打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

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エンリケ物語 その3

エンリケ兄弟の成長


前2回までで見たように、エンリケの父ジョアン1世の治世となった頃のポルトガルは、国全体としては長年続くカスティーリャとの戦争で疲弊してはいたものの、海洋国家としては中継港として大発展しつつあったリスボンやポルトを象徴として非常に活力溢れる時代を迎えようとしていました。
これは、ジョアン1世が旧来の貴族層だけでなく都市のブルジョアジー層や手工業者、更には農民層までもが一丸となって支持して選出され、カスティーリャ王の介入をはねのけて成立した王であり、ジョアン1世もまたこれに応えて中層クラスの平民や従士などでも功あれば騎士に取り立てるなどして新しい支持層を作った事とも無関係ではないでしょう。
そして中下層の家臣を取り立て、大きな仕事をさせて成功したものには恩恵を与えた点ではエンリケもまたジョアン1世の方針を受け継いでいました。これがポルトガルの飛躍に大きく関係してきます。後にエンリケ航海王子の世代となってからアフリカ探検に乗り出した者たち、更にディアスなど決定的な発見をした者の多くが従士・騎士階級のこれら新しい家臣団とその子孫から輩出されて来るようになるのですから。


ジョアンの息子達
さて、15世紀に入った頃、ジョアン1世の宮廷はイングランドから輿入れした王妃フィリッパとの間に生まれた王子・王女達に囲まれとてもにぎやかな様相を呈していました。ちょっとここで、成年期に至るまでのジョアン1世の子供達を見てみます。

1388年、第一子ブランカ誕生(夭折)
1390年、第二子アフォンソ誕生(夭折)
1391年、第三子ドゥアルテ誕生
1392年、第四子ペドロ誕生
1394年、第五子エンリケ誕生
1395年、第六子ブリッテス誕生(夭折)
1396年、第七子ブランカ誕生(夭折)
1397年、第八子イザベル誕生
1400年、第九子ジョアン誕生
1402年、第十子フェルナンド誕生

まあ、なんというか、
なんだかんだ言って仲が良いというかやるこたやってますね・・w
王妃フィリッパはイングランドから多くの従者・侍女・管財人・聖職者などを連れて来てフランス式の宮廷儀礼をポルトガルに持ち込んだといいますが、王子・王女の教育にもかなりの注意と愛情を注いだ女性だったと言います。
またジョアン1世も、戦乱に明け暮れるだけでなくイングランドやフランスで重視された馬上槍試合を奨励して新しい騎士層の充実を図ると共に、息子達には騎士団長や高位の聖職者を招いて教育係に付けるなどして彼らの成長に心を配ったとされます。
月日は流れ、こうした恵まれた環境に育ったジョアンの子供達も成長してくるとそれぞれに特徴を持った形質を現してきます。今回はジョアンの上3人の子供達の人となりを紹介してゆきますね。


長男ドゥアルテ
まず夭折した4人の子供を除くと実質的に長男となるドゥアルテ、
彼を一言で表すなら『賢者』でしょうか。
幼くしてキケロやセネカ(古代ローマ期最高の哲学者の1人)の著述を好んで読み、いくつかの書物を自ら書き上げるという思慮深い性質を持っていた一方、次男のペドロと比べるとやや決断力が弱くて優しすぎる性格から、小国ポルトガルの舵取りを任せる後継者として大成するか不安視する者も居たと言います。


次男ペドロ
次に次男ペドロ、彼を表現するとしたら正に『天才児』。
兄ドゥアルテと同じく学問を好み、若くしてセネカの著述の注釈と改良書を書き上げた程の知性の持ち主でありながら弓馬の技術も優れ、しかも社交的な性格で弁舌爽やかなため宮廷の寵児となっていたと言います。しかしこのペドロ、なぜか父ジョアン1世は彼よりも弟のエンリケに目を掛けていた様で、これを不満に思った事が後にペドロが成人すると国外に飛び出して行った事の遠因となっていたのかも知れません。そしてその悲劇的な最期にも・・・。


エンリケ少年
そして三男エンリケ。
少年期のエンリケについてはあまり詳しい資料など残っていないのですが、後世の印象とは異なり意外にも学問に興味を示さず、むしろ剣術・馬術に秀でて狩猟に熱中するなど、かなり活発的な所を見せていたと言います。性格的には正義感に溢れて信仰心に篤く、しかも辛抱強い所があり、廷臣たちはエンリケ少年に若き日のジョアン1世の面影を見ていた者もいたようです。
そして、こうした三兄弟の人となりを見ていた父ジョアン1世、後にエンリケを兄二人をさしおいてキリスト騎士団長に任命するのですが、なんとなくうなずける話だなと思いますね。


王女イザベル
さて、ちょっと長くなって来てあれですが、最期に唯一生まれた王女イザベルについても言及しておきます。彼女もポルトガルが発展して行った上で大きな役割を担った一人でした。イザベルは母フィリッパが亡くなった後はポルトガル宮廷でいわゆるファーストレディ役を務めたためか、初婚は当時としてはかなり遅い32歳になってからだったものの、その相手は大物中の大物でした。

ブールゴーニュ侯フィリップ。

善良侯と呼ばれたフィリップはフランス王家の親族として、当時ヨーロッパでも最も裕福な大貴族でした。その所領はワインの産地で知られるフランス中南部のブールゴーニュ地方だけでなく北部沿岸で当時から織物を始めとした商工業の先進地域フランドルにも及んでいたこともあり、フランス王などより余程豊かな財力を有していました。ここに嫁いだイザベルはフランドルの主要都市ブルッへ、次いでアントワープにポルトガルの商館を設立させ、これによってポルトガルは貿易における北海方面の重要拠点を得る事になりました。この事は、ポルトガルにとって後世非常に重要な意味を持ってきます。インドや香料諸島から運ばれてきた香辛料の多くはリスボンだけでなくアントワープにも運ばれ、ここからヨーロッパ全域へと流通し、そこで得た銀によって再び香料貿易の艦隊が編成されるようになるのですから。

このように、英傑ジョアン1世の革命によって発展を迎えつつあったポルトガルでは、次世代を担う優秀な王子・王女達が歴史の表舞台に出るのを今かと待ち構える段階に来ていたのでした。


次回、
エンリケの初陣!



おしまい。


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  1. 2008/11/05(水) 23:52:11|
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