打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

フォルモサ資料-2


フレデリク・コイエット 『閉却されたるフォルモサ』(1675)


副題
「東インドにいるオランダ人の怠慢によってフォルモサ島が中国のマンドラインにして海賊である国姓爺の奇襲を受けて、どのようにして占領され、奪取されたかについての真実の物語」



メモ書きする前に、この時代の鄭成功側の動きを列記しておきます。

1624年 鄭成功、父鄭一官(芝竜)と長崎人の母・田川氏の間に平戸で生まれる
1644年 北京が陥落して明帝国が滅亡。
1645年 鄭一官は亡命政権である隆武帝を支持して福州で挙兵する。
    この時鄭成功は隆武帝に謁見して国姓である『朱』の使用を許され、
    以後、国姓爺と呼ばれるように。
1646年 父・鄭一官が清朝に内通して福州は陥落、隆武帝も殺害され、鄭成功は海上に逃れる。
1650年 鄭成功は叔父の一党を討って鄭一党の武力を掌握する。
1653~56年 鄭成功は永暦帝の元で広西省を拠点に抵抗活動を続ける。
1658~59年 鄭成功が南京遠征軍を起こすも暴風雨で延期され、翌年清朝軍の奇襲を受けて敗退。
1660年 根拠地アモイ島と金門島に帰還して再起を図る


ここまでが翌1661年に台湾のオランダ東インド会社を攻撃するまでの鄭成功側の動き。



第一章・4

・1646年 
この頃から鄭成功が台湾に目を付けている事が知られ始め、実際に長崎の商館からゼーランディア城へ鄭成功に関する注意喚起が出される。

・1650年 
オランダ本国の東インド会社の重役で構成された『17人会議』は、中国人がフォルモサ島へ攻めてくる危険性が高いとして、フォルモサ島の守備隊は最低でも1200人規模を維持するようにとの命令が発せられる。

・1652年
イエズス会神父より、鄭成功がフォルモサ島の中国人を扇動している可能性が指摘される。
同年9月7日、5千人規模の中国人が蜂起してオランダ人8名を殺害し、12日後にようやく鎮圧される。

・1653年
タイオワン島のゼーランディア城から見て対岸にある本島のサッカムに新要塞を建設する。
プロフィンシア砦と命名されたこの砦、
暴動程度には問題なく機能したが城壁は薄くカノン砲の攻撃に対しては無力だった。

・1654年以降
当時のフォルモサ長官クラース・フェルブルフと後の長官コイエットとの確執が表面化し、以後のフェルブルフはバタヴィアの評議会の議席を得たことでコイエットの主張・警告・提案を尽く無視又は反対して、コイエットの印象・評価を悪くする立場をとるようになる。


この点に関してコイエットは、『高い地位にある社員の間に抗争が生じたら、総督または長官などより高い地位の責任者が両者を呼び出し事情聴取して、できれば和解させ、不可能なら両者を解任して会社がそれによって被害をこうむる事のないようにすべきである』と記述している。


フレデリク・コイエットに関して
・1645年 
下級商務員の資格でバタヴィアに勤務するようになり、数ヶ月を司法委員、その後3年半をバタヴィアの上級商務員に任命される。またその後、10年に渡ってフォルモサ商館の主席評議委員に任命される。
その間2度に渡って日本を訪れ、1647~48年と1652~53年は長崎の商館長を勤める。

・1656年
コイエットがフォルモサのタイオワン長官に任命される。 
同年、鄭成功による海禁例により、中国船がフォルモサとの交易が出来なくなる。

・1657年
鄭成功に対して使節と贈り物を送る事がフォルモサ評議会で決定する。
結果、鄭成功はこの時点ではフォルモサの東インド会社と関係を悪化させることは望んでいないので海禁例を解いて交易を再開させる。との返答を得る。

・1657~60年
フォルモサ島での東インド会社の収益は急拡大し、1659~60年にはバタヴィアの長官の高評価が本国の17人委員会へも伝わり、コイエットへ勤務成績が非常に優秀なことに対してインディアス評議会の員外評議員の称号・資格が贈られるとの書簡が送られる。
(但しコイエットは鄭成功の動向にはまだ注意が必要で、防備は今以上に固めておくべきとの見解がバタヴィアに向けてたびたび出されるようになるが、これは費用的な問題や先のフェルブルフとの確執等の理由で却下される。)


これが、鄭成功が侵攻してくる前年までの東インド会社とフォルモサ島に関しての記録です。
第一章の5項からは1660年に急展開する台湾情勢が記述されてきます。


2/3ほど読んだ段階での所感。
これは台湾島(フォルモサ)におけるオランダ東インド会社の最後のタイオワン長官、フレデリク・コイエットによる、フォルモサ失陥に関しての自己弁護の為の証明文書としての性格が強いものの、現地で高い地位にいた人間でしか知りえない事柄が本人・東インド会社両方の立場で書かれており、必ずしも自分に有利なように誘導する記録ではない印象を受けます。

そもそもフォルモサの失陥は、彼自身の失態というより東インド会社全体の防衛力の不足、対応のまずさが原因というのは当時のオランダでも共通の認識で、一方的に責任を取らされて死刑判決を受けた後に2年間も収監されていた長官フレデリク・コイエットがこうした弁明書を書く必然性は充分あったようですね。



つづく。

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  1. 2010/05/05(水) 19:53:14|
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