打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

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蒼き狼の末裔たち その20

バグダッドの陥落

ついに20回目を数えるに至ったこのシリーズ、もはや読者置き去りで本人の趣味本位で書いてる気がしないでもありませんが、あと4~5回くらいでなんとかまとめていきたいと思ってますのでお見捨てなくw
で、前回からいよいよフレグ率いる征西軍の動きを追い始めましたので、
ここでちょっとまた地図を交えて見て行きます。

中東地図_フレグ01
まだ書き込み少なめですね。
1255~1258年頃までの動きだとこんな感じです。(W500/650)
カラコルム発→サマルカンド→ホラーサーン→アルムート城砦攻略→バグダッド侵攻まで。

ところで自作の地図を入れるので意外に苦労するのがサイズの問題。
ブログ上にピクセル等倍で表示しようとするとW600~650くらいが限界で、それ以上だとテンプレートからはみ出し始めてしまいます。いっぽう細かく書き込みしようとするとW1000以上の大きさはどうしても必要で、この地図も原寸だとW1600くらいから縮小しています。テキスト読みながら地図を参考にするにはサムネイルや縮小表示だと字が潰れてしまうしで、現状での地図への書き込みは必要最小限の情報のみに留めています。単なる画像なら縮小でも結構わかるからまだいいのですが、ここら辺の表現方法は地図製作者でないのでまだまだ未熟です。うーん、なんかいい知恵ないかなあ・・。
とりあえず本文に戻ります。


前回書いたように、イラン北部に割拠していた『山の長老』ことイスラム教ニザール派の指導者はフレグに降伏したものの、その他の残存していた勢力をほぼ壊滅させるのには更に1年近く掛かり、フレグの軍が再召集される頃には1258年を迎えていました。

もちろんその間、いわゆる政略に属する動きは活発化していました。
例えばこの頃、以前紹介したアルメニア王を通じて、かつてモンゴルの脅迫を跳ね返したアンティオキア公の息子ポエモン(代々この名前)は、アルメニア王の娘を妻としている関係から王の説得を受け、モンゴルに服従していました。まったく抵抗することなく異教徒の勢力に服従してしまったこの十字軍の末裔は、当然ながら他のキリスト教徒から責められる事になるのではありますが、この時の選択としてはむしろ柔軟な対応といえるものだったと思います。なにしろ既にフレグが率いる事の出来る兵力は20万にも達しようとしており、説得したアルメニア王などは進んで服従する事で、『現地のキリスト教徒は保護する』とモンケに約束を取り付けていたのですから。他にも現地のイスラム系小領主、キリスト教国グルジアやカスピ海沿岸一帯まで含む広大な地域の政治・宗教的な勢力は、その後多くがフレグの影響下に置かれる事となりました。
さていよいよイラクそしてシリア方面へ侵攻するフレグ率いるモンゴル軍、
ここでこの征西軍の主な将帥を紹介してみます。


フレグ
いうまでも無く大ハーン・モンケの弟で征西軍の総司令官です。同時にアルメニア・アゼルバイジャン・ホラーサーンの総督でもあり、占領予定のイラン・イラク・シリアへの権限も与えられていました。モンゴル帝国全体を見ても既に3~4番手くらいの権威を持っていたでしょうし、この時点で彼が動かせる兵力は世界最大規模ですらありました。彼の後継者は後にモンゴル最強の兵団を持っていたバトゥ家と戦うことになるのですが、これと五分に戦うだけの地力はそろそろ固めつつある段階でしょうか。

バイジュ
1240年代にアルメニア方面の軍事総督を務め、セルジューク朝トルコを破って従属させた名将です。一時罷免させられていた彼もモンケの即位によって復帰し、軍の重鎮としてここでも健在ですね。例え前線に立たなくても、彼の政治的・軍事的影響力はこの地方では絶大なものがあったでしょう。また、バグダッド攻略戦では片方の司令官となって前線指揮に当たっています。

郭侃(かくかん/クォウカンとも)
この人は中国系の将です。しかも武人としては名門出身で、唐代に起きた安史の乱を平定し郭子儀の子孫と言われています。この軍でも主力を任されるなどかなり重用されており、更に政略面でもフレグをサポートした知勇兼備の名将ですね。特に攻城戦では高い実績を残した人で、この郭侃がバグダッド攻略戦でもチグリス川に橋を架けてモンゴルの大軍を渡河させる事に成功するなど、技術面でも重要な役割を果たす事になります。この人ひょっとしたら中近世まででもっとも先まで遠征して戦った中国人武将かも知れませんね。

