打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

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イスパニア物語 その8

混沌の8世紀


現在(大航海時代)に至るまでのイスパニア史を振り返るシリーズもこれで8回目。
古代が終わり、中世も前期から中期に差し掛かる頃でそろそろ現時点に繋がる勢力が現れ始めます。


(ウマイヤ朝倒れる)
711年にイスラム勢力が侵入して、それまで支配していた西ゴート王国が滅亡したイベリア半島。ジブラルタルから侵入したウマイヤ朝の司令官ターリク率いるイスラム軍がイベリア半島北部を除く地域を制圧したのは前回書きましたね。
ウマイヤ朝はその後、750年代に東で勢力を伸ばしたムハンマドの近親家の出身であるアブー・アル・アッバースにより倒されたため、その最西端の属州となっていたイベリア半島は一時混乱状態に陥ります。
この混乱を収束させたのはウマイヤ朝の血を受け継ぐアブド・アッラフマーンという男でした。アッラフマーンはウマイヤ家の庇護民や他のアラブ族の要請を受けて北アフリカからイベリア半島に乗り込み、当地の総督アルフィリンを破ってアル・アンダルスの総督を名乗り、コルドバを首都として立ったのでした。これが後ウマイヤ朝となり、軍事力と政治機構・財政を再編することで再び北部や東部に残るキリスト教徒の勢力と抗争を続ける手ごわい存在となったのでした。


(レコンキスタの萌芽)
そして今回は、その後ウマイヤ朝と戦う事になる北部の西ゴート残存勢力のお話から。
イスラム勢の侵入と西ゴート王国の滅亡により、それまで支配者だった西ゴート人の一部はイスラムの支配から逃れるべく北へ逃げ込みます。そこは、古代ローマの時代から独自性を維持していたいくつかの先住民の血を受け継ぐ少数部族がいまだに健在な、イベリアだけでなくヨーロッパ全体で見ても希少な土地となっていました。

この当時のイベリア半島の地図をちょっと出しておきましょう。
半島北部の地域と勢力範囲はだいたいこんな感じ。

スペイン地図AD8世紀

ガリシア地方
アストゥリアス地方
カンタブリア地方
バスク地方
ナバラ地方

現在でもそれぞれスペインを構成する自治州となっていますが、これらの地域はガリシア語・アストゥリアス語・バスク語など、独自の言語をいまだに保存している貴重な地域だったりします。
ちなみに、クルス・デル・スールのオープニングとなった世界周航イベントで登場するエルカーノという人物、いましたよね? マゼランの艦隊で世界周航を成した人物としてプレイヤーの邪魔をしてくるあの人、確か実はバスク人だったりします。

そして、8世紀初頭に滅亡した西ゴート王国の貴族の一部はこのイベリア半島北部の各地域に逃げ込み、西ゴートの血脈を保って亡命政権とまでは行かなくとも復活の機会を伺う根拠地としたのでした。そしてここから、後にレコンキスタ運動を成し遂げる勢力が生まれてくる事になったのです。

718年、西ゴート貴族のベラーヨはイベリア半島北西部カンタブリア地方の山麓に逃げ、在地のバスク系住民であるアストゥリアス人の支援を受けてこの地に定着し、そこの族長と親戚関係となる事でアストゥリアス王国を建国します。そして722年、前年にアキテーヌ遠征に失敗して勢いの無かったイスラム軍をコバドンガの戦いで破り、この地域での支配権を確立したのでした。そしてこれが、後のレコンキスタ運動の源流となるアストゥリアス王国の拡大へと繋がっていったのでした
更に739年、西ゴート貴族のペドロという人物の息子で国王ペラーヨの女婿でもあったアルフォンソ1世が後を継いで即位します。ペドロは元々カンタブリア地方で勢力を蓄えていた人物であった為、これはイベリア半島北部の中央にあるアストゥリアスとカンタブリア地方が反イスラム陣営として連携したことを意味していました。

アストゥリア王国はその後、791年に即位したアルフォンソ2世(791~842)の時代には版図を拡大し、西のガリシア地方をも併合するまでに成長を遂げます。そしてこのアルフォンソ2世、ガリシア地方にサンティアゴ・デ・コンポステーラという都市を建設し、ここに聖ヤコブを守護聖人とする大聖堂を建設します。後世、このサンティアゴ教会の大聖堂はキリスト教徒の一大聖地としてヨーロッパ中から巡礼者が集まるまでになって行ったのでした。


(アストゥリアスからレオン王国へ)
更に後を継いだアルフォンソ3世(866~910)は、大規模なレコンキスタ運動を展開してその勢力をドゥエロ河流域へも伸ばしてゆきます。ドゥエロ河はイベリア半島の5大河川の一つで、オポルト付近を河口として東にさかのぼって行き、現バリャドリードやレオンなどの内陸都市へも通じる、イベリア半島を北部と中央部と隔てる位置にありました。
そしてアストゥリアス王国は次のガルシア1世(910~914)の時代、首都をヒホンのすぐ南にあるオビエドからより南のレオンに移し、更に南下と東進の姿勢を鮮明にしてゆくことになります。

これ以降、アストゥリアス王国はレオン王国と呼称を改める事にします。
だんだん現在のイスパニアに近くなってきましたね。
うん、イメージつかむ為にちょっとこの先の事を書いちゃいましょうか。

レオン王国は後にカスティーリャと連合してレオン・カスティーリャ王国となり、
カスティーリャに併合されてカスティーリャ王国と呼称を改めます。
更に大航海時代の直前には東のアラゴン王国と同君連合を結び、
イベリア半島に最後に残ったイスラム勢力のグラナダを1492年に陥落させます。

最終的にこれがスペイン王国(イスパニア)となるわけですから、
アストゥリアスは間違いなく現在のイスパニアを形作る一方の源流ですよね。
という事で、次回は源流のもう一方となる、バルセロナ周辺の中世前半にかけてのお話などを。


おしまい。


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テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/01/10(土) 23:55:15|
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