打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

蒼き狼の末裔たち その8

ヨーロッパ編-2

当初思っていた以上に長編となりつつあるこのシリーズもいよいよ佳境という感じで、
今回はロシアを制圧してヨーロッパ世界に侵入しようとするモンゴル軍の動きを追います。
1240年にキエフを攻略したモンゴル軍はそのまま真西に向かい、現代で言うとウクライナ西部の町リボフ・そしてポーランド領に入ってすぐの町プシェミシルなどを落とし、このプシェミシルを冬営地とします。もうこの地点は完全にヨーロッパ世界であり、ここまで派手に略奪と破壊をしてきたモンゴルの脅威は逃げてきた住民伝えでポーランドやハンガリーには伝わっていたはずなのですが・・・。

明けて1241年、
モンゴルの総司令官バトゥは約12~13万程度まで膨れ上がっていた全軍を4~5個に分けてヨーロッパ東部を北~南まで一気に攻め掛かります。(下図参照)
恐らくこれは名将スブタイの練り上げた策だったと見られるのですが、
こんな南北1000km近くにも渡る広範囲な面まで一気に戦線を広げて侵入したスケールの大きな戦略は、これはもう近代における機甲部隊を駆使した電撃戦を思わせるものがあります。
余談かも知れませんが、後世ヨーロッパで戦車軍団の指揮で知られたロンメルとパットンの両将軍が、揃ってスブタイの戦略・戦術に傾倒していた、と言うのは偶然ではない気がします。

バトゥ_ヨーロッパ02
(1240~41年春のモンゴル軍の侵攻図)

さてその陣容はと言うと、、、

【右翼軍】
チャガタイの子バイダルとバトゥの兄オルダが2万強を率いて一番北部のポーランドに侵入。
この部隊の目的は、ポーランドやリトアニアを攻めることで南にある強敵ハンガリーに侵攻する本隊がポーランド方面から挟撃されるのを前もって防ぐ事にあったとも見られています。

【中央軍】
目的地は強敵ハンガリー、ヨーロッパで最も馬産に適した草原地だったのも理由でしょうか。
バトゥ自身が率いる本隊4万が中央を、
スブタイが率いる別働隊約3万が南側を、
そして後詰めの約1万をバトゥの弟シェイバンが率いて北側を進みます。
この中央の軍は冬営地から南に進んでポーランドとハンガリーの間に横たわるカルパティア山脈を越えて進入し、ドナウ川を始め多くの河川が横たわるハンガリーの攻略に掛かります。そして先鋒を率いていたモンゴルの宿将スブタイは更に先行して国境付近の防衛拠点を落としつつハンガリーの平野部へ接近します。

【駐留部隊】
残りの約3万の兵力は征服したロシア各地の押さえに置いてます。
※またしても長くなってしまったので分割して、今回はポーランド戦線をみてみます。

(ポーランド侵攻)
1241年の春、ほとんど無警戒なポーランドに侵入したバイダル率いる右翼軍は、すぐ近くにあった当時のポーランドの首都クラクフを攻略し、更に西へとポーランド領内を荒らしまわります。ここで流石にヨーロッパ側も援軍が編成され、情報を掴んだバイダルはこれを捕捉します。
そして1241年の4月、とにもかくにも初めてまとまった戦力を編成したヨーロッパ側と対するモンゴル軍、ポーランドの西部にあるレグニッツァ近郊でこの遠征における初めての大規模な会戦が行われます。
モンゴル軍を迎え撃ったのは、ポーランド諸公国の残存兵・ドイツ騎士団など隣国からの援軍のほか、チュートン騎士団・テンプル騎士団・ホスピタル騎士団などヨーロッパ各地から参集した各騎士団の多少の増援を含めて、大きく5部隊からなるヨーロッパ連合軍でした。
この日、レグニッツァの町の近くにあり、実際に戦場となった村の古名はワールシュタット。

『ワールシュタットの戦い』と後世呼ばれる事になる1241年4月9日のこの会戦、バイダルが率いていたモンゴル軍の騎兵約3万に対して、ヨーロッパ側の連合軍は約4万と、数の上ではやや上回っていたようですが実の所は旧態依然とした騎士・歩兵・傭兵その他の寄せ集めの集団でした。結果から言うと、ヨーロッパの連合軍は主力となる重装騎兵こそ装備の面では互角以上だったかも知れませんが、その他の戦術・指揮系統すべてでバラバラな状態では、統一され・戦術面でも秀でて・尚且つ個々の戦闘力の高いモンゴル騎兵に全く歯が立ちませんでした。
特にこの戦いで見せたモンゴル騎兵が得意とする、
【突撃→後退(のフリ)→釣られて深追いした所を反転・逆襲→伏兵と迂回で包囲殲滅】
この戦術が見事にはまり、ヨーロッパ側は最後に残っていた総司令官の直衛とドイツ騎士団も支えきれずに突破され、連合軍は全軍が瓦解して敗北します。

こうして戦場となったレグニッツァ近郊はヨーロッパ連合軍の死屍累々といったありさまで、
その後モンゴルの将バイダルはバトゥへの戦果の報告のために殺した敵兵の耳をそぎ落として袋詰めにするのですが、なんとこの袋が9つも出来たという・・・。(残酷な表現ですみません)
結局、この日の会戦では、完敗したヨーロッパ連合軍の総司令官だったポーランドのシレジア公ヘンリク2世は戦死して首を取られてしまいます。敵の大将の首を取ったモンゴルはこれを槍先に掲げて回ったと言われますが、こうして後の大国ポーランドはこの時ほぼ無抵抗に近い状態となってしまい、広い国土もモンゴル兵が荒らしまわったために荒廃してしまいます。。
そして地図を見れば分かりますが、戦場となったレグニッツァは現代ではポーランドでも西のドイツの国境に近い地域であり、モンゴル軍がその気ならドイツ領内に侵攻することも充分考えられる情勢となったのでした。

ところで、ヨーロッパ各地の騎士団が少数ながら参加していた為か、後世この戦いはヨーロッパとモンゴルの大決戦だったように派手に喧伝されて書かれるのですが、実際の所はモンゴルにしてみれば全軍の2割程度を率いていた別働隊による局地戦にしか過ぎませんでした。
なにしろこのわずか数日後には、この時の数倍の兵力がぶつかり合っているのですから・・・。


次回はハンガリー方面に向かったバトゥとスブタイ率いるモンゴル軍の本隊を見てみます。
彼らの戦いについては普段あまり記述する事がないのであまり知られていないと思われますが、規模としてはこの当時のヨーロッパではちょっとありえないくらいの大会戦になったのでした。

つづく。

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