打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

蒼き狼の末裔たち その6

その頃のヨーロッパは・・・

モンゴルがバトゥを総司令官として征西軍を起こした1230~1240年代、今回は攻撃を受ける立場になった当時のヨーロッパ世界がどんな情勢だったかをさらっと見てみます。
それにしてもモンゴルを記述する場合の厄介な所は、スケール大きく世界を跨いだ動きをしているために地域的な話を書いてると全体を見失う恐れがある点で、中央アジアの情勢ばっかり書いてるとバランス取れないのですね。特に全集のようなシリーズ物の歴史資料なんかだと地域ベースで書くことが多いので、東アジア・中央アジア・中近東・ヨーロッパ全てに関わるモンゴルのような国はそれぞれ断片的なまとめ方になりがちになってしまいます。
と言うことで、次回からいよいよヨーロッパに攻め込むモンゴルを書く前に、バトゥが進入した1240年を目印にして一応ヨーロッパ各国の情勢を列記してみますね。では西から東へさらっとどうぞ。

①イベリア半島
まず南東部のカタルーニャ方面ではバルセロナ伯とアラゴン王国が12世紀末に連合して西へ勢力を伸ばし、この時代にバイアレス諸島やバレンシアなどをイスラム勢力から奪回します。
そして中央部もイスラム系のムワッヒド朝に対抗してレコンキスタが起こっている最中で、再統一したカスティーリャ王国、北部にはナヴァール王国、そして西にポルトガル、南西部は未だにイスラムのグラナダ王国ががんばっているなどまだまだ分裂状態。アラゴンはその後シチリアを領有するなど事件や婚姻絡みの連合などで王権が結構ふらふらしますが、枠組み自体は大航海時代の直前までほぼ大きな変動無く続きます。

②フランス
1240年当時のフランスは聖王ルイ9世の時代。(DOL的には鎧もらえるあの人です)
12歳で王権を引き継いだためか諸侯の分裂が激しかったものの、1235年までにはブーローニュ・シャンパーニュなど反対勢力をほぼ鎮圧します。残る国内勢力は未だに大陸領地を持つイングランドのヘンリー3世との関係ですが、たびたび起こる抗争を鎮圧する事で最終的に条約を結ぶ所までもって行きます。理想の君主とされるルイですが、国内外の問題をほぼ解決した後は1248・1270年と2回に渡る十字軍を行うもののこれは失敗に。フランス全体としてはまだまだカペー家の王権が届いていない事もあり、十字軍のような特別な場合を除き直接動員できる兵力も限られていました。

③イングランド
ヘンリー3世の時代。伯父の獅子心王リチャード、父ジョン欠地王と続いたフランスとの抗争を引き継いで度々フランス西部へ侵攻しますが失敗が続き、最終的にノルマンディやアンジューと言った一族の出身地を放棄する代わりにガスコーニュ地方を臣下として領有するという外交決着になってしまいます。その後国内諸侯との問題や他国の王位継承問題などに首を突っ込んだりなどで財政面や諸侯との関係を悪化させたりと、ちょっとこの頃のイングランドは混迷の時代と言うべきでしょうか。

④ドイツ・イタリア
1240年当時の神聖ローマ帝国の皇帝はホーエンシュタウフェン家のフリードリッヒ2世。
フリードリッヒの母はシチリア王国の王女コンスタンスで、彼自身も跡を継いでわずか3歳でシチリア王となり、そこで成長し、後に神聖ローマ皇帝となります。また、幼くして王位についた彼の後見人になっていたのは歴代教皇中でも傑物に数えられるイノケンティウス3世で、この両人については別のところでまた登場してきます。
一方、この頃の神聖ローマ帝国はイタリア政策とドイツの国内の両方に問題を抱え、更に皇帝と教皇の争いも絡んで統制力が落ちていました。ドイツ国内では前世紀から諸侯の権力伸張が強く、特にザクセンやバイエルンを領有していたヴェルフ家は王権にまで介入するようになっていました。そして厄介なことに更にここにイングランドやフランス王まで介入してくるようになります。ヴェルフ家はイングランドと、フリードリッヒのホーエンシュタウフェン家はフランスの支持を取り付けるなど抗争は激化していて、1215年にはヴェルフ家を破ってその力を衰えさせることには成功するのですが、結局フリードリッヒの代ではドイツ国内の問題は諸侯に大きく譲歩してイタリアに専念したため、その後もドイツでは英仏のような強い王権が育ちにくい状況でした。

⑤ポーランド
1240年当時のポーランド王家は少し前の代で分割相続していたため分立状態で、一応王位はローマ教皇の支持を得ていたヘンリク2世が就いていました。モンゴルが進入したときもこんな情勢でしたからまともに全軍を集める事も対応する事も出来ませんでしたが、本来ポーランドはまとまりさえすれば東ヨーロッパでもかなりの大国となる素地はあり、実際14世紀以降にはリトアニアと連合した事もあってヨーロッパ最大規模の強国となっています。

⑥ドイツ騎士団領
ポーランドの北部、ケーニヒスベルクなどを中心に認められた騎士団領です。
この中ではまだ小さい勢力ですが戦役の当事者としてあげました。
もともと十字軍に参加したドイツ人たちの受け入れと言うか互助会的に成立し、その後トランシルヴァニア方面の防衛などに当たっていましたが追放され、更にポーランドに招かれてようやく定着します。その後、1226年には領有と法的なお墨付きを与えられた事もあってプロイセンの地へ進出して行き、農民の入植も奨励されて次第に侮れない勢力となっていきます。
また、1237年にはリガのリヴォニア騎士団も吸収合併してラトビア・リトアニア方面へも勢力を伸ばしていました。ところで、12世紀末にドイツ騎士団を公認したのはローマ教皇イノケンティウス3世であり、領有を認める勅書を出したのが神聖ローマ皇帝のフリードリヒ2世と、ドイツの項で前出した2人だったのですね。

