打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

エンリケ物語 その8

挑戦

今月になって始めたこのシリーズももう8回。
なんだか普段になくハイペースで進んでもう中盤です。


ジル・エアネス
1434年、
エンリケの従士だったジル・エアネスは、当時ヨーロッパで世界の果てと思われていたボジャドール岬を越えて探検するようにというエンリケの厳命を受け、ポルトガル南部のアルガルヴェから出港します。実はこのエアネス、前年にもカナリア諸島から更に南下する探検航海に出ていましたがこのときは失敗してカナリア諸島で引き返してしまっていました。


当時、彼が探検に使用した船はバルシャ船。
バルシャはご存知の通り1本マストの小型船で西地中海では比較的早くから使用されてきた船種。DOL世界では最も小型な初期船として扱われていますが、このバルシャもだいたい15~30トン程度だったものが15世紀にはやや大型化し、最大で50トンクラスのバルシャも登場していました。
大きさだけで言うと後にアフリカ最南端に到達したバルトロメウ・ディアスの艦隊が使用していたキャラヴェル船がこの50トンクラスで、そう考えるとこの先DOLでもキャラベル並の大きさを持った改装型バルシャとか大型バルシャとか出ないかしらん。
ごめん脱線した・・・。


で、この時エアネスが使ったのは小型の 『Barca』 ではなく中型の 『Barcha』 と言う記述がありますからほんとの小船ではなかったのでしょう。ただ、1本マストに三角帆ですから取り回しは非常に優れていたものの、大型化し船尾舵を備えていても耐波性能はほとんどガレーと同レベルですし、逆風へ間切って進む能力も基本的には内海・沿岸で使用する船であり、未知の海域へ長距離探検航海するのはちょっと無謀と言うほか有りません。
まあ、現代でもインド洋では小さいダウ船で交易をしている所が有りますが、彼らは何百年もの知識の蓄積と経験があってやってる事で、外洋に出て間もないヨーロッパ人がよくこれで帰ってこれたなとすら思えます・・。


さて、アルガルヴェを出港したエアネス、
アズララの言葉を借りれば
『自分がこれから派遣される目的地に関して、
確実な情報を持ち帰ること無しには殿下の御前には決して姿を現すまい、
と深く意を決した』
というくらいに気合充分。
船員たちがビビリまくっているのをなんとかなだめ、
1434年、ボジャドール岬のやや沖合いを通過する事に成功します。
実際、ボジャドール岬からブランコ岬に達する西サハラあたりの海域は、モロッコからの海流とヴェルデ諸島に通じる北大西洋の海流が交差する地域に当たり、しかも海岸線は砂浜に隠れて切り立った崖と岩礁が所々に現れる為、沿岸航行は非常に危険な難所でした。
そんななかで恐る恐る通過したエアネスが見た光景、それは

『沸騰した海』 
とは岬の沖で潮流が交差してぶつかって確かにやや激しい流れであったものの、
その先は平坦な海面が続く普通の海面であり、
『赤い血のような川の流れ』
とはサハラの赤土が流れ出て赤茶色に濁った河川のことであり、
『怪物が棲む泥沼のような海』 
とは川からの赤茶色の泥土のあいだで大量に回遊していたボラの大群でした。

こんな感じで実際のボジャドール岬を越えた海域、それは確かに一つ一つは珍しいものの、落ち着いて見れば練達の航海者にとってはどうという事のない光景に過ぎませんでした。こうして、無事ボジャドール岬を通過して更に南へ航行したエアネスは、その先も海岸線が続いている事を確認し、更に上陸してからエンリケへの土産として 『聖母マリアの薔薇』 と名付けた現地の花を採集して帰還します。

中世以来航海者の間で信じられてきた事が迷信に過ぎないと判ったこの航海は、
みるべき発見物こそなかったもののその功績は非常に大きいものがありました。

後にこのエアネス、1460年頃には後の六分儀の原型となる象限儀を設計します。
これと、この頃ウィーンのレギオモンタヌス博士が完成させた天体運行表とを組み合わせる事でポルトガル船は緯度を知ることがある程度容易になり、エアネスは探検上の功績と遠洋航海技術の進歩の歴史の両方に大きな足跡を残したのでした。



遭遇
1434年、ジル・エアネスの報告を聞いたエンリケは直ちに行動に移ります。
従者アフォンソ・ゴンサルヴェス・バルダヤに命じて1隻の船を艤装させ、
エアネスの報告の裏付けを取る為ボジャドール岬の更に先まで航海してくるように命じます。

このバルダヤが使ったのはバリネル船。
バルシャよりやや大きく、1~2本マストで横帆と櫂を両方装備した船でした。
このバリネル船に乗ったバルダヤは2度航海に出て、
1回目にボジャドール岬から50レグア、2回目で120レグア先まで進みます。(1レグアは約5.5~6km)
そしてこの2回目の航海でバルダヤは大きな河口と絶好の停泊地を発見します。
これが現在のオーロ河で、ここをリオ・デ・オーロと名付けます。

河口に停泊したバルダヤはここで上陸隊を編成して内陸探索に向かわせます。
そして川沿いに40kmほど遡った地点で投槍を持った19人の現地人を発見すると、上陸隊はこの現地人に襲い掛かって1人を負傷させたものの自らも負傷者が出たといいます。この記述から既にこの時点であわよくば現地人を捕虜というか奴隷にする狙いがあった気がしますね。(奴隷に関しての話はまた後で書く予定です)
さて、その後もバルダヤは西サハラを南下し、更に50レグアほど進んだあたりでアザラシの大群を発見し、これを捕獲して帰還します。アザラシは航海者にとって非常に重要な獲物で、肉・毛皮はもちろんですがその脂肪は各種の油・船の防水用のシール材にも使われ、高値で売れてほとんど捨てるところの無い貴重な資源でした。



足踏み
こうして、1436年の時点でエンリケの探検事業はボジャドール岬の720km先まで進み、
ブランコ岬とその先のアルギンまであと少しという地点まで到達していました。
またマディラでは開発が軌道に乗りつつあり、ポルトガル王室でも発見と開発によって得た収益の一部をエンリケが取る権利を与えており、その資金はエンリケの領地収入を超え始めるほどにまで成長しつつあったのでした。

しかし、その後1441年までの5年間に送られた探検隊はわずか3回。
エンリケの探検事業への興味が失せたのではなく、
それどころではない事態が発生していたのでした。



おしまい。


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  1. 2008/11/14(金) 12:09:36|
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