5050e   (2600MHz/TDP45W) (6,238円)
GPU=RADEON-HD3200  (搭載済み)
ケース=190x83x200 mm  (3.15リットル)(9,331円)
電源 =90W ACアダプタ   ※この構成で電源90Wは瞬間的にちょっと厳しいかも
合計価格=29,549円



CPU性能は、ATOM330が1800点、Athlon X2-5050eが5200点
GPU性能は、Geforce9400Mが2000点、RADEON HD3200が1500点くらいです。

この時点で価格的にはほぼ互角で、トータル性能では②のほうが1.5~2倍くらいの能力出すでしょう。
更に②は、ケースと電源をやや大きくして追加で3~4000円掛けてビデオカード買えば、
+5~6000円で弱いと思われるGPU性能が底上げされるのでより差が開きそう。
しかもこれAMD機の方には更に上積み要素が・・・。

というのも台湾での展示会、何もION(Nvidia)だけがトピックだったわけじゃありませんでした。
AMDの方では現行の780G(RADEON-HD3200)と790G(RADEON-HD3300)の中間となる型番のチップセット785Gを発表しており、これに内蔵されているGPUはRADEON-HD4200に更新されます。
これの登場はもう間近になっており、そこからどこかのMBメーカーがミニITX仕様でこれ出してくれば、小型PCでもGPU面でのIONの優位性は一気に怪しい事になる気がしています。
またAMDではYukonプラットフォームでAthlonNEOとRADEON-HD3410の組み合わせも提示していて、既に第一弾がHPからノートブックで発売されていますよね。このAthlonNEOはデュアルコア化する話も見えており、これで一体型のマザーが出れば確実にATOM330+IONと競合する存在となってくるでしょう。



(結論)
自作する場合、絶対的な安さだけ追求するならATOMでいいのでしょうが、
恐らく性能をちょっとでも要求した時点で、
電力・スペース・発熱・騒音面でも価値を見出せないとATOM自作は買う意味がない。
IONもまだ価格面で 『見』 の段階。
極端かもしれませんが、1年近くこのテーマで色々見てきた結論はそうなりました。
逆にファイルサーバー用途とかだと、そもそもIONすらいらないんですよね。

となるとATOM+IONで購買意欲が湧くのは、設計段階で工夫できるメーカー製の完成品。
エイサーのAspire RevoがATOM230から330に更新されたら結構競争力ありそうですよね。
あの筐体の小ささはかなり面白い。


(Aspire Revo)

それ以上の能力欲しかったら、
現行ならAMD780G、夏以降なら785GかYukonプラットフォームが出たら自作する事になるかなー。
と書きつつも、HPかASUSかMSIあたりが上の構成でそのまま何か作ってくる気もしてる今日この頃。

さて、明日はオスマン編の続きを書くとします。



おしまい。


FC2ランキング02
 
↑ぽちっとおねがいします。

テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/06/20(土) 15:46:04|
  2. 雑学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

帰着

日本海


2日で1400kmほどドライブしてきました。
行き先は山形。
さくらんぼの出荷がシーズンに入っているのでやまほど買ってきたw
2Lとかのサイズが揃ってるのは箱6000円↑とかすんのね・・

それにしても
なんで日本海って寂しい印象あるのかと思ったが、
これ太陽を背にしてるからかなあ。
それと東北でも緯度では平壌とか北京と同じくらいですからそんなに北って感じはしませんね。


0617  

18:30でこれくらい。
もう日没は19:00近くにまで伸びてるんですね。

帰りは
日本海を南下~新潟~関越~東名 と繋いで戻ってきた。
こっち方面はまだ新潟の途中までしか高速道が完成しておらず、
山形・秋田方面行くのは国道が2本あるだけなんですね。

とりあえずまたここに来る事はほぼ確定した模様なので、
今度は港で釣りでもしてみよう、うん。
ここ海好きだったら結構いいとこだ。

テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/06/19(金) 07:38:50|
  2. 活動日誌
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

東進北走

昨日から出張続きに。

これ書いてる人、仕事柄でやたら移動が多いです。
今日はこれから東北地方の日本海側へ1泊2日(車で)

往復何キロだろこれ・・・。
移動に片道7時間とか飛行機で海外行くほうが速いんだけどw

折角だからなんかネタ拾ってこようかと思う。
まあ、わたし日本でも世界でも、
どこ行っても海さえあれば幸せになれるからいいんだけどな^^


おしまい。


FC2ランキング02
 
↑更新は帰ってきてから~ノシ
  1. 2009/06/17(水) 10:16:46|
  2. 活動日誌
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

職業と特性の提案

というか妄想かも・・・


冒険の操船士、交易の家畜商みたいな追加がない海事の初期職。
いや、初期職どころか中級職にも上級職にもここしばらく追加はないですね。
という事で今回は職業に関するお話。
恐らくアップデート情報が出る直前の時期という事で、
ちょっと職業関連で考えて見ようかと。
まず、過去のアップデートにおける職業関連の追加は以下の通り。


2006年
+8(2月)
芸術家
レンジャー
工芸師
鍛冶師
仕立師
パティシエ
斥候
補給隊

+4(8月)
遊撃隊士
銃士
熟練剣士
錬金術師見習

+1(12月)
翻訳家


2007年
+1(3月)
フィリバスタ

+4(8月)
サルベージャ
ソムリエ
家畜商
守備衛生隊


2008年
なし


2009年
+5(2月)
操船士
民俗学者
キャラバン
政商
アルティザン



こうして見ると、
商人職では交易系・生産系ともに使える新職が多くてかなりあり難かったかったものの、
冒険職では初期からあった主力の考古学者・生物学者・地図職人のうち、先日登場した操船士がようやく地図職人を食う存在になるかなと言う程度で、あとはレンジャーくらいでしょうか。

更に海事職に至っては実際に使えるレベルの新職が2年目からほとんど登場してないのが見て取れます。なにしろ海事職で大海戦で見かける職業と言ったら、初年度からあった上級士官と砲術家が依然として主流で、それに2006年の斥候と2007年のフィリバスタが少数いるどうかといった状況に、あとごく稀に守備衛生隊くらい。
この中でフィリバスタは確かに相当優秀な職なのですが、如何せん条件が厳しく一般人が使えるかと言うとこの世界でも有数の敷居の高さがありますよね。
確かに上級士官と砲術家の2職あればだいたいのところがカバー出来るのでしょうが、それから3~4年も経ってる現在、この状況を変えるような、できたらもう少し尖ったものが出てもいいんじゃないかなと。

例えば海事だと現状で特徴付けの基本となっている砲術・水平・弾道・貫通・回避・操舵・剣術・突撃・機雷の9スキルのうち、現在の主力職に1個付加する代わりにサブスキルを1~2個減らしたような構成とかです。

例)上級 →砲術・水平・弾道・回避・剣術・突撃/
  上級改→砲術・水平・弾道・回避・剣術・突撃/+機雷-銃撃・統率

  砲術 →砲術・水平・弾道・貫通・操舵/
  砲術改→砲術・水平・弾道・貫通・操舵/+剣術・機雷発見、-修理・消火


例えばこんな感じで、実際の動きでちょっと欲しいものを追加する代わりに何か失うと言うような構成。

もう一つ全く別の考え方としては、現状ではスキル構成でしか特徴付けのない各職業に、
他のパラメータ面で付与するものを設けたらどうだろうかと言うもの。
例えば剣士や熟練剣士などの陸戦・白兵系の職業だったら、陸海戦の攻撃力・防御力が上がる代わりに、海戦の耐久・装甲・旋回・帆性能や生産の大成功・探索採集の確率が数%程度の範囲で弱冠下がるなど、職業毎に増減があったら結構特徴出てくるんじゃないでしょうか。
またこれをユーザー側で+0~5ポイントの範囲で自由設定できるとかね。

