打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

剣闘士スパルタクス その3

ローマ史上最大の奴隷反乱を率いた男 3


今回でスパルタクスについてはできればまとめて行きたいと思います。
書き始めたら面白いのでつい長くなってしまいましたが、スパルタクス達の運命は最後どうなったでしょうか。


スパルタクス
  
(?~BC71年)

ガリア・キサルピナ(現在のミラノ・トリノを含むアルプス以南の北イタリア)
に到達したスパルタクスたちを阻む勢力は、BC72年夏の時点で既に近在にはいなくなっていました。ここで予定通りアルプスを越え、ガリア・ゲルマン更に東方に脱出することは軍事的には恐らく出来たでしょう。
しかし奴隷達が選択したのは再度のイタリア半島への南下でした。
この選択は歴史の大きな謎で、幾人もの歴史家がこれの仮説を立てています。例えば食料の補給の問題・渡河しようとしたポー河の氾濫・余生を駆ったイタリア制圧の野望・海賊衆と呼応した東からの脱出・・・ちょっと良く分かりません。云えるのは中核となった部隊はその後もスパルタクスに従って行動したと言う点で、この辺からも彼の統率力が伺えます。(状況分析・判断力・決断力は疑問ですが)
しかし再度の行軍は非常に過酷で、ここで膨れ上がった群衆は次第に脱落して行ったようです。



(第七戦:スパルタクス対 法務官クラッスス)

ローマ側・・法務官クラッスス =8個軍団(50000人前後)

スパルタクス側 =40000人前後
 結果・・緒戦の小競り合いはスパルタクスの勝利。


北イタリアからなぜかUターンして東海岸から南イタリアへ戻ってきたスパルタクス達に対し、ローマは法務官クラッススを将としたなんと8個軍団・50000人を編成してこれの討伐に当たります。(ローマ一の大富豪クラッススが自費で調達したとも)
クラッススは後にポンペイウス、ユリウス・カエサルと共に三頭政治を展開する一方の雄ですが、この当時はまだ42~43歳くらいで、ようやく執政官の資格年齢に届いたところです。彼は確かに政・軍ともにそれなりのキャリアを積んでいる人物ですが、残念ながら軍事の才はポンペイウスやカエサルには遠く及ばない凡将としか言いようがありません
(古代世界でもトップクラスの武将である2人と比べるのはあまりに酷ですがw)

南下してくるスパルタクス達を迎え撃った緒戦の小競り合いは、指揮・経験で上回る奴隷達の勝利となりますが、クラッススもまた無理せず軍を撤退させたのでした。
(この前後、政治上のライバルであるポンペイウスがヒスパニアの乱を鎮圧し、凱旋してくると言う情報がもたらされています。ライバルに対して何としても遅れを取りたくないクラッススの心境はどうだったでしょうか)




(第八戦:ルカニアの戦い)

ローマ側・・法務官クラッスス =8個軍団(50000人前後)

スパルタクス側 =40000人前後
 結果・・クラッススが反乱軍をついに撃破しスパルタクスも戦死。


緒戦に敗れたクラッススですが、損耗は軽微ですし士気も衰えていません。一方スパルタクス達は更に南下を続け、遂にイタリア最南端メッシーナ海峡の目前にまで到達します。ここで海賊衆の支援を得てギリシアや小アジアへ逃亡を狙ったのでしょうか?

その後の経過はというと、山岳地帯に逃げ込んだスパルタクス達がナゼか山を降りてきて再度防衛線を突破・北上し、メタポントゥム北方若しくはルカニア付近の野でローマ軍に平地での会戦を挑んだと云います。(食料の問題かも知れませんし、渡航を依頼したキリキア海賊に裏切られたとも云います。しかしこの選択は明らかに失敗でしょう。)
平地での正面切った会戦となると、ローマの重装歩兵に奴隷達の軽装備で太刀打ちできるとは思えません。また狭い地域ではガリア出身の騎兵の展開力も相殺されてしまったでしょう。
結果、スパルタクス達は約6000人の捕虜を残して全滅し、大将スパルタクス自身も戦死したと思われます。(あまりに死体が多くて見つけられなかった)

捕虜となった奴隷達の処分は過酷なもので、彼ら全員がアッピア街道の両脇に磔にされ、延々と墓標を晒したといいます。。。




過去、ローマの本国であるイタリア半島内で正規のローマ軍を破った例は数えるほどでしかありません。さらに本土内を2000キロ近くも行軍し、数度に渡って連破しているとなると・・・。
そういう意味ではこの事件が特筆されるのも分からなくはありません。以後、この反乱を教訓に奴隷に対する仕打ちが抑制されたかは不明ですが、何らかの好影響はあったのかも知れません。これ以後は大規模な奴隷反乱は一度として起こっていないのですから。

スパルタクスが他国の将軍だったら

または逃亡が成功して東西の勢力に合流していたら?
歴史にIFは際限が有りませんが、なかなか惜しい人材だったのでしょうか・・・


おしまい&おつかれさま。

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  1. 2006/08/15(火) 14:23:02|
  2. 大航海な人物伝
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
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コメント

この時代のローマは正直ある程度大きな反乱があったので、その1でハミルさんがいっていた、ミトリダテス・ヒスパニアっすね。
さらにガリア・パルティア・プトレマイオスエジプトと・・いろいろ敵はいたみたいです。
さて、スパルタクス自身の能力ですが、個人の武と戦略面・カリスマではまあまあかもしれませんが、
これだけ勝てたのは当時のローマ自身の不安定さと内乱だったということが要因にあるかと・・。
なにがいいたいのかというと、
ハンニバルとは比べるべくもない!
ローマを蹂躙した英雄は彼ダケデイインデスヨ。
  1. 2006/08/16(水) 11:08:18 |
  2. URL |
  3. めけ #-
  4. [ 編集]

めけさん>>
確かに、背景についての記述が抜けてますねえ。
まとまりとしては大きい話になってしまいますが、その時点の周辺情勢だけでなく、もう少し俯瞰しての説明と観点があると芯が通って良かったかなと思いました。
具体的には地中海世界の覇者となって以降の、制度改革を目指したグラックス兄弟の挫折、マリウス・スッラ・キンナらの度重なる権力交代による内紛など、明らかに混迷し、方向を見失っている状況などへの記述。それと数ある内乱や外交問題への対処に時間が掛かりすぎている点も組織としての硬直化として上げられるでしょうか。そういう意味ではポンペイウス以降の人材の登場とカエサルによる変革は対照的なのかなとも思えます。
更に比較で言うと、アルプスを越えたハンニバルを迎え撃った時のローマの主だった指揮官レベルの人間が一人でもいれば、恐らくスパルタクスが数を集める前に本人じゃなくても鎮圧できていたでしょう。活力のある国家なら自然とこういうことは克服していそうです。(危機管理が適材適所で迅速に出来ていない時点でもう問題アリかなと)
  1. 2006/08/16(水) 14:26:35 |
  2. URL |
  3. ハミルカル #-
  4. [ 編集]

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