打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

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蒼き狼の末裔たち その18

征西軍の出立

なんだかいつの間にか3週間くらい開いてしまいましたね。
昨年は前提クエみたいな感じで本題への基礎編としていろいろ取り上げていましたが、年も改まった事でもあり、アイン・ジャールートの戦いへと繋がる、チンギスとバトゥに続くモンゴル第3期ともいえる遠征計画についてそろそろ触れて行きたいと思います。

1252年、『西アジアと中国そしてヨーロッパへ侵攻するべし』という大ハーン・モンケの決定はユーラシア大陸全体に凄まじい衝撃をもたらします。そして征西軍の総司令官には弟のフレグが選ばれ、中国方面へはモンケ自身の後援の下、同じく弟のフビライが当たる事となりました。更にヨーロッパ方面へはいまだ健在だったバトゥがその牙を向ける事となったのです。
『集史』に残るこの時のモンケとフレグの場面をそのまま書き出すと、


モンケ・カアンは兄弟としての情愛から、フレグ・ハンに助言を与えて言った。
『お前は、膨大な軍隊と無限の兵と共にトゥーラーンの国境から、
イランの国に行かねばならない。
トゥーラーンを越え、イーラーンに歩みを進めよ
輝く太陽まで名をあげよ
そして、ヨスンの規則とチンギズ・ハンのヤサを諸事の細大に亙って実行せよ。
ジャイフーン・アム河からミスルの国の果てに至るまで、
お前の命令と禁令に従う者は慰撫し、種々の恩恵と恩賜を与えよ。
服従せず反抗する者は、妻子や親族や姻族共々怒りと侮蔑の蹂躙の手に委ねよ。
クヒスターンとホラーサーンから始めて、城と砦を破壊せよ。
ギルダ・クーフとランバ・サル砦を壊せ
その頭を下に、身体を上にひっくり返せ
世界で砦のある所は一つも残すな
土くれの一山すら残らないように
そこを終えたらイラクへ向かえ。
いつも道を踏み外しているロルとクルドを除け。
バグダードのカリフが伺候し服従するようであれば、彼には決して危害を加えるな。
もし高慢で、心と舌とを使い分けるようなら、彼も他の者たちと同様に征服せよ。
またすべての点において明敏な知性と重厚な意見を模範とし、
どんな状況でも明晰で聡明でなければならない。
臣民に理由のない負担や面倒をかけてはならない。
破壊された地域を再び繁栄させなければならない。
お前たちの夏営地や冬営地が増えるよう、
敵たちの国を偉大なる神の力によって征服しなければならない。
すべての件に関して、ドクズ・ハトゥンに相談せよ。』


大ハーン・モンケは地理・天文・物理・数学・宗教に通じ、数ヶ国語を操ると言われた英才で、しかも馬上にあっては進んで良く引いて堅しという名将でした。その彼がここまで明確な指示を与えたのですから、既に西アジア全域に至るビジョンが見えていたのでしょう。
 ※最後に出てくるドクズ・ハトゥンとはフレグの后で、キリスト教徒でした。

この時フレグには全モンゴル軍の1/5の兵力を指揮する権限が与えられたとされ、主にモンゴル帝国の中西部及びイラン・アゼルバイジャン方面の諸部族、そしてジュチ・ウルスからも諸将が参陣してフレグに従うこととなりました。史書によるとこの時フレグの指揮範囲は最大時でおよそ20~30万もの兵力になったとされていて、しかもこれ主力が騎兵なのですから、間違いなく機動力・攻撃力ともに世界最大の恐るべき軍団が西アジアに出現した事になります。また、これだけの軍勢を数年以上に渡って支えるべく、中央アジアの各地で放牧されていた馬・羊たちも南へと追い立てられていったでしょう。
まあ、これだけ大規模な編成ですからなんだかんだで出立から到達までには数年が経ち、1253年にカラコルムを出立したフレグの本隊がイラン~イラクの北部に姿を見せたのは1256年になってからでした。
そして、彼らが最初に当たった勢力はかなり特殊な存在だったのです。

山の長老

イランの首都テヘラン北西部の山岳地帯からイラク北部のクルディスタンあたりの土地に掛けて、ここにはイスラム教シーア派の分派であるイスマイリ派の中でも先鋭的な活動で知られたニザール派の拠点がありました。彼らは後世、暗殺教団『山の長老』としての伝説が残るなど非常に恐れられた集団で、彼らが配下の者を暗殺者に仕立てる時に用いた麻薬アッシシは、後世暗殺者を意味する『アサシン』の語源になったとも言われているのは結構知られた話ですね。
実はモンケが彼らを先に殲滅しようとしたのには訳があり、モンゴルがこの地方を勢力下に置こうとした際に暗殺者数百人をカラコルムに潜入させて大ハーンの暗殺を謀り、しかもそれが露見したからでした。またこの土地はモンゴルの司令部が置かれていたタブリーズの至近でもあり、これほど危険な集団をそのまま放置するのはモンゴルにとっても脅威と思えたのでしょう。

またこの頃フレグの元にはいち早く傘下に入っていたスンニ派の一派も合流しており、当然ながら敵対勢力であるニザール派はフレグには屈服せず、後顧の憂いを絶つ意味もあって討伐の対象として真っ先に攻撃を受ける事となりました。ところがこの高原地帯に彼らニザール派は山岳を利用した城砦を各所に築いており、中でもアラムートの城砦は拠点として長年難攻不落を誇るなど完全に要塞と化していました。
これに対してフレグは1256年頃には東から順に攻め上がる形で次々と周辺の城砦を落とし、約半年を掛けて遂にアラムート城砦の外縁部にまで迫ります。最後通牒を突き付けられても降伏しない宗教指導者(イマーム)のルクン・アッディーンに対し、フレグは11月頃には総攻撃を掛け、このうちイマームのいた城砦を落として遂にこれを降伏させます。最終的にニザール派はその後1270年代になっても一部で抵抗を続けてはいましたが、長年暗殺教団として恐れられたこの集団は、実質的な政治勢力としてはこの1256年の降伏をもって終わりを告げる事となったのでした。後に『ローマ帝国衰亡史』を書くイギリスのエドワード・ギボンはこのモンゴルによる暗殺教団の殲滅を『人類に対する奉仕と考えられる』とすらコメントしていますね。


ところで、近年イスマイル派ニザール派のこの流れを汲むある人物が、
実は一部で非常に身近な存在となって再登場してたりします。
アガ・カーン3世(1877~1957年)。
父の後を継いで宗教指導者(イマーム)となったこの人物は、20世紀前半に掛けてニザール派の再組織化に勤め、また親英派として外交面でも活躍して、後に国際連盟の議長にまでなります。またそれ以上に競馬の世界では史上屈指の馬産家であり、特に彼が生産したナスルーラという馬の出現は、サラブレッドと言う種そのものにスピード面で大きな影響力を残しています。

つい脱線w

こうしてフレグは1256年末にはほぼイラン~イラクの北部を平定します。
彼が次に狙うのは、イスラム教のカリフがいるイラクのアッバース朝、
そして当時世界最大級の都市である首都バグダッドでした。

今回すごい長くてすみません・・。
あとシリーズ番号間違えて発信したので修正しました。

おしまい。

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  1. 2008/01/06(日) 10:22:02|
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