まあ2つの話をごっちゃにしてますが、どちらにしろ職業面での特徴付けはもうちょっと明確に付けてくると結構違った行動・職業バリエーションが取れるようになる気がします。
単にスキル構成入れ替えただけの新職業というのはいずれにしろバリエーションが尽きてくる事を考えたら、こうしたパラメータやユーザー側の自由度設けたほうが面白いかな。



おしまい。


FC2ランキング02
 
↑最後にぽちっと。

テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/06/16(火) 07:19:59|
  2. 雑学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4

オスマン家の肖像 その7

勝利と挫折と


興隆期のオスマン家を見てゆくシリーズの7回目。
先代のオルハン時代にダーダネルス海峡を渡り、橋頭堡となる地を獲得して以降、
ムラト1世時代のオスマンはバルカン/アナトリア両面へ拡大してゆきます。


(遷都)
まず1362年、恐らくまだ兄弟間での争いに決着が付いていなかった時期になりますがムラト1世はバルカン方面の拠点、エディルネを攻略します。
このエディルネ、古代ローマの皇帝ハドリアヌスが建設したハドリアノポリスに遡る古都で、その後アドリアノープル→エディルネと多少呼び方は変わっていますが古代から中世に移ってもこの地方ではテッサロニキと並んでコンスタンティノープルに次ぐ重要都市でした。
ここをわずかな期間で落としたムラト1世、恐らくかなり地政学的なセンスに優れていたのでしょう、直ちにここエディルネをオスマン侯国の首都としてブルサから移転させたのです。確かにバルカン方面へ進出していく過程において、海峡のこっち側に拠点がある事で速やかな行動に移れる様になるのでしょうが、それ以上に同じ内陸でも山地のブルサと平野部で河川に隣接したエディルネとでは交通上の利便性が全く違っていました。またエディルネは古代ローマ帝国が建設した都市である以上、ここを通るローマ街道網は1000年が経過したこの時代でもまだ相当に機能していたと思われます。

実際、エディルネへ進出して以降のムラト1世はすさまじい速度でバルカン諸国を攻略して行ったのでした。まず1371年までに北と西で隣接するブルガリアとセルビアの諸侯を破り、ムラト1世はこの周辺諸侯たちを服従させます。
その後、この従属させたセルビア・ブルガリア系の諸侯たちにオスマン軍へ参加させることで戦力を強化すると、現在のブルガリア西部、マケドニア、ギリシア方面へ侵攻し、およそ10年ほどのあいだにこの地域をほぼ制圧してしまいます。さらに東のアナトリア半島では南に隣接するゲルミヤン侯国・ハミド侯国を服属させ、アナトリア方面の版図は遂に地中海側へ達するようになって行きました。


(サロニカ攻略!)
そして1384年頃からバルカン方面のもう一つの重要都市の攻略戦に着手したのです。
そう、現在の大航海世界ではサロニカと呼ばれている重要港、テッサロニキを。
このテッサロニキ、かつてはビザンツ帝国の保持していた数少ない拠点でしたが、1381年の時点でビザンツはオスマンに属国として服従していますから攻略戦の時にはもうほとんど放棄される事になったのでしょう。一部でイタリア諸都市の支援が試みられたもののほとんど孤立無援の状況の中、テッサロニキはよく守ったのですがそれでもおよそ4年に渡る攻防戦で落城し、ここにオスマンはエーゲ海の北側をほぼ制圧する事になったのでした。


オスマン1389
※1389年当時の情勢(800×628)


(勝利と終幕~コソヴォの衝撃)
テッサロニキを落として南を固めたムラト1世、その後は北へと進路を移します。
現在のマケドニア・セルビア・アルバニア・ボスニアといった地域ですね。
もともとこの地域は1340~50年代に急速に勢力を伸ばしていたセルビア王国が周辺諸国を従属させるほどの勢威を誇っていましたが、1355年に英傑ステファン・ドウシャンが亡くなるとその影響力は急速に衰え、その跡をムラト1世が率いるオスマンが急伸した状況にあったのですね。
とは言えセルビア南部やボスニア東部といった地域は彼らが勢力を拡大する以前からの旧領であり、1388年からこの地域への出兵を開始したオスマンに対し、流石にまだセルビアとボスニアは抵抗する姿勢を崩していませんでした。
1389年、この両者のあいだでこの時代としては最大規模の会戦が行われます。
後世、コソヴォの戦いと呼ばれたこの会戦、参加諸国は以下の通り。


オスマン側/オスマン侯国
セルビア側/セルビア王国、ボスニア王国、ワラキア大公国


この戦いの詳細はありませんが、結果としてオスマン側が大勝。
しかもこの戦い、オスマンはここで大砲を用いていた可能性が指摘されています。
確実に大砲の使用が確認できるのは1420年代からですが、セルビア・ハンガリー経由で既に1380年代から主に攻城戦での大砲はその存在が確実視されており、13世紀にマグリブで既に使われていたことを考えるとあっても不思議じゃありません。
後世オスマンは大砲の使用でトピックとなる運用実績を示しますが、それはまた後ほど。

いっぽうセルビア連合軍はヨーロッパ諸国やイタリアの諸都市からの救援が見込めないまま戦いに臨み、結果としてその対応の悪さから敗北を喫したともいえます。
しかもこの戦いでセルビア王ラザル自身が捕らわれるなどして多くが降伏し、連合軍は壊滅します。この戦いの後、ワラキアとセルビアはオスマンの属国となり、それ以前から多くの諸侯が服従していたブルガリアやマケドニアもまた支配を受け入れるようになって行っただけに、ヨーロッパ史として見ればこの戦いの影響は少なくなかったでしょう。

しかし、この戦いはこれで終わりませんでした。
1389年6月の戦いのあと、投降した諸将や捕虜たちを謁見していたムラト1世が、セルビア貴族のミロシュ・オビリッチという男に刺殺されてしまうという事件が起きたのです。
これまでオスマンでは当主が亡くなるとその跡を巡って兄弟間で数年に渡る争いが起きていただけに、この事件はオスマンだけでなく周辺諸侯にも直ちに広まって行ったかもしれません。しかしこの時、オスマンの陣幕には既に父と共に従軍して大きな功績を立てていた若者の姿がありました。


(バヤズィト登場)
そう、それがまだ20代後半だったと思われるバヤズィト。
父ムラトが暗殺された後、バヤズィトは直ちに即位を宣言します。
その果敢で迅速な行動ぶりから 『稲妻』 とあだ名されたバヤジット1世、
父が暗殺されるという衝撃からいち早く立ち直った彼が鮮やかな処理を見せたのでした
まずセルビアへの報復として、捕虜としていたセルビア王ラザルを処刑。
更に争いの原因となりそうな弟たちをも殺害し、その上でオスマン家の後継者としての地位に就いたのです。
これが、オスマン初期の最大版図を築いた英傑・バヤズィト1世即位の瞬間でした。
オスマン家ではこのあとの代でも即位後のスルタンが兄弟親族を粛清するというのはよく見られるのですが、争いが起こる前に処理するというのはこのバヤズィト1世が初めてだったかも知れません。

次回はこのオスマン初期に現れた英傑・バヤズィト1世の波乱の生涯を追って行きます。



おしまい。


FC2ランキング02
 
↑ぽちっとおねがいします。

テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/06/14(日) 10:49:30|
  2. オスマン家の肖像
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

