打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

ローマ帝国の歴代皇帝を評価する その2

コラボ企画 ~名君の系譜(迷君もね)~ の続き


めけさんとのコラボ企画 『東西ローマ皇帝の評価』 の続きです。
前回までに私のほうは五賢帝までを行いました。今回は段々と小粒になるかと思いきや、時々素晴らしい人物が登場するかもですねえ。
まあ私自身は有名どころの確認より、めけさんのマニアックな人物の評価が面白いんですが、初代~西ローマまでは割と目立つ人だけでも20人くらいになっちゃうんでなかなか手が届かないのが残念です。

前回はこちら→ 前回のめけさんの記事 と 前回の私の記事  

(ルールの確認) 
①リストアップは名君・有名どころのみ登場
②評価項目は内政・外交・軍事・実績・文化・性格・総合の7項目を、S~Eまでで採点。
  (但し他国の歴史上とも比較して、特筆すべき評価はSS可とする)
③書く担当は、私が初代~476年の西ローマ滅亡まで、めけさんが476年以降とします。
④気になる将軍・政治家が居ればコメントに追加も



<ローマ&西ローマ帝国編2>
               
セプティミウス・セヴェルス (193~211年)     
内政C・外交D・軍事B・実績B・文化C・性格D・総合C 
※五賢帝時代以後、自称皇帝が乱立する状況を再統一した軍人皇帝。大規模な粛清を行う一方で兵士の待遇改善や道路・港湾施設の整備などを行ったが、その結果財政は悪化した。その後パルティアに侵攻し首都制圧に成功するが、続くブリタニア遠征の途中で病死した。

同時代人のセヴェルスの評価は相当に高かったらしいが現在では・・・


カラカラ (211~217年)
内政D・外交B・軍事B・実績C・文化C・性格B・総合C 
※セヴェルスの子で23歳で帝位を継ぐ。ローマ市民権をすべての国民に与える法律を作った。この関係で増税と貨幣の改鋳を行いインフレが起こる(銀貨の銀含有量を半分にしたらそりゃなります)インフラ関係ではカラカラ大浴場は観光名所として有名ですね。またドナウ川方面での外交手腕は中々で和戦両略で安定化させます。軍事面では『ゲルマニア防壁』を改修し、更にこれを越えてゲルマンを討ち、凱旋式を行っている。また各地の軍団内から若く機動力に優れた直属部隊を創設して柔軟な運用を始めるなど、全体的に積極的な施策が多かった。


クラウディウス・ゴティクス(クラウディウス2世) (268~270年)
内政D・外交B・軍事A・実績B・文化E・性格B・総合B
※元はガリエヌス帝配下の将軍で、騎兵の指揮では特に優れていたという。帝位に就くとゴート族の討伐に成功し、『ゴティクス』 の尊称で呼ばれた、ローマで久々の軍事的勝利者。また討伐したゴート族の一部を帝国内へ移住させ農耕に従事させる一方で有事には防衛力に育てる事に成功する。治世は短く大きな内政上の実績はないが中々の人物で死後に神格化されている。


アウレリアヌス (270~275年)
内政C・外交B・軍事S・実績A・文化D・性格A・総合A
※もともとは前帝ゴティクスの騎兵長官で、公正な性格と軍事の才を買われて帝位に就く。その後ダキア地方を巡るゴート族との外交交渉でドナウ川流域の安定化に成功し、272年にパルミラの女王ゼノビアを討ち(この人は剣クエありますよね!)、274年にはガリア帝国を降伏させるなど、優れた用兵の才を発揮し帝国を再統一した。内政面では貨幣の改定とローマの城壁建設など。余勢を駆ったパルティア遠征の途上で暗殺されますが、彼の軍事面で見せた能力は只事ではなく、パルティア遠征の結果次第では過去の名将とも比肩する程の存在となっていたかも知れません。


