打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

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フランスの大航海時代-1

カルティエの探索行


今週から始まった、
大航海時代Online次期拡張パックのプレイベント 『-序章- 新たなる航海』。
フランスの地方農家出身の一若者が、王室が奨励している新航海政策に参加し、
プレイヤーの協力を受けて仲間と開拓物資を集め始めた所ですね。


今回はこれに関連して、16~17世紀に本格化する某方面へのフランスの探検航海と開拓の歴史の中でかなり重要な足跡を残した人物を取り上げて見ます。

その人物の名は、ジャック・カルティエ(1491-1557)。
コロンの大西洋横断の前年に海賊の根拠地として有名なサン・マロで生まれたカルティエ。
サン・マロの町は6世紀に聖ブレンダンと共に大西洋横断の旅に出た伝説を持つ彼の弟子、
聖マロに由来すると言うのは何とも奇妙な関連がありますね。

若い頃のカルティエは遠洋漁船の航海士として腕を磨いており、特にアフリカやブラジル沿岸への漁業と航海経験を持つなどして1530年代にはブルターニュでも優秀な航海士として次第に知られる存在となっていたようです。


(第1回探検)
このジャック・カルティエが歴史に登場してくるのは、1534年にフランソワ1世の命を受けた最初の探検から。1532年にフランソワ1世に謁見したカルティエは、フランソワから「莫大な富を生む島・土地を発見するため新大陸へ遠征すべし」との命を受け、探検航海に乗り出す事となったのですね。
そして2年後の1534年4月20日、カルティエはわずか60トンのトリトン号とゲラン号という2隻の小艦隊でサン・マロを出港します。

さてこのカルティエの艦隊、大西洋をほぼ真西に横断して既にジョン・カボットによって発見されていたニューファンドランド島の近海に到達した後、ラブラドールの沿岸伝いに航行してシャトー大湾を発見し、更なる探検に出ます。ちなみにニューファンドランド島は現在のカナダの北東端に位置しており、10世紀末にレイフ・エリクソンが到達してヴィンランドと名付けた地と想定され、実際に11世紀頃と思われるヨーロッパ人の居住跡が見つかった島でもありますね。
その後、ニューファンドランド島から西に向かったカルティエの艦隊はというと、途中でプリンス・エドワード島(『赤毛のアン』の作者モンゴメリの所在地で有名な所ですね)を発見、更にこの海域(これが現セント・ローレンス湾)を西に進み、6月11日には遂に河口域に到達したのでした。

上陸した土地は半分凍てついていて残念ながらあまり豊かな地ではなかったようですが、カルティエはここを「ヌーベル・フランス」と名付け、そののち先住民であるイロコイ族に遭遇して族長家の2人の男子を連れ帰ったと記録に残っています。
9月5日、フランスに向けて帰国の途についたカルティエの探検隊はフランソワ1世にこれらの探検を報告し、その結果フランソワ1世は目立った発見のなかったこの土地への再探索を命じたのでした。


(第2回探検)
翌1535年5月、今度はグラン・デルミン号、プティ・テルミン号、エメリヨン号の3隻で出航したカルティエの探検隊は前年に引き続いてセントローレンス川(サン・ロラン)と名付けたこの河口域の探索を行い、イロコイ族の居留地スタダコナに到達します。ここがおよそ70年後に建設される植民地ケベックの前身となる土地で、この一帯をカルティエは「カナダ」と呼んだのでした。

その後、イロコイ族の協力を得て更に上流を探検したカルティエは、彼らの拠点となる肥沃な土地ホチェラガに至ります。このホチェラガの岬に立ったカルティエは余りに美しい風景に感動してここを「モン・レアル(王の山)」と名付けたと言います。そう、これが遥か後年にはオリンピックも開催されることになるモントリオールとなる場所だったのですね。
その後、ここまで友好的にカルティエに協力してきたイロコイ族は、彼に「ホチェラガの北には黄金の国サグェナイがある」との情報をもたらします。

しかし、カルティエの探検が順調だったのはここまで。
季節が冬を迎えるとこの一帯には寒波が到来し、セントローレンス川には氷塊が流れてくる程になった為にカルティエの艦隊は河口のスタダコナ(ケベック)まで撤退しての越冬を余儀なくされます。この越冬でカルティエの探検隊は栄養不足と寒さによって凍傷・手足が壊死する者が続出したと記録されており、更には壊血病に悩まされるなど辛酸を舐め、ようやく翌1536年4月に出航、7月にサン・マロへ何とか帰航する事ができたといいます。


(第3回探検)
1541年、カルティエの最後の探検となる第3回の探検隊が編成されます。
この時の探検はその後に予定していた移民団の先行調査として行われ、前回情報を得たサグェナイ王国の調査も兼ねていたといいますが、スタダコナからホチェラガに到着して以後の探索は進まず、また後続の移民団も到着しなかったためにカルティエは越冬後の翌年にはわずかに水晶や黄鉄鉱などを入手したあとフランスに帰国しています。その後、カルティエはサン・マロで余生を過ごしたとされますが、彼の探検と発見が活かされるのは、彼が1557年に死去してから更に数十年を必要としていました。


セントローレンス湾01
セントローレンス湾周辺の地図です。
当時はまだ途中で滝になっているので船での溯上はできなかったのですが、
モントリオールから更に川を遡ってゆけば五大湖が広がっており、
現代ではかなり重要な場所を発見した事が分かりますね。


(評価)
都合3回に渡って行われたカルティエの探検ですが、カルティエ自身の評価としては、自身が優秀な航海士だったことも有ってか、航海そのものは非常に順調に行われたことは評価すべきでしょう。また、厳しい越冬でも隊員による反乱などが見られない点も彼の統率力の高さが伺えます。更に現地住民との接触で友好的に交渉・協力を得て順調に調査を進めている点も、この時代のヨーロッパ人としては珍しいくらいの外交力を感じますね。

反面、当時のフランスの国力からすると探検は非常に小規模なものと言わざるを得ません。
1530~40年代はフランソワ1世が壮年期を迎え、36年にオスマン帝国と同盟するなどヨーロッパでカール5世との対決がまだまだ続いていた時期だけに、その目が新大陸に向かなかったのもやむを得ないのかもしれませんが、結果としてその後のフランスの進出は諸外国に対して大きく出遅れることを余儀なくされたのです。

この頃、既に1524年にはハドソン湾までヴェラザノ兄弟が到達するなどフランス以外の諸外国は北米大陸への調査に着手しておりましたが、カルティエの探検はこれの更に北となる現在のカナダ圏内であり、この時期での入植・開発に成功していればまた違った北米史が展開されていたと思うだけにやや残念ですね。


ちなみにフランスの入植活動は、ユグノー戦争など混乱の時代を経てカルティエの発見後70年ほど経過する1600年代初頭になってから。ニューファンドランド島の南西に広がるノヴァスコシア、更に先に出ていたケベック、モントリオールなどが初期の入植地となる訳ですが、この活動も本格化するには更に数十年を要するゆっくりとしたものであり、この頃にはイギリス・オランダ、更には南ではスペインが着々と勢力を伸ばすなどしていた為、フランスの植民活動はこれらのライバル達に比して遅れを取る事になってしまったのでした。



おしまい。


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テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2010/11/21(日) 17:41:22|
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