打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

イスパニア物語 その11

アル・アンダルス


オスマンアップデートが2/17で決定ですか。
できたらそれまでにこのシリーズ終わらせてオスマン編に持って行きたかったのだけど、
事前に立てた構成書きでは恐らく@8回。
今の週2本ペースだと多分もう間に合いませんね・・・。
まあ時間的なこと考えて予定より短くするとか考えてませんから、
あくまでマイペースに記述してゆきますよ。



(後ウマイヤ朝時代)
さて、12世紀になろうという頃にはある程度現有勢力が揃いつつあったイベリア半島のキリスト教系諸国家。
これに対してレコンキスタを受ける立場のイスラム側はどうだったのか、
これが今回のお話となります。

まず簡単な年表から。
711年 ウマイヤ朝勢力がイベリア半島に侵入、西ゴート王国を滅亡させる。
750年 ウマイヤ朝倒れる。
756年 ウマイヤ家のアブド・アッラフマーンがコルドバで後ウマイヤ朝を建国。

後ウマイヤ朝初期のこの時代、ウマイヤ家の支配がいったん途切れた事もあってまだアル・アンダルス全体を平定しきってはおらず、辺境では反乱が、セビリャやマラガなど重要都市では有力家門の豪族がコルドバの後ウマイヤ朝政権に対して容易に従わない姿勢を見せるなどしてまだまだ不安定な状況にありました。
これが9世紀になるといよいよその傾向は強まっており、特に北東部のカシー家・サラゴサ一帯のトゥジーブ家・大都市セビリャのハジャージュ家など、この頃から一部の有力諸侯はコルドバ政権に匹敵するほどの力を蓄えるようになり、こうした各地の諸侯の力が温存された事が後に大分裂の時代の温床となってゆきます。
ただ、後ウマイヤ朝の行政組織そのものは非常に効率的で、かつ寛容性に富んだものだったことからキリスト教徒も一定の自由を得られ、全体としてはそれなりに中央集権化も進む事でやはりコルドバの後ウマイヤ朝政権はその血筋の確かさからも一段抜けた存在ではあったのです。

ただ、血統だけでいうとこれに匹敵する存在がすぐ近くにいました。
北アフリカ~エジプトに勢力を持っていたファーティマ朝は先祖を辿るとムハンマドの娘ファーティマに行き当たると言う、ムハンマドとは同族出身のウマイヤ家並に非常に高貴な血統を誇っており、アル・アンダルス南部の諸侯はこちらの庇護を求める事もしばしばでした。
こうした中、10世紀になってウマイヤ家にアブド・アッラフマーン3世という英主が登場すると一気に隆盛を始めます。即位の翌年にはセビリャのハジャージュ家を屈服させるとマラガ一帯も平定し、932年にはトレードを、938年にはサラゴサのトゥジーブ家も支配下に置く事に成功します。
こうした軍事的成功を背景としたアッラフマーンは929年に自らの身分を『アミール=総督』から『ナーシル=宗教擁護者』つまりカリフと名乗って同じくカリフを名乗ったファーティマ朝に対抗してゆくことを明らかにします。
実際、イベリア半島だけでなく北アフリカ一帯まで拡げて見ても、この頃の後ウマイヤ朝の力は抜きん出たものを持ちつつあったのです。また972年にはエジプトを征服したファーティマ朝が後ウマイヤ朝との対立を嫌ってかカイロに遷都したため、後背を安全地域としたコルドバ政権は北方・東方のキリスト教勢力への侵攻の姿勢を強めていったのでした。

985年、宰相アル・マンスールがカタルーニャに侵攻。
この辺までは前々回のカタルーニャ諸伯領の回で見ましたね。
更に997年には名将アル・マンスールが北西部のガリシア地方にも侵攻します。
この時は聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラが略奪を受けるほどの猛攻で、
この時代に後ウマイヤ朝は最大版図を記録します。
しかし、最盛期を迎えたのもつかの間のこと。
衰退する時は一気に落ち込んで行くのも世の常でした。


スペイン地図1090
前回作った地図をもう一度出しておきます。


(第一次ターイファ時代)
1002年、カリフのアル・マンスール・ラーヒが亡くなると、後ウマイヤ朝では息子たちと有力諸侯の内紛が起こり、その後の30年ほどで10人ものカリフが擁立される混乱の時代を迎えます。結局、1031年になると次のカリフが任命されなくなることで後ウマイヤ朝は廃され、イベリア半島はターイファと呼ばれる各地の都市を基盤とする諸侯・豪族が割拠する分裂の時代を迎えます。(第一次ターイファ時代とも)

この状況では統一した行動どころか内戦に等しいわけですから、この頃力を付けつつあったナバラ王国のサンチョ3世の血縁に連なるカスティーリャ=レオン王国・アラゴン王国やバルセロナ伯などの進出に対してじわじわと浸食を許す事になり、これらキリスト教国に逆に臣従を余儀なくされるようになって行ったのでした。

特にカスティーリャ王国とフランスから乗り込んできた後のポルトゥカーレ伯の南下は著しく、1085年になると半島中央部の最重要都市・トレードが陥落すると言う危機的状況に陥ります。
この情勢からターイファ諸国の有力者は新たな庇護者を求めて外部勢力を招き入れてしまったのでした。なんか西ゴートの滅亡時と良く似てるな・・・。


(ムラービト朝の進出)
そのうちの一つが、モロッコで急速に力を付けていたムラービト朝。
1086年、セビリャ王国の救援要請に応える形でムラービト朝の君主ユースフ・イブン・ターシュフィーン自らジブラルタルを渡ってイベリア半島に乗り込み、トレードを制圧して勢いに乗るカスティーリャ王国のアルフォンソ6世と対決したのでした。

次回、この両者が激突します。



おしまい。

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  1. 2009/01/20(火) 23:36:40|
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