打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

イスパニア物語 その3

軍神対軍神


あまり資料を読まずにサクサク書けるシリーズ序盤、今回はイベリア半島を巻き込んだ古代における地中海の覇権争いの後半を見てゆきます。こんな2200年も昔の所(大航海時代から見ても1700年前)を2回に分けて書いているのも、この時代の影響がはるか後々まで及んでいたからなので、序盤ですが結構重要な回だったりします。


(ローマの苦境)
紀元前211年、第二次ポエニ戦争は9年目を迎え、ややこう着状態にありました。
しかし、この年にローマにもたらされたヒスパニアの地(ローマ人はピレネー山脈以西のイベリア半島をそう呼んでいた)からの報告は、元老院を驚愕させます。
<コルネリウス兄弟率いるヒスパニア方面の2個軍団が壊滅>
それまで比較的順調に失地の回復を果たしつつあったローマの派遣軍が、カルタゴの将ハスドルバルとの会戦で惨敗し、司令官両名共に戦死したと言うのでした。

これまでイタリア本国内に割拠しているハンニバルの攻撃をなんとか耐えることが出来ていたのも、カルタゴ本国とイベリア半島のバルカ家本拠地からの増援・補給をシチリアやヒスパニアへの派遣軍の動きによりほぼ封じ込んでいたからで、もし外部からイタリアへの増援が行われた場合その形勢は一挙に覆る恐れすらありました。実際カルタゴ本国では、イタリアで戦っているハンニバルよりもヒスパニア方面の防備を強化するためハンニバルの弟のマーゴに有能な将ジスコーネとヌミディアの騎兵を率いるマシニッサ王子などの援軍を付けて送り出しており、カルタゴ側の兵力が増強されたヒスパニア方面では結果としてローマ軍団を撃破する効果を生んでいたのでした。

しかし、敵地への只中に孤立した敗残兵を救出し、かつ勢いに乗るカルタゴ軍の動きを封じ込める事が出来るほどの武将はローマにも数えるほどしかいませんでした。しかもその全員が既にイタリア本国とシチリアへ派遣済みの状態とあって、ローマの元老院は翌年の編成を討議するべく会議を開いてはみたものの、ヒスパニア方面への指揮官の選出には頭を悩ませていました。
しかしその時、ローマの元老院の扉を叩く者がいたのです。



(スキピオ登場)
元老院の議事堂に入場して来たのは、まだ20歳代そこそこの若者でした。
そしてこの若者は自らをプブリウス・コルネリウス・スキピオと名乗った後、こう続けます。自分はヒスパニアで戦死したコルネリウス兄弟の息子であり、甥であると。父と叔父の遺志を継いでヒスパニアへ向かわせて欲しいと。

この時スキピオ24歳。
前年に共和制ローマにおける初期の官職・按察官(エディリス/公共事業や祭事などを監督する職)に早くも就いていたものの、軍団の指揮権を取る資格のある法務官・執政官職には1度も就いた事がないという経歴に過ぎませんでした。
(法務官・執政官ともに40歳が規定による最低年齢でした)
法令遵守を重んじるローマ人の常識からしたら、
いくら息子とは言え普通ならまず絶対許可は下りなかったでしょう。

しかしこの時の元老院はスキピオの熱弁もあってか、なぜかこの志願を受け入れたのでした。一応、目付け役として年長で司令官経験者のシレヌスとの共同指揮とし、スキピオを特例で前法務官資格として軍団指揮権を与え、翌年の戦線へ送り出す事にしたのでした。


(急襲)
紀元前210年、ヒスパニアの前線基地タラゴーナに着くまでに同僚のシレヌスを心服させていたスキピオ、現地に着いて情報収集を行った結果、実に大胆な提案を行います。
『カルタゴ・ノヴァを陥とす!』

いうまでもなくカルタゴ・ノヴァ(後のカルタヘーナ)はイベリア半島におけるカルタゴの根拠地。金銀物資の集積地であると共に現地の有力部族の子弟もここに送られており、主力のハスドルバルやマーゴの軍が遠く城外に出ていたとは言え、カルタゴ・ノヴァには数千の守備兵が詰めていました。
しかもカルタゴ・ノヴァの町は三方を海と干潟に囲まれた天然の要害で、陸地との唯一の接点となる北側には巨大な城壁と防護柵が築かれるなど堅固な備えをしており、まともに攻城戦をやれば数年は掛かるような城塞都市でした。

しかしスピキオにとって有利な状況が一つありました。
この時ヒスパニア方面におけるカルタゴの総兵力は8万人以上。
2個軍団+敗残兵合わせて3万弱のローマ軍がまともにぶつかっても勝機は薄かったでしょうが、各25000人前後を率いていたハスドルバル・マーゴ・ジスコーネのカルタゴ側の3軍団は冬季の為それぞれ離れた別の場所に冬営地を設けて休息しており、見方を変えれば孤立している状況とも取れたのでした。

