打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

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蒼き狼の末裔たち その23

アイン・ジャールートの戦い・前編

1260年9月3日、
状況としては局地戦ながら後の歴史に大きな影響を与える事となる会戦が繰り広げられます。
この戦い、与えた影響の大きさに対して極端に資料が少なくて、モンゴル・マムルーク双方の実際の兵力・構成などはっきりした事はまだ研究途中らしく、今回の記事はその少ない記述と手元にある複数の資料を基に、プラス私の想定による補足部分も含まれますので予めご了承下さい。ここの記述から二次使用するのはちょっと問題ありですよ。それと実際WIKIとか見るとよくあんだけ書けるなと思いますが、取りあえずこの記事ではWIKIの内容は資料と多少違う所もありますのでほぼ無視して進行します。

戦力比較
(モンゴル軍)
総大将:キド・ブカ
兵力:約1万~1万5千人(万人隊×2個と記述にありますが実際はたぶんこれくらい)
構成:モンゴル騎兵、中国人工兵&歩兵、
   アルメニア・シリアの徴発兵とキリスト教徒、現地領主の供出兵など

(マムルーク軍)
総大将:クトゥズ/先遣隊の将バイバルス
兵力:5~6万人(10万人規模とする資料もありますが実数としてはちょっと疑問)
構成:マムルーク騎兵、エジプト騎兵&歩兵、シリアのイスラム兵、


このうちモンゴル軍の構成ですが、実は現地シリアで徴発した新規兵がかなり多かったのではないかと考えられています。もともと20万人規模を誇っていたモンゴル軍はフレグ本隊の撤退で9割方はもういません。またキド・ブカと共同してシリア各城砦を攻略していた郭侃は、実はアイン・ジャールート戦の前に行われた小競り合いを制してエジプト付近にまで一気に侵攻していました。この奇襲に驚いたクトゥズは彼を評して『東天将軍、神人也』と言ったと元朝秘史に記されています。しかし郭侃はこの後トルコ方面に転進してタブリーズどころか中国に帰還してフビライに仕えています。となると彼が与えられていた遠征軍の多くもシリアには残っていないでしょう。
で、仮に残ったうちで主力のモンゴル&中国兵が1万人以上いたとしても、攻略した城砦の押さえに現地人を使うのは考えづらいですから、こうした諸城の守備にもある程度のモンゴル&中国兵が割かれたでしょう。それらを逆算して考えると、アイン・ジャールートの戦い当時に戦力として計算できるモンゴル兵は下手すると千人隊で数個しか居なかった可能性もあり、一方でこういう野戦に出るときには数も必要ですから徴発された新規兵で水増しされていたのではないか?という結論に達します。そしてなにより、後で見ますがこの戦いにおけるモンゴル軍の動きは一部で実にモンゴルらしくない、しいて言えばペルシア軍みたいな負け方をしています。
さて、接触時の様子からちょっと図にしつつ、順に見てみます

アイン・ジャールートの戦い01

(遭遇戦)
マムルークのうち、先にモンゴル軍と接触したのはバイバルスの率いる先遣隊でした。
数の上ではモンゴル1万~1万5千対バイバルス数千ですからバイバルス圧倒的に不利なのですが、アイン・ジャールートは全体的に丘陵地帯の狭間を流れる谷というか渓谷になっている地形で、あまり大軍同士で広く展開する訳にもいかず、開戦も局地的なものからだったでしょう。また数で少ないとはいえ、バイバルスの配下といえば各地を流転しつつ生き残った精鋭中の精鋭とも言える子飼いの騎兵がいたでしょう。
こうして意外と言うよりむしろ当然のように、この戦いはマムルーク勢の突撃から開戦の火蓋が切られます。それでも本来は谷間の地形ならば、騎兵の突撃力よりも守りを固めた歩兵の防御力と弓兵による地形の高低差を活かした防御陣を形成したほうが無理なく戦えそうで、飛び道具を保有している中国兵のいたモンゴルのほうが戦い易かったかも知れませんね。その後、バイバルスによる数度の突撃をしのいだモンゴル軍は逆に騎兵主体に押し出して攻勢に転じます。
この数で勝るモンゴル側の押し出しに対し、なぜかバイバルスはほとんど抵抗することなく撤退してゆきます。それにしても攻勢状態から相手の反撃で即座に撤退できると言うのは、これ騎兵主体の部隊にしても対応がずいぶん迅速です。バイバルスの統率力と配下の騎兵たちの錬度は相当に高かったのもあるでしょうが、ひょっとしたら最初の突撃自体が偽攻だったのかも知れません。
引いてゆくバイバルス達に釣られてか勢いが付いたからか、キド・ブカ率いるモンゴル勢はそのまま突進を続け、気づいたときにはアイン・ジャールートの中でもやや広い6kmほどの窪地状になっている地帯に出ようとするところに誘い出されていました。

そして彼らは気付きます。
そこにはスルタン・クトゥズ率いるマムルークの主力である、
およそ数万ものエジプト兵が待ち受けていた事を。
そしてその大軍が左右に展開して、
既に自分たちが数倍の兵力で囲まれつつあることを・・・。

これバイバルスとクトゥズが事前に打ち合わせて連携した包囲戦術では無いと思います。むしろ最初の接触はほんとに遭遇戦だったでしょうから、どちらかと言うと一貫して能動的に動いたバイバルスによる計略と見た方が可能性が高い気がします。最初に遭遇した時点で両軍の主力の位置をほぼ把握できたのはマムルークの先遣隊だけですから。

アイン・ジャールートの戦い02

ところで、
『突撃→撤退(のフリ)→誘導→反転迎撃→伏兵による包囲殲滅』

この戦いで結果としてマムルーク勢が実行した動き、
実はこれ、以前にも紹介した事あるのですが覚えていますでしょうか。
昨年夏の同シリーズで書いた、バトゥ遠征時に起きたワールシュタットの戦いでポーランドの連合軍に対してモンゴルが用いた戦術、そしてモンゴルが度々用いた定番とも言うべき戦法がまさにこれでした。自分たちが最も得意とした戦法にあっさり引っ掛かる、先程シリアで徴発した新規兵が多かったのでは?という疑問はこれを思うと納得できる部分があります。
こうして、撤退してゆくバイバルスを追いかけるうちに、モンゴル軍はクトゥズ率いる数倍ものマムルークの本隊にぶつかり包囲されてしまい、更にこの時点でシリアで挑発した現地兵はほとんどキド・ブカの指揮から外れて逃げ出してしまったようです。
残念ながらその命運は既にほとんど絶たれていたでしょう。

ところがこの絶望的な状況のなか、
キド・ブカもさすがにモンゴルの将として非凡なところを見せたのでした。

(いいところですが長いので後編は明日書きます)


つづく。

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  1. 2008/01/30(水) 09:33:19|
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