オスマン家の肖像 その6

オスマンの人的資源は


興隆期のオスマン家を見てゆくシリーズの6回目。
第三代ムラト1世期で現れて来るようになるオスマン統治体制の萌芽を引き続き見てゆきます。

オスマン家には、アナトリアの一軍事集団だった頃から奴隷による少数の直轄部隊やオスマン家の統治活動を支える奴隷の集団が存在していました。
彼らカピクル軍団(カプクル軍団)と呼ばれたその奴隷集団は、軍事集団の盟主、つまりオスマン家の所有物なのですが、逆に言えば対外的には誰にも仕える義務は無いので、外部から見ればある種特権的な集団として存在していました。このオスマン初期からあった制度というか集団の存在が、後に奴隷出身の大政治家・官僚を輩出したり、最精鋭と恐れられるイェニチェリ軍団が創設される源流となってきます。
ちなみにこのカピクル(Kapikulu)軍団の呼称ですが、カピ(カプ/綴りを見るとプでもピでもなくプィ→ィはほとんど発音しない/くらいなのかも/とりあえず日本語ではトルコ語の『頭がないi』に適当な表記ができないのでどっちでもいいか・・)はトルコ語で『門』を意味しており、クルは『奴隷』の意。つまり『門=家門』と考えれば『オスマン家の奴隷』と言う意味になるでしょうか。そういやイスタンブールにあるトプカピ(トプカプ)宮殿も同じ『門=Kapi』を含む土地の語源からですね。
なんかかなり脱線した・・・。


2.中枢機構の整備
デヴシルメ制への萌芽
前回で見たように、拡大期のオスマンは新たに支配を狙う地域に対しては、まず略奪を目的とした騎兵を派遣して村・集落を襲い、人や物を奪って治安面から脅かすようにしていました。そしてある段階で従属を迫り、属国・直接支配下へと繋がるプロセスを取っていたわけです。
で、この一連の過程の中で確実に生まれてくる『あるもの』がありました。
それは、捕虜・奴隷・人質などといった言葉で表される人的資源の入手。
特にムラト1世や次のバヤジット1世の代になってバルカン方面へ一気に進出して以降は、ギリシア系・スラヴ系の多くの若者が、こうした自由を奪われた状態でオスマン侯国に流入して行ったのです。

いっぽう、先に書いたようにオスマン家では奴隷身分の者をただ単純作業や労働に使役するのではなく、兵として・また学問を身に付けさせて現場と言うか政軍問わず第一線で働けるよう教育し、組織化する習慣をもっていました。そして、初期から元々あったこうした習慣と、大量に入手されてくるキリスト教徒の奴隷・捕虜の存在が、奴隷による官僚機構と直轄軍団の成立に繋がってくるようになったのです。
ムラト1世の頃は、まず侵略の過程で得た人的資源=奴隷・捕虜の若い者を改宗・教育・訓練する事で、オスマン家直属の官僚や兵士に育てるようになります。この一連の流れにより、先に上げたカピクル軍団は一気に1000人単位の大集団へと発展してゆくようになったのですね。

そしてこれ、更に進んで後に息子のバヤジットの代になると、オスマンはこれを徴税制度の中に組みこんでゆきます。つまり一定割合で支配下にある壮健・聡明・秀麗なキリスト教徒の少年を徴発=奴隷としてオスマン家の親衛隊や小姓として育てる様に・・・。つまりこれが、後に『デヴシルメ制』と呼ばれた、オスマン家の人的資源の入手における中核となる制度に発展したのです。

こんな感じで、実際のオスマンの中央集権化はこのあと15世紀の中期になって明確になってくるのですが、制度というか習慣的にはこのムラト1世時代で既にある程度の効果を上げていたと見るべきでしょう。
なにしろ、次代のバヤジットの時にオスマンは一度崩壊しているのです。
それが、わずか20年程度で再生し、この地を制する大帝国として再び成長し始めているのですから、オスマン家の核となる部分は既にある程度整備されていたからこそ、スムースに再征服と支配下への組み込みが成されていったのだと思えるのです。

直轄軍の事は次項に書きますので、ここでは官僚と行政機構の成立について。
オスマンにおける行政面をみると、直轄地では中央から派遣された上級官僚・軍人(郡の長官でもある)による一種の軍政が敷かれていました。そしてこの者が、ティマールを与えられた騎士たちや、登録した士族であるアクンジュを統括して納税・裁判・軍役の管理を行なっていました。後にティマールの授与はスルタンによる一元管理に変わりますが、15世紀くらいまではこうした直属の上級軍人が地方を管理していたのですね。
彼ら上級軍人は同じカピクル軍団の出身者の中でも支配下に入った地方領主や貴族・騎士階級など身分の高いものが人質的にオスマン家の小姓として送られたものが多く、奴隷ではありますが宮廷内で教育をうけるなど最初から出世の道が開けていました。そして地方職を勤め上げた者は宮廷に呼び戻され、今度は中央官僚として帝国全体の統治に携わるようになってゆきます。最終的に大宰相という最高位にまでこの出世の道は開けていたのですから、ここまでくると奴隷という言葉は形式的なものに過ぎませんね。
ちなみに、16世紀までに宰相職に就いたもののおよそ70%前後がギリシア系・ビザンツ系から出ており、これは地方の管理職まで同じような比率だったでしょうから、オスマンはもう実質トルコ系の統治国家とは言えなくなって来ていたのが伺えます。


イェニチェリ01  
※ジェンティーレ・ベッリーニ作のイェニチェリ像 (大英博物館蔵)


3.常備軍の創設
これも先ほどから出ているカピクル軍団の一部が発展したものと考えられるでしょうか。
いわゆるイェニチェリ軍団の創設です。
ムラト1世の代ではまだデヴシルメ制による税の一環としての徴発は行われていませんでしたが、拡大期に伴ってギリシア・スラヴ系の若者が大量に奴隷として入ってきており、ムラト1世は自分の取り分からこの者たちをオスマン家の親衛隊として組織したのですね。設立当初のイェニチェリ軍団の人数は約2000人。後に8000→12000→20000→50000人と拡大を続けるこの軍団ですが、14世紀の時点では2000人でも充分中核部隊として機能したでしょう。後に火器が導入されてくるようになると彼らもまた銃火器を携え、砲兵隊などの諸編成とともにオスマンの最精鋭として恐れられる存在となってきます。
イェニチェリの発展についてはまた別の回で書きますのでとりあえずここまでに。


イェニチェリ02



こうして見ると、2と3は源流ではほぼ同一のものですね。
ムラト1世の代でバルカン方面へ拡大した結果、オスマンはトルコ系の軍事集団としての色合いはどんどん薄くなり、どちらかというとギリシア系・ビザンツ系としてもいいような人材が豊富に出てくるようになります。
次回はムラト1世期の拡大してゆく様子とその戦いについて。



おしまい。


FC2ランキング02
 
↑ぽちっとおねがいします。

テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/06/12(金) 07:45:19|
  2. オスマン家の肖像
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

オスマン家の肖像 その5

家業から国家への成長

興隆期のオスマン家を見るシリーズの5回目。
前回から3代ムラト1世の時代に入っていますが、今回はちょっとその背景的な部分を見てゆこうと思います。
実はこのムラト1世の時代に、オスマンはその支配体制と組織の構築といった基礎となる部分の多くが形となって現れてきます。ムラト1世の治世で表に現れる部分として、確かにバルカン方面への進出と遷都、それから周辺国との戦闘に勝利した事でほぼこの地域の覇権を確立した事に目を向けがちになるでしょう。しかし恐らくそれよりも、オスマン家が後に20世紀初頭まで続く大帝国となる為の基礎部分を築いて行った事の方が事象としては重要じゃないかと思うのですね。
ムラト1世の治世で明らかになってゆくオスマンの基礎構築は、
大きく分けて次の3点。


