打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

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エル・シド その3

騎士ロドリーゴ


3話目にしてようやく本人が登場してくる人物伝。
今回は誕生から青年期までをみてゆきます。


(誕生)
さて今回の主人公エル・シド(El Cid)、
本名はロドリーゴ・ディーアス・デ・ビバール、
Rodrigo Diaz de Vivar
長いので本名で呼ぶ場合はロドリーゴ又はビバールとします。

ロドリーゴが生まれたのは1040年代、カスティーリャの城塞都市ブルゴス近郊の町ビバールでした。カスティーリャという地名はラテン語で城塞を意味するカステラ(Castella)から来ていますが、これはこの地が古代ローマの支配が及ぶ頃から常に防備を必要としていたほどに戦乱の歴史を持っていることに他なりません。
彼の家系は下級ながらもこのカスティーリャの貴族階級らしく、父親もかなり高名な軍人だった(エル・シドの父ディエゴ・ライーネスは1050年代の戦闘でナバラ王国を破り、国王フェルナンド1世の所領の多くを取り戻すと言う大功を立てている)ということで、ロドリーゴ少年は14歳頃からカスティーリャ=レオン王家の長男、後のサンチョ2世の近習として成長します。
また成人後のロドリーゴは国王の代理として2度ほど裁判の審理に当たっているという記録がありますから、恐らくこの少年時代にラテン語と西ゴート法について学んでいたとも考えられています。彼は後にアラブ人の軍事史にも興味を示していたとも言いますから、少なくともエル・シドは少年期に水準以上の教育を受けていた人物と見るのが妥当でしょう。

それから生地にして家門名ともなっているビバールですが、後に彼が結婚した奥さんに贈与した所領の中に、ブルゴス近郊の土地としてビバールの名が見られますので、そこが彼の家の元々の所領なのかもしれませんね。ちなみに後世この町は地元が生んだ最大の英雄の名を貰い、『ビバール・デ・シッド』と改名されています。



(初陣)
後に名剣ティソナと共にアンダルス最強の剣士としてその名を知られるロドリーゴ、彼が恐らく初陣を飾る機会を得たのは、1063年にカスティーリャの東方、ピレネー山中にあるグラウスへの出兵から。この時まだフェルナンド1世は健在でしたが、長男として既にサンチョ(2世)は軍の指揮を執っていたのですね。近習として彼に仕えていたロドリーゴも18歳くらいになっており、当然ながら出陣する機会を得ていたことでしょう。

ところで、サラゴサのターイファに近いこのグラウスのある地域は多分にイスラム化されており、ここへ兵を進めたサンチョ2世に従ったロドリーゴはこの時初めてアラビア語が支配する土地に接したと見られています。またこの戦いの相手はサンチョ2世の叔父であるアラゴン王ラミロであり、カスティーリャの王位継承者がサラゴサのターイファがグラウスを奪回する手助けをしていた事になります。サラゴサのターイファとロドリーゴは後に再び関係を持ってきますがまた後ほど。

また、この時期のロドリーゴに関する逸話として、ナバラ王国の騎士ヒメーノ・ガルセスとの一騎打ち、それからメディナセリの町でサラセン人の戦士との決闘を行い、この2戦ともに勝利してサンチョ配下の剣士ロドリーゴの名が知られるようになったという記録があります。11世紀に王でも大貴族でも高位聖職者でもない一般人(中小貴族も含めて)の事跡が記録に残っているというのはかなり珍しく、既にこの記録が残された頃にはロドリーゴはカスティーリャでも有望な人物と見られていたのかも知れませんね。


さて、カスティーリャ=レオン王として南のターイファ諸国にも貢納をさせていたフェルナンド1世が、出陣していたポルトゥカーレのヴィセヴの街で流れ矢に当たり1065年に亡くなると、彼の遺領は息子たちに分割されます。

フェルナンド1世→カスティーリャ・レオン・ガリシア

長男サンチョ2世→カスティーリャ
次男アルフォンソ6世→レオン
三男ガルシア2世→ガリシア

このうちロドリーゴが仕える事になったのは、ビバール家の所領の関係、そしてこれまでの経歴からもカスティーリャの領主であるサンチョ2世でした。1065年といえばロドリーゴはもう20歳くらいになってますから、当時の感覚ではもう充分一人前の騎士として見られるようになっていたでしょう。しかもカスティーリャの生え抜きの者として、また高名な軍人の家系の跡取りとして、若年ではあってもロドリーゴはサンチョ2世の配下でも有望な存在だった気がします。
こんな感じで、一般的にはエル・シドの伝説は彼が全くの下級兵士から成り上がって行った様な印象があるのですが、ここまでの経歴を見ると実際はそれなり以上の恵まれた下地の元に順当に成長してきた人物だと言うのが伺えますよね。むしろこんな有望な人がなんで追放されてよその土地で独立する人生歩まなければならなかったのか、こっちのほうが興味深いです。



(継承戦争)
ところがこの兄弟による分割相続は長続きせず、まもなく兄弟同士の争いに発展してゆきます。兄弟によるこの継承戦争、当初三男ガルシアを長男サンチョと次男アルフォンソが連携して攻めるという形で始まり、既に20代に成長していたエルシドもサンチョ配下の士官の1人としてこの戦いのなかで頭角を現してゆきます。
その後ガリシア地方がほぼサンチョ・アルフォンソ連合軍で制圧されてくると、サンチョはアルフォンソと雌雄を決するべくたもとを分かつことになります。

カスティーリャ=レオン王国の継承を掛けたこの争い、決戦となった1072年のルランダタとゴルベーラの戦いで共にサンチョが勝利し、既にサンチョ配下の勇将としてその名を知られ始めていたエルシドはここでも旗持ち騎士として決定的な働きをし、その勝利に貢献したとされます。
また、後に主君のサンチョ2世が生前にある修道院への埋葬依頼とその謝礼としての寄進を遺言していた文書が見つかるのですが、その執行の際の証人としてロドリーゴ・ディーアスの名があり、ロドリーゴ、すなわちエル・シドが既にサンチョ2世の重要な家臣になっていたとされる一例として挙げられています。(文書そのものの真偽は近年多少疑問視されていますが)

こんな感じで長男サンチョ2世の勝利がほぼ確定し、敗れた次男アルフォンソがタイファ諸国のトレドに逃れた時点で、父フェルナンドの旧領で残ったのは妹のウラカが相続していた小都市サモラのみ。サンチョの再統一は時間の問題かと思われましたが、ここでサンチョがウラカの配下に暗殺されると言う大事件が起こります。

こうして最初の主君を暗殺によって失ったロドリーゴ、
ここから、後にエル・シドと呼ばれる彼の流転の人生が始まることになったのでした。



おしまい。

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  1. 2009/03/05(木) 23:45:40|
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