紀元前209年春、タラゴーナ防衛のため同僚のシレヌスと少数の兵を置いて全軍で出撃したスキピオはわずか7日でカルタゴ・ノヴァに到着し、即座にある一計を案じます。正面に相手の主力を引き付けつつの迂回戦術。
干潟のごく一部が午後になると水深20センチ以下となる事を利用して、味方の主力が北側の城壁を攻撃して守備兵の主力を引き付けつつ、もう一隊が西側の干潟から回りこんで泥地を伝って城壁へ取り付くことに成功したのでした。
側面から城内への侵入を許して急襲されたカルタゴ守備兵、元々多くが傭兵の為に戦況不利とみるやほとんどが逃亡するか降伏してしまい、こうしてバルカ家の根拠地カルタゴ・ノヴァはわずか1日で落城してしまったのでした。

ところでこの時、スキピオはイベリア人の傭兵が持っていた近接戦闘用の剣が気に入り、のちにこの剣はローマ重装歩兵の制式剣として採用されることになります。この剣の名はグラディウス。両刃で刀身はやや短し刺突剣で、それまでの剣より接近時での取りまわしに優れていたため、かなり後世まで改良を重ねて使用される事になります。


(戦局逆転)
スキピオはいったんタラゴーナに帰ったあと、翌年になると再び出撃します。
紀元前208年のベクラの会戦でハスドルバルを破ったのでした。
その後、敗退したハスドルバルは残る6万のうち半数の3万人を率いてピレネーを越えてイタリアを目指します。狙いはイタリア南部で孤立している兄ハンニバルへの援軍にあることは明らかだったでしょう。
現地にいながらこれを防ぐ事をしなかったスキピオに対し、ローマの重鎮ファビウスや後世の歴史家モムゼンなどはかなりの失態と断じるのですが、結果としてこのハスドルバルの遠征軍はアルプスを越えてイタリアに入るところでローマ軍の迎撃を受け、メタウロの会戦で敗北し、全滅してしまいます。

恐らくこの時点で第二次ポエニ戦争の趨勢はほぼ決まったと見て良いかも知れません。
更に紀元前206年、ヒスパニアに残るハンニバルの弟マーゴ・バルカとジスコーネは74000の兵力を集め、スキピオに挑みます。この時スキピオの手元にあった兵力は48000ほど。
カルタゴ軍74000 対 ローマ軍48000でまともに当たればスキピオの劣勢は明らかでしたが、29歳になろうとしていたスキピオの才能はこれをものともしませんでした
このイリパの戦いでカルタゴ軍は両側面から回り込んだ騎兵による攻撃を受け、たった1日の会戦で大敗北を喫します。

74000人のうち、逃げ切れた者わずか6000人。
ヒスパニアにおけるカルタゴ軍の事実上の壊滅を意味していました。
その後、スキピオは2個軍団を残してローマに凱旋します。
スキピオが現地の部族に対しては懐柔策を取った為に彼らはローマ軍に対して協力的で、この地での戦闘は事実上終結したのでした。
これ以後、およそ数百年に渡ってヒスパニアの地はローマの影響を受ける事になります。


(軍神対軍神)
紀元前205年、対決の時が迫っていました。
ローマに戻ったスキピオは逆にカルタゴ本国への侵攻を提案したのです。
この年30歳になるスキピオに対し、ローマは異例とも言える30歳での執政官就任を認めます。戦況を逆転させたのは誰なのか、ローマ市民は知っていたのでした。

しかしこの年元老院が認めたスキピオの任地はシチリア島。
翌年のアフリカ侵攻こそ認められたものの、いまだハンニバルが南イタリアに留まっている状況では、慎重論が大勢を占めたのは仕方なかったかも知れません。しかもシチリア島に着任した執政官スキピオに正規のローマ軍団兵を集める権利は与えられていなかった為、スキピオは志願兵を集める形での軍備しか出来ませんでした。これ普通に考えたらかなりの冷遇と言うほかありません。
しかし、ローマの市民は彼を見捨てていませんでした。

シチリア島で苦境に立つスキピオに対し、かつてカンナエの戦いで敗北した時の敗残兵で作った軍団兵、それからスキピオへの冷遇を知ってイタリア中から単身で志願してくる者、更にはイタリア各地から武器・食料・船などの援助物資が送られ、この年の内に25000の兵と数十隻の軍船、更に10000人以上の船乗りが集まります。これらの混成軍にスキピオはその年いっぱい費やして訓練を行い、翌年に備えたのでした。

紀元前204年、北アフリカに上陸したスキピオ率いるローマ軍はカルタゴの南に陣を構えて侵攻を開始し、翌年ジスコーネとヌミディア王シフェチェが率いるカルタゴ軍を破ります。この展開に驚いたカルタゴ本国はイタリアに割拠していたハンニバルを召還したのでした。
十数年に渡って当初から彼についてきた兵はこの頃には10000人以下に減っていたといいますが、帰還したハンニバルの元にはイタリア兵も含めて15000人がおり、カルタゴ本国の兵を合わせて5万人が集まり、4万のスキピオ率いるローマ軍との防衛に備えたのでした。

ハンニバルとスキピオ。
古代史においてはもちろんの事、
人類史すべてを見渡しても恐らく屈指の名将二人の対決が迫っていました。



おしまい。


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  1. 2008/12/23(火) 11:19:29|
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