打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

大航海時代前史 その2

シャルル・ダンジューの地中海帝国02

今回は南イタリア・シチリア方面の変遷を追ってみます。
ここも中世後期以降のヨーロッパでは相当に支配者が変遷した地域で、それだけに大航海時代に繋がる部分の歴史はちょっと押さえておきたいと思います。副題となっている人物はまだ登場しませんが、それ以前を書いておかないと流れが分かりませんから、今回までが前々史的な扱いになっていますね。


(シチリア王国の成立)
中世後期の南イタリアとシチリア島はというと、11世紀中ごろにノルマン人でオートヴィル家のロベール・ギスカールという男が兄弟以下を率いてフランス北部から南イタリア沿岸に侵入してこれを征服してしまいます。ロベールは1059年にはローマ教皇からアプリアとカラブリアを受封され、アプリア侯を名乗るまでになっていたのでした。更にロベールの末弟ロジエはわずか100騎ほどのノルマン騎士を率いてシチリア島に入り、まだこの頃はイスラム勢力下にあったシチリアを内紛に乗じて次々と制圧して行き、1090年頃までにはほぼシチリア全島を手中にします。その後、ロベール・ギスカールの孫だったアプリア侯が亡くなると、末弟ロジエの子ロジエ2世はシチリア島から南イタリアに逆上陸してこれを領有してしまい、1130年にはシチリア島と南イタリアを治める、いわゆる『シチリア王国』が成立します。

(神聖ローマ帝国の支配下へ)
1189年、第3代の両シチリア王で名君だったギョーム2世が後継ぎを得ずに亡くなると、その相続権はロジエ2世の娘コンスタンスの手中に転がり込みます。ところが厄介な事に女王となったこのコンスタンスは、当時ドイツのホーエンシュタウヘン家の後継ぎだったハインリヒと結婚していました。ハインリヒの父は神聖ローマ皇帝で『赤ひげ王』と呼ばれたフリードリヒ1世であり、シチリア王国の貴族はドイツ人が王となることを嫌ってロジエ2世の孫でレッチェ伯のタンクレッドという者を王に戴こうとして当然内紛になります。
そして1191年、ハインリヒはローマへと南下して戴冠し、神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世となります。その後ハインリヒは南イタリアの制圧に向かい、1194年に対立君主のタンクレッドが亡くなったことに乗じて大軍をもって南イタリアを征服します。
この年の冬には晴れてシチリア王の冠を受けたハインリヒの妻、本来の両シチリア王国の女王であるコンスタンスはこの時アプリア領内の町で男の子を生みます。

(国際都市パレルモ)
この幼児こそ、後に西ヨーロッパの各国だけでなく東方教会やイスラム勢力、更にはモンゴルなど一気に国際化してゆく世界を相手に渡り合った神聖ローマ皇帝・フリードリヒ2世(イタリアではフェデリコ2世)となる子供だったのでした。
父方からは神聖ローマ皇帝の、母方からは両シチリア王の血を受け継ぐフリードリヒですが、1197年に父ハインリヒ6世が亡くなるとわずか3才でシチリア王となり、更に半年後に母コンスタンスも亡くなると孤児となってしまい、ローマ教皇イノケンティウス3世の庇護を受けてシチリアで成長します。
フリードリヒが育ったシチリア島のパレルモは長い間イスラム勢力が割拠していた為に異文化の溢れる町で、しかもノルマン人と南イタリアの文化も融合していると言う国際都市でした。
こうして彼は幼い頃から市井で遊んでいるうちにいつしか数ヶ国語を自在に操り、キリスト教徒だけでなくイスラム教徒とも深い理解を示すようになったと言います。
後に当代随一の広い見識と合理性を追求する思考振りから『王侯で最初の近代人』とも呼ばれる偉人振りを示すようになるのは、この幼年時代の体験が影響しているのかも知れませんね。
伸び伸びとパレルモで成長していったフリードリヒですが、その血筋と時代背景ゆえか、世間は彼をそのまま放って置きはしませんでした。

(皇帝フリードリヒ2世)
1210年、ヴェルフ家の神聖ローマ皇帝・オットー4世が大規模なイタリア遠征を計画した事によって教皇に破門されるという事件が起きます。そして翌年の選挙でドイツの諸侯は、ヴェルフ家と対立していたホーエンシュタウヘン家の出身で教皇の支持が篤いフリードリヒ少年をドイツ王に選出します。その後、紆余曲折があって神聖ローマ皇帝となったフリードリヒ2世は、イタリアでの活動に専念する為か、ドイツ国内に息子ハインリヒ7世を置くと共に諸侯の権限を大幅に認めるという重要な決定をします。この時の決定がドイツの連邦的性格を強め、更にドイツ騎士団の発展に繋がるなど後のドイツ・ポーランド方面の歴史に大きく影響してくる事になります。
また皇帝となったフリードリヒ2世は在位中にエルサレム王国の姫イザベル2世と結婚するやその権力を手中にし、更に教皇に破門されたまま十字軍を起こすと、戦力が不足する中でも交渉によってエルサレムを期限付きながら返還させるなど、中世のヨーロッパ人とは思えないほどのバランス感覚に溢れた外交能力を示します。
残念ながらその後は対立するローマ教皇との争いに忙殺されるままフリードリヒ2世は1250年に亡くなり、後を継いで神聖ローマ皇帝となったフリードリヒの次男コンラート4世も即位わずか4年で早世すると、イタリアは再び混沌の中に叩き込まれる事になります。

いちおうホーエンシュタウヘン家にはまだコンラート4世の息子コンラディンや、フリードリヒ2世の庶子マンフレートなどが残されてはいたのですが、この時対立していた教皇の元にある有力な味方が付くことになって、この地域の勢力図は一気に塗り変わる事になったのでした。


おしまい。

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あとがき)
なぜかこれ書きやすいですね、昨日の夜にはもう次の原稿書き始めてるくらいです。
んー、そろそろ地中海の地図を入れるべきかなぁ。
  1. 2007/11/01(木) 18:21:26|
  2. 歴史ネタ
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