打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

エンリケ物語 その9

挫折


1436年までに西アフリカの中段あたりまで到達していたポルトガルの探検事業。
アルギンまでもう少しと言う段階でしたがここで一時中断してしまいます。
その間、この年から数年に渡り、ポルトガル・そしてエンリケ自身がその力を他へ振り向けなければならない問題が起きていました。これを乗り越えた後、ポルトガルは再び飛躍し始めます。今回はそんな、エンリケの生涯でも屈指の辛苦と挫折を味わうお話です。

1433年8月、エンリケ兄弟の父であるジョアン1世が亡くなります。
カスティーリャの侵攻から貴族と民衆を率いてポルトガルの独立を守った英傑は74歳でその生涯を閉じたのでした。跡を継いだエンリケの兄ドゥアルテはこの時42歳。ペドロ・エンリケと言う優秀な兄弟に支えられたドゥアルテの治世が、その温和で思慮深く慎重な性格とは全く逆の方向に進んでしまったのは皮肉というほかありません。


タンジール
1435年、カナリア諸島の領有権をめぐって対立していたカスティーリャとポルトガルの間にローマ教皇が立ち、一応カスティーリャ王国にその権利ありと確認する裁定がなされます。(最終的に確定するのは1479年のアルカソバス条約)
前年にボジャドール岬を越える事に成功していたポルトガルにとって、西アフリカ事業の足掛かりとなるはずのカナリア諸島の権益を失うのは重大問題で、早急にこれに代わる戦略基地を必要としていました。
もちろん1415年から保持していたセウタはその任を果たしていましたが、セウタはジブラルタル海峡を通過した東側の港であり、できたらその西側、つまりモロッコの海岸側に基地を欲していたのでしょう。またカナリア領有からモロッコ進出が予想されるカスティーリャに対しても先手を打つ必要があり、この政略・戦略両面から注目された目標、それがタンジールでした。

西アフリカの地図にタンジールを加えてみます。

アフリカ図1436年

このように、セウタのちょうど岬を越えた反対側にあるのがタンジールの町でした。
確かにここを取れば完全にジブラルタル海峡を押さえられますし、セウタの孤立も避けられます。またリスボンから南下して西アフリカを目指す際の中継点としても使用できますね。こんな感じでタンジール攻略計画は自然と現実味を帯びてきます。何よりこの計画に最も積極的だったのがエンリケ自身とその弟のフェルナンドでした。
ただ、一方でアフリカ遠征に完全に反対する者、それから危険なアフリカでの制圧作戦よりもイベリア半島で未だ残っていたグラナダ攻略を優先すべきという声も根強くあり、新国王ドゥアルテもそれを支持していました。


決定
1436年夏、
既に予算・兵員の調達などを含めた遠征計画が始まっていたポルトガルで、
王族を集めた顧問会議が開かれます。
出席したのは国王ドゥアルテ、兄弟のペドロ・エンリケ・フェルナンド・ジョアン、
そして異母兄のバルセロス伯とその息子のオウレン伯とアライオロス伯の8名。

タンジール攻略に関しての各人の意見は次の通り。
(反対)ペドロ、ジョアン、バルセロス伯
(賛成)エンリケ、フェルナンド
(グラナダ案)オウレン伯、アライオロス伯

裁定者である国王ドゥアルテと軍の要職にあったアライオロス伯は立場を明らかにしなかったようで、ここでどちらかが反対していればタンジール攻略作戦はなかったかも知れません。結局判断に迷ったドゥアルテは会議の場での決断が出来ず、教皇に手紙を送ろうとするのですが、それを知ったエンリケは兄に強く迫って強引にタンジール攻略を認めさせたと言います。


タンジール攻略作戦
1437年、タンジール遠征軍が編成されます。
しかしこの計画は準備段階からしてセウタ攻略時とは全く違うものになっていました。
まず、14000人を予定していた兵員は実際には6000人ちょっとしか集まらず、前回参加したイングランドの長弓兵や諸国の騎士団などの参加もありません。また前回輸送を請け負ったジェノヴァやイングランドの船団も確保できず、補給面で不安を残したままの出発となっていました。また、民衆派の意見を代表していたペドロが反対の立場を取っていたように、リスボンなど大都市の商人層は前回とは異なり増税に対する不安から積極的に参加する姿勢を見せませんでした。
そしてなにより、この計画は既にモロッコ側に察知されていました。
セウタ攻略を許した教訓からタンジールでは町全体の防備が強化され、周辺諸国からは数万のイスラム兵が参陣しつつあったのです。こうした状況の中、1437年8月にエンリケの艦隊はセウタに到着し、9月になってそこから陸路でエンリケが、艦隊に軍司令官のアライオロス伯とフェルナンドが乗る形で出撃します。


