打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

イスパニア物語 その6

イスラムの西進


【徒労】 苦労して成し遂げた事がすべて無駄に終わる事。無駄な労苦。


全く、7世紀初頭の地中海世界ほどこの言葉を思わずにいられない時代はそうそう無いかも知れません。 
東では長年にわたるササン朝ペルシアの脅威をなんとかしりぞけた、東ローマ帝国の皇帝ヘラクレイオス。
西では東ローマ・スヴェヴィ族・フランク族・ヴァンダル族など周辺の諸勢力を排除してようやくイベリア半島を統一した西ゴート王国。
紀元620年代は東ローマと西ゴートがそれぞれの勢力を確立させて、フランク王国も含めてヨーロッパ・地中海世界を三分する形勢を見せていた時期なのですが、いったい誰が、このわずか数十年後には両者がそのほとんどを失ってしまうと予想できたでしょう。



(預言者ムハンマド)
ちょっと年代を整理します。
610年、東ローマのヘラクレイオス帝が即位。
622年、同ヘラクレイオス帝がイッソスの戦いでササン朝ペルシアを破り反攻開始。
625年、西ゴート族がイベリア半島を統一。
この625年の時点では、地中海近辺は西ゴート・フランク・東ローマの三大勢力と、
イタリアに割拠したランゴバルト族やササン朝ペルシアくらいにほぼ集約されていました。
そして東地中海では、東ローマ皇帝ヘラクレイオスとペルシア王ホスロー2世という、
名君同士の攻めたり攻められたりの激闘が繰り広げられている最中にありました。

しかしこの頃アラビア半島のメッカでは、
ムハンマドと呼ばれる男が新たな宗派を興しつつありました。
そう、イスラム教の誕生がまさにこの時代だったのです。
年代を更に比較してみましょう。

610年、ムハンマドがアッラーの啓示を得てメッカでイスラム教を説き始めます。
622年、ムハンマドがメディナに移動してこの地で再び布教を開始します。(いわゆる聖遷=ヒジュラ)
627年、ヘラクレイオス帝がニネヴェの戦いでペルシア王ホスロー2世を破る
628年、ヘラクレイオス帝がペルシアの首都クテシフォンに迫り、講和が成立。
630年、イスラム勢がメッカを奪回。
632年、イスラム勢がアラビア半島を統一。同年ムハンマド死去。

こんな感じで、
東ローマ皇帝ヘラクレイオスと宿敵ササン朝ペルシアとの戦いと、イスラム教の興隆とは、
奇しくもほとんど同時期に成されていたのでした。
そして東ローマがなんとか勝利を手にしてシリアは安泰かと思われた頃、アラビア半島を統一したイスラム教は、その新興ゆえの宗教エネルギーをアラビア半島の外にも向けてゆき、シリア・ペルシアに侵攻を開始したのでした。



(シリアよさらば!)
634年、イスラム勢、死海南岸の東ローマ軍を破りダマスクスを占領。
この情勢に驚いたヘラクレイオス帝は自ら大軍を率いてシリアへ急行します。
636年8月、シリアのヤルムーク河畔の戦いで両者は激突します。
結果は東ローマ軍の惨敗。

苦労の末にシリア・パレスティナを失ったヘラクレイオス帝は、
『シリアよさらば』
の有名な言葉を残して失意のうちにこの地を後にします。

更にイスラム勢は東ローマとの戦争で疲弊しきっていたササン朝ペルシアにも侵攻を開始します。
641年、ネハーヴェントの戦いに敗れたササン朝ペルシア帝国は翌年あっけなく滅亡し、
その後イスラム勢は北・西・南へと拡大を続けます。

北ではアルメニア・イラン高原を制圧し、中央アジアにまで進出。
サマルカンド・ブハラを占領して、
最終的に751年には中国の唐帝国が派遣した遠征軍とタラス河畔にて戦う所まで進みます。

西ではシリアを制圧した後、トルコ~エーゲ海にまで進出。
654年には東ローマ艦隊をロードス島沖の海戦で撃破し、
673~678年に掛けてコンスタンティノープルを包囲するところまで東ローマを追い詰めたのでした。


(イスラムの西進と西ゴート王国)
そして、南に向かったイスラム勢が今回のシリーズの焦点になってきます。

642年、イスラム勢がアレクサンドリアを占領。
シリアとエジプトを失った東ローマの国力はこの時点で半減したといえますが、
そのままトリポリ~チュニジア~アルジェリアと北アフリカを西進したイスラム勢は、697年にはこの地方最大の都市カルタゴを陥落させ、北アフリカ全域にイスラムの半月旗が翻るまでになります。

こうして、わずか100年前のユスティニアヌス帝の時代には地中海のほぼ全域を再征服した東ローマ帝国に代わり、地中海の支配者となったのは勃興して100年足らずの新興勢力イスラムでした。(東ローマ帝国にはなおシチリア島とイタリアの一部などが残されているのですが、シチリア島はその後831年にパレルモが陥落するとイスラム勢の侵攻が本格的となり、878年にはシラクサが陥落して完全にイスラム勢の支配下に入ります)

700年までに地中海の東~南半分を制したイスラム勢。
そしてその矛先は地中海の先端部にまで及び始めます。
711年、第6代カリフ・ワリード1世(705~715年)の時代になると、
遂にイスラム勢はジブラルタル海峡を越えてイベリア半島に侵入してきたのでした。

この頃イベリア半島を支配下においていた西ゴート王国では、選挙制による国王選出という、いわば実力主義の弊害からか、数年に一度のペースで王位を巡る争乱が続き、カトリック司教による公会議も巻き込んだ混乱のさなかにありました。一方で法体系が整備され、政治面では混乱が続いてはいても国内の治安・生産などは割と安定しているのが西ゴート王国の面白い所なのですが。
ただ、支配層で勢力争いが絶えないという事は、一致団結して外敵に立ち向かう勢力を結集、
などという方向にはまず向きませんよね。
しかも悪い事に、イスラム勢がジブラルタルを渡る711年当時、西ゴート王国では前国王ウィティザが亡くなった直後で、跡目争いでロドリーゴとアキラという二人の有力者が共に王位を主張して対立している最中だったのでした。


次回は激変するイベリア半島の模様を。
※時間があれば後で地図をいれます。


おしまい。


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  1. 2009/01/06(火) 23:27:45|
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