打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

イスパニア物語 その9

反骨のカタルーニャ


前回はレコンキスタの萌芽となるイベリア半島北部に起こったアストゥリアス王国~レオン王国を見ましたので、今回はイベリア半島の東岸のお話を。ここもスペイン史ではかなり重要ですね。
こんな感じで、イベリア半島史を多少でも踏み込んで書くとなると、どうしてもそれは各地方の成り立ちから追わざるを得ません。これは、最終的にスペイン王国とポルトガル王国になるにしても、たどっていくとそれは大きく3~4つの地域が連合して出来ており、それぞれがかなり重要な構成要因になっているからかも知れませんね。前回から次回までの3回分は異なる地域を意図して並列した時間軸で書くことになりますが、時代が多少行ったり来たりしてるのはそんな訳なのでご容赦を。


(スペイン辺境領の成立)
さて、711年にイスラム勢が侵攻して、それまで支配していた西ゴート王国が滅びたところまでは前回・前々回で見ましたよね。北部においてはあんな感じで西ゴート残存勢力と現地住民の融合で反撃に転じるわけですが、その頃地中海側、それも現フランスとの国境に近いカタルーニャ地方の動きはどうだったのでしょうか。

750年、それまで支配していたウマイヤ朝が倒れると、イスラムの属州アル・アンダルスから最も遠い地域となるイベリア半島東部を流れるエブロ川以東の地は、ある意味権力の空白地帯となっていました。
ここに影響力を保持してくるのが、ポワティエの戦いに勝利してガリアを守り切ったフランク王国でした。といっても当時フランク王国は元々の主君筋だったメロヴィング朝から、ポワティエの戦いを指揮した宰相というべきカロリング家のカール・マルテルの系統に実権が移り、751年にはメロヴィング朝の王を廃してカロリング朝を開いていました。

759年、カール・マルテルの子の小ピピン王はローヌ川以西の地中海岸、つまり現在のモンペリエ・ナルボンヌなどがある現フランスの南西部に出兵します。ここを足掛かりとしたフランク王国は更に778年、後世『カール大帝』とも呼ばれる事になるシャルルマーニュがピレネー山脈の東端を越えてイベリア半島東側への侵攻を開始します。
そして新たに興った後ウマイヤ朝やバスク人との一進一退の攻防の末、801年には遂にこの地域の重要都市・バルセロナを攻略することに成功したのでした。シャルルマーニュと跡を継ぐルイはこれを受けてスペイン辺境領を設置します。この地にはバルセロナ伯やヘローナ伯を始めとして沿岸部だけで5箇所、内陸部も含めると10箇所以上の伯爵領が置かれ、イスラム勢力とキリスト教勢力の中間地帯として成立したのでした。


(ローランの歌)
ちなみに、このシャルルマーニュの出兵の際に山間部でバスク兵の奇襲を受けてフランク軍が壊滅したロンスヴォーの戦いの故事がその後、叙事詩『ローランの歌』の題材となります。ロランはシャルルマーニュの甥で名剣デュランダルを携え、イスラム兵の追撃を受けるシャルルマーニュの本軍を逃がす為、親友のオリヴィエや大司教テュルバンと共に撤退戦の指揮を取り、最後の一人になるまで戦い息絶える、確かそんな話だったかと思います。



(カタルーニャの自立)
こうして、フランク王国下で対イスラムの橋頭堡的な位置を占めるようになったスペイン辺境の諸伯領。もともと生産力が乏しい割りに人口増加で苦しんでいたピレネー山麓東側のフランス領から進出して肥沃なカタルーニャ地域を奪回したことで、ある変化が起きます。
それは、人口移動。

南西フランスの山間部から沿岸部の住民、そして新たに小領主となった騎士層、更にこれらの人々に加えて戦乱から避難して来た人々も戻ってくることで、カタルーニャ地方では多くの自作農が育つことになり、爆発的に生産力を上げて行ったのでした。まあ、元々バルセロナの一帯は1000年前からカルタゴ人が目を付けて開発していたくらい、良港と農地に恵まれていましたから、その素地はあったのでしょうね。その後バルセロナやヘローナ一帯は農業だけでなく牧畜も盛んとなり、都市として成長を始めたバルセロナは西ヨーロッパの毛織物や異教徒の奴隷などを輸出する商業の中継基地、そして傭兵や軍船・武具などを集積する基地としての役割も担うようになって更に発展していく事になります。