1.領国の編成プロセスの成立
2.中枢機構の整備
3.常備軍の創設


こうやって個条書きにした後で原稿書いたら1だけで充分長かったので、
これらの項目については分割して順番に見てゆく事にしますね。


1.領国の編成プロセスの成立
オスマン帝国と言うと専制・中央集権的なものを想像するんじゃないでしょうか。そしてそこからの連想で暴力・略奪・無法、そんな単語も浮かぶかとも思います。
外敵・侵略先に対してだけでなく国内にも容赦ない戦闘国家、たぶんそんなイメージ。
しかし、彼らが新たな土地に進出してゆく上では必ずしもそういう一本調子な臨み方はしていませんし、支配に組み込んだ地域・人に対しては相応の配慮を持って臨んでおり、むしろ彼らは略奪行為一つ取ってもかなり読んだ上で実行している、つまり支配体制を築くプロセスの中に組み込んでやってるフシがあります。
彼らが新たに進出する先での行動パターンはだいたいこの4ターン。

①略奪期
②従属期
③編入期
④直轄期


①略奪期
まず、侵略する地域へ騎兵(騎士階級)からなる略奪専門の部隊を派遣します。
オスマンでは、イスラム/キリスト系を問わず、士族階級の者でオスマンに協力するものはまず地域の軍単位で受け入れ・登録します。これをオスマンではアクンジュと呼んでいました。アクンジュはオスマンの騎士階級ではありますがこの段階では直接軍の指揮下に入る事は普段ありません。では何をしているのかと言うと、これが計画的な略奪行為。
この略奪行為は10~20人程度の小部隊、つまり登録した騎士とその従者くらいの最小単位から、数百人以上を動員した軍管区としての派遣まで様々な単位で行なわれ、村や集落を襲って住民を連れ去ったり収穫物を奪ったりしてゆきます。そしてアクンジュはこの略奪行で得たもののうち1/5を収めることで残りを自分の物とすることが出来ました。彼らの大部分は騎兵で編成されていましたから相当に離れた地域までそうした略奪行為は及んでいたといいます。


②従属期
そうやって住民レベルで動揺させておいてから、次にその土地の領主に対してある程度の規模の軍を派遣するか使節を派遣して従属を迫ります。この時領主が従属要求に応じれば、その領地・独立性は保証する代わりにオスマンへの貢納の支払いをさせると言うわけですね。このやり方はその相手が郡や国単位など大きくなってもほぼ同様で、村→小領主→大諸侯といった風に外堀を埋めるようにして従属を迫ったのです。彼らは平時の貢納のほか、戦争時にはオスマン軍の一部として参加することを求められていました。


③編入期
領主がそうした状態をしばらく受け入れていると、正規の家臣として取り立てる、つまり完全に支配下に入るよう求められます。確かこの時点でも宗派は問われていませんが、記録に出てくるような諸侯・有力家門は実際はほぼ全てイスラム化してますね。ちなみにここで拒否しようものならまず確実に武力行使を受けますので、どっちにしろ小領主では拒否しようがありませんが・・・。でもまあこれは一種の封建領主としての組み込みでしょう。またこれは新規の家臣だけでなく、古くからオスマン家に仕えてきた名門の大諸侯などもこうした所領を与えられており、宗主として受け入れ、一定の納税と軍役奉仕さえするならその権限内での統治を認めるわけで、スルタンの権力が非常に大きいオスマンでも影響力の及びにくい遠隔地や新規の勢力圏では、こうした緩やかな統治が行なわれていたのでした。


④直轄期
領主が死んだ際や紛争が起こった際、スルタンが政略的に重要と判断した場合など、その土地は機を見て順次直轄化されます。
対象となったのは主にバルカン半島やアナトリア方面、それから東ヨーロッパ方面など。
この直轄領を管理をする資格は、先に上げたアクンジュによる略奪行で功績を立てた騎士階級の者に与えられ・運営されます。ただし彼らはその土地を支配・領有しているわけではなく、あくまで徴税権を持っているだけなので所有権はオスマンのスルタンに帰しています。ただまあ徴税権(一定割合の納入義務付きの)を持っている以上、管理者はできるだけ収益が上がるように指導・保護する事になりますね。
こうして徴税権を与えられた騎士たちは、戦時になると見返りとして軍役奉仕の義務を負うわけです。そしてこれが、いわゆるティマール制の原形となったのでした。
ティマールの由来は、大小さまざまな徴税権の中で、与えられた徴税権できる銀貨が2万枚からの最低単位のものを『ティーマール』と呼んだことからとされます。大貴族・上級騎士となるとさらに大きな徴税権『ゼアーメト』『ハス』と呼ぶものがありましたが、外部から見たらややこしいのでティマールという呼称が一般化したのでしょうね。
また、このティーマールは所領でなく徴税権ですから見直しは容易で、戦功などによって細かく評価・増減されたといいます。のほほんとしてたらオスマンの騎士は務まりませんね。



後の時代になると最初にやっていた士族階級を募って略奪部隊として使用すると言う部分は無くなって行きますが、そうした無法行為を最終的に中央集権的な直轄領に組み込む手法はオスマンによるスムーズな勢力拡張を促したのですね。
この過程で重要なのは、オスマンは征服地域の既存勢力も宗派を問わず積極的に取りこんでいたことでしょう。バルカン半島のある地方の例が報告書に出ており、その報告によると支配地域内に組み込んだ騎士階級が72人で、そのうち30数人が地元の旧支配階級、つまり旧主に仕えていた貴族・軍人たちだったと言います。およそ3~4割はこうして既存勢力から採用したというか味方するものは特別拒否しなかったというのは、管理される事になる現地の住民にも安心感があったでしょう。

しかも、元のキリスト教徒であっても改宗してイスラムを受け入れたものは区別無く 『イスラムの家』 の者として出世する道が開けていたのです。こうした、寛容なのか効率重視なのかは分かりませんが優れた人材登用と支配地域を組み込んで行く手法は、オスマンが大国化してくるとかなりの数のギリシア系軍人・政治家を輩出してくる土壌となります。

また改宗しないものも迫害されるわけではなく保護・教育の対象として見られ、異教徒の居住区域には一定の自治権を与え・保護しました。イスラムの統治はだいたいこういう形で、その代わり政治的な出世の道はないし異教徒同士の紛争などは自分たちの慣習・法体系で処理することにさせたのですが、これはまあキリスト教世界の習慣と比べたらはるかに寛容な方針でしょう。

次回は中央部となる政治機構と軍編成を見てゆきますね。



おしまい。


FC2ランキング02
 
↑ぽちっとおねがいします。

テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/06/11(木) 07:35:31|
  2. オスマン家の肖像
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

オスマン家の肖像 その4

オスマン、海峡を渡る


興隆期のオスマン家を巡るシリーズの4回目。
ここから数回に分けて第3代・ムラトの時代を見てゆきます。
1330~50年代におけるビザンツ帝国内の権力争いに介入する事で、次第にアナトリア北西部で最大の勢力にのし上がってきたオスマン侯国。1340年代後半に優れた海軍力を持つカレスィ侯国を併合して、その勢力はいよいよ対岸のバルカン方面へ向かおうとしていました。


