打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

欠地王ジョン その2

『故郷の地』 大陸を失ったイングランド王 その2


ジョン(欠地王)
  (1167~1216年_イングランド王)

イングランド王ヘンリー2世とアリエノール・ダキテーヌの末っ子として生まれたジョンですが、どうして4人の兄がいるにも関わらずに王となったのでしょうか? このあたりは、ちょっとジョンも含めた8人の兄弟を見てみましょう。

1153-1156年 ウィリアム    (幼時に死亡)
1155-1183年 ヘンリー     (父の共同統治者1173~1183年)
1156-1189年 マティルダ    (夫:ザクセン公)
1157-1199年 リチャード1世 (アキテーヌ公/後の獅子心王)
1158-1186年 ジョフリー2世 (ブルターニュ公)
1162-1215年 エレアノール (夫:カスティーリャ王)
1165-1199年 ジョーン    (夫:シチリア王&トゥールーズ伯)
1167-1216年 ジョン      (1199年~イングランド王)

多いねw (実は他にも何人か庶子の兄弟がいます)

(末っ子ジョン)
こんな感じで、成人した3人の兄の全員が30~40歳そこそこで亡くなっています。でもこれは当時の平均年齢を考えると妥当なところかも知れません。(原因は、兄ヘンリーは赤痢、ジョフリーが馬上槍試合での傷病、リチャードは戦場での矢傷ですね)
この3人の兄たちが健在のときは、それこそジョンの扱いは末っ子そのものでした。なにせあだ名が 『ラックランド=領地の無い奴』 ですから。そこで可哀想と思った父ヘンリー2世は、ジョンのためにいくつかの手立てを講じます。これがこの家のいろんな混乱の元となってしまうのですが・・・

①サヴォワ伯の娘との婚約話
この婚約の引き出物にと、父ヘンリー王は息子ヘンリーにアンジュー家累代のシノン城などの引渡しを命じたのですが、コレが原因で父と息子たちの間で内紛になってしまいます。家庭内と言ってもイングランドとフランス西半分を勢力下に置く家ですからフランス西部、特にブルターニュとノルマンディは大混乱となってしまいます。

②アイルランド相続
ヘンリー2世は旗下の騎士含め300騎をジョンに与え、いまだアンジュー王家の支配が行き届かないアイルランドへ王権設定を行うように命じます。ところがジョンの部隊は数ヶ月であっさり撤退し、イングランドの諸侯たちの冷笑を浴びる事になってしまいます。

③アキテーヌ相続
1183年、長子で共同統治者だった兄ヘンリーが亡くなり、リチャードがイングランドの王位継承者となります。ここで父ヘンリー2世はジョンにアキテーヌを相続させるようにリチャードに命じます。長年かかってアキテーヌ公領を平定してきたリチャードにその条件が呑めるはずも無く、またしても内紛となってしまいます。この争いは最終的にリチャードがフランス王フィリップ2世に臣従の誓い(オマージュ)を立てると言うドラスティックな展開によってリチャード優勢に傾き、ヘンリー王はシノンの手前で捕らえられてしまいます。『内通の加担者を教えてくれ』 和睦の条件にただその1点を挙げたヘンリー2世がリストのトップに見たのは、なんと末子ジョンの名前でした。『一体誰のために始めた争いだったのか・・・』 これにショックを受けたヘンリー2世はまもなく亡くなり、リチャードがイングランド王に立ちます。


(十字軍前後のどさくさに・・・)
1190~1192年、史上有名な第3回十字軍に兄リチャード、今はイングランドの獅子心王リチャード1世が参加すると、ジョンは諸侯と画策して代官のウィリアム・ロンシャンと対立します。更に帰国の途上でリチャードがオーストリアのレオポルド5世に捕らえられると、ジョンはその混乱の最中にイングランド王位の奪取を図ったと言われますが結局は失敗し、兄に帰順しますが、一切の所領は没収されてしまいました。なんだかなぁ~と言うか、この人このまま人物伝で書いていて良いのかと思う程に、ここまでのジョン君は情けない行動の連続です。。。


(有能な家臣として)
こうして、いち家臣としての立場に落ちたジョンですが、その後は一転して兄リチャードを助ける武勇を見せます。当時フランスは、後に中世ヨーロッパ屈指の名君とも言われ、『尊厳者』=ローマ初代皇帝アウグストゥスになぞらえられた程の賢者フィリップ2世の時代となっていました。当然ながらこのフィリップ2世の目には、フランス全土の上級君主としてアンジュー家の大陸領地が映っていた事でしょう。この政略謀略から軍事まで長けたフィリップの手から大陸領地を守るのに貢献したのが、なんとジョンだったのは驚くべき変身としか見えません。1195年以降、リチャードの不在を見計らってフランス北部に兵を入れたフィリップをジョンは迎え撃ち、見事にノルマンディを守り抜きます。この功績で親族として所領の返還を受けたジョンは、更にリチャードに協力してフィリップの数度の攻撃を跳ね返し、ある時は逆にパリのすぐ近くにあるフランス王領ボーヴェまで侵入してフィリップに損害を与えると言う武勲を立てる事もありました。更に
更にその後もノルマンディに進入したフィリップを撤退させています。なにしろ相手が相手ですから、この時期のジョンは確かに特筆される奮闘を見せたと言っていいでしょう。


(王位)
1199年、アキテーヌ領内リモージュ近郊の領主を攻撃に出たリチャードは、そのときに受けた矢傷が元であっさり亡くなってしまいます。それ以前の活躍で兄の信頼を取り戻していたジョンは、リチャードの遺言によりイングランドの王位を継ぎます。
しかしこれも簡単に即位できたわけではありません。リチャードは生前に弟でブルターニュ公ジョフリーの遺児アーサーを王位継承者に設定していましたから、まだ少年のこの子を担いだブルターニュ諸侯・更に血縁関係からアーサー支持に動いたフィリップ2世との戦いが待っていまし た。ところがジョンはこの危機も鮮やかに切り抜けます。まずフランドル伯・ブーローニュ伯といった北部の有力諸侯と同盟してフランス王を背後から脅かし、更に南部アキテーヌからはリチャード獅子心王が鍛えた精鋭傭兵隊を駆使して相手の本拠地ブルターニュを衝きます。この両面作戦で最終的にアーサーは帰順し、フィリップも侵入の理由を失って撤退します。
※ジョンがこの地にこだわったのには明確な理由があります。ブルターニュの東にはシノン・トゥール・アンジェといったロワール川沿いのアンジュー家にとっては故郷とも根拠地とも云える最重要地が接しています。そしてこの地方は東のパリ・西のブルターニュ・南のアキテーヌ・北のノルマンディと、フランス主要地の十字路に当たる地点で、戦略上も非常に重要だったともいえますねえ。(下に現在のこの地方の地図を貼っておきますのでよければ参照に。)
イングランドと北フランス
北フランスとイングランドの地図(240KBあります)

こうして『領地の無い奴』と言われたジョンはいつの間にか、イングランドとフランス西部にまたがるアンジュー帝国の当主となっていたのでした。

(やっぱり欠地王)
ところが、ここからまたジョンの情けない話が始まってしまうのはなんでだろ? 
イングの人には複雑な、フランスの人にはおっしゃ!な展開が始まります・・・
ここから更に書こうと思いましたが長すぎるので続きは次回に。

おしまい。

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