打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

ハンガリーの黄金時代

東欧の英主


古代から書き始めた人物シリーズ、ようやく中世末期~大航海時代の人物へ着手できそうなところまで来ました。ここ数回は割りとメジャーな人物を取り上げることが多かったのですがこれから数回は 『それ誰だっけ?』 っていうくらいの所まで若干知名度引き下げて書いていこうと思います。
ところで、この人物伝シリーズ立ち上げた本来の目的は、大航海時代Onlineにクエストで登場している・またはこれから登場しそうな少々マニアックな人物やNPC関係者を追って見ようと思っていたのですが、どうも脱線して行ってるようです。今回も内陸の人だから登場しないかも・・・ですが、取りあえず今まで書いていない地方の人ですのでやってみます。


マーチャーシュ・コルヴィヌス (1441~1490、1458~1490年ハンガリー王)

1458年、わずか17~18歳のマーチャーシュはハンガリー王に選出されます。
この時期、世界は激動の中にあり、わずか5年前には東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルがオスマンの包囲攻撃を受けて陥落、東ローマが滅亡してしまいます。これによって後にオスマンの攻勢を直接受ける形となってしまったのが大陸ではハンガリー方面でした。更に西ではハプスブルク家のフリードリッヒ3世が次第に領地をあちこち獲得して行き始めたり、フランスは百年戦争に勝利し、南のイタリアではルネッサンスの息吹が、イベリアではエンリケ航海王子によるアフリカ大西洋岸の開発が真っ最中・・・。マーチャーシュはそんな激動の時代の(ちょうど中世と近世の転換期ですからねぇ)辺境の王として立ったのでした。

このように当時のハンガリーは危機的状況、特に東のオスマンの脅威はじわじわと領土を割譲される絶望的状況で、せっかく国内に金銀銅の各大規模鉱山が発見されて光が見えていただけにかえって各国の標的となってしまっていた感がありました。
摂政フニャディ・ヤーノシュによって一身に支えられていたこの頃のハンガリーは、この危機的状況で若い息子マーチャーシュ・ヤーノシュを王に据えます。果たして王となったマーチャーシュは覇気と知性のバランスが取れた英邁な国王で、絶望的状況のハンガリーをヨーロッパ諸国にその名を知られる大国へと育て上げます。
王となったマーチャーシュはまず割拠していた国内諸侯の力を弱めると同時に巧みに取り込み、小領主と国王との関係をも強化・更に民間人も積極的に登用して国内の活力を高めることに成功します。財政的には直接税の導入と鉱山開発で安定的な収入が見込めるようになったマーチャーシュは軍の強化にも着手します。外人傭兵部隊を主力に編成されて暗黒軍と各国に恐れられた常備軍を創設し、1470年には貴族その他で構成された身分会の承認なしでも重要事項の決定が可能となるほどの絶対王権を完成させます。またさかのぼって1463年には敵対していたフリードリッヒ3世にもハンガリー王の権威を正式に認めさせます。

マーチャーシュを単なる軍事的英雄と見ていたのでは恐らく近視眼的な評価となってしまうでしょう。彼は文芸の保護と振興にも力を注ぎ、図書館には所蔵する書籍2000巻以上を進呈し、ハンガリー最初の印刷物と言われる『ハンガリー年代記』も納められていたといいます。またナポリ王の娘を后に迎えた関係でイタリアから流入した文人を保護したルネッサンス君主としても知られ、王宮にはヴェロッキオの彫刻やボティチェリのフレスコ画に彩られていたと言います。またコルヴィヌスという名称自体、古代ローマのヴァレリウス・コルウィヌスを系図上の先祖として付けたものですので、その傾斜振りが伺えます。

内政・外交・軍事・文化と同時にあっちこっち頑張っているマーチャーシュは即位当時から軍事的成功を収めます。まずハンガリー北部を平定し、1463年にはボスニア方面をトルコ人から奪回、1465年から教皇の要請を受けて出兵したボヘミア地方では、当時最強クラスの武力を誇ったフス派の残存勢力などを撃破して、だいたい1470年代前半までにはモラヴィア・シレジア・ラウジッツと主要地を領有し、ボヘミア王を自称します。更に強敵ハプスブルク家に宣戦布告、次第にオーストリアの支配権を勝ち取って行き、1479年にはオロモウツの和約で実質的なオーストリア大公に、更に1485年にはウィーンすら占領してしまいます。

こうしてハンガリーの最大版図を築き、東ヨーロッパで確固たる地位を占めて諸国に名声を轟かせたハンガリー王マーチャーシュはもう、神聖ローマ皇帝位すらうかがえるかも!というところまで来ていました。実際、ハプスブルク対抗で彼に帝位をと言う可能性はあったと思いますが、残念ながらマーチャーシュは1490年、惜しくも50歳で亡くなってしまいます。



マーチャーシュ王の死後、オスマンの攻勢にさらされ続けたハンガリーは1526年のモハーチの戦いで国王ラヨシュ1世が戦死、更に1541年にブダが陥落してしまい、これ以降は東をオスマンに、西の一部をオーストリアのハプスブルク家に分割されてしまいます。勇敢なるマジャール人の独立は1867年のオーストリア=ハンガリーという2重君主帝国の成立、更に第二次大戦後のハンガリー人民共和国の成立まで待たなければなりませんでした。

ポーランドなどもそうですが、陸続きの平野部で東西を大国に挟まれた地方では、いったん大国が出現してもパワーバランスの変化であっという間に消滅してしまうことがままあります。地政学的には面白いんでしょうけど、住んでいる人はたまったものではありません・・・。ハンガリーもヨーロッパとイスラム世界の境界に当たる微妙すぎる地方、もっと言うと東方の騎馬民族の影響すら受ける地帯のため、古代からたびたび歴史の波に揺らされ続けたのではないでしょうか。
ちなみに現代のハンガリー紙幣にもマーチャーシュの肖像が印刷される程、彼はハンガリーの栄光の時代の象徴として永く国民の尊敬を受けてきたのでした。


おしまい。

FC2ランキング02
(↑イッパツ押してってくださいな~)
  1. 2006/10/22(日) 10:53:35|
  2. 大航海な人物伝
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<N鯖 難民高等弁務官事務所 | ホーム | レパント第1日目>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://hamilcar.blog64.fc2.com/tb.php/179-1a8f09c7
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

このブログはリンクフリーです。

ハミルカル・バルカ/メルカルト

Author:ハミルカル・バルカ/メルカルト
サーバー:Eos
所属  :イスパ
商会  :たまごのしろ/世界の船窓から
Twitter :hamilcar_notos

FC2カウンター

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
オンラインゲーム
372位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
大航海時代オンライン
13位
アクセスランキングを見る>>

最近の記事

カテゴリー

最近のコメント

月別アーカイブ

リンク

このブログをリンクに追加する

最近のトラックバック

ブログ内検索

RSSフィード

RSSリンクの表示

著作権について

大航海時代 Online』に関わる著作権、その他一切の知的財産権は、 株式会社コーエーテクモゲームスに帰属します。 このホームページに掲載している『大航海時代 Online』の画像は、 『大航海時代 Online』公式サイトにおいて使用許諾が明示されているもの、もしくは『大航海時代 Online』の有効なアカウントを所有しているユーザーが株式会社コーエーテクモゲームスから使用許諾を受けたものです。