⑦ハンガリー
1240年当時のハンガリー王はベーラ4世。
かなり優れた資質を持った人物として若い時から嘱望されていたと言います。
ですが即位して5年でモンゴルの襲来を受けたのはちょっと気の毒と言うしかない。。。
あんまりイメージ無いかもですが、マジャール人の国ハンガリーはヨーロッパ最強クラスの騎兵の国です。東の草原地帯にいた遊牧民が移動してきてここに定着したのがルーツですから、子供の頃から馬には接していたのでしょう。ほぼ上流階級しか馬に乗る訓練をする機会の無かった西ヨーロッパ諸国の騎兵とは層の厚さも質も違うのは当然です。外敵に備えて諸豪族の統合さえできればヨーロッパで唯一モンゴルに対抗しうる存在だったのはここハンガリーだったでしょう。実際、モンゴルの名将スブタイも総司令官バトゥも最大の敵はハンガリーと見ていて、主力をここに振り向けています。

⑧東ローマ帝国
実は忘れていた事なのですが、この時代の東ローマは激変期にありました。
前出の教皇イノケンティウス3世の時代に起きた1204年の第4回十字軍はなぜか横に曲がってコンスタンティノープルを攻略してラテン帝国が成立し、首都を奪われた東ローマ帝国は小アジアに逃れ、ニカイア帝国を建てています。東ローマがコンスタンティノープルを奪還するのは1260年代になってからのことですから、1240年当時はトルコの地方政権として耐えているといった状況でしょうか。幸い隣接するセルジューク朝が滅亡間近と言うくらいに弱体化していて、しかもまだモンゴルもここまで来てなかったから安全だっただけなのかも知れませんが・・。
※この辺の状況を前2回の地図ではすっかり抜け落ちてますので、次回以降に修正します。


ざっと思いつくままに書いたのでちょっと違うかもですが、これを踏まえて次回からはヨーロッパに侵入したモンゴルの動きを追ってみます。それにしてもこのシリーズ、どう考えても大航海ブログとしてはマニアックすぎますね、やっとDOL世界でも近い地域が対象となってきますので多少はイメージ涌いてくるでしょうか^^

おしまい。

FC2ランキング02
 ←応援クリックお願いです~
  1. 2007/07/21(土) 06:22:50|
  2. 蒼き狼の末裔たち
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
<<蒼き狼の末裔たち その7 | ホーム | 蒼き狼の末裔たち その5>>

コメント

大航海時代の400年ほど前の世界とはいえ、この時代の方が結構ゲームにも出ているんですね。
欧州に迫る狼たち、その時の欧州勢力はどのような状況だったのか興味ありましたので勉強になりまっす!
興味深かったのが、マジャール人のハンガリーを、モンゴルが脅威としていたと言う記述です。たしか彼らマジャール人はアジア系とか昔聞いた記憶が。

蒼き狼や大学受験世界史でしかモンゴルを把握してないので、微に入り細にうがった記述に感嘆いたしております。
どうぞ、扱いにくかろう対象と思いますが、頑張ってください。
  1. 2007/07/21(土) 13:52:41 |
  2. URL |
  3. 文山 #-
  4. [ 編集]

文山さん>>
初めましてですね、どうぞ宜しくです。
今回ヨーロッパについて書いたのは、この後に繋げる為には周辺情勢も記述しておかないと、ちょっと話が見えないかなぁと思ったからなんです。(更に後の伏線にも使えたらとも考えてたりw)

マジャール人=アジア系の話については、現代でもハンガリーの新生児に蒙古斑が出やすい事、国名に『HUN』つまりフン族の名が使われていることもその説の裏付けとしているらしいですが、現在ではちょっと否定的らしいような・・・。まあ、個人的にはユーラシア大陸の草原の民の間で多少の血のつながりがあって遺伝的な影響が出ている位には考えてもいいかと思っています。
  1. 2007/07/23(月) 18:56:28 |
  2. URL |
  3. ハミルカル #-
  4. [ 編集]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://hamilcar.blog64.fc2.com/tb.php/397-a6f22792
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

このブログはリンクフリーです。

ハミルカル・バルカ/メルカルト

Author:ハミルカル・バルカ/メルカルト
サーバー:Eos
所属  :イスパ
商会  :たまごのしろ/世界の船窓から
Twitter :hamilcar_notos

FC2カウンター

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
オンラインゲーム
303位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
大航海時代オンライン
11位
アクセスランキングを見る>>

最近の記事

カテゴリー

最近のコメント

月別アーカイブ

リンク

このブログをリンクに追加する

最近のトラックバック

ブログ内検索

RSSフィード

RSSリンクの表示

著作権について

大航海時代 Online』に関わる著作権、その他一切の知的財産権は、 株式会社コーエーテクモゲームスに帰属します。 このホームページに掲載している『大航海時代 Online』の画像は、 『大航海時代 Online』公式サイトにおいて使用許諾が明示されているもの、もしくは『大航海時代 Online』の有効なアカウントを所有しているユーザーが株式会社コーエーテクモゲームスから使用許諾を受けたものです。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。