キド・ブカ
キブカもしくはケド・ブカとも呼ばれるこの将は恐らくキリスト教徒でした。
しかも今回、実はこの人が主役級だったりします。
シリア方面の攻略戦ではこのキド・ブカが先鋒を務め、ダマスカスやアレッポといった主要都市は郭侃と共に彼が攻略しています。更にモンケの死によってフレグの本隊が撤退した後は彼がこのシリアに残留し、バイバルスやクトゥズらの率いるマムルークとの遭遇戦となったアイン・ジャールートの戦いではモンゴル軍の総大将であり、完全な劣勢にもかかわらず最後まで健闘を見せた勇将でもありました。


(バグダッド攻略戦)
1258年が明けるとフレグはイラン北部からイラクへ向けて南下します。
このモンゴル主力の目指す先はもちろん、アッバース朝の都にしてカリフの住むバグダッドでした。事前に送られた降伏への呼びかけを拒否したこの時期のカリフ・ムスターシムはまだ若く・そして暗愚で、国政は宰相のなど官僚たちの言いなりだったとも言われています。更に不幸な事に、この時のバグダッドの宰相イブン・アルカミーという男がまた曲者で、カリフには『バクダッドの防備は精強な兵に常に守られて万全ですから、わざわざ防衛体制を取る必要はありません』とうそぶく一方でモンゴル軍に使者を送り、『実はバグダッドの防備は薄く東と西から攻めるように』と、要請と言うかほぼ内通していたとも言われます。

結局、カリフが首都防衛の命令と諸国のスルタンへ救援要請を発した時には、モンゴル勢はバグダッドまでわずか2~3日の地点にまで接近していました。
これでは大都市とは言え長期の篭城では守りきれ無いと判断したのか、逆に打って出た約2~3万の首都防衛隊はモンゴル軍の水攻めの計略に引っ掛かって壊滅します。
その後、モンゴル軍は最も手薄な倉庫地区だった西側の門から突破を図ります。同時にシーク教徒の最も多く住んでいた東側からは工兵部隊が破壊工作を行う両面作戦により、わずか7日でバグダッド東西の城門は陥落したといいます。それにしても、普通これだけの大都市なら準備不足でも数ヶ月~1年、もし防備を整えて本気で守っていたら落城させるには数年掛かっても不思議ではなく、こうした点からモンゴル軍が単純な騎兵だけの構成ではない、中国の最新技術なども導入したハイレベルな戦術集団だった事が伺えます。

こうしてあっさり市街へ雪崩れ込んだモンゴル兵に対して守るべき市民は多すぎ、カリフは身内の生命と財産の保証と引き換えにあっさり降伏します。その情けない態度は逆にフレグを激怒させる事になってしまうのですが・・・。そしてもちろん主君を裏切って内通していた宰相たちがフレグに許されるはずも無く、アッバース朝の主だった者はほぼ例外なく命を絶たれる事になります。そしてこの時、恐らく当時では世界最大の都市だったバグダッドは、事前に命令が発せられていたキリスト教徒など一部を除いて虐殺や略奪の対象となり、数日もの破壊の末ここでいったんほぼ壊滅する事となってしまいます。後世、イスラム系の歴史家はここで80万~200万もの犠牲者が出たというのですが、これは誇張気味としても少なくとも数年間はバグダッドはその栄華を失う事になったのでした。(2年後には以前に劣らない活気を取り戻した、なんて記述もありますね)

『モンゴル軍によりバグダッドが陥落!』
当然と言うかなんと言うか、曲がりなりにもイスラム世界の求心力であったカリフの勢力を滅ぼした事はこの世界に大きな衝撃を与えます。この事はヨーロッパ世界にも『東方のキリスト教徒がイスラム勢を打倒した快挙』としてちょっと期待を込めて間違って伝わりますし、当のイスラム系スルタンたち、なかでも確実に今後の侵攻の対象となるシリア方面の領主は多くが従属の意思を伝えるようになったのでした。
1258~59年、タブリーズでの休息を終えたフレグは配下の諸将・従属した諸侯以下に陣触れを発して大軍を召集します。これにはアンティオキア公やアルメニア・グルジアなどのキリスト教国も参陣しており、南下したモンゴル・キリスト教系の領主・イスラム系領主の連合軍は大挙してシリアを目指す事となります。

ところが、まだこのシリア方面には無視できない勢力が残っていました。
この頃シリアの主要都市ダマスクスとアレッポには、本国エジプトでマムルーク朝が立った後も、英雄サラディンの後裔であるアイユーブ朝の血を引くスルタンは健在だったのです。しかも、エジプトでマムルークの指導者であったアイバクらと仲違いしていた名将バイバルスはこの時期、本来ならば仇敵であるはずのダマスクスのスルタン、ナシルの元に身を寄せていたのでした。

そろそろ決戦の音が聞こえつつありますが、いい加減長すぎるので今日はここまでとします。
(今回だけでだいたい原稿用紙6~7枚分近いですねw)


おしまい。

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まだまだ続くよ!

テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2008/01/17(木) 14:05:44|
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