打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

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蒼き狼の末裔たち その9

ヨーロッパ編-3

ポーランドに侵攻したモンゴルの別働隊が現地でヨーロッパの連合軍を破った頃、ハンガリー方面に向かった総司令官バトゥの率いる本隊はどうしていたでしょうか。恐らく今回がこのシリーズ全体の山場になると思われますので、私としてもできるだけキッチリ書いていきたいと思います。(例によって長文となりますがお許しを^^);

さて、時間はここで1240年の秋に戻ります。
この年、ロシアを征服後に西に向かったモンゴル軍はポーランド東部の町プシェミシルで冬営し、翌年の初頭には早くも動き出しました。この際全軍を5部隊ほどに分けたバトゥは本隊以下の約8万強を率いて南下し、ハンガリー方面に侵攻します。
(実際にはこの中から更に小さい枝部隊も編成して各方面に回しています)
ところで、ポーランド南部~ハンガリーの北東部、更にルーマニアに掛けては、東ヨーロッパでも屈指の山岳地帯であるカルパティア山脈があってハンガリーの北の防壁となっていて、ロシア方面からここを抜けるにはハンガリー北東部にある峠の隘路地帯があるのみでした。
バトゥはここを北・中央・南の3路に分かれてハンガリーが築いた防衛施設を突破しつつ、
3月上旬には平野部に至ります。

バトゥ_ヨーロッパ03
(1241年4月のヨーロッパ情勢)

一方ハンガリーの国内では、ロシア方面からコマン族などの流民が(ある程度武装して)大量に避難してきていて、国王ベーラ4世は迫り来るモンゴルの脅威と共に国内の対応に苦慮していました。
というのも、配下となる民衆の増加は本来なら喜ぶべきところなのですが、もともと王を支え・ハンガリーを形成してきたマジャール人の豪族たちは王家の力が強まるのを警戒してかベーラ4世とかなりの不和を生じるようになっていたのですね。とは言っても、以前も書きましたが、騎兵の国ハンガリーは諸豪族が一丸となって王の元に参集しさえすればヨーロッパ最強の軍ともなれる戦力を持っていました。

その後バトゥは、『流入したコマン族は征服した土地の民なのだから当方へ引き渡すべし』 と言うような内容の書簡を30人程の使節団に持たせてベーラ4世に送ります。ところがこの使節はほぼ全員が捕まり、殺害されてしまうと言う最悪の結果に終わってしまったのでした。
もともとモンゴル人は外国からの使節や宗教者はある程度丁重に扱う所があり、
それだけに自国の使節が非道な扱いを受けた場合には激怒するのかも知れませんね。
チンギス・ハーンがホラズムに送った隊商が殺害された時の対応を見る思いがします。
こうして、最終的にハンガリーを討つ決意を固めたバトゥはスブタイ以下の諸将を展開させ、
ハンガリー南東部の平野からドナウ川の湾曲部分にあるハンガリーの首都ペストの更に北にある町の辺りまで、数部隊に分かれて大きく軍を進めます。なにしろ一番南へはトランシルヴァニア方面まで回ってきているのですからかなりスケールのでかい機動作戦ですね。

その後、恐らく激しい情報戦が飛び交ったと思われるのですが、ペスト市の近郊まで来て以後3月中に掛けてバトゥはなぜか軍の動きを止めます。その間にハンガリー王ベーラ4世はとにかくも諸豪族を説得して参集させることには成功したのでした。その数なんと10~12万。
13世紀に1カ国で編成できる数としては驚くべき大軍と言うべきで、しかもハンガリーの精強な騎兵が主体なのですから、防衛側としては多少ごたごたして統制が掛ける所があっても勝負になると見たでしょう。

そして4月に入り、バトゥは展開した各部隊を再集結させる中でなぜか東へと軍を後退させます。
当然ながらこれを好機と見たベーラ4世はほぼ全軍を率いて出撃し、
ハンガリー中央部のモヒー平原に掛かるサヨ川の河畔で遂にバトゥの本隊を捕捉します。
この時バトゥはまだスブタイと合流できておらず、
戦力的にはハンガリー軍10万に対しバトゥ軍4~5万と圧倒的に不利な状況に陥っていました。
ですがこれは、実はバトゥによる誘い出しの戦略だったと見られています。
いくらモンゴル騎兵が勇猛でも相手が相手ですから、
バトゥとしても相手を本拠地から引きずり出す必要があると考えたのかも知れませんね。

(サヨ川の決戦)
そして1241年の4月10日、
ポーランド方面で行われたワールシュタットの戦いの情報がバトゥの元にもたらされます。
(ただこれ、記録としてはそうなってますが、いくらモンゴル騎兵が恐ろしく速いとは言っても、
実際にたった1日強でポーランドからハンガリーまで来れるのかちょっと疑問ではあります)
その夜、早くもバトゥは動き出し、サヨ川をはさんで対岸に陣取っていたハンガリー軍へ向けて川を渡ろうと進軍します。ところが適当な浅瀬が見つからなかった為か、川を渡るには小さい橋を通ることしか出来ず、ここでハンガリー軍の頑強な抵抗を受けて立ち往生します。
このまま消耗戦になっては数で劣勢なモンゴル側が先に疲弊してしまう展開なのですが、
ここでモンゴル軍は秘蔵の新兵器を持ち出します。
『雷鳴のような轟きと炎のごとき煌きをもって』
この時モンゴル軍が使ったと思われるのは、恐らく中国から導入した新兵器、火薬を使った大砲というかカタパルトのような砲弾を打ち出せる長距離兵器を野戦にも使えるようにした物でした。
この兵器の開発には金国の遠征で連れ帰ったりイスラム教圏で獲得した技術者が携わっていたと見られますが、これが攻城戦の発達したヨーロッパでも大きな威力を発揮します。
(ちょっと手書きでこの戦いの記述の部分を図にしてみました)

サヨ川の戦い02_400

長距離砲の威力もあって、なんとか数で勝るハンガリー軍の攻撃をしのいで一旦後退させたバトゥはこの機に自軍4万を渡河する事に成功します。ですがハンガリー軍は10万と倍以上なのですからまだ一気に攻勢を掛けるまでは行かず、川を背にするのを避けて西へ動きつつなんとかハンガリー騎兵の突撃を耐えることでスブタイの援軍を待ちます。
そして数時間後、流石に疲れたハンガリー軍が休息のために一時的に攻勢が衰えると、
バトゥはその機に乗じて自軍の隊形を薄く伸ばして更に西に動かし、
川に沿って薄い半円形の陣形に展開させます。
そしてこの時、遂にスブタイの率いる別働隊3万が戦場に到着したのでした。


いいところなんですが、長すぎるので続きは次回に。


つづく。

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