打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

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イスパニア物語 その4

パクス・ロマーナ


古代におけるイベリア半島を含む地中海の覇者は、カルタゴか、それともローマか。
最終的にハンニバルとスキピオという古代屈指の名将同士の直接決戦によって決着が図られた第二次ポエニ戦争の最終結果は、その後およそ700年後の西ローマ滅亡まで、というか広義で見ると現代に至るまで続く汎ローマ的な影響をイベリア半島に対してもたらす事になります。なんでラテン語から発展したロマンス語系の言語が現代のスペイン・ポルトガル語として残る事になったのかの一事からして影響ありありですから。



(ザマの戦い)
紀元前202年、北アフリカ。
現代ではチュニスとなる町の近くにあったカルタゴの南方、ザマと呼ばれた地で、
歴史に残る名将同士による決戦という人類史上でも稀有な戦いが行われます。
カルタゴ側の総司令官、ハンニバル・バルカ。
ローマ側の総司令官、プブリウス・コルネリウス・スキピオ。

カルタゴ側の兵力:歩兵50,000、騎兵3,000、象兵80頭。
ローマ側の兵力 :歩兵34,000、騎兵8,700。

総兵力ではカルタゴ側がやや優勢でしたが、ローマ側には北アフリカ・ヌミディアの騎兵6,000が加わった事で騎兵力ではローマ側が上回るという、これまでとは反対の構成となっていました。このうちカルタゴ側の主戦力はハンニバル小飼いの歩兵、ローマ側の主戦力は重装歩兵とヌミディア騎兵という所でしょうか。
この戦い、当初はローマ歩兵がカルタゴ歩兵の前衛・中衛を押し込んだところでハンニバルが後ろに控えていた最古参の歩兵を投入すると、さしものローマ重装歩兵も疲労からやや後退を余儀なくされます。
しかし、スキピオがこの状況で押された歩兵の中央を更に後退させた事で戦場の中央部はへの字型に変形する事になり、カルタゴ歩兵に中央を突破されるまでの時間を稼ぐ効果を生んだのでした。
そこに、両側面の離れたところでカルタゴ騎兵の退却に誘導されるように戦っていたローマ側の騎兵が中央の戦場に戻ってきます。それも押し込んでいたカルタゴ歩兵の側面と背後から襲い掛かる形で。

勝敗分岐点が来ていました。
カルタゴ軍は四方を包囲された事で壊滅的な打撃を受けます。
長年共に戦ってきた小飼いの兵のほとんどを失ったハンニバルはそれでもなんとかザマの戦場から退却する事が出来ましたが、カルタゴ側は7割近い損耗率を記録して敗退したのでした。



(属州ヒスパニアのはじまり)
この戦いの後、カルタゴとローマは終戦の講和を結びます。
ヒスパニア・シチリア島・サルデーニャ島のカルタゴ領すべて、軍船は10隻を残してすべてローマ側へ引き渡す事、他にも莫大な賠償金など、事実上カルタゴ側の降伏に等しい講和条約が結ばれ、現在のイスパニアの大半となるイベリア半島南部に広がっていたカルタゴ領はローマの属州ヒスパニアとなったのでした。


(ローマ史のヒスパニア)
紀元前201年の講和条約締結以降、
ヒスパニアの地はローマの属州としての歴史を刻む事となります。
主に南部に広がるカルタゴ領を引き継いだ共和政時代は

A)南西部ヒスパニア・ウルテリオル(遠ヒスパニア)、
B)南東部ヒスパニア・キテリオル(近ヒスパニア)、

と区分されます。
その後、内陸部にいるケルティベリア人や西部のルシタニア人との激しい抵抗戦や、紀元前61~60年に属州ヒスパニア・ウルテリオルの総督に就任したユリウス・カエサルによる平定(カエサルはこの時に現セビリアとなる町をヒスパリスと命名する)を経て、イベリア半島におけるローマ人の覇権がほぼ確立します。

更にルビコンを越えたカエサルによるローマの内戦の最終盤に行われた紀元前45年のムンダの戦い(セビリアの近くにある現在のオスーナ市)、帝政期になると初代皇帝アウグストゥスが親征したカンタブリア戦争などにより、イベリア半島は北部のバスク地方やガリシア地方も含めて完全にローマの支配下に入ります。


スペイン地図AD200

帝政ローマ時代の属州ヒスパニアの区分
◎が州都で ●がその他の重要都市

①ルシタニア(州都メリダ)
②バエティカ(州都コルドバ)
③タラコネンシス(州都タラゴーナ)
④ガラエキア(州都ブラガ ←③から分割)
⑤カルタギネンシス(州都カルタゴ・ノヴァ ←③から分割)


こんな感じで帝政期になるとイベリア半島は3~5つに再編成されます。
特に帝政期の属州ヒスパニアはローマの優等生的な安定した治安と莫大な穀物生産力を維持します。大航海世界においてもイベリア半島の諸都市では穀物・食料品が数多く並んでその片鱗が見られますよね。
また治安の安定は当初置かれていた9個軍団から皇帝ネロの頃までに1個軍団(約6000人)まで削減されても維持されていたことからもそれが伺えます。これは軍団兵の退役者を主体に植民都市が数多く建設され、それが治安維持にも役に立っていたからでしょう。またこの植民都市群は後世のスペイン・ポルトガルの重要都市に育って行くことからもこの時代の重要性が伺えます。
そして、こうした安定した豊かな状況の中、属州ヒスパニアからは皇帝トラヤヌス、ハドリアヌス、テオドシウスなどの歴史に残る名君を輩出してゆきます。


セゴビア水道橋


更にローマ時代の遺物として、現代に残る公共建築物の存在は無視できないでしょう。代表的なものだと世界遺産となっているセゴビアの水道橋は、1900年前の建築物にもかかわらずいまだに水路を開けば地上遙か数十メートルの高さで水が流れますし、スペイン国内だけでも他にもタラゴーナやメリダで水道橋が現存しています。
また属州ルシタニアの州都メリダには他にも円形競技場やトラヤヌス帝の凱旋門・劇場などが現存しており、これらのローマ時代の建築物は恐ろしいほどの堅牢性を誇っています。実際の所、現代の建築物で果たして2000年持つものがどれだけあるでしょうか? 


しかし、紀元4世紀以降のローマ帝国の衰退と分裂、そして異民族の侵入により、
ヒスパニアもガリアなどローマの他の地域と同じく変動の時を迎える事になります。



おしまい。


追記)
地図かいてる間に4GAMERでCP5オスマン実装の記事が。
このシリーズまだレコンキスタにも届いてないので実装までに進めないとだな・・・。



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  1. 2008/12/27(土) 03:08:13|
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