打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

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アキテーヌの女領主 1

アリエノール・ダキテーヌ その1
 (1122~1204年_フランス)

(前章)
12世紀のフランス。
まだフランス王室の主な所領は、いわゆる 『イール・ド・フランス』 と呼ばれる、パリを中心としたセーヌ川沿いの帯状の狭い地域でしかありませんでした。これは、もともとカペー家がパリの伯爵家に過ぎず、10世紀になってユーグ・カペーが王に推挙されても国内には同等かそれ以上の大領主が割拠していた為、王権の浸透が進まなかったせいもあると思われます。
そうした中で、フランス南西部のアキテーヌと呼ばれる地域には広大な所領を持ったアキテーヌ侯領がありました。中世フランスでは文化的には南部・西部の方が北部より発達していましたので、一地方とはとても呼べない先進地域の大領主と言えるかも知れません。
そして12世紀に入り、このアキテーヌ侯家の行方がフランスとイングランドの歴史に大きな影響を及ぼしてゆく事となります。


(アリエノールの登場)
12世紀に入り、アキテーヌ侯ギョームが亡くなると、残ったその領地はアリエノールという15歳の少女が相続する事となりました。こうして、現在のフランスの1/3にもなる広大な地域を抱えた結婚適齢期の美しい少女がフランスに出現します。当然ながら以前から殺到していた申し込みの中からアリエノールが3ヵ月後に結婚したのは、なんとフランス王ルイ7世でした。こうして1137年、ルイ7世とアリエノールは結婚し、アリエノール・ダキテーヌはフランス王妃となったのでした。ここで、フランスに権威(王)と所領(アキテーヌ侯領)を併せ持った、他のフランス諸侯の中から抜け出した大君主連合が出現します。
しかし、北部の無骨で敬虔なフランス王ルイと、南西部生まれで吟遊詩人を祖父に持った華やかな文化の宮廷で育ったアリエノールとでは相性が良いはずもありませんでした。そして1147年、信仰心に燃えるルイ7世は第2回十字軍のダマスカス攻略戦に参加すると、これに従軍したアリエノールの傍には、叔父でアンティオキア侯のレーモンの姿がありました。周囲の人々はこれを非難し、ルイは国内に戻ると1157年に離婚を宣言します。これまでルイとアリエノールの間に王子は無く、ルイにとって大領地を失うリスクはありますが、後継者を得られないリスクを回避しようとしたのでした。こうしてアキテーヌ侯領は再び宙に浮く形となってしまいました。



(えにしだの小枝)
イギリス王家のうち、12世紀に登場したアンジュー王家の家系をプランタジネット朝と呼ぶ事があります。プランタジネットとはえにしだの木の小枝を意味 するらしいのですが、このプランタジネットを由来としていたのが、アキテーヌ侯家の北にあるアンジュー伯家だったのです。先代アンジュー伯のジョフロワが兜の先にえにしだの枝を差して戦ったのがあだ名となり、更に家の別名となったのでした。ジョフロワは後にイングランドの王女と結婚し、対抗者との戦いの末、生まれた息子ヘンリーにイングランド王位を確保させます。独り身となったアリエノールが次の結婚相手に選んだのはその息子ヘンリー、なんとイングランドの王となるヘンリー2世でした。
こうして今度は、イングランドとノルマンディ、更にアンジューとフランス南西部アキテーヌを所領とする大君主連合が誕生してしまいます。所謂プランタジ ネット朝の誕生でした。アリエノールはフランス王妃からイングランド王妃へと華麗に転身したことになります。
アリエノールとヘンリー2世は8人の子、5人の王子をもうけますが、その兄弟こそがイングランドとフランスの行方に大きく関わり、その内の1人は大航海時代Onlineの中でも人気アイテムのクエストとして登場する 『あの人物』 となって歴史に登場してきます。



(アンジュー伯家の伝説)
その伝説は謎めいていて、後世の作り話かもしれませんが、多少長めでもご紹介します。
「ある時、アンジュー伯は旅先でとある女性を妻に迎えます。妻は多少風変わりでしたが日頃とても貞淑で美しく評判も良く、多少内気なところを除けば付近の領民や諸領主からの評判 も良かったのですが、ただ一点不可解な事がありました。それは、ミサの際などで教会に詣でても何かと口実を設けて途中で退席してしまうと言うのです。コレを不可解に思ったアンジュー伯は、配下の騎士を使っていつもの様に退席しようとしたこの妻の服の裾を踏ませ、動けないようにしてます。ミサが続く中、す るとこの妻は突然苦しみ出し、ついには羽を生やし・面相は変わり・怪物の如きありさまとなって教会を逃げ出そうとしてしまいます。 この妻は実は悪魔の娘だっ たというのですね。そしてその時、妻は自分とアンジュー伯との間に生まれた4人の子供のうち2人を捕まえて飛び去ってしまったと云います。こうして呆然とするアンジュー伯の元には更に2人の子供が残されます。その残った子供の1人こそ、後にイングランド王となったアンジュー王家の先祖となったのでした」 
ではその子供たちは悪魔の血を引いていたのか?? 
その伝説と問いは、後のアンジュー王家の波乱の運命と合わせ、後世の人の大きな興味を呼ばずにいられませんでした。



長くなってきたので続きは次回に。


おしまい。

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  1. 2006/08/22(火) 20:30:32|
  2. 大航海な人物伝
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
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コメント

ま、マニアックだ!!
アキテーヌがブルゴーニュとくっついていたら・・、フランスもドイツのようになっていたかもですのお。
  1. 2006/08/23(水) 10:10:51 |
  2. URL |
  3. めけ #-
  4. [ 編集]

めけさん>>
この続きは多少メジャーな人物が登場してくるんですよ~
(最初からタイトルにそれを仄めかしてはマニア向け記事にならないんですw)

んーと、国家の形成と言うのは、領土・言語・民族といった現実的な区別だけじゃなく、『水面下の意識の形成』 というのも非常に大きいのかな、と思っています。この場合は 『フランスは一つの国であるのが正常、と認識する事』 ですか・・・
例えば中国だって、早い時期に秦・漢という統一国家が出来て、『あの状態が普通で分裂は異常』 という認識が、恐らく周辺も含めた文化圏で成立したからこそ今の形になっているんじゃないでしょうか。
フランスだと実際にアキテーヌの存在がこの後続く100年戦争の遠因になるわけですが、こういう大領主連合が早い時期に、しかも海をまたいで成立したからこそ、各地に諸侯はいても統一への動きに収斂されて行ったんじゃ無いかなと思います。内部でくっつき合っていたらインパクト弱いですからね。
(あと、何度か強力な君主が登場して中央集権化を進めた事も大きいか)
普通にまったり、のぼぉ~っと過ごしていたら、南・北・西で別の国というか領邦になっていても不思議じゃないですからねえ^^
レス長くてスマンです。
  1. 2006/08/23(水) 19:30:16 |
  2. URL |
  3. ハミルカル #-
  4. [ 編集]

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