(バルカン上陸)
この機会を与えてしまったのは、この時期になっても身内で争っていたビザンツ帝国。
1340~50年代にヨハネス6世はオスマン家の2代オルハンの長子・スレイマンを傭兵として度々使っており、優れた軍事指導者でもあったスレイマンの活躍もあってこの党派争いを優位に戦っていました。
しかしオスマンは単なる傭兵として使うには危険過ぎる相手でもあったのです。
1352年、オスマン侯国はダーダネルス海峡の出口に当たる対岸の要衝ゲリボルに上陸、ここを占拠します。しかもその後間もなく大地震が起こり、この地方が壊滅的な被害を受けると、これを口実としてオルハンとスレイマン親子は半島全域に兵を送ります。現代の言葉にすると災害救助を目的とした部隊の派遣という所でしょうか。これには当初ヨハネス6世も対立するヨハネス5世も非難を表明するのですが、オスマン家は知らぬ存ぜぬでかわしている内に本当にこの地域を領有してしまったのでした。
そしてこれが、オスマン家がバルカン方面で初めて足掛かりを得た、その第一歩となったのです。

この新たなオスマン領は、確かに面積だけで見たらごく狭い範囲に過ぎません。
しかしダーダネルス海峡を両岸から抑えているその位置は、戦略的に見たら非常に大きな意味を持っていたのです。
何しろ当時のビザンツは帝国とは名ばかりで、西で急速に勢力を伸ばしていたセルビア王国にマケドニアやトラキアの大部分を奪われ、東ではオスマンの伸張を許し、事実上はコンスタンティノープル周辺とテッサロニキ・アカイアなどわずかな地域・都市を保っているだけの小勢力。
オスマン家に貢納を支払い、かつ傭兵として雇うだけの財力を維持していたのは、この海域を各国の船が通行し・コンスタンティノープルで交易する、つまり地中海の通商ターミナル港として機能していたからこそでしょう。また地方に残る小領との連絡や上がってくる収益はここを通過する事でコンスタンティノープルに届くわけで、ダーダネルス海峡を抑えられたらビザンツは干上がる危険性すら含んでいました。
だからこそ対立するヨハネス5・6世ともに非難したのでしょう。しかも所領を奪われて支配下の人口が激減したためたびたび傭兵に頼るようになっていた当時のビザンツでは、軍事的にはオスマンに対抗するだけの力を持っていませんでした。


オスマン1352
※1352年頃の情勢(W800ピクセル)


このままでは早晩ビザンツはセルビアかオスマンに首都を脅かされていたかも知れませんが、このときは幸運にも両国の指導者が倒れる事でビザンツはその危機を回避したのでした。

1355年、セルビア王ステファン・ドゥシャン死去
1362年、オスマン侯国でオルハン死去

マケドニアやアルバニアを奪い、ブルガリアをも従属させるなど、一時期バルカン方面で最強の勢力を誇っていたセルビアは、王ステファンを失った事でこのあと急速にその力を失って行きます。また興隆期にあったオスマンでは後継者争いで数年が消費される事になったのです。ほんの10数年ほどではありましたが、コンスタンティノープルの危機は一時回避されたのでした。



(後継者)
第二代オルハンが1362年に亡くなった後、オスマンは数年に渡る内戦に突入します。
オルハンは数人いた子供達にそれぞれ地域を分担させて統治するシステムをとっており、その中からスレイマン、ムラト、ハリルといった息子達が順調に育っていました。
しかしその中でも生まれ・実績では長男のスレイマンが飛び抜けていたため、そのままスレイマンが後継者となると目されてはいたようです。しかしそのスレイマン、残念ながらどうやらオルハンより先に亡くなっており、1362年にオルハンが死去した時点では、残った息子の中で誰が後継となるか、各々の実力をもって決める事になってしまったのです。
この数年に及ぶ内戦で最終的に勝利したのが次兄のムラト。
兄弟だけでなく有力家門だったトゥラハン家・ミハル家・エブレノス家なども再び支配下に収めたムラトは1360年代の後半になってようやくオスマン家の後継争いに決着をつけ、ムラト1世として再び拡大へと突き進んでゆきます。

次回はオスマンにおける初期の統治システムについて見てゆきます。
個人的にはオスマンが途中挫折しつつもこの地域で覇を唱える事ができたのは他より優れた支配体制を作り上げたからだと見ていますので、次回はこのシリーズでも結構重要な更新になると思います。


おしまい。


FC2ランキング02
 
↑ぽちっとおねがいします。

テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/06/09(火) 23:24:50|
  2. オスマン家の肖像
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

そろそろかな

Xデーはいつ?


例年6月になると、
KOEIからDOLに関して主に新製品の情報が出てきている事にお気づきの方も多いと思います。
まあ他のタイトルも3・6・12月には発表や発売があるのですが、DOL関連の製品はけっこう分かりやすく6月に集中しており、これまでラフロ・クルス・インカ・オスマンと4回出たパッケージ販売のうちオスマン以外の3つまでが6月に発表を行なっているんですね。(株主総会がこの月にあることと関係あるかどうか分からないけどw)
で、今年はラフロ→クルスに続く3回目の新拡張パッケージが出る事が既にアナウンスされていることから、その正式発表がそろそろ出てくるんじゃないでしょうか。


(過去の6月発表の履歴)
2006.06.01 
拡張パック 「La Frontera」 発表


2007.06.14 
拡張パック第2弾 「Cruz del Sur」 発表


2008.06.24 
「Cruz del Sur」 Chapter4 「Inca」  7月23日サービスインを発表
特設サイト  「ワールドガイド第1回」 を掲載


こうして見ると同じ6月でもだんだん日程が後になって来てるのは気になる所で、
更に今年はテクモとの経営統合があったので今年はちょっとこのスケジュールに変更あるかもですね。
それと今年はコーエーの看板タイトルの一つである 『信長の野望』 のすごい久々となる新作も情報出てきてる事ですし、他のタイトルも含めてこの時期のアナウンスは要注目と見ています。
あー、そういやエクストラチャプターの日程もまだ出ていないから小出しして来る可能性もあるのか・・・。



おしまい。


FC2ランキング02
 
↑最後にぽちっと。

テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/06/08(月) 19:11:30|
  2. 雑学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

慧眼

間違い探しもゲームの楽しみ


長いことこの世界でやってると、
時々動作や表示に関して 『あっれ?』 となることありませんか?
単に勘違いだったりラグの問題だったりもしますが、そのうちのいくつかは本当に不具合だったりします。
こうした事に気付いて不具合報告することでプログラムは修正されてくるんだと思いますが、中には 『こんなん誰が気付いたんだwww』 というものまで含まれていたり。
んでまあ意地が悪いというのか、修正より前に気付いて報告したりするのが楽しいというかひとりほくそ笑む瞬間というか、そういうのも楽しみの一つとして存在してる気がしています。
そんな訳で今回は、過去の不具合修正アナウンスから、これはというのを挙げて振り返ってみます。
皆さんはこのうちのいくつを事前に気付いたでしょうか。



<不具合修正の抜粋>
2009.04.28
サントドミンゴの室内の床で足音が鳴っていない不具合を修正

2009.04.24
オプションスキル「家畜室」の効果が正しく発揮されていなかった不具合を修正

2009.02.17
グラフィック設定の「波」を「最高」にした状態で、波の高い海域で嵐に合うと、クライアントプログラムが停止・終了することがある不具合を修正

2008.12.09
洋上において、中南米の街のモデルが誤って表示される不具合を修正
一部の街(4件)において、カモメが堤防をすりぬける不具合を修正
共有倉庫画面の中央区切り線が、アイテムの出し入れにより徐々に濃くなる不具合を修正

