打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

草原の興亡 その27

大移動の余波


定住
フン族編は今回から5世紀のアッティラ時代へ入ってゆきます。
紀元400年頃までにだいたい現在のルーマニアからハンガリー付近にまで到達していたフン族に対し、5世紀に入るとこれまで完全に蛮族中の蛮族というような捉え方をしていたローマ帝国側の対応が変化してきます。一言で表現すると 『敵対者から警戒すべき同盟者へ』
結局ローマ側からすると自分たちを襲っているゴート族を更に西へ西へと追い払ってゆくフン族は、敵とするよりも少なくとも非敵対的な存在としていたほうが賢明だと考えたのでしょう。
422年頃にはフン族に対してパンノニア(現在のハンガリー西部)の地に居住することを追認し、かつ毎年同盟料として黄金・織物・食料その他の物資を提供することを約束したのでした。言ってみれば安全保障費、もしくは強者への貢納のようなものですね。フン族にとってもハンガリーの平原は放牧地として最適であり、遠く東から遠征してきてようやく安住の地を得たのかもしれません。このハンガリーについてはあとで書く予定。んでまあ、フン族が再び動き出すのはこの後440年代以降ですので、その前に侵入する先のヨーロッパ情勢をさらっと書いておきます。


玉突き
さて、フン族に押し出されるようにして西へ西へと移動していったゴート族、当然ながら移動した先でヨーロッパのほかの部族と干渉することになり、更にヴァンダル・フランク・ブルグンドなどゲルマン系の諸部族が西へと移動する要因となります。中には最初にフン族に征服されたカスピ海のアラン族などもこれに混じっており、こうしてフン族に押し出されたゲルマン系の諸部族は今度はガリアや北イタリア・南フランス方面などローマ領内へ侵入します。
406年、ヴァンダル・スヴェヴィ・アラン族などの集団がライン川を渡り、北フランスのトリエル・アミアン・パリなどを襲って南へ向かいます。この頃にはフランク族がライン川の下流域で勢力を拡大していましたから、恐らくその南から渡ったのでしょう。そしてガリア中部ではライン川中流付近にいたアラマン族もこれに同調してライン川を渡って侵入してきており、広範囲に侵入を受けたガリアのローマ帝国は面から点(都市)だけの存在になりつつありました。そしてこの西暦406年という年は、フン族にアッティラが生まれた年でもあったのです。
また、この406年にライン川を渡ってきたゲルマン系部族のうち、ヴァンダル族はガリアに留まりませんでした。409年にはスペインに到達、更に428年には北アフリカへ渡って西から順に制圧してゆき、最終的には当時北アフリカ最大の港を持っていたカルタゴをも陥落させてヴァンダル王国を建設します。


西ゴート王国
一方、フン族に追われた西ゴート族はこの間どうしていたかというと、黒海西岸>ハンガリー及びルーマニア一帯>アドリア沿岸と移動してきて、400年頃にはもう北イタリアと隣接するあたりまで勢力圏を伸ばし、当時ラヴェンナにいた西ローマ皇帝を脅迫してガリア・北イタリアでの領地を要求するまでになっていました。
そして410年、西ゴート族がローマに侵入し、3日間に渡って略奪を行います。その後、412年には西ゴートの王アタウルフがガリアに侵入してナルボンヌ・トゥールーズ・ボルドーの三都市を制圧してアクィータニア(現フランス南西部)に割拠します。アタウルフはその後、人質としていたプラキディア(皇帝ホノリウスの妹)と結婚してローマ風の行政府を設けるなど親ローマ路線に転換し、ローマ最大の同盟者として418年に西ゴート王国(トゥールーズ王国)を建てます。


ブルグンド王国
406年にライン川を渡った部族のうち、もうひとつ重要な部族を書くのを忘れていました。ブルグンド族です。413年にローマと盟約を結んだブルグンド族はライン川西岸の中~下流域でその後20年近くローマとは良好な関係を続けていたのですが、436年にフン族の傭兵を使ったアエティウスの攻撃によって南に逃げ、現スイスで再びローマと盟約を結んで定着します。彼らはその後西に勢力を伸ばして西ローマが滅亡する476年頃にローヌ川一帯を制圧しブルグンド王国を作ります。
さてこのブルグンド族を重要と書いたのは、この一連の経過が後に叙事詩『二ーベルンゲンの歌』の題材となったからです。ブルグンドの王女クリームヒルトとネーデルラントの王子ジークフリート、そしてフン族の王エッツェルにゴート王テオドリックなどが登場するこの叙事詩、DOLでも前半の主人公ジークフリートが持っている剣バルムンクを入手する連続クエとして登場しますよね。ブルグンド族の名は後にフランク王国の伸張によって埋没してゆきますが、王国としての名はその後も長く受け継がれてゆきます。

ヨーロッパ地図_5世紀前半01
ここでちょっと430年頃までの地図をだいたいで書いてみました。
(原寸はW800×H584ピクセルありますのでクリックして見てください。)

こんな感じで、360年頃にカスピ海の北部で始まった玉突き現象の余波は、いつの間にかヨーロッパ全体に及ぶ大変動へと拡大していたのでした。ライン川沿いに建設されていたケルン・マインツなど後世まで都市として残るローマの軍団基地が既にゲルマン系の部族に制圧されているのが分かりますね。ただ、戦乱の中の均衡とでもいうのか、420~430年代に掛けてローマを軸とした西ヨーロッパの勢力バランスは意外に安定していたのも事実です。


しかし440年代に入ると、事態は一変します。
これまで毎年の支払いを要求しつつもローマ帝国と比較的良好な関係を持っていたフン族に、
その一生を反ローマに費やした男が指導者として立ちます。
そう、アッティラの登場でした。
兄のブレダと共に後を継いだ彼の代で、フン族は短期間にその最大版図を築く事となります。
次回はアッティラの西ヨーロッパ侵攻と歴史上のポイントとなる戦いを紹介します。


おしまい。


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  1. 2008/09/28(日) 09:11:27|
  2. 草原の興亡
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1
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コメント

西暦444年 ロ-マ

Dear history ロ-マ帝国が 分裂したのが フン族拡大が 原因! ジンギスカンの 前哨戦 と 思わず 理解したが。 北アフリカも 征服した! Attila王国は 立派な 殿様です。 日本の 将軍にも 教育しないと 大変な 歴史的な 事実ですね。
  1. 2014/10/30(木) 08:14:52 |
  2. URL |
  3. 岡田健一 #-
  4. [ 編集]

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