ディオクレティアヌス (284~305年)
内政B・外交C・軍事B・実績B・文化C・性格C・総合B
※『3世紀の危機』を収束させ、東西正副4人の皇帝による統治システム『テトラルキア』を始める。更に官僚制と軍備の拡張・商業政策と税制改定等の再建策を行い、帝国内は一時的にせよ安定化する。ただし彼の死後は再び帝国内は内乱状態に戻ってしまうところに統治者としての器に限界を感じます。キリスト教徒を徹底的にに弾圧した為、近世までの彼の評価は厳しかった。


コンスタンティヌス1世 (306~337年)
内政B・外交C・軍事A・実績A・文化B・性格B・総合A
※6人が乱立する内乱後の帝国を再統一した。主な業績としてはコンスタンティノポリス(元ビザンティウム・後にイスタンブール)の建設・キリスト教の公認と優遇・ニケーア公会議・そして遷都と、政治と宗教ともに後世に大きな影響を及ぼす施策を行った。他にもドナウ川流域の安定化・専制君主制の強化・金本位制と貨幣の改鋳・身分の固定化など、評価はともかく長期政権にふさわしい多くの業績が残る。世界史上で『大帝』と呼ばれた数少ない人物の一人です。

コンスタンティウス (337~361年) 
内政D・外交D・軍事C・実績C・文化D・性格D・総合D
※コンスタンティヌス1世の次男。他の兄弟・従兄弟の計5人で分割統治・・・となるはずが争い、残ったのがこの人。父の軍事的才能は受け継がなかったようですが、一応この人がローマで行われた最後の凱旋式の栄誉を受けることになる。キリスト教の優遇政策は受け継ぎますが、性格的には猜疑心が強く、めぼしい身内を粛清しまくったために、最終的に頼れるものがいなくなってしまった;;


ユリアヌス (361~363年)
内政D・外交C・軍事B・実績D・文化C・性格B・総合C
※コンスタンティウスの従兄弟。ローマの多神教を復活させて『背教者』と呼ばれる。ほぼ軟禁状態という苦難の末に、目ぼしい近親者が粛清されてしまった為に24歳でいきなり副帝となる。ほとんど軍務の経験も無いままゲルマニア戦線を担当し、これを配下の軍団だけで越冬し乗り切り、更にストラスブールで3倍の敵に完勝するという記録的な大勝を上げることで兵・民衆の評価を得て前帝の死後に皇帝となる。彼の本質は哲学を愛した文人でしょうが軍事的にもそれなりの資質があったようです。その後、パルティア遠征では首都を陥落させたが補給が続かず撤退し、その時の傷が元で亡くなった。


テオドシウス1世 (379~395年)
内政C・外交B・軍事A・実績A・文化D・性格C・総合B
※コンスタンティノポリスを居城に選び、後にキリスト教を国教とし『大帝』と呼ばれる。ゴート族と協定を結び定住を認めた。オリンピア競技会の廃止・390年にテッサロニケの虐殺~アンブロシウスに破門され謝罪するなどいろいろありますが、全体としては危機的状況のローマを救った最後の名君の趣がぷんぷんと・・・ 実際この後数十年の多くは傭兵など軍人による実質支配が続くことになります。


ロムルス (475~476年)
内政E・外交E・軍事E・実績D・文化C・性格B・総合E
※最後の西ローマ皇帝。ゲルマンの傭兵隊長オドアケルに迫られてその退位する。(この人も剣クエ出ますよね) 奇しくも国名となったローマ建国の王と同じ名前なのは歴史の皮肉と言うべきでしょうか;; ただこの人、まだ若年で性格的にも無害だったため殺されずに余生を過ごしています。また修道院の建設などにも尽力した人でした。




(後記)
※同じテーマで複数人が何かを同時に書くのは面白いですね^^ 
  マニアックなのでなくてもまたやれたらいいかもです。
 どうもありがとでした~


おしまい。


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  1. 2006/07/29(土) 07:22:33|
  2. 歴史ネタ
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