ここに、山間地で地道に抵抗運動をしていたアストゥリアス王国との違いが見て取れます。なにしろ生産力の向上と自作農の育成は、その地を守る軍事力も強化されることを意味します。カタルーニャ地方はフランク王国全体から見れば面積こそ小さくとも、自力でイスラムの脅威をある程度排除できるだけの実力を付けつつあったのでした。レコンキスタ初期の主役だったアストゥリアス王国が10~11世紀になると伸び悩み、最終的には併合されたのに対して、10世紀以降のカタルーニャ地方はレコンキスタの主役の一方として飛躍を始めるようになったのでした。

985年、そんな中、後ウマイヤ朝の英傑アル・マンスールの軍勢がこのカタルーニャに侵攻してきます。本来ならフランク王国は臣従している諸伯の救援要請があればこれを守る所なのですが、この頃のフランク王国は事実上解体し、東・西フランク・イタリアと分かれており、985年当時の西フランク王国はその後フランス王家となるカペー家の時代となっていた為、事実上このカタルーニャを見離したのでした。
結果、イスラムの大軍によりバルセロナ一帯は占領され、破壊と略奪を許すことになってしまいます。その後なんとかカタルーニャ諸伯軍の抵抗で撤退させることに成功するのですが、この時カタルーニャに対して何らの援助もしなかったフランスとの主従関係も結局途絶える事になったのは当然の流れだったでしょう。
カタルーニャ地方ではこの後、主要な5伯領が互いに同じ祖先を持つ親族であった事から団結を強め、10世紀頃には最も力を持つバルセロナ伯がヘローナ・ウルヘルなど2~3の伯家を兼ねるなどしてだいたい3~4伯家まで統合が進んだのでした。
しかし、これまで見てきたように領主も住民も元々南フランスから進出してカタルーニャに移住した者が多い為、言語的には同じロマンス諸語系でもフランス系に近い語彙・発音が残っており、カタルーニャ地方はイベリア半島でも特殊な言語が残存する事になります。
しかも彼らは早い段階からイスラム勢の支配から抜け出て独立し・更には反攻を始めるまでになっている為、イベリア半島の他の地域とは文化的にも思考的にもちょっと隔絶したものがあるのは想像に難くないですね。この辺なんとなく、現在でもカタルーニャ人が持っている独立独歩・反骨の気風の源流を見る感じで、ちょっと面白い。

スペイン地図AD11世紀
 
だいたい西暦1000年前後の状況。
まだ次回書く予定の勢力を書き込んでないので空白地帯が残ってますね。


(アラゴン王国の誕生)
さてこの頃、
カタルーニャ地方から内陸に入った所にあるアラゴン伯領に新たな勢力が生まれます。
1035年、イベリア半島北部を制覇したナバラ王サンチョ3世は遺産相続の際に諸子ラミロにアラゴンの地を与え、王位を名乗ることも許したことで、アラゴン王国が誕生したのでした。
地図を見ると判りますがこのアラゴンは完全に内陸国。
後世、地中海屈指の海洋国家に転身するのがちょっと不思議ですがまあ後ほど。

その後、アラゴン王国とバルセロナ伯家は何代かに渡って婚姻関係を結ぶようになり、1137年にはこの両家の連合王国が成立します。このイベリア半島東岸を領するアラゴン連合王国が、12世紀に本核化するレコンキスタでは地中海沿岸を西進する重要な役割を担うようになるのでした。


段々とレコンキスタの主役たちが揃って来つつありますね。
次回は残る2勢力を紹介してゆきます。
そう、ポルトガルとカスティーリャ王国の成立までの経緯を。



おしまい。

FC2ランキング02
 
↑ぽちっとお願いします。

テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/01/15(木) 21:46:17|
  2. イスパニア物語
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<イスパニア物語 その10 | ホーム | またひとり>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://hamilcar.blog64.fc2.com/tb.php/721-bc17ea76
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

このブログはリンクフリーです。

ハミルカル・バルカ/メルカルト

Author:ハミルカル・バルカ/メルカルト
サーバー:Eos
所属  :イスパ
商会  :たまごのしろ/世界の船窓から
Twitter :hamilcar_notos

FC2カウンター

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
オンラインゲーム
362位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
大航海時代オンライン
14位
アクセスランキングを見る>>

最近の記事

カテゴリー

最近のコメント

月別アーカイブ

リンク

このブログをリンクに追加する

最近のトラックバック

ブログ内検索

RSSフィード

RSSリンクの表示

著作権について

大航海時代 Online』に関わる著作権、その他一切の知的財産権は、 株式会社コーエーテクモゲームスに帰属します。 このホームページに掲載している『大航海時代 Online』の画像は、 『大航海時代 Online』公式サイトにおいて使用許諾が明示されているもの、もしくは『大航海時代 Online』の有効なアカウントを所有しているユーザーが株式会社コーエーテクモゲームスから使用許諾を受けたものです。