打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

エンリケ物語 その6

アフリカ探検の開始


今回から、エンリケの主導によって始まった西アフリカ探検の軌跡を追ってゆきます。
大航海時代全体におけるポルトガルの動きを大きく4段階くらいに分けるとするなら、

1)15世紀前半のエンリケ航海王子による西アフリカ事業
2)15世紀後半のジョアン2世時代の南アフリカ~インド到達まで
3)16世紀のインド・香料諸島到達から中国・日本来航とスペイン併合時代まで
4)17世紀のイギリス・オランダとの抗争による香料諸島・インド権益喪失まで

だいたいこんな感じになると思いますが、
このうち最初にあたるエンリケ時代も大きく2つの時期に分かれていました。
まず前半が、1415年のセウタ攻略から1434年のボジャドール岬到達まで。
そして後半が、1441年の西アフリカ探検再開から1460年のエンリケ死去まで。
この間に当たる1435~1440年に何があったかはこの先書くとして、
このシリーズの中盤としては前半部分を見てゆきます。

それから、今回から例によって記事の進行に合せて地図を書き込んで行きます。
アフリカを扱った地図素材の困るところは、多くの地図が大西洋をはしょってしまうのでヴェルデ諸島やアゾレス諸島が見切れてしまう点ですね; 今回使う地図素材もアゾレスの位置がだいぶ怪しいのですがご容赦を。

アフリカ探検図01
※1420年までの西アフリカ探検図


マディラ発見
1419年、カナリア諸島からの航海の帰りにあったエンリケの家臣ジョアン・ゴンサルヴェス・ザルコとトリスタン・ティシェイラは、普段とはやや西寄りに流されつつ北上していた所、ある島を発見します。これが今のマディラ本島でした。また同年、同じ航路をたどったバルトロメウ・ペレストレロがマディラ諸島の一つポルト・サント島を発見します。
彼らが航海に行っていたカナリア諸島は中世期からヨーロッパでは知られた存在で、14世紀の時点でスペイン人が探検していますし、後にポルトガルも領有を主張して15世紀には両者の争いになるなど比較的早くから開発が始まっていました。(スペイン領と確定するのは1490年代頃だったかな)
で、15世紀になってカナリア諸島への航海が活発になってゆくのですが、その過程でマディラを発見したのもごく自然な流れだったと思います。

と言うのも、DOL世界では完全な逆風でも船が進める設定になってますからあんまり気にしないかも知れませんが、カナリア諸島からジブラルタル海峡に向けてはモロッコ沿岸から吹く強烈な風と潮の流れが逆になる為、実際の帆船の場合はいったん北~北西に進路を取ってから北大西洋の西風をつかまえる必要が有りました。(DOL世界でもガレオン船でラスパルマスからリスボンに帰ろうとしたらこういう進路になりますよね?)

そしてポルトガル船にとってリスボンに帰るためにはスペイン船よりは比較的北に進路を取る必要があり、カナリア諸島から北北西にあるマディラ諸島は発見しやすい環境にありましたし、更に北西にあるアゾーレス諸島も進路の延長上に有りました。
また、14世紀中にスペイン(カスティーリャ王国)がマディラを発見できなかった(もしくは無視した?)のは、航海技術と船の影響もあったかも知れません。当時のガレー船やバルシャ船・バリネル船などでは航続距離に不安が有りますし、まだ緯度を測定する技術も確立していませんでしたから、逆風への航海でも沿岸からあまり離れない範囲での航行を基本としていたと思われます。

ところで、最初に一応 『発見』 という扱いにしていますが、実はこのマディラ諸島、既に古代ギリシア・ローマ時代には認識されていました。地中海・ヨーロッパ世界で一番最初にマディラを発見したのは恐らく古代フェニキア人。その流れを汲むカルタゴからは、60隻の船団を率いて西アフリカを探検航海してシエラレオネ付近に到達したと言われる航海者ハンノや、サハラ砂漠を横断して西アフリカに到達したマーゴ・バルカという人物もいますし、地中海世界では紀元前4世紀頃には既にある程度西アフリカの様子は知られていました。中世期を経たヨーロッパ人がその事を忘れていた、と言うか知識の伝承が途切れていたのはまあ無理ないところですが・・・。



マディラ開発事業
さて、マディラ諸島を『発見』したとされる三者に対して、ポルトガルはそれぞれの島の領有権を与え、開発する権利を与えます。その後1420年代に入り、マディラ開発が始まります。早い時期に起きた大規模な山火事によってマディラ本島に密生していた豊かな山林の一部が焼けてしまうと言う事故があったものの、これが逆に焼畑的な効果をもたらしてマディラでは小麦・ブドウ・サトウキビなどの農業が発展するきっかけとなります。1430~1440年代には早くも小麦の生産高が2000トンを超えていたといいますから、気候的にもかなり恵まれていたのでしょう。

そして、後にマディラでは小麦に変わって砂糖が莫大な利益を生む商品に急成長します。当時ヨーロッパで砂糖は超高級食材で、アラブから買い付けるルートを持っていたジェノヴァ商人が独占販売していたのですが、これにマディラ産の砂糖が殴り込みを掛けます。エンリケが亡くなる1460年代にはマディラで生産した砂糖の輸出高は90~100トンに達し、これはポルトガル屈指の大貴族となっていたエンリケの領地収入の数倍に当たっていました。
但しこの砂糖、高級品とはいっても大量供給と価格競争が起これば次第に価格は下落するため、大航海時代以降、砂糖は次第に平民層でも手が出る食材になってゆきました。また、マディラの砂糖はカリブ海の大規模な開発が進んでくると次第に競争力を失い、生産の主体はワインに移ってゆきます。現在のマディラの交易品で砂糖がまだありますが、時代の影響を受けるなら次第に買い付け量が減少しても不思議じゃないですね。


西アフリカへ
マディラの再発見と領地経営の大成功は、探検航海による領地獲得に大きな魅力を与えます。これ以降、西アフリカでの探検航海がポルトガルで有望な事業と認知されたのは、宗教的な欲求やエンリケの活動も大きいでしょうが、マディラの成功が閉塞感を感じつつあった貴族層・商人に新たなフロンティアを提示したというのも無視できない推進力を与えたからではなかったでしょうか。

次回は、世界の果てへ挑戦するエンリケの家臣たちの航海を。



おしまい。


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  1. 2008/11/10(月) 23:23:51|
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