打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

草原の興亡 その25

東方からの脅威 その2


(ハドリアノポリスの衝撃)
西暦376年、フン族と征服された東ゴートの難民の流入によって、当時黒海西岸に居住していたヴィジゴート族(西ゴート)の一部は西のハンガリー方面に逃げたものの、もう一方は更に南に逃げる事となります。
しかしここにはローマ帝国の防衛ラインであるドナウ川が立ちはだかっていました。
この流域沿いには現代でも主要都市となっている軍団基地が点在しており、紀元4世紀の時点では相当に他のゲルマン系部族の攻撃を受けつつも、まだある程度機能していました。

このトラキアと呼ばれた地域から、当時アンティオキアに居た東ローマ担当の皇帝・ヴァレンスの元へ知らせが届き、西ゴート族が庇護を求めてドナウ以南への移住を願っているとの情報がもたらされます。そしてこの時、当時既に40代後半に達していた皇帝ヴァレンスは、彼らがローマの盾となる事を期待したのか、彼らがドナウ川を渡る事を許可したのでした。確かにこれまで警戒の対象だったゴート人が入植し、耕作と防衛のための兵力の供給源となるなら、これはうまいと思ったとしても無理ありません。ところがこの処置がすべての混乱の引き金となってしまうとは誰が予測できたでしょう。

移住と言うか避難して来た西ゴート族に対し、当初皇帝ヴァレンスは食料などの救援物資を送ったとされますが、この物資は現地で軍団を統括していた各将軍たち・もしくは輸送と供給を請け負った商人たちによって横領され、まともに西ゴート族には届かなかったと言われます。そしてドナウ川を越えたのは、なにも領内への移動を許可した西ゴート族だけではありませんでした。フン族に追われた東ゴートを始め、周辺のゲルマン系諸族もこれに便乗し、中にはフン族の一部もこれに紛れて大挙押し寄せたのです。その数およそ30万人以上。しかも武装解除して来るようにという約束など無視して、彼らは武器を携帯していました。こんな状況ですからドナウ川南岸のローマ領内は大混乱に陥ります。この状況を受けてローマ軍は一転して高圧的な態度で臨む様になり、当然ながら進入して来た諸部族との関係は最悪の状態となって行ったのでした。

378年、皇帝ヴァレンスはオリエントからギリシアに戻り、軍備を整えつつトラキアへ向かいます。これを察知した西ゴート族も軍を集結させて対決する姿勢を見せるなど、このギリシア北方では決戦の機運が高まっていました。なにしろ西ゴート族もドナウ川以北は既にフン族が侵入してきていますから必死です。ここを追われたら更に西へ逃げるしかないわけで、これはもう征服というより生存を賭けた戦いでした。ローマ軍と西ゴートを始めとしたゲルマン系諸部族の連合軍がぶつかったのはコンスタンティノープルの北西数百キロの地点にある都市ハドリアノポリスの近郊(現トルコのエディルネ)。

あんまり細かく書くのは本来の目的ではないのですっ飛ばします。結果としてハドリアノポリス(アドリアノープル)の戦いでローマ軍は約2/3が戦死する大敗を喫し、皇帝ヴァレンスもまたこの戦いでゴート族に焼き殺されてしまいます。
その後、西ゴート族はハドリアノポリスと首都コンスタンティノープルの攻略を狙いますがさすがに両都市ともここは堅く、西ゴート族と他の諸部族の集団はいったんドナウ川方面まで引いたあとこの地にとどまったのでした。これは結局、首都までわずか数日で行けるギリシア北部がゴート族などのゲルマン系部族とフン族の一部に制圧されたことを意味します。

こうして、わずか2~3年でギリシアから黒海沿岸の勢力図は大きく様変わりすることとなったのでした。その後、東ローマ担当の皇帝にテオドシウスが就き、西ゴート族ほかからギリシア北部を奪還し、彼らにドナウ川沿岸を同盟者として割譲することでこの地域を当面安定化させることに成功するのですがこれはまあローマ史の範囲なので細かくは割愛します。

さて、ローマ視点だとこの事件はここで終わりなのですが、
この時のフン族の動きは実は別の方面でも大きなものがありました。
『フン族、カフカスを越えてトルコ・アルメニアに侵入』
恐らくイラン・イラク・トルコの歴史ではこっちのほうが重要な気がします。
4世紀末当時、ペルシア帝国ではおよそ70年に渡って君臨していたシャープール2世が亡くなり、政情はかなり不安定なものがありました。これに乗じる形でオリエント地域にもフン族が侵入してきたのですね。
395年にはアルメニア・ペルシア・アナトリア半島と広範囲に侵入してきたフン族の一部がササン朝ペルシアの首都クテシフォンに迫り、ペルシア軍の必死の防戦によりフン族をなんとか北方へ押し戻したと言います。その後もフン族はアルメニア・トルコ・ドナウ川中下流域を連年侵略して回った結果、だいたい400年頃までにはフン族の支配地域は南はアルメニアの国境付近まで、西は現在のハンガリー及びセルビア付近にまで到達していました。フン族から見れば、もはやドナウ川沿岸にあったローマの軍団基地など全く防衛ラインとして機能しなくなってきていたのです。

そして5世紀、フン族に物語にも登場する英傑が出現します。


おしまい。


FC2ランキング02
 
↑押してってねー。

テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2008/09/18(木) 05:42:17|
  2. 草原の興亡
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<あなたの一票を! | ホーム | 草原の興亡 その24>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://hamilcar.blog64.fc2.com/tb.php/632-2fa8abd3
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

このブログはリンクフリーです。

ハミルカル・バルカ/メルカルト

Author:ハミルカル・バルカ/メルカルト
サーバー:Eos
所属  :イスパ
商会  :たまごのしろ/世界の船窓から
Twitter :hamilcar_notos

FC2カウンター

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
オンラインゲーム
257位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
大航海時代オンライン
9位
アクセスランキングを見る>>

最近の記事

カテゴリー

最近のコメント

月別アーカイブ

リンク

このブログをリンクに追加する

最近のトラックバック

ブログ内検索

RSSフィード

RSSリンクの表示

著作権について

大航海時代 Online』に関わる著作権、その他一切の知的財産権は、 株式会社コーエーテクモゲームスに帰属します。 このホームページに掲載している『大航海時代 Online』の画像は、 『大航海時代 Online』公式サイトにおいて使用許諾が明示されているもの、もしくは『大航海時代 Online』の有効なアカウントを所有しているユーザーが株式会社コーエーテクモゲームスから使用許諾を受けたものです。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。