打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

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蒼き狼の末裔たち その10

ヨーロッパ編-4  そして・・・。

10万のハンガリー軍に対してわずか4~5万のバトゥ軍が死闘を繰り広げる中、
ようやく援軍を率いて到着したスブタイですが、さすがに戦場の見極めには長けていました。
彼はここで指揮下の騎兵3万をバトゥとは反対の東に回し、同じく半円形に軍を展開させます。
こうして、優勢なはずのハンガリー軍10万が気付いたときには既にモンゴル軍による包囲網は完成し、戦場は一方的な包囲殲滅戦に移行していたのでした。

サヨ川の戦い02_400

退路を絶たれたハンガリー軍が次々と倒れる中、ハンガリー王ベーラ4世はここで残る直衛の騎兵を突撃させてなんとか一部を突破させて脱出に成功するのですが、残されたハンガリー兵たちの運命は既に絶たれていました。こうして翌朝、モヒー平原はハンガリー兵の死体で埋まり、更に包囲網を突破したハンガリー兵も速度で勝るモンゴルの軽装騎兵に追われて次々と弓矢の餌食となります。資料の記述では『まるで石切り場の石のごとく』とあるように、ペストの町まで続く街道沿いには戦死したハンガリー兵が連なるように倒れていたと言います。
結局この戦いでハンガリー軍は6万人以上もの戦死者を出して壊滅・四散し、国王ベーラ4世は逃げに逃げて、アドリア海の小島に隠れたともオーストリアの修道院に逃れてそこで同じく敗北したポーランドの大公と顔を合わせたとも伝えられています。その後、ブダ・ペスト両市も落城し、ハンガリーはモンゴルの手に落ちたのでした。

バトゥ07
(1242年のモンゴルの勢力範囲)

こうしてわずか2日かそこらで東ヨーロッパの2大国はモンゴルの前に敗れ去ります。
ここから先の西ヨーロッパ各国は全く準備などしていない状態で、しかも季節はまだ春先、
ポーランドに向かった別働隊も10日程でバトゥの本隊に合流したという状況ですから、バトゥがその気なら一気に大西洋まで突き進んで欧州全土を制覇することも充分可能と思われました。

このような情勢ですから、さすがに『彼らはプレスター・ジョンの王国の軍かも・・』なんて一部に楽観的な希望を持っていた西ヨーロッパの政・教の各指導者たちの思いは、敗北を伝えた各騎士団の帰還者やハンガリー・ポーランド両国の残党の報告によって木っ端微塵に打ち砕かれることになります。
結局バトゥは1241年の冬まではそれ以上に大きく軍を動かすことはぜず、もっぱら兵の休息と訓練、そしてこの先の各地方へ斥候を兼ねた小部隊を送って情報収集を行い、更にポーランド・ハンガリー・更にトランシルヴァニアやワラキア地方など制圧した国々の押さえに努めます。
送り出した先遣隊はというと、イタリア方面はヴェネツィアの東100kmほどの地点からアドリア海の沿岸まで、オーストリア方面はウィーンの手前まで到達したのが目撃されており、これらの隣接地域は完全に次の標的になると見られていたのでした。ところでこの期間中、王家の中でも有力な後継者と見られていたグユクやモンケをはじめ数人の王子が帰国してしまいます。バトゥとグユクの不和はこの頃既に深刻な状況となっていたとも思われ、これが後に意外な展開を見せることになるのでした。

さてこんな状況の中、当然ながら西ヨーロッパは大混乱に陥ります。
当時のローマ教皇グレゴリウス9世は十字軍を宣言し、皇帝フリードリヒ2世はヨーロッパの各王室へ手紙を出してこの危機への団結を訴え、各国の防衛の準備と迎撃のための兵の集結を促したのでした。しかも『対モンゴル戦には自らが全軍を率いて立つ』と宣言してまで、です。
ヨーロッパの主要都市では防衛施設の整備や兵器の生産・食糧の備蓄が始まり、
各諸侯国は兵の参集を図ったのですが・・・
その後、各地からフリードリヒ2世の元に届いた報告は彼だけでなく関わった者全てを落胆どころか絶望へと追いやります。なにしろ各国の防備・戦力を見積もった結果、西ヨーロッパ全土が防備を整えても恐らくモンゴルには歯が立たないことがほぼ明らかになったのですから・・・。
そして冬になりドナウ川の川岸の一部が凍結した事を好機と見たモンゴルの一部の部隊はウィーンへと進軍を開始します。この時のオーストリア大公はハンガリー王が救援を求めたにも関わらず逆に領地や財産の一部を奪っていったような人物だったらしく、当然と言うかなんと言うか、自身が救援を仰いだ時にはヨーロッパ中どこからも援軍など現れなかったのでした。ノイシュタットなどウィーン南東から南西部に掛けての田園地帯がまず荒らされ、翌1242年の春にはモンゴルの先鋒がウィーンの郊外に到達し、ほとんどまとまった戦力による抵抗も受ける気配も無いままに東に続いて中央ヨーロッパの征服が始まろうとしていました。

