打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

草原の興亡 その5

今回から書き始める匈奴編、
DOLのエントリとしたらかなり異色の内容となりますね。
まあ今週から始まるらしいマルコ・ポーロの足跡イベントの事を考えると、
東~中央アジアの事を書くのはあながち遠くない話になってくるのかも知れませんが。

さてこの匈奴、(発音だとフン・ヌ、ヒュン・ヌなど)
その名前が最も早く現れるのは、中国の戦国時代あたり。
この時代の大国だった趙や秦に関する記述で、
黄河の北西辺の境界を侵す諸部族の一つとして匈奴の名前が登場してきます。
って、これじゃ説明不足ですね・・。
もうちょっと大まかなところも書いて行くとします。

いまから2300~2400年前となるこの時代、
黄河の中~下流域周辺(いわゆる中原)では戦国七雄と呼ばれる大国がしのぎを削っていました。

---------------------------
          燕    朝鮮半島
     趙                  日本列島
      魏  斉  
  秦  韓
  
        楚
---------------------------

だいたいの位置関係を記入すると上のように。
東に斉、
北に燕、
南に楚、
中央部に晋から分裂した韓・魏・趙、
そして西には秦がありました。
最終的には秦王・政が残る6カ国を滅ぼして中国を統一し、
始皇帝となるわけですね。

その後、春秋・戦国・楚漢戦争と続く内戦の時代を抜け出して成立した漢帝国は、安定期となると人口・国力の面でも世界最大級の国家となってきます。更にこの時代の中国は百家と呼ばれる様々な思想が発達するなど、文化的な先進性でも確かに世界のトップにいました。

ただこれ、あくまでも中国の中央部における話。
その周辺には匈奴をはじめ様々な騎馬遊牧民が活発に活動しており、しきりに中国北方の諸国へ侵入するようになっていたのです。特に趙の北にいた匈奴はこの頃から登場し、次第に成長しつつありました。歩兵と戦車が主体な当時の中国では、軽装で騎射を主とする神出鬼没な騎馬遊牧民はさぞ手を焼いたことでしょう。面白い事にというか必然と言うべきか、最も匈奴と接する事の多かった趙の国では、一時彼らの影響を受けて遊牧民のようにズボンをはいて騎乗・騎射する騎馬兵が登場してきます。もっとも史書を読むと、この趙も対匈奴においては正面から勝つ事が出来ないために謀略や懐柔策で対応する事が多かったようですね。

その後、中国を統一した秦の始皇帝は匈奴など騎馬遊牧民の侵入を防ぐため、
長城と呼ばれる長大な防壁を築きます。
そう、いわゆる万里の長城ですね。
もともと戦国時代から各国で建設されていた防壁を始皇帝が大幅改修・増築して作られたこの長城、現在見られるのは明代になって再修復された姿なのですが、実際に行って見るとそのスケールはほんと驚きます。(観光客が普段見る長城はだいたい北京の北部のもので、西の方では長年の間に建材等に使われてしまってかなり消失しているようですが・・)

長城01

これは私が3年程前に万里の長城を見に行った時の写真。
山の尾根伝いに幅6~7m・高さ10m近い防壁が見える限り延々と連なっているのを見ると、
ちょっと軽くショック受けました。
これ、まともに攻城兵器もなしで遊牧民が陥とせるのか???と。
じっさい匈奴も烏丸もこんな急峻な所からは侵入しなかったとは思いますw
もう少し低いところ・造りが甘い所を狙うか、城門付近を狙ったんじゃないかと。

さて、
これだけ膨大なものを作る労力・費用と、
正面切って戦いに打って出る場合の費用・消耗度、
これ考えたらどちらが賢明だったのか?
そう思わずにはいられませんが、
その答えは始皇帝の没後間もなく判明してきます。

中国で秦が揺らぎ、陳勝・呉広の乱に端を発した内戦が繰り広げられている頃、
匈奴では中央アジア史上に残る英傑が生まれていたのでした。
そして秦が倒れ、楚の項羽との争いを勝ち抜いた漢の時代、
匈奴と漢はユーラシア大陸の東方では初となる大規模な対外戦争に叩き込まれる事となります。


どうやらこの辺はあんまり資料を読まなくても一気に書けるので結構楽ですね。
次回からは色々有名人が出てくる序盤の山場に入ってきます。


おしまい。

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テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2008/05/27(火) 18:11:28|
  2. 草原の興亡
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:3
<<草原の興亡 その6 | ホーム | ご利用は計画的に>>

コメント

ハミルさんなら知ってると思うけど、たしかその写真

の万里の長城って、明か清の時代に建て直された

奴じゃあなかったけ?

実際は秦の時代の長城は高さ2~3メートル程度で

場所によっては60cm位の高さの所もあったみたい

です。(ハドリアヌスの胸壁みたいな物かw)

要は騎馬民族の侵入さえ防げばいい訳だから、

胸壁サイズでも十分役割果たせたと思います。

それに幾ら派手好きの始皇帝でも、当時の技術力

と経済力では総資金叩いても7~8mは無理じゃあ

無いかナァ・・・(デモンストレーションの役割も有る

から目立つような所は7~8m有ったかも知れない

けど)
  1. 2008/05/31(土) 02:39:23 |
  2. URL |
  3. アーカントス #-
  4. [ 編集]

ゴメw

よく見たら明代って書いてあったw

  1. 2008/05/31(土) 02:41:34 |
  2. URL |
  3. アーカントス #-
  4. [ 編集]

提督>>
確かに、黄河の西にある長城でかなり風化してる胸壁くらいの見たことありますね。ただ、中国は古代でもかなりの人口と土木技術もってたから、集権国家がその気になれば2200年以上前でもある程度のもの作れたんじゃないかと思う。
  1. 2008/06/01(日) 17:54:09 |
  2. URL |
  3. ハミルカル #-
  4. [ 編集]

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