打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

エル・シド その6

頭角


レコンキスタ時代における最大の英雄エル・シドを巡るこのシリーズもそろそろ中盤。
故郷を追われて将来有望なカスティーリャ軍人としての道が閉ざされたロドリーゴですが、後の歴史を振り返ってみるとむしろ追放された後こそが彼の人生の本番でした。何しろ追放された翌年にいきなり歴史の表舞台に登場してくるのですから。これからそんな、イベリア半島を股にかけ乱世に生きるロドリーゴ・ディーアス・デ・ビダル(エル・シド)の動きを追ってゆきます。


(傭兵ロドリーゴ/1081~1086年)
1081年にカスティーリャを追放された後、サラゴサのターイファ・ムクタディルに仕えた、というか雇われたロドリーゴ。しかしムクタディルは翌1082年に亡くなり、その跡を兄ムータミンと弟ハーイブの兄弟がその所領を分割相続すると、間もなく両者は互いに争うようになります。ロドリーゴが仕えたのは、首都サラゴサを中心に西側の所領を相続した兄のムータミン。そんな情勢ですから優秀な軍人は歓迎されたことでしょう。またこの頃30代後半を迎え、身体的には最も充実していた事もあってか、間もなくロドリーゴはムータミン配下で軍の顧問及び実働部隊の指揮官に任じられ重用されるようになります。
この頃の周辺情勢はというと、

 サラゴサ      カトリック諸国
兄ムータミン==協調→カスティーリャ王
×相続争い        ×険悪
弟ハーイブ===同盟→アラゴン王、バルセロナ伯

サラゴサ周辺図を上げて置きましたので参照して頂くと一目瞭然ですね、
ムータミンは周辺、特に北と東の国境を圧迫される状況にあったのです。
そしてロドリーゴが防衛を任されたのは、3者全てに狙われる位置にあるサラゴサ北東の国境付近。モンソンとタマリーテという2つの町なのですが、ここを任されていると言うだけで彼が如何に頼りにされていたかが伺えます。
そして、ロドリーゴは見事にその期待に応えたのでした。
この辺は記録資料も増えてくるのでちょっと列記してゆきますね


エル・シド関係図01
サラゴサ時代のエル・シド関係図(1081-1086年)
※原寸はW800です


(アルメナル攻防戦)
1)1082年夏、モンソンの町を守備していたロドリーゴが、
  そこに攻撃を掛けてきたハーイブとアラゴン王サンチョの軍を撃退。
2)そこから東にあるタマリーテの街に向かい、アラゴンの別働隊をも破ります。
3)ムータミンと合流し、更に東にあったアルメナルの古城を再建して前線基地にする。
4)ムータミンと分かれて南に向かい、エスカルプ城を攻略。
5)ロドリーゴが留守中のアルメナルにハーイブとバルセロナ伯が攻撃を掛ける。
6)包囲されたアルメナル城の救出に向かう。

途中経過は大体こんな感じ。
既にこの時点でロドリーゴは拠点3箇所の防衛と攻略に成功する功績を立てていますが、
歴史は彼をそのまま放っては置きませんでした。
上記のような流れでアルメナル城の救出に向かったロドリーゴでしたが、現場に着いて明らかに自分たちより大軍で包囲している連合軍をみると、タマリーテの町にいるムータミンに提案して賠償金で和睦する事を勧めます。しかし包囲しているハーイブは遙かに優勢なこともあってこれを拒否します。
そこでロドリーゴは不利を承知で包囲の外から挑戦する方針に切り替えたのでした。

その後アルメナル城の近郊において、
ロドリーゴ対ハーイブ・バルセロナ伯の連合軍による会戦が行われたのですが・・・

結果はと言うと、なんと遙かに少なかったはずのロドリーゴ軍が圧勝。

しかも総大将のバルセロナ伯自身がロドリーゴの捕虜となり、ハーイブもまた従者・配下の騎士の多く・そして輸送物資のほとんどをロドリーゴに奪われるという決定的な敗北を喫したのでした。


(幸運なシッド)
ところでこの直後に作られる 『カンペアドールの歌』 はこのアルメナル攻防戦を題材の一つにしていますが、ここで初めて 『幸運なシッド』という表現が使われて来ます。この事からシッドの呼び名は恐らく1081~1082年の間に彼を指揮官としたサラゴサのサラセン人・ムーア人のあいだで呼ばれ始めてきた事が伺えます。
とにかく、これまでカタルーニャの諸伯領を次々と併合して急成長してきたバルセロナ伯が、前年に追放されたばかりのカスティーリャ騎士に敗北し捕らえられたというニュースは、イベリア半島の少なくとも中部・東部に響き渡ります。アルメナルの会戦に勝利したロドリーゴはバルセロナ伯たちの身代金と奪った財宝の一部を褒賞として受け取りますが、それ以上に彼の名声は一挙に高まることになったのでした。



(混迷のバルセロナ)
サラゴサ配下のロドリーゴがバルセロナ伯を破った事がどれだけ影響しているかは不明ですが、その後バルセロナ伯領は一気に混乱期を迎えます。釈放されて間もない1082年12月5日、そのバルセロナ伯ラモン・ベレンゲール2世が暗殺されたのでした。しかも彼の弟によって・・・。
これにより、バルセロナ伯領では兄殺しの新バルセロナ伯ラモンに反対する内戦が勃発し、バルセロナ伯の傘下にあったピレネー山脈の東にあるカルカソンヌ伯とラゼ伯領も離脱するなど大混乱に陥ります。その後、カスティーリャ王を宗主とする一方でラモン・ベレンゲール3世が成人するまで摂政を置く和解案が合意されてようやく落ち着くのですが、これが1086年のことですからロドリーゴがサラゴサにいる間は内乱が続いていたことになります。ロドリーゴはもう少し後に再びカタルーニャと関わりを持ってきますが、それはまた後の機会に。

それにしても、カトリックの騎士がイスラム諸国に仕え、カトリックの伯を破って捕虜にし、それによって名声が高まると言うのは、後の大レコンキスタを思うとだいぶこの時代のイベリア半島が寛容というか混沌としていた事が伺える気がします。あと、この頃からロドリーゴに関する資料・記述が段々と増えてくるのですが、これは彼がイベリア半島の王侯にとっても無視できない存在になってきた証左といえるかもしれません。


次回は、いよいよレコンキスタを加速させてくるカスティーリャと、
それに関わるロドリーゴの動きを。



おしまい。

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  1. 2009/03/14(土) 13:14:51|
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