敗北
陸路からタンジールの城下まで迫ったエンリケは9月下旬から攻撃を開始します。
しかし防壁を高くし警戒していたタンジールが10日やそこらで破れるはずもありませんでした。10月、周辺諸国からのタンジール救援軍が迫っていた事もあってエンリケはいったん郊外へ引く事を余儀なくされます。この時には既に王ドゥアルテからセウタへ撤退するよう命令が出ていたようなのですが、なぜかエンリケはこれを無視したのでした。
10月中旬、タンジール郊外でエンリケは完全に包囲されていました。
海上で待機するポルトガル艦隊も、当時まだ船に大砲を積んでいなかった事もあって補給も支援攻撃も出来ない状況の中、飢えに苦しむエンリケ率いるポルトガル軍の選択肢は降伏しかありませんでした。この時モロッコ側から提示された降伏の条件はセウタの返還。そして実行の確認の為に王子を人質として送る事となっており、エンリケはセウタへ帰還する代わりに弟フェルナンドを人質に出すこととなったのでした。


セウタかフェルナンドか
セウタに帰ったエンリケはそこでいったん待機し、ポルトガル本国の対応を待ちます。
ここでまたしてもポルトガル王宮は決断を巡って紛糾したのでした。
兄ペドロは即時返還を主張。
ドゥアルテも基本的にはフェルナンド解放を望んでいました。
一方攻撃に参加したアライオロス伯はセウタ返還に反対を主張し、
ローマ教皇もセウタの放棄には難色を示します。

判断に苦慮したドゥアルテはここでセウタからエンリケを呼び戻すのですが、エンリケにとってセウタは絶対保持の重要港であり、フェルナンドを解放して貰う手段としては賠償金によって図るべきという意見を示したため、セウタ返還は当面見送られる事になります。
その後、心労が重なったポルトガル王ドゥアルテはこの年の9月にペストで亡くなってしまいます。遺言では弟フェルナンドの解放のため、ドゥアルテの個人資産すべてを充てるように、またそれでも足りなければセウタを返還すべしと書かれていたと言いますが、この遺言は結果として完全に無視されてしまったのでした。

1443年、エンリケの弟フェルナンドは5年もの拘束の末に亡くなります。

フェルナンドの死に関しては、セウタの総督であり、タンジール攻略作戦の指揮を取っていたエンリケに最大の責任があったでしょう。これによって軍人としてのエンリケの声望は地に堕ちる事になりますが、それでもセウタ保持に固執したエンリケの真意が宗教的な理由なのか、西アフリカ事業を頓挫させる事を避ける政治的判断なのか、今では判りません。

ただ、結果としてセウタは保持され、後にタンジールはドゥアルテの息子アフォンソ5世の時代になって攻略される事で、ポルトガルはそれに続く南アフリカ・そしてインド洋への足ががりを確保します。
そしてこの敗戦はポルトガルに大きな教訓を残します。
人口が少なく、生産性も低いポルトガルは当然ながら陸上兵力は限られており、
陸軍での力攻めは利がない事を身を持って知ったのでしょう。
これ以降、広大な地域で必要な拠点を確保する際のポルトガルの基本戦略は海上戦力の活用が前提となって行きます。そして船に大砲が積まれ、大きな戦力となってくる16世紀になると、ポルトガルは小国ながら海上帝国と呼べる広大な海域を支配する強国に成長してゆく事となったのでした。


再開
タンジールでの挫折を取り戻すかのように、
エンリケは再び西アフリカ事業へと乗り出してゆきます。
実は探検事業が中断していた5年の間に、
リスボンの造船所では新型船が密かに開発されていたのでした。




おしまい。


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  1. 2008/11/18(火) 07:28:50|
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