2008.09.30
沈没船引き上げ中に舵を切ると、一瞬だけ操帆スキルが使用できてしまう不具合を修正
バトルキャンペーンの作戦本部に掲げられている旗の一部が正しく描画されない不具合を修正
セウタの空き家の壁の向こうにマネキンが誤って配置されていた不具合を修正

2008.07.23
ネーデルランド編17章において条件を満たさずにイベントが発生していた不具合を修正

2008.05.28
仕入単価の表示が、購入単価と一致しないことがある不具合を修正

2008.02.27
一部の街において、ペットにエサをやっているときにアパルタメントに入るとペットが置き去りになってしまうことがある不具合を修正

2008.02.20
戦闘中に、戦闘部外者を表示しない設定にしていても、船の周囲に表示されているサメなどが見えてしまっていた不具合を修正

2007.12.05
一部のエリアにおいて、その場にいない他のプレイヤーが実行した/diceの結果がチャットログに表示されてしまう不具合を修正

2007.10.03
探索によって逸品が獲得できなくなってしまっていた不具合を修正
ホバート北の一部の木をすり抜けられる不具合を修正

2007.08.22
生産に失敗したときに得られる熟練度の値が正しくない場合があった不具合を修正
まれに、商会管理局員に話しかけても何も話さなくなってしまう不具合を修正
ブロックリストへの登録数が最大に近い状態の場合、登録に失敗することがある不具合を修正

2007.05.30
オスマントルコが、まれにプレイヤー所属国の領地に投資する場合があった不具合を修正
カッファの港にあるベンチに座ると足が沈む不具合を修正
カリカットの冒険者・海事ギルド内にあるロウソクの火が浮いている不具合を修正
アフリカの邸宅の壁に接近すると消えてしまう不具合を修正
ルン、ペグーの一部の椅子に座れない不具合を修正

2007.03.16
オプションスキル「耐砲撃装甲」の効果が、自船ではなく砲撃対象の船に反映されていた不具合を修正

2007.01.31
特定の家具が床に埋まる
特定のソファーに座ると体がめり込む
一部の上陸地点において、通行可能なように見えて、通行できない場所があった

2007.01.10
特定の条件下でアイテム「ニューイヤーロット」を想定外に入手できる場合があった

2006.12.08
商館購入画面で、画面の区切りを表示する線の長さが不適切だった不具合を修正

2006.12.06
プリマスに不適切な魚が釣れる釣り場が設定されていた不具合を修正
ハバナの街のミニマップで、造船所の位置がずれていた不具合を修正

2006.10.11
陸上戦で相手がアイテムを使用した直後に攻撃をすると、アイテムの使用を妨害したメッセージが表示されることがある
論戦でカードが表示されているのにカードを配る演出が行われることがある
フランス編15章、ヴェネツィア編15章において、ジュリアンが表示されていなかった不具合を修正
一部の街で陸上に置かれていたボートが揺れていたり地面から浮いていたりした
一部の冒険者ギルドのロウソクの炎がずれていた
サントドミンゴにある木のベンチに座ると地面に足首が埋まってしまう
一部の街の椅子に座れなかった
一部の陸地の草が浮いていた
一部の街にある材木や荷車の車輪、家などが地面から浮いていた
一部遺跡の柱に登れてしまう
一部の遺跡内部の石棺をクリックすると、ターゲットの矢印が埋まって見える

2006.09.06
酒場にて、交易品を売買していない街の相場情報が流れてしまう不具合を修正

2006.08.30
重ガレオン・大型ガレオン・商用大型ガレオンの船尾部分に隙間があった不具合を修正
街中の段差のある場所で釣りをしているときに、空中に浮いているように見えることがある不具合を修正

2006.06.07
ジェッダのラクダがすり抜けられる不具合を修正

2006.04.12
ヘルデルの牛が宙に浮いていた不具合を修正

2006.03.03
「仕立て道具」で、異なる種類の服に仕立て直すことができる場合があった不具合を修正

2006.02.22
一部の非戦闘艦が襲ってくる不具合を修正
一部の陸地に通り抜けられる木があった不具合を修正
一部のベンチに特定方向から座れなかった不具合を修正
ゴアの出航所近くの木箱が地面から浮いていた不具合を修正

2006.01.18
「速達!情報便」の世界情報(国籍別所属街)において実在しない街が表示されていた不具合を修正
船員が何もない場所で漂流物のヒントを言う場合があった不具合を修正
一部商館のカウンター上の置物が浮いていた不具合を修正
北欧の酒場にある一部の椅子の背もたれが通り抜けられてしまう不具合を修正
一部の街の執務室において、壁に近づくと壁が真っ暗になってしまう不具合を修正





あまりにも長くなりそうなので2006年までで止めました。
こうして見るといっぱいあったんだなあ・・・。
まあ、一部の『浮いていた』とか『すり抜けられる』辺りの不具合は、結構DOLブロガーのネタ提供になってた気もしてますからこれはこれでいい思い出なのかも。テノチティトランの存在が不具合から初出したり、ヘルデルの牛が浮いていたなんていう、もはや伝説的なネタまでほんといろいろ。
その一方で最近あんまり破綻してる不具合少ないのはちょっと残念。残された不具合があるとしたら普段あんまり人が行かない僻地なとこか、逆に首都の裏路地とかの盲点にあるかもですね。だいぶ解明されてきたこの世界、未知の不具合= 『残されたフロンティア』 を見つけるのは君かもしれない!!!w



おしまい。


FC2ランキング02
 
↑ぽちっと。

テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/06/07(日) 14:15:39|
  2. 雑学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

日本刀の単価はいくらだろう

資料でみる交易品の予測


オスマン編を書いてる途中ですが、ちょっと東アジア関連の歴史ネタをひとつ。
昨日の夜のこと、所属している船窓商会で末次船と朱印船貿易の話が出ていたので、海事の合間にヨーロッパ人の東アジア関連の資料ないかなと何冊か見ていたところこの一冊が。

トメ・ピレス著 『東方諸国記』
 
たぶんセビリアにいるあの人のまとめたアジア地域のレポートですが、これなかなか興味深い。
彼の経歴をちょろっと書くとこんな感じ。

1466
リスボンで薬剤師の息子として生まれる。

1511
インド方面の書記官職に任命され、インド方面の艦隊へ参加。

1512 
インド到着後、アルブケルケ提督の命でコチンから出た船団に搭乗し、前年に攻略したばかりのポルトガルの前線基地・マラッカに到着。
その後、ジャワ島経由で香料諸島に赴いて現地でポルトガル商館の管理官を務める。

1515
マラッカからいったんコチンに戻ると、そこに赴任して来た友人で新総督のソアレスから中国の明に向けて送られた使節の大使として任命され、中国へ向かう。

1517
トメ・ピレスを乗せたポルトガル艦隊は広州の南にある停泊地・屯門澳に到着。
ここから広州に行ったポルトガル艦隊は広州での交易自体は認められたものの、北京に登っての外交交渉は不調に終わったため、ポルトガル艦隊の提督はこの停泊地で要塞を築いたり(これが後のマカオの前身)付近を航行するジャンク船を襲うなどの明政府を刺激するような暴挙に出てしまいます。この結果、現地にいたトメ・ピレスたち外交使節は逮捕・投獄されてしまい、ポルトガル艦隊も彼らを見捨てた為にかれらはその後消息不明に・・・。


