打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

草原の興亡 その14

馬邑の計略

馬邑の町は現在では北京の西南西450kmほどの所にある山西省朔州市で、
万里の長城のすぐ内側にあることからも、前漢の時代では最前線の町でした。
そして武帝が即位して数年が経った紀元前134年ごろ、
この馬邑の町を巡って匈奴と漢が大軍を集結させるという事態が勃発します。

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当時、この馬邑の町の古老に聶壹(じょういつ)という人物がおりました。
聶壹は三国志の名将、張遼文遠の先祖に当たる人物で、張遼もまた馬邑の出身でした。
そして聶壹の一族が後に張姓を名乗らなければならなくなったのは、
実はこの事件が直接の原因となっていたのでした。

紀元前135年、
既に張騫を西域に派遣していた武帝ですが、対匈奴の戦略については他にも手が無いかと検討していた所、匈奴からの使者が来訪し和親の継続を確認しに来ます。
この件を群臣に議論させた武帝はこのとき、辺境に熟知していた王恢という者から次のような提案が出されます。この時の議論は重要な所なので史記の記述を要約して載せますね。

王恢:
『漢と匈奴が和親してもおおむね数年しか続かず、すぐまた約定に背いてしまいます。
 和親を許さずに兵を興してこれを撃つにこしたことはありません。』

一方、御史大夫の韓安国はこれに対してこう反論します。

韓安国:
『千里の遠方まで攻め入って戦うのでは我が軍に利がありません。いま匈奴は戦馬の脚力をたのみ、鳥が群を成して去来するようにあちこち移動するので制しがたい状況にあります。そんな状況でその土地や衆民を勢力下に入れても漢に利はありません。ですから大昔から匈奴を普通の民としては見ておらず、たとえ数千里も遠征してしまえば人馬とも疲れ切ってしまい、いっぽう匈奴は完全な状態で遠征軍を迎え撃つでしょう。強い石弓でも遠すぎれば薄い絹布を通す事もできないし、突風でもその終末の力では軽い羽毛すら動かすことは出来ません。匈奴を撃つことよりも和親するべきでしょう。』

この議論に参加した群臣は両者の意見を聞いて大多数が韓安国に賛同し、
武帝もこの時は和親案を採用します。
ところがその翌年、王恢から次のような報告がなされたのでした。

『馬邑の古老で匈奴とも和親を通じている聶壹という人物がこう申しています。「匈奴の単于は自分を信用しているから亡命したフリをして、馬邑の町を降伏させるように情報を流し、単于を馬邑まで誘い込みます。」、と。』

武帝の前で再び開かれた会議で王恢は、『遠くまで攻め込むのではなくおびき寄せる作戦だから確実に成功します』と発言して武帝を説き、これが採用されたのでした。
その後、予定通り匈奴の単于は10万騎以上を率いて国境線を突破し、
山西省に入り込んで馬邑を目指します。
当時の匈奴は冒頓単于・老上単于と続いて、更に軍臣単于の時代となっていました。

これに対して漢では30万以上を動員して伏兵したのでした。
この時の陣容は次の通り。
衛尉の李広が驍騎将軍、(騎兵)
太僕の公孫賀が軽車将軍、(戦車兵)
大行の王恢が将屯将軍、(歩兵?)
太中大夫の李息が材官将軍、(弓兵・騎射兵)
そして御史大夫の韓安国が護軍将軍として全軍の指揮を取ります。
※驍騎将軍の李広については重要人物ですので次回以降に紹介します。

さて、馬邑の北方近郊40km付近まで攻め込んだ匈奴の軍臣単于、
ここであることに気付きます。

『野に家畜は散見されるのに、牧人の姿が見えないのはなぜか?』

そこで馬邑ではなく先に近くの小さい砦を攻めます。
攻め落とした砦の尉史(指揮官)を捕らえて詰問すると、
尉史の自白から軍臣単于は漢が大軍を伏せている事を知ります。
単于は『私が尉史を捕らえたのは天命だ』と言って、
直ちに主力の兵を引き返したのでした。

それにしても、人ではなく家畜の異変に察知して危険を回避するあたり、
ここは流石に遊牧民の指導者らしい機転ですね。
そのいっぽうで人間は上手く隠しても家畜の事には無神経だった漢、
なかなか両者の対比が伺えて面白いかも。


ところでこの作戦当初において、
王恢は3万の別働隊を率いて匈奴の輜重隊を襲う役目を受けていました。
匈奴は主力を撤退させたとはいえ、
足の遅い荷物を抱えた輜重隊は遅れていたでしょう。
ところが王恢は『作戦は失敗し、匈奴の主力が引き返してきては不利だから』と、
追撃をせずにその場の判断で兵を引いてしまいます。

戦後、王恢は作戦が失敗した上将兵を損ねては、と弁明しますが、
武帝の怒りを買った王恢は処刑と判断されます。
ところが王恢は賄賂を漢の丞相に贈り、
太后(武帝の母)を通じて助命を図ったのでした。
『作戦を提案したのは王恢自身であり、
 失敗したからと言ってこれを処刑しては匈奴にとっての敵を討ってやるだけです』、と。

助命を願った太后に対し、武帝はこう言います。

『確かにこの作戦を提案したのは王恢自身です。そして私がその作戦を採用して、天下の兵30万以上を動員したのです。たとえ作戦が失敗して単于を捕らえることが出来なかったとしても、王恢の軍が匈奴の輜重隊を襲撃して戦果を上げればそれで少しは参加した将兵の心は慰められるでしょう。いま王恢を誅さねば天下に謝罪の意を表するすべがないのです』

これを伝え聞いた王恢は自殺します。
漢にとってはこの馬邑の事件はその後長い間、
恥として記憶されることとなったのでした。


こうして匈奴は漢の戦意を知り、和親は絶たれることとなります。
民間では多少の交易などは続けられたのですが、
時代はその後、漢と匈奴の全面戦争に突入してゆきます。



おしまい。

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  1. 2008/07/27(日) 10:24:48|
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