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エンリケ物語 その2

海洋国家の片鱗


エンリケ航海王子を軸に興隆期のポルトガルを取り上げるシリーズの2回目。
前回はエンリケが生まれるまでの政治情勢を見ましたが、今回は商業や技術面、特に金融面と海運・航海・造船・人材などについてはどうだったのか、ちょっと振り返ってみます。


海洋国家
言うまでもなくポルトガルは国土の大部分が大西洋に面していますから、その発展を海上に求めるのは自然な流れだったでしょう。そもそも人口からしてフランスやカスティーリャなどの内陸国には遠く及びません。そしてポルトガルが海洋国家として地力を蓄えていく過程、そこにはポルトガル一国だけでなく、当時のヨーロッパ情勢が大きく影響していました。これはポルトガルの立地を考えると必然的な所で、13~14世紀当時、北は北海・バルト海の商業圏が、東に行けば地中海の商業・海運が完全に成立している、まさに中間地点に立地していたのですから。


リスボン遷都
まず、エンリケが生まれる150年前の13世紀中頃、既にポルトガルの王宮は内陸のコインブラからテージョ川の河口付近にある港町リスボア(リスボン)に移っていました。これはレコンキスタの一環でコルドバなどムーア人の主要都市がカスティーリャ勢の侵攻でグラナダを残してほぼ陥落し、ポルトガルでも最後に残ったアルガルヴェ地方の攻略によってポルトガルでのレコンキスタがほぼ完了した事と無縁ではないでしょう。国土回復なったポルトガルには、海に打って出る以外に発展の余地がなかったとも言えます。
※後にこのアルガルヴェ地方がエンリケ航海王子の所領となります。

実際、ポルトガルは急速に海洋国家としての体裁を整えつつありました。何しろ13世紀中頃にはポルトガルの王宮は専用の造船所すら保有しており、ポルトガル王は30隻以上の商船を運用する大船主だったと言います。こういった事例からも13世紀頃から海運が国家として非常に重要な位置を占めつつあった事がうかがえますよね。
しかし、まだこの頃のポルトガルは海運と言っても北と南の産物、例えば北海の織物・木材・馬や魚肉、地中海のオリーブ・ワイン・香料など、ハンザ諸都市やジェノヴァ・ヴェネツィアの商人が持ち込んできた産物を積み替えて運ぶだけの運搬業者と大差ない活動に留まっていました。これは、当時ヴェネツィアやハンザ同盟都市などで発展し始めていた銀行・為替手形・複式簿記など高度な金融決済のシステムがまだポルトガルには整備されていなかったのと、それを導入・運用する大商人・船主・造船技術が育っていなかったとも考えられます。


ジェノヴァ人の移住
これが大きく変わり始めるのは14世紀に入ってから。
1317年、当時のポルトガル王ディニスはジェノヴァの商人ピサーニョと契約し、交易上の特権を与える代わりに王室直属の提督として20人の航海者を誘致し、リスボンの海運発展に尽力するよう命じます。
そして1338年、フィレンツェの銀行家・バルディ家の一族がポルトガル国内での貿易・金融などの特権を許可されてリスボンに移住してきます。このバルディ家は高度な金融システムと地中海の優秀な帆船をいち早くポルトガルに持ち込み、フランドルや北イタリアの織物・武器・地中海の穀物など国外の主力商品の直接買い付けを行う大規模な貿易を導入し大成功します。そしてこれに刺激された他のイタリア系商人も次々とリスボンを訪れるようになってきたのでした。
で、現在DOL世界でリスボンの商業地区にいるバルディ頭取、フィレンツェのバルディ本家はこの後いったん破産していますが、イタリア語や食料品取引を教えてくれる彼って、果たしてこの移住して来たバルディ家の子孫なのかちょっと気になるところ。

ところで、14世紀に入ってイタリア勢、中でもジェノヴァ人が多くリスボンを訪れるようになったのは、恐らくこの時代に東地中海で争っていたヴェネツィアとの競争で劣勢を強いられ、次第に権益を失っていった事と無縁ではないでしょう。特に1378年のキオジア海戦でヴェネツィアがジェノヴァを破って以降、東地中海から締め出された多くのジェノヴァ人が西を目指すようになります。そして西地中海や北ヨーロッパで貿易を行う際に必要な港として、イベリア半島の西端を回った位置にあったリスボンが立地的に非常に恵まれていたのは言うまでもありません。

こうして14世紀の後半になると様々なイタリア人がリスボンに移住してくるようになります。その中には商人や船乗りだけでなく船大工・地図製作者・数学者・銀行家などかなり多彩な人々もおり、これらの人々がもたらした技術や情報が発展期のポルトガルにとって大いに生かされて来ることになります。この頃にはポルトガル船の活動範囲はギリシアからノルウェー沿岸にまで達していたと言いますから、既に南と北を繋ぐ交易の重要な位置を占めていたでしょう。また、恐らくリスボンの港には地中海のラティーン船と北海のコグ船が行き交う不思議な光景が見られたでしょう。しかしこの事が、後にポルトガルで新型船が生まれる土壌となったとも考えられます。


15世紀へ
こうして、エンリケが生まれる14世紀末~15世紀初頭になると、リスボンには地中海や北海から来航してきた船が年間400~500隻に達するなど、海洋国家としてのポルトガルは着実にその地位を確立しつつありました。またエンリケの父ジョアン1世は旧来の貴族階級だけでなく新たに台頭しつつあった商人など平民を優遇し味方につける方針を打ち出しており、国としても非常に活力溢れる時代を迎えようとしていました。

そして15世紀、いよいよポルトガルが外洋に打って出る時を迎えます。
次回は成年に達したエンリケほかポルトガルの王子達の活躍を見てゆきます。
人にしても国にしても興隆期のことを書くのは楽しいですね。



おしまい。


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  1. 2008/11/03(月) 18:15:28|
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