打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

イスパニア物語 その7

西ゴート王国の滅亡



(ターリクの山)
711年、遂にイベリア半島にイスラム勢が侵入してきます。
この時のイスラム勢(ウマイヤ朝)の司令官はアラブ人ではなく、
被征服者であるベルベル人のターリク・イブン・ジヤードという男でした。

いっぽう侵入を受ける側となった西ゴート王国のこの時の情勢はこんな感じ。
西ゴートの前王ウィティザが死去した後、後継者候補となったのはウィティザ王の息子で共同統治していたアキラという人物だったのですが、これに対して祖先に西ゴート王を輩出した家系の有力者でロドリーゴという男が反乱を起こし、アキラから王位を奪います。これに対し、反ロドリーゴ派はロドリーゴがスペイン北部のパンプローナ方面でバスク人の鎮圧に出ている隙を狙って北アフリカの先端にまで進出していたイスラム勢に支援を求め、この要請に応える形でイスラム勢は大した抵抗も無くイベリア半島に侵入する事が出来たのでした。
まあ、内紛に乗じて外部勢力が侵入するというのは、
国家が滅亡する時の一つのパターンですね・・・。

こんな感じで司令官ターリク・イブン・ジヤード率いるウマイヤ朝イスラム軍は、ギリシャ人の言うところの 『ヘラクレスの柱』 、つまりジブラルタルに上陸します。イスラム勢はこの海峡にそびえる岩というか山を 『ターリクの山』 と名付けますが、これアラビア語で発音すると 『ジャバル・ターリク』 で、これが実はジブラルタルの語源だったりします。

ターリクの山= Jabal Ţāriq(アラビア語)→Gibraltar(英語)→ジブラルタル

さて、ジブラルタルから侵入したイスラム勢は瞬く間に有数の港であったカディスを落とします。これに驚いた西ゴート王ロドリーゴは急いで南下し、カディスの東にあるヘレスでこれを迎え撃つ体勢をとったのですが、このグアダレーテ河畔・ヘレスの戦いはイスラム勢の完勝におわり、ロドリーゴもここで戦死してしまいます。
勢いに乗るイスラム勢はここで二手に別れ、司令官ターリク率いる本隊がセビリア→メリダと陥落させる一方、北アフリカから増援されたもう一隊がコルドバを落とし、その後この2隊が西ゴートの首都トレド近郊で合流すると、ここもあっさり攻略してしまいます。イスラム勢はこの後も続けて東部の重要都市サラゴサをも攻略してしまいますが、西ゴートのもう1人の有力者アキラはその後も北部に逃げ込んで抵抗を続けていたと言います。ただ、国王が戦死し首都も陥落した711年を持って西ゴート王国は事実上滅亡とするべきでしょう。


(アル・アンダルスの誕生)
イスラム勢は当初セビリア・トレド・サラゴサという内陸の重要都市から攻略して行ったわけですが、その後北アフリカから送られた増援軍は地中海岸沿いに北上してゆき、マラガ・グラナダ・バレンシア・バルセロナ・リスボアといった港や海岸近くの町もイスラム勢の支配下となるのに時間は掛かりませんでした。
こうして、内紛が続いていた西ゴート王国の旧領は北部を除いてほとんどがイスラム勢であるウマイヤ朝の支配下に組み込まれる事となります。以後、イスラム支配下のイベリア半島はウマイヤ朝の属州アル・アンダルスと呼ばれるようになったのでした。

被支配層となった旧西ゴート王国の住民は次の区分で呼ばれるようになります。
①モサラベ(キリスト教徒)
②ムワッラド(イスラムに改宗したキリスト教徒)

このうちキリスト教徒であり続ける事を選択したモサラベと呼ばれた人々は、ウマイヤ朝への服従と人頭税を支払う代わりに信仰と自治権の自由を保証されてそのまま居住を許されることとなります。その代わり、積極的にイスラムへ改宗したムワッラドと呼ばれる人々のようにイスラム社会で出世する道はなかったのですね。
しかし、支配層となったイスラム勢も実は一枚岩と呼べる団結力はありませんでした。
特に原イスラムの支配層であるアラブ人と、あとからアラブ人に征服されてイスラム教徒となったベルベル人・ムーア人との確執は激しかったのです。
イベリア半島に進出したのが中間支配層であるベルベル人やムーア人であったことから、この地の総督はベルベル人が就くことが比較的多かったのですが、その在任期間は平均2年と極端に短く、属州アル・アンダルスの政治的・社会的な不安定さはその後ウマイヤ朝の弱体化が顕著になると一気に火を吹くこととなります。


(フランク王国の迎撃)
こんな感じで元々不安定さを持っていたイスラム勢によるイベリア半島の征服ですが、
彼らの拡大路線はなおも続くこととなります。720年代にはそれがピレネー山脈を越え、
遂に現フランスであるフランク王国の領内ガリアへ侵入するようになったのでした。
しかし、彼らの進撃もここで止まります。
721年、アキテーヌに進出したイスラム軍はアキテーヌ公ウードの軍勢の前に敗退。
732年、アンダルス総督アブド・アッラフマーン自ら率いる大軍がウードのアキテーヌ勢を破り、更にトゥール方面に北上するのですが、ここでフランク王国の宮宰であったカール・マルテル率いる重装騎兵に史上名高いポワティエの戦いで破れ、総督自身が戦死する大敗を喫したのでした。
これ以後もイスラム勢はガリアへの侵入を繰り返すのですが、740年代にアル・アンダルス自体で内乱が起きると外征どころではなくなり、更に759年にモンペリエの西にある拠点ナルボンヌをフランク王ピピンに奪還されると、国内の紛争が絶えなかったこともあってその活動はピレネー山脈の西側に封じ込められることとなりました。。


ところで、イスラム勢はイベリア半島のすべてを支配下に置いたわけではありませんでした。
元々北部のガリシア・カンタブリア・バスクといった地方は独自性が強かったのもありますがイスラムの支配が及ばず、ここに逃げ込んだ旧西ゴート貴族はこの地で現地の人々に受け入れられ、一部は同化しつつも西ゴートの血脈を保存し続けることが出来たのでした。
これが、後年のレコンキスタ運動の源流のひとつとなって来ますが、それはまた後ほど。



おしまい。


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  1. 2009/01/08(木) 23:08:16|
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