打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

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エル・シド その7

南からの脅威



(連戦連勝)
1082年のアルメナル攻防戦でバルセロナ伯に大勝して一気に頭角を現してきたロドリーゴ・ディーアス、いやここらでもうエル・シドと呼ぶべきでしょうか。
サラゴサ王国に仕えて3年目の1084年、この年のエル・シドはアラゴン王国の南部を数日間に渡って襲って回ったあと、仕えているサラゴサのターイファ・ムータミンの弟ハーイブの領内となっているトルトーサやレリダといった東部地域へと転戦します。(既にこの頃にはサラゴサ軍の現場指揮官になっていたらしい)これに対してハーイブはアラゴン王サンチョ・ラミレスが送った援軍と合流してエブロ川下流で迎撃に出たのですが、このエブロ川の会戦もエル・シド指揮下のサラゴサ軍が勝利を収めます。しかもこの会戦でもアラゴン側では王家の宮宰・代官・領内の司教職にある者など10数人もの身分の高い者が捕虜となっており、中でもアラゴン王の親戚筋となるパンプロ-ナ伯までもがエル・シドに捕まってしまう大敗を喫したのでした。この結果、わずか2~3数年の間にバルセロナ伯とアラゴン王に連勝したエル・シドの武名が更に知れ渡ることになったのはいうまでもないでしょう。



(トレード陥落とアルフォンソの大敗)
その翌年の1085~1086年は、レコンキスタの歴史の上で、
そしてエル・シドにとってもかなり重要な年となります。
この年起こった事象はというと、

1085年、カスティーリャ王国がトレードを陥落させる。
1086年、カスティーリャ王国、サグラハスでムラービト軍に大敗。

この2点。
恐らくスペインの教科書に必ず出ていると思われる、重要な年代でしょう。
それ以前からカスティーリャはトレード王国のターイファ・カーディルを保護下に置いていたのですが、この頃になるとイベリア半島中央部の大国トレードはカーディルの悪政に反目する人によって不穏な情勢となっていました。その後、カーディル保護の立場を取るカスティーリャはカーディルと密約して彼をバレンシアの領主に据える代わりにトレードを明け渡させるべく動き、1084年秋~1085年春に掛けてトレードを包囲して遂に降伏に至らしめたのでした。

悪政下でだいぶ衰退していたとはいえ、大国トレードがカトリック勢の手に落ちたことは他のアンダルスのターイファ諸国が受けた衝撃はかなり大きかったのでしょう。そしてこれはカトリック勢の勢力圏がポルトを河口とするドゥエロ川からリスボアを河口とするテージョ川の流域まで到達した事になり、アンダルス南部が危機にさらされてきた事を意味していました。
実際トレード陥落後にアルフォンソ6世はセビーリャへの降伏勧告、グラナダ包囲、そしてエル・シドがいたサラゴサと次々に軍を送っており、それは現実の脅威となっていました。
結果、残るタ-イファ諸国は一斉に海を渡ったモロッコで急速に勢力を伸ばしていたムラービトゥーン運動の指導者の一人ユースフ・イブン・ターシュフィーン(ムラービト朝)に救援を仰ぎ、同年の後半にムラービト軍がジブラルタルを渡るというリアクションを引き起こします。彼らにとっては例えそれがかなりのリスクを伴うものだったとしても、同じイスラム勢に降るほうがまだマシという気持ちだったかも知れません。『ブタ飼いよりラクダの世話を云々』というあるターイファ王の言葉がこれを物語っています。

さて、ムラービト軍がジブラルタルを渡り、
カディスからセビーリャ方面へ北上していた頃・・・・

この時カスティーリャ王アルフォンソ6世がどこに居たかというと、
これが実はエル・シド率いるサラゴサ軍と対峙していたのでした。
旧主と戦うことになったエル・シドの心境がどうだったかは不明ですが、幸いにというかこの時アルフォンソはムラービト軍侵入の知らせを受けて直ちに軍を返したために両者の本格的な対戦は避けられることになったのでした。

その後、アルフォンソは5万とも6万ともいわれる大軍を集めてムラービト軍を迎え撃ったのですが、結果は1086年秋のサグラハスの会戦で自身が負傷、ほとんどの将兵を失う程の損害を出して大敗してしまいます。イベリア半島の皇帝としてのアルフォンソの権威はこれで失墜してしまったのでした。




(帰参)
サグラハスの大敗後、アルフォンソは何とかトレードに逃げ込んでムラービト軍の追撃をしのいだものの、その権威は完全に失墜してしまっていました。貢納を納めていたターイファ諸国はこれを停止し、更に数年後に再び侵入して来たムラービト軍はそのままターイファ諸国を次々と併合して、第一次ターイファ時代は終焉を迎えるようになって行きます。そしてこの目まぐるしい変動は、同時にエル・シドにとっても思いがけない結果をもたらしたのでした。

1086年末、アルフォンソ6世がロドリーゴ・ディーアスの追放措置を解除。

この辺の事情はどうなってるのかよく分かりませんが、追放措置を解いたアルフォンソとロドリーゴは和解し、かなりの厚遇を受けてカスティーリャへ帰参することになったのでした。まあ実際この時期のアルフォンソは治世中で最も窮地にあった訳で、その一環で妻の実家であるフランスのブルゴーニュ家の子弟を招いてフランス騎士の参加を要請した事もその対応策の一つでした。そして当然ながら元配下で急速に実力と声望を高めていたロドリーゴをこのまま追放しておくのは得策ではないと判断したのでしょう。こうしてロドリーゴ(エル・シド)は、一転して再びカトリック側に立ち、今度は反抗する気配を見せるターイファ諸国、そして彼らの後ろに控えるムラービトゥーンと戦うことになったのでした。


エルシド関連地図1081



おしまい。

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  1. 2009/03/18(水) 22:50:29|
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