打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

蒼き狼の末裔たち 外伝その2

苦境の聖王 その2

1248年8月、フランス王ルイ9世は前線基地となるキプロス島へ向けて出発します。
この中には先にモンゴルへ派遣していたロンジュモーのアンドレも現地の案内と情報提供の為に同行していました。キプロス島の南部にある港町リマソルに到着した聖王ルイが現地で戦略会議を開いている中、ここで驚くべきニュースが舞い込みます。
モンゴルの軍事総督エルジギタイがここにキリスト教徒の使節を送り込み、

『大ハーンはキリスト教の洗礼を受け、私自身もそれに習って洗礼を受けるつもりである、そして既にモンゴルは冬にもバクダッドを攻撃するべく準備に入っているから、もしフランス王がエジプトを攻撃するなら東西からイスラムのカリフとスルタンを同時に攻撃することができる』


『その後、両者を撃破したらイェルサレムで合流して聖地を解放しよう!』

という内容のメッセージを伝えたのでした。

このニュースにルイは飛びつきます。
確かにこれは先にモンゴルの情勢を報告していたプラノ・カルピニやアンドレ、アスケリヌスらの内容を裏付けるものと見られたから信用したのでしょうか、、知力に優れたフランス王も信心深さがその目を曇らせたのか分かりませんが、これを受けて十字軍はキプロスを南下してエジプトへ上陸します。ですがこの時エルジギタイにはイェルサレムを開放するつもりなど全く無かったのは言うまでもありません。精々自分たちがバグダッドのアッバース朝を攻撃する時にエジプトから援軍が来なければいいや、くらいのつもりだったでしょう。

ルイ9世の進路01

さて、エジプトに上陸したルイはナイル川河口の町ダミエッタを攻撃し、
ここを陥落させる事に成功してカイロへの橋頭堡とします。
ダミエッタの位置は地図で見ると分かりますが、DOLで言えばカイロを出港して右へ進路を取ってダマスカスに向かう時の三角州の出口に当たる所にあり、ここを押さえられるとエジプトとしてはカイロが封鎖されるに等しく、ナイルの河口付近ではアレクサンドリアと並ぶ要衝でした。
その為か、ここでエジプト側からルイへ内々に和睦の打診があったといいます。
内容はイェルサレムの返還を含む、かなりルイにとっては有利な条件だったようなのですが、
なぜかルイはスルタンがいるカイロ攻略にこだわってこの時の和睦の打診を断ってしまいます。実際のところ交渉は援軍を呼ぶための時間稼ぎだった可能性もあるのですが、例えば1228~29年の十字軍では皇帝フリードリッヒ2世が交渉によってイェルサレムを10年の停戦期間付きで返還させる事に成功しており、この時も絶好のチャンスだったかも知れないのですねえ。

さて交渉決裂後、ルイの率いる十字軍はカイロに向けて進軍するのですが、
ここで十字軍の前衛部隊はカイロのはるか手前で意外な強敵に出会います。
エジプト軍の前衛部隊の指揮をしていた一人の若者、
彼こそが後のマムルーク朝を受け継ぐことになる若き日の名将バイバルスだったのです!

元々マムルークとは、1230年代にモンゴルのバトゥが草原地帯の制圧に掛かっていた頃に捕らえた遊牧民の一部を戦費調達の為に奴隷としてイスラム商人に売り渡したのが起こりとされています。それから10数年を経てマムルークたちは兵士として、また指揮官として・更には官僚として、次第にイスラム社会で影響力を増しつつある情勢でした。それにしても、後にシリアへ攻め込んだフラグの軍勢が敗れたのが、元は自分たちが奴隷として売った遊牧民たちの子孫だったのは中々面白いものがありますね。

話が多少脱線しましたね。
結局バイバルスの巧みな戦術に翻弄されて十字軍の前衛部隊はもろくも壊滅します。
形勢の不利を悟ったルイはダミエッタへの一時撤退を図るのですが、速度で勝る遊牧民出身のマムルーク兵たちにあっという間に追撃・捕捉され、身動き取れずに敵地での包囲戦となり、間もなく補給も絶たれ、赤痢が蔓延した十字軍は餓死寸前まで追い詰められて遂に降伏します。
皮肉なことに、エルジギタイに会うべくロンジュモーのアンドレがモンゴル領に着いた時には、
既にフランス王ルイ9世はエジプトの牢獄に繋がれていたのでした・・・。
その後、なんとか黄金100万ペザントもの身代金を払って開放されたルイはエジプトを撤退し、
勢力圏内の町まで戻ってきた時にはもう十字軍はボロボロでした。なにしろ出撃した時には6万を数えた十字軍が、帰還できた者は1万2千人にまで減っていたと言いますから・・・。

その後、ルイが撤退した後のエジプトではどうなったかと言うと、マムルークたちがスルタンを倒して最高司令官アイバクがマムルーク朝を興していたのは皮肉というしかありません^^);
一方、結局は軍を出さなかったモンゴルのエルジギタイはこの時、本国の大ハーン・グユクが亡くなり、代わってモンケが立った事もあって解任されることになります。
ただ、代替わりしたモンゴルが大ハーン・モンケの弟フラグを総司令官としてイスラム世界へ攻め込むのはこのわずか数年後ですから、実際モンゴルには充分その気はあったのですね。

イスラム社会がかなり分裂・混乱していた1230~1260年頃は、ヨーロッパ・モンゴル共にこの地を本気で攻めるなら絶好のチャンスだったのは歴史として見ているからそう思えるのですが、結果として自分たちも内部で抗争していて機を逸しているのは、惜しいというかどこでもおんなじ事やってたのねぇと、ちょっと興味深いところです。



おしまい。

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コメント

ほへ~
何気なく見つけて読み始めたら、終わりまで読んじゃった。
サンルイが捕まったことは知ってたけど、相手側とか、そのときの情勢とかは知りませんでした。
面白かったです

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  1. 2007/08/18(土) 17:09:50 |
  2. URL |
  3. 通りすがり #-
  4. [ 編集]

通りすがりさん>>
確かに、このときの事をあんまり細かい部分まで書いている資料って少ないですからねえ。できれば相手方に関してはもう少し掘り下げたい所でした。
クリックありがとです~。
  1. 2007/08/20(月) 07:03:20 |
  2. URL |
  3. ハミルカル #-
  4. [ 編集]

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