(事件)
ヨーロッパが恐怖に震えている頃、モンゴル本国では大騒ぎになっていました。
もともと大酒飲みで美食家な大ハーン・オゴデイが不摂生な生活の末、遂に亡くなったのです。明けて1242年の5月頃には、知らせは遠征中のバトゥらの将帥にも届き、オゴデイが後継者を公言していなかったこともあって、大クリルタイを開くべくモンゴル軍は撤退を始めます。
もはや世界最大の勢力となっていたモンゴル帝国からすれば、一地方に過ぎないヨーロッパの事など後継者争いを前にしてはどうでもいいに近い瑣末な案件だったのかも知れません。

(その後)
こうしてヨーロッパの危機は一時去ります。
撤収といってもめちゃくちゃ荒らしまわるわけで、住民にとってはたまったものではありませんでした。帰りはアドリア海沿いに並ぶ国々から黒海の北岸を通り、カフカス地方を横切ってカスピ海まで達した所でバトゥは一旦そこに留まります。
と言うのも、バトゥより先に本国に帰ってしまっていたグユク達らによってこの時既にモンゴル王家の後継者争いは激しさを増していて、後継候補であるオゴデイの子グユクとトゥルイの子モンケの2人のどちらを支持するかで親族・部将たちの間も真っ二つに割れていた為、バトゥとしても事態を見極めて対応する必要が有ったのでしょうね。
何しろ、チンギス・ハーンの兄弟の世代も子供の世代も既に亡くなっていて、時代はチンギスの孫の世代に移っており、この時点でチンギスの長男ジュチ家の中でも年長者であるバトゥはチンギス・ハーンの一族全体の最長老格になっていたのです。
しかも今回の遠征軍の総司令官として大成功を収めたバトゥの勢威はもう並ぶ者の無い第一人者としての地位を確固としていました。このバトゥ自身はモンケを支持していたのですが、数年後に開催されたクリルタイではバトゥと対立するグユクがバトゥ不在のまま大ハーンに選ばれ、更にそのグユクも父と同じく不摂生な生活の末に亡くなり最終的にモンケが大ハーンに就きます。
この間バトゥは放棄したハンガリー以東の征服地域を固めに入っていて、これが後のキプチャク・ハン国(ジュチ・ウルス)の広大な領地として定着することになります。バトゥが首都に選んだカスピ海北西部の町サライは東西世界の中継点として様々な人物がここを通過してゆくこととなったのでした。

次回はその後の世界とようやく交流が始まった東西を結んだ人物たちの紹介などしつつ、
このシリーズのまとめに入って行きたいと思います。この辺をちゃんと書けばこの間のプレステ・ジョアンのイベント最後の部分の補足にもなり、更には大航海時代そのものに関連のある話にも繋がってくると見ていますが、さてまとまるかどうか・・・。
なんだか知らないうちに打倒ブログ中でも一番長いシリーズになりつつありますが、、
もうちょっと続きます。(無意識に 『続くのぢゃ』 と書こうとして止めたのは秘密ですw)


つづく。

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  1. 2007/08/01(水) 07:18:07|
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コメント

モンゴルの移動力って
ハンパじゃないですよね。

普通に街を歩くだけでもしんどいのに。。。

  1. 2007/08/01(水) 15:01:38 |
  2. URL |
  3. TIDUS #-
  4. [ 編集]

Tさん>>
ヨーロッパ人の感覚では、『自分の常識の5倍以上だった』みたいな記述もあったりします。もともとやたら馬に乗るのが上手くて長距離も苦にしない上に、それぞれ替えの馬も用意して移動するのでそうなるんでしょうが・・・実際のところ馬で1万km以上も一気に移動するのとか考えられませんよねぇ。。
  1. 2007/08/03(金) 07:12:37 |
  2. URL |
  3. ハミルカル #-
  4. [ 編集]

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