打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

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エンリケ物語 その16

最終回


準備
1459年、既に死期の近いことを悟っていたのか、エンリケは遺言状と相続の準備を始め、関わる多くの人々へ依頼・手配を行います。生涯結婚しなかったエンリケでしたが、養子としてポルトガル王アフォンソ5世の弟で甥に当たるフェルナンドを迎えており、エンリケの有する領地のうち、ヴィセヴ公爵領・アソーレス諸島のうち2島を彼に相続させるよう、ポルトガル王など幾人かに委託して行きました。そして残りの、といってもマディラ諸島・アソーレス諸島の5島・そしてアフリカ事業におけるエンリケの独占権などのほぼすべてはポルトガル王アフォンソ5世に遺贈される事となりました。


ポルトガルのその後
この決定はポルトガル王家に莫大な収益力をもたらします。
後の1460~1470年代のモロッコ攻撃や1470~1480年代のサン・ジョルジュ建設を象徴とするアフリカ西~南部の開発に大きな影響を与えたのはもちろん、15世紀初頭の時点ではイベリア半島西端の小国に過ぎなかったポルトガルの勢力圏が、これによって西アフリカ沿岸からギニア湾を経てコンゴ王国近くにまで及び、しかもその権益の大部分がポルトガル王家の直轄となるのですから。

これにより、当初は民衆・騎士階級・そして旧貴族の支持によって成立した連合政権の色合いが強かったジョアン1世に始まるポルトガルのアヴィシュ王朝は、エンリケのアフリカ事業を継承し、同時に対外戦争を乗り切り領土を拡大する過程で他の大貴族とは一段飛びぬけた実力を付けるようになってゆきます。この後ポルトガルは1480~1520年代にアフリカ南端から一気に東南アジアにまで到達するという驚くべき結果を残しますが、ポルトガル王家に実力がなければ強力な艦隊を編成する事もできませんよね。こうして、アフリカ事業の収益はポルトガル王国が中央集権化してゆく基盤となったのでした。

一方、当初よりだいぶ少ない遺産しか与えられなかったアフォンソ5世の弟のフェルナンドですが、この家が後に意外な展開から再び歴史の表舞台に立ってくることになります。1493年、つまり大航海時代ONLINEの始まる正にその時代、ポルトガル王ジョアン2世の嫡子アフォンソが亡くなると、アフォンソ5世直系の嫡出男子が途絶えてしまいます。この時新たにポルトガルの皇太子に選出されたのが、ヴィセヴ公フェルナンドの6男マヌエルでした。この王子が、後に喜望峰発見・インド到達・マラッカ発見・香料諸島到達・ブラジル発見と立て続けに業績を挙げてゆくポルトガル王マヌエル1世となったのです。という事で、いまDOL世界のポルトガル王はエンリケ航海王子の養子・後継者の系統が即位しているんですね。


最後の発見
1460年、
エンリケの元にアフリカ事業における最も遠い場所に関する発見報告が成されます。

シエラレオネ到達。


エンリケの家臣シントラによって、ポルトガルの支配領域はこの『ライオンの土地』と名付けられたシエラレオネ地方の東端にあるレド岬まで記録されたのでした。

※一応、1447年の時点でアルヴァロ・フェルナンデスがシエラレオネ近くで上陸しているという話も有りますし、シントラの到達は1461または1462年到達という説もありますが、ここでは1460年説に基づいて記述しています。

15世紀始めのセウタ攻略から45年、ポルトガルの、そしてエンリケのアフリカ事業は実に4000kmを航海して来ていました。この間、最初に開拓されたマディラ諸島の開発はこの時代には砂糖の生産も始まるなど完全に軌道に乗り、西アフリカではアルギン島に内陸との交易ルートが確立され、莫大な量の金・そして奴隷が輸出され始めるようになっていました。
惜しむらくはシエラレオネの先に広がる、穀物海岸・黄金海岸・奴隷海岸・象牙海岸などと呼ばれた豊かなギニア湾沿岸の一帯まで到達できなかったことで、この事業はエンリケ死後の1470~1480年代まで待たなければなりませんでした。
しかし、エンリケが死の床についた1460年代には、リスボンの繁栄は素晴しいものがありました。リスボンからは年間何十隻ものキャラベル船、更にその数倍もの数の大型商船が出港し、マディラ・モロッコ・アフリカ、そして北海・地中海からは豊かな物産が多く集積する、ヨーロッパでも屈指の港に育っていたのですから。実力を蓄え、海洋国家として更に飛躍する、そんな活力溢れるリスボンの繁栄のなか、エンリケは最期を迎えます。


アフリカ図1460年



最期
1460年11月13日深夜、
エンリケは息を引き取ります。

その遺体は父ジョアン1世も眠る、
サンタ・マリア・ダ・ヴィトリア修道院に埋葬されます。
エンリケは生前、1500回以上に上るミサを行うよう手配するなど、
宗教心に篤いエンリケらしい逸話を残しています。
また、マヌエル1世などは後々までエンリケの業績を忘れず、
ギニアのプリンシペ島でミサを行うなど多くの後継者が慕う存在となっていました。

エンリケ航海王子は、恐らく兄ペドロのようなグローバルな視点も中央集権化を目指すなどと言った時代を先取りする先見的な視点も持ち合わせていない、それでいて正義感と信仰心の篤い人という至って中世的な人物だったかも知れません。
しかし、その行動力と信念、そして統率力などは中世を突き抜けるだけの力を持っていました。
彼の存在・業績がなければ、恐らく15世紀後半~16世紀のポルトガルはイベリア半島の小国から抜け出せず、早い段階でカスティーリャ王国、そして後にアラゴンと連合して成立するイスパニアの圧力に飲み込まれていたかも知れません。またヨーロッパのインド・東南アジア到達も数十年遅れていた可能性もあります。そう言う意味ではエンリケは後世のヨーロッパ、そしてその影響によって大きく変動した世界史の中でも結構重要な人物だったんじゃないでしょうか。



これで、エンリケ航海王子に焦点を当てつつ見ていった
大航海時代初期のポルトガルを巡る話は終わりとします。






追記)
エンリケ物語でカテゴリ1個作ることにします。


おしまい。


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テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2008/11/30(日) 10:14:42|
  2. エンリケ物語
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
<<おわりのはじまり | ホーム | エンリケ物語 その15>>

コメント

エンリケ王子シリーズ完結お疲れさまでした。

彼の時代ではシエラレオネが到達限度だったのですね。
ここまでの地図を見てみると、45年という年月の重みを感じ取ることができました。

単にアフリカ航海自体の難航だけでなく、ポルトガル国内での諸問題からも
大きく影響を受けていたことは色々と勉強になりました。

ポルトガルのアフリカ進出はこれからさらに続いて行くことになりますが、
いつかまた続きのお話が読める日を楽しみに待っています。
  1. 2008/12/04(木) 23:20:03 |
  2. URL |
  3. サラバント #9RWFGrvA
  4. [ 編集]

サラバントさん>>
実際に探検活動で前進していた期間は45年のうち1/3くらいというのが波乱の時代を物語っていますね。
この先についてはコンゴ王国あたりまで記述する事も考えましたが、あんまり長くなるよりスパッと一回区切ったほうがいいと思い1460年で〆ました。またいつか記述するでしょうからそのときまた。
  1. 2008/12/05(金) 18:22:28 |
  2. URL |
  3. ハミルカル #-
  4. [ 編集]

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