こんな感じで、その後トメ・ピレスは1524年までは生きていたとか1540年没だとかいう説はありますが、ともかく現地のヨーロッパ人の記録からは完全に消えてしまいます。
そんなけっこう悲惨な生涯を送ったトメ・ピレスですが、香料諸島~マラッカ駐在時に彼が残していた報告書の断片は、後にマルコポーロの東方見聞録に匹敵する重要資料として見直され・日の目を見る事になります。
それがこの 『東方諸国記』
アフリカからインド洋・東南アジア・東アジア諸国の物産・民族に触れたこの膨大な報告メモのの中には日本に関する記述もあり、250年前にマルコポーロが黄金の国ジパングとして紹介した日本に関しての交易の様子が書かれていました。
ちょっとこの一部を抜粋してみます。

『彼らレケオ人(琉球人)はシナとマラカで取引を行う~(中略)~彼らはジャンポン(日本)へ赴く。それは海路7~8日の航程のところにある島である。彼らはそこでこの島にある黄金と銅と商品を買い入れる~(中略)~彼らがマラカへ携えてくる商品は黄金・銅・武器・寄木細工・扇・小麦である。彼らの品物は出来が良い。また一振りが30クルザドの刀剣をたくさん携えてくる』

『ジャンポン島 すべてのシナ人のいうことによると、ジャンポン島はレキオ人の島々よりも大きく、国王はより強力で偉大である。それは商品にも自然の産物にも恵まれていない。国王は異教徒でシナの国王の臣下である~彼らはシナと取引することはまれであるが、それは遠く離れている事、ジュンコ(ジャンク)を持たず、海洋国民ではないからである』 (東方諸国記 第4部より)

実はこれが、大航海時代のヨーロッパ人が日本について書いた最初の記録だったりします。この中では日本からの交易品として刀剣・黄金・銅・細工物などが主力として(レケオ=琉球)などから持ち込まれ、福州・広州やマラッカなどでも高値で直接取引されていた事が記載されています。

ちなみにこの記録、トメ・ピレスの経歴を考えたら間違いなく1515年以前に書かれています。
つまり種子島にポルトガル人が漂着する28年以上前の記録。
そんな前から既に日本の産物は東南アジアの交易圏に組み込まれ、ここに進出して来ていたポルトガル人が情報としてキャッチし、実際に入手していた事になるんですね。
それ以前の室町時代前期から日本と明とは勘合貿易などで交流はあったものの、こんな早い時期から日本の交易品が東南アジアまで流通してた以上、1543年の時点でポルトガル人は日本についてはある程度の情報が入ってきていた事でしょう。わざわざ東アジアまで交易に来ている彼らが日本について全く無知なまま種子島に漂着したわけではない、そう考えた方が自然ですよね。


ところでこのトメ・ピレスのわずかな記録に残る価格についての記述ですが、
特に日本刀一振りの現地相場が30クルザドだったという話はけっこう興味深いですね。
1クルザドを日本の通貨に直すと、
後の時代ですがイエズス会の会報誌に残る記録では、金1両=7クルザド。
別の資料だと金1両=4.3~4.5クルザドで見ており、
金と銀の価値はだいたい9.3:1くらいで計算していますから当時の国際基準でもそう離れておらず、
信頼できそうな数字です。
となると30クルザドは日本だと金7両=260gくらいに相当するわけで、
日本刀がかなり高い交易品だったことが分かります。


(日本刀のDOL内価格は?)
相場の話が出たのでついでにもうちょっと計算を進めてみます。
現在の相場だと金1g=3100円くらいなので、金260g=806,000円。
小麦1トンの大口相場が50,000円くらいとするなら、
806,000/50,000で今の相場だと小麦16トンにもなります。

更にDOL世界での小麦1樽が果たして何kgなのか分かりませんが、
1樽=1バレル=159リットル換算で行くなら、
小麦のかさ比重0.8で換算すると小麦1樽=159×0.8=127.2kg
小麦16トン=16000/127.2=125.8樽。
DOLの小麦の価格が35~40ドゥカート位として、
35~40D×125.8樽=4403~5032ドゥカート

ものすごい仮定の数字で計算を重ねて見たところ、現代の小麦相場で日本刀の東南アジア相場を換算するなら5000ドゥカート近辺という、なんだかそれらしい数字になってますね。
まあ、今では小麦の生産力は16世紀当時よりはるかに向上してるから比較すること自体がナンセンスなのですが、ダマスク剣の相場から考えるとあながち遠くない気もします。
中距離交易での売りが4500~5000とするなら、買値はその半分で2000~2500近辺って事になるのでしょうか。性能を考えるともう少し売りが高くてもいいかも知れん。しかしあれだな、買いの単価が3000~4000台を超えてくるようだと数を買えなくなっちゃうかも・・。



おしまい。


FC2ランキング02
 
↑ぽちっと。

テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/06/04(木) 22:47:07|
  2. 歴史ネタ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

漁師の誤算

オポルトの釣りイベント、


果たして期間内に50万匹釣れるのか!?
な危機感あおるところを演出しようとしていた気がする今回のイベント、
始まってみればマグロがものの数時間で完了したのを始めとして初日~2日でほぼ決着が付く情勢。
そして残りの13日間はほぼ消化期間となりそうな気配・・・。

これどういう条件で全体目標を達成した後のイベント進行・特典等があるのかどうか分かりませんが、
納品できた人だけの特典となったらかなり反発出ること必至かも。
とりあえず直接納品以外にも交換してくれるNPCいますからこの辺も一応押さえとくべきなのかな。
なんだかなぁ・・・。

運営側なら各目標値の設定は普段やイベントでの稼働率からある程度適正量が読める気がするんだけど、
PFで産出しているマグロを品目に加えているのも含めて(しかも最低単位で)
ゲームやってる側からしたら魚の選定・バランスに??というもの感じますね。
残念ながら数字読めなすぎ。

それから公式に出ている釣果の掲載ページにある個人記録、
これってこのままだと上位者に対して晒しと同じ結果を招きそうで、
個人結果の掲載はやめたほうがいい気が・・・。


おしまい。


FC2ランキング02
 
↑ぽちっと。

テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/06/03(水) 07:36:04|
  2. 活動日誌
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

AGPはまだ終わらんよ!

新製品


今回はグラフィックボード関連の話。
と言ってもコアゲーマー向けのハイスペック機種の紹介ではなく、タイトルから察せられるように数年前にさかのぼるレガシーなハードにまつわるネタになります。


(買い替え周期とXPの呪縛)
さて、サービスが開始された2004~2005年頃からDOLをやっている人で、まだその当時のPCをそのまま使っている方、もしくは新規に1台買ったけど今までのもサブマシンとしてまだまだ使っている人というのは結構いるんじゃないかと思います。
このように、コアなゲーマー/PCユーザーを除くと、ライトユーザーもしくは一般家庭などでのPCの買い替えサイクルは恐らくかなり長く、だいたい5~7年くらいの周期はあるんじゃないでしょうか。逆にPCを自作するようなユーザーだとその周期は2~4年くらいにまで短縮されて来るでしょう。私の履歴でもだいたい2~3年に1回のペースでメイン機を更新しています。

で、この一般ユーザーの5~7年周期と言う数字、OS側で見るとWINDOWS-XPが出た2001年とほぼ被ってますね。となるとXPが出て以降にPCを買った一般家庭では、そろそろ次の買い替え時期に来ていそう。いっぽう家庭でのPCの買い替え要因で大きいものだと、1)故障、2)処理速度の不足、3)容量の不足、4)OS更新、5)新しい規格への対応、6)生活環境の変化 たぶんこの辺りだと思います。このうち、4)のOS更新と言うのは2)の速度とも密接に関係しており、新しいOSほど機能が向上する代わりにハードの要求は上がってきますよね。
んでこの4)のOS更新に関しては、現世代のVISTAへの移行が進まなかった結果として幸か不幸かXPがまだ現役で、XP時代のPCを使っている人はこれまでゲームや動画などの重い処理でなければそんなに不便を感じる事は少なかったんじゃないでしょうか。



