打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

フォルモサ資料-6

鄭氏時代の幕開け


1661年にフォルモサ島に侵攻して来た鄭成功。
オランダ東インド会社の拠点ゼーランディア城での攻防も今回が最後になります。


フレデリク・コイエット 『閉却されたるフォルモサ』 (1675)

副題
「東インドにいるオランダ人の怠慢によって
 フォルモサ島が中国のマンドラインにして海賊である国姓爺の奇襲を受けて、
 どのようにして占領され、奪取されたかについての真実の物語」


(反抗計画の失敗)
・1661年8月12日、篭城中のゼーランディア城の近海に
 バタヴィアから出撃したカーウ率いる9隻・700名の救援艦隊が到着する。
・8月17・18日、鄭成功は40隻の船から兵士を上陸させ、市街地の包囲陣を増強する。
 (この時点で鄭成功は救援艦隊の兵力は2000人規模はあると見ていた。)
・鄭成功が捕虜から得た情報で救援艦隊の兵士は少数であることを知り、バタヴィアのオランダ総督府は現在まだ準備が整っていないかフォルモサ島を防衛することに関心がないと看破する。
・その結果、翌年の南季節風が吹いて新手の援軍が到着する前にゼーランディア城を占領すべきとの決断を下す。

・9月8~10日、悪天候のため接近できなかったオランダの救援艦隊がゼーランディア城近郊に停泊し、補給品と兵士を揚陸させることに成功する。
・ゼーランディア城内の士官、救援艦隊の艦長、副官たちを交えた拡大評議会が開かれ、陸海共同で攻撃を仕掛けて湾内に停泊している鄭成功軍のジャンク船を破壊する決議が出る。

・9月16日包囲されていたゼーランディア城とオランダ艦隊が鄭成功の艦隊に攻撃を仕掛ける。
しかし湾内が逆風のあと無風状態となってしまい、各船は相手のジャンク艦隊にバラバラに仕掛ける形となってしまった結果、強襲用のボート3隻が拿捕され、砲撃を行う予定だった艦隊のスヒップ船は逆に相手の攻撃を受けて炎上してしまう。結果、船長1名・副官1名・下士官1名・兵士128名を失ってこの反抗作戦は失敗に終わる。

・10月3日、城内の守備隊員に壊血病患者が急増してきたため、補給用に2隻の船が派遣される。
・10月17日、城の北西にある砂州へカノン砲台を建設しようとしていた部隊を攻撃しようという提案が出され(これが士官たちによる最後の提案になった)、3隻・200名で出撃するも失敗に終わり撤退する。


(苦境)
・鄭成功の包囲軍が縮小され始める。
これはゼーランディア城の包囲中に8000名もの兵士を戦死・脱走その他で失い、中国本土でも劣勢となって来たために食料の補給も少なく、著しく士気が落ちてきたためとされた。

・11月6日、タルタル人(清朝)が篭城中の長官コイエット宛に援助を申し出てくる。
書簡を送ってきたのは福州の太守・靖南王で、
オランダ側が数隻の船を派遣してくれるなら補給物資と鄭成功を撃つための兵を送ろうという内容だった。

・この結果、ゼーランディア城内の士気は一時的に高まり、
 来年春に援軍が送られてくるまで耐え切れば希望が出てくると確信するようになった。

・長期戦に備えるため、城内に残っていた婦女子はバタヴィアに送られることになる。
(この時バタヴィアで彼女たちの生活が成り立つようにとフォルモサの会計からの借り入れ扱いで若干の金額を融通したが、後にフォルモサが失われたため、この行為はフォルモサ評議会による犯罪扱いにされた。)

・最悪の事態に備えて城内に残る会社の物資・商品を船に積み込んで置くべきかの討議がされるが、
 残っている市民・中国人などに動揺を与えるとしてこの意見は却下された。

・11月8日、救援艦隊の司令官カーウは先のバタヴィア行き船団に自分も同乗して、自ら援軍要請を行いたいと申し出る。(救援艦隊の司令官として派遣されてきた人物がろくに戦いもせずに帰国しようとする姿勢に、コイエットは強い皮肉を込めた解説を行っている) が、カーウのこの申し出は却下された。

・11月26日、先のタルタル人の提案が承認されると、カーウはこの使節にも名乗りを上げた。
・派遣が決定し、2隻のもっとも強力な船と3隻の補給船がカーウに与えられて出発したが、
 結果カーウは悪天候を理由にしてこの船隊ごとバタヴィアへ逃亡してしまう。
・カーウの逃亡のあと5隻の船隊のうち3隻は戻ってきたが、
 補給と援軍が得られないことが判明したゼーランディア城の士気は再び落ち込んでしまう。


(終戦)
・12月16日、城内にいた軍曹が逃亡し、城内の兵力(残り400名)その他の状態が鄭成功に伝えられる。
 (ここでユトレヒト砦がゼーランディア城の弱点であることも暴露されてしまう。)

・この情報をもって鄭成功は包囲から攻撃に方針を切り替える。
・鄭成功、ユトレヒト砦の正面に3箇所の砲台を建設する。
・1662年1月25日、鄭成功軍はゼーランディア城の防衛拠点・ユトレヒト砦への砲撃を開始。
 同日ユトレヒト砦を陥落させる。
 ※この付け城は以前書いたようにゼーランディア城を見下ろす高地にあり、
  ここを落とされたゼーランディア城は砲撃に対して無防備となってしまった。

・1662年2月1日、ゼーランディア城は鄭成功の降伏勧告に応じる事を決める。
 (城と物資の一部を引き渡す代わりに撤退中の安全を保障する内容)
・コイエットは条約に従い物資人員を残った船に乗せたあと、
 城と物資を引き渡してバタヴィアへ撤退した。


(その後)
オランダ東インド会社の撤退後、
鄭成功は直ちにゼーランディア城に入城し、ここを安平城と改名して自身の根拠地とします。
ゼーランディア城を漢字表記したのが、DOL内の発見物名となっている 『熱蘭遮城』 ですね。

ちなみに、東インド会社によってゼーランディア城の対岸に建設されていたプロヴィンシア城砦が現在の 『紅毛楼』 で、最初にここを攻略した鄭成功は砦を承天府と改名して包囲中の根拠地としています。その後は鄭成功の存命中も紅毛楼(プロヴィンシア砦)は拠点として使われており、現代でも改修の結果当時の威容をしのばせる施設として残っています。

一方、バタヴィアに帰還した元長官コイエットは裁判の結果死刑判決を受け、その後罪一等を減じられて終身禁錮刑となってバンダ・アイ島で収監されます。彼は二年間の囚人生活とあらゆる財産・身分・名誉・名声を奪われた後に、家族友人らによる本国のオラニェ公への嘆願によってようやく開放されますが、代わりに本国での終身蟄居を命じられ、1675年になってこの 『閉却されたるフォルモサ』 を書き上げることになります。






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おつかれさまでした。

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  1. 2010/05/19(水) 22:47:30|
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