打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

続・蒼き狼の末裔たち その8

襄陽・樊城包囲戦 その2


(名将の系譜)
今回のモンゴル軍で司令官を務めているアジュ。
いきなり名前が出てきて何者?と思うかもなので一応紹介しておきます。
アジュの父親は、モンケの代で南宋に侵攻していた際に最先鋒を務め、モンケ死後の撤退戦でも最後まで踏ん張っていてクビライに救出されたウリャンカダイ。
そして、あの時の記事で紹介したように、ウリャンカダイの父はチンギス・ハーンの『四狗』と呼ばれた名将スブタイです。
つまりアジュはモンゴル帝国史上でも最高の将であるスブタイの孫に当たる人物。
当然そこにはスブタイ家が統括していた千戸集団の精鋭や、彼らの出身であるウリャンカイ部の者も参加していたでしょう。また既にアジュ自身も父と共にベトナム方面や内戦時に従軍して功績を立てており、この時の司令官職任命も特に抜擢とは言えないくらいの立場にあったと思われます。

南宋攻略戦において確かにモンゴル兵はごく少数しか参加させられませんでしたが、トゥルイ家にとっては切り札と言うべきスブタイ家の最精鋭を投入していた一事を取ってもクビライが二線級の将兵で何とかなる戦場と考えていなかったことが伺えますね。


(襄陽南郊の決戦)
1271年6月、
南宋の水軍を含む10万の機動部隊が長江から漢水を遡って包囲されていた襄陽の救援に現れます。守備していた呂文煥にとっては待望の援軍ですが、実はこれはモンゴル側も待っていた増援部隊の到着でした。

実は開戦からこれまでの3年間、モンゴル軍はただ漫然と過ごしていたわけでは無かったのです。
包囲網を構築する際にモンゴル軍は漢水に杭を打ち、水中に鉄鎖を張らせて南宋船の進入を阻んでいたのですが、その一方で自らは上流部で軍船を建造すると共に漢人部隊ら参加していた将兵の訓練を行っており、援軍が到着した1271年の時点で既に5000隻・7万人規模の水軍を完成させていました。

実に3年にも渡る長期包囲戦、双方ともここが緒戦にして最大の山場である事を理解していたのでしょう。特に南宋側にしてみれば、もしここで漢水の要衝・襄陽が落ちれば、南宋は長江の中流域にある武漢まで押し戻される事は確実で、これは長江の上流域にある四川地方も含めて国土の半分近くが奪われることを意味していました。
逆にモンゴル側にしてみれば拠点を叩くだけでなく、やはり当時世界でも最大規模を有していた南宋の水上戦力を本拠地から引きずり出して叩く必要を感じていたのでしょう。

こうして開戦から3年目、南宋の援軍はモンゴルが構築していた長大な防御線に敢えて強襲を掛けたのですが、万全の防備をしていたモンゴル軍の反撃にあった結果、この虎の子の艦隊はほとんど壊滅してしまったのでした。

3年もの篭城に耐え、更にようやく来援した援軍の壊滅。
並の将兵であれば恐らくこの時点で心が折れても仕方がないところでしょう。
しかし守将の呂文煥はここから更に2年を持ちこたえたのです。


(落城)

後の歴史に残るほどの粘りを見せる呂文煥以下の樊襄両守備隊に対し、
モンゴル軍が最終的に樊城・襄陽の両城を陥落させるには更に強力な一手が必要でした。

開戦から4年半後の1273年1月、樊城の近郊に巨大な工作物が出現します。
この年、クビライの弟フレグが建国したイル・ハン国から送られたペルシアの技術者、アラー・アッディーンやイスマイールらによって攻城戦用の兵器が伝えられ、早くもこの地で製作・投入されます。

この兵器・マンジャニークは後にペルシアから伝えられた事から『回回砲』と呼ばれ、
梃子と振り子の原理を応用して巨大な石弾を飛ばす投石器の一種。
当時のもので実に90kg近い石弾を飛ばすことができ、
命中精度も高かったために城壁や防御施設の破壊に絶大な威力を発揮したと言います。

最初に使用された樊城ではあっけなく城壁が崩された結果、
そこからモンゴル兵の侵入を許して投入から間もなく守備兵が降伏。
次にこの回回砲が樊城に据え付けられ、樊城から襄陽城へ向けておよそ7~800mもの距離を飛んだ回回砲の石弾により、強大な城壁を誇っていたはずの襄陽もまた砲撃によって成すすべなく沈黙させられてしまったのでした。

1273年2月、
遂に襄陽の守将・呂文煥が降伏し、襄陽は5年近い篭城の末に陥落します。
モンゴル・南宋ともに双方の物資・兵力を集中させたこの包囲戦にモンゴルが勝利したことで、事実上南宋の運命はこの時点で決まったかも知れません。実力的な部分もありますが、心理的な面で遥かに大きな影響を与えることになったのです。

特に10万の大軍を引き付けて5年近くも襄陽を守り切った呂文煥をクビライは高く評価しており、その後クビライは彼を取り立てて最前線の司令官の一人、それも漢水流域の指揮権を持つ『襄漢大都督』に抜擢します。
彼のもつ影響力も考慮したのでしょうが、最後まで抵抗していた呂文煥が許され、しかもモンゴルの先鋒となって侵攻してくる状況に長江流域の南宋側の軍閥・諸将は動揺します。呂文煥による南宋諸将への調略によって長江中流域では寝返りが相次ぎ、これが南宋が比較的短時間に抵抗を弱めた一因となったのでした。


ただし、そこは東アジアの大国・南宋。
この国を完全に攻略するにあたり、
クビライは更にもう一手を必要としていました。

次回、ここにクビライ時代のモンゴルを支えた若き大黒柱が登場します。



おしまい。

FC2ランキング02
 

テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2010/04/29(木) 19:41:48|
  2. 蒼き狼の末裔たち
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<そうだ、鉄張り装甲作ってみよう | ホーム | 商大クリッパーを作り直す その3>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://hamilcar.blog64.fc2.com/tb.php/1026-882acb16
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

このブログはリンクフリーです。

ハミルカル・バルカ/メルカルト

Author:ハミルカル・バルカ/メルカルト
サーバー:Eos
所属  :イスパ
商会  :たまごのしろ/世界の船窓から
Twitter :hamilcar_notos

FC2カウンター

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
オンラインゲーム
268位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
大航海時代オンライン
8位
アクセスランキングを見る>>

最近の記事

カテゴリー

最近のコメント

月別アーカイブ

リンク

このブログをリンクに追加する

最近のトラックバック

ブログ内検索

RSSフィード

RSSリンクの表示

著作権について

大航海時代 Online』に関わる著作権、その他一切の知的財産権は、 株式会社コーエーテクモゲームスに帰属します。 このホームページに掲載している『大航海時代 Online』の画像は、 『大航海時代 Online』公式サイトにおいて使用許諾が明示されているもの、もしくは『大航海時代 Online』の有効なアカウントを所有しているユーザーが株式会社コーエーテクモゲームスから使用許諾を受けたものです。