打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

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エンリケ物語 その10

新型船の登場


進水
1441年、リスボンの造船所で艤装を終えたある新型船が出港します。
これまでの商船ナウ(ナオ)よりだいぶ小さく、大きさは50トン程度。
船首船尾楼は無く、一層甲板・喫水は浅めでやや船幅も狭いスマートな船体、それでいて複数のマスト、特に前部マストに巨大な三角帆を備えるという、これまで地中海でも北海でも見た事のない船がそこにはありました。地中海と北海の船が共に訪れる中継港リスボンでもその姿は人目を引いたことでしょう。そしてその船がガレーかと思うような敏捷さで港外に出て行く姿にリスボンの人々は感嘆します。

この船を指揮していたのは、エンリケの家臣で衣裳係をしていた若者アントン・ゴンサルヴェス。
既にこの前年には完成していたと思われるこの船こそが、
記録上では初めて登場する事になるポルトガルの新型船・カラヴェル(キャラベル)だったのでした。
このキャラベルの登場により、ポルトガルの探検事業は一気に進展します。
商船と比べればはるかに小型な船体ながら、既にキャラベルはかなりの長距離航海を乗り切るだけの航行性能・小人数でも運用できる軽便性を備えていたのです。


カラヴェル船


しかしキャラベル船の当時の構造・造船方法は、実は良く判っていません。
その基本設計図はポルトガル王室管理の重要機密文書であり、他国はおろか一般のポルトガル人ではそれを覗く事は許されなかったのです。実際、15世紀の末期にならないと他国ではキャラベル型帆船は登場しません。しかもポルトガル側から出てくる資料・記録もごく少ないという謎の船でした。
現在では著名なキャラベルはその復元船がいくつか存在しているものの、これはあくまで文書の記録やスケッチで判る限りで推測・復元させたものであり、細部がどうだったかは実際のところ謎なんですね。

キャラベルの設計には、エンリケの兄ペドロがヨーロッパ旅行で持ち帰った技術・情報、ジェノバから移住して来た技術者達のアイデア、更にこれまでの探検航海で浮かび上がってきた問題点の改善案などが活かされていたでしょう。これに、王室の造船所と木材の伐採権を握っていたエンリケの権力・財力が加わり、その配下の造船技術者によって誕生した、当時の海洋国家ポルトガルだからこそ開発できた技術の結晶とも考えられます。それだけに優秀な帆船の造船技術が流出する事に関しては過敏だったのかも知れませんね。

いっぽうこの時代、既にキャラックの原型となる船は登場しています。
しかし基本的に商船ですから積載量重視で喫水は深くて動きは重く、沿岸航海や川への溯上も多い未知の海域では座礁の危険があるため、探検には不向きだったのでした。キャラベル登場以前の探検者がバルシャやバリネル船など明らかに航行性能に不安のある船を採用せざるを得なかったのもこの辺に理由がありそうです。そして、後に改良が進んだキャラックは世界一周を成し遂げるほどの航行性能と積載性そして武装を兼ね備えた万能型の帆船に発展してゆきますが、こと探検航海においては機動性に優れたキャラベルには遠く及びませんでした。後にキャラベルのコンセプトはケッチ船やスループ船、更には現在の小型帆船などにもその影響が見られるほど、その完成度が高かったのですからまあ無理もありません。



黒歴史の始まり
さて、1441年に出港したゴンサルヴェスのキャラベル船、
一気にボジャドール岬を越えて西サハラに入り、以前到達していたオーロ川付近でアザラシの群を捕獲する当初の目的を達すると、更に上陸して沿岸部を探索します。そしてこの時、上陸したゴンサルヴェスは2人の現地人を捕らえ、エンリケに献上する奴隷としたのでした。
そう、この1441年はキャラベル登場の年であり、かつアフリカ奴隷史の最初の年となったのです。

同じ頃、エンリケは配下の青年ヌーノ・トリスタンに2隻のキャラベル船隊を率いさせ、
ゴンサルヴェスの後を追うように出港させます。
その後、オーロ川の河口の停泊地リオ・デ・オーロでゴンサルヴェスと合流したトリスタンは、
ゴンサルヴェスの功績を称えると共にこう持ち掛けます。

『我が友よ、君の功は我が君によって必ずや賞されるであろう。
 しかしながら更に進んでより大いなる功績を挙げて見ようとは思わないか?』 と。

冒険心旺盛なゴンサルヴェスはこれを快諾し、こうして3隻となったキャラベル船団は更に探検隊を上陸させて内陸で現地人と遭遇、トリスタン自身が応戦する激しい戦闘の末、10人もの捕虜を得る事に成功します。この結果に満足したトリスタンはひとまずゴンサルヴェスの船に奴隷と捕獲したアザラシを乗せて帰還させ、自らは更に南へ向けて出港したのでした。

その後、トリスタン率いるキャラベル船団は遂に海岸線が南東方向に変わる場所に到達します。これが、現在ではブランコ岬と呼ばれる事になる、ヴェルデ岬と並ぶ西アフリカの先端部分だったのでした。
多数のアザラシの捕獲、ブランコ岬の発見、更に多数の奴隷獲得という手土産を携えたトリスタンとゴンサルヴェスの帰還はエンリケを狂喜させます。そして戦功のあったトリスタンはこの功績によって騎士に取り立てられたといいます。


そしてこれ以降、ポルトガルの発見と開発を目指していた探検事業は新たな側面を見せます。
一つは宗教心と純粋な探求心。
もう一つは有望な開発地となる領地の獲得。
そしてここに、
アフリカの金・そして奴隷をヨーロッパへ運ぶ、戦いと収奪の側面を見せ始めたのでした・・・。




おしまい。


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↑次回は西アフリカ事業の最盛期を追ってみます。

テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2008/11/19(水) 18:03:00|
  2. エンリケ物語
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
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コメント

その頃の商船…ヴェネツィアとか

 こんばんは。マリィナです。いつも愉しく拝見させてもらっています。今回は特に興味深いですー。
 この頃ヴェネツィアの大型商船は商用ガレーでだいたい100トン、コグで250トンから500トンらしいです。これは相当大きい部類だそうですが、ヴェネツィアなら何だか納得です。
 ヨーロッパではむしろ30トンとか40トンとかいう小さな船が交易でもよく用いられたそうです。
 変わっているのはジェノヴァで、黒海から北海までなどの長距離輸送&ワインや鉱石などの重たい交易品が主体のため1,000トン近いカラックが周航していたらしいのですが、重たく人手もかかり、早期のカラックはやはり洗練されていないようですね。
 キャラベルの航行性能はコロンブスが大喜びで乗り換えたと言うほどですから折り紙付きなんでしょうねー。
  1. 2008/11/19(水) 22:10:21 |
  2. URL |
  3. マリィナ=ファリエル #hn7S5JsQ
  4. [ 編集]

マリィナさん>>
ヴェネツィア商船の資料見ていたら武装商船とか馬鹿でかいのありますね。船体的には激しく遅そうだけど、まあこれでも漕いでるから地中海なら問題ないのかも。活動範囲で言ったらそれこそ地中海全域と北海まで行ってたヴェネツィアですから造船技術でも相当進んでいたんじゃないでしょうか。
まあ、大きさだけなら鄭和のジャンク船とか記録が正しければ戦列艦よりでかいのでそっちも気になるところ。
  1. 2008/11/21(金) 08:28:34 |
  2. URL |
  3. ハミルカル #-
  4. [ 編集]

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