(高スペック要求)
ところが、ここ1~2年でこれら旧世代のPCを巡る状況は大きく変わって来ています。
主に動画関連と3Dを扱うコンテンツでハード面の要求がすごく高くなってきていると言う点で、そろそろXP登場時あたりのスペックではもう対応出来ない処理が色々な所で目に付き始めているんじゃないでしょうか。

第一の要因として挙げられそうなのは、動画におけるHD画質の普及。
DVDビデオのSD画質が720×480=345,600ピクセルなのに対して、
ハイビジョン画質(HD)は1280×720=921,600、または1366×768=1,049,088ピクセル、
フルハイビジョン(フルHD)だと1920×1080ですから2,073,600ピクセルと、
その情報量は3~6倍にもなっています。
これは、まずTV放送の方で地デジ化が進んできているのと、液晶TVの導入→HD化がほぼ完了してきている事、それから昨年のブルーレイ対HD-DVDの次世代DVD規格争いに決着が図られたことも大きく前進する要因となっているでしょうか。多分この先1~2年で光学ドライブはブルーレイに急速に取って代わられることでしょう。家電製品ではDVD搭載機よりブルーレイ搭載機のほうが主戦になってる事からして、そろそろPCのほうでも年末頃にはブルーレイの標準搭載が当たり前になって来て不思議じゃないと思う。
しかしその一方でこのHD画質の動画をPCで再生するとなると、CPUが2.0GHZくらいのシングルコアPCではコマ落ちしてしまいます。
DVDは再生できるのにHDだと何で出来ないんだろうと思うかもですが、情報量が3~6倍の物をリアルタイムに処理するのですから、これは普通にPCの能力上げるか何かしらの再生支援がないと無理。
そしてHD動画を圧縮保存する規格としてAVC-HD/MPEG4-H264がほぼ標準化された事で、その圧縮・再生処理は更に厳しい能力が必要となっています。なにせMPEG4-H264の動画編集やエンコードなどはデュアルコアのCPUですら結構かったるい。


それからもう一つの要因は、意外と思うかもですが恐らくVISTAの登場。
2007年の初頭にVISTAが登場した時、そのあまりの重さにPCの要求スペックが一気に上がったのを覚えている人も多いんじゃないでしょうか。この時の変化で分かりやすかった所だとメモリの搭載量。
XP世代の最後で出てきたメーカーPCの標準的なメモリ搭載量はたぶん512MBくらいだったと思うのですが、その3ヵ月後のシーズンでVISTA搭載で出たPCは最低でも1GB搭載、ちょっと上の型だと2GBに一気に上がったのです。
その後メモリ価格が暴落して行ったおかげで今では4GB積んでも全然違和感無いようになりましたが、わずか2年前のVISTA登場以降、デュアルコア・クアッドコアCPUの登場なども含めてハードウェア面ではXP機とVISTA機でかなりの格差が付いてきているんですね。たった2年で最廉価クラスのデスクトップ機のCPUですらデュアルコア化され、メモリの標準搭載量が512MB→2GBと4倍になるってのは激しいと言わざるを得ませんw

そして、こうしたハイスペックなハードウェア要件を満たしたPCが広まってくる事で、新たに開発されてくるソフトフェアはその要求スペックを遠慮なく上げてきている、たぶんそういう状況があるんじゃないかと。
最近のMMOをみてるとやたら高精細な画質を売りにしているタイトルが目に付きますが、この辺のタイトルって恐らく2004年当時のDOLの要求スペックと比較したら数倍以上の能力を求めていることでしょう。



(対応)
で、これらの要求に対応させるためにXP世代のPC、例えばDOLの開発~運用が始まった2003~2005年頃のPCを強化しようという選択をする人も出てくるのですが、そこにはいくつか制約もあります。
まあ性能面の陳腐化が激しいPCの場合は買い替えが出来るならそれが一番費用対効果が高いのですが、ライトユーザーでのPC買い替えはけっこう敷居が高いのも確か。だいたい不景気なときにそんなもん家庭で予算組んでくれるのか分かりませんよね。
そうなると部分強化でどこまで対応出来るのかって話に・・。

部分強化するとしてもそこはやはり制約はいろいろ。
まずCPUの更新はマザーやメモリまで含めて必要になってくるし、
メーカー製PCだと基本不可なのでここは除外。
そうなると残る可能性としては、

①メモリ増設 (デスクトップ○/ノート△)
②グラボの差し替え (デスクトップ△/ノート×)
③ハードディスクの買い替え又は増設 (デスクトップ○/ノート○)

このあたりが浮かびますが、それぞれ効果の発揮するところが違いますよね。
動画を扱う場合はこの全てが対象ですが、例えば3Dのゲームやるだけなら恐らくハードディスクの更新はしないでも可能でしょうし、メモリもXPなら2GBくらいまで増設すれば恐らく充分で、無理に3~4GBまで上げる必要も無いかもしれません。
んでまあそんな中にあって、やった時に効果が大きいのがグラフィック周りの強化。
今のグラフィックボードは描画の速度が上がってるだけでなくてHD動画の再生支援などの機能も備えており、更に動画エンコードや描画の表現強化など様々な機能を持たせる多機能ハードとなっているので様々な処理に効果を発揮して来てるんですね。
デスクトップPCでVGAのスロット(AGPとかPCI-E)を持ってる場合はここ重視に投資すると良さそうな気がします。まあ、AGPだと帯域の問題や諸機能の使用に制約があることはありますが、やって見る価値は充分あるんじゃないかと。


(新製品)
そして先週、このレガシー規格であるAGPに久々の新カードが出ていたり。
GIGABYTEが出してきた、RADEON HD4650搭載の 『GV-R465D2-1-GI』 ですね。
価格11000円前後ですから、性能比でみてもこれはおすすめ。



(GIGABYTEの製品ページ)
http://www.gigabyte.com.tw/Products/VGA/Products_Overview.aspx?ProductID=3088


これまでもAMDはAGPスロットの製品を出し続けていますが、
RADEONのHD4000世代でのAGP版はこれが初めてでしょうから恐らくかなり売れてくる気がします。
AGPのPC使っていて入手できる人、これはちょっと注目かも。



おしまい。


FC2ランキング02
 
↑ぽちっと。

テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/06/02(火) 07:18:10|
  2. 雑学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1

プロフィール

このブログはリンクフリーです。

ハミルカル・バルカ/メルカルト

Author:ハミルカル・バルカ/メルカルト
サーバー:Eos
所属  :イスパ
商会  :たまごのしろ/世界の船窓から
Twitter :hamilcar_notos

FC2カウンター

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
オンラインゲーム
316位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
大航海時代オンライン
10位
アクセスランキングを見る>>

最近の記事

カテゴリー

最近のコメント

月別アーカイブ

リンク

このブログをリンクに追加する

最近のトラックバック

ブログ内検索

RSSフィード

RSSリンクの表示

著作権について

大航海時代 Online』に関わる著作権、その他一切の知的財産権は、 株式会社コーエーテクモゲームスに帰属します。 このホームページに掲載している『大航海時代 Online』の画像は、 『大航海時代 Online』公式サイトにおいて使用許諾が明示されているもの、もしくは『大航海時代 Online』の有効なアカウントを所有しているユーザーが株式会社コーエーテクモゲームスから使用許諾を受けたものです。