打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

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大航海時代前史 その1


FC2のブログの紹介欄には『歴史記事メインの大航海ブログです』と書きつつも、この所は歴史カテゴリのまとまった記事となると7~8月頃にやった『蒼き狼の末裔たち』シリーズ以来まともに書いていないんですね私・・。あの時はそれなりに気合入れて書いたものの、ちょうど書き終わった8月後半からのクルス・デル・スールの実装やウルトラクイズがあったりで次のテーマが固まらないまま。
と言う事で久々に歴史関係の記事を書くにあたり、さて何にしようかといくつか思いつく中でちょっと書いてみたいなと思うのが、大航海時代に至るまでのヨーロッパ情勢とかどうかな、と。
時代の区分をするなら中世後期~末期でしょうか。
各国の歴史についてはそれこそめけさんの歴史ファンが2005年に書き起こしているのを読んでいる人も多いかと思いますから、私としては大きく国際関係っぽいとらえ方で見たいと思います。
ただし、年代を追いかけるのと同時にエピソードを中心にポイント毎にみる形にしたら一個の記事にしやすい気がしますので、ちょっとここら辺の固まっていない所は修正しつつやって見ます。


シャルル・ダンジューの地中海帝国01

まず、ヨーロッパ圏の地域としては中世を通しての先進地帯だった地中海から見てみます。
大航海時代Onlineの設定の中には、特に地中海でこの中世期の影響が色濃く残っていると思えるからですね。まあ、その淵源というかルーツがどこら辺に由来してるのかな? なんてのを拙くも振り返ってみようかと。

(東ローマ帝国の盛衰)
中世後期、だいたい12~14世紀の地中海の情勢はというと、これがまた実に混沌としていました。まず、中央部にあたるギリシア・トルコでは、東ローマ帝国が1204年に第4回十字軍の攻撃を受けて首都コンスタンティノープルが陥落します。十字軍勢力はコンスタンティノープルにフランドル伯を皇帝とするラテン帝国を建て、周辺ではテサロニケ王国やアカイア侯国などが割拠してラテン皇帝を主君とする征服国家が生まれます。

そして旧ビザンツ勢力は、小アジア他に逃げてニケーア帝国などを建てて地方政権に転落していました。また同じく首都から逃れた有力家門の貴族たちも周辺地域に逃れて独立します。
特にトルコ北部のトレビゾント一帯に逃れたコムネノス家(多分かつてのコムネノス王朝の家でしょうか)や西ギリシアのエピロス諸国家などは有力な勢力を保って反ラテン帝国の旗色を鮮明にするといった情勢でした。

本来ならエジプトのスルタンを攻撃するはずの十字軍がなんで途中で目的地を変更して横に曲がったかというと、これはもうあからさまにヴェネツィアの影がちらつくのですが、教皇から破門されるのも構わず謝罪も弁解もしないでコンスタンティノープルを攻略しようとしたあたり、従来の政治・経済システムを打破して地域の経済活動の中核たらんと動いた気配がします。普通なら同じキリスト教徒なのですから、イスラム勢力の盾となる存在の東ローマ帝国は利用こそすれども排除まではしなかったでしょうから・・。

この後、ラテン帝国はブルガリアに敗れたためにその勢力は限定的となり、反ラテン帝国の二ケーア・エピロス・トレビゾントなどもそれぞれ各個に戦ったり足を引っ張り合って消耗するなどして徒に時間が流れるといった状況にありました。ここでイスラム勢力、特にセルジューク・トルコやエジプトなどが攻撃して背後を襲ったらひとたまりも無かったでしょうし、北の強国ブルガリアが襲ってくる可能性もあったかも知れません。
ですが、結局ニケーア帝国が1211年には侵入してきたセルジューク朝をあっさり撃退してスルタンを戦死させるなど、13世紀の半ばとなっても脅威としては大した事にはなりませんでした。

もともとセルジューク朝にしてもエジプトのスルタンにしても内紛や弱体化などしてあまり余裕は無かったのですが、実はこのとき周辺国家にとってもそれどころではない事態が起こりつつあったのですね。
これについては、今年の夏に私が書いていたシリーズとここでモロに時代はリンクします。
そう、東の草原地帯から迫りつつあったモンゴルの足音は、1230~40年代ともなると完全に周辺国家を蹂躙するまでになっていたのでした。なにしろモンゴルの勢いはブルガリアやトルコなど、コンスタンティノープル周辺を脅かす諸国家の更に外縁部にある殆どの国を飲み込むまでになっていたのですから。

取りあえずこの間、かつての東ローマ帝国の勢力の中からトルコ西部の二ケーア帝国が頭ひとつ抜け出す形で勢力を伸ばし、更に周辺部も併合していった1250年代になるとミカエル・パレオロゴスという男が急成長して実権を握るようになります。
その後、二ケーアの摂政から共同皇帝にまでなったミカエルは、1261年にコンスタンティノープルを奪還すると戴冠してミカエル8世を名乗り、東ローマ帝国は一時ながらも鮮やかに復活します。更に北はブルガリアを破って黒海沿岸を回復し、西ではペロポネソス半島一帯も手中にしてその勢力はある程度回復したものの、こうなってくるとコンスタンティノープルを巡って西欧諸国やヴェネツィアの巻き返しも当然考えられる情勢となって来たのかもしれません。
実際、その頃の西ヨーロッパ勢力はというと、
東ローマにとっては実に緊迫した情勢となっていたのでした・・・。

次回はギリシアの西にある南イタリア、そしてシチリアを見てみます。


おしまい。

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あとがき)
見切り発車の新シリーズ、これちゃんと続くのかなぁ・・。
(書いてる本人にもまだわからんからw)
  1. 2007/10/31(水) 19:36:05|
  2. 歴史ネタ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
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